2021年05月の投稿

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる

コロナ過の中、心乱れる日が続いていますね。偶然ですが市川先生の研究室の企画を知り投稿させていただきます。私の2回目の大学生活の様子をお話しすることで、改めてルーテル学院大学の素晴らしさを知っていただこうと思います。

子育てというものはクリエイテブだと確信していますが、知的&身体の障害を持つ長女を育てているうちに息苦しさを感じていました。明日も今日の繰り返し?とです。そんな時目に留まったのがルーテル学院大学の公開講座の案内でした。思わず飛びついて週に1~2回ささやかな私だけの時間を持ち始めました。

平均年齢の半分を過ぎ、ふと、立ち止まった時、今までの繰り返しで自分の一生が終わるのかと、今までの繰り返しなら、もう体験したことだから、難なくこなしていけるだろうけれど、私の一生はこれだけでしかないのかとも思いました。

何かするなら今かなぁ?あの子のせいで、これが出来なかった、あれをしたかったのにできなかったというのは言い訳で、長女に対して失礼だと思いました。私にとっても、たった一度の人生です。あの子のせいでといういい訳はしたくないと思いました。色々試みて、結果として今と同じなら、それはそれでいいだろうと。

一方、障害児の母は元気はつらつとしていて、PTAも地域の活動も一所懸命やらねばならないと確信していた私は、20年以上にも及ぶそんな頑張りに疲れていました。強い意志と、丈夫な体を持ち、誰からも後ろ指指されないようにと誓い、決して生活に疲れた顔はしたくないと頑張りましたが、疲れたのです。でも、それは口が裂けても言うまいと、心にしまっていました。

主人の転勤先の神戸で結婚生活が始まりましたが、長女が三歳半で次女が産まれ転勤で東京に戻りました。そして運命とも言える出会いがありました。障害児はどこも断られ途方にくれていたとき、保健婦さんが「保健所の隣に教会幼稚園あるわよ!」下心ミエミエ、キリスト教系なら心優しき人に違いないと、門を叩いたのです!

牧師先生は長女を年少クラスに預かって下さり、私の話をじっと聞かれて「明日またきてください。」あくる日、藁をもすがる思いで出かけると「昨日職員といろいろ相談しました。本当に私どもでお役に立つなら。」といわれ、夏の暑い日でしたが流れる汗が引くくらい感激し、牧師先生に後光がさしたように見えました。キリスト教では後光は射さないのですよね。

こうしてキリスト教と向き合うきっかけが生まれましたが、振り返ってみれば実に多くのキリスト者に助けられていた事を後で知ったのです。

長女はお世話になった教会の幼稚園を卒園後も日曜礼拝に出席していたのですが、20歳になった時洗礼を勧められたのです。送迎だけをしていた私は知的障害の彼女がどのようにキリスト教を受け止めているのか興味が湧きました。

公開講座は通い続けていましたので、だんだん受講したい教科がなくなってきました。気分転換の公開講座通いでしたが、キリスト教学科以外の授業には目が向きません。文化とキリスト教入門の授業のあと、U先生に来年はどんな楽しい講座が開設されるのかとお訪ねしたら「学生になるのは如何ですか?」という答え。願書締め切りまで一週間もなく大慌てでしたが、学力より意欲で3年に編入させていただきました。興味津々のキリスト教を頭の中が嵐のようになりながらも必死で理解に努めました。

学芸員も目指していたので、お隣の中近東文化センターで行われる授業は気分が全く変わり、資格取得への意欲が湧きました。学芸員実習では、貴重な所蔵品に触れる機会が持て緊張もしましたが感激しました。大学の授業は殆ど10人以下のクラスで、先生がたも学生の顔を見ただけで名前がお解かりの和やかできめ細かい内容で本当に贅沢な授業だと思いました。

長い間その周りを廻っていたキリスト教について、自分なりの整理をしたいので次から次へと興味が湧きますし留まるところをしりませんでした。納得行くまで質問をし、疑問を解決していきました。私は履修していた全ての授業で質問し、疑問をぶつけていましたがキリスト教学科の先生は一つ一つ丁寧に、対応してくださりました。

思う存分自分の時間を使いたいという欲求は益々高まりました。2年間の大学生生活は本当に楽しく充実していて日々感謝でした。そして、一番感じたことはこのキャンパスに集う人たちの、優しさです。人それぞれでは有りますが、多分それはキリスト教というアイデンティティがあるからです。キャンパスで見かける先生がたの姿が、お人柄がほっとする物を感じさせ、あこがれを持たせてくれるのだと思います。疲れ果てていた私には、先生方や友人たちの優しさは救いでした。ああ、ここはのんびりできる、こんな素敵な場所があったんだと。まさに、オアシスでした。そして、初めて口に出す事ができました。「私は疲れた」と。

毎日聖書を開かない日はないという学生生活が終わった後、暫くはボーっとしていましたが、もう周りを廻るのは止めようと思いました。今までの自分を振り返り、全て神の摂理の中で動かされていたのだと納得したからです。

将来に悩みがないといえばウソになりますが2度目の大学生生活が送れるなんて予想だにできなかったことが実現しました。願って行動すれば門は開かれるようです。

次の聖句は私の入学式の翌日、鈴木学科長のチャペルメッセージで読まれました。まるで私のこと見たいと、妙に納得した言葉です。「そこで、わたしはいっておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

ルーテル学院大学で2年間の学生生活で私が得たものはとても素晴らしい物だったのです。後援会の皆さまのルーテル学院大学・神学校に寄せる熱き思いが私に伝わったことをご報告させていただき、話を終わります。

                      2021年5月20日  IKE (現在、後援会推進委員)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

①近況:健康第一、アンチエイジングを思い立ち、3年くらいサボっていた宅トレを再開しました。筋肉痛が翌日ではなく翌々日にやってくるくらいダメな筋肉でした。まずは3ヶ月続けようと思います。

②コロナ禍における今の思い:東京の緊急事態宣言を受け、大学の授業がズームに切り替わりました。せっかく対面で授業ができる喜びをかみめていたのに残念です。インドの惨状のニュースに接し、昨年度より感染拡大を懸念しています。学生の実習にも影響するので重く受け止めざるを得ない昨今です。

③ルーテル学院への思い等:今年度就任した同僚が心理の修士課程をルーテルで学んだ方で、思い出話で盛り上がりました。学科は別でも、アットホームな大学だから卒業生が共有できることが多いと感じています。また、最近、実習指導や実践現場における連携場面で、ソーシャルワーク実践は価値や倫理が重要だと考えることがありました。思い返すと、多くの専門職が「ああ、あの家族は共依存だから」「ああ、あのお母さんはちょっと認知が入っているから」など、見方によってはスティグマの要素が強い言葉で安易にアセスメントしてしているのが気になっていました。SWは利用者がそれぞれ生きている生活の文脈をどう読み解くか、もっともっと豊かな言葉で表現する必要があるのではないかと思うのです。

 ルーテル学院大学の先生方は、ソーシャルワークの価値や倫理についてブレることなく教えてくだいました。制度や政策がいかに変遷しようとも、教えてくださったことは、変わりなく、私のソーシャルワーク実践の礎になっています。    西田ちゆき

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 ルーテルを卒業し、25年以上になります。児童養護施設に勤務し、現在は自立援助ホームでの働きを許され、神さまの御心にかなう実践をと、祈りと感謝をもって、用いられているところです。間違い、見失い、迷うことの多い日々でありますが、そんな時よく、ルーテルで教えていただいた先生方の、お言葉が頭に浮かびます。(と言うと、さぞ真面目で優秀な学生だったかのようですが・・・笑 実際はそれには程遠く、市川先生の老人福祉論では試験の日に朝まで勉強していて寝過ごした私に、先生が代わりにレポート提出という救いの手を差し伸べて下さいました。大変不真面目な学生でしたが、ルーテルでの4年間は、友人や教職員の皆さまのおかげで大変濃密で実り多い4年間であったと自負しております。)

 わたくしの入学式で学長が「一人ひとりと向き合うルーテルでの教育を受ける学生は、福祉の現場で、また社会に出た際に、一人ひとりを大切に寄り添う働き人になれる」と話された記憶があります。

このたび、市川先生にお声をかけていただき、初めてこの「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」を拝見させていただきました。先輩方や同級生など、ルーテルの卒業生がそれぞれの場所で、日々奮闘されている様子を知り、とても感動いたしました。そして入学式で学長が言われたことは本当だったと強く感じました。と同時に、「私はそうなれているのか?」と日頃の実践を振り返させられ、原点に還る思いがいたしました。自立援助ホームで出会う15歳から20歳までの子どもたち一人ひとりの生きにくさや、つまずきに寄り添えているだろうか?「早く」「上手に」「多く」「効率的に」「正しく」ということばかりに重きを置き自立することを強いらせてはいないだろうか。私がルーテルでしていただいたように、「その人らしく」「その人のペースで」「ゆっくり」「下手でも丁寧に」「間違ってもやり直せばいい」という姿勢で寄り添いたい、ルーテルで教わった目に見えないその人が持つ力を信じるということを改めて思わされました。

 これまで世界中でどれほど、この感染症が一日でも早く過ぎ去っていくようにと、篤い祈りが捧げられてきたかわかりません。私たち自身の不安を取り除くためだけではなく、病に罹った方々の苦しみ、医療現場で戦っておられる方々の労苦、親しい方の命を失った方々の悲しみに思いをはせ、祈ってきました。しかし、この感染症が過ぎ去る日はまだ訪れず、現在日本では感染力の高い変異株のために、新型コロナ「第4波」が今までの波をはるかに上回るスピードで急拡大しています。ある日一人の子どもがこの状況を「あまりにも人間が勝手なことばかりするから、神さまが怒って人間に罰を与えているんだ」と言いました。そう感じるその気持ちを受け止めつつも、私はこう答えました。「神さまは罰をお与えになる方ではなく、私たち人間を深く愛していて下さり、その愛は私たちには計り知ることはできないのだ」と。社会で良しとされている「効率優先主義」でなく、目には見えない力を信じることを知っている私たちルーテル生は、肉に頼ることに制約があるこの状況下で、神さまの霊の力、(目には見えないが確かにあるもの)が現れるということを信じ、明るい未来に希望を持ち、歩んでいきたいと思いました。皆さまそれぞれの上に、神様のお守りと祝福が豊かにありますように。97年卒 MK