陶磁器のわがまま展覧会-1

私が各地で出会った、思い出の陶磁器たちをご紹介していきます。

肥後小代(しょうだい)焼

 最近、熊本市を訪れる機会が多くなった。しかも、健軍教会において、学校法人、社会福祉法人、宗教法人間の連携が具体的に話されており、新たな歩みの始まりとなる場であることを願う。
 市電で健軍に向かう途中、肥後小代焼という看板が見えた。それ以降、時間があったらと思っていたが、何度目かの時、見に行く時間ができた。一人、うきうきしながら店を探した。とても品のある、旧家を改造した家に見えた。
 中には、作品がいっぱい並べられていた。そもそも小代焼は、1600年代に肥後の藩主であった細川家の御用窯として創設されたという。「器形素朴、垂釉は古雅でかつ鮮麗、高尚な郷土の銘陶」として、特に茶器として珍重されていた。しかし明治になってその伝統は途絶え、昭和初期に近重治太郎によって復興され、現在にいたっている。
 これは、本来の小代焼の代表的な茶器ではない。しかし、その粘土が流れ出るような模様と、それをしっかりガラスで押し込んだようなデザインに興味を引かれた。なかなか味わいの深い湯呑みである。

天領窯

 熊本空港で、大山陶苑天領窯と出会うことができた。何気なく歩いていると、通りの奥に、いくつも並べられていた。とても綺麗な色と、斬新なデザインに関心をもち、しばし立ち止まって見ていた。
 天領窯は、地底から湧き出た天然の山錆を釉薬に使い、赤色は、炎の渦巻きによって自然にできる熔変色だと言われる。
 クリスタルのワイングラスを陶器にしたよう。時代は異なるものの、オランダやポルトガル等との交流があった時代に、日本人の好みを追求したデザインのような気がする。またワインカラーがコップの口許を彩り、それと対照的な土の土台が支える。
 私としても、気に入ったコップである。

陶片木

 松本に、確か15年前に来て、ホテルに泊まり、原稿を書いた。それが、『差別と人権 高齢者』(雄山閣)に納められている「老人福祉サービスの現状と課題」であったと思う。出版社からの矢のような温かい依頼に意を決して、2泊3日集中して書き上げた。なぜ松本にしたかを、正確に思い出すことはできない。多分、涼しい場所で頭を冷やすと原稿が書けるのではないかと、思ったような気がする。
 疲れて街中を歩いた。当時の駅は、今と比べると確かに情緒があった。雪山のバンガロー、ペンション、山小屋のような情緒がかもし出されていた。古い街並を歩くと、そこには「陶片木」という看板があった。中には、店主が全国回って集めたもの。茶器はとても高かった記憶がする。そして、何かドンブリのようなものが、何十万もすることに驚き、どこが良いかと店主に聞くと、「作者の名前と実績による。但し、本人が良いと思うものが一番本人にとって良い」とのアドバイス。当時で、5個1セットで約6,000円を支払ったと思う。気に入り、私としては精一杯の贅沢であった。でも、「本人が良いと思うものが一番本人にとって良い」という教訓は、今でも生きている。

 2002年に県社協の仕事で松本を訪れ、夜、友人たちと街を歩いた。そして陶片木の前に来たら、多分店主と思うが、2階で創作していた。「自分が納得するものが一番良いのだろう。」そこに趣味の原点があるような気がする。

ギャラリー土夢

 茅野市内を通り抜け、蓼科に向かう途中に、突然看板が見えた「ギャラリー土夢」に立ち寄った。私は陶器や磁器が大好きで、時間が許せば窯まで行く。条件反射的に入ると、皿、湯呑み、動物等々が飾られていた。動物もユニーク。それぞれ趣は異なるが、イメージをいくつかあげると、古代壁画、中近東風、晩年のピカソのデッサン等。窓の外にも作品が並べられており、私は、まさにギャラリーとして十分楽しんだ。ちなみに買ってきたのは、写真の湯呑み。

 但し、これは神奈川のお蕎麦やさんから頼まれて造っているお椀とのこと。でも湯呑みとして使っている。蕎麦の風味も楽しみながら。

黄瀬戸

 思いがけず、岐阜市で黄瀬戸と出会った。県から講演の御依頼を受け、前夜に長野から中央本線に乗り、岐阜に来ていた。ゆっくり景色を見ながら移動しようと、グリーン車券を買ったが、外はあいにくの曇りで、暗くてまったく景色が見えない。そして時々見えるのは、通り過ぎる駅と街の灯かり、そして時として併走する車のライト。明らかなことは、私が乗っている列車は、こうこうと光がともり、外からはっきりと見えること。まさに水族館のくじらのよう。しかも、残念なことは、特急列車が揺れるので、仕事はできなかった。突然開いた「まったくの空間」。明日に期待すれば良いと、居直った。
 期待した明日が、まさに当日で、空はまっ青な晴れ。ひとり出歩いていると、目についたのが、高島屋で催されている陶器展。作者は、30代より心機一転、芸術としての陶器の創作の世界にはいる。そして、黄色の世界を開拓する。私は、この黄瀬戸に出会い、奥深い味わいに立ち止まった。そして、1セット5皿を買った。

 瀬戸市が私の母の故郷であり、たびたび休みに遊びに来ていた私としても、人間国宝であった人の作品以外は、思いあたる作品はない。はじめて自分で納得して買う瀬戸である。
 彼は、日本橋三越でも個展を開き、私も妻と行ったが、どうしても私が買える値段ではなかった。気に入る作品は、どんどん遠くなるのか。またどこかできっと会えるだろう。

備前焼大皿

 岡山に仕事で行く機会がたびたびある。その時、時間があると、私は倉敷の街並を歩く。そして、たくさんある店をまわったが、一軒の店が私のお気に入りである。陳列された陶磁器の特色、店の雰囲気、店主の対応、そして値段設定が微妙に違う。頻繁に訪れることはできないので、店の人は多分私を知らないが、機会があると手頃な1つは買うことにしている。
 30歳代後半になってから、陶磁器への嗜好が変化した。それまでは、模様がはっきりしたもの、磁器のように、ある意味で光が反射されるようなものが好みであった。
 しかし、今は焼き方、窯においた場所と熱によって模様に変化を見せるもの、光を反射するのではなく、受けとめるような土や自然のような印象を与えるものが好きである。その代表の1つが備前焼である。現在、300人近くの陶芸家がいるとお聞きした。
 数年前になるが、私はその店で、ある皿に出会った。確か30cmの皿であった。その模様が気に入り、店主に「これより1.5倍程の大きな皿がありますか。申し訳ないですが、予算は限られています。」とお聞きした。その当時は、大きな皿に関心を持っていた。店主は、「分かりました。今店にはありませんが、この陶芸家の山下譲治さんにお聞きして、可能でしたら御連絡します」と答えてくださった。
 それから約半年。時間とともに期待が薄らいできた時に、店主から電話があった。「お約束のものができあがりました。本来店頭に並べますと、お約束の値段の3倍になりますが、結構です。遅くなりましたので、郵送費も私の方で負担いたします」と。
 届いた作品が、写真のものである。縦29cm、横52cm。そして波打つ模様。私にとって、とても思い出の深い、自然の大地の温もりと息吹きに抱かれた作品と出会うことができたのである。

肌色の備前焼花瓶

 土の色が備前焼であると思っていた私にとって、この花瓶を始めて見た時は、とても驚いた。素人であるから、正確かどうかは分からないが、竹の筒に入れて焼くとこうなるらしい。窯の火の強さから、炭になった竹が守ったのかもしれない。瀬戸の「しの焼」を思い出したが、釉薬も色合いの違い、むしろ自然な創作になっていると思う。
 あえて言うなら、化粧のしない人肌。土色の備前には、生命を生み出す力が秘められているとしたら、この花瓶には、熱い血が流れているようだ。そして竹が灰になってもそれを守り、生み出し、そして花瓶が優しい輝きを放っている。
 作者は、黒田儀男氏である。