思い出記2003年度(旅日記)-4

伝統を守る津和野

 津和野を訪問する機会をいただいた。まず、山を下る車道から、赤い鳥居が見え、そしてはるか先の山の頂きにある津和野神社には、幾重にも鳥居が並んでいた。荘厳な雰囲気がただよう街を予感した。
 確かに建物は古く、よく整備されていた。そして伝統的な日本菓子や紙細工は、良き時代を写し出す。また鷺舞いの銅像は、川のそばにあり、まさに水に親しむ踊りを表している。

 車をとめ、石畳を歩いていくと、古い建物の役場があった。建築上、クーラーを使えないそうであるが、暑さを紛らわすようにまき水をして、そして風流を醸し出している京都の面影がある。いや、その姿は、西の都とでも言うべきか。

津和野町役場

 酒造りの店、味噌造りの店、和菓子屋等々、なかなか風情がある。そして気がついたことは、鷺舞いの銅像の方から歩いた方が絶対に風情があると言うこと。そのまま役場、教会を横に過ぎて歩く方が、鉄筋のビルも目立たず、私は好きな通りである。

 たまたま、津和野駅を通った時に、蒸気機関車を見た。山口まで行くそうである。木々に囲まれた山を登っていく蒸気機関車を、人々は煙を追いながら見ているそうだ。私も実際に見て、逆境に立ち向かうその姿を連想し、明日から歩もうとする心を強められた。
 ゆっくり時間をかけて、時にはお茶をたしなみながら過ごすには、もってこいの特徴のある街である。

乙女坂

津和野には、乙女坂と言う有名な場所がある。明治維新に長崎で多くの隠れキリシタンが発見され、その中から、何十人ものキリシタンが津和野に連れて来られたそうである。津和野はそもそも優秀な神道の学者が生まれたところ。そして歴史もある。キリシタンから離れるかどうかのきつい取り調べと、厳しい決断を迫られたとのこと。そして、転ばなかった者を受刑者として厳しい罰に処した。あるキリシタンが、狭いおりに入れられ、身動きできない状態に置かれたが、彼の言った言葉は、「私はまったく辛くない。なぜなら、マリア様がいつも来て下さるから」。それが乙女坂の由来だと言う。

 乙女坂を登って行きながら、その路に生えているコケを見た。私自身が足をけがしていたので、何とか登れはしたが、正直無事に降りられるか不安だった。お連れくださった小山さんが、「大丈夫ですよ。路は小石が出ており、滑りにくくなっていますから」と言って下さったが、不安だった。そして今にして思う。私の不安は、これだけの強い信仰を私自身が持ち合わせているか。
 日本も、西欧も、宗教に対しては虐殺の歴史を背負っている。今、私自身が、日本に住むものとして忘れていけないことの一つは、虐殺の歴史である。

 津和野にはカトリック教会がある。神道の強い地域において、その十字架が輝いてい た。そこには、津和野のふところの広さと、歴史の重さがある。また来よう。

それぞれの雲

 飛行機は、退屈だと言う人が少なくない。ただ、時間が短縮されるので、退屈な時間に耐えられるそうだ。しかし、私は、自分で仕事をしながら、また本を見ながら、時々外を見て、驚くことがたびたびある。雲一つとっても、様々な姿が写し出されるからである。
 一つは、東京から宮崎までの空路で見た、湧き水のような雲、もう一つは、那覇空港から関空に向かう飛行機から見たあられのような雲。自分としては、それぞれにおもしろい。

(2003年7月初旬)

宮崎空港

宮崎空港では、いつも工夫をこらした催しをしている。そしてそれが、とても印象的である。今回は、陶器である。前回名刺をもらって、訪ねたところもあり、何人かの作者の顔が浮かんだ。宮崎空港は?の空港に比べて、はっきりと公共の場と言う意識を持っている。そもそも公共の場を英語に直すと「パブリック」。そして元をたどれば、皆が集う「パブ」である。御覧あれ。

沖縄の熱さと美しさ

 人材研修センター・福祉人材センターの全国研修会が沖縄で行われた。早朝家を出て、9時発の飛行機にのり、11時30分に沖縄に着いた。そして、まずその暑さに圧倒される。確か私が初めて沖縄に来させていただいたのは、10年程前の12月。福祉大会があり、約2~3000人の方々を前に話させていただいた。その時は、東京が寒かったので、コートとジャケット、それにチョッキも着ていた。私は思わず、コートとチョッキを鞄に隠したことを思い出す。ほとんどの人が、まだ半そでのシャツを着ていた。
 今回で何度目になるだろうか。でも覚悟はしていたが、その思いをはるかに超える熱さ。そして何より、日射しが肌をさす。県民の方は、昼間は日陰で静かにしているとのこと。炎天下に海辺で過ごす「本土の人は、変わり者」という声が聞こえそうである。
 あいにく、きれいな海を見に行く時間はなかった。しかし、飛行機から見る海の水の色は、十分その美しさを堪能させてくれる。いつか、気温が落ち着いたら、海を眺めて過ごしたい。息子たちは、もう一緒に行く気持ちをこれっぽっちも持っていないから、誰を付いて来てくれるかわかならいけど、水遊びをさせてやりたいと思った。
2003年7月