わたぼうし素晴らしき出会い「わたぼうし」
社会福祉法人こころの家族の理事長であり、御自身も韓国の孤児の母と言われる田内千鶴子氏の子として、孤児の支援と日本と韓国のソーシャルワーカーの働きの向上に尽くされてきたユンギ先生より講演のご依頼を受け、2023年10月31日から11月2日に韓国を訪問した。私は、この旅を通して、たくさんの出会いをした。そのいくつかを紹介したい。
まず、「わたぼうし」という音楽グループで、夜の交流会で演奏をして下さった。聴いた曲は、『夢』。歌詩は、以下の通りである。
車椅子に座って僕は 僕は考えた
車椅子に座ってデートができるだろうか
この頃 そんな事を考えてしまう
笑われそうな気がするんです
僕だけ 僕だけ他の世界にいる見たい
みんな同じ空の下 生きている生きている
車椅子など僕はいらない 涙の海に捨てて行こう
ふたりでムムム走ろう この長い道を
腕くみながら楽しいおしゃべり
緑の芝生に寝転び ふたりで見つめる 青い空
雲は静かに 流れ流れて
みんな同じ空の下 生きている生きている
目を開けると鏡に映る 車椅子(いす)に座った自分
沈む夕日を追いかけて そんな夢を見た
悲しい時には ともに涙を流し
嬉しい時には 喜びに踊ろう
僕は信じたい 夢の叶う日の来ることを
みんな同じ空の下 生きている生きている
みんな同じ空の下 生きている生きている
みんな同じ空の下 生きている生きている
作詩者: 山本公三氏
私は、わたぼうしが歌う『夢』に綴られた山本さんの思いに共感を覚えた。脳性麻痺により重症心身障がいをもつ山本さんは、16歳の時、足の指に鉛筆を挟み、この詩を書いたそうだ。今から40年前のことであるが、その歌詩にメロディーが付き、今でも歌われている。
さらに、わたぼうし音楽祭は、2023年で48回をとなったことを知った。長く福祉の現場との関わりをもっていた私が、その音楽祭に出会わなかったとは、自分の怠慢に今更ながらながら気づくことになった。ちなみに、ホームページには、「障害のある人たちがつづる「詩」は、生きることの喜びや哀しみ、いのちの尊さ、人間の素晴らしさを歌っています。そこには、人間として大切なものを忘れがちな、今の社会へのメッセージがあふれています。 こうした想いをメロディーにのせて、みんなで歌う「わたぼうし音楽祭」は、1976年に日本のふるさと・奈良で誕生しました。世界でも類いのないこの音楽祭は、今ではアジア・太平洋地域へと広がり、「わたぼうしスピリッツ」は世界の合い言葉となりつつあります。」と書かれている。
私が何でこの詩に引き込まれたのか。私は常日頃から、専門職であるソーシャルワーカーに対して、「悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者とともに、専門職は歩いてきたのだろうか。専門職は、そのことをたえず検証していくことが必要である。人間理解の問題でもある」と言い続けてきた。そして、自分自身も同様に、自分らしく生きていきたいと問い続けている。この詩に書かれているように、自分らしく生きようとしている姿、困難を受け止め、「おめでとう」と与えられた生命への畏敬、込められた生きていく希望に、自分の人生の目標を重ね合わせて、共感したのである。
また、わたぼうしが歌う「夢」は、私の心の中に広がっていく。これが歌の力かもしれない。そして一言一言を大切に歌っている姿は、会場にいた参加者の気持ちを一つにした。
翌日の朝、ソウルから木浦にある共生園に向かう特急で、わたぼうしのメンバーとお話をすることができた。わたぼうしの由来をお聞きした。青春時代に出会った「みんなが同じ生を受け、みんなに違う生き方がある。障害のある人たちの生きる場づくりから、個を支えあう新しいコミュニティづくりへ」を目標にした(母体であるたんぽぽの家の標語)活動を続けられているとのこと。中川一夫さん、酒井靖さん、関口美千代さん、田中恵子さんというメンバーの歩みは、私の社会福祉の出会いとそれ以降の生き方に重なっていると勝手に思い、その分、親近感がわき、韓国料理を食べる場に参加させて頂いた。とてもおいしい食事の時であった。