2010年08月の投稿

平成15年度札幌市民生委員・児童委員大会

 夏の真っ盛りの7月、空は青く広がる札幌。札幌コンベンションセンターに1,200〜300人の民生委員・児童委員の方々が集まってこられる。
 各年代層におよぶ参加者に、女性民生・児童委員の方々も多くなってきている。そして事例をお伺いして、各地域における生活課題に取り組む各委員の意欲が感じ取られる。まさに、社会福祉法下の新しい社会福祉の枠組みの中で、新たな役割を認識しようとする方々の意欲を感じる。確かに、地域福祉を推進してきた委員の実績は誇るべきものである。しかし、虐待、孤立等の問題が増加し、かつ地域自体もその姿をかえてきた。住民意識は多様化し、住民相互の関係も、以前と比べて明らかに希薄化した。民生委員・児童委員自身が、「何がしたいか、何ができるか、何が求められているか」を問われている。そもそも民生委員活動は、市民の視点が強調された市民活動である。したがって、民生委員は、市民活動としての一定の責任をもつものの、その活動範囲がいたずらに広げられてはいけない。そこで、私は、以下の留意点をお伝えした。
基本的留意点
1.地域の福祉を見守り、つくりあげる→→→地域を築く、創り出す。忘れてはならない地域性
2.主体は相手(秘密保持の原則)
 信頼の絆は、必要な人以外には他言しないこと。
3.活動においていつも仲間の話し合いを→→→仲間同士の連携を、全部一人で背負わないこと。
4.各ボランティア団体、ボランティア、民生児童委員等、地域に関わる 人々同士が連携する場を→→→閉鎖性の打破、協力
5.活動が孤立しないように→→→機関(=社協)や既存のサービスとの連携を
6.開発性、先駆性と柔軟性を忘れずに
7.幅広い住民への対応
8.生活を支える総合的な生活援助と連携
*守ろう、育てよう、育もう、地域を! 住民とともに自分自身のために!

すなわち、地域を支える民生児童委員の役割は、共感、共歩、協働である。

西都市

 宮崎県西都市は、まさに西の都といわれるだけあって、広い高原に由緒のある古墳群をもつ。2004月11月に、「住民参画と協働のまちづくりを目指してー住民の手で地域福祉計画・地域福祉活動計画をつくろう」をテーマに講演をさせていただいた。これからの豊かな生活の町西都市を創ろうと、たくさんの住民、民生委員、当事者、ボランティア、サービス提供者の方々が集まられた。
 また、それから一ヶ月たらずで、西米良村の調査の帰り、西都市を訪問させていただいた。ふれあい・いきいきサロンでは、健康増進クラブとの協働プログラムが予定されていた。体温や血圧等の健康診断の後、エプロンを掛け、食器を洗い出したとたん、その姿に張りがでる。少しうなだれ気味の姿勢から、かくしゃくとした料理人の姿に変わるその一瞬の変化に私は感動した。家では火事を心配され、調理をしていないとのこと。その人の能力を活かせる仕組みづくりの必要性を痛感した。西都という、地域活動が活発な地域で、サロンの原点を学ぶことができた。
 また、パチンコ店を交流の場に代えた新たな取り組みを見学できた。中では、舞踊クラブの方々が、私を迎えて郷土の音楽にあわせて踊ってくださる。一つひとつの踊りに感謝。また、交流の場では、バザーが行われ、その収益は地域活動に送られるとのこと。ちなみに、改修費は、市と社協がそれぞれ300万、土地の借金は、当時で月1万円だと聞いた。シャッター街に人の流れが生まれたことは事実である。

地が揺れる中、守られた礼拝 ~日本福音ルーテル福岡西教会

 1970年、中央区今川町の宣教師館での礼拝に始まる福岡西教会は、1980年、現在の新教会堂が竣工した。教会員の末松清治氏の建築による教会は、ドーム型でノアの箱船の意味を持っている。だから頑丈で、どのような荒波にも耐え、航海することができる。
 2005年3月20日午前10時50分頃。確か礼拝が始まり、説教に入る直前ではなかっただろうか。突然起こった揺れは、一気に震度6弱にまで大きくなる。礼拝堂には一切問題はなかったが、礼拝堂の中では、祭壇の花瓶は落ちて割れ、祭壇の前に水が広がる。天井の窓は揺れ、台所から食器の割れる大きな音が響いている。
 今まで福岡では経験したことのない地震に、数分だろうか、呆然として、一切の行動がとれない時間があった。しかし、しばらくして、礼拝に参加しておられた方々から自然に声が挙がる。そして水を拭き取り、割れた花瓶を片づけ、続く余震の中、落ちてくる危険性がある十字架の蛍光灯を囲むように皆が座り、礼拝が続けられた。
 地震で風が起こるのだろうか。遠くから波の音が聞こえ、それが風となって教会に近づき、窓を揺らす。そして、間髪を入れずに起こる余震。外は、瓦が至るところで落ち、壁にひびが入る。
 人間の営みが、まったく通用しない自然の驚異。電話や携帯通話が一切利用できない。礼拝後に弟家族と会い、泊まらせてもらう予定だった私は、海岸に比較的近い場所に住んでいる弟家族の安否を心配した。そして、迎えに来てもらうことだけ考え、携帯電話以外、住所さえもメモしてきていない私が、どのように彼らの所に行き着くのか不安な気持ちになった。
 その時、メールが届いた。「大丈夫か」との問い合わせ。そして「こちらは大丈夫」との知らせ。メールが通じるとは、考えてもみなかった。ほんとうによかった。
 ふりかえって、礼拝中、度々余震の恐怖に心が引き裂かれそうになった。だから、私は、命も、自分の今も明日も、神の御手に委ねることしか術がなかった。しかし、普段より、もっと大きな神の愛を確信できた時でもあったかもしれない。