上越市自由学園やすづか

2010年秋、上越市を訪問した。そこは、私の先輩と同期の友人が医院を受け継いでおられるところであり、社会福祉大会の講演依頼を喜んでお引き受けした。東京から新潟新幹線で越後湯沢まで行き、特急はくたかで直江津に着いた時は、空は快晴、天候は温暖、すがすがしい気持ちで心はいっぱい。しかし、当日は、地酒の会や、駅に蒸気機関車がきて特産物市場が開催される等、大会への参加者数は主催者も十分読み切れなかったとお聞きした。
蒸気機関車や銘酒の知名度には遙かに及ばず、主催者に申し訳ない思いであったが、400人ほどはいるのであろうか、「福祉のまちづくり」をテーマにした講演会会場は、住民の方々でほぼ埋まり、地域に対する住民の方々の温かい思いを強く感じ、お話をさせていただくことを光栄に思った。ちなみに、上越市は、合併によって新潟県で3番目の大きな市になった。だからこそ、地域福祉の原点に立ち返ろうと、「福祉のまちづくり」をテーマとして掲げておられた。
そもそも、コミュニティは、そこで生活する方々が、自覚し、意識して築くもの。地域の生活課題を知り、地域が生み出す問題を理解し、共に悩み、そして可能な解決策を描き、協働した取り組みを行うことによってコミュニティが築かれる。まさに日々の生活の営みから生み出される働きと息吹を積み重ねたものが、コミュニティである。それを言葉で整理すると、コミュニティを構成する要因は、以下の通りになる。
①コミュニティに所属するもの同士の相互の関わり
②関わり対するアイデンティティ、愛着
③それらを実現しやすい地理的な空間
④互いを認め合うコンセンサスと一定の規範
⑤コミュニティを支える宗教や祭り等の文化の形成
⑥人材や活動等の一定の地域資源の存在
(著書『知の福祉力』人間と歴史社、共編著『地域福祉の理論と方法』中央法規・ミネルヴァ書房等)
是非、その原点を維持していただきたい。

講演が終わり、社協会長や関係者の方としばしお話をし、再会を誓い、上越市社会福祉協議会が経営するやすづか学園に向かった。会場から、車で40分ほど行った、自然に満たされた地区にあった。畑があり、川があり、木々が生い茂り、途中の道の駅で売られていた自然の実りを見て、自然の恵みを感じた。確かに、人口の減少は否めない。しかし、そこにある、人々のぬくもりや思いやり、厳しくはあっても生命を生み出す自然は、子どもたちが育つ土壌であり、住民の思いやりは、子どもたちにとって肥料でもある。また管理されない自然は、猛威となって市街地をおそう。土石流は、上流の自然破壊を原因としている場合が多い。また、子どもたちが、将来、働く場を見いだせない社会は、希望のない社会。そのことをもっと国政は考えないと、国会議事堂という狭い地域にしか通用しない常識は、これを非常識と言うのではないだろうか。今、必要なことは、日本の未来を描くこと。失われる伝統、文化、自然、人間関係、農業・漁業・林業等の第一次産業が崩壊すると、その再建は不可能に近いし、また可能であっても何十倍も手間と時間がかかる。一刻の猶予もないはずである。
菱沼地区の小高い丘に、学園はあった。今は統合された小学校を学園として活用し、近くにある寮から通う小学校高学年から中学校生の10数名の生徒がここで学んでいた。この学園の特徴は、地域が子どもの育ちを支えていることである。やすづか学園菱里地域支援委員会が設置されている。菱沼、おぎの、須川、船倉の町会長、11の集落の自治会長、農家組合長、そして老友会等の各会の代表者が加わる地域支援委員会を設け、さらに家庭交流部会(子どもとの交流、手打ちそば作り体験、焼肉大会)、地域活動交流部会(収穫感謝祭、塞の神作り)、農村文化技術部会(田畑の管理、動物の飼育、農作物体験、技術指導)、農産物部会(給食用農作物の提供)、環境美化部会(学園関係施設の環境美化協力、羊、鶏の小屋づくり)が実際の活動にあたる。
収穫祭には、たくさんの食材が届けられ、共に自然の実りと恵みを感謝して分かち合う。ふりかって、私たちは、土と水と太陽に育てられる植物を育てる経験に乏しい。自然の恵みを軽んじ、消費中心型の生活を送っているのではないだろうか。だから自然を消費しても、痛みがない。
歓迎の看板夕方近くになり、次第に暗くなっていく時間に、私は学園に到着した。学園に入ると、歓迎の看板に恐縮し、靴を脱いで校舎に入った。いたるところで子どもたちの声が聞こえる。案内いただいた食堂から調理を手伝う子どもたちが見える。後でお聞きしたが、私の友人の知り合いのお母さんが調理を手伝われており、子どもが家に泊まることもあるとのこと。また、教職員の方々といつも一緒にいる子どもが、お茶を入れてくれた。先生が子どもたちに、私を歓迎するため演奏を依頼したところ、彼らは快く引き受けてくれた。

サンダーロード(歌:ザ・ハイロウズ、詞・曲:甲本ヒロト)
*1 ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード
ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード*
*2 僕の果て サンダーロード
あなたの彼方 サンダーロード そうなんだろ サンダーロード
他に道は ないんだろ*
ロード、ロード、サンダーロード
ロード、ロード、サンダーロード
三脚を立てて ここに 二人並んで写真をとろう
ながめより 景色よりも 二人並んだ写真をとろう
さあ手に ほら手を わかってくれ 今 わからせてくれ 今夜
*2繰り返し
溶岩と氷の道 二人並んで 進んでいく
燃える靴 かじかむ指 二人並んで 進んでいく
さあ手に ほら手を わかってくれ 今 わからせてくれ 今夜
*2 繰り返し
*1 繰り返し

私はこの歌を初めて聴いた。「ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード ロード、ロード、サンダーロード、 ロード、ロード、サンダーロード」 「僕の果て サンダーロード あなたの彼方 サンダーロード そうなんだろ サンダーロード 他に道は ないんだろ」と繰り返される。サンダーロードとは、どのような道なのだろうか。明日に繋がる道なのか。過去を今に繋ぐ道なのか。そしてそこを歩むのは、誰なのだろうか。
校舎のいたるところに、入学者の思いが書かれている。また、創作もあり、その思いを綴った思い出記も残されている。


私も、いわゆる大人である。かつて、青年であった時に、権力に抵抗するつもりで、様々な運動に関わった。1970年前後の学生運動の最後の時代である。また、自分は何者か、自分はどのような道を歩むべきか、迷いの連続であり、友人や親・兄弟を心配させ、傷つけ、裏切ったことも数え切れない。決して誇れるものではなかった。
子どもは、未熟な大人ではなく、一人前の子どもである。しかし、大人が、子どもたちの迷う場、育つ場、育っていく将来を奪っていないだろうか。やすづか学園を訪問して、私はその問いかけを受けたと思っている。

骨折した足がだいぶ良くなった時でもある、2本の松葉杖が1本になり、杖のように使って上越市に行った。その一本を、上越市でもらった温かさと、やすづか学園の子どもたちがくれたメッセージに変え、歩んでいきたいと思っている。ありがとうございました。