大学関連

最終講義(2023年3月4日)

最終講義録画

https://www.dropbox.com/s/prbth8qesexd3h6/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%85%88%E7%94%9F%E6%9C%80%E7%B5%82%E8%AC%9B%E7%BE%A9.mp4?dl=0

最終講義レジメ

https://www.dropbox.com/s/70znhe1bbu1xjax/%E6%9C%80%E7%B5%82%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A1%28%E6%8F%90%E5%87%BA%E7%94%A8%293.4.pptx?dl=0

参加者へのメッセージ

https://www.dropbox.com/s/ekapth9ac7ltu9s/%E3%80%90%E9%87%8D%E8%A6%81%E3%80%91%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%8B%95%E7%94%BB.mp4?dl=0

ドキュメンタリー映画「帆花」

さて、卒業生から、以下にメールが届きました。よろしければ、ご覧下さい。

ドキュメンタリー映画「帆花」
http://honoka-film.com/
帆花さんお母さん記事

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/2022-kaiko-honoka-1


95年にルーテル神学大学時代に社会福祉学科に入学し皆さんと同じ場で学んだ卒業生の雲下加奈と申します。
ほのかさんは胎児の時、お母さんのおなかの中で元気に動き回っていたそうです。出産時にへその緒が切れてしまうというハプニングがあり、10分間の心肺停止状態に陥った事で、脳死に近い状態となり、今に至ります。
ほのかさんのお母さんの理佐さんは私の中学・高校の友人で、卒業以来連絡を取っていなかったのですが、彼女がSNSを通してほのかさんとのお家暮らしを発信していたことから再開を果たしました。何度かご自宅に伺っていますが、ほのかさんの瑞々しい生命力にはいつも元気をもらっています。彼女の周りはほわんと明るく、暖かな空気で包まれているんです。理佐さんは一人でも多くの人にこうしてお家で暮らしている子供がいる、と知って欲しいと願っています。学生の皆さんで興味があればご自宅への見学も歓迎されるそうです。福祉を学ぶ皆さんにとって、とても素敵な出会いになると思います。

よかったらぜひ、記事を通して、映画を通して、そして実際のほのかさんに会うことで何か感じて頂けたらと思います。 

自称ほのかさんの叔母(笑)雲下 加奈

子どもたちにクリスマスプレゼントを

第42回ルーテル学院大学学園祭(愛祭)

11月5日(土曜日)・6日(日曜日)の両日、3年ぶりに愛祭が開催されました。在学生の多くが、学園祭を経験していない中で、試行錯誤しながら準備を進めていました。たいへんであったと聞きました。しかし、両日とも天気が良く、多くの在学生、卒業生、そして子どもを連れた近隣の方々が、学園祭に来られていました。感謝しています。

私も本年度で定年を迎え、今回が在職中の最後の学園祭となります。今まで、卒業生の方々がよく来られていたので、お会いすることを楽しみに、学園祭に参加していました。そうしましたら、学年を超えて、たくさんの卒業生が来て下さり、久しぶりに笑顔で挨拶を交わし、懐かしい学生時代を一緒に振り返ることができました。ある人から卒業生の年齢の巾はと聞かれましたが、本年で在職39年目を迎えることを考えますと、少なくとも、35年の幅があることになります。

卒業生は、それぞれの思いをもって、大学に戻ってきて下さいます。私が本年で定年を迎えることを知っていて、会いに来て下さった方々もおられるし、自分の仕事での戸惑いを感じながら、相談する方々、ご家族を連れて近況を報告してくれる方々等々、一人ひとりにお会いして、私は大きな宝物をもらった気持になりました。

社会で、貧困、孤立等の深刻な問題が広がり、コロナ禍で相互の関係がズタズタにされた今だから、また日本国内だけでなく、世界中で、戦い、自然災害が起こり、皆が不安の中にある今、私は、「大切なもの」「大切なこと」を守っていきたいと思っています。私にとって、ルーテル学院大学・大学院、神学校のネットワークは、もっとも「大切にしたい絆」です。卒業生同士の絆、教職員と卒業生の絆、ルーテル学院の土壌に広がるネットワークは、これからも強められていくと思っています。何故なら、現にコロナ禍にあって、厳しい環境に置かれながら、卒業生は、社会福祉現場、医療現場、教育現場、民間企業、地域、家庭で、それぞれが歩み、働き、また神様から与えられた自分の人生を生き抜いています。それぞれの存在が輝いているのです。だから、出会った一人ひとりから、生きていく勇気を与えられるのです。

ただ、私は39年をふりかえり、ルーテル学院で学生生活を送った皆さんに、何ができたか甚だ不安です。もっと良い教育やアドバイスができたのではないかと反省し、要望に十分答えられないことが多々あったことお詫びしたいという気持が大きい。しかし、今回、多くの卒業生が会いに来て下さり、同時に励ましを頂きました。また来られない卒業生からも、仕事で来られないという返事、健康を心配するメールがたくさん届き、私はただ感謝するのみです。神様がお許しになる限り、非力な私ですが、卒業生の方々と一緒に希望ある未来に向かって歩いていきたいと思っています。

学園祭に来られた方にはお渡ししたクッキーです。多くの方々に届けたいです。

第42回愛祭(めぐみさい)開催される

愛祭実行委員会からのご連絡です。

3年ぶりに開催される、ルーテル学院大学の学園祭、第42回【愛祭(めぐみさい)】は、来週末11月5日(土)・11月6日(日)の10:00~16:00に構内で開催されます。

伝統ある本学の聖歌隊による素敵な歌声の「聖歌隊コンサート」や、大人気ゲーム機本体・ソフトが当たる豪華な「ビンゴ大会」、無料で楽しいゲームができる「えんにち」など、楽しい企画が盛りだくさんです。キッチンカーでおいしいご飯やスイーツも提供します。

愛祭情報は大学HPに情報を更新して掲載されています。ご家族の方・ご友人等への共有は下記HPをご利用ください。

https://www.luther.ac.jp/campuslife/nenkan/mgumi.html

よろしくお願いします。

愛祭実行委員会

この間、私は大学にいる予定です。もし来られたら、ご連絡下さい。

「私にとって大切なもの」

2022年10月2日(日曜日)、日本福音ルーテル教会に聖日礼拝で、メッセージをさせて頂きました。市ヶ谷教会は、恩人である故石原寛先生を送り出し、また長く神学校、大学・大学院をお支え下さった教会です。今回が大学の教員として最後の講壇奉仕であり、改めて心より感謝いたします。

1.メッセージをさせて頂くことの感謝=ルーテル学院大学39年間の感謝

 今日、市ヶ谷教会におきまして、礼拝のメッセージを述べさせて頂きますこと、心より感謝いたします。私は本年度で定年を迎えますが、私が学長であった14年間も含め39年間、私とともに、日本ルーテル神学校、ルーテル学院大学・大学院をお支え下さいました。今日は、感謝をもって、「私にとって大切なもの」というテーマで、お話しさせて頂きます

2.コロナ禍における問題

コロナ禍にあって、2つの危機が顕在化しました。ひとつは、関係性の危機です。その代表的な状態がひきこもりです。内閣府は2019年3月29日、自宅に半年以上閉じこもっている「ひきこもり」の40~64歳が、全国で推計61万3千人いるとの調査結果を発表しました。7割以上が男性で、ひきこもりの期間は7年以上が半数を占めています。内閣府では15~39歳も合わせた引きこもりの総数は100万人を超えるとみています。さらに2020年3月より続くコロナ感染症の拡大によって、特に高齢者・障がい者の孤立化が顕著となり、感染を恐れて外出や関わりを控えた結果、ひきこり状態にある虚弱な高齢者、認知症の高齢者が増加したのではないかと危惧されています。

もう一つは経済的危機です生活保護受給者の数は、2021年1月現在被保護実人員は2,049,630人、被保護世帯は1,638,184世帯に達し、コロナにより仕事を失った方々も増え、生活保護の申請が増加しています。また、非正規雇用、失業のなかで生活に困窮する現役世代が増え、結果として子どもに及ぶ貧困の悪循環をどのように断ち切るかが課題になっています。 

今は、私たちが経験したことのない深刻な生活問題が顕在化していると同時に、今まで何とか生活を維持してきた脆弱な生活基盤のもとに暮らしていた人がコロナの影響で基盤を失っています。そして、多くの危機は、顕在化している以上に、社会の中で深く潜行し、進行しているのです。

3.老いても希望を失わず、生きていく姿は、神様の愛そのもの。だから、生きていく姿を多くの人に伝えたい。

私は、特に、混迷する社会において彷徨い、自分の居場所がなく、追い詰められている若者が増えている現状を心配しています。今の生活に絶望することなく、明日を一緒に歩んでいくために、若者に、大切なもの、すなわち希望をもって生きていくことができるよう、すなわち神様の愛を伝えたいと思っています。

確かに予想していないことに直面し、戸惑い、立ち止まってしまう時があります。私の14年の学長としての時期をふりかえり、いくつもの困難があったことを思い出します。学長としての最初の困難は、前任者の恩師である清重先生の後継になりえるのか。自信も確信もありませんでした。それも教会が建てた大学の運営を、牧師でない一信徒である自分が担えるのか、戸惑いと孤独感が重く私の肩にのしかかりました。周りの方も随分心配なさったと思います。その葛藤の中で、私が覚悟したことは、講壇奉仕だけでなく、講演や仕事で近くまで行った時に、日本福音ルーテル教会、日本ルーテル教団の教会を訪問することでした。今数えてみると、訪問していない教会は、全国の119教会中、10以下になっていました。私は教会を訪問し、牧師や信徒の方々にお会いし、それぞれの思いを知ることができましたし、自己紹介もできました。教会訪問によって、学長として立ち位置を学ぶことができたことは、私にとって貴重な経験でした。なお、2002年4月に学長になって以降、当時の理事長で、市ヶ谷教会の教会員であった故石原寛先生は、いつも私の思いを受け止め、いつも応援して下さいました。私の恩人です。

しかし、本当に辛い時もありました。その一つは、病気、交通事故、自死で学生が亡くなるという現実に直面した時です。ご家族の嘆き、学生や教職員の動揺、関係者の不安等々、大学は急に混乱ただ中に置かれました。今までの笑顔が一瞬で消え、悲しみが大学全体を覆います。当然、学長としての判断が問われました。まさに浅野順一牧師が書かれたヨブ記の世界。浅野順一氏は、ヨブ記について書かれた書物 (『ヨブ記』岩波新書1968年、p.23~27)で、 こう言われました。「生活や心の中に穴が開いており、そこから冷たい隙間風が吹き込んで来る。そして、その穴から何が見えるか。穴の開いていない時には見えないものがその穴を通して見える。貧しきこと、悲しむこと、義のために迫害されることはそのままでは幸福に結びつかない。それは穴を埋めるだけでなく、 むしろ穴を通して何かを見る、そのことによって不幸が幸福に変えられるのであって、ここに宗教のもつ逆説が成立する」と。

私は、事態の連鎖が怖く、事実を曖昧にしたいと思うこともありました。言葉にならない悲しみを経験し、葛藤のただ中にあった私たちは、神様から祝福された与えられた命をきちんと受け止めることが、第一にすべきことだと確信し、悲しい事実に真向かおうと決意しました。神学関係の授業を教え、牧師である教員の存在はとても大きかったことを思い出します。その決意以降、私たちの視界が広がり、覆っていた霧が晴れていきました。貴重な青春時代に大学で学んでいる学生、一緒に歩んで下さる教職員、支えてくださっている教会員やたくさんの方々の存在を再確認できました。そして、苦しみのただ中にある私たちに差し出された神様の救いのみ手が見えたと思いました。そもそもルーテル学院には、中心的場所として礼拝堂がある。ならば、学内に祈りの場を設け、皆でその学生を追悼する礼拝を行い、神様に勇気づけられて、皆で事実を受け止めることを目指しました。皆で亡くなった学生への感謝と哀悼の意を表し、互いの思いを大切に、一歩づつ、明日に向かって歩みだすことができたのでした。

4.「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」

聖句に戻ります。

「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 わたしたちの一時の軽い艱難は、比べもにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです。」(コリント人への手紙第2)

パウロは、キリスト教に改宗し、伝道者となります。それは今までの名誉と地位、生活を捨て、迫害される立場になることを意味します。パウロは20数年、各地をまわり、追われ、最後には捕まり、処刑されます。コリント人への第二の手紙は、パウロがコリント人への第一の手紙を書いたすぐ後,彼の教えに反する暴動がエペソで起こり(使徒19:23-41参照),パウロはマケドニヤへと逃れ、その地で書かれたものだとされています。

そのような状態にあって、パウロは「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」と語るのです。

5.老いを生きる

私には、老いの生活が待っています。加齢によって、これからもますます身体の機能は低下します。愛する家族や親しかった友人を失う悲しみは増えるばかり。しかも仕事は定年を迎え、自分にふさわしい新たな役割を探さなければならない。なのに、明日への希望を持つことができるだろうか不安です。頭を抱えて、明日への歩みを止めてしまっています。しかし、感動する心と希望をもって、明日に向かって今を生きておられる先輩の方々の生き方に、私は感動を覚えます。そして、その生きる姿は、神様の愛そのものだと思っています。コロナ禍にある生活は困難が伴います。生きていくことは大変です。だからこそ、「老いの坂をのぼりゆき、かしらの雪つもるとも、かわらぬわが愛におり、やすけくあれ、わが民よ」(日本基督教団讃美歌第一編284番)と讃美歌にあるように、山の頂に向かって歩み続ける方々の生きる姿に私は勇気づけられます。繰り返しになりますが、「生きること」が神様の愛であると思うのです。

確かに、楽しかった時に戻ることはできません。また、誰にも将来を見通すことはできません。過去の後悔に押しつぶされそうになります。しかし、神様の愛のまなざしを心にとめ、日々祈りつつ今を生きることによって、過去の事実は変わらなくとも、過去の意味が変わっていく感動を、神様はたえず私たちに与えてくださっているのではないでしょうか。

6.これからの自分自身が目指す生き方

私には、まだまだ仕事があります。今は、まだ現役として働いています。年齢を重ね、それができなくなっても、大切な仕事があります。それは最後の時、支えてくれた家族や人びとに感謝するという仕事が残されます。それは人生最後でもっともすばらしい証し。感謝する自分の命が光る。家族や友人、専門職等の見看る人びとの思いがその人の命を通して光る。その人を支えてきた神様の愛が、その人の人生を通して光り続ける。神様の愛は、とどまることなく最後まで私たちに注がれています。私は、人生に停年はないと言いたい。

私は、こんなにケアを必要とする状態になっても生きているのはエゴだという意見を聞くことがあります。「生きる」メッセージを見逃しているのではないかと思います。このような人生に生きている方々の姿を、私は多くの若者に伝えたいのです。人生の最後まで生きる姿は、世代を超えた共通言語です。解説する必要はありません。

これまでのお話しでおわかりになって頂けたら幸いです。「私にとって大切なもの」とは、生きることであり、それ自体が神様の愛です。神様が、日々の生活を通して、一人ひとりの命を祝福して下さっている。だから生きること自体が神様の愛なのです。老いを自分自身のことと考え、コロナ禍にあって、様々な困難に直面することによって、私は、少しづつ、見えなかった神様の愛に気がつくようになってきました。聖書には、「見えないものは永遠に存在するからです」と書かれていますが、見えないものとは、神様の愛ではないでしょうか。

ちなみに、私たちの卒業生は、この神様の愛に応えるべく、日々働いているのです。

2022年度 オンライン一日神学校 -心と福祉と魂と-

シンポジウム「ルーテルのミッション ~心と福祉と魂と」

司会:石居 基夫学長

シンポジスト:市川 一宏教授、ジェームス・サック教授、金子 和夫教授

  • 市川一宏 (社会福祉学科立ち上げ)

  キリスト教社会福祉コースから社会福祉学科へ  87年前後から

  この福祉教育の展開の中でルーテルは何をミッションとしてきたのか 

  • ジェームズ・サック(PGC所長)

キリスト教カウンセリングコース(1992)から 臨床心理学科(2005)

PGCの実績が何をルーテルに与えてきたのか

  • 金子和夫 (初代の人間福祉心理学科長)

3学科体制(2005)から1学科5コース体制へ(2014年)

  人間福祉心理学科となってルーテルの教育の変化と継承

以下のyoutubeでご覧頂けます。40分過ぎよりシンポジウムが始まります。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

こんにちは。2006年3月に大学院博士前期課程を卒業した佐甲です。

先日の「希望の会」では、社協などで地域福祉に携わる方々ルーテル学院の同窓の民様とと、オンラインという限られたなかではありますが、久しぶりにお顔を拝見できたり、お話ができたりして、大変うれしく思いました。また、奥田さんのお話も長きにわたるホームレスの方々への個別支援からはじまった実践が、今や、地域でのつながりづくりを中心に据えたすばらしい地域福祉実践となり、また制度や仕組みに対峙していくお話はたいへん感銘を受けました。

さて、私ごとですが、厚生労働省への出向も含めて37年間勤務した全国社会福祉協議会を本年3月に退職し、4月から岐阜県の中部学院大学で教員として新たなスタートを切ることとなりました。

全社協の勤務のうち20年余りは地域福祉関係の仕事に携わりました。社会福祉の制度や福祉サービスが、どんどん地域生活のなかで身近な存在となり、あるときは支えられ、あるときは支える、当事者も含めた誰もが関わり、参加・協働の実践として地域福祉が広がっていくことを実感する一方で、今回のコロナ禍を含めて阪神淡路大震災、東日本大震災をはじめ度重なる自然災害やパンデミック、困窮者問題や社会的孤立、制度の狭間などいわゆる地域生活課題が拡大し、地域福祉により一層施策に裏付けられた目に見える実態の伴った実践が求められている時代になったとも感じています。

この間、最先端の取り組みを実践する社協職員や実践者の方々と一緒に仕事ができたこと、ルーテル学院大学でも新しい仲間とも出会い、特に市川先生、そして和田先生には全社協時代には上司として、大学院では奇遇にも教員という形で、厳しくも楽しくご指導をいただいたことは私の財産であり、一人ひとりの皆さまに心より感謝しています。

全社協での最後の2年間の新型コロナ感染拡大に伴う生活福祉資金の特例貸付の担当部長としての仕事は、全国の社協の方々にも大変厳しいものとなりましたが、わが国の困窮者、フリーランス、非正規雇用者、母子家庭・・・地域生活課題の広がり、深刻化していることを思い知らされ、顕在化されたそれらの課題に、社協がそして地域福祉がどのように立ち向かっていくのかという改めて大きな課題を突き付けられています。

全社協という仕事は、地域の実践があるわけではないので、そこから離れると自分の無力さも感じています。しかし、新たな仕事をいただいたことを機会にして、今、地域福祉に突きつけられている課題に対して、できうれば社協職員や民生委員・児童委員の方々とともに、少しでも新たな地域福祉の姿を拓いていきたいと感じています。そして、地域を基盤とするソーシャルワークということを、どのようにこれからの福祉の道を志す学生に伝えていくか、岐阜の地域福祉への貢献ということを考えていきたいと思っています。

最後に、今はまだ岐阜の新参ものですが、こちらにお越しの際は、お気軽にお声かけください。

佐甲学 中部学院大学

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

みなさん、こんにちは。市川先生にお声掛けいただきメッセージを書かせていただくことになりました。2000年3月卒業の三田響子です

私は、小規模で異動のない仕事がいいな、と人口2万3千人の城山町社協(神奈川県)に就職し、7年後に平成の大合併で相模原市に吸収され、気づけば7か所ある事務所のうちあと2か所でコンプリートな異動要員となっています。そして相模原市社協でのキャリアは古巣の城山町社協の年数をとっくに追い越してしまいました。

令和3年4月から、相模湖地区を担当しています(合併後7か所目の異動(笑))。令和4年4月現在の人口は7400人、高齢化率41%。1年で200人ずつ人口が減っている地域です。事務所からは風光明媚な相模湖の景色が一望でき、毎日「ワーケーションか!」とつぶやかずにはいられない。クリスマスシーズンは相模湖プレジャーフォレストのイルミネーションを目当てに、普段からは考えられない大量の人がひしめき合って駅からのバスに乗っていきます。電車は30分に1本。バスは1時間に1本あるかないか、タクシーは1台(乗務員は80歳代)。自分で運転ができなくなれば、生活費もおろしに行けなくなります。金融機関も統廃合でどんどん数が減っており、スーパーは1軒。ドラッグストアはありません。コンビニはなんとか3軒。お弁当の配達、ネットスーパーも区域によっては来てくれません。個人病院はいくつかありますが、最寄りの大きな病院まではバスを乗り継がないと行けません。友人のご両親が免許を返納するための相談に来られましたが、返納のおすすめは心苦しく、できませんでした。今までの生活の継続が本当に難しくなるのではないかと心配で・・・。

ここは本当に政令指定都市なのかな?と思う地域。

このままここで年を取りたい、住み慣れた我が家で暮らしたいと願う人は多いと思いますが、果たして、出来るのだろうか・・・・・・・・・本当に希望はあるのか、疑心暗鬼に陥ることもあります。

足の問題が解決しないと、住民活動の維持も難しい。でもこの課題は民間組織の地区社協での解決は難しいと思っています。

心配事ばかり並べましたが、地域の方の活動はコツコツと素晴らしいものであることも事実です。ご近所の気になる方の部屋の片づけや草刈り等。「もういい加減にしてくれよ」と言いつつ、お願いすると「しかたないなあ」と引き受けてくださるボランティアの皆さん。ここ1年でご本人が自ら自分の状態を改善しようと頑張り、介護保険を利用できるようになって「最近元気になってきたよ」と報告があった時には、本当に人は、人とのかかわりで変われるのだなと感動。

地域で活動される方も皆さん前向きで、こちらが過剰なことをお願いしているのでは?と心配もあるのですが、「ボランティア活動している間は自分の家のことなんかすっかり忘れて、ストレス解消になるわ!」と言ってくださる方もいて、またまた感動。小地域の担当に戻り、自分の原点である「地域を信じて任せること」の実践ができ、「これだから、社協職員やめられない」と思える瞬間に立ち会えることはこの混沌とした社協業務に従事する中での私の希望の光かなと思います。(だからずーっと現場に居たい!)

ルーテルで過ごした学生時代に、自らが大切にされた経験があるからこそ、「一人一人を大切にする」精神が今でも自分の中に根付いているのかもしれません。目の前の人と自分自身を大切にする人生を楽しく歩んでいきたいと思います。

相模原市社会福祉協議会 三田響子

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

皆さん、こんにちは。04年から06年まで、ルーテル学院大学大学院の博士前期課程でお世話になった藤田孝典と申します。

主査である市川一宏先生だけでなく、各福祉領域のスペシャリストであった先生方に研究や学術の基礎を厳しくも温かくご教授いただきました。

当時の私はいわゆるホームレス状態にある方にかかわり、大学卒業後、社会福祉士として、福祉事務所で生活保護担当をしながら、夜間と休日に大学院で指導を受けていました。

働きながら大学院を志望した理由は、生活困窮者に対する支援方法を確立するためでもありました。

当時、ホームレスを含む働ける年齢層に対する福祉事務所の支援は、就労支援、経済的自立に偏り、アルコール依存症やギャンブル依存症、知的障害や精神障害など多様なニーズを抱える方への対応は不十分でした。

そんな福祉事務所内におけるケアや支援に限界を感じ、NPO法人の設立あるいは独立を構想していた際、市川先生や大学院の仲間たちの後押しを受けました。

大学院では、私たち支援者側の枠、基準に当てはめるのではなく、当事者主体で支援関係を構築すること、社会資源がなければ自ら創造すること、実践を言語化して社会発信し続けること、支援介入の際には実証・論拠を大事にする「evidence-based practice: EBP」などを教わりました。

そのような経緯もあり、現在はさいたま市見沼区にあるNPO法人ほっとプラスという生活困窮者支援をする団体のほか、貧困問題を縮減するための反貧困ネットワーク埼玉の組織化、団体運営などをしています。

また、市川先生たちの教え、市川イズムを次世代へ繋ぐため、埼玉県内の複数の大学で社会福祉士養成に取り組んでいます。

さらに2015年から施行された生活困窮者自立支援法の策定にも委員として関わらせてもらいました。課題がありつつも、それによって全国の市区町村に、様々なニーズを抱える困窮者向けの自立相談支援機関が立ち上げられています。大学院での研究、議論、蓄積が具体的な政策立案場面で実用されたことは嬉しかったです。

しかしながら、様々な政策立案にもかかわらず、新型コロナ禍は猛威を奮っています。生活困窮世帯が増加し、相談件数も増え続けています。支援や給付メニューの不足も顕著であるため、政策変更を求めて、与野党国会議員、厚生労働省などへ働きかける毎日が続いています。

政策変更を促すだけでなく、民間企業によるSDGs推進のため、ホテル経営大手企業と共同し、困窮世帯向けのシェルター設置に取り組んでいます。上場企業が困窮者支援に力を貸してくれるのは画期的であり、大変ありがたいことです。

そして、福祉拡充の理解を得るため、相談支援現場の実態、想いを出版物などにしながら社会発信してきました。ネーミングにお叱りを受けたこともありましたが、高齢者の貧困状態を告発する「下流老人」は2015年に流行語としてノミネートされ、様々な政策論争を巻き起こすことができました。市川先生の教え通り、毎年一冊を目標に執筆活動も続けています。

まだまだ不十分でありますが、ソーシャルワーカーとして、当事者に向き合うミクロレベルの相談支援だけでなく、地域や企業、組織を変えるメゾレベルの実践、制度政策や世論に働きかけるマクロレベルのソーシャルアクションなど、幅広い実践を仲間たちとおこなっています。

今後もソーシャルワークの面白さ、醍醐味を後輩に伝えていけるように、皆さんと頑張っていきます。引き続きご意見、ご指導、叱咤激励いただきますようお願いいたします。

藤田孝典