2021年03月の投稿

ルーテル学院の春

ルーテル学院は、花がいたるところで咲いている空間です。上記の写真は、トリニティホールの2階から中庭に向けて撮った写真です。また、校内やその近辺のいたるところで花が咲いて、新たな年度の学生を待っています。この季節を迎えて、私は38年目になりますが、いつも心が癒やされます。

東門の咲いている花。卒業生が植えてくれました。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 日本ルーテル神学大学(旧名称)神学部キリスト教社会福祉学科を卒業して30数年が経ちました。桜の季節になると学内での花見宴会を毎年思い出します。寮生だった私は出身高校九州学院の先輩も多くいらっしゃったので、とても可愛がっていただき、相当やんちゃな自分に、市川先生をはじめ、先生方、職員の方たちにとてもよくして頂き、市川先生の授業のテスト当日に寝過ごして来ない自分を寮の部屋に起こしに来てくれたことを今でも思い出します(笑)。同期の友人や、ラグビー部の連中と30数年経った今でも連絡を取りあうと当時に戻ったような感覚になります。多くの仲間(といっても1学年35人くらいの時代ですが)との学生生活は人生の中でもっとも刺激的で人生観・福祉の考え方はラグビーに出会ったこと、教会に通ったことを含め間違いなく4年間で学んだことが今の自分の人格形成に大きく影響していることは疑う余地もありません。
 現在、熊本出身ですが、地元ではない静岡県内の知的障がい者支援施設で寮長を任されています。東日本大震災から10年、熊本地震では高校、大学通しての先輩が天に召されました。令和2年度はコロナ禍で、入所されている利用者の生命を守るための対策を徹底し、幸いにも、職員、利用者の方に感染者をだすことなく現在に至っております。各地で施設内でのクラスターの報道があるたびに他人ごとではないことを感じています。
 大きな災害を経験する度、コロナ禍で気持ちが張りつめた状況が続く中で支えとなるのは、全国各地で踏ん張っている先輩、同期の友人も苦しい環境の中にいてそれぞれの立場で頑張っていることです。福祉の仕事を志した覚悟を思い出させてくれる仲間と出会えたことを心から神に感謝し、ルーテル神大に行ってよかったと心から思います。ありがとうございます。
 コロナウィルスの影響は今後も続いていき、この瞬間にも苦しい状況の中にいる仲間がいます。乗り越えられない苦難を神様は与えないことを信じ「ワンチーム」で乗り越えていきましょう!

 ルーテル卒のブレイブブロッサム 杉原

明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年3月11日は、東日本大震災発災後10年の日。当時のことを、鮮明に思い出します。それ以降、私にとって石巻市は、特別な場所になりました。

 そして、10年を経た今、改めて思います。あの時歌われた復興支援ソング「花は咲く」を歌い継いでいこうと。まだ復興の半ばである被災地から、この歌を歌い、次の世代に今までの、そしてこれからの取り組みを知らせていこうと。

 また、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。

 すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。

 私は、その基盤を築き、若者たちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと再度思いました。

花は咲く 第2番

夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず ないたりして
今はただ 愛(いと)おしい あの人を 思い出す

誰かの想(おも)いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

石巻市日笠山公園の桜(2014年、病床にあった教え子に送り続けた桜の花の写真の一枚です)

備えあれば、憂いなし。どうぞご利用下さい。

2021年3月11日を思う

 私は、東日本大震災発災後10年を迎え、被災地で復旧・復興は進められたものの、未だ道半ばであると思っています。さらに福島原発の問題は、先がまったく見えない状態です。

 私は、2020年3月末をもって、長らく担わせて頂いた「石巻市社会福祉協議会地域福祉アドバイザー」、そして石巻市の同アドバイザーの役割を終えました。ふりかえって。そもそも2011年3月11日の東日本大震災の被害状況を見て、いてもたってもいられず、毎年、何回か石巻を訪問させて頂きました。そして、今日にいたるまで、たくさんのことを学びました。

第1に、いつも一緒にいた家族が津波によって流され、家もなくなり、思い出のかずかずも失なった。当たり前の生活が出来なくなり、そんな失意の中でどう生きていくかを考えながらも、周りの人たちに支えられて共に歩もうと努力しておられるたくさんの方々とお会いしてきました。私は家族や友人との絆といった、自分にとって「あるのが当たり前」と思っていたことが、 実はそこに価値があるのだということを学びました。

第2に、生活の拠点を失った方々の生活を支える様々な支援を見て、学んできました。また自分たちで、コミュニティを再建しようとする住民による地道な活動に出会いました。社協職員や住民、民生委員、ボランティア、関係者等と地域の再建を目指した経験は、かけがえのない友情を築くとともに、地域福祉活動の原点を学ぶことができたと思います。

第3に、いくつもの大切な絆を失なった方に希望を届けられるのか。一人ひとりの可能性と明日への希望をどのようにお伝えすることができるか、私自身が問われていると思いました。そして、被災まもなく、まだ津波の跡が残っている市街地を歩いていて、ある看板を見つけました。そこには、こう書かれていました。 「できることから、始めよう」

 私は、被災地で学んだことを活かし、コロナによって今まであった問題がより深刻化し、解決の糸口が見えない今、新たな共生の社会づくりに挑戦する時だと思っています。そして、10年を経て再び歩みを始めようとしている被災地の方々と共に歩みをそろえたいと思っています。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 しなやかな心遣いは、人と人の関係を和ませます。この閉塞感の時代の中で、先を思い悩んだり、先走って焦たり、すぐ結果を求めがちです。しかし、問題や困難な出来ごとに向き合う中で、ちょうど飴玉を口の中でゆっくり転がしながら味わっていくように、物事にじっくり対応する姿勢が大切であり、その中で、忍耐する心が養われ、心が鍛えられやがて熟練したしなやかな心に達し、希望を導き出すと学んできました。心の健康が大事な時代であります。福祉の変革の時代だからこそ、鍛えられたしなやかな心を身につけて、希望を生み出す働きに共に携わってまいりましょう。       横浜の高山

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年3月11日にルーテル学院2020年度卒業式が行われました。学長の石居基夫先生はイザヤ書46章4節の言葉を取り上げ、卒業生たちにメッセージを送りました。

 東日本大震災からちょうど10年。未曽有の災害により何もかも失ってしまった人たち。自然の驚異を目の当たりにしたとき何もできない人間の小ささに傷を負った人たち。しかしそれでも互いに支えあい、励ましあって生きて来た人たち。神様はその人達に語るのです。「わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」

 震災後、私も学生たちと共に何度も東北に出かけ、震災のあり様を目の当たりにしました。その光景はショッキングなものでしたが、でもその中で今もはっきりと覚えているのは、そこで生きていこうとする人たちの顔であり、言葉です。「立て直す家は近所の子どもを預かれるような場所にしたい。」「これからは全国を回って、このような災害に対する日々の備えの大切さを伝えていく。」途方もない困難にあっても、なお明日に向かって生きて行こうとする人たちがそこにいました。自然を前にして確かに人は弱いが、それでもどのような困難にあっても人は明日を生きていこうとする強さをも持つことを知りました。だから私もそのような人たちに「白髪になるまであなたを担い、背負い、救い出す」という神様の言葉を送りたいのです。

 コロナ禍にあって、仕事の面でも生活の面でもまだまだ多くの困難が続く社会に送り出された今年の卒業生です。でも、神様はけっして私たちから離れられません。むしろ困難な時にこそ、なおさら私たちのそばに来て、明日に向かって生きる力を与えてくださいます。チャプレンとして、これからも卒業生を思い起こしては神様の豊かな祝福を祈っていきます。 

cheerk fika 心と体が温まるチーズケーキの店

 コロナ禍において、生活様式は一変しました。今までの関わりは続いていますが、友人となかなか会うことができず、一人で、また妻と散歩することが増えました。家から井の頭公園までは、歩いて約30分。その道すがら、井の頭公園駅から数十メートルのところに、2020年8月、チーズケーキの店が開店しました。チーズケーキを食べて、すぐにファンに、1週間に何回か買いに行っています。私にとって、この店のチーズケーキは、一時の豊かな楽しみであり、また上品な栄養品でもあります。コロナの影響がなければ、このような出会いはありませんでした。

2020年度卒業式

3月11日、ルーテル学院大学・大学院卒業式を行うことができました。3回に分けての会になり、礼拝堂には、石居学長、チャプレン、そして大学院の時には、福島研究科長、大学の時には田副学科長が同席し、私たちは、別の教室で、YOUTUBEで、卒業生の晴れ姿を見送りました。保護者の方々にも、卒業式の様子が配信されました。     

 昨日は、東日本大震災10年の日でしたが、彼らを見送って、嬉しくも、何か寂しい気持をもちました。この4年間、僕は、彼らに何をしてあげられたのだろうかと考え、申し訳なさを覚え、新たに社会に巣立つ彼らに、神様のお守りが豊かにあることを、切に祈りました。

卒業式(学長・チャプレン・学科長)
大学院修了式
ルーテル学院大学卒業式

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」の支援活動時に、大変お世話になりました市川一宏先生のご依頼を受け、現在、医療・福祉現場で新型コロナウイルスの対応に苦労されている方々に、震災10年を覚えて、ショートメッセージをお送りします。

 今年3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。その10年を前にして先月には、大きな余震がその被災地を襲いました。幸いにも「となりびと」で支援した方々には物理的な被害はありませんでしたが、その精神的な痛手は私たちの想像を超えるものでした。

 宮城県では、この震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、震災の記憶を風化させることなく後世に伝えるとともに、震災からの復興を誓う日として毎年3月11日を「みやぎ鎮魂の日」とし、亡くなられた方々を追悼するため、震災の発生時刻である午後2時46分に黙祷を捧げられれるよう呼びかけられます。特に今年は特設サイト『東日本大震災10年オンライン行事 あの日を学びに10年目に伝えあう』が開設されています。

 先日、その10年を前にして、「となりびと」で支援をしていたわかめ養殖をされていた方から、三陸の春の便りである「めかぶ」が今年も届きました。この方は震災時に義理のお姉さんと甥を津波で亡くされ、わかめ養殖のための漁具もすべて流されてしまいました。そんな時に「となりびと」の支援が始まりました。その後、わかめ養殖は再開されましたが、その働き手であった旦那さんが、震災後の心労などにより突然、旅立たれたのです。しかし、その後、毎年送られてくる「めかぶ」などの宅急便には、その旦那さんの名前とその方の名前が並んで印刷されています。それは、彼女にとって、今も旦那さんがいつも一緒にいてもこの震災後の10年も共に歩んできた証なのです。

 被災地の方々は、この10年、彼女と同じような思いで過ごしてきたことだと思います。そして、私たちもこの10年、被災地のことを覚えてきました。その証が、「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/のブログのアクセス数です。その数は、2021年3月10日現在で375,011ページビューとなっています。

 教会の暦では、今、私たちひとり一人の罪を贖われるために十字架へ向かわれるイエスさまを覚える四旬節に入っていますが、その第2主日(2月28日)の日課(創世記)には次のように記されていました。

「わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」

 私は、その「虹」が、津波によって84名が一度に召された石巻市立大川小学校旧校舎にかかった姿に一度だけ「となりびと」の活動中に出会い、この聖句を思い浮かべました。そして、この神さまの契約が守られるよう祈ったのです。

 今、私たちは新型コロナウイルスによって、東日本大震災のように未曽有の大災害に見舞われています。特に、医療現場や福祉現場などで働かれているエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々の苦労は図りしれないものがあると思います。

 しかし、イエスさまはマタイによる福音書の最後で、その苦労されている方、お一人お一人に次のように言ってくださいます。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

 私たちはこれからもこのみ言葉を信じ、被災された方々と新型コロナウイルスで苦しんでいる方々のことを覚え、一日も早い、新型コロナウイルスの感染終息を祈りたいと思います。

  みのり・岡崎教会牧師 野口勝彦(元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)

「東京都社会福祉協議会と社会福祉のこの10年」への寄稿文