2004年08月の投稿

長野市福祉推進委員研修会

 日本海を通る台風の影響で、東京は夜から非常に強い風と雨が自宅の窓を打ちつけた。ここ10年、東京で、自然のこれほどの驚異を思い知らされたことがあっただろうか。私は、ほとんど寝むれなかった。私が眠れないのだから、相当の荒れ方である。しかし、長野までの道のりは、私に適度な眠りと休息の時間を与えてくれた。そして、会場の700名を超える参加者の熱意にふれ、私の早朝の疲れは、充実感へと変わった。長野は、私にお励ましを与えてくれるところである。

長野市は、市町村が合併して大きくなり、今や人口30万人を超える中核都市である。市の面積は広く、地域の特性が多様であるところに特徴がある。現在26地区に地区社協が設置され、その約90%に1,500人近くの福祉推進員が配置されている。小地域の活動が盛んな地区社協が多く、相談・見守りなどの活動、情報伝達活動、ボランティアの仲間づくり活動、配食サービス等を行う。

講演は、「住民参加による小地域活動」。各地の事例を紹介しながら、各地域にあった小地域活動に取り組みことの大切さをお伝えした。その後は、福祉推進員研修会活動事例報告が行われた。

事例報告のねらい

地域にはこんな課題があり、こんな取り組みが行われている。でも、それは個人の気づきやちょっとしたきっかけから始めたことだ。福祉推進員も何をしたらいいかわからないと悩んでいないで、気づいたことで、自分でできそうなことからはじめてみようと思ってもらうように具体的な事例を報告する。

その事例がどんな意味を持つのか、個人から始まる地域活動、個人の思いついた活動から始まる地域活動がたくさんあることに気づいてもらうために、事例をつなぐためのコーディネーターをおく。

●活動事例報告コーディネーターは  香山篤美さん
夢空間松代のまちと心を育てる会事務局長
長野市ボランティアセンター運営委員

● 活動事例報告者

*障害者の自立と地域で暮らすことについて考えてもらう
「自分たちのことを知ってもらうために<地域にとけこみ隊>を企画した」 中條幸恵さん
中條さんは、重度の障害者で身障住宅にひとり暮らしをしている人です。仲間と地域の人に自分たちのことを知ってもらおうと、子どもたち向けにビデオ上映会を開き、交流活動を進め、障害者が地域で暮らすことを追い求めている。現在、長野市地域福祉計画策定市民作業部会で活躍中
*外国籍の人も地域で暮らしていることに気づいてもらう
「外国籍の人のお産に立ち会ったことから始まった地域助け合い」 青木とし江さん
解散した婦人会の会員をベースにかぜっこの会で活躍中。たまたま新聞の記事で目にした、同じ地区に住む外国籍の女性のお産の手助けに協力したのがきっかけで、長野を離れた女性親子と今でも文通が続いている。現在、児童センターなどで絵本の読み聞かせやおやつ作りなどの活動に取り組んでいる。
*子どもたちにも地域福祉活動はできる、活動を受け入れる側の姿勢も考えてもらう
「地域の子どもと施設がドッキングしてピカピカ雪かき隊が生まれたやすらぎの園」 中島謙二さん
地域のボランティアや子どもたち(篠ノ井東小学校)を積極的に受け入れているやすらぎの園に、ちびっ子雪かき隊が誕生した。生徒会長に立候補するときの公約にこの奉仕活動を掲げて当選したという。ホームページにも掲載したり子供向けの受け入れを企画するなど受け入れ側の施設の対応が大切という。
■いずれの事例も、組織的に動き始めたものではなく、気づき活動していくうちに組織化されたり広がりがもてるようになってきたものだ。

●コメンテーターは 市川一宏さん ルーテル学院大学学長
感想:中條は、自宅で両親と暮らしていたが、外の出て多くの人と出会いたい、生活を楽しみたいという当たり前の気持ちを抱いて、市内にある身障住宅でひとり暮らしを始めた。地域にとけ込みたいということで、「地域にとけ込み隊」を組織した。きっかけは、団地の当番からはずれていたことに気がついたこと。子育て中の母親を対象に団地の集会室で映画会を行う、またサマーチャレンジボランティアを通して中高生との関わりが増えた。心の垣根(意識)は出会いによって変わる。出会いは、違いを認め合いながら、理解しあう機会である。青少年自身も、出会いによって、生きていくことを学び、成長していく。それを地域も担うのであって、人と人とをつなぐ役割を社協は果たしていた。

青木さんは、若い子育て世帯が多い地区で、「地域の子どもは地域で育てよう」という意図を持って、風っ子の会を立ち上げた。短期の仕事のために、はじめて長野市の移ってきた夫婦。出産間近の中国出身の日本語を十分話せない妻と山形出身の夫。お産の不安と孤独感が夫婦を襲う。その危機を、大変さを理解した人々がいて、言葉のハンディを表情やアクションで補い、夫婦のお産後に寄りそった。私は、大変さを共感する感性と、見過ごせない思いやり、そして気負わない普段着の活動に感動を覚えた。

中島さんは、やすらぎの園(特別養護老人ホーム)の施設長。閉じこもりがちな子どもが、サマーチャレンジのボランティアを通して徐々に育っていく姿を見つめ続ける。地域との交流を大切にする。施設は、地域福祉を進める主体であり、住民は、施設を育てる主体である。私がよく使う言葉が、「老いをともに生きる」。その意味は、高齢者から学びながら生きることであり、また自分自身も、一歩一歩、老いの山に向かって登っていくことを言う。今、「ありがとう」という感動する気持ちを子どもの心にともそうとする中島さんや職員がここにおられる。ホームページも若者の視点を入れており、なかなかのもの。

このような活動の広がりは、どのように生まれるのだろうか。私はこう思う。

  1. 広がりは、気づきを大切にすることによって生まれる
  2. 広がりは、はじめの一歩を踏み出すことによって進む
  3. 広がりは、出会いを大切にし、違いを理解することによって強められる
  4. 広がりは、普段着の働きによって継続する
  5. 広がりは、各地区にある思い、つながり、仲間づくりを掘り起こし、活かすことによって大きく伸びる。
  6. 広がりは、良いことを良いことと認め、誇りを持って発信し続け、出会いを繰り返していくことによって、新たな段階に達する< li>広がりは、感動の心を互いに大切にしあうことによって、勇気を生み出す

人工の光がなくとも、夜空は明るい

ルーテル学院大学の卒業生の家に泊めてもらった。長野県下伊那郡豊丘村の民家を借り、宿泊場所を提供し、また自分でも農作業をしている。西多摩にある児童養護施設の職員を6年間勤め、自分らしい生活をめざして、今の家に移り住んだ。10分程度下ると、きれいな川にたどり着く。風呂はタイルで囲まれた、私にとって贅沢な五右衛門風呂。料理は薪で創られ、水は横井戸からとられたもので、とてもやわらかい。自分の便も、野菜の肥料として用いられ、循環型生活を満喫できる。さらに看護婦の資格のある奥様の料理は、一切の動物性の材料を使わない、都会では考えられない健康食。しかも、とてもおいしい。

家の周りには、確かに電灯がない。聞こえるのは、川の流れ。虫の鳴き声。そして鳥のさえずりや、風で木々が擦れ合う音。そして雨の日には、雨粒が絶え間なく屋根をうち続ける。

でも、空は夜でも光を与えてくれる。都会の陰からは想像できないほど、空にはあたたかい温もりがあり、そして雲が空をおおっても、雨雲が月をおおっても、いつも雲から光が照らされている。その奥には、地上に生きる私たちを照らす自然の光がある。夜は街灯が道を照らす街で生活しているからこそ、私はそのことを忘れていた。

今、人工の光だけが、経済発達の賜物であり、勝利のシンボルのように思われていないだろうか。1日中陰がない都会だけが、多くの夢を生み出す場なのだろうか。しかし、たくさんの人が心の渇きに苦しみ、それを癒すために街中をさまよう。自然が与える癒しと厳しさに、多くの若者が目を背けているのではないだろうか。でも、その結果が、異常な気温の上昇と「切れる」現象。私の老いた母を含めて、たくさんの高齢者が、その恐ろしさに直面している。たくさんの人が、ストレスの中でうめいている。

私が借りた別宅は、光り輝いている。外に電気がまったくいないから、眼を覆いたくなるようなまぶしい光でなくとも、昆虫の興味の的になる。その友人が、「かやを張ります。そして蚊取り線香を使ってください。そうしたら、ゆっくり休めます。窓を開けると、涼しすぎて風邪を引きますよ」と言った。確かに冷房はまったくいらない。自然の気温に委ねられる。そして、この文章を書いている間中、小さな虫が入り込み、コンピュータに向かっている私の体にぶつかる。何十年ぶりに蚊帳を張った寝床で寝ることなった。よく見ると、コオロギが、布団の「かや」にとまっていた。蚊取り線香から、コオロギを守るために、コオロギを捕まえようとしたが、10数分の格闘がまっていた。外にコオロギを逃がし、またコンピュータにむかうと、目の前に大きなクモが足早に走り去っていく。家でクモを見つけると、夫の威厳を取り戻すために、駆除にかかる。しかし、ここでは、それはあくまで自然のいとなみ。「蚊を捕まえてくれよ」という親しみがあっても、憎しみは全くわかない。なぜなら、ここは、彼らの領域であり、そこに住ませてもらうのが、人間だからだ。

いつからだろう。人間が何もかも支配できるし、できていると思いだしたのは。都会のいたるところで、カラスが増え、ネズミが地下を行きかい、ゴキブリが繁華街を支配する。

なお、翌朝、この家の蚊取り線香には殺虫効果はなく、蚊が来ないようにするものと聞いた。私は、かえってコオロギに迷惑をかけてしまったかもしれない。

自然の営みの中から、自分を取り戻す時が、今。井上時満君が提供する生活を味わいたいのなら、0265-35-6973に電話をなさると良い。飯田線の市田から10分程度の谷間にある。

すぐ下の川

ふたばの畑

蚊帳の中のこうろぎ

雨の中の井上家

「駒ヶ根」との3度の出会い

30数年前に、駒ヶ根に来たことがある。桐ヶ丘療護園の子どもの卒業旅行に伊豆まで数日同行し、東京に帰った夜、夜行で信州に行くことにしていた。しかしあいにく、松本行きの最終電車に乗り遅れ、新宿の映画館で夜を過ごすことにし、朝、始発で松本に向かう。

列車に揺られ、うとうとしているが、なかなか松本に着かない。聞こえてくるのは、聞き慣れない駅名だけ。心配になって乗務員の聞くと、辰野で後ろ三両は切り離され、飯田線を走っているとのこと。私は、すぐに列車を降りたが、その駅が駒ヶ根。

初雪が舞い、寒さでかじかむ手をさすりながら、町の人に教えてもらった寺を訪ねる。木々は、年輪を重ね、地上から空へまっすぐ、しかも太くのぼる。苔が木の皮をおおい、さらに雪がそれを包む。さらに、寺の奥には、三〇余体の地蔵尊をまつる「賽の河原」があり、「幼な子を亡くした親たちが、その追善供養に」と石が幾重にも積まれていた。そして本坊から見る庭園の美しさに、思わず寒さを忘れて見入っていたことを思いだす。

駒ヶ根との2度目の出会いは、山口で行われた全国社会福祉協議会活動者会議でのこと。長野県は、大規模コロニーを地域小規模施設へと転換することとしたが、いくつもの反対運動に直面した。反対運動は、施設の存在が住民の生活圏域と重なり合う時に起こると言われている。しかし、駒ヶ根には、複数の施設が建てられた。その背景には、住民が日頃の活動を通してつちった、利用者と社会福祉への理解の深さがあったと聞く。

そして2004年8月の出会い。飯田線の市田に向かう途中、時間があったので、時刻表を開き、駒ヶ根で降りることを決めた。探索の選択肢はいくつかあったが、休日であったため、千畳敷で有名な駒ヶ岳への登りのロープウェーは90分待ち、下りは60分待ちだった。私は、かつて訪れた寺の名前を思い出せなかったが、観光案内の人が勧める寺に行くことにした。菅の台バスセンターでおり、駒ヶ池、大沼湖畔を通り、別荘地をぬけて、奥から寺に向かう。途中、苔が両側に生えた道をぬけ、林道を下った。

長野県・県宝の三重の塔、本堂のすばらしさに驚きながら、以前に来た寺かどうか、記憶と重ならず、わからないまま「賽の河原」を訪れ、また本坊から庭を見た時に、確信した。かって来た寺は、光前寺だったと。あの時は、石垣の石の間に生え、「光線に反射して美しく神秘的な光を放つ<光ごけ>」のことも知らずに、木々に囲まれた一直線の参道を歩いていた。

時期は違うが、光前寺は、私の期待に背くことなく、すばらしい寺。三十年前の思い出が一気によみがえり、また新たな出会いが生まれた。

本堂に続く道

庭園

駒ヶ根美術館

ひかり苔

日本福音ルーテル飯田教会

 土曜日から、卒業生の家に宿泊していた。前日の夜から日曜日の朝にかけて、断続的に降り続いていた雨はほぼやんでいたが、気温は私にとって肌寒く、長袖に着替えた。朝食をいただき、教会手帳を開け、大宮牧師の飯田教会の住所を確かめて、卒業生に

頼んで市田駅まで送ってもらうことになった。

飯田駅から急いで歩いて約10数分。駅の正面から伸びる道をしばらく歩き、映画館を過ぎて左折し、めがね橋をわたって2つ目を右折すると、飯田教会がある。90年を超える歴史をもち、大宮牧師夫人がしっかりと付属幼稚園の経営を担う教会である。起源がフィンランドのルーテル教会であるからか、清楚なたたずまいであり、しかも草木が囲む招きの門が正面から見られる。

きれいに整えられた幼稚園の庭では、信徒の方の子どもが走り、また切り絵が飾られた聖堂の正面の十字架は、実に趣が深い。十字架の両側の照明に映し出された十字架の陰は、「H」。大宮牧師の人柄がにじみ出された説教のバックグラウンドは、「H」。その意味を、私は、平和の「H」、平安の「H」、そして英語で癒しを意味するヒーリングの「H」ととらえた。そこには、明らかに、3つのメッセージが十字架から放たれている。

はじめて、かつ突然訪問した教会の、牧師夫妻、教会員の方々の温かいおもてなしに励まされ、帰途についた。感謝である。

第2回るうてる法人会合同研修会 ~ミッションは高く、実践は地に根付いて

今、日本では、多くの人々が彷徨い、孤立、虐待、自殺等の深刻な問題が顕在化し、既存のサービスだけではまったく決め手を欠く状態。そもそも崩壊してきている家族やコミュニティが、問題を生み出す土壌となっています。

今、まさにルーテル関係施設・機関が、設立当初のミッションを互いに確認し合い、一人ひとりの、自分らしく生きていきたいという思い、明日への希望、心安まる安定した生活への願いを実際に支えていくための働きをさらに強化していくことができればと考えております。そのために、今回の研修では、以下の目標を達成できたらと願っています。

1.互いの連携を通した取り組みを実現すること

各施設・機関は、今日にいたるまで、「地の塩 世の光」としての大きな働きをしてきました。それは主に導かれて歩んできた歴史でもあり、誇るべき証であったと考えています。この暗闇の時代にあって、私は、今一度、ミッションを確認し、そしてそれぞれの働きをつなぎあわせ、ルーテル関係者だからできる、社会から求められている取り組みを考えていきたいと思っております。

2.社会福祉の動向を見据えた新たな組織を作ること

一般的に組織の寿命は、せいぜい30年と言われる。ミッションが定款にとどめられ、広く社会福祉関係・幼保関係の施設・機関の実際の現場に活かされていない現状が、散見されます。これはキリスト教主義施設に共通する課題でもあります。また、組織運営の透明性、経営戦略の明確化は、今日、施設・機関に求められていることです。各責任者は、利用者、住民を中心とする時代の要請にあわせて、活動や事業を適応させるための改革を進めていくことが求められています。

キリスト教に則った経営とは、まさにミッション、使命を明確にし、その実現をめざして、人材、知識、情熱、サービスや事業、場所、ネットワーク、危機と改革のチャンス、財源、情報等の資源を活用して、「地の塩 世の光」としての役割を遂行していくだと思います。このことに関する共通理解が深まることを願っております。

3.実践を検証し、より良き実践を生み出すこと

私は、今日の社会福祉改革、幼保制度改革の意味は認めつつも、各サービス水準の格差は広がっているのではないかと危惧しております。また解決困難な事例に日夜対応している職員の心身における疲労は、とても大きいと思っています。どのような援助や実践が必要か、科学的に根拠に基づく学習が大切であるとともに、職員の心に対応するケアを忘れてはならないと思います。

4.社会の時代的要請に果敢に応えること

現在、地域のつながりを重視した施設・機関のあり方が模索され、さらにその人らしさ、生き方、個性、住みやすさ、地域生活を重視したグループホーム等の小規模多機能施設が全国で建てられてきております。さらに身近な地域において、住民主体のたくさんの活動が生まれ、出会う場づくり、バリアフリーのまちづくりが進められてきています。まさに社会福祉実践の性格は、最後の安全網として、人間の存在を支えることであり、かつ共生型社会づくり、参加型社会づくりとの関わりを強めていると言えましょう。

一歩、一歩、祈りと歩みを合わせる機会を積み重ねていければと、心より望んでいます。

日:8月10日(火)・11日(水)
対象:社会福祉法人・幼歩連合中堅・指導的職員・管理職研修
会場:ルーテル学院
テーマ『キリスト教主義施設におけるマネジメント』
プログラム 
 <第1日>
 12:00~受付開始
 1:00~1:25 開会礼拝 山之内日本福音ルーテル教会総会議長
 1:30~2:50 講義『キリスト教人間理解』
           神奈川県立保健福祉大学学長 阿部志郎先生
 2:50~3:00 休憩
 3:00~4:20 講義『これからの社会福祉と幼稚園・保育所』
           全国社会福祉協議会事務局長 和田敏明先生
 4:30~6:45 ワークショップ   
  『チームワークとスーパービジョン』中堅・指導対象
    児童部会(福山和女教授)・高齢者部会(石川久展教授)
    障害部会(西原雄次郎教授)
  『人材養成』対象管理職 (市川一宏教授)
 7:00~8:30 交流会
   司会:柏尾誠之慈愛園理事長
      幼保連合代表 沼崎勇牧師
      金子和夫教授
 <第2日>
 9:00~10:20 講義 マネジメント(人材養成を軸に)
 10:30~12:30 ワークショップ 朝川哲一先生
 1:00~3:00 シンポジウム
    テーマ『キリスト教主義施設におけるマネジメント』
    シンポジスト:坪山孝氏(るうてるホーム総合施設長)
           於保郁子氏(めぐみ幼稚園園長)
           松岡俊一郎牧師(日本福音ルーテル教会事務局長)
    司会:市川一宏
 3:00~3:20
    閉会礼拝 鈴木浩神学科長

第21回ルーテル諸学校教職員研修会

2004年8月18日、神戸ルーテル神学校において、第21回ルーテル諸学校教師研修会が開催された。参加校は、浦和ルーテル学院小学・中学・高等学校、九州学院中学・高等学校、九州ルーテル学院大学、ルーテル学院中学・高等学校、神戸ルーテル神学校、聖望学園中学・高等学校、ルーテル学院大学である。

本年は、『ミッションスクールで働く誇りと感謝と喜び』であり、講師には、前田ケイルーテル学院大学教授、谷口恭教元九州学院英語教諭、横山修ルーテル学院中学・高等学校理科教諭という、たえず生徒へ愛情を注ぎ、教育への情熱をたえず燃やし続けてこられた先生方をお迎えした。

 ふりかえって、聖望学園理事長の神田秀夫先生、浦和ルーテル学院理事長の東海林敏雄先生、九州ルーテル学院院長の清重尚弘先生がご尽力をなさり、ここまで築かれてきた協力関係。そして、それぞれの学校で進められている「人を育てる」歩み。本年は、経験豊かな先生方の御講義で、「人を育てる」ことは、「自分が育つ」ことであるという原点に立ちかえることができた。ほんとうに感謝である。

長野県上田市近郊と福島県会津若松市の屋根

7月中旬は鹿教湯に、7月末は裏磐梯高原に行く機会があった。上田駅から鹿教湯温泉へ行くバス中から、ふと外を見ていると、屋根の上に屋根がある。確かに一部地区にはその家が多い。蚕を養っていたためか、もしくはいろりの煙を逃すためか、またはおしゃれか分からないが、とても気になっていた。帰りのバスの中から必死で撮ったのが、以下の写真。今は使っているか分からないが、とても気に入った。換気にはもってこいなのかもしれない。また裏磐梯高原から猪苗代駅に向かうバスで、運転手の方が教えてくれた。茅葺き屋根を維持することがむずかしく、それを囲うために新たに屋根をつくっていると。確かに会津若松市には、いたるところでそのような屋根に出会った。確かに茅葺き屋根の面影を残し、過去と現在の折衷点のような屋根。そこに趣が現れている。

歴史を大切にすることは良いこと。そして、日常生活に大切にしてきた伝統の面影を残すことを、生活への愛着と言うのかもしれない。