一本のツツジ

近所で赤いツツジが、一本咲いていました。とてもきれいでした。私は、一本のツツジが、はっきりと語りかけていると思い、写真を撮りました。確かに、周りは、枯れた草が覆っており、写真としてはどうかと思いましたが、赤い一本のツツジが、私たち一人ひとりの生き方に思いました。

私は、1人ひとりには個性があり、持ち味があり、可能性があると思っています。そして、私は、それぞれの可能性を活かしあえる社会にしたいと思っています。これは、天から降ってくるものではなく、地面から天に向かって伸びていく、日常的な挑戦と考えています。

2005年度前期大学卒業式・大学院学位授与式には、「一本の山ツツジ」というメッセージを学生諸君に送りました。以下、掲載します。

聖書 ヨハネによる福音書第1章第1節〜5節

 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は、言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

「つくられた、たくさんの山ツツジより、自然の中にある一本の山ツツジ」が人の心の原点に触れると言われたのは、後藤哲也氏。熊本県の北東部で、阿蘇のふもとにある熊本空港から1時間ほどの所にあり、客が来ないでまったく寂れていた黒川温泉を、全国有数の温泉地にした人。カリスマ経営者として全国に有名です。40年前、3年をかけて、自らノミとカナヅチで洞窟風呂を掘りました。そして、「説明なくとも見える姿がすべてを語る」と考え、自らの旅館を工夫し、また温泉地全体で一貫した雰囲気と環境を醸し出した。そこでは、川が流れ、苔がその周りを包み、いたる所で温泉の湯気が立ちのぼり、時間がゆっくりと過ぎていきます。

 今、たくさんの町や村が壊れつつあります。少子高齢化が急激に進み、まさに過疎化、そして構造改革といわれる大規模な改革が、日本のあらゆる地域に、熾烈な競争の原理を持ち込み、競争に敗れたいくつもの町や村が、貴重な文化と豊かな自然とともに、消え去ろうとしています。

 しかし、市場経済の荒波の中にあっても、その存在と個性は揺るがないと思われる黒川温泉の創設者後藤さんとは、この1年で2回お会いし、お話を聞くことができました。後藤さんの信念は、「たくさんの山ツツジより、自然に生える1本の山ツツジ」を大切にすることでした。

 私は、1本の山ツツジの意味は、何かと今まで考えてきました。そして、今、私は、こう考えています。

 1つは、気がつかなかった自然の営みが、心の中にある故郷を呼び起こし、来る者の心の疲れをとる。人の手によってつくられた、いわゆる人工的社会で生きていかざるを得ない私たちが、ほっとできる居場所はどこでしょうか。気を遣うことなく自然でいられるところ。故郷のように、いつも心の中のどこかで、灯火となっている場所。ありのままの自然を見つめ、大切にしようとしたからこそ、自然が安らぎを与えてくれている。

 2つめは、山ツツジが、厳しい自然の中で、ただひたすらに生き続けていること。そこに人の手による町があろうとなかろうと、山ツツジは、初めからあった。そこに、唯一かけがえのない、似ているかもしれないけれど、他とは違う1本の山ツツジを大切にしていること。

 3つめは、「説明がなくても、見える姿がすべてを語っている」けれども、その姿に私たちが気が付かない。1本の山ツツジは、相手に安らぎを与えるメッセージを送り続けていたのに。その意味を後藤さんに教えて頂きました。

 今日は、卒業式・単位授与式であると共に、本学院の創立記念礼拝です。「生きている事実だけではなく、生きる意味を学び、生かされていることを知る。だからこそ、人の生活、祈り、痛みに寄り添うことができる。」本学の使命は、その働き人を社会に送り出すこと。様々な苦労を乗り越えて、ここに立つ1名の卒業生を誇りを持って送り出したいと思います。さらに、超多忙な児童相談所に勤務しながら、大学院生としての勉強を両立させてきた者に、敬意をもって学位を授与したいと思います。

 今日の聖句は、私がもっとも好きな箇所の一つ。この聖句を、卒業記念として2人にプレゼントします。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は、言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」すでに、私たちには言が与えられている。その言とは、イエスキリストです。1本の山ツツジのように、私たちが気がつかないところにおいても、命として、光として、私たちを支えてくださっておられます。いつまでも、そのことを忘れなければ、どんな困難にあっても、君たちの明日は必ず切り開かれる。  よく頑張りました。卒業そして学位取得、ほんとうにおめでとう。そして、これからもよろしく。

藤岡市庚申山総合公園の藤の花

平成最後の日、庚申山総合公園に藤の花を見に行きました。写真のように、たくさんの藤の花を見ました。また、公園には、藤以外にいろいろな花が咲いています。

 第25回「黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川」開催結果  

http://www.pref.kanagawa.jp/docs/h3e/cnt/f300633/p30vol25.html

ルーテル学院大学の構内に咲く花(4月2日入学式)

校内のいたるところに咲き誇る桜

2019年度入学式

私は、ここにいます。

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員は、皆さんの学びを支援し、それぞれが成長していくプロセスを応援していきたいと思っています。

さて、今日、大学の構内を歩きました。サクラが満開に咲き、皆さんを迎えていました。そして、たくさんの種類の花も咲いていました。群生で咲いている花もありましたが、一輪、もしくは数輪で咲いていた花もあります。いずれも、「私はここにいます」というメッセージをはなっていました。

今日お話しする「私はここにいます」という意味を、私は3つ考えています。第1に困難に直面する人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言することであり、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることであり、第3に私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです

私は、昨年の5月に、「国連の「世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします」という文書を作成しました。その文書の背景には、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の働きがあります。韓国でもっとも長い歴史をもつ共生園は、1928(昭和3)年に、ユン・チホ伝道師が、韓国南西部の木浦(もっぽ)の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。その妻である田内女史は、共生園を守り、3,000人の孤児を育てました。この応援メッセージは、「孤児の母」と呼ばれた田内女史の息子であり、在日高齢者等へのホーム等を運営する尹基(Tauchi Motoi)理事長の活動を応援をするものです。

 世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包み、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。

 これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育ててくれていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなどの子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。日本においても虐待によって命を失う児童は、毎年、数十人を数えます

だからこそ、私は、誰もが神様から祝福されて生まれたのであって、「おめでとう」と言い続けたい。そして、私たち自身が、祝福されて命を与えられたという事実を忘れてはいけない。「私はここにいます」とは、第1に、「0か100では無く、その間には1から99の方法」があるのであって、自分が選んだやり方で、子供たちを支援すること、平和を求めることは、私たち自身が存在を認められ、未来に向かって生きていくという宣言でもあるのです。

「私はここにいます」の第2の意味は、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることですだと言うこと。いつも迷いや不安が私たちの歩みを遮ります。今必要なことは何か、何ができるのか、たくさんの疑問でアップアップです。そのような生き方をしている私たちに、アドバイスをしてくれた有名人がいます。イチローです。引退試合が終了した後に開かれた記者会見での発言の一部を紹介します。

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない」

 すなわち大切なことは、自分としていかに生きていくかということ。ありのままの自分を誠実に受け止め、自分にはどのような力があり、可能性があり、同時に課題があるかを見失わないこと。自分を誠実に受け止めることは、同時に相手の生き方を認めることであり、そこに自分の成長があります。

最後に「私はここにいます」の意味は、私たちの生き方を、神が救って下さるという確信があることです。

イザヤ35章4節に立ち返ります。聖書には「心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵をうち、悪に報いる神が来られる。神が来て、あなたたちを救われる」と書かれています。この聖句は、私の恩師から頂いたものです。阿部志郎先生は、ご自分の戦争体験を通して、何とおろかか。権威に服し、考え、迷いもなく、行動を考えず、全く疑わず、恐れず、戦争を起こしたことに後悔している。若者が、考え、迷い、自分で選択して将来を決めて欲しいと思われ、この聖句を私に託されました。 

 神は、この聖句を通して、様々な困難に追い込まれている人々に、受けた災いをもたらした者に対する行動を宣言されました。神様からのメッセージと思います。「私はここにいます」の第3の意味は、「神が来て、あなたたちを救われる」と言われるように、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです

繰り返しになりますが、「私は、ここにいます」の意味は、第1に困難に直面した人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言すること、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めること、第3に、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです。

 改めて、申し上げます、入学おめでとうございます。そして、皆さんが卒業する4年後、私は、定年を迎えます。一緒に卒業しましょう。

東京都社会貢献大賞贈呈式

贈呈式の映像をご覧頂けます。私の体調をご心配する方もおられますが、元気に学長としての校務や、社会的責任を担っています。皆さん、どうぞよろしくお願いします。

東京都の「平成30年度 共助社会づくりを進めるための社会貢献大賞」を見て頂くと、映像が見られます。

ルーテル学院大学の花便り(2019年3月14日)

山梨県芸術の森公園

山梨県社協より講演のご依頼を受けました。時間は、午後1時より。前日、甲府のKONAYAホテルに泊まっていたので、タクシーで山梨県立美術館に向かいました。しかし、到着して休館日であることが分かりました。そこで、美術館の周りを芸術の森公園を歩くことにしました。私は、展示されていたオブジェに納得しました。休館日でなかったら、敢えて歩かなかったかもしれません。ミレーは見えなかったですが。

ゴッホ
叙事詩
リトルバード

黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川

第25回「黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川」開催結果 http://www.pref.kanagawa.jp/docs/h3e/cnt/f300633/p30vol25.html
 第25回「黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川」開催結果(その2) http://www.pref.kanagawa.jp/docs/h3e/cnt/f300633/p30vol2502.html

昨年の11月に行われた黒岩知事との“対話の広場”Live神奈川が掲載されました。私は、病院に入院中で、ビデオで参加しました。

2018年度卒業式メッセージ

 卒業おめでとう。今日は、皆輝いている。君たちの輝きをエネルギーにして、「0か100ではない生き方」というテーマでお話ししたい。

 この1年は、私にとつて、貴重な1年であったと思います。自分の生き方を問われる時で、神様から与えられた試練であり、み恵みであったことを確信しています。その経験を通して、まっすぐな一本の道を歩いていくことが、人生ではないと感じました。思いがけないことに直面し、それに適応しようとし、自分の歩みを再確認する。そして、今まで考えていたことが、必ずしも正解ではなかったことに気がつきます。歩みは、今まで同様に、蛇行すると思います。ただ、自分が目指すゴールを忘れず、希望を失わず、歩んでいくことを大切にしていきたい。

 回復のために自宅で休んでいた時、私は、中村 裕氏(なかむら ゆたか)氏の挑戦を知りました。中村氏は、日本の整形外科の医師で、身体障害者のスポーツ振興をはかり、日本パラリンピックの父と呼ばれています。

 中村氏が活動を始めた1960年当時をふりかえりますと、日本では身障者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」といわれていた時代でした。「何か特別な手術などがおこなわれているのでは」と調査のため、英国のストークマンデビル病院へ派遣されました。しかし、手術など治療方法は日本と全く同じでした。イギリでは障害者がリハビリテーションの一環としてスポーツを行い、さらには社会全体で受け入るシステムが存在したことに強い衝撃を受けて、中村氏は帰国しました。また、ストークマンデビル病院のグットマン博士から、「何人もの日本人は帰る時も是非実行すると言って去ったが、一人としてその言葉を守っていない。」と言われました。日本の医療の壁は予想以上に厚かったのです。

 しかし、帰国後、1961年、第1回大分県身体障害者体育大会を開催します。「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けたそうです。しかし、それを実現し、さらに1964年東京パラリンピック開催に奔走し、日本人選手団団長を務めました。日本の参加者は施設や病院暮らしの「患者」、それに対して西欧諸国の「アスリート」で結果は試合前から明らかでした。また西欧諸国の参加である障害者が日本で買い物に行く等、患者では無く、障害者というのではなく、一人の人間として、生活する姿は、大きな衝撃を私たちに与えました。日本人参加者は閉会式のとき中村氏に「働く場所をつくってほしい」と懇願したそうです。中村氏はそれに応えて、1965年に障害者の自立のための施設『太陽の家』を創設します。

 中村氏が恩師と一緒に、『リハビリテーションー医学的更生指導と理学的療法』(南江堂)を出版しました。その中で、「日本医学は薬物療法、手術的療法にあまりに偏り過ぎているように思われる、これに心理的物理学的医療を加え、これを有機的に結合させ、疾病の治療に最大の効果を上げる方法を見出す努力がすなわちリハビリテーションである。」と言うと共に、「回診チームに、PT、OT、ソーシャルワーカー、養護学校の担当教師も加えて、障害をもつ一人ひとりに合ったもっとも適切な訓練方法を検討すべき」としました。その原点は、生きていく希望を灯すこと。(水上勉監修『中村裕伝』中村裕伝刊行委員会、三枝 義浩『太陽の仲間たちよ―身体障害者とある医師の挑戦』講談社( (KCデラックス―ドキュメントコミック) 1994年、『フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 この長い年月をかけた中村氏の挑戦は、当時の日本における常識としてきた障害者の生活に関する考えを、徐々に切り崩していきました。障害者の0か100でない生き方を、一人の人間として当然持つ希望を実現しようとする挑戦を認める社会を目指した取り組みでした。

 障害者がスポーツをするという当たり前であることを宣言する大会は、パラリンピックです。2020年に開催されるスポーツの祭典であるオリンピック、パラリンピックを単なるお祭りに終わらせることなく、障害者が希望をもって生きていくことが可能な社会を実現することが求められています。

聖書に立ち戻ります。聖書 イザヤ書 43章4節・5節「私の目にあなたは値高く、貴く 私はあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。恐れるな、私はあなたと共にいる。」と語られています。

「あなた」とは、霊的に理解力なく、主の計画を実現することができず、沈黙しており、罪深い人を言います。(ティンデル聖書解イザヤ書訳者鍋谷・橘内 著者アレック・モティア)。そもそもこのイザヤの時代とは、アッシリアとバビロニアによる世界制覇が始まった時代です。かつての支配者エジプトは、衰退しつつあり、北からの勢力が拡大を始めました。アッシリアは、抵抗する者を皆殺しにし、町や村を破壊し尽くし、その指導者層を連れ去り、捕虜としました。この困難な中にある、ここで言う「あなた」に対して、安全を与えるのです。「あなたの身代わりとして人を与え」とは「救い主」を言います。そして、「恐れるな、私はあなたと共にいる。」というメッセージを送り続けておられる。私は、2007年の入学式(生命の鼓動)でも、2012年の前期卒業式(「おめでとう」ではじまり、「ありがとう」で終わる人生を)でも、この聖書の箇所を用いました。しかし、今回の結論が違う。今回は、自分の経験と重なります。

 繰り返しになりますが、11月に病院に入院し、また完全な回復に時間がかかりますが、その分、自分の生き方、私が目指していく信条を学びました。また、超多忙な生活を離れ、今まで気がついていなかった家族の支え、学生や卒業生への思い、友人や関係者の大切さを学ぶことができました。その経験を念頭礼拝で「悲しみよありがとう」というテーマでお話ししました。

 当たり前に思ってきたことが、実は正解ではなかった。中村氏と同じことをする力は、私にはありません。しかし、出会いを大切に、その出会いから学んだことの実現を目指し、挑戦してきたという姿勢を大切にしたいと思います。それぞれには、それぞれの可能性がある。そして、解答は、様々です。

 生きるということは、0か100ではない。すなわち、まったく何もしないことを0とする。これに対して生きていくために最大限の努力をして成果を上げることを100として考える。その2つしか選択肢がないのは、これはあまりに短絡的。目標が困難になったら、目標を諦めるのではなく、目標を広げればいい。そして目標に向かう生き方には、1から100までの選択肢がある。君たちには君たちらしく、自分が望む道を歩いていってほしい。今日をもって友と別れることは寂しい。しかし、その寂しさは、信頼が根底にある。ならば、必ず勇気にかわる。今日は、皆を支えてくれた友人、家族にお礼を言おう。そして、それを神様が、じっと見守り、支え、守って下さるということを心にとめ、歩んでいってほしいと思います。

卒業おめでとうございます。