共助社会づくり

<卒業生>大江峻太さんの活動を紹介します

大江さんは、ルーテル学院大学で社会福祉を学び、卒業後、私が学長をしていた練馬パワーアップカレッジに入学し、2年間の学びを終えて、福祉教育の推進のための活動に従事しています。私は、彼の前向きな生き方に賛同し、大江さんを皆さんに推薦します。

彼は、以下のパワーポイントを教材に活動をしています。https://www.dropbox.com/scl/fi/t8wp4r0ynrtc5cgdmrdk6/2022.pptx?rlkey=zyu1qddi8bhrgpnc2xcjlkhs9&dl=0

以下、2024年1月26日下石神井小学校で行った授業のあらすじを紹介します。

大江 みなさんこんにちは!

スライド1 山内「私は介助ヘルパーの山内です。私は今日大江さんのヘルパーとして一緒に来ました。ヘルパーとは私のお仕事です。私はいつもヘルパーとして、大江さんの生活のお手伝いをしています。ヘルパーはお手伝いをするのが仕事ですが、私も大江さんに助けてもらっています。私はヘルパーになる前は別の仕事をしていました。コロナの影響でその仕事が出来なくなって困っていたら、大江さんのヘルパーとしてお仕事が出来るようになり、とても助かっています。それから、大江さんは私が毎日楽しくお仕事が出来るようにいつも助けてくれます。困ったことがある時は相談にのってくれます。一緒に美味しいご飯を作って食べたり、買い物に出かけたり、テレビを見たり、私たちは一緒に楽しく暮らしています。大江さんと私は、いつもこのトーキングエイドという機械を使ってお話をします。これからこのスクリーンにトーキングエイドの写真を映しますので見てください」

スライド2 山内「トーキングエイドは、口で話すのが難しい人が使う会話をするための機械です。大江さんがトーキングエイドを使ってお話しますので聞いてください。まず、“お”のボタンを押すと… “お”と言います。“は”のボタンを押すと… “は”と言います。そして、“よ”と“う”のボタンを押して… 最後に再生ボタンを押すと… “おはよう”と言います」

大江「おはよう」

大江 (トーキングエイドで)「私たちは、障がい、生まれた国など、いろいろなことに関係なく、みんな一緒に遊んだり勉強していけるといいなと思って活動しています。今日は私たちの話を聞いてください。よろしくお願いします」

山内 (繰り返し&補足)「そうですね。障がいがある人も無い人も、関係なくみんなで仲良くしようよ、というのが、大江さんがみなさんにお伝えしたいことです。みなさんは、もしかしたら自分と違う人や知らない人と話をする時に、少し恥ずかしかったり、困ったりすることがあるかもしれません。男の子は女の子と話すのが恥ずかしかったり、女の子は男の子と話すのが恥ずかしかったり、また大人の人や外国の人とどう話をすれば良いのか、困ることがあるかもしれません。話をしたことが無い人と初めて話す時は緊張することもあると思います。それでも、少し勇気を出して話をしてみれば、その人のことを知ることが出来、きっと仲良くなれます。それでは、ここからは、大江さんのお話を聞いてもらい、大江さんのことをよく知ってもらいたいと思います。質問コーナー車椅子説明

スライド3 山内「これは1才頃の写真です。我ながら、なかなか可愛い。赤ちゃんの時の一枚です。この頃、私は障がいがわかりました。生まれてこられた事に、とても嬉しさと感謝を感じています。母とお風呂に入るのが大好きでした」

スライド4 山内「小さい頃、千葉県の松戸に住んでいて、隣のアパートのチイちゃんとよく遊びました。砂場での一枚です」

スライド5 山内「ひとりで座れないので、特別な椅子で支えられています。みんなと同じように遊びたくて、なんでもチャレンジしてきました。噴水から流れた水を一生懸命、お皿に受け止めようとしています」

スライド6 山内「足の手術で入院中に一度家に帰った時、近所のサッカーチームの練習に入れてもらいました。仲良しのコウヘイ君が自分のユニホームを貸してくれました。後ろ向きの子がコウヘイ君です。コウヘイ君は私にとって初めての親友です」

スライド7 山内「保育園の学芸会も車椅子で参加しました。「ぞうのたまごのたまごやき」のにわとり役です。セリフもトーキングエイドで喋って、王子様役の子に車椅子を押してもらいながら舞台に上がりました」

スライド8 山内「保育園の友達と地域の小学校へ。入学式の写真です。いつもランドセルは車椅子の背中にかけていきました。どうしても保育園の友達と同じ学校に行きたくて、お父さんお母さんと相談して決めました。このあと地域の中学校、都立高校、そして大学へと進みました」

スライド9 山内「小学校の頃は、毎年 夏には海に行っていました。楽しかったな~。水の中は気持ちよく光がゆれて、身体も自由だったと思います。」

スライド10 山内「小6の時に友だちの家族とキャンプをしました。気分は一緒に木登りしています。保育園からの親友と夜はキャンプファイヤーやトランプが楽しかったです」

スライド11 山内「最後の写真は、大人になって成人式の時です。この頃はルーテル学院大学で福祉を学んでいました。福祉とは“みんなが幸せになれるよう”に取り組む活動のことです。 今は練馬を中心に小学校をまわって、障害のある人の暮らしを伝えるための活動をしています。障害のある子供もない子供も同じところで教育を受けて共に育つことを強く願っています。そして色々な人が暮らしやすい町を作れたら良いと思います。崚太さんの紹介はこれで終わりですが、最後に崚太さん本人からの言葉を聞いてください」

大江(トーキングエイドで)「私はずっと、まわりの友だちと、一緒の保育園、小中学校であたりまえに育ちました。そして都立高校、ルーテル学院大学へとすすみました。それは私の親や、その時支えてくれた人たちにとっても大変な道でした。でも色々な人がいる環境を過ごせたことが私自身の物の考え方や世界を広げたと思います」

山内(必要があれば繰り返し)「崚太さん、ありがとうございました。みなさんもしっかりお話を聞いてくれてありがとうございます」

スライド12 山内「次はみなさんに知ってもらいたい言葉があります。“ユニバーサル・デザイン”という言葉です。これから色々な例を出しながら、ユニバーサル・デザインとはどういうことなのか紹介します。まず始めに、この絵文字のようなものはサウンズアンドシンボルズといいます。先ほど少しトーキングエイドの話をしましたが、トーキングエイドで話すにはひらがながわからないと12言葉が喋れません。まだひらがながわからない小さな子供の時でも、伝えたい思いを伝えるのに、絵文字やシンボルマークなら伝わるだろうと、崚太さんのお母さんが見つけてきて、崚太さんと使いだしたのが、このサウンドアンドシンボルズです。うれしいって言うのはどれだかわかりますか?」

スライド13 山内「次にこれはトイレの写真です。小さい崚太さんがつかまっているのは、介助用のバーです。これにつかまれば安定して座っていられます。このバーは使わないときは跳ね上げて壁にくっつけておくもので、ほかの人がトイレを使う時でも邪魔になりません。これがあるだけで障がいのある人もない人も同じトイレを使うことができます。駅や公園によくある“だれでもトイレ”にはこのような設備があります」

スライド14 山内「小学校3年くらいから、お風呂に入るときにリフターという機械を使うようになりました。シャワー椅子という濡れてもいい布で作られた車椅子の座るところだけ持ち上げてそのまま湯船の中に入ります。ゆったり安心してお風呂につかれます。今も同じタイプのリフターとシャワー椅子を使ってお風呂に入っています。」

スライド15 山内「お風呂用のシャワーチェアとリフターです」

スライド16 山内「これは西武線の電車に乗るところです。駅の改札口で“○○駅まで行きたいです”と伝えます。そうすると駅員さんたちがいろいろ手配してくれてホームまでエレベーターを使って案内してくれます。予定の電車が来ると乗り降り用のスロープを出してくれて乗り込みます。降りる予定の駅には連絡がいっていて駅に着くとスロープを持った駅員さんが待っていてくれてドアが開くとスロープをかけてくれてスムーズに降りられます」

スライド17 山内「これは街中を走る低床バスです。低い床と書いて低床と読みます。バス停で車いすの人も他の人と一緒に待ってバスに乗れます。運転手さんがバスの低い床からスロープを出してくれて乗ります。崚太さんのお家は駅から離れているのでよく利用しています」

山内「サウンズアンドシンボルズ、だれでもトイレ、お風呂用のシャワーチェアとリフター、それから電車とバスを紹介しましたが、これらがすべて“ユニバーサル・デザイン”です。つまりユニバーサル・デザインとは、お年寄り、からだの不自由な人、妊娠している人、赤ちゃん連れの人、子ども、外国の人、色々な全ての人のことを考えて、みんなが使いやすいようにしようと考えることです」

皆さん今日は私達の話しを聞いてくれてありがとうございます。この街の中には身体に障害のある人、お年寄り、外国人の方など様々な人がいます。その人達それぞれがお互いを認め、手を取り合って暮らしやすい街を作っていけたらという思いで活動しています相手のことを知って違うことを認めて手を繋いでいく事が大切だと思います。皆さんもそんな街を作る仲間になってください。よろしくお願いします。

私は、大江さんの活動を推薦いたします。

なお、ご連絡は、talkingotoko@yahoo.co.jpのメールにどうぞ。

市川一宏

<卒業生>カゴノオト

98年に卒業した小清水緑です。高知県四万十町に移住してカゴノオトというお店をしています。四万十の農家さんから素材を直接仕入れ、それらを使ってお菓子にしています。

メインに作っているのはシュトーレンです。

大学に在籍していた4年間。クリスマスの前のきらきらするアドベントが大好きでクリスマスまでの期間が楽しみでシュトーレンというお菓子が大好きになったんですよね。四万十町に移住したら農家さんが果物や野菜を育てそれらがどんなところで育つのかがわかるようになり農家さんが育てていることがとても尊く感じました。そんな素材をフレッシュなまま買わせてもらいドライフルーツにするところから加工して1年かけてずっとシュトーレンを作っています。

そんな1年かけてつくってきたシュトーレンを発送しはじめるのはアドベントからです。買ってくださる方の1年と同じ時を刻んでつくってきたシュトーレンです。みなさんの1年を祝福し1年を思い出しながら召し上がってもらいたいなと作っています。

https://www.kagonote.com/p/item-detail/detail/i3.html

また今年は四万十のいちごと金柑、ゆずを使ったチョコレートシュトーレンも販売開始しました。

https://www.kagonote.com/p/item-detail/detail/i118.html

シュトーレンの他に通年でいつでも販売している色とりどりのしまんと果実タルトもあります。

https://www.kagonote.com/p/item-detail/detail/i20.html

作業の一部は障がいがある方にも担ってもらっていろんな人の手を経てお届けしています。こんな事業ができているのもルーテルで過ごした大切な4年間のおかげです。いつでもルーテルの存在を感じながら過ごしています。

カゴノオト

https://www.kagonote.com/

カゴノオトの理念  *できてもできなくても認められる社会に貢献する  *カゴノオトに出会った全ての人がカゴノオトに出会えてよかったと思える事業を展開する

<卒業生>長野県ひかりの学校の新たな挑戦

私が応援しているひかりの学校の新たな挑戦です。皆さんも、応援してくださいませんか。以下、いただいたメッセージを紹介します。

ルーテル学院大学の皆様

卒業生の髙林真理です。

皆様にはいつも私たち夫婦が運営するフリースクール「ひかりの学校」を応援していただきありがとうございます。

「ひかりの学校」がある信州安曇野は、秋から冬へ季節が移り変わろうとしており、朝晩の冷え込みがこれから来る冬の寒さを告げ知らせているようです。教室は薪ストーブで暖かいのですが、休み時間になると子どもたちは毎日外に出て鬼ごっこやサッカーをしています!みんな元気です!現在10名の子どもが在籍しておりますが、1人の子どもは東京の公立学校に復帰することができました。また4人の子どもたちが来年度から公立の小学校に復帰するための準備をしております。

昨年度、「信州の特色ある学び すべての子どもたちに教室を!プロジェクト床・壁・天井 編」で皆様からたくさんのご寄付をいただき本当にありがとうございました。

寄付募集期間が終了した後もひかりの学校へ直接いただいたご寄付も合わせると、合計1,067,080円という今までにない多くのご寄付が集まり、夫婦ともども驚きと共に感謝の気持ちでいっぱいです。

どこまでの予算で、どこまで改築工事をするか、どんな補助金が活用できるかなど…、SATO建築工房の佐藤さんと話し合い、今年10月から改築工事が始まりました。

以前動画でもお伝えしたように、2階建の倉庫は元々蚕が飼育されていた場所で、つくりが頑丈な何もない物置きでした。ひかりの学校の活動の一つであるダンス練習をするのに、教室では狭いのでその物置きに畳をひいてダンス練習をしていました。そんな場所が今着々と素敵なスタジオに変わりつつあります!!現在まだ工事中ですが、その様子を動画にいたしましたので、どうぞご覧ください。

また、今年度は、昨年度の第二弾「信州特色ある学び すべての子どもたちに教室を!プロジェクト塗装・流し・トイレ編」として寄付を募っております。水回りも完備できると、学校での宿泊学習も可能になります!親の会・地域交流会など様々な活動を広げることができます。

この文章を読んでくださった皆さんが、今年も寄付にご協力してくださることもとても嬉しいです。しかし一方で、全国で社会問題となっている不登校や発達障害の教育活動に取り組んでいる「ひかりの学校」のことを、「私が応援している施設に、協力をお願いできませんか?」とお知り合いの方に宣伝していただけたら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

髙林真理

https://www.dropbox.com/scl/fi/gir8pel1cgwh62gfelbcm/2024-10-17youtu.be.webloc?rlkey=1788iwh4z47tjo9y5203lh3yz&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/b47g9ojtme6iujyw2n8eh/.pdf?rlkey=8o7znxejha2wi6ar29znqrj71&dl=0

青山学院大学相模原校舎 メッセージ 2024年10月18日

『最も小さい者』

「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ第29章40節)

<東日本大震災発災時>

2011年3月11日14時46分、学長室で事務長と打ち合わせをしていた私は、強い地震に見舞われました。何が起こったかわからず、つけたテレビには、津波に襲われる東北の日本海側の惨劇が繰り返し映されていました。また続く余震に呆然としていた自分が思い出されます。しかしたくさんの学生、教職員が大学に残っていることを知り、我に返り、その晩を過ごす場所、食事の対応を始めました。また、その夜、被害に遭った市町村に住む友人に携帯で連絡をとりましたが、一切通じませんでした。連絡が入ったのは、それから5日後で、「先生、生きているから大丈夫。被害は甚大で、復興はたいへんだと思います。でも、頑張っているから」という友人からの電話に、ひとまず生きていることがわかり、思わず電話口で「よかった、よかった」と言っていました。

<被災地支援>

私は、翌月、海外の支援を受けて、教会関係者と宮城県に入りました。宮城県、福島県を中心に訪問しましたが、あまりに被災地が大きく、一人ではすべての支援は無理ですので、私は、死者・行方不明者が約4000人に達し、住まいや働く場所、学校や道路や港等が大きな被害を受けた石巻の復興支援に入ることを決めました。ボランティアとして、社会福祉協議会で仕事をさせて頂き、活動計画の作成、被災者の生活支援、現地のボランティア活動支援等をバックアップしました。その支援は2020年3月まで続きました。なぜなら、支援してきた団体が年々撤退していき、それを見送る人の気持ちを私なりに理解し、また完全に復興していない現実を無視できなかったからです。

<当初の戸惑いの中から生まれた明日への希望>

震災直後からしばらくは、何をどこからしたら良いのかわからずに、被害の大きさに圧倒されて、市街地を歩いていると、ある看板を見つけました。そこには、「始めることから始めよう」と書かれていました。また、石巻市を流れる北上川の河口から遡ること4キロ上流にあった大川小学校があります。津波は川を遡り、橋に堰き止められて戻ってきた津波の両方に襲われ、全校児童108人中死者64人、行方不明10人が犠牲になりました。夏には向日葵が飾られていました。その向日葵の意味を、ある時、知りました。「ひとつぶの小さな種が、千つぶもの種になりました。 そのひとつぶひとつぶが、 ひとりひとりの子どもたちの、 思い出のように思えました。また夏が来たら会おうね。ずっとずっといっしょだよ。」『ひまわりをうえた八人お母さんと葉方丹』親は、亡くなった子どもたちのことを忘れません。今は、震災遺構として被災した当時のままの建物が残され、伝承館が建てられています。このように、震災で家族や友人、そして家や生活基盤を失った住民の思いの出会うたびに、その悲しみに私の胸も掻きむしられました。

しかし、石巻には、全国から、たくさんのボランティアや支援者が応援に駆けつけてきました。石巻専修大学のグランドには、たくさんのテントが張られていました。医師や看護師、ソーシャルワーカーは避難所や、地域住民の支援にあたりました。自衛隊により行方不明であった方の発見も増えてきましたし、業者等によって壊れた建物は徐々に撤去され、道や建物が整備されてきました。その中で、自分たちで、コミュニティを再建しようとする、明日への希望を灯す地域の活動も生まれてきました。

<なぜ、被災地に心が向いたのか>

率直に言って、いてもたってもいられなかったから。今まで当たり前に思っていた生活を自然の猛威によって突然奪われ、また人間として当然の機会である学び、成長、安定等の機会と可能性を奪われた方々がおられた。「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ第29章40節)と書かれている方々に、私は『もっとも小さい者』の姿が重なったのです。そして、2、3ヶ月に数日現地で活動していましたが、今までの大切な絆を断ち切られ、悲嘆しておられる方々の存在を神が守ろうとその方のそばに立って私たちを招いておられると思いました。

<たくさんの学びがあった>

何度も石巻を訪問する中で、私は生きていくことの尊さ、その日々の歩みを学んできました。自らも被害を経験した住民やボランティアが、一人暮らしの方々が集まれる場を提供し、またCSC(コミュニティソーシャルワークコーディネーター=地域福祉コーディネーター)が配置され、当初の仮設支援に始まり、復興住宅支援、地域支援に関わりました。ちなみに、10数名いるCSCの半数は、県外から応募してきた方でした。。当事者が困難に直面して思わず後ろをふりかえった時に、このような悲しみに寄り添う方々が多数おられた。たとえ長い道のりでも、今を誠実に歩むこと、他者との絆を確認しながら、ひたすら今を生きていくことによって、明日が拓かれいくことに何度も出会いました。支援する者だと思って活動を始めた私ですが、石巻での支援を通して多くの方々に教えられたのでした。

<最も小さい者は、私自身でもある>

今、どこに地震や大雨等による洪水が起きても不思議ではありません。そして、引きこもり等の関係性の危機、貧困という経済的危機等が深刻化し、私たちは厳しい生活環境にに直面しています。私は、今でも複数の行政計画や地域活動に関わっていますが、解決する手段が見つからない困難さを感じています。そして、倒れている「最も小さき者」に駆け寄って助け起こしたら、その人は私自身であったことに、何度も気が付かされます。最も小さい者は、自分自身であることを知る時、そこに共感が生まれるのです。だからこそ、共にもっている痛みの共感から始まる地域を描いていきたいと思います。

<それぞれが、生きる道、生きていく道を大切に>

私は、いくつもの行政、社会福祉協議会、社会福祉法人等と関わる中で、3つの重点課題を言っています。①自らの働きを問い直す、②地域・地域ケアのあるべき姿を描く、③協働した取り組みを目指すです。その呼びかけ応えて、たくさんの方々が取り組んで下さっています。感謝です。

私は、講演や会議において、キリスト教のことを決して申し上げません。一緒に困難な生活課題に直面する方々を支援していこうとする気持が一致しているからで、それで十分です。ただ、私の生き方として、この聖句が根底にあります。

皆さんは、これからどのような社会を築きたいですか。どのような生き方をしていかれますか。私は皆さんに期待したい。その答えを求めて、さまざまなことに出会う機会を大切にしてください。

一本の木を植えなかれば、砂漠の緑化は始まらない。

★以上は、当初予定していたメッセージの元原稿です。ただ、私は、参加者の表情を見ながら、アドリブや内容を多少変更して話しますので、このままお話ししたのではありません。

『実践者・開拓者であれ!信州の地域福祉の歩み』(2023年)

みなさん

お元気ですか。

私も、年齢に相応しく元気にしています。そして、私は幸せ者で、今まで一緒に歩んできたたくさんの卒業生、友人がおります。その方々のそれぞれの思い、働きが今の福祉の取り組みを築き、さらに未来を切り開いていく原点になると確信しています。だから、今までの実践や実践者の思いを、歴史の中から掘り起こし、光を当てていきたいと思っています。

最近は、今まで一緒に地域福祉等の向上に挑戦してきた仲間と一緒に『人生100 年時代の地域ケアシステム―三鷹市の地域ケア実践の検証を通して』NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構(2019年)、『練馬パワーアップカレッジの歩み』(2019年)、『実践者・開拓者であれ!信州の地域福祉の歩み』(2023年)として、活動の思いと実績をまとめました。

今回、NHKの元記者であり、福祉や市民活動にとても詳しい町永さんが、『信州の歩み』のコメントをしてくださいました。町永さんの書評は、本を一緒に企画し、執筆した仲間にとっても、励ましになります。

皆さんも、よろしければ、お読みください。

長野の方々の熱い思いが詰まっています。

ちなみに、町永さんは私を評価して下さいましたが、私は呼びかけとバックアップしかしていません。主人公は、地域福祉を推進した当事者の方々です。町永さんが書いてくださった私の評価は、私にとって、過分なものと思っています。

どなたにも、今を自分なりに誠実に生きることによって、それが接木となって、明日が開らかれていくことに感動する時が必ず来ると思います。今の私のように。

PS.信州の歩みを企画し、自らも歩みを執筆し、本として完成させた仲間の一人が、この夏、お亡くなりになられました。素晴らしいソーシャルワーカーでした。本当に悲しいですが、彼女の思いは、必ずや後継者に受け継がれていくと思います。

練馬区木瓜の会公開学習会のお知らせ

10月11日(金)13:40~16:00(開場13:20)、練馬区ココネリ研修室(西武池袋線・都営大江戸線「練馬駅」下車)におきまして、練馬区木瓜の会公開学習会において、『ボケたっていいじゃない!~共生社会実践レシピ~』というテーマでお話をさせて頂きます。参加費は無料です。

「まちかどピクチャーズ」認知症があってもその人らしく活躍できる時代を目指して

私が、認定NPO法人市民セクターよこはまとお会いしたのは、2023年10月25日です。「ニッセイ財団高齢社会地域福祉チャレンジ活動助成」に申請され、選考の結果、認められ、選考委員の1人であった私が担当として、認知症カフェ動画プロジェクト「まちかどピクチャーズ」の応援をすることになりました。25日は贈呈式が行われ、訪問させて頂きました。

本プロジェクトの目的は、以下のように書かれています。

「まちかどピクチャーズ」は、今後2年間にわたって横浜市内の認知症カフェ等18か所を動画で取材し短編映像作品を制作し、どなたでも見られるようYouTubeで公開していきます。認知症カフェ等に行ったことがない人にも様々な取組みの様子を手軽に見てもらうことができます。また取材チームに認知症当事者の方が参加することは今回のプロジェクトの大きな特徴です。これは「認知症があってもその人らしく活躍できる時代」を象徴するような活動になることでしょう。

以下、ホームページに書かれていることを紹介します。私も、当事者の方がまちかどピクチャーズとして取材される映像を見て、単なる記録ではなく、血の通った心温まる思いを共有することができました。当事者が参加なさる意味を大切に、映像にして頂くことを期待しています。

動画はこちらから ニュース | まちかどケア (machikadocare.jp)

2024.02.15

音楽のある認知症カフェ「結うカフェ」 まちかどピクチャーズvol.1

音楽のある認知症カフェ「結うカフェ」 まちかどピクチャーズvol.1

認知症カフェをご存じですか?
認知症の人や家族、専門職だけでなく、どなたでも参加できる学びと交流の場です。ぜひ多くの方に参加してほしいと思いますが、でも知らない場所に顔を出すのはちょっと勇気がいるかもしれません。そこでまずは動画で様子を知っていただこうというのが「まちかどピクチャーズ」のコンセプトです。

お伝えするのは認知症の当事者を含む市民リポーターのみなさんです。未経験ながら練習を重ね丁寧で誠実な取材を心掛けます。
 ぜひ動画をご覧になり、取材チームの人柄も感じ取っていただければ幸いです。

今回「まちかどピクチャーズ」取材チームBのあさみさんと大塚さんが訪問したのは、横浜市泉区の「結うカフェ」です。その記録をぜひご覧ください。

まちかどケアYouTubeチャンネルからご覧ください。
https://youtu.be/MLcY0oJhF9Y

まちかどピクチャーズは「認知症の人と家族、地域住民、専門職等の誰もが参加でき、集う場」である認知症カフェ等を映像化し、その様子を広く市民の方々に知っていただくことを目的とした認定NPO法人市民セクターよこはまの活動です。2024年から2025年にわたり18か所の認知症カフェ等を取材し短編映像作品を制作します。
※当活動・制作は公益財団法人日本生命財団の助成を受けて実施しています。

また、この度、まちかどピクチャーズの記事が、読売新聞神奈川版23面に掲載されました。紹介させて頂きます。

まちかどピクチャーズのアクションを参考に、私も練馬区木瓜の会の公開学習会で話させて頂きます。テーマは、「ボケたっていいじゃない!~共生社会実践レシピ~」です。

民生委員・児童委員の選任要件に関する検討についての意見

 「令和5年の地方からの提案等に対する対応方針(令和5年12月22日閣議決定)」(地方分権提案)において、「民生委員児童委員の選任要件(民生委員法6条1項及び 児童福祉法16条)の緩和については当該市区町村に居住しない者を民生委員児童委員として選任する上で参考となる地域の実情等を調査した上で、地方公共団体、関係団体等の意見も踏まえて検討し、令和6年度中に結論を得る」ことを目的に、厚生労働省に民生委員・児童委員の選任要件に関する検討会が設置され、2回の会議が行われました。第1回は、論点を整理し、第2回は各団体より提案が出され、今後のとりまとめが行われる予定になっています。

 ただ、民生委員児童委員の居住要件緩和等については、いずれの団体も民生委員児童委員制度の堅持、強化を目指しており、その提案には首肯できる点も多くみられるものの、賛成と反対の意見がはっきり分かれました。そこで、ある都道府県民生委員児童委員の団体の役員の方から、私に意見を聞いてみたらとの推薦を受けたそうで、東京新聞の記者の方より問い合わせがありました。以下は、その質問に対する私の回答です。

質問⑴今回、検討委で議論している居住要件の緩和について、どのようにお考えになりますか?

①改選前の時期にあって、担い手不足を解消する一つの有力な方法であることは了解できます。

②居住要件を変更しようとする提案の根拠も基本的にはわかります。確かに、地域の住民関係は希薄化しており、地域が激変しているのも事実です。ただ変更を提案している地域福祉モデルは、現実に民生委員児童委員の方々が取り組んでいる伝統的な地域福祉モデルとは、異なっていると思います。あらゆる方法が可能であるということではないと思いますので、どのような地域ケアを目指すのか、議論が大切に思います。

③他方、居住地要件の緩和に対して、民生委員児童委員活動の根幹を揺るがすものであるとの反対も、十分理解しますし、説得力があると思います。今まで民生委員児童委員の確保のために取り組んできたこと、その課題、それを解決する方法を提示している報告も多数見られ、今後の議論の展開に寄与すると思います。

④また、私が研修や委員会等で関わらせて頂いた県民児協に問い合わせしましたが、今回の議論に対して、明確な意見表明ができていない県民児協も少なからずありました。しかし、各会長さんは、民児協に所属する委員の方々との合意形成を大切に単位民児協を運営しており、法改正により全国に網をかぶせ、従来の働きを損ねるような提案にならないように、配慮して頂きたい。

⑤今までの私の経験として、行政主導で制度設計をしても、今までの地道な活動が壊されてしまう危険性があります。そもそも民生委員児童委員に欠員が出ること、またなり手が少なくなっていることは、民生委員児童委員の問題というよりは、地域の問題です。原点は、地域の関係者が、民生委員児童委員に何を望み、どのように協働した取組ができるか、同じテーブルで話して頂きたいと思っており、選出方法の議論だけが先行しても、あまり生産的ではないと考えます。そもそも居住要件が緩和された民生委員児童委員が孤立してしまう危険性すらあると思います。

質問⑵民生委員制度で課題となっている定員割れを解消するためには、今回の居住要件の緩和以外に、お考えになる対策などはございますか?

今回、私が関係している都府県民生委員児童委員協議会等の担当者から意見をお聞きしましたので、検討会の議論との重複を恐れず、要約を以下に書かせて頂きます。なお、これらは、各組織の決定ではありませんこと、お忙しい中現状をお知らせ頂きましたことを改めて申し上げます。

ア民児協:担い手確保の課題としては、民生児童委員の役割や活動内容を地域住民の皆さんに広く、正しく知っていただくことが必要と思います。何をやっているかよく知らないまま、大変そうだと避けられていると思います。また、N県は、定員の充足率は全国的に見て高いですが、委員の再任率が低い(1,2期で辞めてしまう)ことが課題となっています。実践に至っていないものも含め、必要な対応として、以下のようなものが挙げられています。

ⅰ) 業務負担の軽減、働きながら委員を続けられる環境づくり

❶活動範囲、役職の明確化 、❷あて職の削減、❸関係機関との連携体制の構築、❹ICTを活用した負担軽減、❺民生委員に対するイメージの改善

ⅱ)資質向上のための研修

新任委員が早くからやりがいを感じ、民生委員を続けたいと思えるように、資質向上のための研修の充実

ⅲ) 民生委員の活動を支える体制づくり

❶民生委員が必要とする個人情報を行政・関係機関が提供できる体制の整備、❷民生委員の悩みや相談に対する相談支援体制の充実、❸民生委員同志の交流、仲間づくりの場の提供

イ民児協:今年に開催されたブロック民児協会長等会議時の資料「次期一斉改選を控えて~新たななりて確保への取組み~」部分の抜粋です。あくまで、このような意見があった…ということで、統一見解とまでは至っておりませんのでその点は御承知ください

〇委員活動のPR(委員活動の魅力、やりがいを伝え、なり手確保につなげる) 〇一斉改選期に向けた早期の人材の掘り起こし(選考開始時期の前倒し) ○地区内の福祉関係施設(職員)に民生委員と同等の役割を持たせる制度の導入について 〇原則75歳以上となっている年齢要件の緩和について

ウ民児協:推薦母体の拡大(町会・自治体推薦の限界)、民生委員推薦会の実効性ある委員構成と推薦準備会の有効活用(推薦会自体の形骸化)、後任者探しへの行政のコミット(委員任せにしない)など。委員(民児協)側としては、続けやすい(辞めさせない)工夫として「班(チーム)体制の推進」や「コーチ制やメンター制の導入」など。またリモート会議や会議のアーカイブ配信のほか仕事をしながらでも活動が続けられる民児協としての体制づくりなど。さらには活動しやすい環境の整備(普及・啓発や民児協事務局のサポート)や力量の向上に向けた研修の充実、強化、利便性の高い受講形式の提供など。

エ民児協:研修での呼びかけ(民生委員を継続してもらえるよう無理のない活動を心がける等)、年齢要項緩和の要望をしております。

オ民児協:ご質問の件ですが、居住要件の緩和については、O県の民児協としてまとまった見解がないのが現状です。O県域では、今回の検討状況について市町村民児協の会長さんとも情報共有を図っていますが、「賛成」「反対」等の意見は特にだされておらず、動向を注視している状況です。私個人としては、委員が隣の市町村に引っ越した場合でも、残りの任期を引き続き全うできる仕組みをつくっておくなど、一定の条件のもと要件緩和することは、委員選出の選択肢を広げることになるのでは、との考えもあります。ただ、「その地域に暮らしている」ことが、民生委員が民生委員である最大の強みでもありますので、「それなら他のボランティアやNPOに委託すれば?」との議論にもなってくるとも思いますし、当事者である民生委員さんに強い抵抗感が生まれることも理解できます。100年超という歴史ある制度をどう守り、発展させていくのかは、非常に難しい問題ですね。また、他に有効な担い手確保の手立てですが、前から言われている「認知度の向上」「やりがいが実感できる環境」「証明事務等の負担軽減」に加え、「働きながら活動できる環境・風土づくり(ICT活用、定例会の工夫等)」、「協力員制度、班制度」での助け合いの土壌づくりなどに加え、地区ごとに「推薦準備会」を作って地域の幅広い関係者にメンバ-となってもらい、地域のなかで委員選出をする仕組みが有効ではないかと思っています。

現在、自治会を主な選出母体としている市町村が6割程度ありますが、自治会の組織率や加入率が低下するなか、自治会だけに頼ることには限界があります。O県内では、3つの市町村で準備会の仕組みをつくっており、研修などでも今後発表をお願いしているところです。以上、所感及び現状をお伝えさせていただきました。

カ民児協:今回、検討委で議論している居住要件の緩和について、どのようにお考えになりますか?→・現時点では、居住要件の緩和は難しいと考えます。理由)住民や自治会から承認や推薦が得られるか、自治会と密な連携が作れるか。夕方以降や休日の会合や役員会、イベントに参加が可能か、等などの理由が多数あり

・民生委員制度で課題となっている定員割れを解消するためには、今回の居住要件の緩和以外に、お考えになる対策などはございますか?→・上記の居住要件の緩和は難しい問題ですが、今後はこの議論も必要と考えます。民生委員活動(の7つのはたらき)の細分化や役割分担をして、企業や地域(商工会、青年会議所、業種別団体等など)、学生などの他分野の人達に民生委員のサポーターになってもらい、できる仕事を担ってもらうことができれば・・・。・我が県では、欠員の地域もチームワークや「おたがいさま」の心で、何とか乗り切っていますが、これをいつまで続けることができるかわかりません。

質問⑶ここまでの検討会の議論を踏まえ、検討会は今後どのように議論を進めて行くのがよいか?どのような点に気を付けて、議論を進めて行くべきか?

 今は、同検討委員会で互いの基本的な考え方を出し合った段階で、大切な委員会のプロセスだと思っています。そして、委員会において、民生委員児童委員制度を強化していく機会が提供されていると考えています。ただ、民生委員法改正ありきの議論は、検討の趣旨を逸脱してう危険性があります。民生委員・児童委員のなり手を確保するために、また日頃の民生委員児童委員活動をバックアップする仕組みをどうしたらいいのかという本来の議論に戻って頂くことは可能でしょうか。

①そもそも孤立や生活困窮の問題の深刻化、拡大化に伴い、行政だけで問題を解決できない現実がはっきりと見えてきました。

②私は、3区市で介護保険事業計画、高齢者保健福祉計画の策定に関わっていますが、孤立への対応、解決が難しい問題の拡大等に対応する決定的な手段を見出していません。同時に、協働してケアにあたる民生委員児童委員の役割が変化してきたと考えています。どのような地域、地域ケアを目指すのか、また民生委員児童委員の働きを再検証すること、協働した取り組みを目指すことという3つのアクションが各自治体に問われていると考えています。

③民生委員の役割を軽減させるとは、・互いの役割を理解して、協働した取り組みを実践すること、・行政や専門機関が活動をバックアップすること、・民生委員児童委員の優先的役割の明確化すること、等多様です。 (大阪府民生委員児童委員協議会連合会『民生委員・児童委員のお悩み解決!方面道場(基礎編) (応用編)』より)、❶見守り訪問の際、話が続かない。 ❷見守り訪問などで「民生委員の○○です」と訪ねても、受け入れてもらえず、玄関先で追い返されたり、民生委員の関わりを拒否されてしまう。 ❸前任の委員が辞めた後、十分な引き継ぎや研修が無く、委員として何をすればいのか、どうすればいのかが分からない。❹ひとり暮らし高齢者から、ゴミ出しや電球の交換、庭木の手入れなどを頼まれてしまった。❺生活に困窮した対象者からお金を貸してほしいと言われた。❻ひとり暮らし高齢者が倒れ、救急搬送されることになり、救急隊員から「救急車に同乗してほしい」と言われた。❼支援を必要とする人々の個人情報が行政、関係機関等から民生委員に適切に提供されないことがある。❽近隣住民から、頻繁に親の怒鳴り声、子どもの泣き声、大きな物音が聞こえると連絡があり、様子を見ているが、緊急性は無いようにも見える。児童虐待として通報すべきか、しばらく様子を見るべきか。❾近所の方から最近対象者を見かけない、新聞が溜まっていると連絡があった.ドアや窓ガラスを壊して確認すべきなのか、等の活動における問題が明らかです。統一的見解は出されていると思いますので、各地域で確認して頂きたい。

④私は、『単位民児協運営の手引き[令和4年3月版]』(全国民生委員児童委員連合会)に書かれているように、民児協は「垂直型」の組織(上意下達型の組織)ではなく、会長等を含め、すべての委員が対等な立場で活動に参加する「水平型」の組織であることを意識し、お互いを尊重し、自由に発言できる民児協運営を意識し、以下の役割を担うことを期待しています。

一 民生委員が担当する区域又は事項を定めること。 二 民生委員の職務に関する連絡及び調整をすること。三 民生委員の職務に関して福祉事務所その他の関係行政機関との連絡に当たること。四 必要な資料及び情報を集めること。五 民生委員をして、その職務に関して必要な知識及び技術の習得をさせること。六 その他民生委員が職務を遂行するに必要な事項を処理すること。

 この基本的役割を遂行できるように、行政・社協担当者も役割を明確にして頂きたい。

⑤居住要件緩和がありきでなく、出された意見聴取検討課題の全体像と討議スケジュールを明らかにすること。そして改革を進めることによって生じる危惧に対して軽減する方法を具体的に討議すること、そして軽減する場合には、全国に網を被せるのではなく、特例を設けて施行して、評価する期間を設けることが大切だと思いました。

第12回21世紀キリスト教社会福祉実践会議大会

21世紀キリスト教社会福祉実践会議は、①超教派の立場から、さまざまなキリスト教主義社会福祉団体の連携をはかり、協働して、きたるべき将来のキリスト教社会福祉の展望を切り開いていくこと。②各キリスト教主義社会福祉施設および団体に働くキリスト者の育成と支援をはかること等を目的に、1998年に創設されました。毎年代表者会議を実施し、2年に1回、大会を実施てきており、第11回まで、教派を超えた団体の協力によって、実施されていました。しばらくコロナ等の影響で中断しておりましたが、本年は、「誰が隣人になったと思うか?〜ともに生きる関わりを求めて」をテーマに、第12回大会を企画いたしました。

日時は、2025年 2月22日(土) 9:30〜16:00、会場は湘南とつかYMCA 

戸塚駅徒歩5分です。

どうぞ、ご参加ください。お待ちしています。

市川一宏

第3回地域福祉を推進するルーテル学院大学卒業生の集い・希望の会」研修会

8月24日(土)、第3回「地域福祉を推進するルーテル学院大学卒業生の集い・希望の会」が行われました。当日は、大学を会場にして35名、zoomで11名、合計46名の卒業生、教員が集まりました。

→集いチラシ

→研修参加者の声