2017年08月の投稿

民生委員制度創設100周年記念京都市民生委員・児童委員大会

2017年8月31日、京都市ロームシアターのメインホールにおいて、大会が開催されました。テーマは、「これからの民生委員・児童委員活動に期待されるもの〜民生委員制度のこれまでの歩みを振り返り、これからの展開を考える〜」。表彰式等の公式行事が終わり、私の講演にどれだけの方が残って下さるか、実は心配していましたが、実際に講演を行う時には、たくさんの方々が、熱心に聞いて下さいました。

京都市は、校区の強い地域福祉活動のメッカと言える地域。伝統に裏付けられた地域への愛着と、人々の幸福を願う思いを根底に据えた民生委員児童委員活動が京都市に存在することを実感し、私自身が参加なさった方々に励まされた時でした。

感謝。

宮崎のシーガイヤから見える朝日

シーガイヤのホテルから見る夕日と朝日は特別。以前、宮崎市市長の戸敷さんが砂土原の町長であって時に、講演をお引き受けし、その時は、目の前に迫る真っ赤な夕日を見ました。今回は、反対側の海から見える朝日に、感銘しました。

宮崎は、様々な見所のある県です。

民生委員制度創設100周年記念宮崎県民生委員児童委員大会

宮崎県民生委員2017大会開催要綱

2017年8月24日、シーガイアコンベンションセンター4階サミットホールにおいて、宮崎県民生委員児童委員大会が開催されました。県内2,400人の民生委員児童委員のうち、約2,300人が参加しておられ、会場はいっぱいになっていました。その熱気に、私は、宮崎県民生委員児童委員を象徴する『3つの木<き>』を思い浮かべました。

1.絆(人と人との絆)

2.郷土愛(生活する地域の文化・宗教に対する誇りと愛着)

3.希望(生活の困難を抱え、明日への希望を失う危機に直面している人に寄り添うことによって、希望の光を届ける)

宮崎県から学ぶ機会を頂いたのが、今から20年前でした。県社協と県内の地域福祉の強化のために検討したいとのご依頼がありました。それをお引き受けする決意をした理由は、孤児の父である石井十次が宮崎県高鍋町茶臼原で行った実践を学びたいというものでした。その後、高鍋町を訪問し、高鍋藩第7代藩主秋月種茂(あきずきたねしげ)による試みがあったことを知りました。貧しさ故に行われていた間引きを禁止し、生まれてくる3人目以上の子どもに対し、一日米二合または麦三合のいずれかを支給し、産婆を大阪から呼び、当時多かった出産による死亡を防ごうと努力したのです。その影響を受けたと言われる石井十次は、今の児童福祉の原点を作った人です。

岡山孤児院20周年となる1907(明治40)年、宮崎県の茶臼原に孤児院を移動しました。たとえば、1905年の東北凶作によって生まれた800名の孤児を受け入れる等、地域、家族が壊れ、捨てられる児童を保護する篤志家です。岡山孤児院12則(1902=明治35年)は、家族主義=小舎制をとり全体の統一を破らない限り各小舎の特殊性を尊重、満腹主義=各自に十分食べさせること、宗教主義=形式的な信仰の強制でなく、人生における信仰の必要性を自覚させること、密室主義=個人的な話し合いによる教育、旅行主義=見聞を広めるように努力、米洗主義=米をとぐようにそれぞれの特質を現させる、小学教育=孤児院小学校で行う、托鉢主義=孤児院の維持を零細な寄付金募金によること。委託主義、実行主義、非体罰主義、実業主義を内容としています。

宮崎県の民生委員・児童委員の方々の絆をつくろうとする働きと、石井十次の生き方に、私は、共通点があると考えています。

また、私は、県社協の方々と、いくつもの市町村を訪問しました。宮崎、都城、日南、日向、日之影、西都、えびの、串間、西米良、須木村(現小林)、山田(現都城)、門川、諸塚、等々を訪問し、地域福祉実践を学び、住民の方々と話し合いました。そこで、それぞれの伝統文化を知りました。また高千穂にも行きました。住民の方々は、伝統文化を尊重し、また今まで活動なさってこられた先輩の民生委員児童委員が築かれた助け合いの文化に敬意を表し、郷土への愛、愛着をもっておられることに気づいています。

今、社会は、混迷の中にあります。家族、地域の絆が弱まってきて、孤立、虐待、自殺が増加しています。だからこそ、互いの違いを尊重する社会、相互理解に基づく社会、協力し合って問題を解決していく社会、明日への希望を実現する社会、お互い様の心が根付いた社会という『共助社会』を築くことが必要になっています。それは、日々の希望の光を灯す働きから生まれます。宮崎県民生委員児童委員の方々の日々の実践から、私はそのことを学んでいます。

今回の訪問は、宮崎県の友人に、今までの感謝を述べる意味もありました。そして、講演は、20年近くご指導頂いた民生委員児童委員の方々へのお礼を申し上げる機会と考え、精一杯努力したつもりです。感謝。