2011年10月の投稿

2011年度前期卒業式 未来への聖火リレー

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただの一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。フィリピの信徒への手紙3:12〜14

1.今日の聖書から学ぶこと

今日は、「何とかして捕らえようと努めているのです。キリスト・イエスによって捕らえられているからです」という箇所について考えたいと思います。このパウロの前向きな生き方に、私は圧倒されます。私が20歳の時、洗礼を授けてくださった大村勇牧師は、連続14週の礼拝説教でピリピ書簡講解を行い、自分が喜ばないで、神を語ることはできないと言われ続けました。まさに喜びとは、私の存在の中に神がおられるという確信から喜びが生まれる。存在の根底から湧き出てくる喜びから、歩みが始まると言われます。これが、「何とかして捕らえようと努めているのです。キリスト・イエスによって捕らえられているからです」という聖句の意味です。(『大村勇説教集 輝く明けの明星』日本基督教団阿佐ヶ谷教会1991年3月)先生の礼拝説教の多くは、神の愛を覚え、感謝して、隣人に神の愛を伝えなさい、という招きであったことを思い出します。

また、ルーテル学院大学の名誉教授で、前神学校長の徳善義和先生は、「パウロは絶えず新しく、このキリストにとらえ直されている。このキリストを絶えず新しくとらえ続けている。恵みとして感謝して受け止め続けている。このキリストから、絶えず新しく、新しいいのちをいただいて、日々を生きている。キリストを知り、それゆえに<キリストを得><キリストのうちにいる>今を生きている姿である。」とパウロの姿勢を語っておられます。(「フィリピの信徒への手紙3章3節2—11節」『説教黙想 アレテイア』2011年71号p.13)今をキリストにあって生きるパウロの姿が、手紙全体を通して、浮かび上がってきます。

2.パウロとは、

この手紙の主人公パウロとはどのような人でしょうか。

パウロは、キリストを信じる人々に対して、軍隊を使い、厳しい迫害を行っていた人でした。しかし、パウロは、突然、キリストに出会い、以前の富のむなしさを知り、キリスト教に改宗し、伝道者として使命を担おうとします。しかし、それはパウロに約束されていた名誉と地位、豊かな生活を捨て去ることを意味するだけでなく、迫害していたキリスト教徒にも信じてもらえず、また以前自分が行っていた迫害を、今度は自らが受ける身になることを意味します。神を伝える伝道の20数年、各地をまわり、そして迫害を受け、追われ、最後には逮捕、拘留、処刑される。このような想像を絶する働きをした伝道者パウロが、「何とかして捕らえようと努めているのです。キリスト・イエスによって捕らえられているからです」と語る迫力に、その謙虚さと力強さに、私はただ圧倒されるだけです。

3.パウロの時代

パウロが伝道した時代は、弾圧と分裂の時代と言われています。ローマ皇帝ネロが君臨し、また大飢饉や災害が起こり、ユダヤ各地で救い主を自称する者たちが現れ、社会は混乱をきわめていました。迫害は日本においてもなされ、その悲劇を私たちは知っています。キリストがつけられた十字架の処刑が各地で行われていました。キリスト教徒は、各地に離散していきます。しかし、同時に、そのような激動の時代は、歴史の転換点でもあったのです。

4.ふりかえって、今の日本は。

日本も今は、歴史の転換点に立ちました。自然も、今までとは違う、私たちが経験したことのない姿を見せます。地震、津波、台風、集中豪雨に、私たちは耐え抜いていかなければなりません。また世界経済を見てみると、アメリカ、ヨーロッパという経済先進国での問題は深刻であり、被災し、人口が減少して経済力が明らかに低下している日本において、円高の進行という逆の現象が起こっています。宗教や文化の対立は、世界各地で紛争や戦争を引き起こしています。また身近では、孤立の広がりを防ぐことができない。自殺は12年間3万人を超える異常事態。愛の反対は無関心であり、信仰の反対が思い煩いであるならば、日本社会は、無関心と思い患いに支配されている。まさに明日が見えない、海図を描けない時代となったと言えるでしょう。

5.私たちは、今、何をなすべきか?

私たちは、今、何をなすべきでしょうか。しかし、私は、パウロの代わりはできない。その力がない。あきらめて、投げやりになり、また誰かのせいにして、無関心になること以外に、私に残された道はないのでしょうか。そう思う時、私は、日本において、貧しい人々とともに生きてくださった、カトリックのゼノ神父の、「一本のろうそく」の話を思い出します。

今から約60年前、戦後の混乱のただ中にあった日本で、大型台風が東京を襲い、多くの家が水につかりました。その時、ゼノ神父は、浅草の闇市でローソクとマッチを買い占め、一隻のボートを借り、真っ暗やみの中、二階に避難して孤立していた人々を一軒一軒ボートで訪ね、励ましの言葉にそえて一本の蝋燭を配ったと聞きます。

社会福祉の第一人者である阿部志郎先生は、こう言われます。その晩に手にしたローソクは、被災した人々の大きな慰めとなった。ローソクが自らの身体を燃焼させながら放つ光が、人の心を温め、希望を与えるからであろう。人間の真実の人格価値が輝くことを、様々な働きを通して、この社会に語り続けたい、と。(『シリーズ福祉に生きる15ゼノ神父』寄稿「一本のロウソク」大空社1998年)

6.被災地支援の意味

被災地を訪問し、まだ瓦礫が片付かず、生活の拠点を失った方々の生活の場が築かれていない現実、支援が遅れている現状をつぶさに見てきました。しかし、自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、本当に求められていると思います。復旧に三年、復興にさらに三年と言われています。明日を目指して、被災地で生まれた「希望の光」と共に歩みたいのです。

そして、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。

すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。

そして、私は、その基盤を築き、子どもたちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと思っています。

7.私たちの未来である子どもたちが希望を持って生きていける社会を

私も孫をもつ身になりました。我が家の前は、通学路になっていて、たくさんの子どもたちが学校に通います。しかし、私たちは、子どもたちが希望を持てる社会を築いているでしょうか。皆で歌った賛美歌21 371番のように、皆が、それぞれの生活の場で、学びの場で、希望の光を灯すことが必要です。ここに輝くローソクを見てください。聖書に書かれているように、「世にあって星のように輝(フィリピ書2章15節)」いていますが、それは決して栄光の光ではない。共に歩む私たちの思いであり、共に悩む心の涙です。命の大切さを知り、守り、伝える人が放つ光なのです。それは同時に、私たちを支え、導き、共に歩んで下さったキリスト、また父・母・兄弟姉妹、友、恩師の思いが、それぞれの人生を通して光っているのです。そして、本当の暗闇だからこそ、どんな光も相手からよく見えるのです。

この光を届けませんか。愛されていること、共にいることを伝え、希望を届けませんか。共に力を合わせて、子どもたちが希望をもって生きていくことができる社会を築き、そこで光る愛の聖火を、10数年後、子どもたちが大人になった時に託したいのであります。

8.卒業生諸君へ

卒業する皆さんは、今、スタートラインに立ちました。これまでの学びの過程で、たくさんの人や出来事と出会い、様々な課題を自分で解決してきて、今がある。その自信は、決して無駄なものでもなく、これからの力となるでしょう。そして、一緒に未来への聖火を、明日を担う子どもたちに、一緒に手渡ししていきましょう。このことを、私は、切に願っています。

卒業おめでとう。これからもよろしく。

讃美歌21 371番 「このこどもたちが」

1 このこどもたちが 未来を信じ、つらい世のなかも 希望にみちて、

生きるべきいのち生きてゆくため主よ、守りたまえ、平和を、平和を。

2 戦いあらそい ここにかしこに  地をとどろかせて 燃えさかる時、

子らは泣きさけぶ、血をながしつつ。

主よ、とどめたまえ、いくさを、いくさを。

3「剣を鋤とし 槍を鎌とし、洪水のように 正義を流せ」。

神のみ言葉は世界にひびく主よ、教えたまえ、み旨を、み旨を。

4 このこどもたちの 未来を守り、生きるべきいのち、共に生かされ、

平和をよろこぶ 世界を望む。 主よ、祝したまえ、大地を、大地を。

第28回 ルーテル諸学校研修会 第3日(8月18日)礼拝9:00〜9:30

メッセージ 『放蕩息子は誰ですか』

讃美歌21 371

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は、豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。そこで、彼は我に返って言った,『父のところでは,あんなに大勢の雇い人に有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き,接吻した。息子は言った,『お父さん、わたしは天に対しても,またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません』。しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物をはかせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠(ほふ)りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに、見つかったからだ』。そして、祝宴を始めた。 (ルカによる福音書15:11〜24)

最近、子どもの心に、自己中という虫が住みついていると言われます。また、私の青春時代は、「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない」というゲーテの言葉が好きでした。私の中学生時代に、親が事業を失敗して倒産し、すべてを失いましたから、その時の食事の味を忘れることできません。でも、今の子どもたちは、厳しいことを避け、自分の殻に閉じこもっているのではないか。まさに「涙とともにパンを食べた」のではなく、「棚からぼた餅」というように、「たなぼた」の人生を送っている。さらに、若者から、「こんなに迷惑をかけてまで、生きているのはエゴだ」という言葉さえ聞こえてくる。一人ひとりがもつ、「自分らしく生きていきたい」当たり前の気持ちを理解できない。なぜなら、彼らが親しむコンピュータの人生ゲームは、いくつもの空想の人生を組み立てることができる。しかし、その結果に自分は責任をとらない。自分が傷ついても痛みがなく、電源を切れば簡単にリセットでき、今までの歩みをすべて無にして、再出発できる。でも、現実の社会では、希望を持てない。辛いことを避け、傷つくことを避けているから、他人の辛さを理解できない。そして、多くの若者は、明らかに物資的に豊かな生活をしており、このような若者の姿を見て、私は、今日の聖句の放蕩息子の姿を重ね合わせます。

ここに放蕩息子の譬えについて述べたナウエンの本があります。ナウエンの言うように、確かに、放蕩息子の行いは、きわめて傲慢な、そして身勝手なものでした。父の財産を、当然のように父が生きている時に分けてもらい、それも父から独立したいがために、できるだけ離れた場で、自由を謳歌したのです。贅沢な品々を買い、名誉や地位もお金で手に入れ、そして誰からも注目されようとして、ひたすらお金をばらまいたと思います。

とくにナウエンは、放蕩息子の行いを、現代社会にあてはめます。「あなたは、わたしを愛していますか?本当にわたしを愛していますか?」と問い続けるかぎり、自らをこの世の捕らわれの身にする。なぜならこの世界は、「もし・・・なら」という条件をつけるから。

「もちろん愛しますよ」もし、あなたが美しい姿なら、お金持ちなら、良い支援者がいるなら、名誉があるなら等々、際限がありません。

しかし、それらの条件をすべて満足させることはできないのです。この世の条件付きの愛に、本当の自分を探し求めているかぎり、この世に「捕らえられた」ままだとナウエンは言います(ナウエン『放蕩息子の帰郷』p.57)

当然、そのようなお金には限界があります。放蕩息子は、自分の財産を使い果たし、貧困のどん底に落とされました。それだけでなく、さらに災害が追い打ちをかけたのでした。聖書には、「彼はぶたの食べるいなご豆を食べて腹を満たしたがったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった」と書かれています。いなご豆とは、パレスチナの至るところに生育しており、実は豚の飼料、また貧しい人の食物とされていたようです。いなご豆も手に入らない時と、金をもっていた時とは雲泥の差。放蕩息子は、希望と絶望の対角線に置かれたのでした。

しかし、聖書には、「我にかえって」と書かれています。本当に大切なものが、心の拠り所が、自分の身近にあったことに気づくのです。まぶしい光の中にあると、人は、その光に目を奪われます。しかし、人間以下の生活に陥り、豚使いの身になり、ついにいなご豆で空腹を満たすようになって、初めて気づく。そしてぼろぼろになり、ただひたすら父にしがみつく。レンブラントの絵を見ると、困難な旅をして父のもとにたどり着いた放蕩息子の靴には、底はなく、素足が見えている。着ている物はぼろぼろです。

その息子を父は受け止めてくれる。放蕩息子が富を手にしていた時にはわからない本当のものを見つけた時、自身が本当の輝きを放つのです。辛い時に本当のものが見え、明日が開かれてくる。まさにこれは逆転の発想です。

この本に関わる著者ナウエン、絵を描いたレンブラント、そして翻訳者の片岡先生には、共通点があります。

著者のナウエンは、カトリック司祭として、また神学者としての日々の葛藤の中で、放蕩息子の確信にたどり着きました。またレンブラントは、対照的な2つの絵を描いています。「一つは、売春宿にいる血気盛んな自分を描いたときの豪華な衣服を着た自画像。もう一つは、放蕩息子の帰郷に描かれた、やつれた体を覆うボロボロの上着と、長旅で擦り切れ、使い物にならなくなったサンダルを身に着けているだけ」の放蕩息子になぞられた自分と。

そして翻訳者の片岡先生は、神戸ルーテル神学校で学ばれました。また信徒の方の家を使い、西日本福音ルーテル伊丹教会の礎を築かれました。その後、シンガポール日本語キリスト教会(SJCF)の牧師に転任なされました。そして、ガンを煩い、闘病生活をおくるその病床で、この本を翻訳されたのでした。「支え続けてくださる方」を皆さんにお伝えするために。

3)自分が放蕩息子

私には、これまで人生の転機というべき時が何度かありました。その一つは、研究の転機。私は1992年から2年間、ロンドン大学LSEに入学しました。有名なピンカー教授に師事しましたが、図書館の書庫に行って、呆然としました。日本では手に入らない本がいくつもの書籍を埋めていた。学問の深さの前に、中堅の有力なイギリスの福祉政策研究者として考えていた自分の甘さを思い知らされた。留学して箔がつくと思っていたら、メッキがはがれた。

また、教育の転機は、3年前にありました。私は、大きな悩み、迷い、底知れぬ不安を味わいました。社会福祉学科の定員割れが2年続いたのです。受験生の全国的減少と言う現実があったとしても、社会福祉の名門として、社会的に評価され、それを誇りとしていた社会福祉学科の基盤が大きく揺れ、戸惑いました。何度、夜、目が覚めたことか。この経験は、責任をとる者だからこそ、知る辛さかもしれません。

自分が抱いていた夢と誇りを砕かれた時、私は、自分こそが、放蕩息子であると気がつきました。我がルーテルは、小規模で、財産はない。しかし、ネットワークと信頼がある。ブランドの卒業生がいることがわかりました。そして本当の教育を目指すことしか、私たちが生きていく道はないと思いました。自分は優れた教師、研究者であると思っていたが、実は、子どもの能力を、個性を生かしていない。自分勝手に作る学生像に在学生をあてはめている自分に気がつきました。学生は、未熟な大人ではなく、一人前の学生です。神様から各自に与えられた贈り物を見失っていたと思いました。そして、自分の限界に気がつき、共に歩むことの大切さを知りました。それは、教職員も同じでしたから、目標に向かって、再建できたのでした。本当の教育に立ち戻り、それを多くの人に理解してもらおうと皆が思ったからこそ、今があります。

ある卒業生の言葉を紹介したいと思います。「新約聖書ローマの信徒への手紙に、「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのである」という言葉があります。根っこがしっかりしていれば、嵐に揺さぶられても、枝が切られてもなお、木は新しい芽を出すことができます。私たちは学院生活の中で多くのことを学びました。困難に立ち向かう勇気、人への思いやり、感謝する心。それらは私たちを支える「根」となって、これからの人生に試練に打つ勝つ力となるでしょう。」これは、浦和ルーテル学院第33回卒業生小川沙織さんの言葉です。突然、2人の同級生を天に送るという大きな悲しみを味わいながら、この原点に立つ。これは、彼女に、そして、同級生皆に神が与えた賜物。まさに、Gifts from God。この賜物を忘れず、放蕩息子のように、余分な思いを捨て神に請い願い、そしてその導きに従ってただひたすら歩む先に、私は明日が見えてくると思っています。困難な時に見える光を、放蕩息子は放っているのではないでしょうか。