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「地域福祉を推進するルーテル学院大学卒業生の集い・希望の会主催」研修会のお誘い

 卒業生、在学生の皆様

 添付のチラシのように、2024年8月24日午後2時よりルーテル学院大学において、対面とzoomのハイブリッドで研修会を企画しました。講演とディスカッション、そしてその後の懇親会というように、学びと親睦を兼ねています。

 このような卒業生だけを対象にした本格的な会は、2010年代より始まりました。当初は、社会福祉協議会で働く卒業生を軸にした会でしたが、2年前より地域福祉に関心ある方々に対象を広げ、今回で3回目になります。そして、本年は、在学生にも機会を提供しようと考えています。

 お時間がある卒業生は、どうぞご参加頂けますことを、心より願っております。

 なお、ホームカミングデイに関しましては、改めて大学よりご連絡があると思います。

気温や天候の変化が激しい時です。どうぞ、くれぐれも健康にご留意下さい。

4月19日

希望の会幹事 飯島ともえ(相模原市社協)、池永雄一郎(羽村市社協)、河島京美(元練馬区社協)、桑原信人・駒井公(全社協)、関根裕恵(西東京市社協)、山本繁樹(立川市社協)、原島博・市川一宏(ルーテル学院大学)

情報提供

1.「買って応援~」

吉村誠司さんより、情報が届きました。

「能登半島地震で壊滅的な被害を受けた輪島市中島酒造と小松市東酒造(杜氏実家は珠洲市で全壊)のコラボ新酒が4月22日から限定販売開始します。宜しくお願いいたします。 https://sake-5.jp/sakenews/50605/

2.葛飾区社協より

葛飾区社協の避難者への対応は、支援の有力な方法として、私は評価しています。添付させて頂きます。

3.全社協より

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■ 全社協からのお知らせ等

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◆令和6年5月孤独・孤立対策強化月間 「民生委員・児童委員」「老人クラブ」

 「社会福祉協議会」による全国キャンペーンについて

 (全社協 地域福祉推進委員会)

 内閣府では、令和6年4月1日からの孤独・孤立対策推進法施行を契機とし、孤独・孤立対策官民連携プラットフォームを中心に、孤独・孤立についての理解・意識や機運を社会全体で高めていくため、毎年5月を強化月間として集中的な取り組みを実施することとなりました。

 こうした状況を踏まえ、全社協地域福祉推進委員会では、民生委員・児童委員、老人クラブ、社会福祉協議会が一体的に孤独・孤立対策への取り組みを一層推進することを目的に、広報・啓発活動や支援活動の展開を呼びかけることといたしました。

【詳  細】下記URLをご覧ください。

◆全国で「福祉の就職総合フェア」を行います(4月、5月分)

 (全社協 中央福祉人材センター)

 都道府県福祉人材センターおよび福祉人材バンクにおいて、福祉のお仕事に関する就職総合フェアを行います。各都道府県内の求人事業所がブースを出し、福祉の職場や仕事内容の説明をしたり求職者の質問に直接お答えします。その他、福祉の仕事や就職活動の理解を深めるセミナーや事業所職員によるトークセッション、介護ロボット展示、転職時の資金の貸付事業(介護分野就職支援金貸付事業等)の案内等、さまざまなプログラムが行われています(開催都道府県により内容は異なります)。

 下記URLより詳細が確認できますので、ご興味のある方はぜひご参加ください。ご不明な点は、各センター・バンクにお問合せください。

【掲載内容】2024年4月、5月分

【詳  細】下記URLをご覧ください。

https://www.fukushi-work.jp/news/detail_67.html

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■ 他団体からのお知らせ等

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◆『和田敏明 地域福祉実践・研究のライフヒストリー』刊行のお知らせ

 ―社会福祉協議会の変遷とこれからへの期待及び提言―(香川県社会福祉協議会)

 本書はこれまで50年余りにわたり社会福祉協議会や地域福祉の実践を牽引し、理論形成に尽力され大きな功績を残しつつ、今なお後進の指導に精力的に取り組まている和田敏明先生と大橋謙策先生の対談記録です。これまでの取り組みを回想いただくとともに、地域共生社会時代における社協組織のあり方や今後の社会福祉の展開について、3回にわたって対談いただいたものを取りまとめました。また、巻末には対談にともなう社協関係資料(約100頁)も掲載しています。社会福祉協議会の基本要項改正の議論が行なわれている今日、これからの社協のあり方や方向性を考えるうえでの必読書です。

【編  著】和田敏明 著

       越智和子、大橋謙策、日下直和 編

【体  裁】B5判 198頁

【価  格】1,500円(税込)

【発 行 日】2024年3月31日

【発 行 元】香川県社会福祉協議会

【購入・詳細】下記URLをご覧ください。

https://www.kagawaken-shakyo.or.jp/news/entry-446.html

【問合せ先】香川県社会福祉協議会 総務企画課

      TEL:087-861-0545 FAX:087-861-2664

◆〔4/30応募締切〕第二回「令和6年能登半島地震による災害支援活動助成」のご案内

 (公益財団法人風に立つライオン基金)

 令和6年能登半島地震発災から3か月以上が経過しました。風に立つライオン基金では、長期化する支援活動を応援するため、2回目の「災害支援活動助成」の募集を開始しましたのでご案内します。

【助成対象団体】災害ボランティアセンターが設置された地域で活動する当該県内の団体(任意団体含む)

※反社会的勢力と関わりがないこと。特定の政治や宗教の普及を目的としないこと。

※県外ボランティアの受け入れをしている地域は対象に含みます。

※令和6年能登半島地震における災害救助法が適用された新潟県、富山県、石川県および福井県の35市11町1村(内閣府防災担当 令和6年1月1日時点)とします。

【助成対象活動】緊急支援・復旧支援・心の支援・ボランティアへの支援活動など

※当該被災地の災害ボランティア・センター等と連携された活動であること。

【助成対象費目】災害支援活動に資する直接経費(交通費、宿泊費、重機・資機材リース費、消耗品費、人件費の一部、等)

※全ての支出に対して領収書等の証憑提出が必要です。

【助成金額】1団体あたり最大30万円

【助成対象期間】2024年4月1日(月)~2024年9月30日(月)まで

【締 切 日】2024年4月30日(火)

【詳細・申込】下記URLをご覧ください。

https://lion.or.jp/news/news/20240408.html

【問合せ先】公益財団法人風に立つライオン基金 助成事務局

      E-mail: support@lion.or.jp

4.東社協より

さて、当協議会では、社会福祉法人による地域公益的な取組みを広く共有・発信する場として、先日「新宿アール・ブリュット企業展2023」を取材し、YouTubeチャンネルで公開を開始しました。より多くの方にその実践をご覧いただきたく、関心のある方は、ぜひご覧いただけますと幸いです。

▼「新宿アール・ブリュット企業展2023」動画視聴はこちら!

https://clk.nxlk.jp/m/NjMV9jHwE

また、より一層の活動促進と地域公益活動を始める上での手がかりとなるよう、実践事例からポイントやヒントをまとめたヒント集を発行しました。

どの取組みも法人・施設も地域のニーズを知ることにより、多くの住民と繋がり、世代を超えて新しいコミュニケーションを生みだしています。ぜひご覧ください!

▼ヒント集閲覧はこちらから!

https://clk.nxlk.jp/m/ZZygGlwvE

<東京都地域公益活動推進協議会 事務局>

社会福祉法人東京都社会福祉協議会 

福祉部 経営支援担当(阿部)

〒162-8953新宿区神楽河岸1-1

TEL:03-3268-7192 FAX:03-3268-0635

E-mail:tky-koueki@tcsw.tvac.or.jp

東日本大震災被災地支援から能登半島被災地支援

東日本大震災被災地支援から学ぶ能登半島被災地支援

2024年1月1日、16時10分、石川県能登半島で起こった地震は、マグニチュード7.6に達し、以降連続して地震が頻発し、能登半島、特に北部の奥能登の被害は甚大でした。地盤の液晶化や地震による家の崩壊、津波、地盤隆起、また一部地域における大規模な火災の影響は大きく、全国から被災地を応援する取り組みは広がっています。しかし、道路や水、ガス等のインフラの被害により、特に過疎地帯の被害の現状が分からず、私は、たくさんの方々から情報を提供して頂き、皆さんに提供させて頂きました。その状況は今も多くの地域で継続しており、道路や水道の普及というインフラ自体の問題が解決しておらず、ボランティアによる支援自体にも、困難な状況にあります。

そこで、私が関わらせて頂いた東日本大震災被災地支援を振り返りながら、私の意見をまとめていきたいと思います。

Ⅰ)2023年における福島県社会福祉大会、石巻ブロック民生委員児童委員大会を通して、学んだこと。

福島県社会福祉大会

 11月17日(金曜日)、福島市のパルセ飯坂において、福島県社会福祉大会が開催され、私は、「地域共生社会づくり」をテーマに講演させて頂きました。前日、30年近くの旧友である県社協の友人と一緒に食事をしました。友人とは、社協の管理職研修、社会福祉法人の生涯学習研修、ボランティア・コーディネーター研修等々を企画し、実施してきましたので、私にとって福島県の地域福祉、社会福祉の原点をふりかえった学びの時であり、今までの活動の意味と反省点をふりかえる確認の時を持つことができました。

なお、2011年3月11日の東日本大震災の影響は、今も残っています。改めて、講演をさせて頂き、私が学んだことを述べさせて頂きます。

災害は、被災地だけの問題ではない。

現在も、たくさんの福島県民が、県外で生活しておられます。2011年当初、<「仮の生活」「仮の人生」はない。「被災者なんだから」という考えは、「高齢者なんだから」「障がい者なんだから」という考え方に通じる。>と、2011年の発災後に訪問した東北厚生局の対策責任者であった藤木則夫さんよりお聞きしました。私は、藤木さんの発言と行動力に強い共感を覚えたことを思い出します。

 福島県社会福祉大会講演

私は、原発事故の結果、計り知れない被害を受けている福島県において、どのような講演ができるか、正直迷いました。でも、私自身の問題認識にこそ、問題があると思いました。多くの住民の方々は、どのような地域をつくろうか、実際に行動を起こしておられる。そして、希望を捨てておられない、その事実に敬意を表し、それをバックアップできるよう、精一杯自分の経験と知識を用いて、地域福祉活動の今日的意義をお伝えしました。

最後の拍手の大きさ、力強さ、そしてお帰りになる際の皆さんの反応を見る限り、参加した多くの方々のご期待を裏切らなかったと思いました。毎回チャレンジですが、私の講演を通して、住民活動が活発になるならば、それは私の本望です。

以下、会津若松市社協のホームページに書いて頂いた大会の報告をお示しします。

「11月17日(金)、第77回福島県社会福祉大会が福島市のパルセ飯坂で行われ、本会会長、理事・監事10名、受賞者5名、事務局2名の合計17名で参加しました。授賞式の前にはルーテル学院大学名誉教授である市川一宏氏による記念講演が行われました。

「地域共生社会づくりに向けて」と題して、さまざまな事例や体験談を紹介しながらユーモアたっぷりにお話され、参加された皆さんは熱心に聞いていました。

授賞式では、傾聴ボランティアの鳥塚冴子氏が福島県社会福祉協議会会長表彰の代表受賞を務められました。また、一箕小学校の生徒さんが赤い羽根共同募金運動のスローガンを発表するなど、会津若松市の方が大変活躍されていました。」

石巻ブロック民生児童委員連絡協議会(石巻市・女川市・東松島町)講演

2023年11月15日、石巻市民生委員児童委員協議会会長の蟻坂さんのご依頼を受け、講演をさせて頂きました。内容は、新聞に書かれている通りです。

私と石巻市社協との関わりは長く、深く、地域福祉活動計画の作成、実施、ボランティアセンターの立ち上げ、社協の組織強化のための研修等々の取り組みは、私の研究、実践の基礎を作ったという意味で、私にとって貴重な体験でした。親友の渋谷秀樹さん、遠藤正之さん、門間ひとみさん、千葉和宏さん、阿部由紀さん、峯田貴博さん、髙橋了さん、内海信康さん、小松龍哉さん等と議論を重ね第2次地域福祉活動計画を策定しました。またその後も伊藤勝弘さん、工藤雅弘さん、そして大槻英夫会長にはお世話になりました。石巻市社協の方々から学んだことは、40年間勤めたルーテル学院大学の最終年に『研究の足跡』としてまとめてあります。どうぞご覧下さい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/edm0g40nhpqhudpuivrml/.pdf?rlkey=xmpnmuh69x95588vn4h9wn6jc&dl=0

支援から協働へ

今回、石巻を訪問し、復興住宅での孤立の問題が深刻化してること、防波堤や、居住地域の底上げ、環境整備を進めてきた地域での人口減少が顕著になっていること等の課題をお聞きしました。昨年作成された第4次地域福祉活動計画では、「本市では、今後も人口減少が続く一方で、高齢化率の進行とともに、単身高齢者数についても増加 すると見込まれます。市民アンケートからは、地域の希薄化が進んでいることがうかがえ、更には、コロナ禍によって、地域の交流が図りにくくなっており、社会的孤立やひきこもりとなる市民の増加が危惧されます。また、近年では地域における課題が複雑化・複合化し、従来の「縦割り」による制度では解決が難しい状況となっており、市民、地域、関係機関、市(関 係各課)の連携がこれまで以上に必要となっています。」と課題が明記されています。

私は、2011年から被災地を訪問し、その間、以下のことを感じ、学びました。「まだ瓦礫が片付かず、生活の拠点を失った方々の生活の場が築かれていない現実、支援が遅れている現状をつぶさに見てきました。また、徐々に支援団体が撤退していく現実に、寂しさを感じました。しかし、自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、本当に求められていると思いました。復旧に3年、復興にさらに3年と言われていますが、その過程で明日を目指して、被災地で生まれた「希望の光」と共に歩みたいと強く思いました。そして、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。私は、その基盤を築き、若者たちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと再度思いました。」

この文章は、石巻市に来て、2013年に石巻市地域福祉活動計画の作成にアドバイザーとして関わり、その後、ボランティアセンターのアドバイザーであった2015年頃に書いたものです。私は、2020年3月に社協と行政の地域福祉アドバイザーを終えましたが、その時までずっともっていた私のモットーでもあります。

そして今、私は思っています。石巻が直面する生活課題は、日本全国で課題となっていることで、東京においても顕在化しています。ならば、互いに地域づくりを学んでいく。そして過酷な震災の被害に直面した石巻から、復旧、復興の歩み、すなわち地域づくりの歩みを学んでいくことが必要と私は考えています。

Ⅱ)東日本大震災から、学んでいること

地域づくりの原点を学ぶ

被災間近の混乱をふりかえる

発災後すぐに石巻を訪問しましたが、たくさんの家が津波にさらわれ、その跡の町の姿は、衝撃でした。またビッグバン等の緊急避難所を訪問して、そこで不自由な生活をしている方々を知り、心を痛めてきました。発災当初の被災地は、私自身の日常生活とは違い、支援に取り組みながら、心は絶えず興奮状態にあり、東京に戻ってクールダウンをする必要があったことを思い出します。当時をふりかえり、私が学んだことを整理したいと思います。

①行政、社協、社会福祉法人も被災していること。多数の石巻市職員が亡くなられました。社協は10名近くの職員や家族が亡くなられていました。行政として、社協として、十分な役割を担えない現状を支援することが重要となり、社協に関しては、全国から社協職員が応援に駆けつけていました。

なお、被災者の生活を支援するために緊急の生活福祉資金が始められ、たくさんの申請者が社協の窓口に殺到し、それに対応する現地の社協職員をサポートするために、応援に入った多くの社協職員が関わることになり、被災者の地域支援まで手が回らなくなりました。また地域支援に関わった派遣社協職員は、被災している社協、住民を励ましたが、本当に支えたのか、自分たちの今までのやり方を押しつけたのではないか、評価と課題があったことは明記したいと思います。

②伝わらない情報、手段がなく伝えられない情報→「広島の中学生」

ITmediaニュース 2012年03月06日 10時37分 更新 震災直後、NHKニュースを無断でネットに流した広島県の男子中学生(15)産経新聞

 3月11日の東日本大震災発生直後、大津波警報が赤く点滅するNHKのニュース画面を見ながら、広島県に住む中学2年の男子生徒=当時(14)=は「この画面をネットに流したら、助かる人がいるんじゃないか」と考えた。

 その瞬間、脳裏を懸念と不安が駆け巡った。「相手はNHK、あとでどうなるか」。手持ちのiPhone(アイフォーン、高機能携帯電話)を使って動画投稿サイト「ユーストリーム」で配信した経験もほとんどなかった。しかし、母親が阪神大震災の被災者だったことが、少年の背中を押した。「今、東北には自分よりも不安を抱えている人がものすごい数いるんだ。自分がやらなければ」

 配信を始めたのは、最初の大きな揺れから17分後の午後3時3分。ミニブログのツイッターを介し、「ユーストリームで地震のニュースを見られる」という情報は、またたく間にネットを駆け巡った。

 配信に気付いたユーストリーム・アジアの担当者は迷った。明らかにNHKの著作権を侵害した「違法配信」だ。普通は直ちに停止する。だが、停電などでテレビを見られぬ人には貴重な情報源ではないか。この状況を出張先の米国で知らされたユ社の中川具隆(ともたか)社長(55)は、午後4時ごろには、「われわれの判断で停止するのはやめておこう」と指示する。NHKの要請があった場合のみ停止する。中川氏は現場にそう伝えた。ツイッター上ではNHKの対応にも注目が集まっていた。NHKの番組宣伝を行う公式アカウント「NHK−PR」は、顔文字やユーモアを交えた「つぶやき」でツイッターの世界では有名人である。そのNHK−PRが午後5時20分、少年の無断配信のアドレスを、自分のつぶやきを読んでいるフォロワーに紹介した。そして、こう書いた。「私の独断なので、あとで責任は取ります」

襲い来る津波の情報が届かず、逃げ遅れた人々がいました。情報は迅速、明快、正確であることが必要です。

津波に襲われた地区に建てられた看板(がんばろう石巻)

③全国から届けられた緊急物資についての混乱

直接、たくさんの物資は届けられ、たくさんの人を救ったことは事実だと思います。しかし、実際には届かなかった避難所もあったそうです。また、緊急物資の品質が悪く、本来支援に回るべき人手が、送られてくる物資の整理に追われました。さらに刻々と変わる現場のニーズをどのように把握して、支援するのか、課題と感じました。

私にも、避難所における介護職員、看護職員が必要だという連絡が何度もありましたし、要望は刻々と変化しました。春になり、また夏を迎え、着るもの、必要な日常品、食料の内容をどのように把握し、送るのかが課題でした。また現地の農協倉庫に米があるにもかかわらず、活用されなかった等の混乱もあったと聞いています。

④現場を混乱させるボランティア

被災地の3月は、時にとても寒い。私も冬に石巻に行き、氷結した道路で何度も滑りましたし、防寒のために厚着の洋服を着ても、時に吹き荒れる風で体温を奪われる時もありました。当時、寒さ対策を十分せずに思いつきで被災地に入り、皆が避難している避難所の助けを求めてきた複数のボランティアがいたと聞いています。また、発災時の2,3ヶ月は、駆けつけるボランティアの方々への対応に現地の災害ボランティアセンターは追われました。多数のボランティアが来られるので、その方々に対応し、活動場所を調整することが必要になります。当然、現地の社協だけでは限界があります。石巻市社協では、ルーテル教会からの派遣ボランティアがセンターの受付窓口に立って調整に協力しました。

⑤地域における見守り等の活動をしていた方も、自分で自分や家族を守ることが優先されます。また、地震後に、身近な人と助け合うことが必要です。

東日本大震災によって、たくさんの民生委員児童委員の方が亡くなられました。つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。なお、ふりかえり、以下の課題があったと指摘されています。

・強い使命感を有する民生委員だからこその自身の避難の遅れ、・津波が迫るなかでの委員活動の危険性、困難性 、・通信手段喪失に伴う民児協組織の機能停止(委員の孤立、自己判断による活動) 、・津波等による災害時要援護者台帳の喪失(必要書類等の保管のあり方) 、・避難所避難者の名簿等、避難者に関する行政等との情報共有の不足 、・発災時、またその後の民生委員活動に対する住民および関係者の理解不足 、・分散避難する地域住民に対する民生委員による支援継続の困難性 、・自身被災者でありながら活動する民生委員への支援の必要性(とくに精神面)

 そこで、現在は、「災害に備える民生委員・児童委員活動10か条」(民生委員・児童委員として災害に向き合う大原則)が出されています。紹介します。

第1条 自分自身と家族の安全確保を最優先に考える

第2条 無理のない活動を心がける

(平常時の取り組みの基本) 

第3条 「地域ぐるみ」で災害に備える

第4条 災害への備えは日ごろの委員活動の延長線上にあることを意識する

第5条 民児協の方針を組織として決定し、行政や住民等にも周知する

(市町村と協議しておくべきこと) 

第6条 名簿などの個人情報の保管方法、更新方法を決めておく

第7条 情報共有のあり方を決めておく

(発災後の民児協活動において留意すべきこと) 

第8条 委員同士の支え合い、民児協による委員支援を重視する

(避難生活から復旧・復興期の活動で意識すべきこと) 

第9条 支援が必要な人に、支援が届くように配慮する

第10条 孤立を防ぎ、地域の絆の維持や再構築を働きかける

発災時前の日頃の関わり、発災後の地域形成・まちづくりのメンバーとしての民生委員児童委員活動が大切にされています。

発災後数ヶ月経ち、以下の㋑㋒における生活の再建を考える次の支援の必要性

被災後の生活は、㋐震災後の避難所生活㋑仮設住宅における一時的生活㋒自立した生活への移行・復興住宅での生活、へと移行していきます。

避難所(体育館に段ポールで囲った生活)⇒市内にいくつものあった仮設住宅

復興住宅

その時に学んだことをご紹介します。

  1. 生活支援(バックアップ)、寄り添うケア⇒継続的な支援の必要性

要介護・要支援高齢者の増加、地域を離れなければならないサービス利用者の生活支援、避難所で見えてきた様々な問題の顕在化(避難所において、虐待、家族関係の崩壊、貧困、障害等の様々な問題が見えてきていました。特に、津波により、家族を失い、家や財産を流され、一気に失望の中におかれた高齢の方々の辛さは、深く大きいことを学んできました。石巻市では、発災後、地域福祉コーディネーターが各地区に配置され、個々の住民の地域支援に当たっていました。CSC最近の活動

https://www.dropbox.com/scl/fi/f4q5w00j4vtkwswhgzswq/CSC-2023.3.pdf?rlkey=el8dj7n9ktqj94nyboq4y812k&dl=0

CSC活動記録集

https://www.dropbox.com/scl/fi/f4q5w00j4vtkwswhgzswq/CSC-2023.3.pdf?rlkey=el8dj7n9ktqj94nyboq4y812k&dl=0

地域福祉コーディネーターによる草の根支援が、被災者だけでなく、地域の方々の孤立を防ぎ、住民としての生活を下支えしています。当初のコーディネーターは、全国各地から来られた方でした。半数を超えるコーディネーターは、宮崎県、大分県、福岡県、高知県、山口県等々から被災地である石巻において、住民への地域支援の仕事しようと集まってきた方々でした。今は石巻で家庭を築かれている方もおられます。

さらに、瀧嵜博さんは、千葉県佐倉市社協の事務局長として定年を迎えられ、2013年から2018年まで石巻市社協復興支援課の地域福祉アドバイザーとして地域福祉コーディネータ―の育成にあたられました。石巻市の各地区での活動を終えて戻ってくる地域福祉コーディネーターの報告を受け、それぞれの意見を集約して取り組みに反映する丁寧な指導をなさっていたことを知っていました。退職後、病気で亡くなられましたが、そのお働きに感謝し、敬意を表したいと思います。

https://www.dropbox.com/scl/fi/qc5rhc767f74od6ccdyih/.-2016-2.pdf?rlkey=cc8c1o6c0j9bevndzeq4c3742&dl=0

このように、地域福祉コーディネーターによる草の根支援が、被災者だけでなく、地域の方々の孤立を防ぎ、住民としての生活を下支えしています。感謝。

②保健医療福祉ニーズの顕在化と個別支援

 児童の心の問題、要介護高齢者の増加、家族の確執、経済的課題、孤立問題、住まい・生活・仕事・将来設計等々に取り組む方々に格差が生じ、多くの痛みを抱える人々が顕在化しました。

③新たな生活の場での助け合いの仕組み作り=住民自身による自立支援を模索することの大切さ

 津波等で今まで住んでいた所から離れて生活することになった方々も多くおられます。従来の住民関係を維持できる方は、少ない状況でした。復興住宅に転居して安心した生活を送ることができたと思われるかもしれませんが、転居した途端、買い物の不便さに苦労し、日頃話すことができる人が少なく孤立状態に陥るという問題が新たに生まれることにもなります。

NHK2014年3月5日(水)放送分の記事を紹介します。
「支えあいの“縁”を創る ―石巻市・地域福祉コーディネーター―」の担当ディレクターです。
 地域福祉コーディネ―タ―の活動から、いま被災を受けた地域ではどんな支援ニーズがあるのか?そんな目線で取材に入りました。
 ほとんどの住民が家を失ってしまい、全壊を免れた23世帯だけが暮らしている門脇町。震災前は挨拶程度のつきあいしかなかったのに、今は住民自らがお茶会や体操教室などを行っています。釜・大街道地区では、高齢者や障害をもつ人たちが震災で助け合った経験から誰もが過ごせる居場所的なものをつくりたいと動き出していたり、自らの土地を提供して集会所を建てようとしていたり。地域を思って、住民自らが動き出している。そんな人たちがあちらこちらにいたのです。地域福祉コーディネーターは、「困っている人」だけを支援するのではなく、こうした地域にすでにあるもの、できていることを
地域の大切な資源として掘り出していきます。いずれ困ったときに支えてくれる人と関係を築こうとしているのです。取材中、地域福祉コーディネーターは、こうした住民さんたちの動きを「宝物」と言っていました。あくまでも地域の主役は「住民」。これから新しい地域づくりが始まるなかで、地域のことや人を思う気持ちが大切にされていることは、震災の地・石巻で希望の光を見たように思いました。

④継続的な心のケア=長期間の支援→すべての前提となる、地域関係、住民関係

⑤生活圏域における生活の必要な支援=インフラと生活基盤=買い物ができる場所・医療機関・移動手段等々のインフラは不可欠です。

⑥専門職への支援(燃え尽きる危険性・疲れ切っているし、自分も被災者です。また深刻化したニーズに日々対応しており、その苦労が蓄積していました)  ㋐バックアップ ㋑専門職の心のケア ㋒幅広い関係者のネットワーク ㋓支援する者の体力回復

以上の学びを通して、私が実感した被災地支援の原則をお伝えしたいと思います。

第1に、そもそも制度が、専門家が、事業者が、利用者、被災者の実像を見えにくくしていないだろうか。ならば、被災地では通用しない。生活者としての、住まい、仕事(産業)、援助(福祉)、生活環境、絆が、それぞれにあった自立の支援に結びつき、明日への希望と繋がる。

第2に地域の再生という視点からの復旧・復興が大切。全国各地で行われている「まちづくり」「福祉でまちづくり」と共通である。

第3に寄り添うケアの必要性。時を経て、状況が変わる。それぞれのニーズに対応していくこと。「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる」、すなわちサービス、援助の枠組みに被災者を当てはめるのではなく、被災者の実像に合わせたサービス、援助を組み立てるという原点に立ち返る。

第4に被災地で起こったこと、そして支援を忘れないこと。被災者も支援者も互いに理解し合うこと。学ぶこと。被災地支援は0か100ではなく、その間には99通りの支援がある。すなわち、支援をしない0ではなく、完璧に支援を行う100でもなく、100通りの支援がある。それは、地域活動の歴史そのものではないでしょうか。

以下、福島県の東日本大震災の記録、同じく岩手県、宮城県、石巻市の記録をお示しします。ご検討頂ければ幸いです。今後の能登半島被災地支援に参考になると思います。

福島県 

https://www.dropbox.com/scl/fi/yjnit81fyc6iu2ka8sgne/.pdf?rlkey=ht18t7vn1dq6w66s2szw8ik4e&dl=0

岩手県

https://www.dropbox.com/scl/fi/cf78w6ogdbt4d3vzmxj92/.pdf?rlkey=n0ddamux22toemkwzh4vt52hv&dl=0

宮城県

https://www.dropbox.com/scl/fi/cn607h8fyddz0m6oe66h9/.pdf?rlkey=p9251cnm9iywq3zwvsbvjok8v&dl=0

石巻市

https://www.dropbox.com/scl/fi/kcb406w6w24ikpmxpi28e/.pdf?rlkey=lhskh9nv5p5da3wxp6l2t83nq&dl=0

日本医療ソーシャルワーカー協会『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』

https://www.dropbox.com/scl/fi/62rt5oi5edutrv6fl6c8i/.jpeg?rlkey=c1e0ywbhd5b2dg6wh39684jyq&dl=0

Ⅲ)これからの能登半島支援を考える

 最初に申し上げたように、2024年1月1日に発生した能登半島地震から3ヶ月を過ぎましたが、依然、先行きが見えない状況にあります。崩れた家の片付けが終わらず、断水している多くの住宅があります。災害支援のために能登半島の各地を訪問し、先週金曜日に東京に戻ってきた災害支援の専門職は、「奥能登は、被災後変わっていない状況にある。水も通っていない。地理的問題があり、陸の孤島状態になっている。主要な道路が寸断され、南部が直って徐々に支援が繋がる状態。もしその道路が渋滞したら、食料を配布できなくなる。インフラの整備が今回の被災地支援を難しくしている」と。

今後、能登半島の特に奥能登でどのように復旧、復興をしていくのか、住民はどのように考えているのか、また長期の支援が必要となる中で、私たちがどのように応援していくことができるか、改めて考えてみたいと思います。

1.支援から協働へ

①災害被災地から学ぶ防災、応急措置、復旧

今は、どこでどのような災害が起こるか、分からない状況です。身近な行政、社協、社会福祉関係者、医療関係者も被災しており、自らの対応能力は限界があることは、阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災でも経験してきたことです。まず、身近な住民との助け合い、声かけや見守り等のネットワークの存在が不可欠で、震災前からのまちづくり、コミュニティづくりが大切になります。

確かに、地震等の自然災害が10カ所で起これば、10通り被害状況になり、地域の特性が大きな影響を与えることは言うまでもありません。しかし、それぞれの被災地で取り組まれている復旧、復興の支援を通して、自らがどのようなまちづくりをしていくのか、共通点も少なくありません。

②災害支援は、広域の視点で

災害は、被災地だけの問題ではありません。能登半島被災地支援の特徴の一つは、避難先が能登半島の領域、石川県の範囲に留まらず、被災状況によっては、一定期間、広域避難が必要になると思われます。被災地という地域に限定することなく、日本全国で被災地支援を考えるべきだと思います。福島のように、県外で生活している方々も少なくありません。避難場所の提供、避難してきた方々への支援等、支援の選択肢が増えています。

③全国各地に広がる孤立等の共通の問題に挑戦する

能登半島震災の問題は非常に深刻ですが、2月に開催されたある自治体の高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の最後の会議で、私は以下のように申し上げました。「人材確保、養成等に明らかな決定打を示せず、私は閉塞感を感じています。今、必要なことは3点。自らの取り組みを振り返ること、これからの地域、社会の姿を描くこと、協働した取り組みを目指すこと。委員の皆さんもその主体です。この有力な自治体でできなければ、どこの自治体でもできないと思います。」と。まちづくりの原点を学ぶ必要があります。それは、被災地の復旧、復興から学べます。

2.正確な情報のいかに迅速に、集約するかが今後も勝負です。

ニーズの統一的把握と管理を進めようと、石川県庁は取り組んでいますが、今後検証が必要に思われます。能登半島地震の被害状況、支援活動の情報は、市川が把握した限られたものですが、市川一宏研究室に掲載しています。把握がとても難しかったと実感しています。今後の課題です。

3.問題を共有し、それぞれの役割を合意し、計画として取り組みを明確化する。

私は現在、複数の都県行政、市町村行政や社協と関わりをもっています。いずれも、能登半島の被災地と共通の問題をもっており、被災地支援と各地域の孤立予防、災害対応のまちづくりの取り組みを互いに学びながら、まちづくりを進めていく必要があると考えています。

具体的には、地域福祉計画、地域福祉活動計画の策定において、被災地支援、被災地との具体的連携を検討すること。また高齢者保健福祉計画において、高齢者の孤立予防はもちろんのこと、災害時の対応について言及することが必要ではないかと考えています。

4.援助することはもちろん、援助を受けることに踏み込む。

 三鷹市社協の地域福祉活動推進計画2023では、実践目標6として、「市民と共に備えるまちづくり」を掲げ、具体的な取り組みとして以下3点を上げている。

⑴災害時に関係団体とスムーズに連携が取れるよう、地域の自主防災組織や関係機関、団体との連携を強化する。・災害ボランティアセンター設置運営訓練への参加を呼び掛ける。

⑵災害ボランティアセンターの運営協力者の養成と市民の防災意識の向上に取り組む。

①災害ボランティアセンター運営スタッフ養成講座や講座修了生の勉強会を定期的に開催する。

②市内で開催される各種イベント等で災害ボランティアセンターの啓発を行う。

  • 平時から防災の意識を高め、災害時の助け合いにつながる取り組みを行う。

①地域ケアネットワーク※18 等と連携した防災の取り組みや、災害時の安否確認・避難等を意識したほのぼのネットの見守り活動を推進する。

三鷹市社協では、計画を策定して1年を経過したので、その評価を踏まえ、取り組みを明確化する必要がある。

また、2024年3月の『東京都災害ボランティアセンター第3期アクションプラン(5か年中期実行計画)』では、「社会福祉協議会のブロック域をベースとした多様な団体との連携・協働を掲げ、「社会福祉協議会のブロック域をベースとして、多様な団体同士がつながり、災害に関する情報交換や合同の企画を行う場を継続的に持ち続けられる提案・調整を行う。

【具体的な取組み】

・社会福祉協議会のブロック域での多様な団体との連携・協働(第2期からの継続)

・要配慮者当事者/支援団体とブロック域団体との連携・協働

各種テーマに応じた広域の要配慮者団体とブロック内の社協・VC や当事者団体との意見交換の場を設ける」としており、実績もあるので、例えば、北多摩南部ブロックに属する三鷹市社協、小金井市社協、狛江市社協、調布市社協、府中市社協が連携して、災害ボランティアセンターの協働設置や、行政と連携した災害時の避難所運営等、具体的に検証することが可能性を検討してはどうでしょうか。

5.能登半島地震被災地支援で特に着目すべき点の検証

①災害派遣福祉チームの派遣がなされました。全国派遣としては初の試みなのですが、制度が確立したのは、熊本以来です。そもそもDWATとは、被災した特別養護老人ホームなどを支援するために編成された福祉に特した災害派遣福祉チーム、Disaster Welfare Assistance Teamのことで、能登半島震災では、DWATのコーディネートは石川県庁で、全社協(法人振興部)介護施設等の箱物への派遣支援を行ったと、私は聞いています。但し、今回の方が大きい被害で、その機動性が必要とされていました。そして今回、1.5次避難所の提案がDWATに入りましたが、DWATの職員、実働者が少ない現状であり、DWATの認知度が低い ことが指摘されています。今後の検証が不可欠であると思います。

 なお、2023年3月、富士通総研が『災害福祉支援ネットワーク、DWAT の実態把握、課題分析 報告書』を公表しています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/0a5k16acb4pqew1zyskrh/DWAT.pdf?rlkey=jof3rtzesb49va685uj87uqcf&dl=0

また、②迅速な行政職員派遣派遣、③ニーズの統一的把握(発災時のさいぼーずの資料で大規模の自衛隊の動向はつかめた、しかし、在宅に関しては?)、④支援者の役割分担(多くの家が倒壊して今回の地震では、瓦礫を片付けたりするNPO技術系の人材が、炊き出しに入らざるを得ない状況で人数が足りない等の情報もあります。https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73)

以上、可能な範囲で、情報を整理しました。改めて、私の思いを申し上げます。

2024年1月1日い起こった能登半島地震の被害は深刻で、日本中を震撼させました。それ以降、私は、なかなか掴めない被災状況を把握し、支援の可能性を模索するために、いろいろ関係者に問い合わせをし、多くの方にお伝えしてきました。限られた内容ですが。市川一宏研究室に掲載しています。

また、能登半島地震被災地支援を考えるために、今まで私が経験してきた東日本大震災被災地支援について整理しました。そこで確認できたことですが、今もって、何をすべきであったか、何が相応しかったか、絶対的な正解を見出しえなかったのです。試行錯誤の過程しか、お伝えできなかったことを反省するとともに、基礎的資料に関してご提示したつもりです。皆さんの参考になるなら、それはうれしい限りです。

また、被災地での経験が、今の私の実践と理論の源流にあるという事実を確認できたことは、私にとっては、有意義でした。そして、以下の結論に達しました。

今、福祉系の大学等教育機関に入学する学生が減少しています。そして社会福祉機関・団体が求人を出しても応募者が少ない傾向がみられます。しかし、ソーシャルワーカーを必要とする人々は確実に増加しています。この閉塞感を打開するために、生活課題に一緒に取り組み、学び、互いに励まし合いながら解決してきた卒業生、仲間と協働して、未曾有の危機に挑戦していきたいと思っています。その挑戦の一つの重要な手段として、能登半島地震被災地支援を行っていきたいのです。それが、私に与えられた使命です。神様に許される限り。

和田先生『地域福祉実践・研究のライフストーリー』

全社協の元事務局長であり、地域福祉学会の元副会長として全国の地域福祉の推進に大きく貢献され、またルーテル学院大学の現名誉教授として教育等に大きな働きをされた和田先生の本が出版されました。

出版に際しては、大橋謙策先生を中心に、越智和子(琴平社協元常務理事・事務局長)さんと日下直和(香川県社会福祉協議会事務局長)さんのご努力があったことは言うまでもありません。感謝申し上げます。

皆様も、どうぞ手に取って、貴重な地域福祉、社会福祉協議会の歩みをお読み下さい。

私の思い

卒業生、そしてルーテル学院大学・大学院関係者の皆様へ

                ルーテル学院大学

                名誉教授 市川一宏

 ルーテル学院大学は、2024年3月25日、2024年度の学生募集を停止する旨の文書をホームページに掲載しました。その知らせを聞いた今の自分の率直な気持を書かせて頂き、卒業生はもちろん、教会、後援会、関係学校、関係福祉法人、授業を聴講されていた方々、応援して下さった方々、すなわち関係者の方々にお送りさせて頂きます。

 ふりかえって、2020年のコロナ感染症の拡大によって、個々の学生に出会い、それぞれの成長を目指した教育を行ってきた本学は、遠隔授業に変更することを余儀なくされました。教育環境は劇的に変化し、それに適応すべく石居学長をはじめとする執行部、関係教職員は環境整備に全力を尽くして下さいました。それに応じて、教職員が協力して学生への授業等の支援を続けていくことができたのは、奇跡と言っても過言ではないと思っています。

 その後も、授業の工夫、本学の特徴である個別支援、受験生の開拓等と、石居学長を中心にした執行部、教職員、関係者の働きに対して、私は感謝し、かつ敬意を表したいと思います。そして、今の在学生一人ひとりが希望をもって学び、育っていくことができるために、精一杯バックアップをさせて頂きます。

 ただ、私は2002年より12年間、そして再任され2018年より2年間、合計14年間学長を勤め、経営責任を担ってきましたが、強固な経営基盤の大学を石居先生にお委ねできなかったことを、本当に申し訳なく思っています。深くお詫びいたします。

 さらに、長くルーテル学院大学の基盤を支えて下さった卒業生の皆さん、絶えずルーテル学院を支え導いて下さった後援会の方々、教会の方々、またいつもバックアップして下さった方々に、改めて心からお礼を申し上げます。おかげさまで、優れた教職職員の真摯な努力によって築かれた教育実績は、各分野で活躍して卒業生等が証明して下さっています。

 なお、学生募集は停止しますが、ルーテル学院大学はこれからも歩みを止めていません。現在の在学生の学びと成長の機会を提供していきます。どうぞ、在学生のために、また今後も指導していく教職員のために、お祈り下さい。

 また、今まで本学に40年間勤め、定年後も名誉教授として関わらせて頂いているルーテル学院大学、大学院、神学校において、たくさんの学生と出会い、一緒に悩み、明日の社会を描いてきた経験は、思い出として私の心に留まり、また卒業生同士の関係も、長く続いています。ルーテル学院は、私にとって、人生の原点であり、まったく異なる背景にある者たちが集い、交わる心のホームであり、定年退職した後も、立ち戻るふるさとでもあります。

 今、福祉系の大学等教育機関に入学する学生が減少しています。そして社会福祉機関・団体が求人を出しても応募者が少ない傾向がみられます。しかし、支援を必要とする人々は確実に増加しています。この閉塞感を打開するために、生活課題に一緒に取り組み、学び、互いに励まし合いながら解決してきた卒業生、仲間と協働して、未曾有の危機に挑戦していきたいという気持はまったく揺らぎません。皆さんも、それぞれの場で、また今までと同じように日々の生活を通して、ルーテルで学んだことを大切に、ルーテルのミッションを受け継いで頂きたいです。

 私は、これからも、ルーテル学院大学の名前を背負って、神様がお認めになる限り、踏ん張ってみたいと思います。

 大学の美しい中庭には、礼拝堂に向けて立てられたモニュメントがあり、そこには、私が困難に直面した時に、たえず立ち戻っていたルターの言葉、「自分のためでなく 隣人のために生きて仕える生に神の祝福があるように」と書かれています。そのミッションを掲げ、一緒に困難にある方々に希望を届けてまいりませんか。

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ひかりの学校からのお礼のメッセージ

私たちが応援していたひかりの学校(学校ホームページ http://hikarinogakko.blog.fc2.com/からメール届きました。掲載いたします。私が誇る卒業生の働きです。

ひかりの学校の高林真理と賢です。この度は「信州の特色ある学び~すべての子どもたちに教室を!プロジェクト床・壁・天井 編」に関する寄付と情報発信をして頂き、心より感謝申し上げます。

報告についての動画を作成いたしましたので、どうかご覧頂けますようお願い申し上げます。

動画リンク

能登半島被災地支援6(2024年3月26日)

私に届いた最新の情報をお届けします。

1.吉村誠司さんの活動

 能登半島被災地、特に輪島市で活動している吉村誠司さんは、FACEBOOKを開設しています。新しい現地の情報をお知りになりたい方は、どうぞコンタクトして下さい。

2.民生委員児童委員活動

3月13日に発信した都道府県・指定都市民児協宛のメールニュースとして公表しているもの全民児連事務局から頂きました。

https://www.dropbox.com/scl/fi/u7vlkb6guy4k0jqed3zeu/5.pdf?rlkey=kagwvvsh4qj9ap5adtaxs22lc&dl=0

3.東社協地域福祉推進委員会(令和6年3月8日)

各種別の部会から委員が参加している地域福祉推進委員会で把握した、能登半島地震をふまえた各部会で取り組んでいること

https://www.dropbox.com/scl/fi/dn4oss56vuled0shx76m6/3.8.pptx?rlkey=ftsd6rghrmnaeetccatpc02tt&dl=0

能登半島被災地支援5(2024年3月4日)

2024年1月1日に発生した能登半島地震から2ヶ月を過ぎましたが、依然、先行きが見えない状況にあります。また、どのような支援が可能か、適切なのか、能登半島、特に奥能登の住民の方々の要望にどのように応えていくべきか、気持はあるのですが、戸惑っているのが、私の正直な気持で、今できることをしている現状です。

そして、これからも続く能登半島地震の支援にどのように関わり続けていくか、私たちは、問われています。

他方、能登半島震災の問題は非常に深刻ですが、2月に開催された高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の最後の会議で、私は以下のように申し上げました。「人材確保、養成等に明らかな決定打を示せず、私は閉塞感を感じています。今、必要なことは3点。自らの取り組みを振り返ること、これからの地域、社会の姿を描くこと、協働した取り組みを目指すこと。委員の皆さんもその主体です。この有力な自治体でできなければ、どこの自治体でもできないと思います。」と。

私は、現在、複数の市町村、都府県の自治体や社協と関わりをもっています。能登半島地震の被災地と共通の問題をもっており、被災地支援と各地域の孤立予防、災害対応のまちづくりの取り組みを、互いに学びながら進めていく必要があると考えています。そして今は、どこで災害が起こっても不思議でない状況にあります。できることから始めていきたい。今後とも、いろいろ教えて下さい。

  • 2月末より、神奈川県のブロックで現地に派遣された卒業生からの情報

 発災より47日経過していたので、家屋の状況は発災時より厳しかなっている(段々傾いている等)というお話が被災された方々からちらほらと聞かれました。今後、大きい余震で倒壊しないか、心配です。

  • 今までお伝えしてきた吉村誠司さんの近況

実は右腕の肘に痛みがあり、片手で10トン爪ジャッキ(25kg)以上が持てなくなったので、輪島ベースを仲間達に託し、鍼灸院通いと家庭内雑務にて戦線離脱~(泣)。帰路、液状化被災地の金沢市近く内灘町を仲間案内で廻り石川県を離れたが、被害は予想以上にかなり深刻だった・・・

とフェースブックに書かれていました。心配して、私は以下のことを書き込みました。

 吉村さん、おはようございます。能登半島に真っ先に駆けつけ、以降現地で支援に取り組んでおられたので、体調に心配していました。まずは体調の回復に努め、今まで、そして今後求められるの実践を整理し、私たちに知らせて頂けませんか。私には、様々な情報が入っており、全国の友人に情報を提供しています。吉村さんの活動も伝えてきました。あなたの発言はとても貴重です。ちなみに、宮城県のI 市のAさんが現地に入っていると聞いています。

 これからも、応援して下さい。

3.長野県社協からの情報提供

『令和6年能登半島地震に係る支援方針』 長野県災害福祉広域支援ネットワーク協議会(災福ネット) 社会福祉法人長野県社会福祉協議会

https://www.dropbox.com/scl/fi/ci484elurdlwuz4l1fifm/13.docx?rlkey=i9a0tt9isqxgkvwotictp0fuv&dl=0

4. 『災害から地域の人びとを守るために=災害福祉支援活動の強化に向けた検討会報告書』全社協

https://www.shakyo.or.jp/bunya/saigai/teigen/20220331/index.html

5.ぼうさいこくたいポスター

https://www.dropbox.com/scl/fi/u9fub5s8gaggsiollou0r/.pdf?rlkey=tc4ccax3v7rfvxj38chxkglt6&dl=0

2023年度卒業式

 2024年3月7日(木曜日)午後2時より、2023年度卒業式が行われました。(https://www.dropbox.com/scl/fi/kpts7s630v3ewezvh69k8/P1180787.JPG?rlkey=33p5emhshqf5q50uorwevemac&dl=0)

 コロナの影響で、卒業生、保護者、教職員が集合して卒業式を行うは、4年ぶりのことです。そのことは、本年に卒業する学生が、たくさんの友人と出会い、社会での生活を経験する人生の貴重な学生時代を、コロナの影響で制限されたことを意味しています。

 ふりかえって、今回卒業した学生は、多くが2020年4月に入学した学生であり、大学は感染予防のために学生の学びを制限せざるをえませんでした。また授業ですが、全国の大学と同じく、本学も全面的に遠隔授業を実施していました。私事になりますが、それまでは、遠隔授業のやり方をまったく知らなかった私は、ZOOMのやり方から基本から学ばなければなりませんでした。2020年4月より学長は石居基夫先生になりましたが、私のような新たな授業のやり方を経験したことがなく、何もわからない教員に対するケアを行うと共に、学生への対応、遠隔授業の環境整備等を行う新執行部の苦労は並大抵ではなかったことを知っています。

 特に、学生自身も、今までは当たり前にできていた学生同士の日常的会話がなく、教員による個別アドバイスを日常的に受けられず、画面に映る講義を自宅で受けていた状況に、ストレスをもったことは容易に想像ができます。また本学の特徴ですが、登校日に教員の研究室のドアをノックし、授業のテーマだけでなく、自分の様々な悩みを教職員に相談し、再出発する機会も、当初は少なくならざるえない状況にあり、当時の新入生は、学びのモティベーションを維持することが大変であったと思います。また、学園祭、スポーツ大会等、集合して行われる催しも制限せざるを得ず、今までの卒業生が経験し、卒業後の強い絆となっていた学生同士、学生と教職員の身近な交流も影響を受けました。

しかし、卒業式の中で、そして式後の学生同士、教職員と交わす笑顔、記念写真の撮影等の姿を見て、彼らの卒業を心より祝福したいと思いました。ルーテル学院大学・大学院で学んだことを心と学びの蓄えとし、これからも自分なりの歩みを始めて頂きたいと切に願いました。

 最後に私がルーテル学院大学、大学院、神学校を巣立っていく皆さんに願っていることを書きます。

①専門職である前に一人の人間であってほしい、当事者の方々の可能性が見えてきます。専門職として、自分勝手に作る利用者像に来談者を当てはめないように。

②皆祝福されて命が与えられました。この事実に疑問を挟む余地はありません。当事者の方々が生きていく歩みを大切に支援して頂きたいと思います。

③自分の原点となることにたえず立ち戻る心のゆとりをもつようにして下さい。簡単に解決できることは多くありません。くれぐれも自分だけで抱え込まないように。孤立を防ごうとする人が孤立してはダメです。同僚、仲間、地域の関係者と協働した取り組みを目指して下さい。

④お金を失うと生活の危機、名誉を失うと心の危機、希望を失うと存在の危機と言われます。人と関わる専門職にお願いしたいことは、困難に直面する方々に希望を届けていただきたい。解決が困難な場合には、それに取り組もうとする当事者の方と共に歩んで頂きたい。問題の解決ができないと戸惑う専門職もおられます。しかし、私は、こう言います。「その方と繋がり、相談する関係ができていること自体、援助の効果だと思います」

⑤利用者を理解するエビデンスを把握してして下さい。レントゲンには心は映りません。その人を一面的にではなく、関わっている方々の情報を得て、その方の全人的理解を目指して下さい。

⑥優れた専門職は、自分の限界をよく知っている人です。繰り返しになりますが、ふりかえる心の余裕を失わないように。また支援に関わる方々と協働する方法を模索して下さい。

⑦今日は、スタートラインです。今日を,学びの、出会いのスタートにして頂きたい。

 皆様、私たちのルーテル学院大学、大学院、神学校の卒業生をどうぞよろしくお願い致します。

                         2024年4月9日

                         市川一宏

能登半島被災地支援4(2024年2月23日)

皆さん

こんばんは。

今日は、本当に寒い日ですね。被災地のことが心配になります。

さて、2月23日の段階の情報をお伝えします。私のお知り合いの方々にお助け頂き、お届けしています。支援の参考になればうれしいです。

1. 関東Bブロック社協に属する山梨から派遣された社協職員より

 羽咋市の講演に向かう新幹線に乗るために東京駅に着き、お弁当を買おうと食品コーナーを歩いていると、山梨県社協の方が声をかけて下さいました。2月8日から19日の予定で、能登半島被災地支援に入るとのことでしたので、現地の情報を教えて頂きたいとお伝えしました。お戻りになって、2月19日段階の貴重な情報を送って下さいました。本当に感謝しています。

「2月9日から始まったローラー訪問活動に携わらせていただきました。自らも被災された民生委員児童委員さんが同行してくださった地区もあり、改めて“地域を知り、地域の顔である民生児童委員さん”という存在を実感し、また、その関係性を大切にしながら活動している町社協の姿も見ることができました。民生児童委員さんが気になっているお宅から1戸1戸訪問をはじめ、ニーズ受付につなげます。不在の際は、訪問日を記入してチラシをポスティングします。

発災から1か月半、家族とともに片づけを続けている方、お宅の中を案内されると外観からは想像できないほど、全く片付けができていない方がいます。頑張り続けている方にはご家族以外も頼ってくださいと、片付けができず困っている方には手伝わせてくださいと、お伝えします。これは活動のほんの一部です。

派遣職員は町外者であり、いつでも見られているという意識を持っていました。不安な住民さん、警戒心を抱かれていることもわかりました。

被災された全ての方々が安心して暮らせる時まで、被災地を忘れず、その時できる活動を続けたいと思います。」

⇒私も同じ気持ちです。

2.埼玉県社協より

2/8~2/14まで石川県内灘町の災害VC応援派遣(関東ブロックA)に行ってまいりました。奥能登地方に比べ、内灘町はあまり報道されていませんが、町内の限定したエリア(埋立地を造成した)が液状化により酷い状況となっていました。赤紙の住宅も多く、プロボノ団体と一般ボランティアを組み合わせながら対応しました。災害VCには毎日、日替わりで民生委員が参加していただいており、現地の道案内や電話や面談時に被災者に寄り添っていただくなど、存在の大きさを感じました。

また、金沢市のホテルに滞在していましたが、二次避難者と思われる方が多くいて、精神的ケアなど行われているのか、非常に気になりました。

石川県には、まだまだ長期に渡る外部も含めた支援が必要だと思いますし、地元社協も頑張りどころだと感じました。

3.2月20日の情報(調布市社協から)

東社協から依頼はAブロックとして以下のような派遣スケジュールでのものでした。

<災害VC運営支援関東Aブロック職員派遣>

場所:石川県かほく市、石川県内灘町の災害ボランティアセンター 各2名

期間:1クール7日間(前泊後泊含む)

派遣予定スケジュール

第1クール 1/31(水)~2/6(火) 千葉県・千葉市

第2クール 2/4(日)~2/10(土) 群馬県

第3クール 2/8(木)~2/14(水) 埼玉県・さいたま市

第4クール 2/12(月)~2/18(日) 東京都(※)

第5クール 2/16(金)~2/22(木) 茨城県

第6クール 2/20(火)~2/26(月) 栃木県

これを受けて、調布社協から男性1名を推薦しましたが、東社協へは都内社協から全部で22人の推薦があったそうです。東社協で検討の結果…

 内灘町災害VC  調布社協  小平社協  

 かほく市災害VC 瑞穂町社協  東社協 が決まりました。

派遣の状況を聞きますと、内灘町の災害ボランティアセンターでは、民生委員等がキャッチしたボランティアニーズに対しボランティアコーディネートを行う活動を連日続けていたとのことです。

ニーズとしては液状化した泥のかき出しや、瓦礫撤去等のニーズが多かったようです。

内灘町は丘の上に新しい居住地が広がっており、丘の上に被害は一切みられておらず、一方、丘の下にある干潟に近い海沿いには古い民家が建ち並んでおり、今回の地震では、液状化により丘の下の古い民家の構造部が隆起や沈下により大きく破損しているようです。

内灘町に来るボランティアは県内よりも県外からのボランティアが中心になって、事前にグーグルフォームで申し込みの10人のボランティアとその日の飛び込みのボランティアが1~3人が活動するそうです。

「ワンチーム」という技術職の方々が、倒壊の危険の高い赤紙の家の中へ入って重機を使い大きな物の撤去等の作業を行い、次に一般ボランティアが作業できるようにしていたとのこと。