2019年05月の投稿
同連絡協議会は、平成13年に発足した任意団体です。名の通り、大分市内の事業所を単位とし、約140事業所のうち131事業所が加入しています。介護支援専門員の実人数は、約140事業所のうち131事業所が加入しています。介護支援専門員の実人数は、約460人です。
愛弟子が事務局を担当しており、その依頼を受けて、大分に行くことにしました。彼女の思いを大切にし、それを各参加者にお伝えしたいと思っていました。「私はたくさんの利用者が、今の私を育てて下さったと思っています。敬意と感謝があります。」との言葉を受け、うれしく思います。教員は、卒業生によって育てられると実感しました。彼女の感想は、後ほど公開します。
先日は、ありがとうございました。
本当に感想文です。とても刺激を受けました。田舎が恋しくなりました。業務に追われ、月に何度もやめたくなるのですが、今働いている地域を大切にしたいと思うようになりました。ありがとうございました。
『私ごとですが、ルーテルを卒業して24年。そのうち23年間は在宅部門に、今の職場に勤務して22年になります。その間、仕事もですが、私の人生もいろいろありました。いつも振り返ると、そこにルーテルがあり、当時の友がいました。会えるわけでもなく、連絡をとるわけでもなく、本当に私の心の支えでした。それと同じくらい私は、利用者の相談援助をしながら、その利用者に支えてもらっていると感じてきました。
私にとって介護保険は、利用者がサービスや事業所を選択できる画期的な制度でしたが、始まってみると、ケアマネジメントがビジネス化し、ソーシャルワークがなされていないのではないかと何度も問ってきました。介護保険法という法の中で働くこと、法令遵守や監査など形式的なところがどこか優先され、サービスに繋がらない困難事例は引き受け手がない。専門職の狭い知識に利用者をあてはめるのではなく、ひとりの人間として利用者と向き合う。その先に専門職の役割を見出せるようなマネジメントができているのだろうか。そんな振り返りや気づきの場を、同業の仲間と共有したい。それは私の願いでもありました。
10数年も前、先生から「いつでも連絡しなさい。協力するから…」のお言葉を信じて、思い切って連絡しました。「どうした~?」「わかったよ、いつ?」こんなに簡単に実現できるとは思ってもみませんでした。先生のご無理に感謝でした。
この度、先生には、大分市内の居宅介護支援事業者に勤務する介護支援専門員に『介護支援専門員らしく、利用者や地域を支えるために』と題してご講演をいただきました。面白おかしく、そして力強くお話しする姿は、学生時代と変わりませんでした。講演ではたくさんのアドバイスやアイデアをいただきました。自分の固定観念にも気づかされました。会終了後は、早速、仲間の多くから、企画した私のもとに好評が届きました。本当に嬉しかったです。
早いもので先生のご講演から、数日が経過いたしました。当日は先生との再会、会の運営、そして講演に胸がいっぱいになりました。翌日はいつもと変わらない業務に戻りましたが、心の中は整理され、気持ち穏やかに働くことができました。
先生、お忙しい中、本当にようこそ、大分へ。そしてありがとうございました。
KKD(経験と勘と度胸=旧いOJT)の私ですが、そうでない根拠をと先生から課題をいただきました。経験に根拠を重ねられるようになりたいと思いました。たくさんの利用者(きっと犠牲になられた方の方が多かったと思います)が、いろんなことがあった私の人生を支え、専門職としての私を育てて下さいました。何度も言いますが、敬意と感謝があります。その思いを、今やこれから出会う利用者の支援に活かすこと。介護支援専門員である前に、一人の人間として私らしく。それを与えられた場所で、ぼちぼちとやって行こうと思います。「悩みながら、あきらめないこと!!」が大事なのですよね、先生。』5月31日 小野育代
市川自身のことですが、早期に胃の問題が見つかり、11月に手術をしました。その後、12月に復帰し、1月より学長の仕事、教員としての仕事、社会的責任を担ってきました。気力は充実しており、体調も徐々に回復しています。ただ、体重が急激に落ちましたので、皆さんがいろいろ心配をなさいますが、ご心配は必要ありません。小野さんのような素晴らしい教え子がたくさんおり、その刺激を受け、充実した一日一日を送っています。感謝です。皆さん、どうぞ、今後とも、今まで通りお支え下さい。市川
投稿日 19年05月29日[水] 10:24 PM | カテゴリー: 共助社会づくり,社会福祉関連
1.日 時 令和元年5月20日(月)午後1時00分~4時00分
2.場 所 大阪国際交流センター(〒543-0001 大阪市天王寺区上本町8-2-
第一部 式 典 午後1時00分~1時40分
第二部 記念講演 (午後2時00分~3時15分)
演題:「これからの民生委員・児童委員活動を考える」
講師:ルーテル学院大学学長 市川 一宏
大阪府民生委員児童委員連合会は、方針の作成プロセスを大切に、方針を明確にしているところに特徴がある。
大阪府民児協連合会の方針
社会的に孤立している人々への支援にむけての取り組み①あいさつや声かけ、訪問活動を通じて地域住民とのつながりを強化しよう!(1.飯綱の実践)
②助けあいのできる、SOSを出しやすい地域づくりを進めよう!(2.受け止める人を育てよう、3. それぞれが「自分らしく居られる」場づくり、4.生活の動線に合わせる
③関係機関や校区福祉委員会等との連携を強化し、地域の福祉力を高めよう!(Ⅳ.日常生活を基盤にした接ぎ木の取り組み)
④地区委員会等で事例検討を実践し、活動を見直す機会をもとう!⑤学びの場をつくろう!⑥全委員による児童委員活動を推進しよう!⑦連携の幅を広げよう!(5.資源を活用する)
大阪府民生委員・児童委員協議会連合会の取り組み
市町村民児協での取り組みの推進と内容
(1)事前調査(2018年5月依頼→6月末調査票提出締切)済
目的:調査研究事業の成果発信、市町村民児協での取り組みの具体化に向けた準備
(2)中間報告(2018年12月依頼→2019年1月末報告書提出締切)済
目的:市町村での取り組み実践の進捗状況の確認、さらなる推進の呼びかけ
(3)最終報告(2019年7月依頼予定→9月末締切予定)
目的:取り組み実践のふりかえり、地域の現状・課題や今後取り組むべきことの整理
投稿日 10:08 PM | カテゴリー: 共助社会づくり,社会福祉関連
近所で赤いツツジが、一本咲いていました。とてもきれいでした。私は、一本のツツジが、はっきりと語りかけていると思い、写真を撮りました。確かに、周りは、枯れた草が覆っており、写真としてはどうかと思いましたが、赤い一本のツツジが、私たち一人ひとりの生き方に思いました。
私は、1人ひとりには個性があり、持ち味があり、可能性があると思っています。そして、私は、それぞれの可能性を活かしあえる社会にしたいと思っています。これは、天から降ってくるものではなく、地面から天に向かって伸びていく、日常的な挑戦と考えています。
2005年度前期大学卒業式・大学院学位授与式には、「一本の山ツツジ」というメッセージを学生諸君に送りました。以下、掲載します。
聖書 ヨハネによる福音書第1章第1節〜5節
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は、言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
「つくられた、たくさんの山ツツジより、自然の中にある一本の山ツツジ」が人の心の原点に触れると言われたのは、後藤哲也氏。熊本県の北東部で、阿蘇のふもとにある熊本空港から1時間ほどの所にあり、客が来ないでまったく寂れていた黒川温泉を、全国有数の温泉地にした人。カリスマ経営者として全国に有名です。40年前、3年をかけて、自らノミとカナヅチで洞窟風呂を掘りました。そして、「説明なくとも見える姿がすべてを語る」と考え、自らの旅館を工夫し、また温泉地全体で一貫した雰囲気と環境を醸し出した。そこでは、川が流れ、苔がその周りを包み、いたる所で温泉の湯気が立ちのぼり、時間がゆっくりと過ぎていきます。
今、たくさんの町や村が壊れつつあります。少子高齢化が急激に進み、まさに過疎化、そして構造改革といわれる大規模な改革が、日本のあらゆる地域に、熾烈な競争の原理を持ち込み、競争に敗れたいくつもの町や村が、貴重な文化と豊かな自然とともに、消え去ろうとしています。
しかし、市場経済の荒波の中にあっても、その存在と個性は揺るがないと思われる黒川温泉の創設者後藤さんとは、この1年で2回お会いし、お話を聞くことができました。後藤さんの信念は、「たくさんの山ツツジより、自然に生える1本の山ツツジ」を大切にすることでした。
私は、1本の山ツツジの意味は、何かと今まで考えてきました。そして、今、私は、こう考えています。
1つは、気がつかなかった自然の営みが、心の中にある故郷を呼び起こし、来る者の心の疲れをとる。人の手によってつくられた、いわゆる人工的社会で生きていかざるを得ない私たちが、ほっとできる居場所はどこでしょうか。気を遣うことなく自然でいられるところ。故郷のように、いつも心の中のどこかで、灯火となっている場所。ありのままの自然を見つめ、大切にしようとしたからこそ、自然が安らぎを与えてくれている。
2つめは、山ツツジが、厳しい自然の中で、ただひたすらに生き続けていること。そこに人の手による町があろうとなかろうと、山ツツジは、初めからあった。そこに、唯一かけがえのない、似ているかもしれないけれど、他とは違う1本の山ツツジを大切にしていること。
3つめは、「説明がなくても、見える姿がすべてを語っている」けれども、その姿に私たちが気が付かない。1本の山ツツジは、相手に安らぎを与えるメッセージを送り続けていたのに。その意味を後藤さんに教えて頂きました。
今日は、卒業式・単位授与式であると共に、本学院の創立記念礼拝です。「生きている事実だけではなく、生きる意味を学び、生かされていることを知る。だからこそ、人の生活、祈り、痛みに寄り添うことができる。」本学の使命は、その働き人を社会に送り出すこと。様々な苦労を乗り越えて、ここに立つ1名の卒業生を誇りを持って送り出したいと思います。さらに、超多忙な児童相談所に勤務しながら、大学院生としての勉強を両立させてきた者に、敬意をもって学位を授与したいと思います。
今日の聖句は、私がもっとも好きな箇所の一つ。この聖句を、卒業記念として2人にプレゼントします。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は、言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」すでに、私たちには言が与えられている。その言とは、イエスキリストです。1本の山ツツジのように、私たちが気がつかないところにおいても、命として、光として、私たちを支えてくださっておられます。いつまでも、そのことを忘れなければ、どんな困難にあっても、君たちの明日は必ず切り開かれる。 よく頑張りました。卒業そして学位取得、ほんとうにおめでとう。そして、これからもよろしく。
投稿日 19年05月01日[水] 8:53 AM | カテゴリー: 共助社会づくり