陶磁器のわがまま展覧会-5

津和野綾焼き

 友人は、津和野には有名な陶器はないと言う。しかし、有名な陶器がすべてではないと思っている私にとって、近隣の萩焼きまではいかなくいとも、それぞれの地域には根ざした陶器の思想と主張とたびたび出会う。そして「やったぞ」と心からうれしく思う。ただ、今回の問題は津和野と言う有名な場所に負けない、小細工のない主張があるかが問題となる。なぜなら、有名な名を借りることによって、単なるお土産になってしまう危険性があるし、その失望は数限り無い。それは、陶器の特産地においてもしかりである。
 津和野の街を友人の車で通っていた時、陶器の店を見つけた。雑貨の延長線上にある店構えではない。飛行機の時間もあったが、無理を言って店に入らせていただいた。6畳ぐらいの展示の奥に、店主が作成するロクロも置いてあった。少し凝り過ぎかなと思ったが、少し店を眺めて、濃い緑色の特徴のある作品にいくつか出会った。緑の中に「ホタル」のように飛び交う点々。「ホタル」ではなく、湧き水とともに浮かび上がる気泡にも見える。
 その名は綾焼き。まだ知られていないことは確かだが、それが日常に埋没するか、それとも光を放つかは、時が解答するであろう。「山陰の小京都と呼ばれている津和野は、山に囲まれた静かな城下町です。こんな町の青野山の山麓に小さな窯があります。時の城主、亀井の殿様の遊んだ焼物がお庭焼きと言い、綾焼きと呼ばれたものです。その作品は町の郷土館に展示してあり、私が綾焼きを再現しようとして初めました。古来の伝統技法により、自然の木やワラの灰を使って青の色を中心に現代に適応した作品をと念じながら作陶に精進しております。」(青山窯)

大切にしたいカップである。

中霧陶苑

 山田町のパンフレットに、地元陶器と書かれていた。そこで、町社協の人にお聞きすると、地域を御案内いただける過程で、立ち寄れるとのこと。「かかし」という町の宿泊所の隣にあった。今ではめずらしいと思うが、段々になっている窯も見せていただいた。

 陶器の特徴は、軽いこと。デザインや色も気に入ったが、持ちやすい重さであることも気に入った。高いカップが約15cm、直径6cm、低い方が高さ約7cm、直径8cmほどであり、後者はそばを食べる時にも使える大きさ。ちなみに、今は私の元にはない。いつのまにか、妻のお土産に変身していた。

阿波大谷焼窯元森陶苑

 徳島の友人に連れていっていただき、徳島市街から数十分の森陶苑に行った。とても広い敷地に、販売店と窯がある。

 段々となっているのぼり窯もあったが、近隣との関係で今は使っていないとのこと。とても大きな釜を創っておられる場所も見学させていただき、2人がかりの作業に思わず立ち止まって見入ってしまった。この釜は、焼酎の製造につかわれるとのことで、恒常的に注文があるとのこと。
 私がもっとも気に入ったのが、一滴づつ落ちる水が、ピーンという音を発する壷。この大きさは様々であったが、私は60cmほどの高さの壷が気に入った。面は、細かい糸が積み重ねられているような紋様。元使っていた窯の中に置いてあり、そのとてもすばらしい響きに聞き惚れた。
 買いたいと思ったが、4~50万円するもので、買えるような値段ではなく、また家では使えないので、諦めた。今度、それが置かれているところで、ゆっくりとその音色を楽しみたい。
 私が買ったのは、60cm程の真っ青な大皿。知り合いの方の口利きで、安くしてもらえたが、今は3階の物置きに置かれている。妻の許しがこれからの課題であるが、皿の色は、自然の青空を連想させ、その器の深さからは、澄み切った池を思い出す。それがいつの日か私たちの生活に定着することを期待したい。