社会福祉関連

東日本大震災被災地支援から能登半島被災地支援

東日本大震災被災地支援から学ぶ能登半島被災地支援

2024年1月1日、16時10分、石川県能登半島で起こった地震は、マグニチュード7.6に達し、以降連続して地震が頻発し、能登半島、特に北部の奥能登の被害は甚大でした。地盤の液晶化や地震による家の崩壊、津波、地盤隆起、また一部地域における大規模な火災の影響は大きく、全国から被災地を応援する取り組みは広がっています。しかし、道路や水、ガス等のインフラの被害により、特に過疎地帯の被害の現状が分からず、私は、たくさんの方々から情報を提供して頂き、皆さんに提供させて頂きました。その状況は今も多くの地域で継続しており、道路や水道の普及というインフラ自体の問題が解決しておらず、ボランティアによる支援自体にも、困難な状況にあります。

そこで、私が関わらせて頂いた東日本大震災被災地支援を振り返りながら、私の意見をまとめていきたいと思います。

Ⅰ)2023年における福島県社会福祉大会、石巻ブロック民生委員児童委員大会を通して、学んだこと。

福島県社会福祉大会

 11月17日(金曜日)、福島市のパルセ飯坂において、福島県社会福祉大会が開催され、私は、「地域共生社会づくり」をテーマに講演させて頂きました。前日、30年近くの旧友である県社協の友人と一緒に食事をしました。友人とは、社協の管理職研修、社会福祉法人の生涯学習研修、ボランティア・コーディネーター研修等々を企画し、実施してきましたので、私にとって福島県の地域福祉、社会福祉の原点をふりかえった学びの時であり、今までの活動の意味と反省点をふりかえる確認の時を持つことができました。

なお、2011年3月11日の東日本大震災の影響は、今も残っています。改めて、講演をさせて頂き、私が学んだことを述べさせて頂きます。

災害は、被災地だけの問題ではない。

現在も、たくさんの福島県民が、県外で生活しておられます。2011年当初、<「仮の生活」「仮の人生」はない。「被災者なんだから」という考えは、「高齢者なんだから」「障がい者なんだから」という考え方に通じる。>と、2011年の発災後に訪問した東北厚生局の対策責任者であった藤木則夫さんよりお聞きしました。私は、藤木さんの発言と行動力に強い共感を覚えたことを思い出します。

 福島県社会福祉大会講演

私は、原発事故の結果、計り知れない被害を受けている福島県において、どのような講演ができるか、正直迷いました。でも、私自身の問題認識にこそ、問題があると思いました。多くの住民の方々は、どのような地域をつくろうか、実際に行動を起こしておられる。そして、希望を捨てておられない、その事実に敬意を表し、それをバックアップできるよう、精一杯自分の経験と知識を用いて、地域福祉活動の今日的意義をお伝えしました。

最後の拍手の大きさ、力強さ、そしてお帰りになる際の皆さんの反応を見る限り、参加した多くの方々のご期待を裏切らなかったと思いました。毎回チャレンジですが、私の講演を通して、住民活動が活発になるならば、それは私の本望です。

以下、会津若松市社協のホームページに書いて頂いた大会の報告をお示しします。

「11月17日(金)、第77回福島県社会福祉大会が福島市のパルセ飯坂で行われ、本会会長、理事・監事10名、受賞者5名、事務局2名の合計17名で参加しました。授賞式の前にはルーテル学院大学名誉教授である市川一宏氏による記念講演が行われました。

「地域共生社会づくりに向けて」と題して、さまざまな事例や体験談を紹介しながらユーモアたっぷりにお話され、参加された皆さんは熱心に聞いていました。

授賞式では、傾聴ボランティアの鳥塚冴子氏が福島県社会福祉協議会会長表彰の代表受賞を務められました。また、一箕小学校の生徒さんが赤い羽根共同募金運動のスローガンを発表するなど、会津若松市の方が大変活躍されていました。」

石巻ブロック民生児童委員連絡協議会(石巻市・女川市・東松島町)講演

2023年11月15日、石巻市民生委員児童委員協議会会長の蟻坂さんのご依頼を受け、講演をさせて頂きました。内容は、新聞に書かれている通りです。

私と石巻市社協との関わりは長く、深く、地域福祉活動計画の作成、実施、ボランティアセンターの立ち上げ、社協の組織強化のための研修等々の取り組みは、私の研究、実践の基礎を作ったという意味で、私にとって貴重な体験でした。親友の渋谷秀樹さん、遠藤正之さん、門間ひとみさん、千葉和宏さん、阿部由紀さん、峯田貴博さん、髙橋了さん、内海信康さん、小松龍哉さん等と議論を重ね第2次地域福祉活動計画を策定しました。またその後も伊藤勝弘さん、工藤雅弘さん、そして大槻英夫会長にはお世話になりました。石巻市社協の方々から学んだことは、40年間勤めたルーテル学院大学の最終年に『研究の足跡』としてまとめてあります。どうぞご覧下さい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/edm0g40nhpqhudpuivrml/.pdf?rlkey=xmpnmuh69x95588vn4h9wn6jc&dl=0

支援から協働へ

今回、石巻を訪問し、復興住宅での孤立の問題が深刻化してること、防波堤や、居住地域の底上げ、環境整備を進めてきた地域での人口減少が顕著になっていること等の課題をお聞きしました。昨年作成された第4次地域福祉活動計画では、「本市では、今後も人口減少が続く一方で、高齢化率の進行とともに、単身高齢者数についても増加 すると見込まれます。市民アンケートからは、地域の希薄化が進んでいることがうかがえ、更には、コロナ禍によって、地域の交流が図りにくくなっており、社会的孤立やひきこもりとなる市民の増加が危惧されます。また、近年では地域における課題が複雑化・複合化し、従来の「縦割り」による制度では解決が難しい状況となっており、市民、地域、関係機関、市(関 係各課)の連携がこれまで以上に必要となっています。」と課題が明記されています。

私は、2011年から被災地を訪問し、その間、以下のことを感じ、学びました。「まだ瓦礫が片付かず、生活の拠点を失った方々の生活の場が築かれていない現実、支援が遅れている現状をつぶさに見てきました。また、徐々に支援団体が撤退していく現実に、寂しさを感じました。しかし、自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、本当に求められていると思いました。復旧に3年、復興にさらに3年と言われていますが、その過程で明日を目指して、被災地で生まれた「希望の光」と共に歩みたいと強く思いました。そして、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。私は、その基盤を築き、若者たちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと再度思いました。」

この文章は、石巻市に来て、2013年に石巻市地域福祉活動計画の作成にアドバイザーとして関わり、その後、ボランティアセンターのアドバイザーであった2015年頃に書いたものです。私は、2020年3月に社協と行政の地域福祉アドバイザーを終えましたが、その時までずっともっていた私のモットーでもあります。

そして今、私は思っています。石巻が直面する生活課題は、日本全国で課題となっていることで、東京においても顕在化しています。ならば、互いに地域づくりを学んでいく。そして過酷な震災の被害に直面した石巻から、復旧、復興の歩み、すなわち地域づくりの歩みを学んでいくことが必要と私は考えています。

Ⅱ)東日本大震災から、学んでいること

地域づくりの原点を学ぶ

被災間近の混乱をふりかえる

発災後すぐに石巻を訪問しましたが、たくさんの家が津波にさらわれ、その跡の町の姿は、衝撃でした。またビッグバン等の緊急避難所を訪問して、そこで不自由な生活をしている方々を知り、心を痛めてきました。発災当初の被災地は、私自身の日常生活とは違い、支援に取り組みながら、心は絶えず興奮状態にあり、東京に戻ってクールダウンをする必要があったことを思い出します。当時をふりかえり、私が学んだことを整理したいと思います。

①行政、社協、社会福祉法人も被災していること。多数の石巻市職員が亡くなられました。社協は10名近くの職員や家族が亡くなられていました。行政として、社協として、十分な役割を担えない現状を支援することが重要となり、社協に関しては、全国から社協職員が応援に駆けつけていました。

なお、被災者の生活を支援するために緊急の生活福祉資金が始められ、たくさんの申請者が社協の窓口に殺到し、それに対応する現地の社協職員をサポートするために、応援に入った多くの社協職員が関わることになり、被災者の地域支援まで手が回らなくなりました。また地域支援に関わった派遣社協職員は、被災している社協、住民を励ましたが、本当に支えたのか、自分たちの今までのやり方を押しつけたのではないか、評価と課題があったことは明記したいと思います。

②伝わらない情報、手段がなく伝えられない情報→「広島の中学生」

ITmediaニュース 2012年03月06日 10時37分 更新 震災直後、NHKニュースを無断でネットに流した広島県の男子中学生(15)産経新聞

 3月11日の東日本大震災発生直後、大津波警報が赤く点滅するNHKのニュース画面を見ながら、広島県に住む中学2年の男子生徒=当時(14)=は「この画面をネットに流したら、助かる人がいるんじゃないか」と考えた。

 その瞬間、脳裏を懸念と不安が駆け巡った。「相手はNHK、あとでどうなるか」。手持ちのiPhone(アイフォーン、高機能携帯電話)を使って動画投稿サイト「ユーストリーム」で配信した経験もほとんどなかった。しかし、母親が阪神大震災の被災者だったことが、少年の背中を押した。「今、東北には自分よりも不安を抱えている人がものすごい数いるんだ。自分がやらなければ」

 配信を始めたのは、最初の大きな揺れから17分後の午後3時3分。ミニブログのツイッターを介し、「ユーストリームで地震のニュースを見られる」という情報は、またたく間にネットを駆け巡った。

 配信に気付いたユーストリーム・アジアの担当者は迷った。明らかにNHKの著作権を侵害した「違法配信」だ。普通は直ちに停止する。だが、停電などでテレビを見られぬ人には貴重な情報源ではないか。この状況を出張先の米国で知らされたユ社の中川具隆(ともたか)社長(55)は、午後4時ごろには、「われわれの判断で停止するのはやめておこう」と指示する。NHKの要請があった場合のみ停止する。中川氏は現場にそう伝えた。ツイッター上ではNHKの対応にも注目が集まっていた。NHKの番組宣伝を行う公式アカウント「NHK−PR」は、顔文字やユーモアを交えた「つぶやき」でツイッターの世界では有名人である。そのNHK−PRが午後5時20分、少年の無断配信のアドレスを、自分のつぶやきを読んでいるフォロワーに紹介した。そして、こう書いた。「私の独断なので、あとで責任は取ります」

襲い来る津波の情報が届かず、逃げ遅れた人々がいました。情報は迅速、明快、正確であることが必要です。

津波に襲われた地区に建てられた看板(がんばろう石巻)

③全国から届けられた緊急物資についての混乱

直接、たくさんの物資は届けられ、たくさんの人を救ったことは事実だと思います。しかし、実際には届かなかった避難所もあったそうです。また、緊急物資の品質が悪く、本来支援に回るべき人手が、送られてくる物資の整理に追われました。さらに刻々と変わる現場のニーズをどのように把握して、支援するのか、課題と感じました。

私にも、避難所における介護職員、看護職員が必要だという連絡が何度もありましたし、要望は刻々と変化しました。春になり、また夏を迎え、着るもの、必要な日常品、食料の内容をどのように把握し、送るのかが課題でした。また現地の農協倉庫に米があるにもかかわらず、活用されなかった等の混乱もあったと聞いています。

④現場を混乱させるボランティア

被災地の3月は、時にとても寒い。私も冬に石巻に行き、氷結した道路で何度も滑りましたし、防寒のために厚着の洋服を着ても、時に吹き荒れる風で体温を奪われる時もありました。当時、寒さ対策を十分せずに思いつきで被災地に入り、皆が避難している避難所の助けを求めてきた複数のボランティアがいたと聞いています。また、発災時の2,3ヶ月は、駆けつけるボランティアの方々への対応に現地の災害ボランティアセンターは追われました。多数のボランティアが来られるので、その方々に対応し、活動場所を調整することが必要になります。当然、現地の社協だけでは限界があります。石巻市社協では、ルーテル教会からの派遣ボランティアがセンターの受付窓口に立って調整に協力しました。

⑤地域における見守り等の活動をしていた方も、自分で自分や家族を守ることが優先されます。また、地震後に、身近な人と助け合うことが必要です。

東日本大震災によって、たくさんの民生委員児童委員の方が亡くなられました。つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。なお、ふりかえり、以下の課題があったと指摘されています。

・強い使命感を有する民生委員だからこその自身の避難の遅れ、・津波が迫るなかでの委員活動の危険性、困難性 、・通信手段喪失に伴う民児協組織の機能停止(委員の孤立、自己判断による活動) 、・津波等による災害時要援護者台帳の喪失(必要書類等の保管のあり方) 、・避難所避難者の名簿等、避難者に関する行政等との情報共有の不足 、・発災時、またその後の民生委員活動に対する住民および関係者の理解不足 、・分散避難する地域住民に対する民生委員による支援継続の困難性 、・自身被災者でありながら活動する民生委員への支援の必要性(とくに精神面)

 そこで、現在は、「災害に備える民生委員・児童委員活動10か条」(民生委員・児童委員として災害に向き合う大原則)が出されています。紹介します。

第1条 自分自身と家族の安全確保を最優先に考える

第2条 無理のない活動を心がける

(平常時の取り組みの基本) 

第3条 「地域ぐるみ」で災害に備える

第4条 災害への備えは日ごろの委員活動の延長線上にあることを意識する

第5条 民児協の方針を組織として決定し、行政や住民等にも周知する

(市町村と協議しておくべきこと) 

第6条 名簿などの個人情報の保管方法、更新方法を決めておく

第7条 情報共有のあり方を決めておく

(発災後の民児協活動において留意すべきこと) 

第8条 委員同士の支え合い、民児協による委員支援を重視する

(避難生活から復旧・復興期の活動で意識すべきこと) 

第9条 支援が必要な人に、支援が届くように配慮する

第10条 孤立を防ぎ、地域の絆の維持や再構築を働きかける

発災時前の日頃の関わり、発災後の地域形成・まちづくりのメンバーとしての民生委員児童委員活動が大切にされています。

発災後数ヶ月経ち、以下の㋑㋒における生活の再建を考える次の支援の必要性

被災後の生活は、㋐震災後の避難所生活㋑仮設住宅における一時的生活㋒自立した生活への移行・復興住宅での生活、へと移行していきます。

避難所(体育館に段ポールで囲った生活)⇒市内にいくつものあった仮設住宅

復興住宅

その時に学んだことをご紹介します。

  1. 生活支援(バックアップ)、寄り添うケア⇒継続的な支援の必要性

要介護・要支援高齢者の増加、地域を離れなければならないサービス利用者の生活支援、避難所で見えてきた様々な問題の顕在化(避難所において、虐待、家族関係の崩壊、貧困、障害等の様々な問題が見えてきていました。特に、津波により、家族を失い、家や財産を流され、一気に失望の中におかれた高齢の方々の辛さは、深く大きいことを学んできました。石巻市では、発災後、地域福祉コーディネーターが各地区に配置され、個々の住民の地域支援に当たっていました。CSC最近の活動

https://www.dropbox.com/scl/fi/f4q5w00j4vtkwswhgzswq/CSC-2023.3.pdf?rlkey=el8dj7n9ktqj94nyboq4y812k&dl=0

CSC活動記録集

https://www.dropbox.com/scl/fi/f4q5w00j4vtkwswhgzswq/CSC-2023.3.pdf?rlkey=el8dj7n9ktqj94nyboq4y812k&dl=0

地域福祉コーディネーターによる草の根支援が、被災者だけでなく、地域の方々の孤立を防ぎ、住民としての生活を下支えしています。当初のコーディネーターは、全国各地から来られた方でした。半数を超えるコーディネーターは、宮崎県、大分県、福岡県、高知県、山口県等々から被災地である石巻において、住民への地域支援の仕事しようと集まってきた方々でした。今は石巻で家庭を築かれている方もおられます。

さらに、瀧嵜博さんは、千葉県佐倉市社協の事務局長として定年を迎えられ、2013年から2018年まで石巻市社協復興支援課の地域福祉アドバイザーとして地域福祉コーディネータ―の育成にあたられました。石巻市の各地区での活動を終えて戻ってくる地域福祉コーディネーターの報告を受け、それぞれの意見を集約して取り組みに反映する丁寧な指導をなさっていたことを知っていました。退職後、病気で亡くなられましたが、そのお働きに感謝し、敬意を表したいと思います。

https://www.dropbox.com/scl/fi/qc5rhc767f74od6ccdyih/.-2016-2.pdf?rlkey=cc8c1o6c0j9bevndzeq4c3742&dl=0

このように、地域福祉コーディネーターによる草の根支援が、被災者だけでなく、地域の方々の孤立を防ぎ、住民としての生活を下支えしています。感謝。

②保健医療福祉ニーズの顕在化と個別支援

 児童の心の問題、要介護高齢者の増加、家族の確執、経済的課題、孤立問題、住まい・生活・仕事・将来設計等々に取り組む方々に格差が生じ、多くの痛みを抱える人々が顕在化しました。

③新たな生活の場での助け合いの仕組み作り=住民自身による自立支援を模索することの大切さ

 津波等で今まで住んでいた所から離れて生活することになった方々も多くおられます。従来の住民関係を維持できる方は、少ない状況でした。復興住宅に転居して安心した生活を送ることができたと思われるかもしれませんが、転居した途端、買い物の不便さに苦労し、日頃話すことができる人が少なく孤立状態に陥るという問題が新たに生まれることにもなります。

NHK2014年3月5日(水)放送分の記事を紹介します。
「支えあいの“縁”を創る ―石巻市・地域福祉コーディネーター―」の担当ディレクターです。
 地域福祉コーディネ―タ―の活動から、いま被災を受けた地域ではどんな支援ニーズがあるのか?そんな目線で取材に入りました。
 ほとんどの住民が家を失ってしまい、全壊を免れた23世帯だけが暮らしている門脇町。震災前は挨拶程度のつきあいしかなかったのに、今は住民自らがお茶会や体操教室などを行っています。釜・大街道地区では、高齢者や障害をもつ人たちが震災で助け合った経験から誰もが過ごせる居場所的なものをつくりたいと動き出していたり、自らの土地を提供して集会所を建てようとしていたり。地域を思って、住民自らが動き出している。そんな人たちがあちらこちらにいたのです。地域福祉コーディネーターは、「困っている人」だけを支援するのではなく、こうした地域にすでにあるもの、できていることを
地域の大切な資源として掘り出していきます。いずれ困ったときに支えてくれる人と関係を築こうとしているのです。取材中、地域福祉コーディネーターは、こうした住民さんたちの動きを「宝物」と言っていました。あくまでも地域の主役は「住民」。これから新しい地域づくりが始まるなかで、地域のことや人を思う気持ちが大切にされていることは、震災の地・石巻で希望の光を見たように思いました。

④継続的な心のケア=長期間の支援→すべての前提となる、地域関係、住民関係

⑤生活圏域における生活の必要な支援=インフラと生活基盤=買い物ができる場所・医療機関・移動手段等々のインフラは不可欠です。

⑥専門職への支援(燃え尽きる危険性・疲れ切っているし、自分も被災者です。また深刻化したニーズに日々対応しており、その苦労が蓄積していました)  ㋐バックアップ ㋑専門職の心のケア ㋒幅広い関係者のネットワーク ㋓支援する者の体力回復

以上の学びを通して、私が実感した被災地支援の原則をお伝えしたいと思います。

第1に、そもそも制度が、専門家が、事業者が、利用者、被災者の実像を見えにくくしていないだろうか。ならば、被災地では通用しない。生活者としての、住まい、仕事(産業)、援助(福祉)、生活環境、絆が、それぞれにあった自立の支援に結びつき、明日への希望と繋がる。

第2に地域の再生という視点からの復旧・復興が大切。全国各地で行われている「まちづくり」「福祉でまちづくり」と共通である。

第3に寄り添うケアの必要性。時を経て、状況が変わる。それぞれのニーズに対応していくこと。「靴に足を合わせるのではなく、足に靴を合わせる」、すなわちサービス、援助の枠組みに被災者を当てはめるのではなく、被災者の実像に合わせたサービス、援助を組み立てるという原点に立ち返る。

第4に被災地で起こったこと、そして支援を忘れないこと。被災者も支援者も互いに理解し合うこと。学ぶこと。被災地支援は0か100ではなく、その間には99通りの支援がある。すなわち、支援をしない0ではなく、完璧に支援を行う100でもなく、100通りの支援がある。それは、地域活動の歴史そのものではないでしょうか。

以下、福島県の東日本大震災の記録、同じく岩手県、宮城県、石巻市の記録をお示しします。ご検討頂ければ幸いです。今後の能登半島被災地支援に参考になると思います。

福島県 

https://www.dropbox.com/scl/fi/yjnit81fyc6iu2ka8sgne/.pdf?rlkey=ht18t7vn1dq6w66s2szw8ik4e&dl=0

岩手県

https://www.dropbox.com/scl/fi/cf78w6ogdbt4d3vzmxj92/.pdf?rlkey=n0ddamux22toemkwzh4vt52hv&dl=0

宮城県

https://www.dropbox.com/scl/fi/cn607h8fyddz0m6oe66h9/.pdf?rlkey=p9251cnm9iywq3zwvsbvjok8v&dl=0

石巻市

https://www.dropbox.com/scl/fi/kcb406w6w24ikpmxpi28e/.pdf?rlkey=lhskh9nv5p5da3wxp6l2t83nq&dl=0

日本医療ソーシャルワーカー協会『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』

https://www.dropbox.com/scl/fi/62rt5oi5edutrv6fl6c8i/.jpeg?rlkey=c1e0ywbhd5b2dg6wh39684jyq&dl=0

Ⅲ)これからの能登半島支援を考える

 最初に申し上げたように、2024年1月1日に発生した能登半島地震から3ヶ月を過ぎましたが、依然、先行きが見えない状況にあります。崩れた家の片付けが終わらず、断水している多くの住宅があります。災害支援のために能登半島の各地を訪問し、先週金曜日に東京に戻ってきた災害支援の専門職は、「奥能登は、被災後変わっていない状況にある。水も通っていない。地理的問題があり、陸の孤島状態になっている。主要な道路が寸断され、南部が直って徐々に支援が繋がる状態。もしその道路が渋滞したら、食料を配布できなくなる。インフラの整備が今回の被災地支援を難しくしている」と。

今後、能登半島の特に奥能登でどのように復旧、復興をしていくのか、住民はどのように考えているのか、また長期の支援が必要となる中で、私たちがどのように応援していくことができるか、改めて考えてみたいと思います。

1.支援から協働へ

①災害被災地から学ぶ防災、応急措置、復旧

今は、どこでどのような災害が起こるか、分からない状況です。身近な行政、社協、社会福祉関係者、医療関係者も被災しており、自らの対応能力は限界があることは、阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災でも経験してきたことです。まず、身近な住民との助け合い、声かけや見守り等のネットワークの存在が不可欠で、震災前からのまちづくり、コミュニティづくりが大切になります。

確かに、地震等の自然災害が10カ所で起これば、10通り被害状況になり、地域の特性が大きな影響を与えることは言うまでもありません。しかし、それぞれの被災地で取り組まれている復旧、復興の支援を通して、自らがどのようなまちづくりをしていくのか、共通点も少なくありません。

②災害支援は、広域の視点で

災害は、被災地だけの問題ではありません。能登半島被災地支援の特徴の一つは、避難先が能登半島の領域、石川県の範囲に留まらず、被災状況によっては、一定期間、広域避難が必要になると思われます。被災地という地域に限定することなく、日本全国で被災地支援を考えるべきだと思います。福島のように、県外で生活している方々も少なくありません。避難場所の提供、避難してきた方々への支援等、支援の選択肢が増えています。

③全国各地に広がる孤立等の共通の問題に挑戦する

能登半島震災の問題は非常に深刻ですが、2月に開催されたある自治体の高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の最後の会議で、私は以下のように申し上げました。「人材確保、養成等に明らかな決定打を示せず、私は閉塞感を感じています。今、必要なことは3点。自らの取り組みを振り返ること、これからの地域、社会の姿を描くこと、協働した取り組みを目指すこと。委員の皆さんもその主体です。この有力な自治体でできなければ、どこの自治体でもできないと思います。」と。まちづくりの原点を学ぶ必要があります。それは、被災地の復旧、復興から学べます。

2.正確な情報のいかに迅速に、集約するかが今後も勝負です。

ニーズの統一的把握と管理を進めようと、石川県庁は取り組んでいますが、今後検証が必要に思われます。能登半島地震の被害状況、支援活動の情報は、市川が把握した限られたものですが、市川一宏研究室に掲載しています。把握がとても難しかったと実感しています。今後の課題です。

3.問題を共有し、それぞれの役割を合意し、計画として取り組みを明確化する。

私は現在、複数の都県行政、市町村行政や社協と関わりをもっています。いずれも、能登半島の被災地と共通の問題をもっており、被災地支援と各地域の孤立予防、災害対応のまちづくりの取り組みを互いに学びながら、まちづくりを進めていく必要があると考えています。

具体的には、地域福祉計画、地域福祉活動計画の策定において、被災地支援、被災地との具体的連携を検討すること。また高齢者保健福祉計画において、高齢者の孤立予防はもちろんのこと、災害時の対応について言及することが必要ではないかと考えています。

4.援助することはもちろん、援助を受けることに踏み込む。

 三鷹市社協の地域福祉活動推進計画2023では、実践目標6として、「市民と共に備えるまちづくり」を掲げ、具体的な取り組みとして以下3点を上げている。

⑴災害時に関係団体とスムーズに連携が取れるよう、地域の自主防災組織や関係機関、団体との連携を強化する。・災害ボランティアセンター設置運営訓練への参加を呼び掛ける。

⑵災害ボランティアセンターの運営協力者の養成と市民の防災意識の向上に取り組む。

①災害ボランティアセンター運営スタッフ養成講座や講座修了生の勉強会を定期的に開催する。

②市内で開催される各種イベント等で災害ボランティアセンターの啓発を行う。

  • 平時から防災の意識を高め、災害時の助け合いにつながる取り組みを行う。

①地域ケアネットワーク※18 等と連携した防災の取り組みや、災害時の安否確認・避難等を意識したほのぼのネットの見守り活動を推進する。

三鷹市社協では、計画を策定して1年を経過したので、その評価を踏まえ、取り組みを明確化する必要がある。

また、2024年3月の『東京都災害ボランティアセンター第3期アクションプラン(5か年中期実行計画)』では、「社会福祉協議会のブロック域をベースとした多様な団体との連携・協働を掲げ、「社会福祉協議会のブロック域をベースとして、多様な団体同士がつながり、災害に関する情報交換や合同の企画を行う場を継続的に持ち続けられる提案・調整を行う。

【具体的な取組み】

・社会福祉協議会のブロック域での多様な団体との連携・協働(第2期からの継続)

・要配慮者当事者/支援団体とブロック域団体との連携・協働

各種テーマに応じた広域の要配慮者団体とブロック内の社協・VC や当事者団体との意見交換の場を設ける」としており、実績もあるので、例えば、北多摩南部ブロックに属する三鷹市社協、小金井市社協、狛江市社協、調布市社協、府中市社協が連携して、災害ボランティアセンターの協働設置や、行政と連携した災害時の避難所運営等、具体的に検証することが可能性を検討してはどうでしょうか。

5.能登半島地震被災地支援で特に着目すべき点の検証

①災害派遣福祉チームの派遣がなされました。全国派遣としては初の試みなのですが、制度が確立したのは、熊本以来です。そもそもDWATとは、被災した特別養護老人ホームなどを支援するために編成された福祉に特した災害派遣福祉チーム、Disaster Welfare Assistance Teamのことで、能登半島震災では、DWATのコーディネートは石川県庁で、全社協(法人振興部)介護施設等の箱物への派遣支援を行ったと、私は聞いています。但し、今回の方が大きい被害で、その機動性が必要とされていました。そして今回、1.5次避難所の提案がDWATに入りましたが、DWATの職員、実働者が少ない現状であり、DWATの認知度が低い ことが指摘されています。今後の検証が不可欠であると思います。

 なお、2023年3月、富士通総研が『災害福祉支援ネットワーク、DWAT の実態把握、課題分析 報告書』を公表しています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/0a5k16acb4pqew1zyskrh/DWAT.pdf?rlkey=jof3rtzesb49va685uj87uqcf&dl=0

また、②迅速な行政職員派遣派遣、③ニーズの統一的把握(発災時のさいぼーずの資料で大規模の自衛隊の動向はつかめた、しかし、在宅に関しては?)、④支援者の役割分担(多くの家が倒壊して今回の地震では、瓦礫を片付けたりするNPO技術系の人材が、炊き出しに入らざるを得ない状況で人数が足りない等の情報もあります。https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73)

以上、可能な範囲で、情報を整理しました。改めて、私の思いを申し上げます。

2024年1月1日い起こった能登半島地震の被害は深刻で、日本中を震撼させました。それ以降、私は、なかなか掴めない被災状況を把握し、支援の可能性を模索するために、いろいろ関係者に問い合わせをし、多くの方にお伝えしてきました。限られた内容ですが。市川一宏研究室に掲載しています。

また、能登半島地震被災地支援を考えるために、今まで私が経験してきた東日本大震災被災地支援について整理しました。そこで確認できたことですが、今もって、何をすべきであったか、何が相応しかったか、絶対的な正解を見出しえなかったのです。試行錯誤の過程しか、お伝えできなかったことを反省するとともに、基礎的資料に関してご提示したつもりです。皆さんの参考になるなら、それはうれしい限りです。

また、被災地での経験が、今の私の実践と理論の源流にあるという事実を確認できたことは、私にとっては、有意義でした。そして、以下の結論に達しました。

今、福祉系の大学等教育機関に入学する学生が減少しています。そして社会福祉機関・団体が求人を出しても応募者が少ない傾向がみられます。しかし、ソーシャルワーカーを必要とする人々は確実に増加しています。この閉塞感を打開するために、生活課題に一緒に取り組み、学び、互いに励まし合いながら解決してきた卒業生、仲間と協働して、未曾有の危機に挑戦していきたいと思っています。その挑戦の一つの重要な手段として、能登半島地震被災地支援を行っていきたいのです。それが、私に与えられた使命です。神様に許される限り。

和田先生『地域福祉実践・研究のライフストーリー』

全社協の元事務局長であり、地域福祉学会の元副会長として全国の地域福祉の推進に大きく貢献され、またルーテル学院大学の現名誉教授として教育等に大きな働きをされた和田先生の本が出版されました。

出版に際しては、大橋謙策先生を中心に、越智和子(琴平社協元常務理事・事務局長)さんと日下直和(香川県社会福祉協議会事務局長)さんのご努力があったことは言うまでもありません。感謝申し上げます。

皆様も、どうぞ手に取って、貴重な地域福祉、社会福祉協議会の歩みをお読み下さい。

私の思い

卒業生、そしてルーテル学院大学・大学院関係者の皆様へ

                ルーテル学院大学

                名誉教授 市川一宏

 ルーテル学院大学は、2024年3月25日、2024年度の学生募集を停止する旨の文書をホームページに掲載しました。その知らせを聞いた今の自分の率直な気持を書かせて頂き、卒業生はもちろん、教会、後援会、関係学校、関係福祉法人、授業を聴講されていた方々、応援して下さった方々、すなわち関係者の方々にお送りさせて頂きます。

 ふりかえって、2020年のコロナ感染症の拡大によって、個々の学生に出会い、それぞれの成長を目指した教育を行ってきた本学は、遠隔授業に変更することを余儀なくされました。教育環境は劇的に変化し、それに適応すべく石居学長をはじめとする執行部、関係教職員は環境整備に全力を尽くして下さいました。それに応じて、教職員が協力して学生への授業等の支援を続けていくことができたのは、奇跡と言っても過言ではないと思っています。

 その後も、授業の工夫、本学の特徴である個別支援、受験生の開拓等と、石居学長を中心にした執行部、教職員、関係者の働きに対して、私は感謝し、かつ敬意を表したいと思います。そして、今の在学生一人ひとりが希望をもって学び、育っていくことができるために、精一杯バックアップをさせて頂きます。

 ただ、私は2002年より12年間、そして再任され2018年より2年間、合計14年間学長を勤め、経営責任を担ってきましたが、強固な経営基盤の大学を石居先生にお委ねできなかったことを、本当に申し訳なく思っています。深くお詫びいたします。

 さらに、長くルーテル学院大学の基盤を支えて下さった卒業生の皆さん、絶えずルーテル学院を支え導いて下さった後援会の方々、教会の方々、またいつもバックアップして下さった方々に、改めて心からお礼を申し上げます。おかげさまで、優れた教職職員の真摯な努力によって築かれた教育実績は、各分野で活躍して卒業生等が証明して下さっています。

 なお、学生募集は停止しますが、ルーテル学院大学はこれからも歩みを止めていません。現在の在学生の学びと成長の機会を提供していきます。どうぞ、在学生のために、また今後も指導していく教職員のために、お祈り下さい。

 また、今まで本学に40年間勤め、定年後も名誉教授として関わらせて頂いているルーテル学院大学、大学院、神学校において、たくさんの学生と出会い、一緒に悩み、明日の社会を描いてきた経験は、思い出として私の心に留まり、また卒業生同士の関係も、長く続いています。ルーテル学院は、私にとって、人生の原点であり、まったく異なる背景にある者たちが集い、交わる心のホームであり、定年退職した後も、立ち戻るふるさとでもあります。

 今、福祉系の大学等教育機関に入学する学生が減少しています。そして社会福祉機関・団体が求人を出しても応募者が少ない傾向がみられます。しかし、支援を必要とする人々は確実に増加しています。この閉塞感を打開するために、生活課題に一緒に取り組み、学び、互いに励まし合いながら解決してきた卒業生、仲間と協働して、未曾有の危機に挑戦していきたいという気持はまったく揺らぎません。皆さんも、それぞれの場で、また今までと同じように日々の生活を通して、ルーテルで学んだことを大切に、ルーテルのミッションを受け継いで頂きたいです。

 私は、これからも、ルーテル学院大学の名前を背負って、神様がお認めになる限り、踏ん張ってみたいと思います。

 大学の美しい中庭には、礼拝堂に向けて立てられたモニュメントがあり、そこには、私が困難に直面した時に、たえず立ち戻っていたルターの言葉、「自分のためでなく 隣人のために生きて仕える生に神の祝福があるように」と書かれています。そのミッションを掲げ、一緒に困難にある方々に希望を届けてまいりませんか。

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能登半島被災地支援5(2024年3月4日)

2024年1月1日に発生した能登半島地震から2ヶ月を過ぎましたが、依然、先行きが見えない状況にあります。また、どのような支援が可能か、適切なのか、能登半島、特に奥能登の住民の方々の要望にどのように応えていくべきか、気持はあるのですが、戸惑っているのが、私の正直な気持で、今できることをしている現状です。

そして、これからも続く能登半島地震の支援にどのように関わり続けていくか、私たちは、問われています。

他方、能登半島震災の問題は非常に深刻ですが、2月に開催された高齢者保健福祉計画・介護保険事業計画の最後の会議で、私は以下のように申し上げました。「人材確保、養成等に明らかな決定打を示せず、私は閉塞感を感じています。今、必要なことは3点。自らの取り組みを振り返ること、これからの地域、社会の姿を描くこと、協働した取り組みを目指すこと。委員の皆さんもその主体です。この有力な自治体でできなければ、どこの自治体でもできないと思います。」と。

私は、現在、複数の市町村、都府県の自治体や社協と関わりをもっています。能登半島地震の被災地と共通の問題をもっており、被災地支援と各地域の孤立予防、災害対応のまちづくりの取り組みを、互いに学びながら進めていく必要があると考えています。そして今は、どこで災害が起こっても不思議でない状況にあります。できることから始めていきたい。今後とも、いろいろ教えて下さい。

  • 2月末より、神奈川県のブロックで現地に派遣された卒業生からの情報

 発災より47日経過していたので、家屋の状況は発災時より厳しかなっている(段々傾いている等)というお話が被災された方々からちらほらと聞かれました。今後、大きい余震で倒壊しないか、心配です。

  • 今までお伝えしてきた吉村誠司さんの近況

実は右腕の肘に痛みがあり、片手で10トン爪ジャッキ(25kg)以上が持てなくなったので、輪島ベースを仲間達に託し、鍼灸院通いと家庭内雑務にて戦線離脱~(泣)。帰路、液状化被災地の金沢市近く内灘町を仲間案内で廻り石川県を離れたが、被害は予想以上にかなり深刻だった・・・

とフェースブックに書かれていました。心配して、私は以下のことを書き込みました。

 吉村さん、おはようございます。能登半島に真っ先に駆けつけ、以降現地で支援に取り組んでおられたので、体調に心配していました。まずは体調の回復に努め、今まで、そして今後求められるの実践を整理し、私たちに知らせて頂けませんか。私には、様々な情報が入っており、全国の友人に情報を提供しています。吉村さんの活動も伝えてきました。あなたの発言はとても貴重です。ちなみに、宮城県のI 市のAさんが現地に入っていると聞いています。

 これからも、応援して下さい。

3.長野県社協からの情報提供

『令和6年能登半島地震に係る支援方針』 長野県災害福祉広域支援ネットワーク協議会(災福ネット) 社会福祉法人長野県社会福祉協議会

https://www.dropbox.com/scl/fi/ci484elurdlwuz4l1fifm/13.docx?rlkey=i9a0tt9isqxgkvwotictp0fuv&dl=0

4. 『災害から地域の人びとを守るために=災害福祉支援活動の強化に向けた検討会報告書』全社協

https://www.shakyo.or.jp/bunya/saigai/teigen/20220331/index.html

5.ぼうさいこくたいポスター

https://www.dropbox.com/scl/fi/u9fub5s8gaggsiollou0r/.pdf?rlkey=tc4ccax3v7rfvxj38chxkglt6&dl=0

困難な問題を抱える女性への支援に関する法律

皆さん、おはようございます。お元気でお過ごしですか。

さて、ルーテル学院大学の卒業生、そして本学の大学院生でもあり、現在、厚生労働省社会・援護局総務課女性支援室 女性支援専門官をなさっておられる池田恭子さんより、メッセージが届いています。

「これまでさまざまな困難を抱える女性に対しての支援は、売春防止法を根拠とした婦人保護事業でした。しかし婦人保護事業はあくまでも売春の恐れのある女子(要保護女子)を保護・更生させることが目的であり、女性を支援するという福祉的な視点には欠けているものでした。
他の個別法によって、対象者を少しずつ拡大してきましたが、現状の女性をめぐる多様化・複雑化・複合化する問題に対応しきれず、現場からは制度的限界がしてきされてきておりました。
昨今のコロナ禍でその女性たちの問題が可視化されたこともあり、令和4年5月に「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」成立しました。
この法律には「女性の福祉」「人権の尊重」等、その視点にたって支援を行うことが目的や理念に明記されました。
今年4月1日に施行されるにあたり、ハートネットTVでも取り上げてくださいましたので、是非ともこの法律やこの法律を必要とする方々がいらっしゃることを1人でも多くの方に知っていただければと思います。」

放映後の情報提供になってすいません。私のハートネットTVの社協特集と同様に、見られることを期待しています。

ちなみに、能登半島地震被災地支援に関しては、市川一宏研究室に掲載しています。

市川一宏

能登半島被災地支援2(2024年2月5日)

能登半島地震の支援に関する第2弾の情報をお送りします。

⑴2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた石巻の関係者等が能登半島地震の被害地を訪問して得た、その特徴。

石巻市も、大震災によって、本当に大きな被害を受けました。被災当初から応援に入っていた私は、その被害の大きさに言葉を失いました。そのような石巻の関係者は、今回の地震をどのように思っているか、紹介したく思います。

https://www.dropbox.com/scl/fi/kaeafv0vq24keu96lc43i/.docx?rlkey=a53jpxok6tp9wuyzcu0neuox4&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/j631s7obp52b73iokcfsy/1.JPG?rlkey=x3ciljt4lp7hiwl1o6jx8zs9s&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/etfyfzgik113f71hlz4oo/PT-2.pdf?rlkey=ptpupaw2vb8zuyeqhrutaj28w&dl=0

⑵長谷部 治さん(神戸市社会福祉協議会 地域支援部担当課長)より

1.自分の所属組織でどのような支援を行っておられますか。その現状と課題

1)募金活動

1月4日から募金活動を実施しており、市内全域で(1/24入金額9,165,218円)

2)災害ボランティア希望者、支援団体への相談対応、情報提供

  • QR コード

自動的に生成された説明『令和6年能登半島地震_支援者基礎情報』としてWebツール“すまっぽん”で発信。随時情報を更新中

https://smappon.jp/e47rt1gi

(1月1日23:00開設。21日間で20,026件のページビュー)

  • 市社協ホームページ、Facebookページで情報提供を実施
  • 市社協ボランティア情報センター、区社協ボランティアセンター窓口で相談対応

・現地の受入れ情報 ・義援金、支援金 ・物資 ・ボランティアバス

・ボランティア共済への加入手続き ・高速道路無料措置 など 

  • 職員向け自主勉強会の開催

第1回_1月12日及び収録動画共有

https://drive.google.com/file/d/1C0YemAqEnN9PYs5MzUXYwePdhTZrzr6/view

第2回_1月24日開催

https://drive.google.com/file/d/1ErT0YXDNAwXfkWuIXelihoevSTgCEUC8/view

  • 神戸への避難者を対象とした災害ケースマネジメントの実施

市役所と連携して避難者情報を把握し本会のCSWや生活支援コーディネーターによるアウトリーチの実施。

2.今後行おうとしている支援をお教え頂けませんか。

神戸市役所と連携した神戸から現地へ向かう団体への活動助成の実施

3.私たちが共有すべきことがありましたら、お伝え下さい。

これまでの災害とは大きく異なり、県行政の判断が各種支援に多分に影響しています。この点を否定することなく良い方向に進めていくにはもっと多くの社協や福祉の専門職を長期間派遣する必要があるように思います。東日本大震災当時、私が半年間福島県社協に出向した時のような腰を据えた支援が必要に思います。

4.その他、ご意見があればお知らせ下さい。

県による中央集権管理型の支援策の構築では今後は難しいように思う。柔軟に分権型で市町やNPOに権限移譲をし柔軟に支援を組み立てていくべき。

初動は道路が悪くかけざるを得なかったブレーキだったと思いますが、早期のイメージチェンジと受け止める地元の体制や権限を創らなくてはいけないと思います。

このままだとボランティアが来てくれない災害になると感じています。

⑶河西 あかねさん(東京都保健医療局保健政策部東京都多摩府中保健所地域保健推進担当課長)より  

東京都の実施している能登半島地震への保健医療支援活動について、1月24日にプレス発表した際の資料です。

https://www.dropbox.com/scl/fi/i9s8imala3ns0n6wnhv3f/2-240124_-1.pdf?rlkey=c2mh0sxd5x3cxlb9ofsdg4c1o&dl=0

1. 自分の所属組織でどのような支援を行っておられますか。その現状と課題と思っていることをお伝え頂けませんか。

〇東京都保健師チームの一員として保健所保健師が、現地と国の要請に応じて、1.5次避難所である、いしかわスポーツセンターに支援に入っています。

活動内容は、「避難所における住民の健康管理・衛生管理業務等」が中心ですが、参考資料1の5以降、参考資料2の6~14のとおり、

「避難者の個別支援対応、必要な支援の見極め、専門職との支援調整」「1 5 次避難所の避難者の健康状態の全体把握、課題抽出、対策本部への改善策の提案」「事故予防を含めた生活環境整備、感染症対策の徹底」を実施していところです。

*資料に1.5次避難所で対応している事例の紹介があります。個人情報に係る内容が少し記載されているのですが具体的な対応事例があった方が良いのではと思いましてそのまま添付しています。お取扱いにご注意いただければと思います。

課題:入所者250名前後、高齢化率約80%の避難者の方々の2次健康被害、災害関連死の予防対策、生活支援(医療及び介護支援を含む)の調整(2次避難所とのマッチングが難しい1週間以上の滞在者が26%:1月20日現在)、2次避難所入所後の支援継続(医療や介護の継続を含む)の調整等

〇現地行政職員等の負担軽減、メンタルヘルス対策等の継続的な支援が必要と思います。

2. 今後行おうとしている支援をお教え頂けませんか。

〇東京都保健師チーム、東京都DHEAT(災害時健康危機管理支援チーム)の一員としての応援派遣の継続

支援から見えてきた課題を、チームを通して石川県の対策本部へ改善策とともに提示していく。(被災地の負担とならない範囲での実現可能な提案としていくことを考慮。)

3. 私たちが共有すべきことがありましたら、お伝え下さい。

〇半島については、他県の保健師チームが巡回訪問し、避難所及び在宅避難者の健康状態の把握や継続支援の調整をしつつ、DHEATが保健医療課題の抽出、対策本部への課題の提示を実施中ですが、2次避難所、1.5次避難所の要支援避難者のその後の継続的な支援の体制が整っていないと思われます。特に、今後、仮設住宅や公営住宅等に入所される方々のそれまでの継続的な支援、その後の支援体制の構築や、自分から相談行動をとれない方々が埋もれてしまわない体制の構築が必要と思います。

4. その他、ご意見があればお知らせ下さい。

〇私自身は、東京都の行政に所属する保健師ですが、全国保健師長会(http://www.nacphn.jp/)という保健師の任意団体の副会長と日本公衆衛生看護学会の災害・健康危機管理委員会

https://japhn.jp/category/hokenshi_supply)の委員長の役割を担っておりますので、その立場からできることは何かと模索しており、まずは情報発信と共有から実施しています。

全国保健師長会のHPでは、災害関連のページを設け、住民の方の命と健康を守るために、災害時においても保健師の専門性が発揮できる様、後押しをしております。(http://www.nacphn.jp/02/saigai/index.html#20240131

各HPにつきまして共有いただければと思います。

今後ますます、要支援の在宅避難者や、2次避難所から先の居住先での要支援者の支援体制の構築やコミュニティづくりが重要になるのではと思っています。

東京都保健師チームで支援に入っている、1.5次避難所では、80歳以上の避難者には、DWATに同席していただき、保健師による問診(こころのケアを含めた心身の状態の確認や、バイタルチェック、避難までのご苦労、介護状況、家族状況などの把握等)後、必要に応じてすぐに介護支援の調整をお願いできる様に、連携体制が整ってきていると聞いています。

今後も、お互いの活動状況を共有し、それぞれの専門性を発揮しつつ、連携した支援活動ができると良いと考えます。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

⑷小池正志さん(長野県の地域福祉の源流)より

奥能登入浴支援プロジェクトの調整・後方支援を担っています。作成した情報誌(県社協・県介護福祉士会のHP用)を添付します。

https://www.dropbox.com/scl/fi/d1iz911iebvrio9ajkht9/PT.pdf?rlkey=qok0ciflvjbofdswbhlj66nro&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/etfyfzgik113f71hlz4oo/PT-2.pdf?rlkey=ptpupaw2vb8zuyeqhrutaj28w&dl=0

能登半島被災地支援(2024年2月1日)

1月22日15:30〜17:30に、全国社会福祉協議会において、全国ボランティア・市民活動振興センター運営委員会が開催され、能登半島被災地支援に関する情報交換が行われました。今回は、運営委員会で情報を提供して下さった委員を中心に、改めて資料を整えて頂きましたのでお送りします。被災地支援を行っておられる皆様、今後の支援を考えている皆様に、現状をご確認頂ければ幸いと思います。ルーテル学院大学 名誉教授 市川一宏

Ⅰ)日本赤十字田中康夫さん(日本赤十字社 業務執行理事/事業局長)より  私共日赤のHPに掲載している活動速報をご覧頂きたく思います。リンクは以下のとおりです。最初の頁の「詳細を見る」をクリックして頂けると、「令和6年能登半島地震にかかる日本赤十字社の対応等について」がございます。https://www.jrc.or.jp/

Ⅱ)阿部陽一郎さん(中央共同募金会 常務理事)より   

1.現在の活動と課題

(1)「支援金」として、支える人を支える仕組み「ボラサポ(災害ボランティア・NPO活動サポート募金)」による助成の実施(当面、1月から、ほぼ毎月ペースで応募受付)

(2)被災者へのお見舞い金としての「義援金」の募集(石川・富山・新潟・福井)

(3)石川県内の災害ボランティアセンターの運営支援

  石川県内の市町社協が設置する災害ボランティアセンターに対し、「支援P」(災害ボランティア活動支援プロジェクト会議・中央共募が事務局)からの運営支援者の派遣  https://shienp.net/

(4)石川県・富山県の災害ボランティアセンター等への運営経費支援として、全国の共同募金会から「災害等準備金」拠出の連絡調整

(5)内閣府、全社協、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)、中央共募による被災地支援の課題、対応等について協議を行う「全国情報共有会議」の開催(適宜)

2.今後行おうとしている支援

(1)特に、奥能登地域は、被災者に加え、支援者も過酷な状況のなかで支援活動に尽力しており、支援者に対するさまざまなサポート体制を作ることが必要となっている

(2)生活支援、復興までの過程は、相当の期間を要すると考えられ、地域の状況、援のフェーズの変化に対応した、柔軟でスピード感をもった息の長い支援に取り組んでいきたい
3.私たちが共有すべきことがありましたら、お伝え下さい。

今後、ライフラインの復旧などにより、少しずつ被災地の災害ボランティアセンターから活動ニーズが発信されてくると思うので、ボランティア活動等被災地支援について、長い目で応援していただきたい。

Ⅲ)金田晃一さん(株式会社NTTデータ サステナビリティ経営推進部 シニア・スペシャリスト)

NTTグループとして、総額5,000万円を義援金として拠出することを決定いたしました。

https://www.nttdata.com/global/ja/news/release/2024/011200/

こちらは、能登半島地震のみに関連したお話ではありませんので、ご参考情報ではありますが、2月13日に緊急人道支援学会の第1回大会が開かれます。

https://jashas.org/conference/announcement/240213.html

私もパネリストとして参加することになり、
https://jashas.org/data/media/kinkyu_shien/page/news/symposium/1st/SP7.pdf

別途設けられる分科会では、特に、防災・減災・緊急・復旧・復興期に、企業がどのように関わり、テクノロジーがどのように活用されるかについて議論を進める予定となっております。

https://jashas.org/data/media/kinkyu_shien/page/news/symposium/1st/S1A4.pdf

Ⅳ) 後藤麻理子さん(日本ボランティアコーディネーター協会 事務局長)

1.WEBサイトに短いメッセージを掲載したこと

  「令和6年能登半島地震」の発生にあたり、それぞれの強みを生かした被災者支援を。

2.WEBサイトに以前から掲載しているボランティアコーディネーター向けのページを伝えていること

  災害ボランティアコーディネーションにたずさわる皆様へ https://jvca2001.org/notohanto/

3 全社協運営委員でもある長谷部治理事が作成し、随時更新している情報サイトをシェアしていること

  すまっぽん https://smappon.jp/e47rt1gi (管理者:長谷部治さん)

Ⅴ) 前田 昌宏さん(日本生活協同組合連合会 社会・地域活動推進部 地域コミュニティグループ マネージャー)

下記のように被災地の生協と連携した取り組みを進めています。

1.「令和6年(2024年)能登半島地震」の被害に対する支援のお知らせ「コープ被災地支援センター」を設置 ニュースリリース:日本生活協同組合連合会をご覧下さい。

2.生活協同組合コープいしかわ お知らせ投稿

Ⅵ)前山 憲一さん(半田市社会福祉協議会 事務局次長)

現時点では災害支援協定を締結している氷見市社協への支援が中心です。本会は以下の支援を実施しております。

 ① 災害ボラセンの運営支のための職員派遣

 ② 活動支援金の募金

 ③ ボランティアバスの派遣

 ④ 雑巾ちくちくプロジェクト(足ふき、機材清掃のための雑巾の作成と寄付)

・上記①は専門職を含めた本会職員を現地災害ボラセンに派遣し、現地調査(被災者のニーズ確認)の同行や、支援計画策定会議(仕分け会議)のファシリ等をお手伝いしています。

・上記②③④は広く市民に協力をお願いしています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/v38kks5tlfbkos99gn4in/2024.2.1.docx?rlkey=4h84k6pki5ksvtonj01suzud2&dl=0

東海北陸ブロックの割り当てでは石川県珠洲市が担当となっていますので、いずれ職員の派遣があるとは思いますが現時点では未定です。

Ⅶ)長峰 夏樹さん(長野県社会福祉協議会 まちづくりボランティアセンター所長)より

https://www.dropbox.com/scl/fi/afvw0vxxjq6h7qiawogbi/.pdf?rlkey=9qrme9zrh7x1ndh8sxnpeo0jt&dl=0

Ⅷ)森純一さん(東京都社会福祉協議会 地域福祉部 部長)より

能登半島地震について、東社協の支援活動の現状は以下のページを更新しているところです。

https://www.tcsw.tvac.or.jp/saigai/documents/240123_notoShien.pdf

東社協では現在、以下を取り組んでいます。

(1)東京ボランティア・市民活動センターでは、1月4日に都内の区市町村ボランティアセンターに街頭募金活動を呼びかけました。

1月に実施した第1期・第2期では44地区で取組みが行われていると聞いています。

https://www.tvac.or.jp/special/r6noto/bokin

(2)関東Aブロック(関東を西側のB、東側のAに分けています)は、今年度の幹事県である千葉県社協を中心にブロックを越えた支援要請に対応しています。

①1月31日からは関東Aブロック社協から1クール4名体制で石川県内灘町、かほく市の災害VCの運営支援に入ります。

②東京は第4クールを担当しており、2月12日から同地区に4名を派遣します。派遣者は東社協職員と区市町村社協職員になります。

③2月の北陸の雪がどのように支援活動に影響するかが危惧されます。まずは雪の中、2地区を責任もって対応することが関東の社協としては大事にしたいところです。

④東海北陸ブロックが輪島市や珠洲市等の奥能登の社協本体への支援、近畿ブロックが七尾市などの中能登への支援に入っているようです。

⑤今後、関東に追加支援の要請があるのは確実で、春先以降、二次避難者が戻る時期にはニーズが高まると思われ、長期化も予想しています。

⑥東京は災害VCの応援派遣を地域福祉部、DWATを福祉部と分けて対応していますが、県によっては災害福祉支援という形で災害VCとDWATを一体的に取り組んでいるところもあるかと思います。そういった県社協ではDWATにも対応してくださりながら災害VCの応援派遣も同じ部署で対応している状況かなと思います。

(3)石川県内での緊急小口資金の貸付のため、全社協が第1クールを関東ブロックに応援職員の派遣要請を行っています。

①現在、千葉県社協・千葉市社協が現地に入り、1.5次避難所となっている金沢市内のスポーツ総合センター、金沢以南に点在する二次避難所を訪問し、貸付の案内をしているとうかがっています。

(4)1月10日に厚労省→東京都→東社協福祉部のルートで福祉施設職員の応援派遣の要請が来ています。

①東社協からは種別部会からの65施設161名の施設職員の応援派遣が可能な旨を回答しています。

②各県からの名簿をもとに全社協が直接マッチングしているとうかがっています。

③どこの施設から派遣されているかを福祉部で各施設に確認をとっており、1月現在、11名が派遣されたようです。

④派遣先はおそらく1.5次避難所等が中心かもしれませんが、もととも輪島市は全国で最初の福祉避難所を設置した自治体でもあり、熊本地震の経験から考えるとそろそろ福祉避難所の設置に伴う施設職員の応援派遣も出てくるのではと思います。

⑤種別の部会も応援職員を派遣して支援したい施設は多いと思いますが、全ての施設が対応できないので、種別ごとに石川県の施設に必要な物資や義援金を送る取組はしていると思われます。

(5)施設職員の応援派遣と別に各県のDWATが避難所支援に入っているようです。

(6)東社協地域福祉部では、1月は都内避難者の支援に力を入れてきました。

①1月12日より東京都総務局からの依頼で能登半島地震に伴う都内避難者総合相談窓口を開設しています。地域福祉部に配置している職員が受けています。

https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/taisaku/saigai/1028426/index.html

②1月29日までに47件の相談がありました。

③以下は、主な相談例です。【相談①】能登半島地震で被災した高齢の親を自分の家に避難させたい。受けていた医療を同じように継続できるかということや荷物をもってこられないので当面の生活に不安もあるが、慣れない地域での生活になじめないのではないかと不安に思っている。【相談②】被災した家族を自分の家にいったん避難させ、区内に住むところを探したい。家族が呼び寄せる自主避難なので、どれぐらい公的な支援が受けられるかわからない。【相談③】ひとり暮らしの兄が都内に避難する予定だ。制度や手続きのことは役所に聞けるが、ずっと地元で暮らしてきた兄が東京の生活でわからないことも多いと思う。制度や手続きのようなこと以外で身近に相談できるところがあるとよい。【相談④】娘の子どもたちが避難してきて、都内の学校へ転入することになった。まずは生活のことが不安ではあるが、先々に心配なことも出てくるだろう。【相談⑤】親が能登半島から避難して都営住宅に入居したが、入居時に受け取った集会や町内会の案内は必ず参加しないといけないものか?気持ちが落ち着かず、慣れない場に参加しなければならないと思うと不安になってしまう。【相談⑥】能登半島から避難してきた両親は歩行に不安があり、集合住宅での生活が初めての中でゴミ出しができていない。

④都内に家族を呼び寄せたいというニーズが一定程度あり、そういった方をインフォーマルな社協の支援につなげることが大切と感じました。

⑤そのため、区市町村社協事務局長会では、都内社協全体でこれに取り組もうと決めて、相談があった場合に区市町村社協のどの部署につなぐかを登録してもらう取組みをすすめています。

⑥また、東日本大震災の避難者に対して行っている孤立化防止事業も対象を能登半島地震の避難者にも拡大していく予定です。

都内避難者総合相談窓口はここ数日、電話が落ち着いてきていますが、ご不安に思っている方がまだまだいると思いますので

この取組みを知っていただいて多くの相談をいただき、必要な方には区市町村社協とのつながりを作っていたいと願っているところです。

Ⅸ)厚生労働省 社会・援護局地域福祉課より

1 厚生労働省・政府の取組みについて

今回の災害に係る被災者の皆さまへの支援情報を集約したページを特設しました。また昨日、内閣府防災が「被災者の生活と生業(なりわい)支援のためのパッケージ」を公表し、具体的な各種支援策について取りまとめたところです。

被災地支援に関わっていらっしゃる方々は、様々な役割や得意分野をお持ちであると推察いたしますので、全般的な情報にはなりますが、これらのホームページ情報を共有いたします。 

[厚生労働省HP 令和6年石川県能登地方を震源とする地震について]  https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00442.html

[内閣府防災担当HP 令和6年能登半島地震について]

https://www.bousai.go.jp/updates/r60101notojishin/index.html

※ ページ上部に「被災者の生活と生業(なりわい)支援のためのパッケ―ジ」という資料がございます。

2 よりそいホットラインの取組みについて

「よりそいホットライン」におきましても、今般の災害に際しチャットルームの開設等の対応をしております。

 [よりそいホットライン 令和6年能登半島地震で被害に遭われた皆さま]

Ⅹ)全国社会福祉協議会 地域福祉部(令和6年1月29日現在)より

1.石川県

  • 石川県が募集した一般の災害ボランティアが、1月27日より七尾市、穴水町、志賀町で活動を開始。金沢からバスで現地に入り、日帰りで活動。

(1)穴水町社協

  • 27日は県ボラ募集のボランティア16名が参加。
  • ニーズ受付で上がってきた災害ごみの撤去作業を行う。主に、外に出された災害ごみの撤去のニーズに対応していた。
  • 応急危険度判定で赤紙の住宅内のニーズは、全て断っている(ニーズ票は残している)が、赤紙率が高く、それでいいのか社協としても悩んでいる様子。安全性の判断ができる技術系NPOの支援が必要。→レスキューストックヤードに相談
  • 運営は、県内応援社協+全国応援等でどうにか社協職員で回しているがもう少し運営側に協力いただける地域住民を巻き込めれば。
  • 当日のニーズ受付は10件。

(2)七尾市社協(Facebookより)

  1. 1月27日は35人のボランティアの皆さんにご参加いただき、6件対応し、3件のニーズを完了しました。参加されたボランティアの皆さん、ありがとうございました。
  2. 七尾市災害ボランティアセンターの活動は、現在、七尾市内在住の方の軽トラボランティア、県民ボランティアセンター登録のボランティアの方のみとさせていただいております。ご理解のほどお願いいたします。

(3)志賀町社協(Facebookより)

  • 本日、27日より県民ボランティアセンターからのバスを迎え入れての活動を開始しました。オリエンテーションを行ったあと、各活動先に向けて出発。災害ごみの片付け等の活動を行っていただきます。
  • また運営スタッフには、地元ボランティアの方にも参加していたき、サポートを行なっていただいています。ニーズの聞き取りなどの作業は土地勘がないと聞き取りが難しいこともあり、貴重な戦力です。

2.富山県

  • 射水市、小矢部市、高岡市、氷見市が災害ボランティアセンターを設置。

氷見市社協

  • 発災直後から高齢者や障害者等の安否確認、ニーズ把握。1月2日からは地区社協や民生委員・児童委員からの聞き取りを開始。1月5日に災害ボランティア・支えあいセンターを立ち上げ。
  • 1/24までに170件以上のボランティア依頼を受け付け。1200人以上の方がボランティア(県内の方のみ)に登録している。
  • 富山県内の社協や県外の社協が応援に入っているほか、地元の青年会議所やライオンズクラブ、連合高岡、富山県生活協同組合連合会などの団体もボランティアセンターの運営スタッフ(ボランティア)として活動。
  • 平成26年から開設したふくし相談サポートセンターの経験を活かし、ボランティア担当と生活支援担当が連携して、片付けだけではなく生活全体のアセスメントを行い、必要な支援につなげている。
  • 支援活動に必要な物資・資源・資材・人材の調達に充てるため、クラウドファンディングを実施。
  • 地区社協による被災者支援活動(被災された住民をお風呂まで送迎支援、サロンを緊急開催して心のケア等)に対しする助成(10万円)を開始。

3.新潟県

  • 新潟市西区で災害ボランティアセンターを設置。事前登録制で1日あたり20人~50人程度(県内のみ)が活動中。県弁護士会と連携し、自治会単位などで法律相談を実施。

4.全国応援派遣

  • 追加派遣や2月中旬以降の延長等について協議するため、2月6日にブロック幹事県・市会議を開催予定。

リアン文京のチャレンジ

リアン文京は老人福祉センター、地域振興施設、子育て支援、障害者支援施設(入所支援、短期入所、生活介護、就労継続支援 B 型、自立訓練)、放課後等デイサービス、就労継続支援 A 型をはじめ地域活動支援センターや特定相談支援並びに居宅支援等の大小 27 事業を運営し、高齢者部門、障害者部門、子育て部門、地域部門を持つ都市型複合施設です。

リアン文京は、2021年度・2022年度のニッセイ財団の先駆的事業助成・地域福祉チャレンジ活動助成を受けて、以下のプロジェクトを実施し、私がアドバイスを行った。プロジェクトの内容と成果は、掲載のお許しを頂いたので、以下のパワーポイントと報告原稿をご覧頂きたい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/f9595gqy4fotbv8bwxbk0/de-20231113.-pptx-002.pptx?rlkey=m593q7bk9fkgsacjd78coemtw&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/4bo2dpf679h0e48u3nqmm/.docx?rlkey=re4ble9dqtegt50qcxp8i14ps&dl=0

ふりかえって、このプロジェクトの2年間には、コロナの影響を受け、プロジェクトを進めることができなかった時期もあった。また、施設長であり、今回の企画の中心的役割を担っていた山内さんが、リアン以外の施設の責任も担うことになり、推進体制も揺らいだ時期もあったと思う。このような困難に対応し、NPO法人の創設にたどりついたことに、改めて敬意を表したい。

なお、報告の当日の私のコメントをここに書かせて頂く。

「特徴を3つ申し上げたいと思います。

1つは、接ぎ木型というような特徴があるかと思います。すなわち文京総合福祉センターという地域の拠点があり、資料で示している多様な事業をしていました。その事業を基礎に、今回の報告で示された事業を企画し、実施して地域に広げ、地域に定着させていった。その取り組みは、センターという施設に新たにサービス、活動を接ぎ木し、施設から地域にある施設へ本格的に脱皮していった。この点は、とても評価できることだと思います。

2点目は、私はタコ足配線と思っています。地域に必要性だと思った時に、必要なサービス、活動を生み出し、どんどん広がっていく。やってみて必要だということが分かり、またつぶやきを得て、さらにそれを実践していく。そのような、タコ足配線的な取り組みによって、幾つもの拠点や活動が生まれていった。それが2番目の特徴だと思います。

3点目は、地域支援の原則、すなわち、住民にやってもらおうと思うなと、住民にやりたい気持ちになってもらう姿勢が貫かれていたように思います。さらにリアン文京が新たに事業・活動を実施する際には、住民との話しあい、住民参加を重視していますので。住民自身が自分たちの活動だとみんな思って、やらされじゃなくて、やっていこうと展開できているところがその特徴であり、これがある意味で新しいまちづくりのヒントになるでしょうし、つながりの束をつくり出していくチャレンジともなるし、住民の主体形成にもなっていると評価します。

ふりかえって、NPOを作ろうという取り組みは、最初、なかなか起動できなかった。コロナで集まるのも難しかったし、実際、施設で感染の問題も生じたり、施設長が違う施設の施設長を兼務したり、いろいろ苦労がありました。

私が1回目にリアン文京に行った時、「このプロジェクトは大丈夫かな、NPOの立ち上げという最終目標まで達するかな」と不安に思いましたが、2年目は、拠点や具体的な取り組みができてきて、そこにたくさんの住民や関係者が集まってきた。そして、施設長だけではなくて、職員も今回のプロジェクトにアイデンティティを持っていろいろな企画を提案し、実施してきた。その結果、NPOの立ち上げという大きな最終目標に達することができたと思っているところです。

ただ、私は、タコ足配線と申しましたが、タコ足配線は漏電する場合もあったり、維持はなかなか難しい。最初は必要だけど、それをどうみんなで安定したシステムに作り上げていくのか、これからが勝負だし、私も応援していきたいと強く思うところです。」以上

なお、山内さんは、閉店した店も目立ち、活力を失ってきた商店街にさまざまな拠点をつくり、人の行き来を増やそうとする取り組んできたねらいを、「子どもたちにとって、商店街に居場所があることは、幼き頃の原点である『ふるさと』を築くことだ』と言われた。

私は、このような、将来の地域共生社会の希望を抱かせる素晴らしい地域福祉実践に出会うことができたことを、心より感謝したい。アフリカの砂漠の緑化に挑戦するNGOの代表が言ったように、生活の基盤であるそれぞれの地域で、「一本の木を植え続けなければ、砂漠の緑化は実現できない」と言った原点に立ち戻りたいと思いました。感謝。

能登半島地震被災地支援情報(2024年1月10日)

現地で活動する吉村誠司さんが現地の状況、私たちへの期待を伝えてきてくれています。

彼は、ルーテル学院大学の卒業生で、私は、度々石巻市でお会いしました。東日本大震災の発災後、すぐに石巻に着いて、活動していました。災害が起こると、すぐに駆けつけ、必要な支援を始めます。

紹介します。特に彼の最後のメッセージが心に残っています。

吉村 誠司さんの紹介

・NGOヒューマンシールド神戸代表・一般社団法人OPEN  JAPAN 理事

通称 助さん、きこりおやじ 

・1965年8月 三重県生れ。聖パウロ学園高(全寮制)、日本ルーテル学院大(社会福祉コース)卒業。在学中に、在学生を中心にグループを組織し、フィリピンで台風被害の教会再建やマレーシア、スリランカでのワークキャンプを組織し、また他大学、教会に働き掛けて交流国際NGOを発足した。この頃から困難に直面している人を見過ごさず駆け寄って一緒に歩むという生き方が一貫し、多くの方々に共感を生み出している。

・18ヶ国を自転車等で一人旅しインドで荷物を失い人生が変わる。25歳で国分寺市議会議員にトップ当選。国分寺子ども劇場会員、東京YMCA運営委員、多摩ワイズメンズクラブ会長、国分寺青年会議所副理事長、専務理事歴任(転居の為退会)。95年阪神淡路大震災では、神戸市長田区へ入り支援活動、後日「神戸元気村副代表」になり、仮設住宅等の孤独死を防ぐ24時間の緊急通報システムや子どもケア、動物保護など様々な活動展開し、市政へも提案。97年日本海重油流出事故では、情報HPを神戸から発信(NHKプロジェクトXで紹介)。00年カンボジア対人地雷撤去支援活動開始、03年 反戦活動でイラク入り、バスラ近郊や病院で湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾被害の現状調査し医療支援、NGOヒューマンシールド神戸を設立。中越、中越 沖地震、パキスタン、中国雲南や四川省、インドネシア各地震でも活動し、アフガニスタン選挙NGO監視団では難民キャンプへ。12年間(約8年神戸元気村、約4年ヒューマンシールド神戸として神戸で活動し、災害時は、初動救援から曳き起し手法での修復技術なども紹介、被災者生活再建支援法の活用や問題点なども伝える。各地や学校で講演会や防災の講師を務める。 東日本大震災では、発生直後に出発し、翌早朝には宮城県気仙沼、岩手県陸前高田へ入り1週間は初動救援などの活動。石巻災害ボランティアセンターと連携するNPO連絡協議会の立ち上げ協力し、石巻市周辺で活動。(社)OPEN JAPAN理事(2013年3月11日共同代表辞任し、顧問2014,4まで)、旧石巻ボランティア支援ベース”絆”代表を経験。 また、カヌーガイド、長野県森林整備技術者、元立教大学非常勤講師、消防団員であり、車両系建設機械・大型特殊免許などもって、被災地で貢献している。

・下手な手品師を自称している。

●吉村さんの国内外災害支援活動カンパ先

郵便振替口座00980 – 7 – 264796

※吉村誠司さんの活動の詳細を知りたい方は、吉村さんのFBをご覧ください。

千葉ベタニヤホーム創立90周年記念会

2024年1月8日(成人の日)、午後より、オークラ千葉ホテルで、『社会福祉法人千葉ベタニヤホーム創設90周年記念会』が行われた。光栄にも、私が記念講演を担当させて頂き、「母子家庭・子育て家庭とともに歩んで90年〜千葉ベタニヤホームの過去・現在をふりかえり、共に未来を描く〜」というテーマで話をさせて頂いた。

千葉ベタニヤホームは、母子生活支援施設(旭ヶ丘母子ホーム 施設長:花島治彦 職員:15名 非常勤職員:1名 定員:40世帯、国府台母子ホーム 施設長:川口学 職員:13名 非常勤職員:10名 定員:30世帯)、青い鳥ホーム 施設長:山本裕子 職員:12名 非常勤職員:4名 定員:20世帯)、保育園(旭ヶ丘保育園 施設長:友田優子 職員:27名 非常勤職員:4名 定員:120名、国府台保育園 施設長:中村淳平 職員:18名 非常勤職員:27名 定員:120名【こあらっこ・こどもセンター】)、児童家庭支援センター(児童家庭支援センター・旭ヶ丘 センター長:花島治彦  職員3名、児童家庭支援センター・こうのだい センター長:川口学 職員3名)で構成される歴史のある法人である。

法人の源流は、エーネ・パウラス宣教師の祈りと実践にある。エーネ・パウラス師が来日した1919(大正8)年に開催された宣教師会年会は、当時の貧しい日本において身寄りのない老人が物乞いをしたり、少女たちが売春婦として売られたりする状況に対し『孤児、賤業婦の救済と幼老事業を開始するの件』を決議している。そして、「斯くのごとく信仰もし行為なくば、死にたる者なり」(新約聖書ヤコブ第2章第17節)という聖句を掲げる。そのような熱い思いをもつ宣教師であるエーネ・パウラス師は、佐賀幼稚園、熊本の慈愛園での働きを経て、日本福音ルーテル教会の要望を受け、東京、千葉での活動に入る。当時は、関東大震災、昭和恐慌によって、多くの国民が困窮し、特に、母子家庭がさらなる困窮に追い込まれ、困窮を主な理由とする母子心中の件数は年々増加し、新聞紙上にも大きく報道されていた。

千葉ベタニヤホームの歩みは、当日のレジメを参照されたい。

https://www.dropbox.com/scl/fi/2j3cfkmxclm3h0olw9reh/.pptx?rlkey=ugq28eusa0tnqsre8erc3vo8t&dl=0

今回の学びでも、私は、法人のミッション、実践の意味等、たくさんのことを学んだ。1月4日に記念講演の内容を固めるために、国府台保育園を訪れ、責任者の方々のお考えをお聞きした。

その後、青い鳥ホームを訪問した。施設を案内して頂いたが、相談室には、ルーテル学院大学の卒業生がいた。うれしい再会である。帰り際、予定されているマラソン大会の練習のために出かけていた子どもたちが帰ってきて、ホームは一気に賑やかになった。そして、案内をして下さった山本施設長が、別れ際に、青い鳥ホームが子どもたちや親たちの「ふるさと」でありたいと言われた。その言葉が、私の心をずっと離れなかった。そのことが、講演の最後に、東日本大震災で大きな被害にあった石巻の写真と有名な「ふるさと」という歌を示した理由である。

2020年3月まで、私は石巻市を定期的に訪問し、最後の数年は、石巻市社協と石巻市の地域福祉アドバイザーをさせて頂いた。2011年3月の発災時より何回、「ふるさと」の歌を歌っただろうか。そして何故、私たちは、ふるさとに気持を寄せるのであろうか。

作詞を手がけた小山薫堂氏は、「ふるさととは場所だけではなく、いつでも自分の心の中にあって、生きて行く上で芯になる、冒険でたとえるならば方位磁石のようなものである」と語っておられる。

確かに、子どもや親を取り巻く環境は厳しさを増している。だからこそ、母子ホームで生活する子どもたち、保育園に通う子どもたちにの「ふるさと」になることを目指し続ける千葉ベタニアホームの挑戦に敬意を表したい。そして、私の記念講演が契機となって、千葉ベタニヤホームの職員、役員の方々が、共に心と力を合わせて、子どもと子育てをする親を支え、共に歩む決意して頂けるなら、本当にうれしいし、その手応えを感じて、帰途についた。

なお、2023年9月16日には社会福祉法人ベタニヤホーム創立100周年記念会が、12月13日には社会福祉法人東京老人ホーム創立100周年記念会が、それぞれの形で開催された。いずれも、私が記念講演を担当させて頂いた。長いこと、ルーテル学院大学社会福祉学科の教員として、関わらせて頂いたからである。

その連携を確認した宣言がある。2002年5月15日に、宗教法人である教会と学校法人である大学、高校、中学、小学校、幼稚園、そして社会福祉法人である全国に展開する施設、保育園、またNPO等が協働を誓った『るうてる法人会連合設立宣言』が、るうてるの強みである。もちろん、ルーテル学院大学もその一員である。

日本福音ルーテル教会は、アメリカ南部一致ルーテル教会が、「御国の到来を早める」ために、人は神の恵みによって救われ、隣人に遣わされる、というルーテル教会の基本に立って、1893 年日本宣教を開始したことに由来する。

その宣教とは、聖書の教えるとおりキリストの愛を実践する働きとして、福音を宣べ伝え(伝道)、教え(教育)、いやす(奉仕)わざであった(マタイ9:35)。

 当初、このわざは日本の法制度に従って公益社団法人として行なわれた。

戦後、日本の法制度の改革並びに教会自立路線の選択などの歴史的社会的変化に伴い、キリストの愛を実践する働きとして一つであるはずのものが、伝道活動は宗教法人に、教育活動は学校法人に、奉仕活動は社会福祉法人にと、分割されるに至った。

今このような歴史をかえりみて、ここに、われわれは、聖書の示すところにたちかえり、主が私達を通してなされる宣教のわざを、この世全体に向けられたものとして綜合的に捉え直し、福音的信仰に立ち、伝道(宗教法人)、教育(学校法人)、奉仕(社会福祉法人)のわざに招かれた「宣教共同体」として総力を結集して新たなる宣教の展開へと向かうことを決意する。

 神が、われわれのこの決意を祝福し、この連合に連なる者を御旨の成就のために用いられんことを。

ここに、ルーテルの強み、アイデンティティがある。

https://www.dropbox.com/scl/fi/d4zr6nm4ksje7hpls0s7v/.pdf?rlkey=4ewwrpx1k9o710ym8kxd464h1&dl=0