一宮市「のわみ相談所」

「のわみ相談所」で学ぶさまざまな出会い

2014年9月、愛知県一宮で活動する「のわみ相談所」を訪問しました。同相談所の代表者、三輪憲功さんとは、9月27日、岐阜県で行われる全国ボランティアフェスティバルの「清流トーク・セッション第1部」でご一緒にシンポジウムを行います。そのため、私は、実際に活動を見て、肌で感じ、臨場感のある感想を参加者の皆さんにお伝えしたく、相談所を訪問させていただきました。

尾張一宮駅の改札口を出て、おまわりさんに行き方を聞きしました。名前を伝えると、「ああ、のわみですね」とすぐに道を教えて下さり、自然な対応に私は驚きました。

近くに行き、電話をおかけましたら、三輪さんは、相談所の前で待っていて下さいました。遠くから、三輪さんが高齢の女性とお話をされている姿を見ましたが、その方が、以前相談所の利用者の方で、今はボランティアとして関わっておられる91歳の女性だということを、後でお聞きしました。

相談所に入り、お話をお聞きすることができました。写真のように、1階が相談所、2階がシェルターです。

のわみ相談所本部

のわみ相談所内部

三輪さんと(相談所内部)

相談所の事業は以下の通りです。

①日本人・外国人の生活・労働相談、支援

②ホームレス・生活困窮者支援

③シェルターの運営(宿泊、食事、衣類、日用品の提供)*6ヵ所<DV専用シェルター2ヵ所>

④フードバンク活動

⑤生活困窮者自助組織(救生の会)の運営 *約200人、月2回(学習会、炊き出し)

⑥のわみ断酒会の運営

⑦共同墓地・位牌堂運営事業

⑧チャリティピアノリサイクルの開催

⑨医師による無料健康相談(月3回)

⑩便利屋 *大工、塗装、引っ越しの手伝い、修理、清掃・・

短い時間でしたが、活動現場を訪問して三輪さんからお話をお聞きし、実践の意味を以下のように感じました。

⑴ホームレスは、「居場所」がない人のことであり、家がない人(野宿者)ではない。私たちは、引きこもりでも外国人でも、(「衣食住」の優先ではなく)「住食衣」を基本として支援している(「居住〔居場所〕福祉」)とのこと。

「住まいが当事者を変化させる」と三輪さんは言われましたが、私は、「一人では何もできない。人を頼れ。何度でもここにくればよいというお節介。あなたのことを気にしていますよという言葉と生き方が大切であり、<寄り添う>ことが、<寄り添われる>ことにつながっていく」という言葉が強く印象に残っています。つまり、家という建物に心を入れ込み、絆をつくっていると思いました。だからこそ、利用者は明日に向かって歩む決意ができるのではないでしょうか。

のわみサポートセンターサポートセンター

企業内シェルター企業内シェルター

⑵活動は、①当事者主体、②ボランティアの参画(当事者→支援者)、③市民理解促進、④あらゆる階層のネットワーク化 の4原則で行っているそうです。私は、当事者自身が家を設計し、組み立て、そして住むというプロセスから互いの絆が生まれ、生きていく場と自信、住まいに対する愛着が生まれてくるのではないかと思いました。そして、野宿者本人の力が活かされ、意欲が生まれ、自分で生きる場を見つけることができると思いました。

新たなシェルター建設

新たなシェルター建設2

利用者自身によるシェルターの建築

⑶「念じれば通じる」・・・協力者は集まってくる。

協力者は、議員、スーパー、民生委員、商店、銀行、ボランティア200人ほど。個人・企業の寄付は 2千件を超える。民間企業の協力(人材派遣会社を含む15社程度)で就職のあっせんを行っているそうです。三輪さんは、こうした「寄り添い」型の支援は、その「志」が確かなら、仲間が集まり、それが新たなつながりを生み、さらなる活動に結びつき、積み重なっていくとおっしゃいました。だからこそ、市民や企業から品物、お金が届けられる。

フードバンク

フードバンク。企業等から、たくさんの食料が寄付され、それを材料に食事が作られ、配達されます。

活動は、名古屋から始まり、稲沢へ移り、一宮市に定着したとのことです。18年前に、図書館通いをしながら、ご自分の生き方を模索なさったおられた時、公園で寝ているホームレスと出会ったそうです。その後、三輪さんは高台から公園の様子を見ていたとのこと。通行人は、皆、ホームレスを避けて歩いて行ったそうです。それを見て、駆け寄った人が、三輪さんでした。「ホームレスは、生きていく勇気を与える」「問題がたくさん起こることは、生きている証拠」との言葉が、私に説得力をもっていると思いました。