天空から見る雲海

12月の中旬、早朝の飛行機で熊本に向かっていました。当日の天候は悪く、離陸の際に揺れましたが、不安定な大気を過ぎると、安定した飛行になりました。

 私は、何度も飛行機に乗っていますが、窓からの景色は決して単調ではありません。ただ何気なく外を見ていた私に、見えた雲の姿。それは、山々の間をおおう雲の姿、すなわち雲海でした。雲が、穏やかな海のように、静かに、やさしく地に広がる。高い山も、雲海の上では、丘のようです。私は、しばらく、手前の海と同じように広がる平坦な空間を見つめていました。

 自然の営みを私たちは支配することはできません。自然現象を分析することはできますが、何故今、雲海が出るのか、私が雲海を見ることができたのか、そのことを問うことは意味がないし、不可能だと思っています。意味があるならば、それは、私たちが自然に抱かれていることを知ること。自然の恵みに活かされ、自然の猛威に戸惑う。またある時は自然の美しさに感動し、ある時は自然の厳しさに圧倒される。その繰り返しが、人間の歴史であったことを確認することです。自然に抱かれ、自然に感謝し、自然の恵みを分かち合い、生きていくことの大切さを再確認することではないでしょうか。

 雲海の下で、私は生きています。雲海は、しばらくして消えていくでしょう。その後、太陽の光が降り注ぐでしょう。だれもが同じように、自然の営みの中に生きています。自然の前に、私たちは平等なのです。ならば、この日本で、自然の災害にあった方々と共に、自然の恵みを分かち合い、助け合い、生きていくことも平等でありたい。

 雲海を見て、私はその思いを強くしました。

                            2012年1月3日

私が、在学生に感謝する理由

私が、在学生に感謝する理由

               ルーテル学院大学

               学長 市川 一宏

 5年目になるでしょうか。私は、1限目を担当する水曜日と金曜日に、授業より20分早く中庭に立ち、「おはよう」と言って学生諸君を迎えることにしています。それは、暑い日も、寒い日も、雨の日も、曇りの日も、晴れの日も、数時間をかけて通ってくる学生への敬意を表したいため。日頃使う「おはよう」「こんにちは」「また明日」という挨拶が行われていたという、ルーテル学院大学の伝統を大切にしたいと思ったからです。しかし、挨拶を続けているうちに、その時が、授業の前に受講生の状況を知る大切な時であること。また自分自身が、「元気ですか」と、逆に励まされていることをわかりました。自分自身のために、立っていたのでした。

 最近もそうです。2011年12月初旬、雨が降っている寒い朝、車椅子の女子学生が授業に向かうために寮から出てきました。そのことを知った通学生が、雨に濡れるのもかまわず、車椅子を押しに来てくれました。彼女の傘は、車椅子の学生が濡れないように差し出されていました。さらに、その二人の姿を見た別の女子学生が駆け寄り、傘を差しだしたのです。

 私は、その自然な思いやりの連鎖が、今、日本社会でもっとも大切なこと、すなわち絆、縁であると思っています。しかも、それぞれが、決して無理をしていない。自然に助け手を差し出す。ルーテル学院大学の日常の生活の中で、思いやりが生まれていました。それは、共に生きる文化です。学生の絆を見ることが私の喜びであり、学生に感謝していることです。

 2011年、生まれもって視覚・聴覚の障害をもつ学生が入学してきました。私たち教職員は、教職員、学生同士のコミュニケーションができるか、不安をもっていました。「障害をもっていることを理由に入学できないのは、障害をもつ本人の問題ではなく、大学自身の問題である」という信念を今まで大切にしてきましたが、不安は少なからずありました。しかし、教員の日々の講義で、また学生同士の日々の生活の中で、それぞれの可能性が花開きました。

 学園祭の手話サークルの企画に、視覚障害の学生が共に参加する。その事実を見て、私は、教育の可能性を示してくれた在学生に心から感謝したいのです。

村田欣造先生 旭日雙光章受章祝賀会

2011年11月5日(土曜日)、ハイアット リージェンシー東京において、三鷹市医師会長、東京都医師会理事等の責任を担われた村田欣造先生の旭日雙光章受章祝賀会が、盛大に執り行われた。先生のお人柄を象徴するように、300人近くの方々が集まり、心より、先生に感謝し、受章を祝福したのである。先生の人脈の広さは、会に参加されていた方々からもわかる。菅直人前総理も駆けつけられ、会場は盛り上がった。

私は、光栄にも、祝辞を述べる機会を与えられた。

「ルーテル学院大学学長市川一宏でございます。

村田先生、旭日雙光章(ぎょくじつそうこうしょう)受賞おめでとうございます。

本日、私は先生に、3つのお礼を申し上げたいと思います。

1つは、このようにたくさんの方々がおいでになり、私は、安心して食事ができました。私の隣は、主治医の野村先生ですし、またこれだけ多くの医療関係者の方々がおいでになり、私が仮に体調をくずしても、どなたかがケアして下さるので、安心して食事ができました。感謝です。

また第2の感謝は、先生が三鷹の医療と社会福祉を発展させて下さったことです。先生は、長く健康福祉審議会の委員長をして下さり、私は副委員長として、学ばさせていただきました。その後、会長が医師会の角田先生に交代し、副委員長として働かせていただいておりますことを感謝しております。特に、自立支援法、介護保険法等の実施に際して、三鷹でも多くの議論がありました。私が申し上げると角が立ちますが、先生が言われると「悟り」になる。その結果、いくつもの課題を解決することができました。本当に感謝しております。

そして第3に、先生は地域の医療と福祉に心を砕かれました。昭和62年、三鷹市医師会は、『難病 難病検診の意義とその役割』という報告書を有斐閣より刊行なさいました。そこで、先生は、こう言われています。「我々の周りには、いろいろな人々が懸命に生活をしている。元気な人ばかりではなく、老人もいれば、ねたきり、認知症、身体障害者、難病患者等がいらっしゃる。私共はこれらの在宅で一生懸命生きている人々をケアする必要があるのである」先生は、この使命をいつももって活動なさっておられました。先生のお働きによって、難病患者の方々、障害を持つ方々、高齢の方々等がどんなに救われたことか。私は、その方々の思いを含めて、先生に感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

この3つの感謝を申し上げ、僭越ではございましたが、お祝いの言葉とさせていただきます。」

村田先生に感謝し、これからも先生の後ろ姿に見習いながら、地域に貢献していきたい。

2011年度前期卒業式 未来への聖火リレー

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただの一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。フィリピの信徒への手紙3:12〜14

1.今日の聖書から学ぶこと

今日は、「何とかして捕らえようと努めているのです。キリスト・イエスによって捕らえられているからです」という箇所について考えたいと思います。このパウロの前向きな生き方に、私は圧倒されます。私が20歳の時、洗礼を授けてくださった大村勇牧師は、連続14週の礼拝説教でピリピ書簡講解を行い、自分が喜ばないで、神を語ることはできないと言われ続けました。まさに喜びとは、私の存在の中に神がおられるという確信から喜びが生まれる。存在の根底から湧き出てくる喜びから、歩みが始まると言われます。これが、「何とかして捕らえようと努めているのです。キリスト・イエスによって捕らえられているからです」という聖句の意味です。(『大村勇説教集 輝く明けの明星』日本基督教団阿佐ヶ谷教会1991年3月)先生の礼拝説教の多くは、神の愛を覚え、感謝して、隣人に神の愛を伝えなさい、という招きであったことを思い出します。

また、ルーテル学院大学の名誉教授で、前神学校長の徳善義和先生は、「パウロは絶えず新しく、このキリストにとらえ直されている。このキリストを絶えず新しくとらえ続けている。恵みとして感謝して受け止め続けている。このキリストから、絶えず新しく、新しいいのちをいただいて、日々を生きている。キリストを知り、それゆえに<キリストを得><キリストのうちにいる>今を生きている姿である。」とパウロの姿勢を語っておられます。(「フィリピの信徒への手紙3章3節2—11節」『説教黙想 アレテイア』2011年71号p.13)今をキリストにあって生きるパウロの姿が、手紙全体を通して、浮かび上がってきます。

2.パウロとは、

この手紙の主人公パウロとはどのような人でしょうか。

パウロは、キリストを信じる人々に対して、軍隊を使い、厳しい迫害を行っていた人でした。しかし、パウロは、突然、キリストに出会い、以前の富のむなしさを知り、キリスト教に改宗し、伝道者として使命を担おうとします。しかし、それはパウロに約束されていた名誉と地位、豊かな生活を捨て去ることを意味するだけでなく、迫害していたキリスト教徒にも信じてもらえず、また以前自分が行っていた迫害を、今度は自らが受ける身になることを意味します。神を伝える伝道の20数年、各地をまわり、そして迫害を受け、追われ、最後には逮捕、拘留、処刑される。このような想像を絶する働きをした伝道者パウロが、「何とかして捕らえようと努めているのです。キリスト・イエスによって捕らえられているからです」と語る迫力に、その謙虚さと力強さに、私はただ圧倒されるだけです。

3.パウロの時代

パウロが伝道した時代は、弾圧と分裂の時代と言われています。ローマ皇帝ネロが君臨し、また大飢饉や災害が起こり、ユダヤ各地で救い主を自称する者たちが現れ、社会は混乱をきわめていました。迫害は日本においてもなされ、その悲劇を私たちは知っています。キリストがつけられた十字架の処刑が各地で行われていました。キリスト教徒は、各地に離散していきます。しかし、同時に、そのような激動の時代は、歴史の転換点でもあったのです。

4.ふりかえって、今の日本は。

日本も今は、歴史の転換点に立ちました。自然も、今までとは違う、私たちが経験したことのない姿を見せます。地震、津波、台風、集中豪雨に、私たちは耐え抜いていかなければなりません。また世界経済を見てみると、アメリカ、ヨーロッパという経済先進国での問題は深刻であり、被災し、人口が減少して経済力が明らかに低下している日本において、円高の進行という逆の現象が起こっています。宗教や文化の対立は、世界各地で紛争や戦争を引き起こしています。また身近では、孤立の広がりを防ぐことができない。自殺は12年間3万人を超える異常事態。愛の反対は無関心であり、信仰の反対が思い煩いであるならば、日本社会は、無関心と思い患いに支配されている。まさに明日が見えない、海図を描けない時代となったと言えるでしょう。

5.私たちは、今、何をなすべきか?

私たちは、今、何をなすべきでしょうか。しかし、私は、パウロの代わりはできない。その力がない。あきらめて、投げやりになり、また誰かのせいにして、無関心になること以外に、私に残された道はないのでしょうか。そう思う時、私は、日本において、貧しい人々とともに生きてくださった、カトリックのゼノ神父の、「一本のろうそく」の話を思い出します。

今から約60年前、戦後の混乱のただ中にあった日本で、大型台風が東京を襲い、多くの家が水につかりました。その時、ゼノ神父は、浅草の闇市でローソクとマッチを買い占め、一隻のボートを借り、真っ暗やみの中、二階に避難して孤立していた人々を一軒一軒ボートで訪ね、励ましの言葉にそえて一本の蝋燭を配ったと聞きます。

社会福祉の第一人者である阿部志郎先生は、こう言われます。その晩に手にしたローソクは、被災した人々の大きな慰めとなった。ローソクが自らの身体を燃焼させながら放つ光が、人の心を温め、希望を与えるからであろう。人間の真実の人格価値が輝くことを、様々な働きを通して、この社会に語り続けたい、と。(『シリーズ福祉に生きる15ゼノ神父』寄稿「一本のロウソク」大空社1998年)

6.被災地支援の意味

被災地を訪問し、まだ瓦礫が片付かず、生活の拠点を失った方々の生活の場が築かれていない現実、支援が遅れている現状をつぶさに見てきました。しかし、自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、本当に求められていると思います。復旧に三年、復興にさらに三年と言われています。明日を目指して、被災地で生まれた「希望の光」と共に歩みたいのです。

そして、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。

すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。

そして、私は、その基盤を築き、子どもたちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと思っています。

7.私たちの未来である子どもたちが希望を持って生きていける社会を

私も孫をもつ身になりました。我が家の前は、通学路になっていて、たくさんの子どもたちが学校に通います。しかし、私たちは、子どもたちが希望を持てる社会を築いているでしょうか。皆で歌った賛美歌21 371番のように、皆が、それぞれの生活の場で、学びの場で、希望の光を灯すことが必要です。ここに輝くローソクを見てください。聖書に書かれているように、「世にあって星のように輝(フィリピ書2章15節)」いていますが、それは決して栄光の光ではない。共に歩む私たちの思いであり、共に悩む心の涙です。命の大切さを知り、守り、伝える人が放つ光なのです。それは同時に、私たちを支え、導き、共に歩んで下さったキリスト、また父・母・兄弟姉妹、友、恩師の思いが、それぞれの人生を通して光っているのです。そして、本当の暗闇だからこそ、どんな光も相手からよく見えるのです。

この光を届けませんか。愛されていること、共にいることを伝え、希望を届けませんか。共に力を合わせて、子どもたちが希望をもって生きていくことができる社会を築き、そこで光る愛の聖火を、10数年後、子どもたちが大人になった時に託したいのであります。

8.卒業生諸君へ

卒業する皆さんは、今、スタートラインに立ちました。これまでの学びの過程で、たくさんの人や出来事と出会い、様々な課題を自分で解決してきて、今がある。その自信は、決して無駄なものでもなく、これからの力となるでしょう。そして、一緒に未来への聖火を、明日を担う子どもたちに、一緒に手渡ししていきましょう。このことを、私は、切に願っています。

卒業おめでとう。これからもよろしく。

讃美歌21 371番 「このこどもたちが」

1 このこどもたちが 未来を信じ、つらい世のなかも 希望にみちて、

生きるべきいのち生きてゆくため主よ、守りたまえ、平和を、平和を。

2 戦いあらそい ここにかしこに  地をとどろかせて 燃えさかる時、

子らは泣きさけぶ、血をながしつつ。

主よ、とどめたまえ、いくさを、いくさを。

3「剣を鋤とし 槍を鎌とし、洪水のように 正義を流せ」。

神のみ言葉は世界にひびく主よ、教えたまえ、み旨を、み旨を。

4 このこどもたちの 未来を守り、生きるべきいのち、共に生かされ、

平和をよろこぶ 世界を望む。 主よ、祝したまえ、大地を、大地を。

第28回 ルーテル諸学校研修会 第3日(8月18日)礼拝9:00〜9:30

メッセージ 『放蕩息子は誰ですか』

讃美歌21 371

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は、豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。そこで、彼は我に返って言った,『父のところでは,あんなに大勢の雇い人に有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き,接吻した。息子は言った,『お父さん、わたしは天に対しても,またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません』。しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物をはかせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠(ほふ)りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに、見つかったからだ』。そして、祝宴を始めた。 (ルカによる福音書15:11〜24)

最近、子どもの心に、自己中という虫が住みついていると言われます。また、私の青春時代は、「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない」というゲーテの言葉が好きでした。私の中学生時代に、親が事業を失敗して倒産し、すべてを失いましたから、その時の食事の味を忘れることできません。でも、今の子どもたちは、厳しいことを避け、自分の殻に閉じこもっているのではないか。まさに「涙とともにパンを食べた」のではなく、「棚からぼた餅」というように、「たなぼた」の人生を送っている。さらに、若者から、「こんなに迷惑をかけてまで、生きているのはエゴだ」という言葉さえ聞こえてくる。一人ひとりがもつ、「自分らしく生きていきたい」当たり前の気持ちを理解できない。なぜなら、彼らが親しむコンピュータの人生ゲームは、いくつもの空想の人生を組み立てることができる。しかし、その結果に自分は責任をとらない。自分が傷ついても痛みがなく、電源を切れば簡単にリセットでき、今までの歩みをすべて無にして、再出発できる。でも、現実の社会では、希望を持てない。辛いことを避け、傷つくことを避けているから、他人の辛さを理解できない。そして、多くの若者は、明らかに物資的に豊かな生活をしており、このような若者の姿を見て、私は、今日の聖句の放蕩息子の姿を重ね合わせます。

ここに放蕩息子の譬えについて述べたナウエンの本があります。ナウエンの言うように、確かに、放蕩息子の行いは、きわめて傲慢な、そして身勝手なものでした。父の財産を、当然のように父が生きている時に分けてもらい、それも父から独立したいがために、できるだけ離れた場で、自由を謳歌したのです。贅沢な品々を買い、名誉や地位もお金で手に入れ、そして誰からも注目されようとして、ひたすらお金をばらまいたと思います。

とくにナウエンは、放蕩息子の行いを、現代社会にあてはめます。「あなたは、わたしを愛していますか?本当にわたしを愛していますか?」と問い続けるかぎり、自らをこの世の捕らわれの身にする。なぜならこの世界は、「もし・・・なら」という条件をつけるから。

「もちろん愛しますよ」もし、あなたが美しい姿なら、お金持ちなら、良い支援者がいるなら、名誉があるなら等々、際限がありません。

しかし、それらの条件をすべて満足させることはできないのです。この世の条件付きの愛に、本当の自分を探し求めているかぎり、この世に「捕らえられた」ままだとナウエンは言います(ナウエン『放蕩息子の帰郷』p.57)

当然、そのようなお金には限界があります。放蕩息子は、自分の財産を使い果たし、貧困のどん底に落とされました。それだけでなく、さらに災害が追い打ちをかけたのでした。聖書には、「彼はぶたの食べるいなご豆を食べて腹を満たしたがったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった」と書かれています。いなご豆とは、パレスチナの至るところに生育しており、実は豚の飼料、また貧しい人の食物とされていたようです。いなご豆も手に入らない時と、金をもっていた時とは雲泥の差。放蕩息子は、希望と絶望の対角線に置かれたのでした。

しかし、聖書には、「我にかえって」と書かれています。本当に大切なものが、心の拠り所が、自分の身近にあったことに気づくのです。まぶしい光の中にあると、人は、その光に目を奪われます。しかし、人間以下の生活に陥り、豚使いの身になり、ついにいなご豆で空腹を満たすようになって、初めて気づく。そしてぼろぼろになり、ただひたすら父にしがみつく。レンブラントの絵を見ると、困難な旅をして父のもとにたどり着いた放蕩息子の靴には、底はなく、素足が見えている。着ている物はぼろぼろです。

その息子を父は受け止めてくれる。放蕩息子が富を手にしていた時にはわからない本当のものを見つけた時、自身が本当の輝きを放つのです。辛い時に本当のものが見え、明日が開かれてくる。まさにこれは逆転の発想です。

この本に関わる著者ナウエン、絵を描いたレンブラント、そして翻訳者の片岡先生には、共通点があります。

著者のナウエンは、カトリック司祭として、また神学者としての日々の葛藤の中で、放蕩息子の確信にたどり着きました。またレンブラントは、対照的な2つの絵を描いています。「一つは、売春宿にいる血気盛んな自分を描いたときの豪華な衣服を着た自画像。もう一つは、放蕩息子の帰郷に描かれた、やつれた体を覆うボロボロの上着と、長旅で擦り切れ、使い物にならなくなったサンダルを身に着けているだけ」の放蕩息子になぞられた自分と。

そして翻訳者の片岡先生は、神戸ルーテル神学校で学ばれました。また信徒の方の家を使い、西日本福音ルーテル伊丹教会の礎を築かれました。その後、シンガポール日本語キリスト教会(SJCF)の牧師に転任なされました。そして、ガンを煩い、闘病生活をおくるその病床で、この本を翻訳されたのでした。「支え続けてくださる方」を皆さんにお伝えするために。

3)自分が放蕩息子

私には、これまで人生の転機というべき時が何度かありました。その一つは、研究の転機。私は1992年から2年間、ロンドン大学LSEに入学しました。有名なピンカー教授に師事しましたが、図書館の書庫に行って、呆然としました。日本では手に入らない本がいくつもの書籍を埋めていた。学問の深さの前に、中堅の有力なイギリスの福祉政策研究者として考えていた自分の甘さを思い知らされた。留学して箔がつくと思っていたら、メッキがはがれた。

また、教育の転機は、3年前にありました。私は、大きな悩み、迷い、底知れぬ不安を味わいました。社会福祉学科の定員割れが2年続いたのです。受験生の全国的減少と言う現実があったとしても、社会福祉の名門として、社会的に評価され、それを誇りとしていた社会福祉学科の基盤が大きく揺れ、戸惑いました。何度、夜、目が覚めたことか。この経験は、責任をとる者だからこそ、知る辛さかもしれません。

自分が抱いていた夢と誇りを砕かれた時、私は、自分こそが、放蕩息子であると気がつきました。我がルーテルは、小規模で、財産はない。しかし、ネットワークと信頼がある。ブランドの卒業生がいることがわかりました。そして本当の教育を目指すことしか、私たちが生きていく道はないと思いました。自分は優れた教師、研究者であると思っていたが、実は、子どもの能力を、個性を生かしていない。自分勝手に作る学生像に在学生をあてはめている自分に気がつきました。学生は、未熟な大人ではなく、一人前の学生です。神様から各自に与えられた贈り物を見失っていたと思いました。そして、自分の限界に気がつき、共に歩むことの大切さを知りました。それは、教職員も同じでしたから、目標に向かって、再建できたのでした。本当の教育に立ち戻り、それを多くの人に理解してもらおうと皆が思ったからこそ、今があります。

ある卒業生の言葉を紹介したいと思います。「新約聖書ローマの信徒への手紙に、「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのである」という言葉があります。根っこがしっかりしていれば、嵐に揺さぶられても、枝が切られてもなお、木は新しい芽を出すことができます。私たちは学院生活の中で多くのことを学びました。困難に立ち向かう勇気、人への思いやり、感謝する心。それらは私たちを支える「根」となって、これからの人生に試練に打つ勝つ力となるでしょう。」これは、浦和ルーテル学院第33回卒業生小川沙織さんの言葉です。突然、2人の同級生を天に送るという大きな悲しみを味わいながら、この原点に立つ。これは、彼女に、そして、同級生皆に神が与えた賜物。まさに、Gifts from God。この賜物を忘れず、放蕩息子のように、余分な思いを捨て神に請い願い、そしてその導きに従ってただひたすら歩む先に、私は明日が見えてくると思っています。困難な時に見える光を、放蕩息子は放っているのではないでしょうか。

2011年度入学式 「共に明日を拓く」

3月11日の東北関東大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、哀悼の意を表します。そして、愛する人々を失い、深い傷をおっておられるご家族やご友人の方々に、神様の癒しのみ手がさしのべられますことを、切に祈ります。

3月16日午前9時52分、公衆電話から私の携帯電話に連絡がはいりました。「先生、生きているから大丈夫。でも、被害は甚大で、復興はたいへんだと思います。でも、頑張っているから」という、それまで安否がわからなかった石巻の友人の声に、私はただただ、「良かった、良かった、本当に良かった」と繰り返すだけでした。今日は、東北関東大震災が起こって、3週間になりますが、今だ復興の道筋がなかなか見えません。

大震災が起こった時、私は学長室で打ち合わせをしていました。大きな揺れに驚き、中庭に飛び出した時、多くの学生たちが集まってきました。震度5弱の長い揺れに座り込みました。そして、その後のテレビに映る現地の被害に、大きな衝撃を受けました。さらに追い打ちをかける福島原発の事故、猛烈な寒波と食糧難、家族や友人を失った被災者が直面する現実に、私の心はかきむしられています。

今、生き方が問われています。大震災は、根こそぎ、圧倒的な力で、人々の命を奪っていきました。人を選ばず、一斉に奪っていったのです。しかし、原発の災害は、消費社会で何でも与えられ、消費してゴミを増やしてきた私たちが、見失っていたことを思い出させました。自然の恵みによって私たちが生きていること。食べ物は自然の実りであることです。このことを忘れてはならないと思います。

今、私は2つの光を見ています。
1つは、被災地で、明日に向かう歩みが始められてきたこと。避難場所の中で、助け合いの輪が広がっていました。中学生が食事をつくり、高齢者の世話をする。そして動くことができる高齢者自身も、食事づくりの輪に加わり、共に支え合っています。岩手県宮古市立第一中学校生徒会長は、「震災をマイナスととらえるのではなく、改めて感じた家族の大切さを忘れず、前向きに生きていきたい」と涙ながらに答辞を読みました。ある小学校の校長は、「みんな一人では生きていけません、避難所で生活して分かりました、助け合って生きるのです」と、大切な生徒を震災でなくされた悲しみの中で、言われました。
また、全国大会を辞退した、被災地の高校合唱部が避難所で「あすという日が」を歌いました。
「あすという日が」  作詞 山本 瓔子  作曲 八木澤 教司

あの道をみつめてごらん
あの草をみつめてごらん
ふまれても なおのびる道の草
ふまれたあとから芽吹いてる
今生きていること
一生懸命に生きること
なんてなんて すばらしい
明日という日がくるかぎり
幸せを信じて
明日という日がくるかぎり
幸せを信じて

私たちは、今、困難に直面する多くの人々の希望の光を絶やしてはいけない。被災地だけでなく、日本はこれから、大きな課題を背負って歩みます。解決に必要な時間は、1〜2年ではない。まさに10年、20年、30年かかるかもしれません。しかし、言うまでもなく、被災地の復興は、私たちの未来です。被災地の復興なくして、明日はないのです。被災地の復興という明日を見つめて、私たちは今を生きていくのです。大震災で亡くなった方々の思いを、そして希望を私たちの心に灯し、明日を拓いていく。そこに日本の明日があるのです。困難に直面する多くの人々の希望の光を絶やしてはいけないのです。

第2の光は、共に明日を拓く働きです。
私は、仕事で、宮古にも、石巻にも、女川にも、松島にも行ったことがあります。仙台で行なった宮城県の仕事は少なくありません。昨年、宮城県内の市町村社協の代表の方々とお会いして、創立を記念する福祉大会の講師をお引き受けしていました。かつて訪れ、共に過ごしたその地が、平穏な暮らしが、一瞬にして奪われてしまったことに言葉を失います。
しかし、私たちは、今、命を与えられているのです。その命を大切に、生きている者同士が支え合い、共に生きていくこと。これが私たちに与えられた使命です。

派遣された自衛隊、警官、消防士、そして全国から来られたボランティア団体、ボランティア、行政関係者、社会福祉関係者等のたくさんの方々が、直面する困難を乗り越えようと現地に集まってきています。兵庫県で水害にあった学校では、被災された人々を応援するために、精一杯、歌を歌いました、また阪神淡路大震災に被災した人々が、支援の募金に立ち上がっています。震災を体験した新潟県は、たくさんの避難場所を提供しました。ルーテル教会も、支援に入り、物資だけでなく、現地と協力して、人材を送り込していくことを計画しています。ルーテル学院も、NPO法人のチャイルドファンドと協働して、親を失った子どもをケアする人々を支援する冊子を近々現地に送る予定ですし、「災害後の悲嘆(グリーフ)の理解と対応」についてホームページに掲載しています。これらの、たくさんの方々の一つひとつの働きが、光です。圧倒的な被害の前に、まだまだ不十分であることは分かっています。だからこそ、これからも、ずっと、それらの光を合わせ、たいまつにし、歩んでいきたい。

さらに、春の高校野球において、阪神淡路大震災に生まれた選手の宣誓は、私たちを感動させました。「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています」「生かされている命に感謝を込め、全身全霊で、正々堂々とプレーすることを誓います。」と被災者に向けて宣誓をしました。

「お金を失うと生活の危機、大切な人やもの、誇りを失うと心の危機、希望を失うと存在の危機」と言います。まず、食料等の物資を届けることは急務です。さらに、親族を失い、働く場を失い、誇りを失い、心の痛みを抱えられない方々への健康や心の支援のために、医師や社会福祉士、精神保健福祉士や臨床心理士、看護師が現地に向かっています。今、私たちは、希望を見失ってはいけない。希望は、互いに支え合うことにより、強く輝きます。被災された人々の心に希望の火を灯すことができるように、一人で生きているのではないことを伝えたいのです。

ヨハネ15章12節には、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」と書かれています。この聖句は、イエスが私たちを愛しくださったという事実から始まります。その愛ゆえに、説得力をもって語られたのです。「互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」と。この意味を、ルーテル学院での学びを通して、理解してほしいと思います。

そして、東門の前にある壁を見て下さい。そこには、ルターの言葉が書かれています。「自分のためでなく、隣人のために生きて、仕える生に神の祝福があるように」という本学のミッションに、今日、立ち返りたいと思います。

改めて、申し上げます。被災地の復興は私たちの未来です。入学する諸君には、ルーテル学院での日々の学生生活と通し、「何をしたいか」「何ができるか」そしてもっとも大切な「何が求められているか」を学んでいただきたい。

今日は、共に明日を拓いていくためにあるのです。たとえどんなに長い道のりでも、共に今日を一生懸命生きていくことによって、明日が拓かれるのです。

2011年度入学式を、「共に明日を拓く」ことを確認する時にしたいと思います。

入学おめでとうございます。

2011年4月1日
2011年度入学式

上越市自由学園やすづか

2010年秋、上越市を訪問した。そこは、私の先輩と同期の友人が医院を受け継いでおられるところであり、社会福祉大会の講演依頼を喜んでお引き受けした。東京から新潟新幹線で越後湯沢まで行き、特急はくたかで直江津に着いた時は、空は快晴、天候は温暖、すがすがしい気持ちで心はいっぱい。しかし、当日は、地酒の会や、駅に蒸気機関車がきて特産物市場が開催される等、大会への参加者数は主催者も十分読み切れなかったとお聞きした。
蒸気機関車や銘酒の知名度には遙かに及ばず、主催者に申し訳ない思いであったが、400人ほどはいるのであろうか、「福祉のまちづくり」をテーマにした講演会会場は、住民の方々でほぼ埋まり、地域に対する住民の方々の温かい思いを強く感じ、お話をさせていただくことを光栄に思った。ちなみに、上越市は、合併によって新潟県で3番目の大きな市になった。だからこそ、地域福祉の原点に立ち返ろうと、「福祉のまちづくり」をテーマとして掲げておられた。
そもそも、コミュニティは、そこで生活する方々が、自覚し、意識して築くもの。地域の生活課題を知り、地域が生み出す問題を理解し、共に悩み、そして可能な解決策を描き、協働した取り組みを行うことによってコミュニティが築かれる。まさに日々の生活の営みから生み出される働きと息吹を積み重ねたものが、コミュニティである。それを言葉で整理すると、コミュニティを構成する要因は、以下の通りになる。
①コミュニティに所属するもの同士の相互の関わり
②関わり対するアイデンティティ、愛着
③それらを実現しやすい地理的な空間
④互いを認め合うコンセンサスと一定の規範
⑤コミュニティを支える宗教や祭り等の文化の形成
⑥人材や活動等の一定の地域資源の存在
(著書『知の福祉力』人間と歴史社、共編著『地域福祉の理論と方法』中央法規・ミネルヴァ書房等)
是非、その原点を維持していただきたい。

講演が終わり、社協会長や関係者の方としばしお話をし、再会を誓い、上越市社会福祉協議会が経営するやすづか学園に向かった。会場から、車で40分ほど行った、自然に満たされた地区にあった。畑があり、川があり、木々が生い茂り、途中の道の駅で売られていた自然の実りを見て、自然の恵みを感じた。確かに、人口の減少は否めない。しかし、そこにある、人々のぬくもりや思いやり、厳しくはあっても生命を生み出す自然は、子どもたちが育つ土壌であり、住民の思いやりは、子どもたちにとって肥料でもある。また管理されない自然は、猛威となって市街地をおそう。土石流は、上流の自然破壊を原因としている場合が多い。また、子どもたちが、将来、働く場を見いだせない社会は、希望のない社会。そのことをもっと国政は考えないと、国会議事堂という狭い地域にしか通用しない常識は、これを非常識と言うのではないだろうか。今、必要なことは、日本の未来を描くこと。失われる伝統、文化、自然、人間関係、農業・漁業・林業等の第一次産業が崩壊すると、その再建は不可能に近いし、また可能であっても何十倍も手間と時間がかかる。一刻の猶予もないはずである。
菱沼地区の小高い丘に、学園はあった。今は統合された小学校を学園として活用し、近くにある寮から通う小学校高学年から中学校生の10数名の生徒がここで学んでいた。この学園の特徴は、地域が子どもの育ちを支えていることである。やすづか学園菱里地域支援委員会が設置されている。菱沼、おぎの、須川、船倉の町会長、11の集落の自治会長、農家組合長、そして老友会等の各会の代表者が加わる地域支援委員会を設け、さらに家庭交流部会(子どもとの交流、手打ちそば作り体験、焼肉大会)、地域活動交流部会(収穫感謝祭、塞の神作り)、農村文化技術部会(田畑の管理、動物の飼育、農作物体験、技術指導)、農産物部会(給食用農作物の提供)、環境美化部会(学園関係施設の環境美化協力、羊、鶏の小屋づくり)が実際の活動にあたる。
収穫祭には、たくさんの食材が届けられ、共に自然の実りと恵みを感謝して分かち合う。ふりかって、私たちは、土と水と太陽に育てられる植物を育てる経験に乏しい。自然の恵みを軽んじ、消費中心型の生活を送っているのではないだろうか。だから自然を消費しても、痛みがない。
歓迎の看板夕方近くになり、次第に暗くなっていく時間に、私は学園に到着した。学園に入ると、歓迎の看板に恐縮し、靴を脱いで校舎に入った。いたるところで子どもたちの声が聞こえる。案内いただいた食堂から調理を手伝う子どもたちが見える。後でお聞きしたが、私の友人の知り合いのお母さんが調理を手伝われており、子どもが家に泊まることもあるとのこと。また、教職員の方々といつも一緒にいる子どもが、お茶を入れてくれた。先生が子どもたちに、私を歓迎するため演奏を依頼したところ、彼らは快く引き受けてくれた。

サンダーロード(歌:ザ・ハイロウズ、詞・曲:甲本ヒロト)
*1 ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード
ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード*
*2 僕の果て サンダーロード
あなたの彼方 サンダーロード そうなんだろ サンダーロード
他に道は ないんだろ*
ロード、ロード、サンダーロード
ロード、ロード、サンダーロード
三脚を立てて ここに 二人並んで写真をとろう
ながめより 景色よりも 二人並んだ写真をとろう
さあ手に ほら手を わかってくれ 今 わからせてくれ 今夜
*2繰り返し
溶岩と氷の道 二人並んで 進んでいく
燃える靴 かじかむ指 二人並んで 進んでいく
さあ手に ほら手を わかってくれ 今 わからせてくれ 今夜
*2 繰り返し
*1 繰り返し

私はこの歌を初めて聴いた。「ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード」 「僕の果て サンダーロード あなたの彼方 サンダーロード そうなんだろ サンダーロード 他に道は ないんだろ」と繰り返される。サンダーロードとは、どのような道なのだろうか。明日に繋がる道なのか。過去を今に繋ぐ道なのか。そしてそこを歩むのは、誰なのだろうか。
校舎のいたるところに、入学者の思いが書かれている。また、創作もあり、その思いを綴った思い出記も残されている。


私も、いわゆる大人である。かつて、青年であった時に、権力に抵抗するつもりで、様々な運動に関わった。1970年前後の学生運動の最後の時代である。また、自分は何者か、自分はどのような道を歩むべきか、迷いの連続であり、友人や親・兄弟を心配させ、傷つけ、裏切ったことも数え切れない。決して誇れるものではなかった。
子どもは、未熟な大人ではなく、一人前の子どもである。しかし、大人が、子どもたちの迷う場、育つ場、育っていく将来を奪っていないだろうか。やすづか学園を訪問して、私はその問いかけを受けたと思っている。

骨折した足がだいぶ良くなった時でもある、2本の松葉杖が1本になり、杖のように使って上越市に行った。その一本を、上越市でもらった温かさと、やすづか学園の子どもたちがくれたメッセージに変え、歩んでいきたいと思っている。ありがとうございました。

第27回ルーテル諸学校研修会

2010年8月17日(火曜日)から19日(木曜日)に、神戸ルーテル神学校において研修会が開催されました。浦和ルーテル学院(さいたま市)、聖望学園(埼玉県飯能市)九州学院(熊本市)、九州ルーテル学院(熊本市)、そしてわがルーテル学院(東京都三鷹市)の各代表者と教職員が集い、「ミッションスクールで働く誇りと感謝と喜び」をテーマに、あつく語り合いました。その時期は、九州学院が夏の甲子園野球で勝ち進んでいる時であり、ルーテルの絆を強め、勝利を祈りました。
 開会礼拝 東海林敏雄先生(浦和ルーテル学院理事長)
 報告1 「ミッションスクールで働く誇りと感謝と喜び」
           村山かおる先生(九州ルーテル学院教諭)
 全体会 情報交換
 礼拝   石崎伸二先生(神戸ルーテル神学校)
 報告2 「音声指導とミズーラ英語劇を通した生きた英語指導」
           磯田一成先生(九州学院教諭)
 分団討議 ふりかえり
 礼拝   市川一宏(ルーテル学院大学学長)
 講義  「聖望学園の足跡をふりかえる」
           神田秀夫先生(聖望学園理事長)
 閉会礼拝 マイケル・ピースカー先生(聖望学園チャプレン) 

るうてる法人会研修終わる

るうてる法人会は、日本福音ルーテル教会と関わる学校法人(ルーテル学院<東京三鷹>、九州ルーテル学院<熊本>、九州学院<熊本>)と社会福祉法人(慈愛園、広安愛児園<熊本>、東京老人ホーム、ベタニアホーム<以上東京>、千葉ベタニアホーム、大阪るうてるホーム、別府平和園等)、そして全国各地にある宗教法人、幼稚園・保育園が集まる組織です。本年は、研修会が、以下のように開催され、100名近くの方々が、明日の社会を目指して学び、情報交換をし、使命を確認しました。

開催日時 2010年8月24日(火)11:00 ~ 8月25日(水)15:00 終了
開催場所 熊本・九州ルーテル学院
主  題 「あたたかな人間関係をめざして」
     + 計画と継承~新たな人材養成のため~
日  程
24日(火) 11:00~11:30 開会礼拝(担当:青田勇総会副議長)
     11:30~11:40 オリエンテーション
     11:40~13:00 講演「ルターの人間理解と各法人の使命」 講師:石居基夫氏
     13:00~13:45 写真撮影と昼食休憩
     13:45~17:30 講義とワークショップ    講師:福山和女氏
             「援助におけるゆれのねうち~キリスト教人間理解の視点から」
     18:00~20:00 懇親会

25日(水)  9:00~10:00 講演「ミッションの計画と継承~人材養成」 講師:朝川哲一氏
     10:00~12:00 ワークショップ
     12:00~13:00 昼食休憩
     13:00~14:00 朝川哲一氏によるまとめ
     14:00~14:30 全体会(教会と施設に関するアンケート報告:小泉基氏
            奨学金等のアピール:立野泰博事務局長)
     14:30~15:00 閉会礼拝(担当:野村陽一人材養成交流委員)

講師からのメッセージ
「共に生きる」を求めて
―ルターの人間理解と各法人の使命―
ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校 石居基夫

宗教改革者ルターは、16世紀、激動する社会とそこでの「死の不安」との格闘から信仰の問題に取り組みました。そして、神様の恵みに生かされるルター信仰は、教会の在り方ばかりか、社会全体へ大きな改革をもたらしました。福祉や教育に力を注ぎ、様々な困難に直面して生きる人に必要な手立てを考えていきました。また、社会の問題を担う立派な市民の育成を課題としたのです。ルターの信仰は、現実の社会の中で神様の造られた世界、そこに生きる人々に対する神様の御心が実現されること、すべての人々と愛と喜び(福音)を分かち合うことを求めたのです。
ルターやルーテル教会の社会に対する働きを支えるものは、もちろんキリスト教信仰に基づいた人間と世界への理解です。しかし、その理解には、信仰という枠を超えて、学ぶものが多くあります。「いのち」が脅かされている現代社会において、「共に生きる」人間理解をルターから学びます。

ワークショップ
「日常的援助におけるゆれのねうち―キリスト教人間理解の視点から」
ルーテル学院大学 福山 和女

近年、医療・保健・福祉・教育の現場での専門職が日常の業務を通して、なかなかやりがいを見出せず、業務内容の意義も見出すことが難しくなってきたといわれています。わたしは、現場でのスタッフとのスーパーヴィジョンを通して、実践現場での専門職がその立場はとても重要であり、自らが行なっている仕事のすべてが、専門性を発揮していることの自負を持つべきだと痛感しています。今回、皆さんと共に、キリスト教人間理解の視点から、専門職がフルに知識や技術を使って、活動していることを再確認したいと思います。
専門職は、視点や姿勢が揺れてはいけないのでしょうか。わたしは、専門職とは、利用者や家族のゆれを感じ、それに応じてその揺れの幅を的確に測ることができること、それによって、利用者や家族、時にはスタッフのゆれを立体的に理解できてこそ、人の尊厳を守ることができるのではないかと思います。スーパーヴィジョンの最新の方法を活用し、皆さんと一緒に、このゆれについて測りたいと思います。


るうてる法人会の歩み

平成15年度札幌市民生委員・児童委員大会

 夏の真っ盛りの7月、空は青く広がる札幌。札幌コンベンションセンターに1,200〜300人の民生委員・児童委員の方々が集まってこられる。
 各年代層におよぶ参加者に、女性民生・児童委員の方々も多くなってきている。そして事例をお伺いして、各地域における生活課題に取り組む各委員の意欲が感じ取られる。まさに、社会福祉法下の新しい社会福祉の枠組みの中で、新たな役割を認識しようとする方々の意欲を感じる。確かに、地域福祉を推進してきた委員の実績は誇るべきものである。しかし、虐待、孤立等の問題が増加し、かつ地域自体もその姿をかえてきた。住民意識は多様化し、住民相互の関係も、以前と比べて明らかに希薄化した。民生委員・児童委員自身が、「何がしたいか、何ができるか、何が求められているか」を問われている。そもそも民生委員活動は、市民の視点が強調された市民活動である。したがって、民生委員は、市民活動としての一定の責任をもつものの、その活動範囲がいたずらに広げられてはいけない。そこで、私は、以下の留意点をお伝えした。
基本的留意点
1.地域の福祉を見守り、つくりあげる→→→地域を築く、創り出す。忘れてはならない地域性
2.主体は相手(秘密保持の原則)
 信頼の絆は、必要な人以外には他言しないこと。
3.活動においていつも仲間の話し合いを→→→仲間同士の連携を、全部一人で背負わないこと。
4.各ボランティア団体、ボランティア、民生児童委員等、地域に関わる 人々同士が連携する場を→→→閉鎖性の打破、協力
5.活動が孤立しないように→→→機関(=社協)や既存のサービスとの連携を
6.開発性、先駆性と柔軟性を忘れずに
7.幅広い住民への対応
8.生活を支える総合的な生活援助と連携
*守ろう、育てよう、育もう、地域を! 住民とともに自分自身のために!

すなわち、地域を支える民生児童委員の役割は、共感、共歩、協働である。