ルーテル学院大学の卒業生の家に泊めてもらった。長野県下伊那郡豊丘村の民家を借り、宿泊場所を提供し、また自分でも農作業をしている。西多摩にある児童養護施設の職員を6年間勤め、自分らしい生活をめざして、今の家に移り住んだ。10分程度下ると、きれいな川にたどり着く。風呂はタイルで囲まれた、私にとって贅沢な五右衛門風呂。料理は薪で創られ、水は横井戸からとられたもので、とてもやわらかい。自分の便も、野菜の肥料として用いられ、循環型生活を満喫できる。さらに看護婦の資格のある奥様の料理は、一切の動物性の材料を使わない、都会では考えられない健康食。しかも、とてもおいしい。
家の周りには、確かに電灯がない。聞こえるのは、川の流れ。虫の鳴き声。そして鳥のさえずりや、風で木々が擦れ合う音。そして雨の日には、雨粒が絶え間なく屋根をうち続ける。
でも、空は夜でも光を与えてくれる。都会の陰からは想像できないほど、空にはあたたかい温もりがあり、そして雲が空をおおっても、雨雲が月をおおっても、いつも雲から光が照らされている。その奥には、地上に生きる私たちを照らす自然の光がある。夜は街灯が道を照らす街で生活しているからこそ、私はそのことを忘れていた。
今、人工の光だけが、経済発達の賜物であり、勝利のシンボルのように思われていないだろうか。1日中陰がない都会だけが、多くの夢を生み出す場なのだろうか。しかし、たくさんの人が心の渇きに苦しみ、それを癒すために街中をさまよう。自然が与える癒しと厳しさに、多くの若者が目を背けているのではないだろうか。でも、その結果が、異常な気温の上昇と「切れる」現象。私の老いた母を含めて、たくさんの高齢者が、その恐ろしさに直面している。たくさんの人が、ストレスの中でうめいている。
私が借りた別宅は、光り輝いている。外に電気がまったくいないから、眼を覆いたくなるようなまぶしい光でなくとも、昆虫の興味の的になる。その友人が、「かやを張ります。そして蚊取り線香を使ってください。そうしたら、ゆっくり休めます。窓を開けると、涼しすぎて風邪を引きますよ」と言った。確かに冷房はまったくいらない。自然の気温に委ねられる。そして、この文章を書いている間中、小さな虫が入り込み、コンピュータに向かっている私の体にぶつかる。何十年ぶりに蚊帳を張った寝床で寝ることなった。よく見ると、コオロギが、布団の「かや」にとまっていた。蚊取り線香から、コオロギを守るために、コオロギを捕まえようとしたが、10数分の格闘がまっていた。外にコオロギを逃がし、またコンピュータにむかうと、目の前に大きなクモが足早に走り去っていく。家でクモを見つけると、夫の威厳を取り戻すために、駆除にかかる。しかし、ここでは、それはあくまで自然のいとなみ。「蚊を捕まえてくれよ」という親しみがあっても、憎しみは全くわかない。なぜなら、ここは、彼らの領域であり、そこに住ませてもらうのが、人間だからだ。
いつからだろう。人間が何もかも支配できるし、できていると思いだしたのは。都会のいたるところで、カラスが増え、ネズミが地下を行きかい、ゴキブリが繁華街を支配する。
なお、翌朝、この家の蚊取り線香には殺虫効果はなく、蚊が来ないようにするものと聞いた。私は、かえってコオロギに迷惑をかけてしまったかもしれない。
自然の営みの中から、自分を取り戻す時が、今。井上時満君が提供する生活を味わいたいのなら、0265-35-6973に電話をなさると良い。飯田線の市田から10分程度の谷間にある。
雨の中の井上家
投稿日 04年08月25日[水] 6:20 PM | カテゴリー: 思い出記
30数年前に、駒ヶ根に来たことがある。桐ヶ丘療護園の子どもの卒業旅行に伊豆まで数日同行し、東京に帰った夜、夜行で信州に行くことにしていた。しかしあいにく、松本行きの最終電車に乗り遅れ、新宿の映画館で夜を過ごすことにし、朝、始発で松本に向かう。
列車に揺られ、うとうとしているが、なかなか松本に着かない。聞こえてくるのは、聞き慣れない駅名だけ。心配になって乗務員の聞くと、辰野で後ろ三両は切り離され、飯田線を走っているとのこと。私は、すぐに列車を降りたが、その駅が駒ヶ根。
初雪が舞い、寒さでかじかむ手をさすりながら、町の人に教えてもらった寺を訪ねる。木々は、年輪を重ね、地上から空へまっすぐ、しかも太くのぼる。苔が木の皮をおおい、さらに雪がそれを包む。さらに、寺の奥には、三〇余体の地蔵尊をまつる「賽の河原」があり、「幼な子を亡くした親たちが、その追善供養に」と石が幾重にも積まれていた。そして本坊から見る庭園の美しさに、思わず寒さを忘れて見入っていたことを思いだす。
駒ヶ根との2度目の出会いは、山口で行われた全国社会福祉協議会活動者会議でのこと。長野県は、大規模コロニーを地域小規模施設へと転換することとしたが、いくつもの反対運動に直面した。反対運動は、施設の存在が住民の生活圏域と重なり合う時に起こると言われている。しかし、駒ヶ根には、複数の施設が建てられた。その背景には、住民が日頃の活動を通してつちった、利用者と社会福祉への理解の深さがあったと聞く。
そして2004年8月の出会い。飯田線の市田に向かう途中、時間があったので、時刻表を開き、駒ヶ根で降りることを決めた。探索の選択肢はいくつかあったが、休日であったため、千畳敷で有名な駒ヶ岳への登りのロープウェーは90分待ち、下りは60分待ちだった。私は、かつて訪れた寺の名前を思い出せなかったが、観光案内の人が勧める寺に行くことにした。菅の台バスセンターでおり、駒ヶ池、大沼湖畔を通り、別荘地をぬけて、奥から寺に向かう。途中、苔が両側に生えた道をぬけ、林道を下った。
長野県・県宝の三重の塔、本堂のすばらしさに驚きながら、以前に来た寺かどうか、記憶と重ならず、わからないまま「賽の河原」を訪れ、また本坊から庭を見た時に、確信した。かって来た寺は、光前寺だったと。あの時は、石垣の石の間に生え、「光線に反射して美しく神秘的な光を放つ<光ごけ>」のことも知らずに、木々に囲まれた一直線の参道を歩いていた。
時期は違うが、光前寺は、私の期待に背くことなく、すばらしい寺。三十年前の思い出が一気によみがえり、また新たな出会いが生まれた。
駒ヶ根美術館
ひかり苔
投稿日 4:13 PM | カテゴリー: 思い出記
土曜日から、卒業生の家に宿泊していた。前日の夜から日曜日の朝にかけて、断続的に降り続いていた雨はほぼやんでいたが、気温は私にとって肌寒く、長袖に着替えた。朝食をいただき、教会手帳を開け、大宮牧師の飯田教会の住所を確かめて、卒業生に
頼んで市田駅まで送ってもらうことになった。
飯田駅から急いで歩いて約10数分。駅の正面から伸びる道をしばらく歩き、映画館を過ぎて左折し、めがね橋をわたって2つ目を右折すると、飯田教会がある。90年を超える歴史をもち、大宮牧師夫人がしっかりと付属幼稚園の経営を担う教会である。起源がフィンランドのルーテル教会であるからか、清楚なたたずまいであり、しかも草木が囲む招きの門が正面から見られる。
きれいに整えられた幼稚園の庭では、信徒の方の子どもが走り、また切り絵が飾られた聖堂の正面の十字架は、実に趣が深い。十字架の両側の照明に映し出された十字架の陰は、「H」。大宮牧師の人柄がにじみ出された説教のバックグラウンドは、「H」。その意味を、私は、平和の「H」、平安の「H」、そして英語で癒しを意味するヒーリングの「H」ととらえた。そこには、明らかに、3つのメッセージが十字架から放たれている。
はじめて、かつ突然訪問した教会の、牧師夫妻、教会員の方々の温かいおもてなしに励まされ、帰途についた。感謝である。
投稿日 4:13 PM | カテゴリー: 教会関連