2003年10月の投稿

佐土原町地域福祉総合計画・活動計画報告会 ~地域文化と生活を堅持すること

2003年10月、基調講演「地域で支え合う福祉とは?」、シンポジウム「佐土原町の地域福祉の発展を考える」のご依頼を戴いた。佐土原町とは、以前から戸敷正町長を存じ上げていたこともあり、2度目の講演である。

講演では、特に、以下の点を強調した。

「地域で支え合う」意味とは?
  1. 必要なコミュニティ=生活問題を共有し、共感の持ち続けること
  2. 各地区・個々人の違いを知る(日常生活の場)こと
    資源(サービス、活動、人材、施設=場、情報、関係)の開発
    地域の個性の尊重
  3. 『自』=自立支援・自己実現を大切にし、住民も当事者であること
  4. 参加型の社会づくり、バリアフリーの社会づくりをめざすこと
    人を大切にする社会づくり(円熟した社会へ)
  5. 5.相手の意思を尊重し、相手に合わせたサービス・活動が原点
    利用者の権利と利用者を見守り、支え、代弁する市民の必要性
「必要な連携」
  1. 教育関係とボランティア

    若い世代に必要な社会的体験、
    家庭、学校の他のもうひとつの居場所の必要性
    「生きる力」の創造

  2. 人と人、活動と活動、思いと思いを結ぶ
    活動の多様性を開拓する
    多様な機会の提供する
    ボランティアと専門職が連携する
  3. 保健、医療、福祉、環境、まちづくり等の連携
    縦割りの弊害を解決するためには、血の通った住民の視点でとらえ直すことが必要
  4. 新たな行政、社協、社会福祉法人の役割
    つなぐ人、調整する人の役割が大切

今、佐土原も合併に取り組んでいる。確か、合併が必要な市町村もあろう。しかし、伝統的な地域文化、住民同士の普段のつながり、地域生活の営みが消え去ることが良いのであろうかと考える。例えば、社会福祉の領域においても、様々な疑問が出されてきた。「障害者のNはいるが、Nである個人はいない。家庭と施設の間に地域がない」「老いていくなかで、ほっとできる場所、安心できる場所が地域に減っている。高齢者が築いてきた高齢者文化とは何か」

合併が目的ではなく、地域での生活を基軸にした町の再編が目的であるはず。アイデンティティをもてない地域を創るならば、そこでは確実に孤立の問題が広がり、かつ犯罪の発生率が急増することはすでに実証済み。

砂土原は、宮崎市との合併協議の中で、福祉特区を申請している。この取り組みは、地域福祉の原点である地域生活と地域文化を基盤にしたまちづくりを目指したものである。自分らしく安心して生きていきたいという願いを実現する新たな取り組みでもある。応援したい。

思い出記2003年度(旅日記)-7

特急しなの27号長野行

 中央本線で名古屋から長野に向かう。1~2年前、逆に長野から名古屋まで乗り、岐阜に行ったことがある。今回は、17時発のしなので、長野に向かった。
 名古屋という大都市から、多治見、中津川、木曽福島とだんだん自然の中に吸い込まれていく。父の生まれ故郷の恵那を過ぎ、中津川あたりで、夕焼けが後ろから現れた。そして、いろいろな場所から夕日を見ることができたが、気持ちのせいかもしれないけれど、山の中を走るせいか、揺れが激しくなる。時折見える集落の家々から、ぼちぼち電気が見える頃に、木曽福島に着いた。そして、列車は自然の闇に包まれていく。

2003年9月初旬

バッテリーの切れが証明する善光寺文化

 夜、長野市の善光寺を散策する。これは、数年前に長野市の計画策定の責任をとり、それが無事に終わった晩に、ふと歩いた時以来である。今回は、デジタルカメラを持参した。
 善光寺の門に至る約1km手前からだろうか、街並に風情がただよっている。街灯はほの暗く、9時頃だったので店も閉まり、人通りもまばらであったが、確かに趣きをもって立っている建物がたくさんある。それも、延々と。善光寺の門へ続く通りだけでなく、その周辺の建物も、伝統と言う個性を誇って、立っている。

 気がつくと、デジタルカメラの表示には、バッテリー不足の警告ランプがついていた。旅館やお焼きの店等々もある。
 すごいと思って見ていると、横を黒装束の坊様が通り過ぎた。「すばらしい街並ですね。」と申し上げたら、「そうですか」と笑顔を見せて、善光寺の方に歩いていかれた。もっと目立つようにすればと思ったが、これが生活であり、文化なのかもしれない。そこに住んでおられる住民にとって、当たり前のことでも、私のような俗世間に生きるものにとっては、感動の連続。そして途中で消費したバッテリーが、善光寺文化の大きさを示している。
 今度は、また昼間に来よう。11の小博物館もあるそうだし、私の好きなアンティークな家具や装飾品、喫茶店等もある。

草津温泉の湯畑

 昨年は、私に急用ができ、連れていけなかったお詫びとして、親を連れての一泊旅行。ここ5・6年前までは、経済的にも、時間的にもまったく考えられなかったことである。
 草津温泉は、硫黄が強く、長く湯舟につかっていると、少し肌がひりひりして、また手の皮がしわくちゃになる。でも、これが温泉という満足感がある。
 私は電車とバスを乗り継いで、皆とは遅れて草津温泉に着いたが、まっさきに行ったのは湯畑。その硫黄の匂いは伝えられないが、そのすばらしさは、納得できる。確かに青森の恐山よりは小さいが、見ごたえのある湯畑としては、雲仙とともに、3大名所にあげる。あくまで、経験の浅い旅行者として。
 温泉の中に咲く緑の花。またフラッシュをたくと光る成分。至る所から湧き出ているような、温泉の畑。そして昼と夜では、草津温泉の湯畑は、その姿を変える。それも神秘的である。

山の岩肌

 草津に向かう特急から見える風景は、あるところから、大きく変わる。山、川、青い空、木々、そして岩。緑に包まれた山に、ところどころに見える岩肌。その岩は、断層になり、なにか違う世界の魂の塊のよう。緑が深く、美しい分だけ、その岩の神秘性が増す。電車から一瞬顔を見せる岩肌に、思わずカバンからデジカメを出して撮る。だから、その姿は、もやがかかったように、さらに神秘的になるのかもしれない。