2011年04月の投稿

2011年度入学式 「共に明日を拓く」

3月11日の東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、哀悼の意を表します。そして、愛する人々を失い、深い傷をおっておられるご家族やご友人の方々に、神様の癒しのみ手がさしのべられますことを、切に祈ります。

3月16日午前9時52分、公衆電話から私の携帯電話に連絡がはいりました。「先生、生きているから大丈夫。でも、被害は甚大で、復興はたいへんだと思います。でも、頑張っているから」という、それまで安否がわからなかった石巻の友人の声に、私はただただ、「良かった、良かった、本当に良かった」と繰り返すだけでした。今日は、東北関東大震災が起こって、3週間になりますが、今だ復興の道筋がなかなか見えません。

大震災が起こった時、私は学長室で打ち合わせをしていました。大きな揺れに驚き、中庭に飛び出した時、多くの学生たちが集まってきました。震度5弱の長い揺れに座り込みました。そして、その後のテレビに映る現地の被害に、大きな衝撃を受けました。さらに追い打ちをかける福島原発の事故、猛烈な寒波と食糧難、家族や友人を失った被災者が直面する現実に、私の心はかきむしられています。

今、生き方が問われています。大震災は、根こそぎ、圧倒的な力で、人々の命を奪っていきました。人を選ばず、一斉に奪っていったのです。しかし、原発の災害は、消費社会で何でも与えられ、消費してゴミを増やしてきた私たちが、見失っていたことを思い出させました。自然の恵みによって私たちが生きていること。食べ物は自然の実りであることです。このことを忘れてはならないと思います。

今、私は2つの光を見ています。
1つは、被災地で、明日に向かう歩みが始められてきたこと。避難場所の中で、助け合いの輪が広がっていました。中学生が食事をつくり、高齢者の世話をする。そして動くことができる高齢者自身も、食事づくりの輪に加わり、共に支え合っています。岩手県宮古市立第一中学校生徒会長は、「震災をマイナスととらえるのではなく、改めて感じた家族の大切さを忘れず、前向きに生きていきたい」と涙ながらに答辞を読みました。ある小学校の校長は、「みんな一人では生きていけません、避難所で生活して分かりました、助け合って生きるのです」と、大切な生徒を震災でなくされた悲しみの中で、言われました。
また、全国大会を辞退した、被災地の高校合唱部が避難所で「あすという日が」を歌いました。
「あすという日が」  作詞 山本 瓔子  作曲 八木澤 教司

あの道をみつめてごらん
あの草をみつめてごらん
ふまれても なおのびる道の草
ふまれたあとから芽吹いてる
今生きていること
一生懸命に生きること
なんてなんて すばらしい
明日という日がくるかぎり
幸せを信じて
明日という日がくるかぎり
幸せを信じて

私たちは、今、困難に直面する多くの人々の希望の光を絶やしてはいけない。被災地だけでなく、日本はこれから、大きな課題を背負って歩みます。解決に必要な時間は、1〜2年ではない。まさに10年、20年、30年かかるかもしれません。しかし、言うまでもなく、被災地の復興は、私たちの未来です。被災地の復興なくして、明日はないのです。被災地の復興という明日を見つめて、私たちは今を生きていくのです。大震災で亡くなった方々の思いを、そして希望を私たちの心に灯し、明日を拓いていく。そこに日本の明日があるのです。困難に直面する多くの人々の希望の光を絶やしてはいけないのです。

第2の光は、共に明日を拓く働きです。
私は、仕事で、宮古にも、石巻にも、女川にも、松島にも行ったことがあります。仙台で行なった宮城県の仕事は少なくありません。昨年、宮城県内の市町村社協の代表の方々とお会いして、創立を記念する福祉大会の講師をお引き受けしていました。かつて訪れ、共に過ごしたその地が、平穏な暮らしが、一瞬にして奪われてしまったことに言葉を失います。
しかし、私たちは、今、命を与えられているのです。その命を大切に、生きている者同士が支え合い、共に生きていくこと。これが私たちに与えられた使命です。

派遣された自衛隊、警官、消防士、そして全国から来られたボランティア団体、ボランティア、行政関係者、社会福祉関係者等のたくさんの方々が、直面する困難を乗り越えようと現地に集まってきています。兵庫県で水害にあった学校では、被災された人々を応援するために、精一杯、歌を歌いました、また阪神淡路大震災に被災した人々が、支援の募金に立ち上がっています。震災を体験した新潟県は、たくさんの避難場所を提供しました。ルーテル教会も、支援に入り、物資だけでなく、現地と協力して、人材を送り込していくことを計画しています。ルーテル学院も、NPO法人のチャイルドファンドと協働して、親を失った子どもをケアする人々を支援する冊子を近々現地に送る予定ですし、「災害後の悲嘆(グリーフ)の理解と対応」についてホームページに掲載しています。これらの、たくさんの方々の一つひとつの働きが、光です。圧倒的な被害の前に、まだまだ不十分であることは分かっています。だからこそ、これからも、ずっと、それらの光を合わせ、たいまつにし、歩んでいきたい。

さらに、春の高校野球において、阪神淡路大震災に生まれた選手の宣誓は、私たちを感動させました。「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています」「生かされている命に感謝を込め、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。」と被災者に向けて宣誓をしました。

「お金を失うと生活の危機、大切な人やもの、誇りを失うと心の危機、希望を失うと存在の危機」と言います。まず、食料等の物資を届けることは急務です。さらに、親族を失い、働く場を失い、誇りを失い、心の痛みを抱えられない方々への健康や心の支援のために、医師や社会福祉士、精神保健福祉士や臨床心理士、看護師が現地に向かっています。今、私たちは、希望を見失ってはいけない。希望は、互いに支え合うことにより、強く輝きます。被災された人々の心に希望の火を灯すことができるように、一人で生きているのではないことを伝えたいのです。

ヨハネ15章12節には、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」と書かれています。この聖句は、イエスが私たちを愛しくださったという事実から始まります。その愛ゆえに、説得力をもって語られたのです。「互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」と。この意味を、ルーテル学院での学びを通して、理解してほしいと思います。

そして、東門の前にある壁を見て下さい。そこには、ルターの言葉が書かれています。「自分のためでなく、隣人のために生きて、仕える生に神の祝福があるように」という本学のミッションに、今日、立ち返りたいと思います。

改めて、申し上げます。被災地の復興は私たちの未来です。入学する諸君には、ルーテル学院での日々の学生生活と通し、「何をしたいか」「何ができるか」そしてもっとも大切な「何が求められているか」を学んでいただきたい。

今日は、共に明日を拓いていくためにあるのです。たとえどんなに長い道のりでも、共に今日を一生懸命生きていくことによって、明日が拓かれるのです。

2011年度入学式を、「共に明日を拓く」ことを確認する時にしたいと思います。

入学おめでとうございます。

2011年4月1日
2011年度入学式