2019年01月の投稿

心からありがとう。

1月15日の午後、ルーテル学院大学のブラウンホールにおいて、1997年に卒業した学生の同期会が行われました。懐かしい卒業生一人ひとりに会い、学生時代の思い出が湧き上がりました。卒業後に会うこともありましたが、これだけの卒業生が、家族を連れて大学に戻ってきたことは、本当にうれしく、感謝の気持でいっぱいになりました。。

私は、ルーテル学院大学に勤めて35年になります。在学生を育て、卒業生を励ますために、自分なりに精一杯努力してきたつもりです。但し、自分の非力さを日々痛感しており、むしろ在学生や卒業生に支えられてきた年月だったと思っています。心からありがとう。

今回も、卒業生が大学に戻ってきてくれました。そして、苦労したこと、今挑戦していることを語ってくれました。卒業して20数年間の一人ひとりの思いを聞き、人生の重みを学びました。「卒業生はルーテル学院大学のブランドである」という信念が間違っていないことを再確認できました。今回来られなかった卒業生を含め、これからもそれぞれが自分らしく、実り豊かに歩んでほしいと思います。神様の導きがありますように、祈ります。

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頂いた花束は、一緒に彼らを支えて下さった職員に渡しました。学生支援センターの窓口に飾られています。

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2019年1月新年メッセージ

2019年1月7日礼拝説教

「悲しみよ、ありがとう。」

聖句:野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていない。(ルカ12章27節)

私たちは、さまざまな悲しみに出会います。そして、忘れられない悲しみもたくさんあります。悲しみで心にポカッと穴が開いて、それを埋めることができない時もあります。しかし、悲しみを知ることによって、他者の悲しみを理解することができるようになる。悲しみという事実によって、今まで気づいていない大切なことを学ぶことがあります。それは、私たちに神様が与えて下さる愛であり、神様が教えて下さる命の大切さであると思います。

私は、2011年3月に発生した東日本大震災以降、被災地の宮城県石巻市で、学んでいます。発災後しばらくは、津波が襲った跡が残り、被害の大きさに呆然としました。その現実を見た多くの人が、復興を祈って、歌を送りました。それが「花は咲くプロジェクト」です。歌詞の一部を紹介します。

誰かの想いが見える 誰かと結ばれている

誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に

花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

ここで歌われている花は、命そのものであると私は思います。今を生きている人々の命、また神様から祝福されて新しく生まれてくる命です。それぞれの人の存在自体が尊いと神様は言われている。しかし、今の社会では、自然の営みの中にある様々な命を軽んじていませんでしょうか。人工で作られた美しさ、目に輝くものに私たちの心が奪われていませんか。

私も、秋に体調を崩し、いろいろな経験をしました。今までできていたことができなくなるといった多くの悲しみも味わっています。でも、自分が何でもできると思っていた時に気がつかなかった家族の存在、学生、卒業生との関わり、教職員の方々のいたわり、私の状態を知った友人たちのメッセージを受けとり、感謝しました。私は、私の歩みの原点が、本年で36年目になるルーテル学院での働きであることを改めて確認できました。また、私の家の窓際には、私が買ったサボテンが置かれています。直径5センチほどの鉢の中に、複数の小さなサボテンが植えられていましたが、今は4つになりました。サボテンに花が咲くと言われましたが、5年を経て、まだ咲きません。私がしばらく留守をしていた家に戻った時に、そのサボテン見て、私は、感動しました。当たり前のことですが、生き抜いてくれていた。

聖書に立ち戻ります。「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていない。」

ソロモンは、3000年前のイスラエル王国の第3代目の王で、金銀、財宝に囲まれ、栄華を極めました。そのソロモンでさえ、神は、この花の一つほどにも着飾っていないと言われるのです。私たちの身の回りに咲いている木々、咲いている花は、命そのものです。その神様は、その命の尊さを述べられている。そして命、すなわち生きている私たち一人ひとりが大切であると言われているのです。

私は、改めて申し上げたい。①素直さ:悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さをもってほしい。②ゆとり:辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、③勇気:自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、④謙虚さ:一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さ、をもってほしい。

そうすれば、悲しみによって、私たちは、命の大切さを学ぶことができます。また、私たちに注がれている神様の愛を感じることができる。だからこそ、悲しみにありがとうと言えるのです。そして、皆さんにはそれぞれ、明日への希望が与えられているのです。

本年、大学は創立110年を迎えます。その記念すべき年に、大学は、聖書の中で神の愛を語るのではなく、聖書をもって多くの方々に神の愛を述べ伝え、共生の社会づくりの一翼を担いたいと思っています。

祈り

 

参考

一人では生きられない

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)

本年3月、まだ雪の残る福井県美浜市立新庄小学校を訪問した。生徒は、育てた菊を配り、収穫したしいたけを高齢の方々と一緒に食べる。涙を流して喜ぶ方々の気持ちを心の中に蓄え、ともに生きていくことの大切さを学ぶ。自然の豊かさを肌で感じ、創る喜び、働く喜びを体感する。地域は、生徒が育つ場であり、生きる自信を生み出す場だ。

今、各地で、地域が壊れている。夢をあたためる場である家庭で起こる虐待。自分らしく育つ場である学校で起こるいじめと自殺の連鎖。地域に広がる孤立、引きこもり。今は、だれにとっても、生きていくことが難しい。

だから、私は、若き諸君に、自分を信頼し、自分らしい縦軸の生き方をしてほしいと伝えたい。そのために、たゆまぬ努力を、生まれる命と生きている命が輝く自然の営みへの感動を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをもってほしい。

なぜなら、神はあなたを祝福して命を与えられた。あなたは、神に愛されている。一人で生きているのではない。

『「おめでとう」で始まり 「ありがとう」で終わる人生』(教文館)より