第28回 ルーテル諸学校研修会 第3日(8月18日)礼拝9:00〜9:30

メッセージ 『放蕩息子は誰ですか』

讃美歌21 371

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べることにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は、豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった。そこで、彼は我に返って言った,『父のところでは,あんなに大勢の雇い人に有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き,接吻した。息子は言った,『お父さん、わたしは天に対しても,またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません』。しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物をはかせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠(ほふ)りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに、見つかったからだ』。そして、祝宴を始めた。 (ルカによる福音書15:11〜24)

最近、子どもの心に、自己中という虫が住みついていると言われます。また、私の青春時代は、「涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない」というゲーテの言葉が好きでした。私の中学生時代に、親が事業を失敗して倒産し、すべてを失いましたから、その時の食事の味を忘れることできません。でも、今の子どもたちは、厳しいことを避け、自分の殻に閉じこもっているのではないか。まさに「涙とともにパンを食べた」のではなく、「棚からぼた餅」というように、「たなぼた」の人生を送っている。さらに、若者から、「こんなに迷惑をかけてまで、生きているのはエゴだ」という言葉さえ聞こえてくる。一人ひとりがもつ、「自分らしく生きていきたい」当たり前の気持ちを理解できない。なぜなら、彼らが親しむコンピュータの人生ゲームは、いくつもの空想の人生を組み立てることができる。しかし、その結果に自分は責任をとらない。自分が傷ついても痛みがなく、電源を切れば簡単にリセットでき、今までの歩みをすべて無にして、再出発できる。でも、現実の社会では、希望を持てない。辛いことを避け、傷つくことを避けているから、他人の辛さを理解できない。そして、多くの若者は、明らかに物資的に豊かな生活をしており、このような若者の姿を見て、私は、今日の聖句の放蕩息子の姿を重ね合わせます。

ここに放蕩息子の譬えについて述べたナウエンの本があります。ナウエンの言うように、確かに、放蕩息子の行いは、きわめて傲慢な、そして身勝手なものでした。父の財産を、当然のように父が生きている時に分けてもらい、それも父から独立したいがために、できるだけ離れた場で、自由を謳歌したのです。贅沢な品々を買い、名誉や地位もお金で手に入れ、そして誰からも注目されようとして、ひたすらお金をばらまいたと思います。

とくにナウエンは、放蕩息子の行いを、現代社会にあてはめます。「あなたは、わたしを愛していますか?本当にわたしを愛していますか?」と問い続けるかぎり、自らをこの世の捕らわれの身にする。なぜならこの世界は、「もし・・・なら」という条件をつけるから。

「もちろん愛しますよ」もし、あなたが美しい姿なら、お金持ちなら、良い支援者がいるなら、名誉があるなら等々、際限がありません。

しかし、それらの条件をすべて満足させることはできないのです。この世の条件付きの愛に、本当の自分を探し求めているかぎり、この世に「捕らえられた」ままだとナウエンは言います(ナウエン『放蕩息子の帰郷』p.57)

当然、そのようなお金には限界があります。放蕩息子は、自分の財産を使い果たし、貧困のどん底に落とされました。それだけでなく、さらに災害が追い打ちをかけたのでした。聖書には、「彼はぶたの食べるいなご豆を食べて腹を満たしたがったが、食べ物をくれる人は誰もいなかった」と書かれています。いなご豆とは、パレスチナの至るところに生育しており、実は豚の飼料、また貧しい人の食物とされていたようです。いなご豆も手に入らない時と、金をもっていた時とは雲泥の差。放蕩息子は、希望と絶望の対角線に置かれたのでした。

しかし、聖書には、「我にかえって」と書かれています。本当に大切なものが、心の拠り所が、自分の身近にあったことに気づくのです。まぶしい光の中にあると、人は、その光に目を奪われます。しかし、人間以下の生活に陥り、豚使いの身になり、ついにいなご豆で空腹を満たすようになって、初めて気づく。そしてぼろぼろになり、ただひたすら父にしがみつく。レンブラントの絵を見ると、困難な旅をして父のもとにたどり着いた放蕩息子の靴には、底はなく、素足が見えている。着ている物はぼろぼろです。

その息子を父は受け止めてくれる。放蕩息子が富を手にしていた時にはわからない本当のものを見つけた時、自身が本当の輝きを放つのです。辛い時に本当のものが見え、明日が開かれてくる。まさにこれは逆転の発想です。

この本に関わる著者ナウエン、絵を描いたレンブラント、そして翻訳者の片岡先生には、共通点があります。

著者のナウエンは、カトリック司祭として、また神学者としての日々の葛藤の中で、放蕩息子の確信にたどり着きました。またレンブラントは、対照的な2つの絵を描いています。「一つは、売春宿にいる血気盛んな自分を描いたときの豪華な衣服を着た自画像。もう一つは、放蕩息子の帰郷に描かれた、やつれた体を覆うボロボロの上着と、長旅で擦り切れ、使い物にならなくなったサンダルを身に着けているだけ」の放蕩息子になぞられた自分と。

そして翻訳者の片岡先生は、神戸ルーテル神学校で学ばれました。また信徒の方の家を使い、西日本福音ルーテル伊丹教会の礎を築かれました。その後、シンガポール日本語キリスト教会(SJCF)の牧師に転任なされました。そして、ガンを煩い、闘病生活をおくるその病床で、この本を翻訳されたのでした。「支え続けてくださる方」を皆さんにお伝えするために。

3)自分が放蕩息子

私には、これまで人生の転機というべき時が何度かありました。その一つは、研究の転機。私は1992年から2年間、ロンドン大学LSEに入学しました。有名なピンカー教授に師事しましたが、図書館の書庫に行って、呆然としました。日本では手に入らない本がいくつもの書籍を埋めていた。学問の深さの前に、中堅の有力なイギリスの福祉政策研究者として考えていた自分の甘さを思い知らされた。留学して箔がつくと思っていたら、メッキがはがれた。

また、教育の転機は、3年前にありました。私は、大きな悩み、迷い、底知れぬ不安を味わいました。社会福祉学科の定員割れが2年続いたのです。受験生の全国的減少と言う現実があったとしても、社会福祉の名門として、社会的に評価され、それを誇りとしていた社会福祉学科の基盤が大きく揺れ、戸惑いました。何度、夜、目が覚めたことか。この経験は、責任をとる者だからこそ、知る辛さかもしれません。

自分が抱いていた夢と誇りを砕かれた時、私は、自分こそが、放蕩息子であると気がつきました。我がルーテルは、小規模で、財産はない。しかし、ネットワークと信頼がある。ブランドの卒業生がいることがわかりました。そして本当の教育を目指すことしか、私たちが生きていく道はないと思いました。自分は優れた教師、研究者であると思っていたが、実は、子どもの能力を、個性を生かしていない。自分勝手に作る学生像に在学生をあてはめている自分に気がつきました。学生は、未熟な大人ではなく、一人前の学生です。神様から各自に与えられた贈り物を見失っていたと思いました。そして、自分の限界に気がつき、共に歩むことの大切さを知りました。それは、教職員も同じでしたから、目標に向かって、再建できたのでした。本当の教育に立ち戻り、それを多くの人に理解してもらおうと皆が思ったからこそ、今があります。

ある卒業生の言葉を紹介したいと思います。「新約聖書ローマの信徒への手紙に、「あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのである」という言葉があります。根っこがしっかりしていれば、嵐に揺さぶられても、枝が切られてもなお、木は新しい芽を出すことができます。私たちは学院生活の中で多くのことを学びました。困難に立ち向かう勇気、人への思いやり、感謝する心。それらは私たちを支える「根」となって、これからの人生に試練に打つ勝つ力となるでしょう。」これは、浦和ルーテル学院第33回卒業生小川沙織さんの言葉です。突然、2人の同級生を天に送るという大きな悲しみを味わいながら、この原点に立つ。これは、彼女に、そして、同級生皆に神が与えた賜物。まさに、Gifts from God。この賜物を忘れず、放蕩息子のように、余分な思いを捨て神に請い願い、そしてその導きに従ってただひたすら歩む先に、私は明日が見えてくると思っています。困難な時に見える光を、放蕩息子は放っているのではないでしょうか。