「駒ヶ根」との3度の出会い

30数年前に、駒ヶ根に来たことがある。桐ヶ丘療護園の子どもの卒業旅行に伊豆まで数日同行し、東京に帰った夜、夜行で信州に行くことにしていた。しかしあいにく、松本行きの最終電車に乗り遅れ、新宿の映画館で夜を過ごすことにし、朝、始発で松本に向かう。

列車に揺られ、うとうとしているが、なかなか松本に着かない。聞こえてくるのは、聞き慣れない駅名だけ。心配になって乗務員の聞くと、辰野で後ろ三両は切り離され、飯田線を走っているとのこと。私は、すぐに列車を降りたが、その駅が駒ヶ根。

初雪が舞い、寒さでかじかむ手をさすりながら、町の人に教えてもらった寺を訪ねる。木々は、年輪を重ね、地上から空へまっすぐ、しかも太くのぼる。苔が木の皮をおおい、さらに雪がそれを包む。さらに、寺の奥には、三〇余体の地蔵尊をまつる「賽の河原」があり、「幼な子を亡くした親たちが、その追善供養に」と石が幾重にも積まれていた。そして本坊から見る庭園の美しさに、思わず寒さを忘れて見入っていたことを思いだす。

駒ヶ根との2度目の出会いは、山口で行われた全国社会福祉協議会活動者会議でのこと。長野県は、大規模コロニーを地域小規模施設へと転換することとしたが、いくつもの反対運動に直面した。反対運動は、施設の存在が住民の生活圏域と重なり合う時に起こると言われている。しかし、駒ヶ根には、複数の施設が建てられた。その背景には、住民が日頃の活動を通してつちった、利用者と社会福祉への理解の深さがあったと聞く。

そして2004年8月の出会い。飯田線の市田に向かう途中、時間があったので、時刻表を開き、駒ヶ根で降りることを決めた。探索の選択肢はいくつかあったが、休日であったため、千畳敷で有名な駒ヶ岳への登りのロープウェーは90分待ち、下りは60分待ちだった。私は、かつて訪れた寺の名前を思い出せなかったが、観光案内の人が勧める寺に行くことにした。菅の台バスセンターでおり、駒ヶ池、大沼湖畔を通り、別荘地をぬけて、奥から寺に向かう。途中、苔が両側に生えた道をぬけ、林道を下った。

長野県・県宝の三重の塔、本堂のすばらしさに驚きながら、以前に来た寺かどうか、記憶と重ならず、わからないまま「賽の河原」を訪れ、また本坊から庭を見た時に、確信した。かって来た寺は、光前寺だったと。あの時は、石垣の石の間に生え、「光線に反射して美しく神秘的な光を放つ<光ごけ>」のことも知らずに、木々に囲まれた一直線の参道を歩いていた。

時期は違うが、光前寺は、私の期待に背くことなく、すばらしい寺。三十年前の思い出が一気によみがえり、また新たな出会いが生まれた。

本堂に続く道

庭園

駒ヶ根美術館

ひかり苔