2012年前期卒業式メッセージ

「おめでとう」ではじまり、「ありがとう」で終わる人生を

聖書「わたしの目にあなたは価高く 貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(イザヤ43:4)
 「わたしの目にあなたは価高く 貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」(イザヤ43:4)という聖句は、2007年の入学式に用いました。 この時代とは、大国の世界制覇が始まり、抵抗する者は皆殺しにされ、町や村は破壊し尽くされ、その指導者層は捕虜とされました。当時のイスラエルは、存在の危機に直面するのでした。自分自身の傲慢な心、頭を垂れようとしない生き方が、自由と財産を失い囚われの暗黒時代をもたらした原因であると言われています。
 その過酷な現実にあって、(P.D.ハンソン・北博訳『現代聖書注解 イザヤ書40〜66章』1998年、p.102 〜111)「わたしの目にあなたは価高く 貴く わたしはあなたを愛し」と語られているのです。厳しい時にこそ、目に見える器でなく、大切な、本当のものが見えると私は思っています。希望を失い、自分の存在が脅かされた時に、もっとも純粋なかけがえのない愛が、約束として神からしめされたのです。そこに命の光があります。

 今、日本社会は、明日を見通せない不安の霧の中にあります。孤独死があとをたちません。子どもの命を奪うような虐待が行われている事実に、心を震わせ、目を覆いたくなる。また、知的障害児を育てていた母が急死し、子どもが餓死していたという事実が身近にあり、耳をふさぎたくなります。子どもは、誰もが祝福されていのちを与えられた。だからおめでとうと言う。この事実を見失ってはならないと思います。

 今日、この聖句に関わり、2つのことをお伝えします。一つは、「こうのとりのゆりかご」という熊本の働きです。新聞では、「あかちゃんポスト」とも書かれています。
 5年間で、保護した乳幼児は90人近い。そのうち県外が70%近い。
 相談件数は年々増加し、23年度は690件。年齢は20歳未満が16%、20歳台は40%で、約60%が30歳未満。理由は、不慮の妊娠。誰にも言えずに葛藤の中にあり、助けを求めている。これは、事実です。
 慈恵病院は、1898年、カトリック宣教師J.M.コール神父と5名の修道女により慈恵診療所開設されました。理事長の蓮田先生は言われます。「神様から授かった尊い生命を、何とかして助けることができなかったのか?赤ちゃんを生んだ母親もまた救うことができたのではなかろうか?捨てるという事は子供の命をなくす事につながりかねません。しかし安全なところに預けるという行為はわが子を助けたいという母親の切なる気持ちがそこにはあるのではないでしょうか。その事は将来その子が自分の親が養親であるという事を知り、悩むことがあればその時、「あなたのお母さんは、あなたの命を助けてもらいたいという深い愛情の元に、私達に命を託されたのです。 決してあなたを粗末にした訳ではありません。そして、縁があって今のご両親に育てられたのです。」といってあげたいのです。
「こうのとりゆりかご」の働きには、批判もあります。親が安易に子どもを産むという批判。しかし、たくさんのあかちゃんが捨てられている。性はいのちと関わりがあることを、切に考えなければならない。どの人も、祝福されていのちを与えられた。この事実を見逃せずに、駆け寄っていく人がいるのです。それは、イエス・キリストです。この働きは、ドイツで拡大しています。私は、再度申し上げたい。だれもが、神様から祝福されて命を与えられている。だから、言い続けたいのです。「おめでとう」と。

 では、与えられた命の光を、どのように輝かし続けるか、これが2番目の課題です。
 最近、「奇跡の一本松」のニュースをお聞きになった方々も多いと思います。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田市の有名な「高田松原」は、津波に襲われ、7万本の松の中で「奇跡の一本松」が残りました。ちなみに、高田松原は、明治、昭和期に3度の津波に襲われたので、この松は4度目の試練にも耐えたということになります。
 周りは、瓦礫の山。電気も水もない生活に置かれた人々にとって、それは生きる希望となり、感謝の象徴となったのでした。ある意味で、家族、家や財産を失った被災者の方々の境遇と、この「一本松」の姿が、重なったと思います。

 海水をかぶり、津波に押し流された漂流物で傷つけられながら、また地盤沈下により冠水し、さらに一本故に遮るものなく、直射日光を浴び、昨年7月には芽生えた新芽を9月には枯らし、10月には根腐れしていることがわかったのでした。しかし、今、この「一本松」から18本の苗ができ、被災から1年半たった9月11日に、たくさんの被災者から感謝を受け、翌日、切り倒されました。

 今、被災地の人々は、新たな試練を迎えています。
 自分たちで、コミュニティを再建しようとする動きが確実に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、本当に求められていると思います。
 しかし、復興の青写真が描かれず、将来を見いだせず、また生活のために、被災地を離れていく方々も多くなっているのです。被災者に違いが出てきています。昨年の3月11日、1年を迎えた時、明日への希望を自ら描くことができにくい高齢の方々の不安が強く出されています。人生の終わりになって、友人を失う、役割を失う、身体的機能の低下。しかし、子どもを失い、孫を失い、たくさんの友人を失う。住むところも、思い出の写真も、家具も流され、残さ
そして冬は厳しい、確かに寒い。底冷えする。何度か仙台や石巻に行きましたが、冬は、いつも体が冷え切り、回復に数日かかります。

 私たちは、象徴的な「奇跡の一本杉」になることは、できない。望むこと自体が無理。しかし、被災地支援は、0か100ではない。1から99までの働きがある。今、それぞれの生活の場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。その延長線上に被災地支援がある。

聖句に戻ります。「わたしの目にあなたは価高く 貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする」聖句に示された神の言葉を信頼し、愛されているという確信をもって、軽々しい言葉ではなく、共にいる存在として、そこに身を置く意味があると思っています。

 今日、卒業する諸君には、すべての命が、神から祝福されて与えられたこということをわすれないでほしい。だれ一人として、神様から祝福されない命はないという真実に立ってほしい。誕生日には「おめでとう」と言います。まさに、「おめでとう」なのです。そして、人生の最後にあって、世話になった人に「ありがとう」と言う。「おめでとう」に始まり、「ありがとう」で終わる人生を大切にしたい。その言葉を、それぞれの働く場で、語り続けてほしいのです。

 卒業、おめでとう。これからもよろしく。

宮崎県須木地区訪問記(2)


私が宿泊した家です。古い民家を移築したものですが、泊まってみると、これは、結構刺激的。まわりには、電灯もない。そんな中で、泊まることは、自然に抱かれること。しかし、自然は、決して優しくない。しかし、それぞれの生き方を大切にしてくれると包容力があると思いました。後は、自分がどのように生きるか、それを覚悟するかではないでしょうか。自然の中で生きていくことを求める人にとって、自然は心地よいし、都会は、明らかに住みにくい。

飛行機の中から見た富士山です。夕焼けに輝いていますが、遠かったので、見えにくかったです。

宮崎県須木地区訪問記(1)

宮崎県小林市の須木地区に行ってきました。須木の栗で有名な地区です。自然に恵まれていますが、人口減の地域です。でも、皆が絆を大切に、自然の営みを大切に、生活しておられます。中山間地ですので、なかなか陽の出は見えません。しかし、陽の光は、静寂の中、確かに自然を、人々の生活を照らしていきます。
前日の写真では、落ち着いた湖でした。しかし、朝、湖を見てみると、山のふもとに光が照らされ、自らのぼる霧が、至る所で見えていました。そして、紅葉を照らす陽の光が、自然の美しさを輝かせていました。日々の生活ではわからないですが、毎日陽はのぼり、そして生活に暖かさをもたらす。このことを忘れたくないとあらためて思いました。