1979-89年ルーテル学院大学福祉コースで教員をしておりました岩井です。ニューヨークの大変な現場のニュースを見るたび、ただ心痛めておりましたが、その真っただ中で、岩◎さんも頑張っていることを市川先生にうかがいました。ガンちゃんと言われていた人とは年代が違うかとおもっていましたが、1989年卒の池田さんの記事でやはり彼女かと。卒業生が志をもって、勉学、研究に励み それを実践に生かし、いまなお、というか、いまこそ頑張って働いておられることを想像力をもっておぼえていました。感謝いたします。
私たち人類のためのお働きに私は80才を過ぎ、出来ることは、「うつらない、うつさない」というひとりの生活です。皆さまのお働きに「希望」をあたえられています。いま皆さまの心身の健康が守られて働けることを、ひたすら祈ります。
岩井道子
投稿日 20年05月11日[月] 6:09 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ
1.近況と今の思い 私は、労災職業病センターというNPO法人の職員として働いています。主に労災補償の申請手続きの相談、支援、認定までのサポート、またグレーゾーンなど認定基準に厳しい方達の救済や事業主の責任などに対する支援と運動なども含まれています。私はその幅広い職業病の中のアスベスト(石綿)の患者さんたちに対するサポートを主に対応しており、呼吸器疾患の患者さんたちを相手に、家族、遺族などに対してもサポートしていたので、「肺炎」というのは常に身近にある病気でした。私たちが大丈夫であっても患者さんたちが免疫力ないとちょっとした菌で肺炎を起こしてしまうのです。これが命取り、風邪が命取りになってしまうこともしばしばでしたから、(労災の患者さんたちは死亡原因や経過によっては遺族補償に繋げられないこともある)今まで以上に気を付けて対応しているという感じです。今回の騒ぎで共通しているなと感じているのは、新型コロナも病名確定までに時間がかかるということ。これが中皮腫の確定診断と似ています。そして治療法が確立していないことなど・・・・急に亡くなってしまうケースもあります。そのような中、本人やご家族、そして亡くなった後のご遺族のケアは今も変わっていません。このような事態になりましたが、私の仕事は変わらず(協力医療機関に週二日勤務しているのもあり)、抗癌剤治療して私のところに面談される患者さんが今でもいらっしゃいます。患者さんやご家族、ご遺族にとっても変わらずに面談で対応できることが救いになっているかなと感じています。
2.岩◎さんに対して思うこと 彼女が、NYのマウントサイナイ医科大学(シナイ山医科大学といった方がいいのでしょうけれど)の最前線にて働いていることにびっくりしました。私がルーテルを卒業後フィリピンに留学していたのですが、彼女が会いに来てくれました。そこで、彼女が海外で看護師になりたいという希望があることを話してくれました。20年以上前のことになります。NYで看護師をしていたことは最近になって後輩を通じて知り、夢を叶えたんだなと思っていましたが、まさかマウントサイナイ医科大学にいたとは!不思議なつながりを感じました。ここの病院はアメリカでもアスベスト被害のパイオニア的存在の病院で、私が今の仕事場ともつながりが深い病院だったからです。30年以上も前に、自分の仕事場がアスベスト被害の取り組みを始めた頃、日本では労災としてもまだまだ認定しづらい時代がありました。職場の理事長、所長(共に医師)がアメリカの学会に行き、マウントサイナイ医科大学のセリコフ教授(故人ですがとても有名な医師です)に会えた・・・ということから自分の職場でのアスベスト被災者の救済へというのが始まっていました。唯一、そこで日本人の病理医として働いていたS先生に初めてお会いしたのも日本の地方の裁判所での証人尋問の傍聴からでした。アスベストでの労災認定がむづかしい事案は、ご本人とご家族に説得をし、亡くなられたときに解剖をしてもらい、その標本をアメリカにいるS先生宛に航空便で送り・・・・病理報告書を送っていただき・・・・という時代でした。そうでなければ労災認定が取れなかったのです。
2002年、あのアメリカ同時多発テロの翌年になりますが、機会があり、マウントサイナイ医科大学を訪問する機会にあずかりました。同時多発テロ以降、救済をした労働者やボランティアの人たちの呼吸器疾患が問題とされ(アスベストばく露もあります)当時のNY市から予算を勝ち取り、現地の労災職業病センター(安全衛生センター)と協働して無料の健診施設及び名簿登録をする特別な診療所ができていました。特にアスベストを多量に吸い込んでいるボランティアの人たちは3〜40年後に発症する可能性があるので、その人たちの健康管理が将来に渡ってフォローできるようにしないと大変なことになるからです。しかし、ここで私は他の面を見ました。この当時から移住労働者が多く、フィリピンからの看護師もかなり多い時代でした。日本人はその時には病理のS先生だけで、その時の話で後継者を作っていないという話があり、そこで「人種の壁」を感じました。マウントサイナイ医科大学はイーストハーレムも目の前で、通りが違うと雰囲気がガラッと変わっていたのも見ました。公園には多数のフィリピン人がアメリカ人の子供たちをケアしていてというのも見ました。その時に滞在していたのもアメリカ聖公会へ異動したフィリピン人司祭のお宅で、看護師である奥様や間借りしていたフィリピン人家政婦さんに仕事の実態を聞き取りしたことが懐かしく思えます。この頃からかなり中南米系の労働者も多く働きに来ていて、労災・職業病も外国人労働者の健康を守るにはと議論をしていました。あれから、数十年、今やマウントサイナイには日本人医師なども増えてきていて働いていることも知り、時代は変わったなと感じましたが、底辺の人たちに対する救済がまだまだなのだなと思いました。それは日本でも同じです。こちらでも協力医療機関の一つが外国人医療を担っていますが、あの頃と、現在では外国人労働者も定住化が進み、新たな課題が出てきているように思います。私の仕事としては、この様々な困難に向かっている人たちに手を差し伸べてこえていけるような仕事なので、とにかく目の前にあることに対応する、むづかしければ世間にも訴えていく、日頃の積み重ねや、協力してくださる人たちと共にぶつかっていく・・・これしかありませんが、そこには希望があります。とにかく信じ続けることが大事ですね。
彼女の話を聞いた時に、なんて世の中狭いんだろうと思いましたが、そこはやっぱりルーテルなのかな、とも思いました。彼女ならきっとやり遂げられるでしょう!とも思っています。
落ち着いたら、私がNYに行くか、彼女が帰国するかのチャンスで会いたいですね。いろんな人のつながりで今の私たちが生かされているので・・・語り合いたいなと思っています。
最後に、市川先生、このような機会を作ってくださり感謝します。
池田理恵 1989年卒
投稿日 12:25 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,社会福祉関連
山口と東京を拠点にして、日本の福祉業界へのファンドレイジングを行う文化の定着と「お金がないで終わらせない福祉」を実現させる活動を行っている久津摩と申します。新型コロナが広まって以降は、山口県の自宅からオンラインによる福祉団体への支援活動や職員研修、社会福祉士の新しいカリキュラムに沿った教科書の執筆などを行っています。
世界中でこのような状況になるのは、1918年に始まったスペイン風邪が流行った時以来です。医療の進んだ現代では、もうあり得ないと誰もが考えていたと思いますが、この数ヶ月で一気に生活が変わり、不安の中で過ごされている方も多いことかと存じます。私自身も、国境なき医師団日本のアドバイザーとして関わってきた立場もあり、エボラなどの状況も現地に行った医師やスタッフから聞いており、一般の方々よりは心構えがあったはずなのですが、実際に日本で起こっている状況や、仲間の福祉職が最前線で戦っている姿を目の当たりにすると、心配な日々を送っています。
このように、命にも関わる過酷な状況になった時は、人生においても、組織論においても、最悪の事態を想定し、一つでも多くの不幸が回避されるように動くことが大切です。なぜ、それをお伝えするのかというと、残念ながら、これからさらに大きな波が何度も来ると予想されているからです。私が交流のある、国際情勢や経済などに精通している経営者や作家などのトップランナーの方々は、これからくる大きな波に備えろと口を揃えたように言っています。
具体的には、まず、6月以降に1回目、秋から冬以降に2回目で、ほぼほぼ確実に恐慌の波がきます。聞いたことのある企業がどんどん倒産するほか、税収も過去に例がないほど大きく下がる可能性も高く、福祉業界も人ごとではありません。また、緊急事態宣言が解除された後も、1世紀前のスペイン風邪の教訓もあり、秋以降に第二波、その後にも第三波が来て、数年は続くという予想されています。感染して免疫をつけた人、またはワクチンを摂取した人の合計が6割以上になって、集団免疫ができるまでが一つのゴールであり、それまでは、拡大→自粛→解除→拡大→自粛・・・という流れが続きます。これは、開発されたワクチンが大量生産されて世界中に届くようになる2〜3年後までかかると予想されてます。そのため、我々は長く続く大不況と闘いながら、新型コロナとも長期戦で戦う準備をしていく必要があります。さらに、今年は豪雨が例年より多くなると予想されているほか、地震が起こる可能性も囁かれており、新型コロナに加えて災害が起こることを想定しておくことが必要です。避難所に行くことも三密になり、問題が出てくるでしょう。また、アフリカで発生し、中国まできているバッタの大量発生や世界での新型コロナの影響により、食糧難の可能性も出ているほか、大きな戦争、金融危機などについても起こる可能性がある状況です。
このような波がどんどん迫っており、5月末または6月までの緊急事態宣言が解除されれば元どおりということは、まずありません。むしろ、これから本格的に、数々の困難が重なってくることが予想されます。なぜ、このような暗いことをお伝えするのかというと、「この数ヶ月間を乗り切ればと終わりだ」とだけ考えている人は、次の波でショックを受け、「今度こそこれで終わりだ」と思っていた人は、また次の大きな波がきて、その次にもまたさらに波が来て、心が打ちのめされてしまうからです。アウシュビッツでも、生き残ったのは、なんとなくどうにかなると考える楽観的な人ではなく、調べ尽くして正確に最悪な状況を想定して動いた人だったそうです。良くない状況がしばらくは続くため、このような話ばかりするのは心苦しいところですが、ほぼほぼ確実に津波が迫っている現状の中で、一人でも多くの卒業生、在校生、先生方、関係者の方々が、事前の備えを行い、この大津波を乗り越えていただければと思い、情報を共有させていただきました。激動の時代にはなりましたが、乗り越えた先には「博愛の時代」が来ると言われています。
皆で乗り越え、大学のホームカミングデーなどで、先生方や皆様と楽しくお会いできる日が来ることを心より願っております。
一般社団法人日本地域福祉ファンドレイジングネットワークCOMMNET 理事長 久津摩和弘
投稿日 12:20 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,社会福祉関連