思い出記2003年度(旅日記)-7
特急しなの27号長野行
中央本線で名古屋から長野に向かう。1~2年前、逆に長野から名古屋まで乗り、岐阜に行ったことがある。今回は、17時発のしなので、長野に向かった。
名古屋という大都市から、多治見、中津川、木曽福島とだんだん自然の中に吸い込まれていく。父の生まれ故郷の恵那を過ぎ、中津川あたりで、夕焼けが後ろから現れた。そして、いろいろな場所から夕日を見ることができたが、気持ちのせいかもしれないけれど、山の中を走るせいか、揺れが激しくなる。時折見える集落の家々から、ぼちぼち電気が見える頃に、木曽福島に着いた。そして、列車は自然の闇に包まれていく。
2003年9月初旬
バッテリーの切れが証明する善光寺文化
夜、長野市の善光寺を散策する。これは、数年前に長野市の計画策定の責任をとり、それが無事に終わった晩に、ふと歩いた時以来である。今回は、デジタルカメラを持参した。
善光寺の門に至る約1km手前からだろうか、街並に風情がただよっている。街灯はほの暗く、9時頃だったので店も閉まり、人通りもまばらであったが、確かに趣きをもって立っている建物がたくさんある。それも、延々と。善光寺の門へ続く通りだけでなく、その周辺の建物も、伝統と言う個性を誇って、立っている。
気がつくと、デジタルカメラの表示には、バッテリー不足の警告ランプがついていた。旅館やお焼きの店等々もある。
すごいと思って見ていると、横を黒装束の坊様が通り過ぎた。「すばらしい街並ですね。」と申し上げたら、「そうですか」と笑顔を見せて、善光寺の方に歩いていかれた。もっと目立つようにすればと思ったが、これが生活であり、文化なのかもしれない。そこに住んでおられる住民にとって、当たり前のことでも、私のような俗世間に生きるものにとっては、感動の連続。そして途中で消費したバッテリーが、善光寺文化の大きさを示している。
今度は、また昼間に来よう。11の小博物館もあるそうだし、私の好きなアンティークな家具や装飾品、喫茶店等もある。
草津温泉の湯畑
昨年は、私に急用ができ、連れていけなかったお詫びとして、親を連れての一泊旅行。ここ5・6年前までは、経済的にも、時間的にもまったく考えられなかったことである。
草津温泉は、硫黄が強く、長く湯舟につかっていると、少し肌がひりひりして、また手の皮がしわくちゃになる。でも、これが温泉という満足感がある。
私は電車とバスを乗り継いで、皆とは遅れて草津温泉に着いたが、まっさきに行ったのは湯畑。その硫黄の匂いは伝えられないが、そのすばらしさは、納得できる。確かに青森の恐山よりは小さいが、見ごたえのある湯畑としては、雲仙とともに、3大名所にあげる。あくまで、経験の浅い旅行者として。
温泉の中に咲く緑の花。またフラッシュをたくと光る成分。至る所から湧き出ているような、温泉の畑。そして昼と夜では、草津温泉の湯畑は、その姿を変える。それも神秘的である。
山の岩肌
草津に向かう特急から見える風景は、あるところから、大きく変わる。山、川、青い空、木々、そして岩。緑に包まれた山に、ところどころに見える岩肌。その岩は、断層になり、なにか違う世界の魂の塊のよう。緑が深く、美しい分だけ、その岩の神秘性が増す。電車から一瞬顔を見せる岩肌に、思わずカバンからデジカメを出して撮る。だから、その姿は、もやがかかったように、さらに神秘的になるのかもしれない。