阿部志郎先生石井十次賞受賞
阿部志郎先生が、第28回石井十次賞を受賞されました。それを記念する講演会・お祝い会が12月初旬に開催されました。2020年に94歳を迎えられる先生が、ひたすら福祉の原点を示し、さらに追い求め続けられる生き方を目にし、参加者にとって、励まされる時でした。今までも、今も、そしてこれからも、阿部先生の後ろ姿を見ながら歩んでいくことができることに、私は心より感謝しています。
Ichikawa's Office
社会福祉関連
阿部志郎先生が、第28回石井十次賞を受賞されました。それを記念する講演会・お祝い会が12月初旬に開催されました。2020年に94歳を迎えられる先生が、ひたすら福祉の原点を示し、さらに追い求め続けられる生き方を目にし、参加者にとって、励まされる時でした。今までも、今も、そしてこれからも、阿部先生の後ろ姿を見ながら歩んでいくことができることに、私は心より感謝しています。
11月17日に、縁の会の講演会があります。縁の会は、高齢者福祉に関わる者たちの自主グループで、参加者が情報交換をしながら、お互いに支えあい、励まし合い、新たな気持で高齢の方々のケアにあたることができる機会を提供したいと思い、年に一回、会を開催しています。今、高齢者福祉の現場は、非常に多忙で、多くの職員は疲弊していると考えています。だからこそ、仕事についた原点に戻り、またリフレッシュできる機会が大切だと思っています。どうぞご参加下さい。
10数年ぶりに沖縄県社会福祉大会の記念講演「県民一人ひとりが作る地域共生社会について」をお引き受けしました。今回は、西原町を訪問し、住民の方々が主体となって地域の絆を築いていく取り組みに感銘を覚えました。また、沖縄の地域福祉活動に関していろいろお聞きし、沖縄県民の心に流れる「ちむぐくる」という思想に出会いました。
岩手県では、「イーハトーブ」という思想が良く取り上げられています。これは宮沢賢治が目指した理想郷を意味していると言われています。「アメニモマケズ カゼニモマケズ ユキニモ ナツノアツサミモマケズ ・・・・イツモシズカニワラッテイキル」というメッセージから、どんな苦難に直面しても、人生を生き抜いていく一人の人間の姿が浮かんできます。
また、私は徳島県におけるボランティアの広がりを目指したさまざまな取り組みに関わってきました。たくさんの市町村社協の友人たちとたくさんのことに挑戦して、たくさんの思い出があり、今でもそれらを大切にしています。そこでの経験を通して、お遍路さんに対する住民の「おもてなし」の伝統は、隣人に対する思いやりに通じていました。「ちむぐくる」とは、思いやり、優しさ、人に気遣いを言い、一人ひとりの心に宿っていると実感しました。感謝です。
カレッジの力は、卒業生の働きあります。一人の地域住民として、福祉の理解者として生活なさっておられる方々も、カレッジの宝です。また具体的な活動を通して地域を支えておられる方々、いろいろな行政や社協、NPOの理事会や委員会に出席なさっておられる方々も、宝です。
ここでは、卒業生の一部を活動を紹介します。
日本キリスト教社会福祉学会第60回大会(2019年6月28日、聖隷クリストファー大学)で、シンポジウムのシンポジストのご依頼を頂きました。テーマは、「神と隣人に仕えるー地域共生社会形成におけるキリスト教社会福祉の役割」です。シンポジストは、村上恵理也氏(日本キリスト教団松戸教会牧師)、野原健治氏(興望館館長)、市川、コーディネーターは柴田謙治氏(金城学院大学教授)でした。すでに1ヶ月を過ぎましたが、私がお伝えしたかったことをまとめました。
私は、50年近く、キリスト教社会福祉の実践から多くを学んできました。それは、私自身の生き方に影響を与えていました。特に、私は先人の実践から信仰の意味を学び、今を生きる使命としてきました。しかし、この数年、いくつもの経験を通して、私のキリスト教社会福祉の実践に対する考えが変化していることに気がつきました。
1.「隣人に仕える」キリスト教社会福祉の取り組み
⑴共感から生まれる活動
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担(かつ)いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んで下さい』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカによる福音書第15章第4節から7節)
キリスト教社会福祉を切り開いた先人の方々の思想、信念から、私は神の御言葉を学び、共感しました。また先人が目指した明日に向かって、たくさんの方々が足並みを合わせ、歩んでこられたことを知っています。その証が、現在まで引き継がれてきた実践そのものです。
私は、一匹を救う取り組みが、私の使命であると考えてきました。そう考えるもう一つの根拠は、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイによる福音書25章40節)との聖句です。私が訪問した多くのキリスト教主義施設には、この聖句が掲げられていました。
しかし、自分に予想していなかった病いが発見され、少し辛い治療を始め、「生きるために食事をする」等を体験してから、私自身が「一匹の羊」「いと小さき者」であることを実感しています。そして、私の生きることへのこだわりは、隣人が自分らしく生きてほしいという気持ちを強めています。相手に対する畏敬や共感は、自分自身を知ることから始まりました。
また、2011年3月の発災後から続けている東日本大震災の被害がもっとも大きかった石巻市の支援を通して、一人の人間の非力さを痛感しながらも、多くの人たちが絆を形成し希望を生み出している現実を見て、共に生きる意味を知りました。震災以来、今も石巻に通わせて頂いています。
そして、そもそも、今日の家族の扶養機能・養育機能、地域の相互扶助機能、企業内扶助機能の脆弱化により、誰もが閉じこもり、孤立死の危険があります。また引きこもりの推計が数十万となっている状況で、私たち自身が一匹の羊であると思います。だから、一人の人間としての共感が自然に湧き上がってくるのだと思っています。
その事実を理解できたことを思いますと、この間の経験は、神様からの贈り物だと確信しています。
⑵隣人愛の実践
隣人愛という言葉は、クリスチャンに限らず、今の社会にとって、かけがえのないミッションであると思います。
例えば、民生委員信条には、「わたくしたちは、隣人愛をもって、社会福祉の増進に努めます」と書かれています。また、手話では、ボランティアを、「苦労を献げる」という意味ではなく、両手の人差し指を合わせ、人差し指と中指で歩く表現します。すなわち、「共に歩む」と意味を表します。 そして、生活困窮者自立支援制度は、援助の原則として、「生活困窮者が社会とのつながりを実感しなければ主体的な参加に向かうことは難しい。『支える、支えられる』という一方的な関係ではなく、『相互に支え合う』地域を構築します。これらは、奉仕の概念の変化ではないでしょうか。
また、私が委員長をさせて頂いている東京都共助社会検討委員会では、共助の原則の一つをdiversity(多様性)とinclusion(共生)にしました。ずなわち、それぞれの生活文化、生き方、思想、信条、信仰等の多様性を認め合い、そして互いに支え合いながら生きていくことの大切さを掲げました。隣人愛に立つ歩みを求めた神を信じるか、信じないかに関わらず、神を知っているか知らないかは関係なく、倒れている人を助けようとする人は、キリストにある隣人だと考えています。
2.キリスト教社会福祉としての地域社会との関わり
⑴住民との関わりによる成長
社会福祉法第4条には、「地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行う者(以下「地域住民等」という。)は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されるように、地域福祉の推進に努めなければならない。」と規定されています。命を与えられてから、人生の最後に至るまで、一人の人間として生きていくことを支援する実践が地域福祉であると示しています。
ふりかえって、キリスト教社会福祉を実践してきた団体は、その置かれた場で希望の光を灯しました。地域住民は、その光を見ながら、生きておられたと思っています。そして、今、同団体は、地域という場所で、当事者、住民と共に生きていくこと、互いに補い合っていくことが求められていると思います。そして、それは互いに学び合うことでもあります。
⑵「我がごと、丸ごと」を目指した地域共生社会の展開をどのように考えるか
「我がごと」とは、地域住民等も地域の生活課題を自分のことと認識し、協働してその問題の解決に取り組みこと。「丸ごと」とは、障害者、児童、高齢者と分かれていた施策を束ねて、地域問題に対応するサービス供給組織に再編しようとすることです。
この考え方は、すでに施策のいたるところで実施されています。私は、介護保険における介護予防・総合事業、社会的養護における地域支援、生活困窮支援制度における地域社会づくり等の施策の動向から、インフォーマルケアである見守りやサロン等の住民活動、当事者活動が、施策に位置づけられ、自助、共助、公助を合わせた地域ケア体制が求められていると考えています。すなわち、地域福祉の制度化です。
確かに、国の責任を放棄しているとの指摘もあります。しかし、各自治体、地域状況は多様です。そしてそれぞれの地域で、孤立や虐待が顕在化している現実がある。地域の問題を行政だけでは対応できない。地域共生社会づくりは、身近な住民やボランティア、社会福祉法人、NPO法人等の幅広い資源が最大限協働して、「問題が発生する地域を予防、解決の場とする」従来のコミュニティケアの実現と共通しています。但し、従来の施策と違う視点は、それらの活動を支援する自治体の役割が強化されたことです。
⑶原点に戻る
ちなみに、社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。また、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような姿勢をとるか。または地域社会における役割を明確にしていく必要があります。
すなわち、隣人愛に基づいて創設され、今日も至る団体のミッションが、組織を構成する関係者にどのように共有化され、日々の仕事にどのように活かされているのか、本物のキリスト教社会福祉実践なのかどうかが問われていると思います。
3.キリスト教・教会とキリスト教社会福祉実践との関わり
⑴基本的考え方
教会から発せられる言葉である隣人愛の実践が、キリスト教社会福祉実践であり、教会の地域への玄関が、幼稚園・保育園を含む社会福祉施設、地域活動であるとも考えています。ですので、以下に述べるキリスト教と社会福祉実践を結び合わせる5つのCの座標軸が大切だと考えています。すなわち、共感(Compassion)、連帯(Collaboration)、当事者の様々な能力の向上(Capacity building)を横軸に、キリストの教え(Christ)を縦軸にする十字の座標軸です。
悲しみや痛みを感じ、喜びや感動する心を抱き、自分らしく生きたいと葛藤し、人間としての誇りを生きる糧とし、安心する心の拠り所を求めさまよう、そうした人生を一歩一歩積み重ねて生き抜いてきた利用者の「生きる」姿に共感すること。これは、同じように生きてきた自分自身を理解することから始まります。
「隣人」とは、生きる意味を共に考えてくれる同伴者です。日本聖公会神学院校長関正勝先生は、「弱さを担うことが真実の人間の強さだ」と言われました。すなわち、叫びをあげている人々から求められることに、ひたすら応え続け、同伴者として歩むこと。それは、利用者の存在を支える働きであり、互いが生きる意味を教えあい、共に考える空間であり、意味のある人生を互いに築いていく過程ではないでしょうか。そこには、明らかに、生きる意味を共に考えていく「隣人」としての関わりが生まれています。
例えば、地域ケア会議等の連携の中で、各キリスト教社会福祉を実践する団体はどのような役割を果たすのか、地域社会における使命は何か、明確にしていく必要があります。隣人愛は、キリスト教社会福祉団体の専売特許ではありません。
また、当事者本人と連帯し、その人の存在を認めているか、それぞれの方の生きる姿を受けとめているのか、隣人愛の実践がなされているのかという問いを実際の仕事で確認していくことが大切だと思っています。
「孤児の父」と言われた石井十次は、明治後期に密室主義(個人的な話し合いによる教育)、旅行主義(見聞を広めるように努力すること)、米洗主義(米をとぐようにそれぞれの特質を現させる)等の岡山孤児院12則を明らかにしました。また知的障害児の父と言われた糸賀一雄氏は、昭和20年代から療育を通して、発達保障というミッションを掲げました。当事者の生きようとする力、他者を理解しようとする力、潜在的な自立能力を一緒に発見し、維持し、強化のための挑戦をすることが求められています。
ちなみに、社会福祉法人改革の現状分析は首肯できませんが、組織の透明性等の強化、公益事業の義務化に関しては、一つの機会ととらえています。
組織内だけでしか通用しない常識は、それを非常識と言います。そして、キリスト教社会福祉を実践する団体が、社会から求められている存在であるのかと確認し続けて頂きたい。
また、事業、活動等の具体的な支援が、手続、計画、内容において適正なものか、評価基準を明確にした上で、たえず見直していくことが求められています。これなくしては、地域からも信頼は得られません。
上記の①から④を横軸に、キリストの教え(Christ)すなわちキリストが私たちのために十字架につけられ、自らの命を捧げて下さったこと、そして復活なさり
キリストへの信仰を縦軸にする十字の座標軸がキリスト教社会福祉実践だと考えています。
⑵特に意識して頂きたいこと
今日の社会福祉の現場は、明らかに自立の概念、当事者主体、継続的支援の強化を図っています。
①自立の概念の変化
そもそも自立とは、能力に応じたものであり、障害には支援、能力は活用という基本的考え方が大切です。また、自立の目標は就労による経済的自立か、生活能力(ADL+生活機能障害(2001年ICF)への転換、生活のしづらさ、困難さの発見と支援の必要性)、経済的自立、地域生活における自立、社会関係的・人間関係的自立、文化的自立、身体的・健康問題と自立等、多様な自立が求められています。
②当事者主体
身体障害をもつ方、知的障害をもつ方の社会参加は課題がありつつも、一定の実績はありますが、近年は特に、精神障害をもつ方の社会参加、自己実現を目指す活動が注目されています。浦河べてるの向谷地氏は、当事者研究を示し、当事者自身の取り組みを前面に掲げています。初期の認知症を持っている方々が当事者として社会参加していく可能性を模索する実践もそうです。このような実践が、全国に広がっています。
③継続的支援の強調
さらに、継続的な支援を考えていかないと、多くの当事者は孤立するのではないでしょうか。例えば、一定の年齢になり、児童養護施設を卒園した青年が、突然社会での自立を求められることには無理があります。人生のそれぞれの歩みの過程で、一緒に歩む人、活動、組織があることは、不可欠です。限定されていたサービス、制度を結び合わせるシステムを創り出していくことが求められています。
さて、今日は、浜松駅から聖クリストファー大学まで、バスで来ました。その道すがら、案内の方が立っておられました。不案内の私にとって、本当に心強かったです。その案内に従い、今、私はここに居ます。私は、教会が、キリスト教社会福祉実践に携わる私たちが、迷う人、地域福祉活動の歩みの『道しるべ』、暗い夜空を吹き抜け、社会を照らす『光』になっていく夢の実現を目指したいと思っています。
2019年5月、三鷹ネットワーク大学より、『人生100年時代の地域ケアシステム〜三鷹市の地域ケア実践の検証を通して』が出版されました。有力な研究者等がこれまでの三鷹市の実践掘り起こし、検証し、今後の課題を示しています。私は、それぞれの地域の実績を丁寧に検証し、その土壌に生えた木に、新しい実践を接ぎ木をしていく取り組みが大切であると考えています。しかし、多くの市町村はそれを見失っていないでしょうか。可能性を捨象していないでしょうか。
本書は、三鷹市の特性を紹介しています。何か新しい建物等のハード面を充実することだけが、将来に向けた取り組みとして優先させるべきでないと思っています。地域の日常生活の中に根ざした実践が、明日の可能性を示します。本書が、今一度、その原点に立ち返り、将来の可能性を模索する一助になるなら、幸甚です。
2019年7月、私の友人が施設長を務める岩手県盛岡市にある五月園において、講演をさせて頂きました。テーマは、『高齢期における生き方〜終活の意味と内容について考える』である。母の看取りの経験、お世話になり亡くなられた方々の生き方から学んだことをまとめる機会となりました。
母は、一人で静岡市伊東市に住んでいましたが、福岡にいる弟家族に良く連絡をし、大切にしてもらっていました。また東京にいる私たち家族とも関わりは深く、晩年は幸せであったと信じています。母を天国に送った後、父母の遺品が詰まっていた家の片付けは、当時東京に勤務していた弟と一緒に行うことができ、彼の献身的な働きなくして、父母の終活を行うことができませんでした。神様が与えて下さった父母に感謝する時でしたが、膨大な荷物があり、また結婚の記念アルバム等の父母が大切にしてきた品物をどのように片付けるか、本当に悩みました。私たちが決断せずに、祖父母を慕っていた孫である私の子どもたちのその判断を委ねることはできません。
ふりかえって、五月園との関わりは長いのです。職場内研修のために何度か五月園を訪問しました。今の施設に建て替える前の、丘の頂きの方にあった時からです。施設長さんは、私が社大の研究所の助手時代に学生であり、その頃から続く仲間です。盛岡市で行われた結婚式にも出席し、彼との思い出はたくさんあります。
また、盛岡市には、私が大学時代の親友がいて、今も彼と仲良くしています。昨年大切な奥さんが亡くなられ、心配しています。奥さんは、まだ彼と結婚する前から知っている高知の方で、本当に心の広い、また思いやりのある方でした。ご冥福をお祈りします。
さて、その際のレジメを掲載します。私にとって、この数年は、健康にいろいろな変化があった時で、死に至るまでいかに豊かに生きていくか、考える機会が与えられました。その意味で、実り豊かな時で、私が考えるテーマのポイントを掲載し、講演の中で補足しました。
高齢期における生き方〜終活の意味と内容について考える
1.「生きていくこと」について、考えてみます。
①「花は咲くプロジェクト」です。歌詞の一部を紹介します。生き方を示している。
誰かの想いが見える 誰かと結ばれている 誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう 花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に 花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために
②聖路加病院の院長で昨年105歳で亡くなられた日野原重明先生は、いのちとは「自分が使える時間のこと」だと言われました。たとえば体の中のポンプ・心臓は、絶えず鼓動しています。これは、体で感じ、医学的には見える。しかし、「自分が使える時間」とは、日々生きていく時間。一人ひとりも他者のために、自分を活かす時間でもあります。
③私が目指す生き方 人生に停年はない。
老人は夢を見、若者は幻を見る(ヨエル書第3章第1節)
高齢期は喪失の時代であると言われる。加齢によって、身体の機能低下は低下する。愛する家族や親しかった友人を失う悲しみは増えるばかり。しかも仕事は定年を迎え、自分にふさわしい新たな役割を探さなければならない。なのに夢と幻、すなわち明日への希望を持つことができるだろうか。頭を抱えて、明日への歩みを止めてしまう自分が良く見える。だが、「老いの坂をのぼりゆき、かしらの雪つもるとも、かわらぬわが愛におり、やすけくあれ、わが民よ」(日本基督教団讃美歌第一編284番)と賛美歌にあるように、山の頂に向かって歩み続ける兄弟姉妹がおられる。感動する心と希望をもって、明日に向かって今を生きる方々の歩みに私は勇気づけられる。
誰にも将来を見通すことはできない。過去の後悔に押しつぶされそうになる。しかし、神の愛のまなざしを心にとめ、日々祈りつつ今を生きることによって、過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わっていく感動を、神はたえず私たちに与えてくださる。だから見通せない将来に向かって、日々の歩みをとめてはならない。
そして、最後の時、支えてくれた家族や人びとに感謝することができたなら、それは人生最後でもっともすばらしい証し。感謝する人の命が光る。見看る人びとの思いがその人の命を通して光る。その人を支えてきた神の愛が、その人の人生を通して光り続ける。神の愛は、とどまることなく最後まで私たちに注がれている。
このような人生に停年はない。
④老い
「〈老化〉と〈老い〉という二つの用語の間には区別が感知される。一つは生物学的概念であり、他は人間学的な概念である。具体的に言えば、〈老化〉というのは、加齢と共に身体的な諸器官とその機能に衰退現象が現れてくる、生物として避け難い必然的ともいえる事実を指す。これに対して、〈老い〉というのは、この事実を柔らかく表現するのにとどまるものではなく、この事実をその担い手である人間一人一人がどのようにして受け止めこれに対処しようとするのか、心の問題として、生き方と態度の問題として考えようとするものである。この両者には視座の相異は見逃しがたい。前者は生物学的もしくは社会学的な性格を主とする問題であるのに対し、後者は主体的、自分自身の生き方に関わる問題として自覚される。哲学的考察や宗教的な信仰が問われるのはここである。」(浜松聖隷ホスピス初代所長 原義雄「死へのプロセスとしての老い」、日本基督教団宣教研究所編『老い・病・死』)
2.死に至るまで生きてことの大切さ(日野原重明 ラストメッセージ NHK)柳田邦男さん(ノンフィクション作家)
“死”をどう生きたか 日野原重明さんの105年
3.では、老いが直面する課題を考えて見ましょう。
①人生の歩みの中で直面する課題
・成人前期 外部の価値への適応(就職、結婚、出産)
・成人後期 内なる価値への適応
体力の危機、性的能力の危機、人間関係の危機(親の死、こどもの自立、友人の死)、思考の危機(成熟感によって新しい努力の停滞)、将来の不安 ユングは、新たな内的価値への模索をこの時期の課題として指摘している。ある意味で、ほんとうに困難な時期は、中高年期であると言っています。
・高齢期(喪失の時代か、創造の時代か)
心身の機能の低下(機能の喪失)、配偶者、親族、友人を失う(関係の喪失)、定年、引退(役割の喪失)、死の恐怖と寿命(生命の喪失)
②疾病の意味
・適応力の低下、・抵抗力の低下、・慢性病になりやすい、・身体的機能と精神的機能の関係が密接、・症状が教科書通りにでない、・腎機能の低下により薬の作用が残り、副作用がでやすい、・骨粗鬆症
③高齢者は必ず認知症になるか 結晶性能力と流動性能力
④知と身体の関係
・自己中心的=心身の機能脳の器質的な変化による思考面や性格面の硬さ、・猜疑心=視力、聴力の低下が邪推、嫉妬、ひがみを生む、・保守性=記憶力の低下と学習能力の低下、・心気性=極端に病気を恐れる傾向。役割の喪失等により体にのみ関心が集中、予備力の低下も要因、・愚痴=過去への関心=行動範囲の狭さ
⑤LIFEとは?
・命
・生活
・人生
4.終活について考える 老人ホームイリーゼ(HP)より
①目的
「これまでの人生を振り返る」「残される家族のことを考える」「友人、知人、今までお世話になった人たちへの思いをつづる」「やり残したことや叶わなかった夢などを書き出す」などを行うことで、余生を通してできること・できないことの整理につながります。
②終活のメリット
終活で得られるメリットは、主に3つあります。
・自分の意思が家族に伝わり、老後の生活が前向きになることです。
伝えるときはまず「自身の健康状態から切り出す」のがポイントです。
・残された老後生活が充実することです。
・遺産相続のトラブルを回避できることです。
③方法 終活1:エンディングノートを書く
エンディングノートは、「プロフィール」や「葬儀に関すること」などと項目を分けることで書きやすくなり、見る側も読みやすくなります。
・本人情報
名前、生年月日、血液型、住所、本籍地、住民票コード、マイナンバーなど
・自分史
学歴、職歴、結婚、出産、夫婦の記念日、マイホーム購入時期、歴代のマイカー紹介、職場での功績、馴染みの土地、幼少期から各年代の思い出、特技、趣味など
・関係する人物との間柄や連絡先
家族、兄弟、親戚、同居していない家族、養子、家系図、友人、知人、職場関係者、恩人、法的関係の相談者など
・財産について
預貯金、口座番号、公共料金などの自動引き落とし情報、クレジットカード情報、基礎年金番号、各種加入保険、株式、不動産、借入金やローン、骨董品、貸金、有価証券や金融資産など
・介護や医療について
希望する介護や医療施設、費用、後見人(財産管理などを任せられる人)、延命措置の詳細、臓器提供、介護や治療方針の決定者、医療カウンセラーなど
・葬儀について
喪主に頼みたいこと、宗派や宗教、戒名や法名、葬儀業者や会場、遺影写真、参列者リストなど
・お墓について
埋葬方法、希望墓地、購入費用、墓地の使用権者、墓地の継承者、手入れ、お供え物など
・遺言書について 言書の有無、相続リスト、それらの保管場所など
終活2:遺言書を書く
終活3:お墓を決める
歴史と実績のある長野県地域福祉コーディネーターの養成①地域福祉コーディネーターは、次のような役割を担う専門スタッフと位置づけています。・地域の住民ニーズの中で、専門的な対応が必要なケースへの対応・ニーズの発掘とその解決のためのコーディネート・制度によるサービスと住民活動をつなぐための実践的支援・住民が参加する地域福祉計画(地域福祉活動計画)の策定支援
②上記の役割を果たすため、地域福祉コーディネーターは、次のような活動を行います。・総合的な相談・生活支援・地域の福祉課題の把握と、課題解決のための活動の開発、支援・制度によるサービスと制度外のサービスをつなげる支援・多様な主体が協働するための地域のネットワークづくり(地域福祉コーディネーター養成研修実施要領から)
長野県社協では、地域の福祉・生活課題の深刻化と、それに対する福祉施策の変化も見据えながら、①現行の仕組みでは対応しきれない、多様な福祉・生活課題への対応、②地域住民のつながりを再構築し、支え合う体制の実現、③住民と行政の協働による新しい福祉の実現を目指す人材養成のため、市町村社協の他、行政、地域包括支援センター等の職員を対象に2010(平成22)年度から公益財団法人長野県市町村振興協会の補助を受け、「地域福祉コーディネーター養成事業」に取り組み、6年間で約1,000人が受講、100人近い受講者が全カリキュラムを修了しました。『長野県社協地域福祉研究会報告書(平成28年2月)』
もう10年近くになりますが、長野県社協の方と相談し、方針、研修内容、講演者、研修者を確定させてことを懐かしく思いだします。そして、たくさんの地域福祉コーディネーター、もしくは同じ役割を担っている方々を養成し、地域社会に送り戻したと実感しています。これは、長野県の地域福祉の強さを築いています。
長野県地域福祉推進セミナー開催要項※地域福祉Co研修と合同開催
ともに生きる ともに創る 地域共生・信州を目指して地域福祉コーディネーターの役割を考える
1 趣 旨
長野県では、「ともに生きる ともに創る 地域共生・信州」を目標とした長野県地域福祉支援計画を策定し、多様な住民がごちゃまぜで暮らし、その人らしい居場所と出番がある長野県の創造を目指し、今年度より4カ年の計画が展開されます。
本計画では、制度・分野ごとの縦割りや「支え手」「受け手」の関係を超えて、地域の誰もが地域の担い手として役割をもって地域とつながる「地域共生社会の実現」を目指し、介護・障がい、子ども・若者等の分野を超えて、他分野と連携した地域づくりを推進するために地域づくりを推進するための地域福祉のコーディネートを担う人材(地域福祉コーディネーター)の重要性にも触れています。
本セミナーでは、多様な分野の施策に基づいて住民主体の地域づくりを担うコーディネーターの配置が進む中、長野県の目指す地域共生社会の理念と地域福祉コーディネーターの役割について共通理解を図ることを目的として開催します。
2 主 催 社会福祉法人長野県社会福祉協議会
3 日 時 令和元年(2019年)6月17日(月)12:30~16:00
4 会 場 松本市勤労者福祉センター 大会議室
(松本市中央4丁目7-26、℡0263-35-6286)
5 対 象 県市町村行政職員(地域福祉計画・地域福祉・高齢・障がい・児童担当部局)、社会
福祉協議会職員、社会福祉法人・福祉施設・福祉団体職員、地域包括支援センター
職員、障がい者総合支援センター職員 他
6 参加費 無料
7 日 程(内容については変更する場合があります。)
1 | □開会 |
■基調説明「長野県地域福祉支援計画の概要と地域福祉コーディネーターについて」 説明:長野県健康福祉部地域福祉課 | |
■講義「地域福祉を取り巻く制度変遷と地域福祉コーディネーターの役割と機能」 講師:ルーテル学院大学学長 市川一宏 氏 | |
□休憩・会場転換 | |
■実践報告「市町村における地域福祉コーディネーターの実践と現状」 報告者:黒岩秀美氏(長野市中条地区住民自治協議会)矢澤秀樹氏(伊那市社会福祉協議会)コーディネーター:市川一宏 氏(再掲) | |
□閉会 |
8 その他 本セミナーは「地域福祉コーディネーター総合研修 講座①」と同時開催します。
私は、当初から関わらせて頂き、学ばせて頂きました。心より感謝しております。
長野市社会福祉協議会に、私は育てて頂いた。長野市社協の経営基盤強化の委員長として、10年を越えて、一緒に地域課題を把握し、休日にも長野市に来て、社協のあり方を考えました。そして、添付のような目標を確認しました。
また、地区社協のあり方を巡って、何度も研修会を開きました。地区社協は、長野市社協の歴史でもありました。しかし、長野市が新たな地域組織をつくり、その実績を継承できなかった地区もあり、新たな課題が生じています。
2019年5月、研修のご依頼があり、お引き受けしました。あらためて長野市社協の特徴を以下のように考えています。①市民のニーズ把握に力を注いだ地域福祉活動計画:地区懇談会、地域福祉推進ネットワーク会議、女性団体ヒアリング、地域福祉サービスコーディネーターヒアリング、ワーキングループヒアリング、市民アンケート調査、委員、社会福祉協議会役員・職員アンケートを通して、課題を2,300件に集約。②たえず、多くの方々よ合意し、そして12の切り口に整理し、共通目標を設定=❶学び、❷参加、❸交わる、❹つどう、❺見つける、❻防ぐ、❼支え合い、❽伝える、❾相談、❿ネットワーク、⑪まちづくり、⑫自治・治めるという切り口を生み出し、「誰もがみんな、自分らしく生きるために支え合いの地域づくり」という共通目標を掲げた。③目標に向けて努力してきことは、小地域福祉活動であり、地区社協を軸とした戦略であった。これは、合併をして大きくなった市において、地域福祉の推進を目指した社協、住民の挑戦であった。④行政との確執から協働へ。⑤生活困窮者支援、地域福祉権利擁護事業(日常生活支援事業)等の孤立や生活困窮への対応では実績がある。
今回は、地域福祉ワーカーへの研修です。地域福祉ワーカーのことを、支社協の土屋さんに教えて頂きました。
①地域福祉ワーカー設置の背景○「第一次長野市地域福祉計画」(H17年6月策定)において、30の地区(当時)を地域福祉推進の中核的単位として位置づけました。○そして、地区社会福祉協議会を推進基礎組織とし、地区の実情に合った活動を展開するために「地区福祉活動計画」を策定していくことになりました。○当時地区社会福祉協議会は役員中心の組織体であったため、地域に密着して支え合い活動等が展開できるよう、地区の課題・ニーズをさまざまなサービスや活動につなぐとともに活動の開発、地域の力の引き出し役となる人として地域福祉ワーカーを配置していくことになりました。②地域福祉ワーカーの所属 ○当初は、地区社会福祉協議会に所属。住民自治協議会設立後は、住民自治協議会に 所属。③地域福祉ワーカーの役割:主に地域活動への支援を担います。 地域福祉活動を推進するため、地区地域福祉活動計画に基づき、地区の団体等と連携して、以下の業務を行います。○地域の支え合い活動の創出、担い手の養成及び活動の紹介。○地域福祉に関する広報活動、○地域住民の福祉ボランティア学習の企画実施、○活動の提供主体間の連携体制づくり(新)○地域たすけあい事業コーディネーターの補助(新)
2019年6月12日、全国市長会から選出された市長の方々を前に、講演をさせて頂きました。テーマは、「自治体とコミュニティの関係性を踏まえた人材確保のあり方」について、全国動向と施策の展開、具体的な実践を通して、地域福祉専門職の必要性について、述べさせて頂きました。特に地域福祉コーディネーターや生活支援コーディネーターについて、自説を述べさせて頂きました。①
生活支援・地域福祉コーディネーターの関わり
①生活支援コーディネーター 地域包括支援センターを軸に A.高齢期の医療・介護・予防・住まい・生活支援を行う、B.介護予防を一体的に提供、日常生活圏域(具体的には中学校区)を単位として想定している、C.地域支援を軸、D.生活支援体制整備事業は地域包括ケアシステムの構築を専門職にまかせたりにするのではなく、住民が地域包括ケアシステムの担い手として関わるきっかけをつくる取り組みともいえる。
②地域福祉コーディネーター 地域共生社会、生活困窮者自立支援を軸に、A.子ども等への支援や、複合課題にも拡げたもの、全世代対象、地域生活課題に対応する総合支援の拠点としてふさわしい拠点を圏域ごとに設置、B.個別支援を軸に、C.生活困窮者支援における重要な役割を担っている。
③考察 A.地域包括ケアシステム、地域共生社会に関わる「我がごと、丸ごと」に関しては、人口規模や高齢化率、世帯状況、財政等に言及しておらず、国の一律的関与に限界がある。各市区町村で対応が異なる。その意味では、格差が生まれている、B.地域の資源を動員した総合的なケア=地域包括ケア、地域共生社会づくりが必要。すなわち、福祉のまちづくりと共通、C.方針と体制を明確化したうえで、独自の戦略を立てる必要がある、D.その際、行政、社協、社会福祉法人、事業者、NPO,ボランティアとの関係や理解がこれまで以上に重要になるり、カギになる。E.圏域の検討が必要。
そして、以下の意見を述べさせて頂きました。1.介護人材の養成・確保:全国の問題です。いくつもの自治体の高齢者保健福祉計画の策定において、随分検討しましたが、解決したとは思っていません。市区長村に関しては、事業者と、働き方、労働環境とともに、仕事を辞める要因への対応が大切と思います。2.関係人材が活動しやすいように、人材の権限、役割を政策的に明確にすること。またインフォーマルケアに対する支援を怠ると地域は疲弊していきます。3.圏域の明確化による効率的協働の可能性を模索して下さい、4.行政内部における各担当課の協働ができるか、問われていると思います。武蔵野市健康福祉総合計画推進会議等の取り組みは大切です、 5.社会資源としての人材の開発をご検討下さい。キイパーソンについてご検討下さい、また、認知症サポーター等、養成したものの、活動支援が不十分な人材はたくさんいるのでは?旭川市のステップアップ研修で学びました、6.当事者の参加の可能性を模索して頂けませんか。また。生活困窮者である方も、働く場、活動する場は?
委員の方々の中で、議会との調整がつき、熱心な市長の方々が出席され、貴重な発言を頂きました。感謝しています。