共助社会づくり

東日本大震災被災地支援から能登半島被災地支援

東日本大震災被災地支援から学ぶ能登半島被災地支援

2024年1月1日、16時10分、石川県能登半島で起こった地震は、マグニチュード7.6に達し、以降連続して地震が頻発し、能登半島、特に北部の奥能登の被害は甚大でした。地盤の液晶化や地震による家の崩壊、津波、地盤隆起、また一部地域における大規模な火災の影響は大きく、全国から被災地を応援する取り組みは広がっています。しかし、道路や水、ガス等のインフラの被害により、特に過疎地帯の被害の現状が分からず、私は、たくさんの方々から情報を提供して頂き、皆さんに提供させて頂きました。その状況は今も多くの地域で継続しており、道路や水道の普及というインフラ自体の問題が解決しておらず、ボランティアによる支援自体にも、困難な状況にあります。

そこで、私が関わらせて頂いた東日本大震災被災地支援を振り返りながら、私の意見をまとめていきたいと思います。

Ⅰ)2023年における福島県社会福祉大会、石巻ブロック民生委員児童委員大会を通して、学んだこと。

福島県社会福祉大会

 11月17日(金曜日)、福島市のパルセ飯坂において、福島県社会福祉大会が開催され、私は、「地域共生社会づくり」をテーマに講演させて頂きました。前日、30年近くの旧友である県社協の友人と一緒に食事をしました。友人とは、社協の管理職研修、社会福祉法人の生涯学習研修、ボランティア・コーディネーター研修等々を企画し、実施してきましたので、私にとって福島県の地域福祉、社会福祉の原点をふりかえった学びの時であり、今までの活動の意味と反省点をふりかえる確認の時を持つことができました。

なお、2011年3月11日の東日本大震災の影響は、今も残っています。改めて、講演をさせて頂き、私が学んだことを述べさせて頂きます。

災害は、被災地だけの問題ではない。

現在も、たくさんの福島県民が、県外で生活しておられます。2011年当初、<「仮の生活」「仮の人生」はない。「被災者なんだから」という考えは、「高齢者なんだから」「障がい者なんだから」という考え方に通じる。>と、2011年の発災後に訪問した東北厚生局の対策責任者であった藤木則夫さんよりお聞きしました。私は、藤木さんの発言と行動力に強い共感を覚えたことを思い出します。

 福島県社会福祉大会講演

私は、原発事故の結果、計り知れない被害を受けている福島県において、どのような講演ができるか、正直迷いました。でも、私自身の問題認識にこそ、問題があると思いました。多くの住民の方々は、どのような地域をつくろうか、実際に行動を起こしておられる。そして、希望を捨てておられない、その事実に敬意を表し、それをバックアップできるよう、精一杯自分の経験と知識を用いて、地域福祉活動の今日的意義をお伝えしました。

最後の拍手の大きさ、力強さ、そしてお帰りになる際の皆さんの反応を見る限り、参加した多くの方々のご期待を裏切らなかったと思いました。毎回チャレンジですが、私の講演を通して、住民活動が活発になるならば、それは私の本望です。

以下、会津若松市社協のホームページに書いて頂いた大会の報告をお示しします。

「11月17日(金)、第77回福島県社会福祉大会が福島市のパルセ飯坂で行われ、本会会長、理事・監事10名、受賞者5名、事務局2名の合計17名で参加しました。授賞式の前にはルーテル学院大学名誉教授である市川一宏氏による記念講演が行われました。

「地域共生社会づくりに向けて」と題して、さまざまな事例や体験談を紹介しながらユーモアたっぷりにお話され、参加された皆さんは熱心に聞いていました。

授賞式では、傾聴ボランティアの鳥塚冴子氏が福島県社会福祉協議会会長表彰の代表受賞を務められました。また、一箕小学校の生徒さんが赤い羽根共同募金運動のスローガンを発表するなど、会津若松市の方が大変活躍されていました。」

石巻ブロック民生児童委員連絡協議会(石巻市・女川市・東松島町)講演

2023年11月15日、石巻市民生委員児童委員協議会会長の蟻坂さんのご依頼を受け、講演をさせて頂きました。内容は、新聞に書かれている通りです。

私と石巻市社協との関わりは長く、深く、地域福祉活動計画の作成、実施、ボランティアセンターの立ち上げ、社協の組織強化のための研修等々の取り組みは、私の研究、実践の基礎を作ったという意味で、私にとって貴重な体験でした。親友の渋谷秀樹さん、遠藤正之さん、門間ひとみさん、千葉和宏さん、阿部由紀さん、峯田貴博さん、髙橋了さん、内海信康さん、小松龍哉さん等と議論を重ね第2次地域福祉活動計画を策定しました。またその後も伊藤勝弘さん、工藤雅弘さん、そして大槻英夫会長にはお世話になりました。石巻市社協の方々から学んだことは、40年間勤めたルーテル学院大学の最終年に『研究の足跡』としてまとめてあります。どうぞご覧下さい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/edm0g40nhpqhudpuivrml/.pdf?rlkey=xmpnmuh69x95588vn4h9wn6jc&dl=0

支援から協働へ

今回、石巻を訪問し、復興住宅での孤立の問題が深刻化してること、防波堤や、居住地域の底上げ、環境整備を進めてきた地域での人口減少が顕著になっていること等の課題をお聞きしました。昨年作成された第4次地域福祉活動計画では、「本市では、今後も人口減少が続く一方で、高齢化率の進行とともに、単身高齢者数についても増加 すると見込まれます。市民アンケートからは、地域の希薄化が進んでいることがうかがえ、更には、コロナ禍によって、地域の交流が図りにくくなっており、社会的孤立やひきこもりとなる市民の増加が危惧されます。また、近年では地域における課題が複雑化・複合化し、従来の「縦割り」による制度では解決が難しい状況となっており、市民、地域、関係機関、市(関 係各課)の連携がこれまで以上に必要となっています。」と課題が明記されています。

私は、2011年から被災地を訪問し、その間、以下のことを感じ、学びました。「まだ瓦礫が片付かず、生活の拠点を失った方々の生活の場が築かれていない現実、支援が遅れている現状をつぶさに見てきました。また、徐々に支援団体が撤退していく現実に、寂しさを感じました。しかし、自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、本当に求められていると思いました。復旧に3年、復興にさらに3年と言われていますが、その過程で明日を目指して、被災地で生まれた「希望の光」と共に歩みたいと強く思いました。そして、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。私は、その基盤を築き、若者たちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと再度思いました。」

この文章は、石巻市に来て、2013年に石巻市地域福祉活動計画の作成にアドバイザーとして関わり、その後、ボランティアセンターのアドバイザーであった2015年頃に書いたものです。私は、2020年3月に社協と行政の地域福祉アドバイザーを終えましたが、その時までずっともっていた私のモットーでもあります。

そして今、私は思っています。石巻が直面する生活課題は、日本全国で課題となっていることで、東京においても顕在化しています。ならば、互いに地域づくりを学んでいく。そして過酷な震災の被害に直面した石巻から、復旧、復興の歩み、すなわち地域づくりの歩みを学んでいくことが必要と私は考えています。

Ⅱ)東日本大震災から、学んでいること

地域づくりの原点を学ぶ

被災間近の混乱をふりかえる

発災後すぐに石巻を訪問しましたが、たくさんの家が津波にさらわれ、その跡の町の姿は、衝撃でした。またビッグバン等の緊急避難所を訪問して、そこで不自由な生活をしている方々を知り、心を痛めてきました。発災当初の被災地は、私自身の日常生活とは違い、支援に取り組みながら、心は絶えず興奮状態にあり、東京に戻ってクールダウンをする必要があったことを思い出します。当時をふりかえり、私が学んだことを整理したいと思います。

①行政、社協、社会福祉法人も被災していること。多数の石巻市職員が亡くなられました。社協は10名近くの職員や家族が亡くなられていました。行政として、社協として、十分な役割を担えない現状を支援することが重要となり、社協に関しては、全国から社協職員が応援に駆けつけていました。

なお、被災者の生活を支援するために緊急の生活福祉資金が始められ、たくさんの申請者が社協の窓口に殺到し、それに対応する現地の社協職員をサポートするために、応援に入った多くの社協職員が関わることになり、被災者の地域支援まで手が回らなくなりました。また地域支援に関わった派遣社協職員は、被災している社協、住民を励ましたが、本当に支えたのか、自分たちの今までのやり方を押しつけたのではないか、評価と課題があったことは明記したいと思います。

②伝わらない情報、手段がなく伝えられない情報→「広島の中学生」

ITmediaニュース 2012年03月06日 10時37分 更新 震災直後、NHKニュースを無断でネットに流した広島県の男子中学生(15)産経新聞

 3月11日の東日本大震災発生直後、大津波警報が赤く点滅するNHKのニュース画面を見ながら、広島県に住む中学2年の男子生徒=当時(14)=は「この画面をネットに流したら、助かる人がいるんじゃないか」と考えた。

 その瞬間、脳裏を懸念と不安が駆け巡った。「相手はNHK、あとでどうなるか」。手持ちのiPhone(アイフォーン、高機能携帯電話)を使って動画投稿サイト「ユーストリーム」で配信した経験もほとんどなかった。しかし、母親が阪神大震災の被災者だったことが、少年の背中を押した。「今、東北には自分よりも不安を抱えている人がものすごい数いるんだ。自分がやらなければ」

 配信を始めたのは、最初の大きな揺れから17分後の午後3時3分。ミニブログのツイッターを介し、「ユーストリームで地震のニュースを見られる」という情報は、またたく間にネットを駆け巡った。

 配信に気付いたユーストリーム・アジアの担当者は迷った。明らかにNHKの著作権を侵害した「違法配信」だ。普通は直ちに停止する。だが、停電などでテレビを見られぬ人には貴重な情報源ではないか。この状況を出張先の米国で知らされたユ社の中川具隆(ともたか)社長(55)は、午後4時ごろには、「われわれの判断で停止するのはやめておこう」と指示する。NHKの要請があった場合のみ停止する。中川氏は現場にそう伝えた。ツイッター上ではNHKの対応にも注目が集まっていた。NHKの番組宣伝を行う公式アカウント「NHK−PR」は、顔文字やユーモアを交えた「つぶやき」でツイッターの世界では有名人である。そのNHK−PRが午後5時20分、少年の無断配信のアドレスを、自分のつぶやきを読んでいるフォロワーに紹介した。そして、こう書いた。「私の独断なので、あとで責任は取ります」

襲い来る津波の情報が届かず、逃げ遅れた人々がいました。情報は迅速、明快、正確であることが必要です。

津波に襲われた地区に建てられた看板(がんばろう石巻)

③全国から届けられた緊急物資についての混乱

直接、たくさんの物資は届けられ、たくさんの人を救ったことは事実だと思います。しかし、実際には届かなかった避難所もあったそうです。また、緊急物資の品質が悪く、本来支援に回るべき人手が、送られてくる物資の整理に追われました。さらに刻々と変わる現場のニーズをどのように把握して、支援するのか、課題と感じました。

私にも、避難所における介護職員、看護職員が必要だという連絡が何度もありましたし、要望は刻々と変化しました。春になり、また夏を迎え、着るもの、必要な日常品、食料の内容をどのように把握し、送るのかが課題でした。また現地の農協倉庫に米があるにもかかわらず、活用されなかった等の混乱もあったと聞いています。

④現場を混乱させるボランティア

被災地の3月は、時にとても寒い。私も冬に石巻に行き、氷結した道路で何度も滑りましたし、防寒のために厚着の洋服を着ても、時に吹き荒れる風で体温を奪われる時もありました。当時、寒さ対策を十分せずに思いつきで被災地に入り、皆が避難している避難所の助けを求めてきた複数のボランティアがいたと聞いています。また、発災時の2,3ヶ月は、駆けつけるボランティアの方々への対応に現地の災害ボランティアセンターは追われました。多数のボランティアが来られるので、その方々に対応し、活動場所を調整することが必要になります。当然、現地の社協だけでは限界があります。石巻市社協では、ルーテル教会からの派遣ボランティアがセンターの受付窓口に立って調整に協力しました。

⑤地域における見守り等の活動をしていた方も、自分で自分や家族を守ることが優先されます。また、地震後に、身近な人と助け合うことが必要です。

東日本大震災によって、たくさんの民生委員児童委員の方が亡くなられました。つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。なお、ふりかえり、以下の課題があったと指摘されています。

・強い使命感を有する民生委員だからこその自身の避難の遅れ、・津波が迫るなかでの委員活動の危険性、困難性 、・通信手段喪失に伴う民児協組織の機能停止(委員の孤立、自己判断による活動) 、・津波等による災害時要援護者台帳の喪失(必要書類等の保管のあり方) 、・避難所避難者の名簿等、避難者に関する行政等との情報共有の不足 、・発災時、またその後の民生委員活動に対する住民および関係者の理解不足 、・分散避難する地域住民に対する民生委員による支援継続の困難性 、・自身被災者でありながら活動する民生委員への支援の必要性(とくに精神面)

 そこで、現在は、「災害に備える民生委員・児童委員活動10か条」(民生委員・児童委員として災害に向き合う大原則)が出されています。紹介します。

第1条 自分自身と家族の安全確保を最優先に考える

第2条 無理のない活動を心がける

(平常時の取り組みの基本) 

第3条 「地域ぐるみ」で災害に備える

第4条 災害への備えは日ごろの委員活動の延長線上にあることを意識する

第5条 民児協の方針を組織として決定し、行政や住民等にも周知する

(市町村と協議しておくべきこと) 

第6条 名簿などの個人情報の保管方法、更新方法を決めておく

第7条 情報共有のあり方を決めておく

(発災後の民児協活動において留意すべきこと) 

第8条 委員同士の支え合い、民児協による委員支援を重視する

(避難生活から復旧・復興期の活動で意識すべきこと) 

第9条 支援が必要な人に、支援が届くように配慮する

第10条 孤立を防ぎ、地域の絆の維持や再構築を働きかける

発災時前の日頃の関わり、発災後の地域形成・まちづくりのメンバーとしての民生委員児童委員活動が大切にされています。

発災後数ヶ月経ち、以下の㋑㋒における生活の再建を考える次の支援の必要性

被災後の生活は、㋐震災後の避難所生活㋑仮設住宅における一時的生活㋒自立した生活への移行・復興住宅での生活、へと移行していきます。

避難所(体育館に段ポールで囲った生活)⇒市内にいくつものあった仮設住宅

復興住宅

その時に学んだことをご紹介します。

  1. 生活支援(バックアップ)、寄り添うケア⇒継続的な支援の必要性

要介護・要支援高齢者の増加、地域を離れなければならないサービス利用者の生活支援、避難所で見えてきた様々な問題の顕在化(避難所において、虐待、家族関係の崩壊、貧困、障害等の様々な問題が見えてきていました。特に、津波により、家族を失い、家や財産を流され、一気に失望の中におかれた高齢の方々の辛さは、深く大きいことを学んできました。石巻市では、発災後、地域福祉コーディネーターが各地区に配置され、個々の住民の地域支援に当たっていました。CSC最近の活動

https://www.dropbox.com/scl/fi/f4q5w00j4vtkwswhgzswq/CSC-2023.3.pdf?rlkey=el8dj7n9ktqj94nyboq4y812k&dl=0

CSC活動記録集

https://www.dropbox.com/scl/fi/f4q5w00j4vtkwswhgzswq/CSC-2023.3.pdf?rlkey=el8dj7n9ktqj94nyboq4y812k&dl=0

地域福祉コーディネーターによる草の根支援が、被災者だけでなく、地域の方々の孤立を防ぎ、住民としての生活を下支えしています。当初のコーディネーターは、全国各地から来られた方でした。半数を超えるコーディネーターは、宮崎県、大分県、福岡県、高知県、山口県等々から被災地である石巻において、住民への地域支援の仕事しようと集まってきた方々でした。今は石巻で家庭を築かれている方もおられます。

さらに、瀧嵜博さんは、千葉県佐倉市社協の事務局長として定年を迎えられ、2013年から2018年まで石巻市社協復興支援課の地域福祉アドバイザーとして地域福祉コーディネータ―の育成にあたられました。石巻市の各地区での活動を終えて戻ってくる地域福祉コーディネーターの報告を受け、それぞれの意見を集約して取り組みに反映する丁寧な指導をなさっていたことを知っていました。退職後、病気で亡くなられましたが、そのお働きに感謝し、敬意を表したいと思います。

https://www.dropbox.com/scl/fi/qc5rhc767f74od6ccdyih/.-2016-2.pdf?rlkey=cc8c1o6c0j9bevndzeq4c3742&dl=0

このように、地域福祉コーディネーターによる草の根支援が、被災者だけでなく、地域の方々の孤立を防ぎ、住民としての生活を下支えしています。感謝。

②保健医療福祉ニーズの顕在化と個別支援

 児童の心の問題、要介護高齢者の増加、家族の確執、経済的課題、孤立問題、住まい・生活・仕事・将来設計等々に取り組む方々に格差が生じ、多くの痛みを抱える人々が顕在化しました。

③新たな生活の場での助け合いの仕組み作り=住民自身による自立支援を模索することの大切さ

 津波等で今まで住んでいた所から離れて生活することになった方々も多くおられます。従来の住民関係を維持できる方は、少ない状況でした。復興住宅に転居して安心した生活を送ることができたと思われるかもしれませんが、転居した途端、買い物の不便さに苦労し、日頃話すことができる人が少なく孤立状態に陥るという問題が新たに生まれることにもなります。

NHK2014年3月5日(水)放送分の記事を紹介します。
「支えあいの“縁”を創る ―石巻市・地域福祉コーディネーター―」の担当ディレクターです。
 地域福祉コーディネ―タ―の活動から、いま被災を受けた地域ではどんな支援ニーズがあるのか?そんな目線で取材に入りました。
 ほとんどの住民が家を失ってしまい、全壊を免れた23世帯だけが暮らしている門脇町。震災前は挨拶程度のつきあいしかなかったのに、今は住民自らがお茶会や体操教室などを行っています。釜・大街道地区では、高齢者や障害をもつ人たちが震災で助け合った経験から誰もが過ごせる居場所的なものをつくりたいと動き出していたり、自らの土地を提供して集会所を建てようとしていたり。地域を思って、住民自らが動き出している。そんな人たちがあちらこちらにいたのです。地域福祉コーディネーターは、「困っている人」だけを支援するのではなく、こうした地域にすでにあるもの、できていることを
地域の大切な資源として掘り出していきます。いずれ困ったときに支えてくれる人と関係を築こうとしているのです。取材中、地域福祉コーディネーターは、こうした住民さんたちの動きを「宝物」と言っていました。あくまでも地域の主役は「住民」。これから新しい地域づくりが始まるなかで、地域のことや人を思う気持ちが大切にされていることは、震災の地・石巻で希望の光を見たように思いました。

④継続的な心のケア=長期間の支援→すべての前提となる、地域関係、住民関係

⑤生活圏域における生活の必要な支援=インフラと生活基盤=買い物ができる場所・医療機関・移動手段等々のインフラは不可欠です。

⑥専門職への支援(燃え尽きる危険性・疲れ切っているし、自分も被災者です。また深刻化したニーズに日々対応しており、その苦労が蓄積していました)  ㋐バックアップ ㋑専門職の心のケア ㋒幅広い関係者のネットワーク ㋓支援する者の体力回復

以上の学びを通して、私が実感した被災地支援の原則をお伝えしたいと思います。

第1に、そもそも制度が、専門家が、事業者が、利用者、被災者の実像を見えにくくしていないだろうか。ならば、被災地では通用しない。生活者としての、住まい、仕事(産業)、援助(福祉)、生活環境、絆が、それぞれにあった自立の支援に結びつき、明日への希望と繋がる。

第2に地域の再生という視点からの復旧・復興が大切。全国各地で行われている「まちづくり」「福祉でまちづくり」と共通である。

第3に寄り添うケアの必要性。時を経て、状況が変わる。それぞれのニーズに対応していくこと。「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる」、すなわちサービス、援助の枠組みに被災者を当てはめるのではなく、被災者の実像に合わせたサービス、援助を組み立てるという原点に立ち返る。

第4に被災地で起こったこと、そして支援を忘れないこと。被災者も支援者も互いに理解し合うこと。学ぶこと。被災地支援は0か100ではなく、その間には99通りの支援がある。すなわち、支援をしない0ではなく、完璧に支援を行う100でもなく、100通りの支援がある。それは、地域活動の歴史そのものではないでしょうか。

以下、福島県の東日本大震災の記録、同じく岩手県、宮城県、石巻市の記録をお示しします。ご検討頂ければ幸いです。今後の能登半島被災地支援に参考になると思います。

福島県 

https://www.dropbox.com/scl/fi/yjnit81fyc6iu2ka8sgne/.pdf?rlkey=ht18t7vn1dq6w66s2szw8ik4e&dl=0

岩手県

https://www.dropbox.com/scl/fi/cf78w6ogdbt4d3vzmxj92/.pdf?rlkey=n0ddamux22toemkwzh4vt52hv&dl=0

宮城県

https://www.dropbox.com/scl/fi/cn607h8fyddz0m6oe66h9/.pdf?rlkey=p9251cnm9iywq3zwvsbvjok8v&dl=0

石巻市

https://www.dropbox.com/scl/fi/kcb406w6w24ikpmxpi28e/.pdf?rlkey=lhskh9nv5p5da3wxp6l2t83nq&dl=0

日本医療ソーシャルワーカー協会『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』

https://www.dropbox.com/scl/fi/62rt5oi5edutrv6fl6c8i/.jpeg?rlkey=c1e0ywbhd5b2dg6wh39684jyq&dl=0

Ⅲ)これからの能登半島支援を考える

 最初に申し上げたように、2024年1月1日に発生した能登半島地震から3ヶ月を過ぎましたが、依然、先行きが見えない状況にあります。崩れた家の片付けが終わらず、断水している多くの住宅があります。災害支援のために能登半島の各地を訪問し、先週金曜日に東京に戻ってきた災害支援の専門職は、「奥能登は、被災後変わっていない状況にある。水も通っていない。地理的問題があり、陸の孤島状態になっている。主要な道路が寸断され、南部が直って徐々に支援が繋がる状態。もしその道路が渋滞したら、食料を配布できなくなる。インフラの整備が今回の被災地支援を難しくしている」と。

今後、能登半島の特に奥能登でどのように復旧、復興をしていくのか、住民はどのように考えているのか、また長期の支援が必要となる中で、私たちがどのように応援していくことができるか、改めて考えてみたいと思います。

1.支援から協働へ

①災害被災地から学ぶ防災、応急措置、復旧

今は、どこでどのような災害が起こるか、分からない状況です。身近な行政、社協、社会福祉関係者、医療関係者も被災しており、自らの対応能力は限界があることは、阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災でも経験してきたことです。まず、身近な住民との助け合い、声かけや見守り等のネットワークの存在が不可欠で、震災前からのまちづくり、コミュニティづくりが大切になります。

確かに、地震等の自然災害が10カ所で起これば、10通り被害状況になり、地域の特性が大きな影響を与えることは言うまでもありません。しかし、それぞれの被災地で取り組まれている復旧、復興の支援を通して、自らがどのようなまちづくりをしていくのか、共通点も少なくありません。

②災害支援は、広域の視点で

災害は、被災地だけの問題ではありません。能登半島被災地支援の特徴の一つは、避難先が能登半島の領域、石川県の範囲に留まらず、被災状況によっては、一定期間、広域避難が必要になると思われます。被災地という地域に限定することなく、日本全国で被災地支援を考えるべきだと思います。福島のように、県外で生活している方々も少なくありません。避難場所の提供、避難してきた方々への支援等、支援の選択肢が増えています。

③全国各地に広がる孤立等の共通の問題に挑戦する

能登半島震災の問題は非常に深刻ですが、2月に開催されたある自治体の高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の最後の会議で、私は以下のように申し上げました。「人材確保、養成等に明らかな決定打を示せず、私は閉塞感を感じています。今、必要なことは3点。自らの取り組みを振り返ること、これからの地域、社会の姿を描くこと、協働した取り組みを目指すこと。委員の皆さんもその主体です。この有力な自治体でできなければ、どこの自治体でもできないと思います。」と。まちづくりの原点を学ぶ必要があります。それは、被災地の復旧、復興から学べます。

2.正確な情報のいかに迅速に、集約するかが今後も勝負です。

ニーズの統一的把握と管理を進めようと、石川県庁は取り組んでいますが、今後検証が必要に思われます。能登半島地震の被害状況、支援活動の情報は、市川が把握した限られたものですが、市川一宏研究室に掲載しています。把握がとても難しかったと実感しています。今後の課題です。

3.問題を共有し、それぞれの役割を合意し、計画として取り組みを明確化する。

私は現在、複数の都県行政、市町村行政や社協と関わりをもっています。いずれも、能登半島の被災地と共通の問題をもっており、被災地支援と各地域の孤立予防、災害対応のまちづくりの取り組みを互いに学びながら、まちづくりを進めていく必要があると考えています。

具体的には、地域福祉計画、地域福祉活動計画の策定において、被災地支援、被災地との具体的連携を検討すること。また高齢者保健福祉計画において、高齢者の孤立予防はもちろんのこと、災害時の対応について言及することが必要ではないかと考えています。

4.援助することはもちろん、援助を受けることに踏み込む。

 三鷹市社協の地域福祉活動推進計画2023では、実践目標6として、「市民と共に備えるまちづくり」を掲げ、具体的な取り組みとして以下3点を上げている。

⑴災害時に関係団体とスムーズに連携が取れるよう、地域の自主防災組織や関係機関、団体との連携を強化する。・災害ボランティアセンター設置運営訓練への参加を呼び掛ける。

⑵災害ボランティアセンターの運営協力者の養成と市民の防災意識の向上に取り組む。

①災害ボランティアセンター運営スタッフ養成講座や講座修了生の勉強会を定期的に開催する。

②市内で開催される各種イベント等で災害ボランティアセンターの啓発を行う。

  • 平時から防災の意識を高め、災害時の助け合いにつながる取り組みを行う。

①地域ケアネットワーク※18 等と連携した防災の取り組みや、災害時の安否確認・避難等を意識したほのぼのネットの見守り活動を推進する。

三鷹市社協では、計画を策定して1年を経過したので、その評価を踏まえ、取り組みを明確化する必要がある。

また、2024年3月の『東京都災害ボランティアセンター第3期アクションプラン(5か年中期実行計画)』では、「社会福祉協議会のブロック域をベースとした多様な団体との連携・協働を掲げ、「社会福祉協議会のブロック域をベースとして、多様な団体同士がつながり、災害に関する情報交換や合同の企画を行う場を継続的に持ち続けられる提案・調整を行う。

【具体的な取組み】

・社会福祉協議会のブロック域での多様な団体との連携・協働(第2期からの継続)

・要配慮者当事者/支援団体とブロック域団体との連携・協働

各種テーマに応じた広域の要配慮者団体とブロック内の社協・VC や当事者団体との意見交換の場を設ける」としており、実績もあるので、例えば、北多摩南部ブロックに属する三鷹市社協、小金井市社協、狛江市社協、調布市社協、府中市社協が連携して、災害ボランティアセンターの協働設置や、行政と連携した災害時の避難所運営等、具体的に検証することが可能性を検討してはどうでしょうか。

5.能登半島地震被災地支援で特に着目すべき点の検証

①災害派遣福祉チームの派遣がなされました。全国派遣としては初の試みなのですが、制度が確立したのは、熊本以来です。そもそもDWATとは、被災した特別養護老人ホームなどを支援するために編成された福祉に特した災害派遣福祉チーム、Disaster Welfare Assistance Teamのことで、能登半島震災では、DWATのコーディネートは石川県庁で、全社協(法人振興部)介護施設等の箱物への派遣支援を行ったと、私は聞いています。但し、今回の方が大きい被害で、その機動性が必要とされていました。そして今回、1.5次避難所の提案がDWATに入りましたが、DWATの職員、実働者が少ない現状であり、DWATの認知度が低い ことが指摘されています。今後の検証が不可欠であると思います。

 なお、2023年3月、富士通総研が『災害福祉支援ネットワーク、DWAT の実態把握、課題分析 報告書』を公表しています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/0a5k16acb4pqew1zyskrh/DWAT.pdf?rlkey=jof3rtzesb49va685uj87uqcf&dl=0

また、②迅速な行政職員派遣派遣、③ニーズの統一的把握(発災時のさいぼーずの資料で大規模の自衛隊の動向はつかめた、しかし、在宅に関しては?)、④支援者の役割分担(多くの家が倒壊して今回の地震では、瓦礫を片付けたりするNPO技術系の人材が、炊き出しに入らざるを得ない状況で人数が足りない等の情報もあります。https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73)

以上、可能な範囲で、情報を整理しました。改めて、私の思いを申し上げます。

2024年1月1日い起こった能登半島地震の被害は深刻で、日本中を震撼させました。それ以降、私は、なかなか掴めない被災状況を把握し、支援の可能性を模索するために、いろいろ関係者に問い合わせをし、多くの方にお伝えしてきました。限られた内容ですが。市川一宏研究室に掲載しています。

また、能登半島地震被災地支援を考えるために、今まで私が経験してきた東日本大震災被災地支援について整理しました。そこで確認できたことですが、今もって、何をすべきであったか、何が相応しかったか、絶対的な正解を見出しえなかったのです。試行錯誤の過程しか、お伝えできなかったことを反省するとともに、基礎的資料に関してご提示したつもりです。皆さんの参考になるなら、それはうれしい限りです。

また、被災地での経験が、今の私の実践と理論の源流にあるという事実を確認できたことは、私にとっては、有意義でした。そして、以下の結論に達しました。

今、福祉系の大学等教育機関に入学する学生が減少しています。そして社会福祉機関・団体が求人を出しても応募者が少ない傾向がみられます。しかし、ソーシャルワーカーを必要とする人々は確実に増加しています。この閉塞感を打開するために、生活課題に一緒に取り組み、学び、互いに励まし合いながら解決してきた卒業生、仲間と協働して、未曾有の危機に挑戦していきたいと思っています。その挑戦の一つの重要な手段として、能登半島地震被災地支援を行っていきたいのです。それが、私に与えられた使命です。神様に許される限り。

和田先生『地域福祉実践・研究のライフストーリー』

全社協の元事務局長であり、地域福祉学会の元副会長として全国の地域福祉の推進に大きく貢献され、またルーテル学院大学の現名誉教授として教育等に大きな働きをされた和田先生の本が出版されました。

出版に際しては、大橋謙策先生を中心に、越智和子(琴平社協元常務理事・事務局長)さんと日下直和(香川県社会福祉協議会事務局長)さんのご努力があったことは言うまでもありません。感謝申し上げます。

皆様も、どうぞ手に取って、貴重な地域福祉、社会福祉協議会の歩みをお読み下さい。

ひかりの学校からのお礼のメッセージ

私たちが応援していたひかりの学校(学校ホームページ http://hikarinogakko.blog.fc2.com/からメール届きました。掲載いたします。私が誇る卒業生の働きです。

ひかりの学校の高林真理と賢です。この度は「信州の特色ある学び~すべての子どもたちに教室を!プロジェクト床・壁・天井 編」に関する寄付と情報発信をして頂き、心より感謝申し上げます。

報告についての動画を作成いたしましたので、どうかご覧頂けますようお願い申し上げます。

動画リンク

能登半島被災地支援6(2024年3月26日)

私に届いた最新の情報をお届けします。

1.吉村誠司さんの活動

 能登半島被災地、特に輪島市で活動している吉村誠司さんは、FACEBOOKを開設しています。新しい現地の情報をお知りになりたい方は、どうぞコンタクトして下さい。

2.民生委員児童委員活動

3月13日に発信した都道府県・指定都市民児協宛のメールニュースとして公表しているもの全民児連事務局から頂きました。

https://www.dropbox.com/scl/fi/u7vlkb6guy4k0jqed3zeu/5.pdf?rlkey=kagwvvsh4qj9ap5adtaxs22lc&dl=0

3.東社協地域福祉推進委員会(令和6年3月8日)

各種別の部会から委員が参加している地域福祉推進委員会で把握した、能登半島地震をふまえた各部会で取り組んでいること

https://www.dropbox.com/scl/fi/dn4oss56vuled0shx76m6/3.8.pptx?rlkey=ftsd6rghrmnaeetccatpc02tt&dl=0

能登半島被災地支援5(2024年3月4日)

2024年1月1日に発生した能登半島地震から2ヶ月を過ぎましたが、依然、先行きが見えない状況にあります。また、どのような支援が可能か、適切なのか、能登半島、特に奥能登の住民の方々の要望にどのように応えていくべきか、気持はあるのですが、戸惑っているのが、私の正直な気持で、今できることをしている現状です。

そして、これからも続く能登半島地震の支援にどのように関わり続けていくか、私たちは、問われています。

他方、能登半島震災の問題は非常に深刻ですが、2月に開催された高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の最後の会議で、私は以下のように申し上げました。「人材確保、養成等に明らかな決定打を示せず、私は閉塞感を感じています。今、必要なことは3点。自らの取り組みを振り返ること、これからの地域、社会の姿を描くこと、協働した取り組みを目指すこと。委員の皆さんもその主体です。この有力な自治体でできなければ、どこの自治体でもできないと思います。」と。

私は、現在、複数の市町村、都府県の自治体や社協と関わりをもっています。能登半島地震の被災地と共通の問題をもっており、被災地支援と各地域の孤立予防、災害対応のまちづくりの取り組みを、互いに学びながら進めていく必要があると考えています。そして今は、どこで災害が起こっても不思議でない状況にあります。できることから始めていきたい。今後とも、いろいろ教えて下さい。

  • 2月末より、神奈川県のブロックで現地に派遣された卒業生からの情報

 発災より47日経過していたので、家屋の状況は発災時より厳しかなっている(段々傾いている等)というお話が被災された方々からちらほらと聞かれました。今後、大きい余震で倒壊しないか、心配です。

  • 今までお伝えしてきた吉村誠司さんの近況

実は右腕の肘に痛みがあり、片手で10トン爪ジャッキ(25kg)以上が持てなくなったので、輪島ベースを仲間達に託し、鍼灸院通いと家庭内雑務にて戦線離脱~(泣)。帰路、液状化被災地の金沢市近く内灘町を仲間案内で廻り石川県を離れたが、被害は予想以上にかなり深刻だった・・・

とフェースブックに書かれていました。心配して、私は以下のことを書き込みました。

 吉村さん、おはようございます。能登半島に真っ先に駆けつけ、以降現地で支援に取り組んでおられたので、体調に心配していました。まずは体調の回復に努め、今まで、そして今後求められるの実践を整理し、私たちに知らせて頂けませんか。私には、様々な情報が入っており、全国の友人に情報を提供しています。吉村さんの活動も伝えてきました。あなたの発言はとても貴重です。ちなみに、宮城県のI 市のAさんが現地に入っていると聞いています。

 これからも、応援して下さい。

3.長野県社協からの情報提供

『令和6年能登半島地震に係る支援方針』 長野県災害福祉広域支援ネットワーク協議会(災福ネット) 社会福祉法人長野県社会福祉協議会

https://www.dropbox.com/scl/fi/ci484elurdlwuz4l1fifm/13.docx?rlkey=i9a0tt9isqxgkvwotictp0fuv&dl=0

4. 『災害から地域の人びとを守るために=災害福祉支援活動の強化に向けた検討会報告書』全社協

https://www.shakyo.or.jp/bunya/saigai/teigen/20220331/index.html

5.ぼうさいこくたいポスター

https://www.dropbox.com/scl/fi/u9fub5s8gaggsiollou0r/.pdf?rlkey=tc4ccax3v7rfvxj38chxkglt6&dl=0

2023年度卒業式

 2024年3月7日(木曜日)午後2時より、2023年度卒業式が行われました。(https://www.dropbox.com/scl/fi/kpts7s630v3ewezvh69k8/P1180787.JPG?rlkey=33p5emhshqf5q50uorwevemac&dl=0)

 コロナの影響で、卒業生、保護者、教職員が集合して卒業式を行うは、4年ぶりのことです。そのことは、本年に卒業する学生が、たくさんの友人と出会い、社会での生活を経験する人生の貴重な学生時代を、コロナの影響で制限されたことを意味しています。

 ふりかえって、今回卒業した学生は、多くが2020年4月に入学した学生であり、大学は感染予防のために学生の学びを制限せざるをえませんでした。また授業ですが、全国の大学と同じく、本学も全面的に遠隔授業を実施していました。私事になりますが、それまでは、遠隔授業のやり方をまったく知らなかった私は、ZOOMのやり方から基本から学ばなければなりませんでした。2020年4月より学長は石居基夫先生になりましたが、私のような新たな授業のやり方を経験したことがなく、何もわからない教員に対するケアを行うと共に、学生への対応、遠隔授業の環境整備等を行う新執行部の苦労は並大抵ではなかったことを知っています。

 特に、学生自身も、今までは当たり前にできていた学生同士の日常的会話がなく、教員による個別アドバイスを日常的に受けられず、画面に映る講義を自宅で受けていた状況に、ストレスをもったことは容易に想像ができます。また本学の特徴ですが、登校日に教員の研究室のドアをノックし、授業のテーマだけでなく、自分の様々な悩みを教職員に相談し、再出発する機会も、当初は少なくならざるえない状況にあり、当時の新入生は、学びのモティベーションを維持することが大変であったと思います。また、学園祭、スポーツ大会等、集合して行われる催しも制限せざるを得ず、今までの卒業生が経験し、卒業後の強い絆となっていた学生同士、学生と教職員の身近な交流も影響を受けました。

しかし、卒業式の中で、そして式後の学生同士、教職員と交わす笑顔、記念写真の撮影等の姿を見て、彼らの卒業を心より祝福したいと思いました。ルーテル学院大学・大学院で学んだことを心と学びの蓄えとし、これからも自分なりの歩みを始めて頂きたいと切に願いました。

 最後に私がルーテル学院大学、大学院、神学校を巣立っていく皆さんに願っていることを書きます。

①専門職である前に一人の人間であってほしい、当事者の方々の可能性が見えてきます。専門職として、自分勝手に作る利用者像に来談者を当てはめないように。

②皆祝福されて命が与えられました。この事実に疑問を挟む余地はありません。当事者の方々が生きていく歩みを大切に支援して頂きたいと思います。

③自分の原点となることにたえず立ち戻る心のゆとりをもつようにして下さい。簡単に解決できることは多くありません。くれぐれも自分だけで抱え込まないように。孤立を防ごうとする人が孤立してはダメです。同僚、仲間、地域の関係者と協働した取り組みを目指して下さい。

④お金を失うと生活の危機、名誉を失うと心の危機、希望を失うと存在の危機と言われます。人と関わる専門職にお願いしたいことは、困難に直面する方々に希望を届けていただきたい。解決が困難な場合には、それに取り組もうとする当事者の方と共に歩んで頂きたい。問題の解決ができないと戸惑う専門職もおられます。しかし、私は、こう言います。「その方と繋がり、相談する関係ができていること自体、援助の効果だと思います」

⑤利用者を理解するエビデンスを把握してして下さい。レントゲンには心は映りません。その人を一面的にではなく、関わっている方々の情報を得て、その方の全人的理解を目指して下さい。

⑥優れた専門職は、自分の限界をよく知っている人です。繰り返しになりますが、ふりかえる心の余裕を失わないように。また支援に関わる方々と協働する方法を模索して下さい。

⑦今日は、スタートラインです。今日を,学びの、出会いのスタートにして頂きたい。

 皆様、私たちのルーテル学院大学、大学院、神学校の卒業生をどうぞよろしくお願い致します。

                         2024年4月9日

                         市川一宏

能登半島被災地支援4(2024年2月23日)

皆さん

こんばんは。

今日は、本当に寒い日ですね。被災地のことが心配になります。

さて、2月23日の段階の情報をお伝えします。私のお知り合いの方々にお助け頂き、お届けしています。支援の参考になればうれしいです。

1. 関東Bブロック社協に属する山梨から派遣された社協職員より

 羽咋市の講演に向かう新幹線に乗るために東京駅に着き、お弁当を買おうと食品コーナーを歩いていると、山梨県社協の方が声をかけて下さいました。2月8日から19日の予定で、能登半島被災地支援に入るとのことでしたので、現地の情報を教えて頂きたいとお伝えしました。お戻りになって、2月19日段階の貴重な情報を送って下さいました。本当に感謝しています。

「2月9日から始まったローラー訪問活動に携わらせていただきました。自らも被災された民生委員児童委員さんが同行してくださった地区もあり、改めて“地域を知り、地域の顔である民生児童委員さん”という存在を実感し、また、その関係性を大切にしながら活動している町社協の姿も見ることができました。民生児童委員さんが気になっているお宅から1戸1戸訪問をはじめ、ニーズ受付につなげます。不在の際は、訪問日を記入してチラシをポスティングします。

発災から1か月半、家族とともに片づけを続けている方、お宅の中を案内されると外観からは想像できないほど、全く片付けができていない方がいます。頑張り続けている方にはご家族以外も頼ってくださいと、片付けができず困っている方には手伝わせてくださいと、お伝えします。これは活動のほんの一部です。

派遣職員は町外者であり、いつでも見られているという意識を持っていました。不安な住民さん、警戒心を抱かれていることもわかりました。

被災された全ての方々が安心して暮らせる時まで、被災地を忘れず、その時できる活動を続けたいと思います。」

⇒私も同じ気持ちです。

2.埼玉県社協より

2/8~2/14まで石川県内灘町の災害VC応援派遣(関東ブロックA)に行ってまいりました。奥能登地方に比べ、内灘町はあまり報道されていませんが、町内の限定したエリア(埋立地を造成した)が液状化により酷い状況となっていました。赤紙の住宅も多く、プロボノ団体と一般ボランティアを組み合わせながら対応しました。災害VCには毎日、日替わりで民生委員が参加していただいており、現地の道案内や電話や面談時に被災者に寄り添っていただくなど、存在の大きさを感じました。

また、金沢市のホテルに滞在していましたが、二次避難者と思われる方が多くいて、精神的ケアなど行われているのか、非常に気になりました。

石川県には、まだまだ長期に渡る外部も含めた支援が必要だと思いますし、地元社協も頑張りどころだと感じました。

3.2月20日の情報(調布市社協から)

東社協から依頼はAブロックとして以下のような派遣スケジュールでのものでした。

<災害VC運営支援関東Aブロック職員派遣>

場所:石川県かほく市、石川県内灘町の災害ボランティアセンター 各2名

期間:1クール7日間(前泊後泊含む)

派遣予定スケジュール

第1クール 1/31(水)~2/6(火) 千葉県・千葉市

第2クール 2/4(日)~2/10(土) 群馬県

第3クール 2/8(木)~2/14(水) 埼玉県・さいたま市

第4クール 2/12(月)~2/18(日) 東京都(※)

第5クール 2/16(金)~2/22(木) 茨城県

第6クール 2/20(火)~2/26(月) 栃木県

これを受けて、調布社協から男性1名を推薦しましたが、東社協へは都内社協から全部で22人の推薦があったそうです。東社協で検討の結果…

 内灘町災害VC  調布社協  小平社協  

 かほく市災害VC 瑞穂町社協  東社協 が決まりました。

派遣の状況を聞きますと、内灘町の災害ボランティアセンターでは、民生委員等がキャッチしたボランティアニーズに対しボランティアコーディネートを行う活動を連日続けていたとのことです。

ニーズとしては液状化した泥のかき出しや、瓦礫撤去等のニーズが多かったようです。

内灘町は丘の上に新しい居住地が広がっており、丘の上に被害は一切みられておらず、一方、丘の下にある干潟に近い海沿いには古い民家が建ち並んでおり、今回の地震では、液状化により丘の下の古い民家の構造部が隆起や沈下により大きく破損しているようです。

内灘町に来るボランティアは県内よりも県外からのボランティアが中心になって、事前にグーグルフォームで申し込みの10人のボランティアとその日の飛び込みのボランティアが1~3人が活動するそうです。

「ワンチーム」という技術職の方々が、倒壊の危険の高い赤紙の家の中へ入って重機を使い大きな物の撤去等の作業を行い、次に一般ボランティアが作業できるようにしていたとのこと。

恩師 阿部志郎先生との三度の出会い

2024年は、私にとって、原点に立ち、そこから一歩一歩歩みを始める時であると思っています。2月4日(日曜日)に私は日本キリスト教団田浦教会に行き、日曜礼拝に参加しました。そして、毎年の恒例になっていますが、阿部志郎先生に98歳のお誕生日のお祝いをさせて頂きました。

また、第2の出会いは、2月13日です。横須賀基督教社会館の職員に対し、午前と午後の各2時間、私が阿部先生より学んできたことの一部をお伝えし、社会館のミッションを考えました。以下、そのレジメをお示しします。

2024年2月13日横須賀基督教社会館において 『私が阿部志郎先生より学んでいること』

1)私にとっての阿部志郎先生

阿部先生の主張には、思想があり、哲学があります。阿部先生の思想は、先生が生きてこられた過程と密接に関わっておられる。「長い実践のなかで、学んだこと、見聞きしたこと、涙したこと、微笑みを誘われたこと、感動したことは数えきれない。これらの体験を整理し、施策を跡づける、それが私の哲学である。」(『福祉の哲学』)という姿勢を貫かれた強い使命感と生き方が、私たちの心を揺らし、共感を呼び起こしています。そして、語りかけられた人は、自分が生きてきた意味を理解し、生きていく勇気が与えられるのです。

また阿部先生の膨大な読書量とたぐいまれな記憶力に、私はいつも感動しています。そして、一つ一つの論文、講演、説教に全力を注がれ、一切、手を抜かない。毎回毎回の話に、先生が人生を通して学ばれた神の御言葉が隠れていると思っています。以下の写真は、田浦教会で録画された日本キリスト教社会福祉学会の記念講演の写真です。次の講演を控えて最前列に座っていた私は、先生の気迫に圧倒されました。

私には、到底、阿部先生のような能力がないので、私は現実の問題に挑戦し、それをもとにお話させて頂いています。

また、私にとって、阿部先生は恩人です。今までをふりかえると、ルーテル学院大学の学長就任時、日本キリスト教社会福祉学会会長の就任時、21世紀キリスト教社会福祉実践会議の創設時等々、人生の節目に阿部志郎先生からご助言を頂いていました。

 今日は、今、私が取り組むべきと思っていることをお伝えし、その過程で、阿部志郎先生が言われたことをお伝えしようと思います。ちなみに、阿部理論の系譜については、阿部先生の実践の継承者であり貴法人の理事長である岸川洋治先生がまとめておられます。直接お聞き下さい。

Ⅱ)今、何が起こっているのか?私たちは、何を求められているのか。

1.関係性の危機

 ① ひきこもり

 内閣府は 2019 年 3 月 29 日、自宅に半年以上閉じこもっている「ひきこもり」の 40~64 歳が、全国で推計 61 万 3 千人いるとの調査結果を発表しました。7割以上が男性で、ひきこもりの期間は 7 年以上が半数を占めています。ひきこもりになった年齢は60~64歳が17%で最も多かったが、20~24歳も13%、きっかけは「退職」が最多で「人間関係」「病気」が続いた。40~44歳の層では就職活動の時期にひきこもりが始まった人が目立つ。ひきこもりの高齢化、長期化が鮮明になりました。15~39 歳の推計 54 万 1 千人を加え、内閣府では ひきこもりの総数は 110 万人を超えるとみています。さらに 2020 年 3月より続くコロナ感染症の拡大によって、特に高齢者・障がい者の孤立化が顕著となり、感染を恐れて外出や関わりを控えた結果、ひきこもり状態にある虚弱な高齢者、認知症の高齢者が増加したのではないかと危惧されています。

 8050問題、2025年問題

8050問題』とは、長く引きこもりを続けてきた50歳代の子どもが80歳代の親と生活している状態を言います。子どもには収入がなく、したがって年金などの社会保障を受ける権利もなく両親が亡くなると経済的問題に直面します。

2025年問題』とは、2025年に「ベビーブーム世代」が後期高齢者となり、高齢者人口は約 3,500万人に達し、認知症高齢者数は、約 320 万人になり、また世帯主が65歳以上である高齢者の世帯数は、約 1,840 万世帯に増加し、約7割を一人暮らし・高齢夫婦のみ世帯が占めると見込まれる問題を言います。この問題は、特に都市部で顕在化します。

児童虐待(リスク要因)
 令和4年度に児童相談所が虐待相談として対応した件数は、219,170(速報値)で過去最高。心理的虐待に係る相談件数、警察からの通告が増加。関係機関の児童虐待防止に関する意識や感度が高まり、関係機関からの通告が増加。

(1)保護者側のリスク要因

㋐妊娠そのものを受容することが困難(望まぬ妊娠、10代の妊娠)、㋑子どもへの愛着形成が十分に行われていない。(妊娠中に早産等何らかの問題が発生したことで胎児への受容に影響がある。長期入院)、㋒マタニティーブルーズや産後うつ病等精神的に不安定な状況、㋓元来性格が攻撃的・衝動的、㋔医療につながっていない精神障害、知的障害、慢性疾患、アルコール依存、薬物依存、㋕被虐待経験、㋖育児に対する不安やストレス(保護者が未熟等)    
(2)子ども側のリスク要因

㋐乳児期の子ども、㋑未熟児、㋒障害児、㋓何らかの育てにくさを持っている子ども     
(3)養育環境のリスク要因

㋐未婚を含む単身家庭、㋑内縁者や同居人がいる家庭、㋒子連れの再婚家庭、㋓夫婦関係を始め人間関係に問題を抱える家庭、㋔転居を繰り返す家庭、㋕親族や地域社会から孤立した家庭、㋖生計者の失業や転職の繰り返し等で経済不安のある家庭、㋗夫婦不和、配偶者からの暴力等不安定な状況にある家庭、㋘定期的な健康診査を受診しない家庭 出典 厚生労働省『子ども虐待対応の手引き』 

2.経済的危機
生活保護の現状  全国の生活保護の利用申請が昨年11月は2万1972件となり、前年同月比で539件(2・5%)増えた。厚生労働省が7日発表した。前年同月の水準を上回るのは11カ月連続。2012年度に調査結果を毎月公表し始めて以降、前年同月比の連続増加は今回も最長を更新した。2024年2月7日(水)朝日新聞
生活困窮者自立支援の状況「令和2年春から続くコロナ禍は、社会の脆弱性を照らし出し、その影響は世代・属性を超えて非常に広範囲に及んだ。休業やシフト減、雇止め等による経済的困窮に加え、緊急事態宣言等に伴う外出自粛により人とのつながりが変化し、社会的に孤立を深める人、DV・虐待など家庭に問題を抱える人が顕在化した。こうした影響は、コロナ禍以前から生活困窮のおそれがあった人や脆弱な生活基盤のもと暮らしていた人がいかに多く存在していたかを浮き彫りにした」(「生活困窮者自立支援のあり方等に関する論点整理」生活困窮者自立支援のあり方等に関する論点整理のための検討会・ワーキンググループ、令和4年4月26日)

3.コロナ禍における事業者・見守り・サロン活動の課題

①事業者が直面する事業継続の危機

 利用者が外出自粛及び自主的にサービス利用を控え、在宅給付事業所の収入が減少し、経営状況が悪化しています。東京都区部の通所型、ショートステイでは、休業するケースが出ています。

②職員の日々の活動・仕事に影響する感染病の危機

 利用者に感染させてはいけないと、従事者は日々緊張して仕事についています。しかし、コロナ対応がいつまで続くのか、どこまでやればいいのか、また家庭における濃厚接触から仕事に出られない職員も出て、職員に体力的、精神的な負担が重くのしかかっています。

 コロナの感染を予防する決定的な方法が限定されている中で、生活問題の把握が困難であり、また住民の要望にどのように応えていくか、現場は試行錯誤です。

③地域福祉活動の中止、撤退等にみる孤立の危機

 ふれあいいきいきサロン、見守り活動等のインフォーマルケアで活動を休止しているところも多くなっています。その結果、通ってきた高齢者の孤立の問題が顕在化してきたことに留まらず、活動団体の基盤が揺らいで、活動を開始することが難しくなっている活動団体も決して少なくはありません。

④特別養護老人ホームの混乱 (家族との面会)

・直接の面会は、ほぼ全ての施設で中止している。タブレットを使用してオンラインで面会を行っている。看取りの場合のみ家族にベッドまで来ていただき、短時間で面会を行っている。

・家族の強い希望により、利用者、職員、家族のワクチン接種が終了している場合は、例外的に、ビニールカーテン越しの面会を認めたことがある。家族への情報提供についてこまめに行い、利用者の写真を添えるなどの対応を行っている施設が多い。本人への影響については、家族が頻繁に面会に来ていた利用者については、一時的に落ち着きがなくなった場合がある。

4.社会福祉制度の危機

4つの自治体の介護保険事業計画作成の責任を担い、また東京都社協、全社協、厚生労働省等の検討に加わり、根幹となる問題が解決できていないことを実感しています。

  • 人材確保の難しさ
  • 住民の孤立に対して、決定的な打開策を見いだせない
  • 社会福祉を目指す人材の減少傾向
  • ボランティアが目指した地域社会の創造というダイナミックな取り組みが縮小している。(地域共生社会の限界?)

Ⅱ)急がれる取り組み〜横須賀キリスト教社会館の実績を踏まえて

1.自らの働きを問い直す

まず、私たちが、日々の働きの意味を問い直すことが必要です。確かに、コロナウイルスによって、さまざまな支援が止まりました。その結果、大切なFACE to FACEの関わりができにくくなってきました。そのことによって、互いの心の交流ができなくなり、支援してきた方々が生活困難のただ中に置かれてしまったならば、今までの関わりが大切であったことを意味します。何としても関わりを再生するか、それに代わる行動を生み出していかなければなりません。私たちは何をすべきか、コロナに問われているのではないでしょうか。

横須賀基督教社会館は、基本目標として、「社会福祉法人横須賀基督教社会館は、地域と共に歩んできたコミュニティセンターとしての歴史を大切にし、キリスト教精神に基づく施設として、不安や孤独、排除や孤立のない、人と人のつながりが大切にされ、希望をもって暮らすことのできる地域社会、自立と連帯のコミュニティ形成を目指す」と掲げています。(HP)

この精神は、言うまでもなく、セツルメント運動と共通しています。

同運動は、慈善事業に社会改良的視点と教育の可能性、必要性を組み込む民間活動である。1884年にサミュエル・バーネット(Samuel Barnenell)によってロンドン・イースンネンドにトインビー・ホールが設立された。

 知識人をスラムに植民することによって、地域自体を改善していくことをめざした。デニスン(小舎制の推進者でもある)は、真の救済を自活の道を与えること、自活を妨げているのは教育的環境の欠如であり貧困者を無知に追いやっている現実社会を指摘した。

ア.クラブや講座等によって、労働者、児童の教育を目指す

イ.セツラーの参加と住民の組織化による公衆衛生、教育、援助の推進を図る

ウ.社会調査とそれに基づく世論の喚起を行った。

“Toynbee Hall   The First Hundred Years” A. Briggs and A. Macartney

阿部先生は、セツルメントを、第一に、より大きな世界を示めさんとする思想性を包含している価値の創造の叫びであること、第二に知識階級の労働者に対して現れた罪の償いであること、第三に貧しき隣人との接触を通じて「教える」とともに「学ぶ」という人格的交わり、「与える」ことによって「与えられ」、自分の存在がそれによって支えられ、実践が生み出されるという相互的関係の信頼に立つものとされています。阿部先生は、社会事業に向かわした、社会事業家の『心の故郷』、すなわち困難に直面した時に戻る『心の原点』はトインビーである」と言われています。

私は、阿部先生のトインビー理解から、以下の点を学んでいます。

  • いわゆる貧困、劣悪な生活環境にある住民がそのような状態に追いやられた理由と責任
  • 住民への畏敬と住民、当事者の可能性への挑戦
  • 自己覚知と成長

 私は、阿部先生から、当事者理解と当事者への一貫した敬意、そして共に歩もうとするメッセージを受けており、自分の信念として持ち続けたいと考えています。

2.地域・地域ケアのあるべき姿を描く

 今、互いの違いを認め合い、地域にいる住民同士の新たな繋がりを尊重した共生社会の実現が、多くの地域で目指されています。また地域ケアも、単に身体的ケアだけでなく、当事者の地域における生活を支えることに重点が置かれています。

2024年1月1日に発生した能登半島地震により、その地域は甚大な被害を受けました。そして、その後の支援にかかわらず、被害の実態がなかなか分からないという、深刻な事態に直面しました。ちなみに、私は、2月8日・9日に能登半島の羽咋市で講演をして帰ってきました。地震を覚悟していましたが、幸い、一度も揺れませんでした。ただ、能登半島の各自治体は、人口減少に歯止めがきかないこと、北部の市で仕事をしている方々が住居を羽咋市の民間住宅に求め、ほとんど埋まっていること、民生委員活動も対象を広げる必要があるようです。また、民生委員児童委員の新人が多く、そして今回初めて定員を満たさなくなったようです。能登半島全体が高齢化とともに、着実に地域課題が深刻化しています。また、今回の地震規模と同じような地震は、どこで起こっても不思議ではない状況です。そのため、どこの地域でも、地震対策や発災後の支え合いの仕組み作りが急がれます。被災地と協働した福祉のまちづくりだと思います。

そして、これは、コミュニティの理解と結びつきます。

「人間は、なぜコミュニティを必要とするのであろうか。孤独に耐えつつも、意志的に自立への道を歩もうとするからではないか。自立する人間にとって、孤独に耐えさせる環境、そして、社会的孤立から守られる場、それがコミュニティなのではないか。自立は、連帯の支えなくしては成就しない。自立と連帯は密接不可分で、この両者の組み合わせとしてコミュニティが形成される。」(『社会福祉の思想と実践』中央法規、2011年)

私は、コミュニティを、次のような概念でとらえています。第一にコミュニティに所属するもの同士の相互の関わり。第二に関わり対するアイデンティティ、愛着をもてること。第三にそれらを実現しやすい地理的な空間、第四に互いを認め合うコンセンサスと一定の規範があること。第五にコミュニティを支える宗教や祭り等の文化の形成。第六に人材や活動等の一定の地域資源の存在を条件とした、地域の可能性を念頭に置いた目標であり、地域機能の側面から整理した概念と考えています。したがって、地域にはそれぞれの特性があり、課題があります。

田浦での横須賀基督教社会館の歩みから、その意味を学び、また地域診断を基にしたこれからの取り組みを示して頂きたいと思います。

3.協働した歩みを始める

地域の生活課題は解決困難です。だからこそ、住民、町内会、民生委員児童委員、社会福祉法人、NPO、行政等がそれを解決していくために、取り組んでいく過程で、絆が生まれる。そしてその絆が、地域の基盤を作るのではないでしょうか。

そしてキリスト教主義社会福祉団体にとって、発想の転換が求められています。「神と同じように人々の苦しむ姿に共感して駆け寄るならば、神を信じる、信じないにかかわらず、意識するとしないとに関わらず、神と結ばれた共に歩む隣人である」(森一弘司教様)という視点は、多くの示唆を与えています。

かつて、阿部先生の家の片隅には、赤茶けた麻のズタ袋が置かれていたそうです。使い古したおもちゃや、誕生日にもらった2ダースの鉛筆のうち1ダースは、そこに入れるように母親から言われていたとそうです。これは、福祉の文化そのものであると思います。

 なお、制度として、横須賀市は、重層的支援体制整備事業と生活支援体制整備事業を計画もしくは実施しているようです。これは、フォーマルな協働の仕組みです。どのように社会館が関わっているか、教えて頂きたいと思います。

Ⅲ)私たちソーシャルワーカーは何者ですか?

1.専門職である前に、一人の人間であれ

「Lifeをどのように日本語に訳すのか。命と訳すと医療が、生活と訳すと福祉が、では人生と訳すと何が対応するのか」

 阿部先生は、この問いかけをよくなさいます。このテーマは、今の社会福祉現場の課題でもあります。Lifeは、①命、生命、人命。②生命をもった人、③生活、暮らし方。④人生、等々の多様な意味をもっています。いずれも、生きていくために欠かすことのできないものです。利用者が生きていくことを支援する社会福祉は、③の生活に留まらず、個々の人の生き方、生きてきた誇り、信念を大切に、④の人生に対応する必要があります。その結果、利用者の生活意欲は高まり、その能力に応じた自立の可能性が広がるのです。

次に、そもそも専門職とは何者か、考えていきたいと思います。

<第1の問いかけ>専門職が、利用者の生活の豊かさにどのように貢献できたかという問いかけがあります。今、「生きる」一人の人間と、専門職が把握する利用者との狭間がなかなか埋まらないと事実が、利用者の決定的な不満を生み出しています。悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者とともに、専門職は歩いてきたのでしょうか。専門職は、そのことをたえず検証していくことが必要です。

<第2の問いかけ>専門職の原点はどこにあるのかという問いかけです。私は、以下の3つのことを大切にしています。

一つは、生命の理解。すべての生命は、祝福されて与えられたもの。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)という聖句の通り、この事実に、疑義をはさむ余地はない。生まれて来た子に、「おめでとう」と言うのは、当たり前です。

二つ目は、人間の理解。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2章7節)とあるように、命の息吹がスピリチュアリティの原点である。しかし、スピリチュアリティを日本語訳にすることは非常にむずかしい。阿部志郎先生は、スピリチュアリティを「自己存在を超える深みから、根源的に人間を支え動かし、知情意を統合して生きる意味を内発的に問いかける力」と定義した。人を人としてあらしめる感性、知性、意識があるか、私たちは問われているのである。

専門職の狭い知識で描かれた利用者像に個々の利用者を当てはめていないか。人を人としてあらしめる感性、知性、意識があるか、私たちは問われています。専門職である前に、一人の人間でありたい。

三つ目は、人生(生きていく意味)の理解。人生は山の頂きに向かって歩んでいく道程であると思います。その道の途中に、様々な出会いがあり、障害があり、それを乗り越えていくために、共に歩んでいく人たちの絆が生まれる。私も、今まで解決困難なたくさんのことに出会い、多くの絆を結び、解決してきました。その時の苦労とともに、助けて下さった方々への恩は忘れていません。だから今でも信頼関係が続いています。しかし、その絆が断ち切られた時に、私たちは戸惑い、迷い、歩みを止めてしまう。今、さまざまな絆が断ち切られています。孤立状態にある方々が急激に増えている。特に、老いて孤立していく方も多い。私は、教会の礼拝で、老いについ語られたて阿部先生の説教をお聞きし、以下のメッセージを書きました。

人は夢を見、若者は幻を見る(ヨエル書第三章第一節)

 「高齢期は喪失の時代であると言われます。加齢によって、身体の機能は低下します。愛する家族や親しかった友人を失う悲しみは増えるばかりです。しかも仕事は定年を迎え、自分にふさわしい新たな役割を探さなければなりません。なのに夢と幻、すなわち明日への希望を持つことができるだろうか。頭を抱えて、明日への歩みを止めてしまう自分が良く見えます。だが、「老いの坂をのぼりゆき、かしらの雪つもるとも、かわらぬわが愛におり、やすけくあれ、わが民よ」(日本基督教団讃美歌第一編二八四番)と賛美歌にあるように、山の頂に向かって歩み続ける兄弟姉妹がおられます。感動する心と希望をもって、明日に向かって今を生きる方々の歩みに私は勇気づけられます。誰にも将来を見通すことはできません。過去の後悔に押しつぶされそうになります。しかし、神の愛のまなざしを心にとめ、日々祈りつつ今を生きることによって、過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わっていく感動を、神はたえず私たちに与えてくださる。だから見通せない将来に向かって、日々の歩みをとめてはなりません。

そして、最後の時、支えてくれた家族や人びとに感謝することができたなら、それは人生最後でもっともすばらしい証し。感謝する人の命が光ります。見看る人びとの思いがその人の命を通して光り、その人を支えてきた神の愛が、その人の人生を通して光り続ける。神の愛は、とどまることなく最後まで私たちに注がれています。このような人生に停年はありません。」

「おめでとう」で始まり 「ありがとう」終わる人生を、コミュニティにおいて実現したい。(市川『<おめでとう>で始まり <ありがとう>終わる人生—福祉とキリスト教』教文館、2014年)

専門職には、それぞれの人生の歩みを支えて頂きたい。

<第3の問いかけ>支援の限界をどのように考えるかという問いかけです。私は学生や卒業生にいつも「一人で抱えないで」と言っています。福祉の現場では、解決がたやすい課題ばかりではありませんから、それを全て自分で解決しょうと思わないでほしい。本当の専門職は「自分の限界を知っている人」です。より良い専門職は、医療とか保健、教育、行政などとの「連携」の意義と可能性について知っている人だと。様々な領域の専門職や住民活動を「繋ぐことができる人」になって欲しいと。そのためには、どんな課題にぶつかろうとも、抱え込まないことが大切です。確かに「出来ること」と「出来ないこと」があります。利用者の全ての要望に応えることも無理です。その課題に対して無力な点もあるけれど、それぞれに「強み」もあります。それを共に理解しながら、地域という場で、一緒に歩んでいく。出来ないからと放置するのではなく、どうやったら実現できるかを利用者の声も聞きながら一緒に考える。そのプロセスが大事だと思っています。

<第4の問いかけ>利用者と同じ目線に立ち、関わっているのかという問いかけです。患者の同意の上で医療行為を行うというイン フォームドコンセントの考え方は、社会福祉の分野においても常識となっています。しかし、その伝える内容、時、場所、相手、その後のフォローと支援のネットワーク等、十分配慮する必要があるものの、一方的に医師等の専門職の判断に委ねられてしまうことも少なくありません。専門職は絶対ではなく、それぞれの決定の理由と根拠を説明する責任が課せられているのです。

<第5の問いかけ>利用者が生活している、またかつては生活していた地域を念頭に置いた援助をしているのかという問いかけです。子育ても、子どもの成長も、家族の歩みも地域やさまざまな関係性の中で生まれ、育まれてきたと思うのです。人に支えられたり、励ましたり励まされたり、傷つけたり傷つけられたり、そしてまた和解をしたり…。いろいろな出会いがあったはずです。その出会いが切れて、結局は小さな空間に家族だけがそこにある。それが今の家族であり地域の現状だと思っています。その結果、引きこもりが増え、それがずっと続いている人が多くなっています。その人が地域に巣立とうとしても十分なサポートが出来なくなっています。

<第6の問いかけ>「どのように支援するのか」というだけでなく、「どうして支援するのか」という問いかけです。大切なことは、先にも述べた「人間理解」です。人間理解に始まって、共感へと昇華する。共感があるから関われるのだと思います。福祉の仕事はそこにひとつの特徴があるのではないかと。もうひとつが、「人間と真向う」ことであって、ある意味で文化を創造することでもあると思います。つまり、福祉の仕事はひとりの人間の問題に関わっていくのだということです。このことがとても大事なことではないかと。それはソーシャルワーカーの役割じゃないでしょうか。

人に向き合うことで「共感」が生まれます。福祉で働こうとしている私の学校の学生の多くは「現場でなんとかしたい」「実践したい」と思っています。福祉や心理を学びたいというはっきりした目的を持って入学しているからです。彼らに言っています。

「専門職であることは必要です。しかし、専門職である前にひとりの人間でありなさい。そのことによって見えてくることは沢山ある」と。大事なのはやはり困難に直面した人たちに寄り添っていけるかどうか。仕事がマンネリ化した時、仕事に行き詰まった時には「原点に戻るために、学校に戻って来なさい」と言っています。原点に戻るために学習をしてほしいと。

福祉の魅力は、「誇り」です。その人と共に歩み、困難にある方にみんなと一緒に手を差し伸べる。そして、自分も手を差し伸べられている。互いに共生の社会を目ざすということは「誇り」です。

阿部先生は、「助けるだけではなく、助けられる。そこが非常に大事だと思います。サービスの意味は、「身を低くして塵の中に座れ」である」「「愛は、理解することです。信頼です。支え合うこと。寛容なこと。正義を喜ぶこと。そして許し合うことです。」と言われます。時として、困難に直面している人への支援に忙殺され、自らを失うこともあります。また自分の今の働きが、社会に貢献しているだろうかと疑問をもったり、自己嫌悪になることもあります。

しかし、アフリカで砂漠の緑化に取り組んでいるNGOに所属する方が言いました。森を砂漠にするのには1年もかからない。しかし、砂漠を緑化するのは五〇年、一〇〇年かかります。とてつもない労力は必要ですと。しかし、一本の木から植えなければ砂漠の緑化は成り立ちません。一本の木を植え続けることによって、やがては砂漠に緑が戻ってくることを願いながら、まず一本の木を植えていきたいと思います。

しかも、一人の人間のいのちには、限りがある。<われらのよわいは70年にすぎません。あるいは健やかであっても80年でしょう>(詩編90:10)日々新たに、自立的に生きようとするが、人間には寿命がある。しかし、一人ひとりの人間を横につなぎ、連帯で結ぶコミュニティの生命には限りがない。構成員の意志によって永続することが可能である」(「コミュニティ・ケア−社会的孤立からの擁護−」『社会福祉の思想と実践』(中央法規)2011年)

そのことを信じて、歩んでいきたいと思います。

Ⅳ)最後に:私にとって大切な御言葉

「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ第 29 章 40 節)

⇒「私の兄弟であるこの最も小さい者」と書かれています。すなわち困難な時代を生き、しかし今までの絆を断ち切られ、悲嘆している方々の存在を神が守ろうとしておられる

⇒困難に直面している一人ひとりの存在を知らせるべく、その方々のそばに神が立ち、私たちを招いておられると思っています。

⇒そして、私は今、このように気がつきました。助け起こした「最も小さい者」の顔を見たら、それは自分自身であったと。

3つめの出会いは、2月17日(土曜日)に行われた横須賀基督教社会館の『講演会と感謝の集い』での講演です。2月になって、阿部先生、岸川洋治先生に3度もお会いできるなんて、素晴らしい神様からの贈り物と思いました。以下、講演の概要をお示しします。

2024年2月17日 横須賀基督教社会館 講演会と感謝の集い 

          地域の大切さ

                                ルーテル学院大学 名誉教授 市川一宏

1.横須賀基督教社会館にとって、ボランティアとは。

横須賀基督教社会館は、基本目標として、「社会福祉法人横須賀基督教社会館は、地域と共に歩んできたコミュニティセンターとしての歴史を大切にし、キリスト教精神に基づく施設として、不安や孤独、排除や孤立のない、人と人のつながりが大切にされ、希望をもって暮らすことのできる地域社会、自立と連帯のコミュニティ形成を目指す」と掲げています。(HP)

「人間は、なぜコミュニティを必要とするのであろうか。孤独に耐えつつも、意志的に自立への道を歩もうとするからではないか。自立する人間にとって、孤独に耐えさせる環境、そして、社会的孤立から守られる場、それがコミュニティなのではないか。自立は、連帯の支えなくしては成就しない。自立と連帯は密接不可分で、この両者の組み合わせとしてコミュニティが形成される。」(『社会福祉の思想と実践』中央法規、2011年)

  • 社会館の存在証明

・社会館バザー

・田浦町たすけあいの会

・ひだまりの会

これらの活動は、社会館が単なる建物、サービスの提供だけに留まっておらず、広く住民とともに歩んでいたという証ではないだろうか。

  • 人と人のつながりを大切にすることを目標とした社会館の事業は、住民との関わりを通して実現する。すなわり、住民と切磋琢磨した日々の取り組みが一人ひとりの住民の生活が支えるつながりを生み出す。
  • お金を失うと「   」の危機
  • 名誉を失うと「   」の危機
  • 希望を失うと「   」の危機

 社会館が希望を届けることができるのは、一緒に歩む多くの存在があるから。

2.そもそもボランティア活動とは何か。

①自分の経験:今から50年前の私が大学1年生の時、ボランティアとして東京都大島にある知的障害児施設の大島藤倉学園(現在は障害者支援施設・施設入所支援・生活介護事業を実施)を訪問しました。私が中学・高校を過ごした東京都内にも伝統ある障害児者施設があるにも関わらず、学校の行き帰りに障害児者に出会うことはありませんでした。そのため、大島藤倉学園を訪問した際、日常とのギャップに戸惑ったことを思い出します。その時出会った言葉が、知的障害児者の父と言われた糸賀一雄先生の「この子らを世の光に」という言葉でした。私は、この子らが地域で当たり前の生活をしていることが社会の光となり、それを一緒に実現する活動がボランティア活動であると胸に刻みました。

また、ボランティア活動を通して自分の生き方が問われ、将来の道を探し求めて、当時横須賀基督教社会館の館長だった阿部志郎先生にお会いしました。阿部先生から、自立と連帯によってコミュニティが形成されること、そしてボランティア・市民活動とは、自分を振り返りつつ、連帯・協働して、コミュニティを耕す自発的な活動であることを学びました。今、「どのように活動するか」だけでなく、「どうして活動するのか」というボランティア・市民活動の原点が問われていますが、私の原点は青年時代の出会いから生まれました。

②活動の原点:

ボランティア活動とは、

㋐日常用語としての “Can  I  help  you?”

  ボランティアが中心でなく、相手が中心 

㋑率直な感謝の気持を相手に伝える 

  “Thank you”  “It’s my pleasure”

㋒自分も学ぶ(お互い様)

③定義:利他性(人のため)、無償性(一切の報酬を受け取らない)という伝統的な考え方に変化が起こっている。今日のボランティア活動の特徴を述べます。

㋐さまざまな活動動機・活動時間・活動の内容(多様性)

㋑与えられる姿勢からつくりだす姿勢への転換(主体性)

㋒企業も含め、幅広い活動が展開されてきている。また活動が一定の地域で、自己完結しにくくなっている。他の団体や活動との連携が不可欠なものとなっている。(広域性と相互関連性)

㋓他者と自分にとってのボランティア活動(今日的利他性)社会に対する貢献・市民同士の助け合いとともに、新しい人間関係をつくり、自分が成長していく機会としてのボランティア活動

㋔同じ視点で(共感性) それぞれが直面し、抱いている痛みに共感する

㋕切り開き、築き上げるボランティア活動(開拓性) 食事サービス、ホームヘルプは、以前はボランティア活動から始まりました。繰り出し梯子論(ウェッブ)は、ボランティアを表現する代表的な考え方である。生活困難な人々に届かない援助をボランティアが届けていくこと、梯子をさらに延ばすことができるのが、繰り出し梯子です。

㋖困難に直面する市民の代弁者・弁護者としての活動(権利性)

3.新たな時代背景

①広がる地域の生活課題

内閣府は2019年3月29日、自宅に半年以上閉じこもっている「ひきこもり」の40~64歳が、全国で推計61万3千人いるとの調査結果を発表した。7割以上が男性で、ひきこもりの期間は7年以上が半数を占めた。15~39歳の推計54万1千人を上回り、ひきこもりの高齢化、長期化が鮮明になった。調査時期の違いなどはあるものの、内閣府では15~39歳も合わせた引きこもりの総数は100万人を超えるとみている。さらに2020年3月より続くコロナ感染症の拡大によって、特に高齢者・障害者の孤立化が顕著となり、感染を恐れて外出や関わりを控えた結果、虚弱な高齢者、認知症の高齢者が増加したことが危惧されています。

休業やシフト減、雇止め等による経済的困窮に加え、緊急事態宣言等に伴う外出自粛により人とのつながりが変化し、社会的に孤立を深める人、DV・虐待など家庭に問題を抱える人が顕在化した。こうした影響は、コロナ禍以前から生活困窮のおそれがあった人や脆弱な生活基盤のもと暮らしていた人がいかに多く存在していたかを浮き彫りにした」(「生活困窮者自立支援のあり方等に関する論点整理」生活困窮者自立支援のあり方等に関する論点整理のための検討会・ワーキンググループ、令和4年4月26日)

②能登半島地震被災地支援から学ぶこと

1月1日に発生した地震の被害は大きく、なかなか被害の実態が分かりませんでした。その被害の深刻さに、私たちは戸惑っています。しかし、地震や豪雨、山火事等の自然災害は、日本のどこで起こるか、まったく予想ができない。 

今後は、現地で起こっている、自分たちで、コミュニティを再建しようとする地道な歩みと足を揃えることが求められています。そのためにも、私たちは、今まで実践してきた福祉のまちづくりを進め、明日を目指して、被災地で生まれた「希望の働き」と共に歩みたい。 

それが、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくことに他ならないと思います。

文:ひまわりをうえた八人のお母さんと葉方丹 絵:松成真理子 岩崎書店

ひとつぶの小さな種が、千つぶもの種になりました。そのひとつぶひとつぶが、ひとりひとりの子どもたちの、思い出のように思えました。また 夏が来たら 会おうね。ずっとずっといっしょだよ。

困難な問題を抱える女性への支援に関する法律

皆さん、おはようございます。お元気でお過ごしですか。

さて、ルーテル学院大学の卒業生、そして本学の大学院生でもあり、現在、厚生労働省社会・援護局総務課女性支援室 女性支援専門官をなさっておられる池田恭子さんより、メッセージが届いています。

「これまでさまざまな困難を抱える女性に対しての支援は、売春防止法を根拠とした婦人保護事業でした。しかし婦人保護事業はあくまでも売春の恐れのある女子(要保護女子)を保護・更生させることが目的であり、女性を支援するという福祉的な視点には欠けているものでした。
他の個別法によって、対象者を少しずつ拡大してきましたが、現状の女性をめぐる多様化・複雑化・複合化する問題に対応しきれず、現場からは制度的限界がしてきされてきておりました。
昨今のコロナ禍でその女性たちの問題が可視化されたこともあり、令和4年5月に「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」成立しました。
この法律には「女性の福祉」「人権の尊重」等、その視点にたって支援を行うことが目的や理念に明記されました。
今年4月1日に施行されるにあたり、ハートネットTVでも取り上げてくださいましたので、是非ともこの法律やこの法律を必要とする方々がいらっしゃることを1人でも多くの方に知っていただければと思います。」

放映後の情報提供になってすいません。私のハートネットTVの社協特集と同様に、見られることを期待しています。

ちなみに、能登半島地震被災地支援に関しては、市川一宏研究室に掲載しています。

市川一宏

能登半島被災地支援3(2024年2月10日)

皆さん

おはようございます。

能登半島地震の被災地支援に関する新しい情報を提供します。

ちなみに、私は、2月8日・9日に能登半島の羽咋市で講演をして帰ってきました。地震を覚悟していましたが、幸い、一度も揺れませんでした。ただ、能登半島の各自治体は、人口減少に歯止めがきかないこと、北部の市で仕事をしている方々が住居を羽咋市の民間住宅に求め、ほとんど埋まっていること、民生委員活動も対象を広げる必要があるようです。また、民生委員児童委員の新人が多く、そして今回初めて定員を満たさなくなったようです。能登半島全体が高齢化とともに、着実に地域課題が深刻化しています。また、今回の地震規模と同じような地震は、どこで起こっても不思議ではない状況です。そのため、どこの地域でも、地震対策や発災後の支え合いの仕組み作りが急がれます。それは、被災地と協働した福祉のまちづくりだと思います。

市川一宏

<東京ボランティア・市民活動センター災害担当からの情報提供>

●能登半島地震被災者支援ガイダンスの開催

○現在、被災地では復旧・復興に向けて、ボランティアによる被災者支援活動が開始されており、今後、ボランティア活動の広がりと支援の長期化が見込まれています。

TVACと東京都では、被災者支援に関する情報提供及び支援に向けた機運の拡大を目的とし、ボランティア活動に必要な知識や被災地の状況、現在行われている支援等についてお伝えするガイダンスを開催します。被災地での支援にご関心のある方はどなたでもご参加いただけます。ぜひご参加ください。

開催日時 2月16日(金)19時00分~20時30分

開催場所 ハイブリッド開催(会場及びオンライン開催)

会場:飯田橋セントラルプラザ12階 会議室C・D(新宿区神楽河岸1-1)

申し込み https://www.tvac.or.jp/noto_guidance.html

●都内一斉街頭募金の実施状況および時期日程(3期・4期)の提案

○第3期・第4期の提案

日程 第3期 2024年2月3日(土)-2月12日(月)

第4期 2024年2月17日(土)-2月25日(日)

提案書 https://www.tvac.or.jp/download/di5UpizcnFbK.pdf

○2月5日現在、提案に対し都内で44団体のべ88回の街頭募金が実施(実施予定含む)されています。

詳細は下記ウェブページをご確認ください。過去に実施した報告も記載されています。

・都内一斉街頭募金の状況

https://www.tvac.or.jp/special/r6noto/bokin

●ボラ市民ウェブ「令和6年能登半島地震」

○前回時点から物資支援情報、被災者支援活動団体への助成情報などを更新しています。

物資支援は一部、Amazon欲しいものリスト等で個人からの支援を受け付けています。

石川県での災害ボランティア活動は現在も募集人数が限られている状況です。

https://www.tvac.or.jp/news/50903 <https://www.tvac.or.jp/news/50903>

※各種募金・支援金情報、物資支援情報等、市民向けに幅広く被災者支援情報を発信しています。

各センター/団体のウェブサイトへのアップや相談等にご利用ください。

●支援団体(CS-Tokyo会員団体およびアクションプラン推進会議関連団体)の動き

○ADRA Japanでは、石川県にて活動するボランティアを募集しています。

https://www.adrajpn.org/volunteer_bosyu/7279/

○以下、CS-Tokyo会員団体およびアクションプラン推進会議関連団体のウェブです。

・ADRA Japan

https://www.adrajpn.org/category/kokunai/

・ピースボート災害支援センター

1月13日に実施したオンライン報告会のアーカイブがこちらからご覧になれます。

・シャンティ国際ボランティア会 活動報告

https://sva.or.jp/activitynews/

・全国災害ボランテイア支援団体ネットワーク

https://jvoad.jp/

・ジャパン・プラットフォーム

https://www.japanplatform.org/news/index.html

・東京YMCA

https://tokyo.ymca.or.jp/

・セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン

https://www.savechildren.or.jp/lp/emegency_notoearthquake202401/

・防災・災害ボランティア かわせみ

https://www.npo-kawasemi.org/

・災害ボランティア活動支援プロジェクト会議

・真如苑SeRV

https://relief-volunteers.jp/

・IVUSA

https://www.ivusa.com/

・グッドネーバーズ・ジャパン

https://www.gnjp.org/donate/oneoff/emergency/ver3.2/index_2024noto_eq.html

・AAR Japan

https://aarjapan.gr.jp/

・天理教災害救援ひのきしん隊

https://www.tenrikyo.or.jp/jpn/saikyu/

・ピースウィンズ・ジャパン

https://peace-winds.org/

・おもちゃの図書館全国連絡会

https://www.toylib-jpn.org/renrakukaitoha_saigai.html