希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 ニューヨークで看護師として働く旧友の命が危機にさらされていると知るまで、この事態を本当の意味で我が事として捉えられていなかったかも知れません。不信心者の自分から思わず「彼女のために祈って下さい」と言葉がこぼれました。そしてたくさんの方が応援と祈りを届けて下さり、それぞれの場所で必死に働いていることに励まされました。その間、自分の身の周りもみるみる状況が変わっていきました。一人ひとりに切実に守りたいものがあるはずで、職務上の責任感と個人的な事情の狭間で揺れることも多いと思います。私も、「やるべきことは全てやった」とはとても言えない現状に悩むことがあります。でも「まだ出来ることがある」と思えるのは、幸せなことです。自分の中に、小さいけれどいつでも触れることができる確信があるのは有難いことです。そして「人への思いやり」という座標が示されているのは心強いことです。

 少し逸れますが、息子が小学生の時に紀伊半島豪雨のボランティアに連れて行ったことがあります。現場で知って欲しいと思ったのは「助けを呼べることの強さ」であり「それに応えて(あるいは呼ぼうが呼ばれまいが)放っておかない人達がいる」ということです。息子にどこまで伝わったか分かりませんが、これは自分自身にも必要なことだと思いました。私達は支えることには比較的慣れていますが、支えられることにはあまり慣れていなかったり無頓着であったりするのではないかと思います。でも、ルーテルコミュニティには助けを求めても良いし、応えてくれる人・共感してくれる人・祈ってくれる人がいる。そして数十年の時間を越えてそれぞれの思いを繋ぐ絆がある。そのことを、今回改めて感謝と共に実感しました。

 迷いながら、毎日があっという間に過ぎていきます。対人援助には、歩みを止めることができない苦しさがあります。どこに向かっているのか見失いそうな時、思い出して言葉にしてみようと思います。「私は今『希望ある明日に向かって』歩んでいます」
                            Kuda