思い出記2003年度(旅日記)-5
函館から津軽海峡を越えて見える津軽
函館の地に始めて来て、驚いたことの一つは、晴れている時には津軽海峡を通して、津軽が見えること。北海道の住民から、時々本州を「本土」と聞く。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」という歌は、多くの思い出を「本土」に置いて、新たな旅に出る歌だった気がする。
津軽海峡は、人生において越えなけれならない海峡だとするならば、私は冬の荒波の海峡ではなく、晴れた見晴しの良い時に渡りたい。このような天気の時に。
朝市はあくまで一部-函館の街並み
宍道湖の夕焼け
日没と、夕日と、夕焼けがどれほど違うものか、今まで気がつかなかった。東京の空には、日没はあっても夕焼けはない。青空を濁らす雲はあっても、青空の中に湧きいでる入道雲もない。あるのは、その時を刻む日没と、生活の始まる日の出である。
昨日まで、強い雨であった松江で、夕焼けが見えるかどうかは不安であった。私にとって、松江が生活をする場でないため、もし有名な夕焼けを見る機会を逸したなら、もしかしたら数年間待たなければならないかもしれない。
そんな不安を背負って、研修が終わった夕方、宍道湖の県立美術館に来て、岸を歩いた。県立美術館は、冬を除いて、日が沈んだ30分後に閉館するという、内部のすぐれた作品の他に、自然の美しさも作品に取り入れようとする、意欲的な美術館である。
夕焼けは、7時前から始まり、7時30分になった終わる。空がほんのり赤くなり、そして太陽がその輝きを誇るのが7時まで。その後は、雲と空を焦がして、夕焼けが始まる。この美しさは、見たものしか分からない。雲が焼け、空が焼け、見ている者の心が焼ける。まわりの空は、ある所が赤く、そして水色の海に光が写し出されるように、整然と夕焼けを見つめる。
日が沈んだ後でも、赤い残光が残り、次第に暗闇が宍道湖を支配すると、対岸の温泉街の光が写し出される。
夕焼けとは、太陽の熱い光とともに、雲が焼け、空が焼け、見ている者の心が焼けること。そして春と秋は湖の中に日が沈むとのことであるが、山に沈む夕焼けの美しさで、十分すぎる程満足である。宍道湖の夕焼けは、決して私たちを不満にさせない。天候が許せば。
県立美術館内にあるレストラン
は、ほんとうに眺めも良く、お茶やビールをのみながら、また食事をしながら、宍道湖の美しさ、夕焼け、対岸の夜景を見ることができる。
そして料理もおいしく、値段も手頃で、またサービスも良い。通常は美術館終了後9時頃まで食事がとれるようだが、夕焼け後、お客さんがいないと、店を閉めるとのこと。なかなか落ち着いた良いレストランである。