思い出記

思い出記2003年度(旅日記)-6

松江城

松江城は、宍道湖をのぞむ亀田山にあり、天守閣と石垣のみが残る城である。5層6階で、高さが約30メートル。景色が良いだけでなく、とても涼しい。私の好きな城の一つである。

松江城
城から見る宍戸湖

松江城堀川めぐり

 飛行機の時間まで約5時間。2度目の松江城に登る前に、お薦めの観光スポットを教えていただいた。松江城堀川めぐりである。宍道湖に伝わる川もあるが、これはあくまで松江城を囲む堀川を、船が約45分かけてまわる。お堀であるので、松江城が見えるスポットは限られている。しかしいたるところに橋があり、また横を走る道には、武家屋敷、小泉八雲の旧居等の名所が見える。なかでも私が気にいったのは、橋の数々。橋の下くぐりの旅でもある。数カ所では、船の屋根が低くなり、乗客も頭を低くする。また船が橋桁を擦りながら進む所もある。その橋の上には、車が走り、人が歩く。松江の文化を下から見るようで、とても楽しい。観光客シーズンには、15分ごとに船が出る。水の涼しさと、堀の高さ、橋の美しさ等を楽しむことができる。

下から見る雲と、上から見る雲は違う。下から見るより近いからかもしれないがさまざまな雲に出会う。出雲から東京に向かう飛行機から見えた雲のじゅうたん? のような雲を横切って着陸するには、大きな揺れを覚悟しなければならないのだが、離れて見ると、なかなか居心地の良いじゅうたんである。7月中旬。

雲の上の夕焼け

大分は晴天であったが、関東は大雨が降っているという情報が届いた。このような天候は、飛行機がとても揺れる。覚悟を決めて飛行機の乗る。
 外を見ていると、雲が地上を覆っている。確かに、雲の下は雨だろう。雨雲を横切る時は、パイロットを信頼し、覚悟する。
 「しばらくしたら、降下を始める」とのアナウンスがあった頃だっただろう。横に夕日が輝いていた。思わずカメラを取り出し写したが、雲がなければみられない風景。これも自然がつくり出すメッセージである。

宮崎の自然

思い出記2003年度(旅日記)-5

函館から津軽海峡を越えて見える津軽

函館の地に始めて来て、驚いたことの一つは、晴れている時には津軽海峡を通して、津軽が見えること。北海道の住民から、時々本州を「本土」と聞く。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」という歌は、多くの思い出を「本土」に置いて、新たな旅に出る歌だった気がする。
 津軽海峡は、人生において越えなけれならない海峡だとするならば、私は冬の荒波の海峡ではなく、晴れた見晴しの良い時に渡りたい。このような天気の時に。

朝市はあくまで一部-函館の街並み

宍道湖の夕焼け

日没と、夕日と、夕焼けがどれほど違うものか、今まで気がつかなかった。東京の空には、日没はあっても夕焼けはない。青空を濁らす雲はあっても、青空の中に湧きいでる入道雲もない。あるのは、その時を刻む日没と、生活の始まる日の出である。
 昨日まで、強い雨であった松江で、夕焼けが見えるかどうかは不安であった。私にとって、松江が生活をする場でないため、もし有名な夕焼けを見る機会を逸したなら、もしかしたら数年間待たなければならないかもしれない。
 そんな不安を背負って、研修が終わった夕方、宍道湖の県立美術館に来て、岸を歩いた。県立美術館は、冬を除いて、日が沈んだ30分後に閉館するという、内部のすぐれた作品の他に、自然の美しさも作品に取り入れようとする、意欲的な美術館である。
 夕焼けは、7時前から始まり、7時30分になった終わる。空がほんのり赤くなり、そして太陽がその輝きを誇るのが7時まで。その後は、雲と空を焦がして、夕焼けが始まる。この美しさは、見たものしか分からない。雲が焼け、空が焼け、見ている者の心が焼ける。まわりの空は、ある所が赤く、そして水色の海に光が写し出されるように、整然と夕焼けを見つめる。

日が沈んだ後でも、赤い残光が残り、次第に暗闇が宍道湖を支配すると、対岸の温泉街の光が写し出される。

夕焼けとは、太陽の熱い光とともに、雲が焼け、空が焼け、見ている者の心が焼けること。そして春と秋は湖の中に日が沈むとのことであるが、山に沈む夕焼けの美しさで、十分すぎる程満足である。宍道湖の夕焼けは、決して私たちを不満にさせない。天候が許せば。

県立美術館内にあるレストラン

は、ほんとうに眺めも良く、お茶やビールをのみながら、また食事をしながら、宍道湖の美しさ、夕焼け、対岸の夜景を見ることができる。
 そして料理もおいしく、値段も手頃で、またサービスも良い。通常は美術館終了後9時頃まで食事がとれるようだが、夕焼け後、お客さんがいないと、店を閉めるとのこと。なかなか落ち着いた良いレストランである。

思い出記2003年度(旅日記)-4

伝統を守る津和野

 津和野を訪問する機会をいただいた。まず、山を下る車道から、赤い鳥居が見え、そしてはるか先の山の頂きにある津和野神社には、幾重にも鳥居が並んでいた。荘厳な雰囲気がただよう街を予感した。
 確かに建物は古く、よく整備されていた。そして伝統的な日本菓子や紙細工は、良き時代を写し出す。また鷺舞いの銅像は、川のそばにあり、まさに水に親しむ踊りを表している。

 車をとめ、石畳を歩いていくと、古い建物の役場があった。建築上、クーラーを使えないそうであるが、暑さを紛らわすようにまき水をして、そして風流を醸し出している京都の面影がある。いや、その姿は、西の都とでも言うべきか。

津和野町役場

 酒造りの店、味噌造りの店、和菓子屋等々、なかなか風情がある。そして気がついたことは、鷺舞いの銅像の方から歩いた方が絶対に風情があると言うこと。そのまま役場、教会を横に過ぎて歩く方が、鉄筋のビルも目立たず、私は好きな通りである。

 たまたま、津和野駅を通った時に、蒸気機関車を見た。山口まで行くそうである。木々に囲まれた山を登っていく蒸気機関車を、人々は煙を追いながら見ているそうだ。私も実際に見て、逆境に立ち向かうその姿を連想し、明日から歩もうとする心を強められた。
 ゆっくり時間をかけて、時にはお茶をたしなみながら過ごすには、もってこいの特徴のある街である。

乙女坂

津和野には、乙女坂と言う有名な場所がある。明治維新に長崎で多くの隠れキリシタンが発見され、その中から、何十人ものキリシタンが津和野に連れて来られたそうである。津和野はそもそも優秀な神道の学者が生まれたところ。そして歴史もある。キリシタンから離れるかどうかのきつい取り調べと、厳しい決断を迫られたとのこと。そして、転ばなかった者を受刑者として厳しい罰に処した。あるキリシタンが、狭いおりに入れられ、身動きできない状態に置かれたが、彼の言った言葉は、「私はまったく辛くない。なぜなら、マリア様がいつも来て下さるから」。それが乙女坂の由来だと言う。

 乙女坂を登って行きながら、その路に生えているコケを見た。私自身が足をけがしていたので、何とか登れはしたが、正直無事に降りられるか不安だった。お連れくださった小山さんが、「大丈夫ですよ。路は小石が出ており、滑りにくくなっていますから」と言って下さったが、不安だった。そして今にして思う。私の不安は、これだけの強い信仰を私自身が持ち合わせているか。
 日本も、西欧も、宗教に対しては虐殺の歴史を背負っている。今、私自身が、日本に住むものとして忘れていけないことの一つは、虐殺の歴史である。

 津和野にはカトリック教会がある。神道の強い地域において、その十字架が輝いてい た。そこには、津和野のふところの広さと、歴史の重さがある。また来よう。

それぞれの雲

 飛行機は、退屈だと言う人が少なくない。ただ、時間が短縮されるので、退屈な時間に耐えられるそうだ。しかし、私は、自分で仕事をしながら、また本を見ながら、時々外を見て、驚くことがたびたびある。雲一つとっても、様々な姿が写し出されるからである。
 一つは、東京から宮崎までの空路で見た、湧き水のような雲、もう一つは、那覇空港から関空に向かう飛行機から見たあられのような雲。自分としては、それぞれにおもしろい。

(2003年7月初旬)

宮崎空港

宮崎空港では、いつも工夫をこらした催しをしている。そしてそれが、とても印象的である。今回は、陶器である。前回名刺をもらって、訪ねたところもあり、何人かの作者の顔が浮かんだ。宮崎空港は?の空港に比べて、はっきりと公共の場と言う意識を持っている。そもそも公共の場を英語に直すと「パブリック」。そして元をたどれば、皆が集う「パブ」である。御覧あれ。

沖縄の熱さと美しさ

 人材研修センター・福祉人材センターの全国研修会が沖縄で行われた。早朝家を出て、9時発の飛行機にのり、11時30分に沖縄に着いた。そして、まずその暑さに圧倒される。確か私が初めて沖縄に来させていただいたのは、10年程前の12月。福祉大会があり、約2~3000人の方々を前に話させていただいた。その時は、東京が寒かったので、コートとジャケット、それにチョッキも着ていた。私は思わず、コートとチョッキを鞄に隠したことを思い出す。ほとんどの人が、まだ半そでのシャツを着ていた。
 今回で何度目になるだろうか。でも覚悟はしていたが、その思いをはるかに超える熱さ。そして何より、日射しが肌をさす。県民の方は、昼間は日陰で静かにしているとのこと。炎天下に海辺で過ごす「本土の人は、変わり者」という声が聞こえそうである。
 あいにく、きれいな海を見に行く時間はなかった。しかし、飛行機から見る海の水の色は、十分その美しさを堪能させてくれる。いつか、気温が落ち着いたら、海を眺めて過ごしたい。息子たちは、もう一緒に行く気持ちをこれっぽっちも持っていないから、誰を付いて来てくれるかわかならいけど、水遊びをさせてやりたいと思った。
2003年7月

思い出記2003年度(旅日記)-3

倉吉市の「白壁土蔵群」

 鳥取県市町村社会福祉協議会の講演で、倉吉市に招かれた。鳥取空港から車で約1時間ぐらいのところに倉吉市がある。講演が終わり、飛行機まで数時間あったので、時間をいただき、タクシーを頼んで街並を探索する。全体的に落ち着いた雰囲気の市であるが、特に「白壁土蔵群」は伝統文化の継承を念頭に、古くからの建物をそのままにしたような雰囲気がただよう。

 またトイレの美しさは、市のテーマであると、私がもっていた旅行案内には出ていたが、タクシーの運転手も首をかしげた。

 それでもタクシーを予約して20~30分の市内名所見学は、3000円ぐらいの出費になったが、川の広さと橋の美しさ、自然に囲まれた情緒ある街並と、思い出として残った時間であった。
2003年6月

踊りは文化である

徳島の阿波踊りに匹敵する高知の祭りはよさこい踊りであろう。
 地域福祉学会の全国大会が開催され、高知県民のおもてなしとして、よさこい踊りをたびたび見せていただいた。伝統的なものから現代風のものまで、そして高齢者から幼児まで、すばらしいリズムで踊る。踊る習慣が染み付いた県民性なのかもしれない。踊りは文化である。

2003年6月

六日市町の温泉

2つの講演が終わり、温泉に連れていっていただいた。とても広いので、建物の由来をお聞きしたら、駅として準備していたが、廃線になったので、再度手を入れて町民向けの温泉にしたとのこと。入浴料は300円だったと思う。でも、全体的に赤字とのこと。私は思う。適正な経営がなされ、かつ町民の福利厚生となったいるところが、赤字だとしたら廃止すべきか。そのマイナスの影響の方が大きいのではないだろうか。
 土曜日にとても多くの家族連れが来ており、笑い声が絶えないこの場所こそ、まさにパブリック。公共の場である。

六日市の夕焼け

六日市は、有名なホタルの場所でもある。夜8時頃、川に行くと、ホタルが舞っていた。そしてその数が頂点に達した時、ホタルの川のようになり、ホタルの光で周りが明るくなるそうだ。残念ながら、今回はそこまでのホタルは現れなかった。しかし、何十年も前に東京にある小石川で、ホタルを見た覚えがあるが、それよりも、範囲が広く、そして優雅であった。残念ながら、何枚も撮った写真に写っているホタルは2匹だけ。ホタルが住めるこの自然の宝庫に、また来たいと思った。

益田海岸

萩・石見空港から東京に帰る予定であった。空港に向かう車の中で、「是非美しい海を見ていただきたい」という御配慮をいただき、益田市の日本海に面した海岸を御案内いただく。そして、私の期待は驚きに変わる。私の海岸とは、多くが大平洋に面した海岸である。そして交通の便は良いが、残念ながら海の水はきれいとは言えず、かつ人の人数に圧倒され、駐車場の確保に奔走し、宿泊するホテルの値段の高さにため息がもれる。しかし、これが当たり前の生活である。唯一、子どもの笑顔が救いであり、そのために高い出費を覚悟する。
 この海岸を見て、どうしたら、都市部の人も、ゆっくりと自然を堪能できるのか考えてしまう。それだけの価値のある海。そして泳げる海岸である。日本全体の生活の質に関わる構造改革を考えられるならば、これは列島創造論である。

萩・石見空港

 羽田空港から広島空港経由で島根県六日市に入り、そして翌日の夕方、萩・石見空港から羽田空港に飛び立つ予定であった。萩・石見空港は、羽田→石見→伊丹空港→石見→羽田という便があるのみとのこと。でも、整然と空港の周りは整備され、憩いの場としても優れている。空港ができた経緯は知らない。しかし、これは、大きな可能性を秘めた社会資源に思えた。それを活用できるアイデアと人が生まれるかが、左右するだろう。来て本当に良かった。神秘的な風景が記憶の中にいつまでも残るであろう。

思い出記2003年度(旅日記)-2

小泉八雲の家

 熊本市内でラーメン店を探していると、小泉八雲が生活していた家にたどり着いた。ビルに囲まれた公園にある。静寂さと、背中にそっと吹きつけるような冷たい風を感じた。

車窓から

 日没は、明日への希望である。三重県の経営セミナーで話させていただき、帰りの新幹線から見えた夕日は、社会福祉施設の将来とともに、いやそれ以上に、利用者の生活が向上し、利用者一人ひとりの喜びにつながるならば、私にとってもっとも大きな役割を担えたことになる。この夕日は、ねぎらいか、もしくは厳しい励ましか、今は分からない。ただ、私に分かっていることは、明日も歩み続けること。

雲のネッカチーフ

 高知に向かう飛行機から、富士山を見ると、その頂きに雲がかかっていた。富士山は、その時々に、姿を変える。青い空に囲まれた晴天の富士山。厚い雲に包まれた恥じらいの富士山。そして夕日に照らされた赤光の富士山。それぞれに美しい。梅雨入りも近づく6月の晴天の今日、富士山は、雲のネッカチーフをつけていた。

「日本三大がっかり」

 高知に立ち寄った旅人なので、高知ではなにが一般的なのか、生活文化なのかわからない。ただ気がついたことは、「はりまや橋」は、どの地図にも載っている、中心的場所であること。そして乗ったタクシーの運転手のほとんどが、「はりやま橋」の話をすると、「日本三大がっかり」の一つだと付け加える。第1は「はりまや橋」、第2は「札幌の時計台」、第3は「沖縄の○○」だそうだ。私が直接行った場所ではなかったので、沖縄の名前は思い出さない。確かに、20年近く前に高知に来て、「はりまや橋」を見に行った時には、その存在を通り過ぎて知った。でも、今は人工的でも川が流れ、なかなかの風情。そしてその近くに、たくさんのおいしい店がある。その中心が「はりまや橋」である。そして、「はりまや橋」を渡って走ってきた路面電車だと思うが、その電車の行き先の掲示を見て驚いた。その行き先は、「ごめん」。

高知空港の夕日

 日本地域福祉学会全国大会が高知で行われた。理事会や特別部会での報告の責任を終え、帰りの飛行機に乗る時、夕日が目についた。とても穏やかな夕日、高知女子大学の先生方の大奮闘と学生の礼儀正しさ、もてなしの配慮を企画や運営のいたるところで感じていたことを思い出した。感謝である。

瀬谷の紫陽花

 講演の後、今回の報告者であり、町内会の会長である方に、紫陽花が群生している川辺に連れていっていただく。
 確かに様々な色の紫陽花が咲いていた。赤い紫陽花のためには、石灰が必要(アルカリ性の土を酸性にする)で、そうすると紫陽花が青くならずに、赤くなるとのこと。
 紫陽花の花言葉は、○○。地域福祉にふさわしいかもしれない。

2003年6月

思い出記2003年度(旅日記)-1

さまざまな景色をもつ庭園

午後の岡山県市郡町村社協事務局長会議での講演の前の少しの時間、岡山後楽園を散策した。岡山駅から歩いても20分ぐらいであろうか、街の中の庭園である。
 林、芝生、畑、池、川、小さな丘、茶室、能の舞台、そして丹頂鶴の住まい等がテーマごとに整然と、かつ自然につくられている。正門から入り歩くと、まもなく丹頂鶴がかわれている場所に着く。そしてその横には、桜の枝を屋根にした一本の道があった。静寂の中、桜の花の宴の跡のように、道肌が桃色に染まり、周りの緑のコケや草とのコントラストが美しい。そして、そこから少しもどり、光の注ぎ込む方に歩いていくと、視界が一気に開け、きれいな芝、ツツジに囲まれた丘、池と川が見え、道の先の樹木の奥に、岡山城がそびえ立つ。

いたるところにベンチが用意され、好きな場所を選んで、一人静かに景色を眺めることができた。そして1本の木でも、見るところによって、まったくイメージが異なる。

時間が少しおありであったら、是非行かれることをお勧めする。

岡山市内の銅像

今まで、岡山市には何度も来させて頂いた。来るたびに、趣が違ってきたように思う。そして、ゆっくり歩いたことはほとんどなく、仕事間際に着いて、終わるとすぐに帰ることも少なくなかった。
 今回は、講演までに数時間の余裕があったので、岡山後楽園にバスで行き、帰りは歩いて岡山駅まで行く。
 そしてふと気がついた。銅像が多いことに。街全体はわからないので、私が紹介する銅像は、ほんの一部だと思う。川添いにある交番の近くの銅像である。

岡山市の市電

聞くところによると、岡山市内の市電は、延長計画をもっているそうである。そして、廃止した電車を引き取り、その意味では全国区だと聞いた。

ペンションストリート

プレイゲンス先生の別荘開きの前日、近くのペンションに泊まった。4月末なので、高原の少し肌寒い朝、散歩していたら、とてもたくさんの花に出会った。今までは、気がつかなった。花がこんなに、自然に、うつくしく、それぞれの個性を主張して咲いているとは。

思い出記2003年度(味めぐり)-4

笑顔を生み出す須木栗

2年前、宮崎県須木村長さんから講演の依頼があった。一緒に地域福祉を語らせていただいた方で、私は、喜んでお引き受けさせていただいた。そしてさまざまな出会い。
 須木村は、栗のメッカでもある。今年で2年目になるが、栗の木オーナー制度を活用させていただき、2万円をお支払いして、1本の木のオーナーになっている。
 須木村は、柚子のさまざまな品物を生み出しているとともに、いのししの鍋、温泉、吊り橋、滝、茅葺きの家等々、癒しの村であり、宮崎市から車で1時間20分の西部に属する。
 私は、栗のアイスクリーム、すなわち「愛す栗夢」や、栗を使った焼酎をまだたしなんだことはない。そしてオーナーになって、記念入浴券や特産物引き換え券、栗拾い等、さまざまな企画が送られてくるが、残念ながら参加は無理。しかし、送られてくる栗は、もらった者に笑顔を生み出す。それだけの夢をもたらす栗である。
 今年は、2箱が送られてきた。教職員に配ったが、みなその大きさに驚き、かつ味の良さに2度目の笑顔を生み出す。味も大きさも最高。須木栗は決して私たちの期待を裏切らない。

また須木村では、栗のさまざまな味を楽しむことができる。「愛す栗夢」「栗の焼酎」「マロンジャム」等々。
 お問い合わせは、須木村役場企画商工課で、0984-48-3111。選ぶのも自己責任。逃すのも自己責任。でも、私はオーナーになることをお勧めする。栗の木を育てる栗園の店主の気配りや、熱心に木を育てる姿に接するだけでも、心があらわれる。
感謝!!!!!!

思い出記2003年度(味めぐり)-2

いろり山賊の食堂

まさに山賊の館。そして内装は、支出を考えない贅沢なものばかり。広島の飲食店店主が、資材を投じて造ったそうである。また調理人や店員を増やさず、多少待ってもその装飾品が客の心を離さないというポリシーも、かってお持ちであったとのこと。確かに、骨董屋が来たら、まず食事を頼むより、装飾品の売買の交渉に入ることは間違いないであろう。それが好きか嫌いかは、客が決めること。どうぞ、御覧ください。

場所は六日市町か柿木村だったと覚えている。

オーナーの思いが伝わる店

三鷹駅のそばに、「あ麺ぼう」という店がある。そもそも麺づくりから始められた居酒屋である。今は、庶民的味方の代表格。魚介類は新鮮、メニューもバラエティに富み、そして値段が庶民的。内部の雰囲気は清潔感あふれる。仕事を終えたサラリーマン等が、連れ添って訪れる。
 ただ、問題がある。一人で来て、注文を間違えると、食べ切れない。刺身等は、ボリュームがあり過ぎるのである。そもそも、調理場に立つオーナーが、美味しいものを、できるだけ安く、そして喜んで食べてほしいと思っている人。一日の疲れをとって、元気を出してもらいたいとのメッセージがテーブルに並べられる皿にのせられて届く。

予約をした方が安心。0422-41-6699

「いろどりみどり」のセットメニュー

高知に立ち寄った旅人なので、高知ではなにが一般的なのか、生活文化なのかわからない。ただ、出会った朝食メニューを見て、私は驚いた。おにぎりとトースト、からあげ、プリン等のセット。主食が2品ついている。そうめんと御飯、からあげとサラダ、プリン等のソーメンセットには、御飯に黒ゴマがのり、ソーメンにはスリゴマが薬味として準備されている。スパゲッティーセットには、トーストとからあげ、コロッケ等が用意されている。多いと思っていたが、結構バランスがとれていて、3人ともきれいに平らげた。まさに、たくさんの味を感じた「いろどりみどり」のセットメニューである。

神戸の食卓

三ノ宮の東急インを出て、日本福音神戸ルーテル教会に向かう途中、朝御飯を食べようと、駅周辺を歩いた。いつもの私は、「立ち食い」でかき揚げと卵ののった「うどん」を食べることにしている。「そば」よりも「うどん」の方が、味に差がないからである。確かに本場の讃岐うどんや三鷹にある「鷹」のうどんとは、比べられないが、うどんはうどんである。そばの場合に、うどん粉が中心でそば粉が気持ち程度は入っているようなそばに出会う時があり、その際には、どの程度見栄えよく残すかということが課題になる。そばがかわいそう。
いずれにしても、駅周辺を探したが、あるのはベーカリーが経営する喫茶店やレストランばかり。決して私は美味しいパンを嫌いではない。いや、昼食なんかは、おいしいサンドイッチやパンをたびたび食べる。しかし、朝は喫茶店に入る習慣がない。時間がかかるかもしれないし、どうしてもその後で咽が乾く気がするのだ。
でも、今度三ノ宮周辺に泊まったら、ホテルの朝食をやめて、ベーカリーに食べに行こう。写真のような店を見ていると、そんな気がした。それだけ多くの、個性のある店があるのだ。

2003年7月

函館の塩ラーメン

初めて函館に行って、地元の人が推薦する食べ物は、もちろん新鮮な海産物。いくら丼やウニ丼は御自慢のようである。そしてラーメンは、塩ラーメンであった。
 透き通ったスープに縮れ麺、そして半熟の卵の塩ラーメンを食べたが、それは最近のもので、邪道であるという人もいた。奥が深い。
湯の川温泉の専門店と、空港で食べた。いずれもさっぱりとしたスープが麺とチャーシューの美味しさを引き出していた。海産物そのものの新鮮さとおいしさを誇りとしている函館人ならではの主張か。
2003年7月12・13日

出雲そば

出雲そばが美味しいということで、そばを注文していただいた。驚いたことに、なんと割子そばであり、それぞれが1品として独立している。そして、田舎そばで、とても満腹感がある。お手ごろの値段。 2003年7月

宮崎の牛すじ煮

宮崎県に、7年前にはじめて来てから、今度で何十回目になるだろう。たくさんの福祉関係者である戦友と、そして友人ができた。そして、これからどのように地域の生活課題に取り組んでいくか、時間を忘れて熱く語った。そして楽しい時、充電の時を与えられた。しかし、はじめての出会いもある。それが牛すじ煮である。
 牛肉のしぐれ煮と、味はとても似ている。そして、とてもおいしい昔の味。値段も手頃。そして明日への勇気が湧く。牛のようにゆっくりした歩みかもしれないが、着実に生きていく歩みである。 2003年7月

名古屋の味噌かつ

新幹線のぞみに乗って東京から約1時間50分で、名古屋に着く。東京、横浜、そして名古屋だけに、車内で売られる弁当は、その間は東京、横浜の関係のものばかり。 私は、名古屋を過ぎ、車内で販売する人に聞いた。「どんな弁当がありますか?」。 返ってきた言葉に、「みそかつ弁当と…」と聞こえたとたん、その他の弁当は忘れてしまった。そして頼んだ、初めて車内で食べる「みそかつ」そして、その内容に驚いた。名古屋弁ではなかったが、食べ方自身にこだわっている。しかも、温泉卵付き。さらにカロリーが書かれていない。昼食は500Kcal以内と少しこだわっていた私にとって、それらの条件は、呪文を解かす効果十分。 確かに冷めたかつであったが、味は十分楽しめた。しかも、温泉卵だったので、こぼすことなく。車外の風景を見ながら、至福の時でもあった。

2003年8月

思い出記2003年度(味めぐり)-1

岡山名物「しゃこ」

 ホテルに8時頃到着して、食事に行った。そこの板前さんと話ながら、岡山の名物について話を聞いていた。まず、鯛やヒラメが美味しいこと。東京では「のれそれ」というあなごの稚魚、そしてハモも名物。でもハモは、その多くが高い値段で京都や東京に届けられるそうだ。そして「しゃこ」も今が旬だと聞いた。お頼みすると、新鮮で大きな「しゃこ」が皿一杯に出てきた。恐る恐る値段を聞くと、600円と言われた。これはなかなかすごい。ただ、頭もついているので好みがあると思うが、味は最高。

熊本での満たされた食材

 熊本で郷土料理青柳に行った。確かに東京よりはるかに安い値段で食材が楽しめる。尺という海老。これは、天草でとれる海老であり、フライにすると、香ばしさが増す。でも、少し勇気が必要。その分だけ、さらに美味しさがふくらむ。

熊本でラーメンが美味しい理由

 熊本では、通行人に絶対に聞いていけないことがある。「近くに美味しいラーメン店がありますか」という質問である。熊本市内で、卒業生が誇りをもってすすめる「熊本ラーメン」の店を探した。そして、少し遠いですがと、店を教えてくれる。そして、その近くに来て道を聞くと、「○○の方が美味しいですよ」との答え。何度も熊本市内を歩く結果に。自分で味わって、自分で決めないと街を彷徨うことになることが分かった。「こだいこ」に行き、帰りにタクシーの運転手に「おいしいラーメン店」について聞いたが、また違う店を教えてくれた。熊本の人には、その人ごとのこだわりがある。それが、美味しさ日本一の熊本ラーメンの伝統を支えているのだろう。

味噌煮込みうどん

 名古屋は、金の鯱(しゃちほこ)、テレビ塔、盛大な結婚式等で有名である他、食べ物では、ういろう、きしめん、守口漬け、味噌おでん、味噌かつ、味噌煮込みうどん、名古屋コーチン、そして大きな海老フライ等が知られている。その中でも、私は、味噌おでんと味噌煮込みが好きである。
 ここで紹介する山本屋の味噌煮込みうどんは、決して安くはない。腰のあるうどんと、ねぎ、油揚げが赤味噌仕立ての知るの中で個性を出し、そして生卵(好み)が入れられている。これに御飯を注文するのが、私の好みの食べ方。そしてまえかけをして食べる。

 確かに、白味噌や、赤味噌と白味噌のミックスが好きな方には、ちょっと味が濃いかもしれない。しかし、その味噌味には、とても深みがあり、私にとっては大好物。名古屋からの帰りで、時間があると、必ず食べにいく。もっとも基本料金で、1,200円。そして御飯が300円でお代わり自由。白菜とキュウリ等のお新香がサービスでつき、これもお代わりできる。
 頑張って東京に帰ろうという気持ちになる。

サービスの原点「津のうなぎ」

 三重県津市は県庁所在地。県社協もしくは県の仕事で、何度も津に来させていただいた。そこでの意外な出会いは、「津のうなぎ」である。全国でも、人口に対して、うなぎ料理店の数の多さは、何本指かにはいると言われる。今は埋め立てられているが、かって海岸ではうなぎの養殖が行われていたそうである。
 同行していた講師の方と初めてうなぎ料理店に行ったのは、今から5~6年前。うなぎ丼を頼んだ時、ちょっと贅沢をして特上も良いかと思い、並みとの違いを聞いてみた。返ってきたのは、「東京からいらしたようですけれど、お客さんには特上は食べられないかもしれません」という、素っ気無いというか、つれないというか、商売気がないというか、何とも意外な返事。そして店員は続けた。「並みと特上の違いは枚数の違いです。並みはうなぎが2枚、中は3枚、上は4枚で、御飯の中にもはさまれています。本店のうなぎは、一番美味しいうなぎを出しています」と。
 東京では、並みと特上のうなぎの違いは、量よりも質の違い。津のうなぎを食べて、大変満足した。確かにとても質の良いうなぎを、おいしく調理している。

 今、福祉サービスも、質の維持、向上といった「質の管理」が求められている。誰にでも、適切な水準のサービスを提供して、その人の状態に応じてサービスを増やしていく。繰り返しになるが、サービスの水準は1つでも、2つでも、もっとも満足のいくもの。「津のうなぎ」から学ぶことは多い。そして、店にもよるのだろうが、私が行ったところは、いずれもほんとうにおいしい。

源氏巻き

 津和野の名物の一つに源氏巻きがある。たくさんの店があるが、いつ食べるかによって、買う人は選ぶそうだ。一番美味しい時に食べるのが大切だということ。小山さんがお連れくださった店は、三松堂。とてもゆかりのある建物に、親切な店員の方。そして品数のそろった和菓子。私は、源氏巻きを6本買った。包みは、言うまでもなくセロファンでもプラスチックでもない。まさに自然の包み紙。
 甘さも適度で、カステラも絶品。自慢できるお土産になった。

2003年6月末

陶磁器のわがまま展覧会-5

津和野綾焼き

 友人は、津和野には有名な陶器はないと言う。しかし、有名な陶器がすべてではないと思っている私にとって、近隣の萩焼きまではいかなくいとも、それぞれの地域には根ざした陶器の思想と主張とたびたび出会う。そして「やったぞ」と心からうれしく思う。ただ、今回の問題は津和野と言う有名な場所に負けない、小細工のない主張があるかが問題となる。なぜなら、有名な名を借りることによって、単なるお土産になってしまう危険性があるし、その失望は数限り無い。それは、陶器の特産地においてもしかりである。
 津和野の街を友人の車で通っていた時、陶器の店を見つけた。雑貨の延長線上にある店構えではない。飛行機の時間もあったが、無理を言って店に入らせていただいた。6畳ぐらいの展示の奥に、店主が作成するロクロも置いてあった。少し凝り過ぎかなと思ったが、少し店を眺めて、濃い緑色の特徴のある作品にいくつか出会った。緑の中に「ホタル」のように飛び交う点々。「ホタル」ではなく、湧き水とともに浮かび上がる気泡にも見える。
 その名は綾焼き。まだ知られていないことは確かだが、それが日常に埋没するか、それとも光を放つかは、時が解答するであろう。「山陰の小京都と呼ばれている津和野は、山に囲まれた静かな城下町です。こんな町の青野山の山麓に小さな窯があります。時の城主、亀井の殿様の遊んだ焼物がお庭焼きと言い、綾焼きと呼ばれたものです。その作品は町の郷土館に展示してあり、私が綾焼きを再現しようとして初めました。古来の伝統技法により、自然の木やワラの灰を使って青の色を中心に現代に適応した作品をと念じながら作陶に精進しております。」(青山窯)

大切にしたいカップである。

中霧陶苑

 山田町のパンフレットに、地元陶器と書かれていた。そこで、町社協の人にお聞きすると、地域を御案内いただける過程で、立ち寄れるとのこと。「かかし」という町の宿泊所の隣にあった。今ではめずらしいと思うが、段々になっている窯も見せていただいた。

 陶器の特徴は、軽いこと。デザインや色も気に入ったが、持ちやすい重さであることも気に入った。高いカップが約15cm、直径6cm、低い方が高さ約7cm、直径8cmほどであり、後者はそばを食べる時にも使える大きさ。ちなみに、今は私の元にはない。いつのまにか、妻のお土産に変身していた。

阿波大谷焼窯元森陶苑

 徳島の友人に連れていっていただき、徳島市街から数十分の森陶苑に行った。とても広い敷地に、販売店と窯がある。

 段々となっているのぼり窯もあったが、近隣との関係で今は使っていないとのこと。とても大きな釜を創っておられる場所も見学させていただき、2人がかりの作業に思わず立ち止まって見入ってしまった。この釜は、焼酎の製造につかわれるとのことで、恒常的に注文があるとのこと。
 私がもっとも気に入ったのが、一滴づつ落ちる水が、ピーンという音を発する壷。この大きさは様々であったが、私は60cmほどの高さの壷が気に入った。面は、細かい糸が積み重ねられているような紋様。元使っていた窯の中に置いてあり、そのとてもすばらしい響きに聞き惚れた。
 買いたいと思ったが、4~50万円するもので、買えるような値段ではなく、また家では使えないので、諦めた。今度、それが置かれているところで、ゆっくりとその音色を楽しみたい。
 私が買ったのは、60cm程の真っ青な大皿。知り合いの方の口利きで、安くしてもらえたが、今は3階の物置きに置かれている。妻の許しがこれからの課題であるが、皿の色は、自然の青空を連想させ、その器の深さからは、澄み切った池を思い出す。それがいつの日か私たちの生活に定着することを期待したい。