「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結
2018年10月17日(水曜日)、「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結式が行われましたので、報告させていただきます。
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_photo/076/076240.html
三鷹市HP
http://www.luther.ac.jp/news/20181025-01.html
ルーテル学院大学HP
Ichikawa's Office
共助社会づくり
2018年10月17日(水曜日)、「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結式が行われましたので、報告させていただきます。
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2018年9月、日帰りで、鳥取市民生委員児童委員研修会の講演のご依頼を頂きました。委員の方々の熱心な活動姿勢、実績、誠実な対応に感銘を覚えました。感謝。
なお、飛行機の出発まで少し時間がありましたので、砂丘と砂の美術館に連れて行っていただきました。そして、改めて感動いたしました。写真をお見せします。
砂の美術館
2018年10月7日に、式典が行われ、2つの感謝状を頂きました。自分が果たしてきた役割を評価いただき、私からも、感謝しています。
2018年10月15日に、ガウチァー記念礼拝堂において、メッセージをいたしました。テーマは、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生です。
メッセージ
「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生
「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」 (フィリピの信徒への手紙第一第3章12節)
2011年3月11日午後2時46分、皆さんはどこにおられましたか。私は、ルーテル学院大学の学長室で打ち合わせにおり、その揺れの大きさと揺れる時間の長さに驚きました。東京でも、たくさんの帰宅難民が生まれました。また職場から夜通し歩いて、子どもが待っている小学校に迎えにきた親もたくさんいました。また、学校から帰宅途中に地震に遭い、駅に下ろされた小学生を探すために、親たちが1駅づつ車でまわり、見つけて保護したこともありました。
さらに、テレビの映像に映る現地の惨状に驚きました。すぐに被災した地域に住む友人たちに携帯で何度も連絡をしましたが、まったく通じませんでした。しかしその2日後の朝です。「無事です」と公衆電話からかかってきた友人たちの電話に、私は思わず「良かった」と、家族が驚くような大きな声を上げていました。
死者行方不明者1万8,432人を数える東日本大震災は、今から、7年以上も前のことです。今日に至るまで、熊本地震、北海道での地震、そして台風や豪雨災害等々、たくさんの自然災害が続いています。では、それぞれの被害は、過去のものでしょうか。いや、困難な生活は今でも続いているのです。私は、被害がもっとも多かった宮城県石巻市で、発災時から社会福祉協議会等の方々のお手伝いをしてきましたが、復興によって環境は整ってきましたが、その痛みは続いています。
事実、私は、本年の3月、石巻市社会福祉協議会の仕事の合間に、石巻市に来たゼミの学生とともに、再び大川小学校に行きました。小学校生108人中、74人が犠牲になり、多くの教員も命を失いました。その2年後の冬に行った時には、川を堰き止めて、子どもの遺骨を探していました。大川小学校の前に、亡くなられた方々を追悼する慰霊碑が建てられています。夏には、慰霊碑にヒマワリの花で飾られます。その意味を知ったのは、後からでした。
詩を紹介します。
ひとつぶの小さな種が、
千つぶもの種になりました。
そのひとつぶひとつぶが、
ひとりひとりの子どもたちの、
思い出のように思えました。
また 夏が来たら 会おうね。
ずっとずっと
いっしょだよ。
文:ひまわりをうえた八人のお母さんと葉方丹(はかた たん)絵:松成真理子
何年たっても、親は子どもを失った悲しみを忘れることはできないのです。
大切な家族や友人を失い、長らく住んでいた家を流された方々が仮設住宅や復興住宅に住まわれています。今まで当たり前と思っていたことが、自然の圧倒的に力によって突然目の前からなくなった喪失感情はなかなか拭い去れない。また親や友人を失った子どもが、約3年目から、その死を振り返り、自分は生きていいのかという言葉を発してきていると聞いています。震災による痛みは、未だ癒えていないのです。子どもから高齢者まで、それぞれに痛みを持っています。
しかし、忘れてはならないたくさんの働きが続けられています。たくさんのボランティアやNPOが支援に来ました。青山学院大学の学生も、やくさん被災地でボランティアを行っています。
また私が学ばせて頂いている石巻市社会福祉協議会は、地域福祉コーディネーターを雇用し、日々、家や家族を失った方々が住まわれている仮設住宅を訪問し、その方々が孤立しないように悩みや生活の相談を受け、必要なサービスや援助につなげていきました。しかも、冬の寒さは厳しい。石巻市は普段、過ごしやすいのですが、冬には寒くなり、また強い風が吹く時があります。私は、強い風で体温が奪われ、凍えそうになる経験を何度もしました。そのような時は、道路の雪が固まり、氷となり、アイスバーンとなって移動がとても危険な状態になります。そのような時にも、地域福祉コーディネーターは、仮設住宅や、新たに建てられた復興住宅を訪問し続けました。しかも、地域福祉コーディネーター13名のうち半数以上は、北海道、近畿、四国、九州から来た若者です。自分が生活してきた地域から離れ、寂しさもあったのではないでしょうか。また方言や文化も違い、住民に受け入れて頂くことに本当に苦労したと思います。でも、彼らは働き続けました。なぜなら、彼らは、「市民の暮らしを支えていきたい」という気持ちをもって、応募した方々です。その強い思いが住民に伝わり、生活の再建に結びついていると思っています。
困難に直面しても、将来に向かって今を生きることが大切です。そのためにも、私は皆さんに、どんな困難に直面しても、希望の火を絶やさず、生きていくためにも、立ち戻るところをもつことが必要だと言いたい。
私は、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる人生を原点にしています。子どもたちの誕生は、おめでとうから始まる。子どもは、誰もが祝福されて生命を与えられた。だれ一人として、神様から祝福されない生命はないという真実に立ちたいと思っています。だから、皆でおめでとうと言う。この事実に、疑問を挟む余地はまったくありません。親等からの虐待によって、命を奪われる子どもが増えていますが、子どもの命をなんとしても守りたい。「おめでとう」から、それぞれの人生の歩みが始まるのです。
そして、人生の最後を迎えた時、支えてしてくれた家族や支えてくれた人にありがとうと言うことができたなら、それは人生でもっともすばらしい証し。感謝する本人の命が光る。見看る人びとの心がその人の命を通して光る。その人を支えてきた神の愛が、光り続けるのです。高齢者の孤立死が増えていますが。亡くなってからだいぶ経ってから見つかるような状態は何としても避けたい。人生最後にあって、「ありがとう」と言えるような人生を守りたいと考えています。
聖句に戻ります。「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、すでに完全なものとなっているのではありません。何とかして、捉えようと努めているのです。自分が、キリストイエスに捉えられているからです。」
この挑戦は、すでに完成したものでは決してありません。いつも絶えず、問い続けていくこと。0か100ではない、たくさんの挑戦があります。私は、「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生というタイトルの本を出版しましたが、その原点の一つは、被災地の方々と一緒に働かせて頂き、学んだこと、思ったことです。私は、生きていくことの意味を実感しました。今まで当たり前と思っていたことの大切さ、悲しみの中にある人に何とか明日への希望を届けようとする働きの意味を学んでいます。倒れている人に駆け寄って助け上げる人は、神を信じる、信じないに関わりなく、神に祝福された隣人だと私は思っています。
また、そのことを目指して、今をどう生きるかによって、過去の事実は変わらなくとも、今の生き方によって過去の意味が変わっていく可能性を、神はたえず与えてくださいました。たくさんの挑戦をしてきましたが、新しく学ぶことはつきません。それが、私にとって、「キリストイエスに捉えられている」という意味です。
大川小学校の慰霊碑に飾られているヒマワリを私はたびたび思い出します。
その花言葉は、
「あなたのことをずっと忘れない」です。
祈り:
主よ、どうぞ、私たちに、自分を信頼し、自分らしい生き方をしていく力を、悲しい時には泣き、楽しい時には喜ぶ素直さを、正しいことやふさわしいことがわかる知恵を、お互いの違いを理解しようとする優しさを、困難に直面しても夢を失わないねばり強さを、辛い時には立ち止まることのできる少しのゆとりを、自分の力ではどうしようもない時に、誰かに救いを求める勇気を、そして、一人では生きられないと思った時に、一人で生きてきたのではない事実を受けとめる謙虚さをお与え下さい。そして、今日礼拝に出席している学生諸君が、どんな困難に出会っても、希望を失わず、将来に向かって歩んでいくことができるように、お導き下さい。
主の御名によって祈ります。
森記念財団都市戦略研究所より、日本都市特性評価報告書が発行されました同報告者は、国内の主 要 7 2 都市と東京2 3 区を対象としています 主要72都市は政令指定都市および県庁所在地に加え、各都道府県で人口規模が第1~3 位の都市(人口 20万人以上かつ昼夜間人口比率が3大都市圏では 1.0 以上、3大都市圏以外では 0.9以上)です。
評価委員として参加させて頂きましたので、ご報告いたします。
概要は、以下に掲載されてます。
私にとって、大切な18歳の時の出会い。今から50年近く前に遡りまsu.
私が、友人の代わりに、東京都大島にある知的障害施設大島藤倉学園での夏のボランティア活動に参加しました。当時は、地域で、知的障害をもつ方とお会いすることは本当に少なく、私は、多くの不安を抱きながら、夜、浜松町にある竹芝桟橋から船で大島に向かいました。早朝に大島に着き、歩いて学園に行き、1週間のボランティア生活が始まりました。朝7時から、穴堀をし、また炎天下、友人たちと働き、汗を流しました。また、たくさんの学園の子どもたちと出会いました。別れ際、互いに涙がとまらなかったことが、とても懐かしく思い出されます。そして、知的障害児者の父と言われる糸賀一雄先生の生き方と思想に出会いました。
私は、ボランティアとは、人のためにすることであると思っていました。だから、「この子らに世の光を」届けようと思ったわけです。
ところが、糸賀先生は、「この子らを世の光に」と言われました。子どものそれぞれの個性と発達の可能性を信じ、そして「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」という、大切な生き方を示されました。この子らが安心して歩んでいける社会こそ、私たちがめざすべき社会であることを願って。
私は、この言葉から、3つのことに気がつかされました。
この考え方を、私は信念としています。
2018年9月、私は、都立練馬高校の学園祭に行き、ボランティア部が企画する部屋を訪問しました。8月に開かれたスクールボランティアサミットでお会いした関係で、応援に行きました。学生諸君は、部屋に来られた方々にボッチャ(ヨーロッパで生まれた重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツで、パラリンピックの正式種目です。ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、いかに近づけるかを競います。障害によりボールを投げることができなくても、勾配具(ランプ)を使い、自分の意思を介助者に伝えることができれば参加できます。 競技は男女の区別なくのクラスに別れて行われ、個人戦と団体戦(2対2のペア戦と3対3のチーム戦)があります。障害の程度によりクラスが分かれており、同じクラスの選手どうしが対戦します。クラスはBC1、BC2、BC3、BC4、オープンの5つで、オープン以外の4クラスがパラリンピック等の国際大会対象クラスです。<日本ボッチャ協会>)を体験してもらい、その醍醐味と楽しさを通して、障害者の方々と共み歩むことも意味を理解して頂こうとしていました。その思いに、私は感銘を覚えています。
今と、私の高校生時代とは、社会の状況や障害者理解がずいぶん違うと思っています。しかし、今は、障害者が自分らしく生きていくことができる社会となっていると自信をもって言えない自分がいます。
また、2016年7月26日の未明に神奈川県内の障害者支援施設「津久井やまゆり園」において大量殺傷事件が起き、入所されている方々のなかで、特に障害の重い方々を狙い撃ちにしたということ、犯行後、警察での取り調べに対して「障害者なんていなくなればいい」と語ったとのこと。
同年11月に、私は、神奈川県議会の特別部会で、以下のことを申し上げました。「今回のやまゆりで起こった残虐な行為は、以下の特徴があると思います。
①障害者の生命を軽視し、侮辱し、その存在を否定した行動であり、共生の社会という目指すべき社会への取り組みと真逆である
②地域に生活する一人ひとりの障害者理解が問われた。
③家族も多くの苦しみを背負った。何故、氏名を明らかにしなかったかを理解する必要があるのではないか。
④地域における障害者施設の使命を再確認する必要がある。今までの地域住民と入所者が築いた絆を寸断させてはならない
⑤精神障害者をもつ人が起こした事件であり、精神障害をもつ人自身が、差別を恐れ、戸惑っていると聞く
⑥マスコミの報道を含めて、情報について、再度確認する必要がある。
⑦多くの献身的に働いておられる福祉の専門職への誤解も生まれていると聞く。私の大学の卒業生も働いており、悲しみの中に大きな痛みを抱いている。もっと、その働き人が評価されるべきではないか。また、確かに、犯人は、以前職員であることは事実であるが、一人ひとりの人格には、様々な側面がある。職員であることを強調することは問題。全体的に取り上げることが必要。
今、私たちが築いてきた、共に生きる社会を取り戻さなくては。だからこそ、高校生のような日々の地道な活動が、いつも、そしてこれからも必要とされると改めて確認できました。それが、完璧なものでなくても良いのです。ボランティアとしての思いが示されてれれば、それで十分です。それが、ボランティアの原点です。日々の生活を通して、理解を広げていくこと。その挑戦をし続けていくこと。
私は、若き友人諸君の活動に敬意を表し、これからも応援していきたいと思っています。
11月6日、午後6時半より対話広場が、神奈川県庁本庁舎3階大会議室を会場に行われます。テーマは、<「ともに生きる社会かながわ」の実現に向けて>です。私は、ゲストとして呼ばれ、今まで学んできた共生の社会づくりの理念と実践をお話しする予定です。もうお一人のゲストは、日本理化学工業株式会社の代表取締社長大山隆久さんです。同社は、従業員の70%が知的障害をもつ方で、人にやさしい企業として表彰されています。始めてお会いしますが、私も学ばせて頂きたいと、楽しみにしています。
SDGs(Sustainable Development Goals)という言葉を聞いたことがありますか。これは、持続可能な開発目標と言われ、ミレニアム開発目標の後継として,2015年9月の国連サミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」として採択された、2016年から2030年までの国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なもので、日本も取り組んでいます。
また、SDGsは、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)として、多くの企業が取り組んでいる指標でもあります。
私が委員長を務めさせて頂いています全国ボランティア・市民活動振興センターの運営委員会においても、SDGsについては、議題として取りあげられておりますので、ご紹介させて頂きます。
2018年8月8日、文京高校において、スクールボランティアサミットが開催されました。
練馬高校の正木先生にご紹介頂き、講演の機会を頂きましたが、私にとって、学びの機会を与えられたと思っています。
概要を書かせて頂きます。
高校生、校長・教員を含む学校関係者、東京都教育庁、各区市社会福祉協議会、民生委員児童委員、町会、企業、住民等の多様な方々が参加して行われました。
午前中には、東京都立村山特別支援学校、東京都北区立赤羽台西小学校、茨城県日立市立河原子中学校、神奈川県立秦野総合高等学校の実践報告がなされ、実際の取り組みから、ボランティア教育の可能性を学ぶことができました。
午後は、「子どもが“気づき”から“変容”する奉仕・ボランティア体験学習へ」という基調講演を行わせて頂きました。講演の概要は、以下の通りです。
1.私たちが直面する課題:社会の根底を流れる「底知れぬ寂しさ・悲しさ(人と人の絆が切れそうな社会を無縁社会と言う)」
①新たな絆を築く講堂
②共に歩む=ボランティア活動
③世代を超えた関わ
2.共生型社会の創造(共生型社会の意味は?)
「このゆびとーまれ」で育った私 富山市立藤ノ木小学校5年 岩本万由子
「私も赤ちゃんのころ、利用者のおばあさんによくだっこしてもらったり、あやしてもらっていたそうです。でも、実はそのおばあさんは重症の認知症だったそうですが、自分では「このゆび」に働きに来てると思っていたそうで、そのころの写真を見ても、本当にかわいがってもらったんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。
「このゆび」に来ていると、障害のある人もジロジロ見られたり、かわいそうになんて言われることもなくて、みんな自分でできることを精一杯やって「役に立っている」自分に自信をもって、いきいきと過ごしています。
私は、障害があるから「かわいそうな人」なのではなく、「障害があってもがんばっている人」といっしょに過ごして、協力し合っていくことがお互いのために大事だと思います。<略>
障害のある人にはどのくらい具合が悪いか考えて接するかが大切だろうと考えて、なかなか積極的にかかわれない人が多いと聞きます。でも「このゆび」のように自然にお互いの良いところを認め合って過ごすことから始めればいいのだと思います。<略>」
平成17年度心の輪を広げる体験作文 内閣府優秀賞受賞、富山県最優秀賞受賞
この作文から、共に生きることの実際、自然な学び、障害者理解を読み取ることができます。*このゆびと=まれについては、本ブログに紹介がありますので、ご覧下さい。
3.「共に生きること」の大切さを学ぶ
①明日をつくる十歳のきみへ(日野原先生からメッセージ)
②被災地から学んでいること
<最後に>大切なことは、大切なあなたを、ずっと忘れないこと。
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されます。その大会の成功にはより多くのボランティアの参画が欠かせません。しかし、オリンピック・パラリンピックを単なるお祭りに終わらせていいのでしょうか。
私は以下のように思います。
A.地域で、社会で活動しているボランティアが、オリンピック・パラリンピックに参画する。
B.活動は直接大会の運営に貢献するだけでなく、東京にその後もボランティアをはじめとする共助の精神をレガシーとして受け継ぐ原動力にできないでしょうか。
2.ワークショップ
主題オリンピック・パラリンピック教育発展のための障がい者や高齢者に向けたボランティア体験プログラムを考える
・「ボッチャで交流」練馬高等学校ボランティア部がレクチャー
・ワークショップ 話し合い・各グループ発表・市川による講評
以下、練馬高校ボランティア部の発表レジメの一部を掲載させて頂きます。
練馬高校によるオリンピック・パラリンピックに向けた取り組みの報告とワークショップが行われました。練馬高校ボランティア部の学生が、高校がある地域の光が丘連合会のイベントに参加したことがきっかけで、ボッチャを知ることができ、生徒が主体的に取り組んでいこうという気持ちをもち、共に生きる社会を目指した歩みに踏み出したのでした。開催校の文京高校の学生も加わり、高校生主導でボッチャを実践し、参加者とともに話し合った姿に、私は将来の共生社会づくりの可能性を見ることができました。若き友人である高校生諸君に、心より感謝します。
そして、彼らがもつ冷静な目と熱い思いを感じました。高校生としての今の気持ちを大切にしてほしいと思っています。「どのようにボランティア活動を進めていくか」も大切ですが、「どうしてボランティア活動をするのか」という原点を若い時に築いて頂きたい。将来、自分が迷った時に、立ち戻ることができます。
ぼちぼち、頑張れ!
2018年7月5日(木曜日)午前10時より、ココネリホールにおいて、練馬パワーアップカレッジ第10期生の卒業式が開催されました。10期生に至るたくさんの方々が、2年間の学びを通して様々な人々、活動、組織と出会い、学び、成長し、地域福祉活動への参加者、各種委員会の計画立案、評価等への参加者、区民として普段の生活を通した共生社会の理解者として歩みを始められました。広がる卒業生の自主的、主体的な歩みを、誰もコントロールできません。練馬区という地域に根ざした草の根のように広がる実績とネットワークが、練馬区の地域福祉の土台となっていると実感しています。
同窓会の活動は、地域福祉の担い手が集まった集合体であり、前川区長が掲げておられる「参加と協働」から「参加から協働へ」というミッションそのものであると思います。
私は、カレッジを通して、多くの受講生と出会い、一人ひとりがパワカレで育ち、巣立ち、地域に根をはっていく姿を見続けてきました。そしてさらに、同窓会の方々との関わりを通して、地域福祉パワーアップカレッジの意義を確信し、励まされてきました。練馬区の地域福祉活動の原点の一つがここにあります。