秋田県藤里町のチャレンジ

2014年8月初旬、秋田県藤里町を訪問した。町役場の概要には、「藤里町は、秋田県の最北端に位置し、青森県との県境一帯は標高1千mを超える山並みが連なる白神山地である。その面積は281.98km2と広く、全県市町村平均を大きく上回っているが、北部一帯は米代西部森林管理署が管轄する国有林で、その面積は182.7km2で全面積の64.8%を占めている。」と書かれています。人口は、2,600人台に減少したとお聞きしました。世帯数約1,400世帯、高齢化率約41%で岩手県内第2です。

羽田空港から大館能代空港行きの第1便に乗り、曇に覆われた空を飛んでいきました。多少の揺れはありましたが、久しぶりに来た大館能代空港は、整然と地域の拠点としての役割を果たしていました。規模は小さいですが、とてもきれいな空港です。

大館能代空港2

管制塔

大館能代空港1大館能代空港

空港から藤里までは、だいたい1時間ぐらいだったでしょうか。前日までの大雨によって、川の水は土色に濁り、水位がたかくなっていました。私は直接強い雨に打たれることはなかったですが、天気予報でみると、青森、そして秋田北部に大雨、洪水警報が発令されていました。

川の流れ

お連れ頂いた峨ろうの滝は、水しぶきをあげて落下していました。自然のすごさを感じました。しかし、水流の側には、神社が建てられていましたが、近くの庭園には、たくさんのきれいな花が咲いていました。近隣の人たちが手入れをしているそうでした。自然の中で、神様への信仰があり、自然への畏敬の念があり、そして地域への愛着がある。この生活の営みに、私は、藤里町の強さを感じました。

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滝

滝の側の神社に咲く手入れされた花

この藤里町がクローズアップ現代にも取り上げられ、その活動が全国に知れわたるきっかけになったのは、一人のお年寄りからの「引きこもっている若者がたくさんいるので調べてほしい」という相談でした。社会福祉協議会は、さまざまなネットワークを使って、調査を始めたところ、全人口の10人に1人にあたる113人が引きこもっていました。

そこから、試行錯誤が始まります。その働きは、一人ひとりの生活を知り、生き方に寄り添おうとするチャレンジに思えました。大学を卒業し、都会でプログラマーとして就職するが、スピードと高度な技術についていけず、仕事を辞めて帰京。秋田で仕事を探すが、何度面接を受けてもうまくいかず、高学歴のためアルバイトもできず、次第に外に出ることを辞めてしまいました。それぞれには、それぞれの生きてきた道があり、引きこもりの理由も状態もさまざまであることを知り、そして、それぞれに地域社会の中で生きていきたいという思いに気がついたことから、次の歩みが始まりました。そのきっかけは、学校になじめず、高校1年で中退し、そのままひきこもっていた21歳の若者が、社会福祉協議会の採用試験に現れたことだったそうです。

一人ひとりの人生に寄り添おうとした藤里町社会福祉協議会は、やむを得ず引きこもっている方々の働く場を開拓し、たえず声をかけ、情報を提供してきました。「福祉職の専門性を生かして、地域の中に彼らの居場所をつくること」を使命とし、「あなたのことを気にしていますというメッセージを送り続けてきた」のです。その働きを知り、私は大きな共感を覚えました。

今、藤里町社会福祉協議会は、以下のことを事業として実施しておられます。

◆福祉の拠点「こみっと」の運営

◆「くまげら館」の運営

◆介護予防・元気の源さんクラブ事業

◆「こみっと」バンク

◆社会復帰訓練カリキュラムの作成・実施

◆白神まいたけキッシュの販売

藤里町社協の組織図

こみっと(藤里)

こみっと2

くまげら館1

くまげら館

くまげら館

くまげら館

こみっと

こみっと館正面、調理場、うどん定食

調理場

うどん定食

三世代交流館と子どもたち
三世代交流館

子どもたち2

子どもたち1

 

「ひきこもりは地域の資源であり、宝である」と、新事務局長の菊地さんは、熱く語られていました。菊地さんの説明から、本人が自立しようと意欲をもつことができるために、さまざまな取り組みを行い、課題に挑戦する熱い思いを強く感じました。また職員の方々との会議や、会食の中で、悩みながらも、地域を支えようとする一人ひとりの思いをお聞きし、ひきこもっていた方々と明日の地域を築いていこうとするそれぞれの働きを知り、励まされました。これは、藤里町の「明日の地域社会を切り開く挑戦」だと思っています。

確かにそれぞれの問題の解決は、容易ではありません。当事者も支援する専門職も、試行錯誤の連続だと思っています。だからこそ、専門職は、以下の3つを大切にして頂きたいと言い続けてきています。①多くの関係者と連携して進むこと。②たえず自分の仕事を振り返り、その意味と自分の立ち位置を確認すること。互いに繋がって歩んでいること自体、私は援助の成果だと思っています。③0か100かの結論を急ぐのではなく。その間の1から99の方法を模索すること。援助を受けなくなることを目標にするのではなく、サービスや他者との関わりを通した継続的な助け合いも目指したい。そうすれば、「ありがとう」の言葉が自然に生まれてくると私は信じています。

明日への希望をもってチャレンジする素敵な方々とお会いし、豊かな自然に包まれ、快適な宿舎で休み、福祉の拠点「こみっと」等でおいしい食事を頂き、一泊二日の旅を終えました。私にとって、忘れることのできない出会いとなりました。「ごきげんよう」

羽田空港に着いた飛行機の窓から、飛び立つ飛行機、着陸する飛行機を見ていました。人生とは、この繰り返しではないでしょうか。その当たり前の生活の営みができる地域社会であるのか、問われているのは、地域社会であり、それを構成するすべての住民であると考えています。そのことを教えてくれたのは、ひきこもっていた一人ひとりの方々です。

飛び立つ飛行機

着陸する飛行機2着陸した飛行機