希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

みなさま   この春から社会の有り様、日常の生活がすっかり変わってしまいました。いかがお過ごしですか。今年のゴールデンウィークはいいお天気に恵まれました。しかし、こんなに静かなこどもの日を迎えた記憶はありません。そのようななか、スリランカの友人が、施設の子どもたちと仏様のお祝いを楽しむささやかなお祭りの様子を知らせてくれました。こどもたちの無邪気な笑顔、忘れていた日常の光景を思い起こしてくれました。今、みなさんは先の見えない不安な状況のなかで、福祉、医療、教育と、それぞれの現場で葛藤しながら、模索しながら、できうる支援を継続されています。私も在宅勤務と事務所への出勤を繰り返し、もどかしい思いを募らせながらもできることを探し、実行しています。テレワークながらも大学院での授業が再開することで、新たな展開に期待してもおります。ただ、コロナウイルスとの共生はこれからも続いていきます。生活支援の最前線に立たれているみなさまには、どうぞご自身の健康に十分ご留意されてお過ごしください。  KN

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

ルーテル学院大学卒業生の皆様へ  2020年5月

 新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中に猛威をふるっていますが、皆様はお元気でお過ごしですか。

 新型コロナウイルス感染症対策の為に、日本で、あるいは世界中のどこかの国や地域で、それぞれの職業、家族での役割や地域での役割の中で、直面している多様な困難の中で、一生懸命に生きている皆様に敬意を表し、共感し、心からお見舞い申し上げます。

 私は、御蔭様でリモートワーク中心の日々で、外出を抑制しながら家族と一緒に元気に過ごしています。

 さて、「時間」は前にしか進みません。私たちが生きる世界では、「平面的」には前にも後ろにも体を動かすができますし、「立体的」には上に登ることも下に降りることもできます。けれども、「時間」については、私たちは、「現在」から「未来」に向かって生きていて、決して、「過去」に戻ることや「時間」を行ったり来たりすることはできません。交通機関が充実し、一定のバリアフリー化が進んでいる今、平面的にも立体的にも移動することができる私たちですが、タイムマシンはないので「時間」を自由に移動することはできないのです。

 それにもかかわらず、新型コロナウイルス感染防止対策の緊急事態宣言下では、国や自治体が私たちに勧めて要請しているのは、人と人との間の「社会的距離」を保つことです。交通機関の発展によって国内外に広範囲に移動可能なグローバル化が進んできているにも関わらず、現在は世界中の多くの人々は、お互いの命を守り合うために、国境、都道府県境、市町村の境を越えて移動したり、人と会ったりすることを極力抑制する日々を過ごしています。

 そのような状況下、ルーテル学院大学の卒業生の多くは、学生時代の専攻に関連する保健・医療・福祉・臨床心理・教会等の分野をはじめとして、感染症対策や日常生活維持のための最前線で働いている方が多いと思います。

 そこで、日々の取組は前例のない厳しさの中にあると拝察しますが、厳しい状況の今だからこそ、これまでとは異なる経験の中に、皆様が生きがいや働く意義を見出していることを願っています。

 先ほど申しましたように、「平面」や「立体」を移動できる私たち人間は、「時間」を「過去」や「遠い未来」へとは移動することはできません。けれども、私たちが生きた「過去」は、私たち自身の「現在」と「未来」に、少なからず影響を与えています。「未来」は予測することしかできませんが、「過去」は私たちの心身に、「経験」「学習」「考察」「記憶」などとして刻まれています。

 卒業生の皆様に影響を与える「過去」の一つが、ルーテル学院大学在学中の「学び」と、現在につながる「学友や教員との交流」であるのではないかと、私は信じています。

 皆様の心に残り、響き、これまでと今を支えている重要な要素が、大学時代の学びと交流ではないかと思っています。

 私が教員を務めていた当時は「文学部」の単科大学で、社会福祉(カウンセリングを含む)と神学の学科に分かれていました。いずれの学科でも専門の学びと実習の基礎に「コミュニケーションの理論」があるとの考えに基づいて、1年時の「必修」科目に位置付けられていた「コミュニケーションの理論と実際」の授業を、私は担当していました。

 学生の皆様は、卒業後は保健・医療・福祉・臨床心理・教会等の分野での職業を志す人が多数でしたので、私は、「話す」「書く」ということのみならず」、「聴く」「読む」という人間ならではの「話し言葉」「書き言葉」による「言語コミュニケーション」の意義と手法をまずは伝えました。同時に、「身振り」「手振り」「表情」「声音」「服装」「対話の際の相手との位置」などの「非言語コミュニケーション」の持つ重要性についても伝えました。

 当時は毎年、「3分間スピーチ」を学生全員に実習として行ってもらっていましたが、聴覚障がいの学生がいた年度には、私が求めたわけではなく、多数の学生自らがスピーチ本番までに「手話」を学び、手話をしながらスピーチを実践してくれました。視覚障がいの学生には耳でスピーチを聴いてもらえるけれども、聴覚障がいの学生には音声が伝わらないので、自分たちが手話で伝えたいと思って身につけてくれたのです。

 私は、学生の皆様の聴覚障がいのある同級生に向けた「伝えたい」と思う「おもいやり」が手話を学ぶ意欲と実践につながったことに、私が伝えたかった「コミュニケーションの意義とその実践の在り方」が伝わったのだと幸いに思いました。

 この一例を挙げるまでもなく、ルーテル学院大学の卒業生も、現役の学生も、教職員が一人ひとりの学生と固有名詞で関わる「一人ひとりを大切にする」という教育理念に基づいて「心と福祉と魂の高度な専門家を養成する」という本学の使命を果たす在り方を受け止めてくれています。だからこそ、卒業してからも、他者の基本的人権を尊重し、「誰一人も取り残さない」ようにと、各自が求められている役割を一生懸命に果たそうと努めてくれていることと思います。

 けれども、どうぞ、決して無理はしないでください。心身ともに、「持続可能性」を尊重してください。ご家族を含めて他者を愛し、守り、皆様の役割と責務を果たすためには、何よりも、まずはご自身の心身の健康確保をはかってください。そして、自分自身だけで課題を抱え込まないでください。

 ルーテル学院大学は、今回のメッセージをおとりまとめいただいた直前学長の市川一宏先生、現在の石居基夫学長を中心に、大学全体で卒業生の皆様からのご相談をお待ちしていますし、卒業生と大学との情報共有の機会を大切にしています。

 どうぞ、決して躊躇せずに、いつでも大学にご連絡ください。

 皆様のご健康とご多幸をお祈りし、どんな時も前向きなご活躍を心から応援しています。

                        OKAY 

             (清原慶子元教授(1987~1999)、現学事顧問) 

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 長野県安曇野で、夫と「ひかりの学校」というフリースクールをやっています。我が子3人も含め17人の小中学生がつどう小さな学校です。4月に入学した新入生がだんだん慣れてきて、いい笑顔が見られるようになり、これからという時でしたが、4月10日から休校にしました。子どもの人数も少ないし、野外活動(畑作業や火おこしなど…)も多いのですが、自宅兼学校の本当に小さい学校なので、三密は避けられません。今後、学校を再開することはできるのか?いつから再開するか?日々変化する状況に、悩み、夫と毎日話し合い、考える日々でした。
 そんな中、同級生の彼女からのメールにどれだけ励まされ、力をもらったことでしょう!
 どのような決断をしても、賛否はあります。しかし、私たちは決断し、行動しなければいけない。長野県では分散登校が始まる学校もありますが、夫と私は 感染拡大防止の観点から「命と今ある健康と生活」を守ることを最優先に考え、休校を延長することにしました。
 生活のため、学校を再開させるため、今日から私はりんご園でバイトしています。りんご畑で仕事しながら、こうして神様がすぐに仕事を与えて下さり、生かして下さること、家族が共にいられることが感謝だなと思います。
 「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」イザヤ40:31
 自分が弱ってしまう時、この御言葉をつかんで、希望ある明日に向かって歩んでいます!                  M・T

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 92年に卒業後、東京都町田の社会福祉法人に勤めて28年になります。現在は特養の施設長を仰せつかっておりますので新型コロナウイルスの感染拡大には神経を尖らせてます。母校ルーテルを卒業された方の多くが福祉あるいは医療の現場に携わっておられることと思いますいま私たちが直面しているのは本当に恐ろしいウイルスです。私たちは自分を守りながら誰かを支えなければなりません。人の中に神々しさを見ることもあれば、失望を感じる事もありますが、岩◎さんを始め、多くの同友がそれぞれの現場でこのウイルスの恐ろしさと向き合ってるかと思えば乗り切れていける気がしてきます。目には見えないウイルスの脅威には目には見えなくても感じることの出来る団結で立ち向かっていきましょう。
                        FAT CAT初代隊長

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 「未知のことではなかった感染症の影響」

 新型コロナウイルスの感染症が猛威をふるい、世界的規模で人々が無限の被害を受け、破壊に対して戦い、国民は感染拡大防止のために不要不急の外出自粛に協力している。       

 がんのサバイバーの身では、「基礎疾患のある人は感染重篤のリスクが高い」との頻繁な報道にびくびくしている。家の中の生活が長引き、自律性を保持しながらも、ふつふつとした気分でいる。朝晩検温の記録など、自分の身を守るための工夫をしているが、これほど長い自宅での待機状態は初めてである。電話やメールで他者との交流があり、孤独感をもたず、精神衛生状態はなんとか保ってはいるが。

 全国に緊急事態宣言がでて、厳しくなった社会状況下で、年度末までの仕事はすべてキャンセルとなり、失業者の心境である。役割の喪失感からか、何もする気がなく、せっせと自宅の部屋整理、書籍・書類の断捨離に打ち込んでいる。友人からは「徹底的処分はやめた方がよい」と忠告を受ける。人生の整理のように想像したのだろうか。     

 新型コロナウイルスという人類が経験したことのない疾病だ。ウイルス自体も進化して生物と戦っている。この感染症は、医療崩壊、経済など社会崩壊までも引き起こしつつあるなどの情報の渦。人間として何かせねばならないが何も思いつかない紋々さ。「あなたの場合は感染しないが、活動は禁止、ただ社会の出来事を静観していなさい」と、かつて医師から言われたことを思いだした。13歳の頃である。

 今回の感染防止の取り組みは、初めての挑戦と考えでいたが、確かに以前に医師からの宣告を受けたことがある。高校入試の前のとても重要な時期に、結核が見つかり、「感染させる危険性はない、授業には参加してもよい、勉強はせずじっと机に座っているように、活動を全面的に禁止する」と。座席にじっと座り、体育も見学し、帰宅後、ひたすら10時間睡眠、栄養補給が条件であった。周りは病気であるとの理解はあったが、いじめや差別、偏見はなかった。集団の中の孤独感はすさまじいものであったことを覚えている。

 母は神経質になり、部屋中消毒をしていた。実は、父親は結核で、片肺が機能していない。仕事はしている。叔母は優秀な人物であったが結核で亡くなった。孫の代に発症がないようにと祖母は祈っていたのに・・。失望感と恐怖感から、祖母をはじめ、家族全員が、勉強よりも拭き掃除重視の考えだ。祖母は、以前は隣近所からの差別・偏見にずっと戦ってきたものだとよく話してくれた。

 医師からは虚弱体質のため、断層写真による見守り、結婚などは30歳まではだめだと断言。長期にわたり、結核予防法による医療費免除を受けながらの闘病生活であった。ある時期に家族の誰かが感染症を患えば、家族全員が生命の危険にさらされ、悲惨な状態は長期にわたり継続する、3世代にもわたる長い時限の膨大な影響である。

 このような感染症の巨大な影響を体験してきているにも関わらず、この度の社会現象は未知のもので、すぐに収束し、元どおりの生活になることのみを期待している。

 あの感染症の莫大な影響をそっくり遠い昔に追いやっていたことに気がついた。                          

                 いちソーシャルワーカーの想いより