陶磁器のわがまま展覧会-2

ほたて釉の湯呑み

 青森県に、県の仕事で来させていただいた時、帰りに寄り道をして、市内の陶芸の店に立ち寄った。店の裏に電気窯があり、店主が創り、販売する。「陸奥美(むつみ)焼」という。店内には、いろいろな陶器があった。「ほんのりピンクの<りんご釉>、ほたて貝の粉でつくった<ほたて釉>、炎がおりなす自然の美しさ<焼締>等々」
 ほたて釉は、青森県で特産の帆立貝から大量に出る貝殻の利用をめざしたもので、貝殻の粉とともに他の原料をまぜ、1,300度で焼き上げたものである。そこで平内の帆立がとてもおいしいと思っていた私は、さっそく買い求め、そして同じサイズのりんご釉ができたら、送ってくださいと約束して帰った。
 その湯呑みの高さは約20cm。なかなか重宝している。

虹色の花瓶

 岡山市にもたくさんの陶器店がある。そしてその陶器店を分類すると、3つに分けることができる。1.高価な数々の陶器を並べ、頑に質の勝負をする店。2.展示に工夫をしたり、備前焼に留まらす、幅広く陶器を集める店。3.備前焼の特徴を前面に出しながら、ある程度値段を抑えた土産物としての陶器を中心に販売する店である。1の店は、情熱をもって、なぜこのような値段になるのか、品物の価値と、店主の目利きの良さを語る。非常に勉強になるが、なかなか帰るきっかけをつかめなくなることがある。2の店は、デパート感覚とでも言えようか、特定の関係者とのネットワークを活かしながら、展示の方法や、ライト、会場の雰囲気に工夫をこらす。店主は、客の通行人感覚を大切にしつつも、客の買いたいと思うタイミングを逃さない。3の店は、奥のガラス棚に高価な作品をいくつか並べ店の品位を保ちつつ、旅行客を狙い、決して手の届かない値段の陶器を置かない。観光客の、思い出を持ち帰りたいというニーズに、手頃な値段の陶器で応えようとする。
 私は、仕事の谷間の昼休みや夕方、または仕事の終了後に、陶器店に立ち寄ることが楽しみである。ある年の夏のまっただ中、岡山県社協の2日間の仕事の合間に、会場の近くにある陶器店に行った。2階が展示室になっており、定期的にテーマを変えながら、陶器を揃えているそうだ。
 2階に上がって、ある花瓶が目についた。私は、まず展示会場の全体を確認する。7~8畳の展示会場のほぼ中央に、その花瓶が置かれていた。いや、私を待っていたというべきか。虹のような配色と、空と地面を描いた、自然のすがすがしい空気を感じた。
 國造焼窯元3代浩彩の作品、焼錦窯変花瓶である。鳥取県倉吉市にあり、明治中期に、初代がその土を生かし、生活の形を造り続けた。面識はないが、3代目は、1949年生まれで、私と同世代でもある。その繊細な作風が、私がイメージする備前焼とは好対象で、それだからであろうか、夏の熱い日に、緑葉がいっぱい茂った木立の下で、すずしい風を受けているように感じた。他にも数々の陶器が並んでおり、それぞれのデザイン、色彩、そして大きさや値段等を確認したが、今にして思うと、高さ約23cm、直径約8cmの虹色の花瓶を手に入れるための手順のようにも感じる。

備前焼きとの出会い

 私にとっての出会いは、時々岡山に仕事で来て、岡山市内の陶器店。そして始めて買ったのは、吉祥寺の東急イン前にある陶器店である。そこで、備前焼きの話を聞かせていただいた。戦前は、今ほど人気がなかったと聞く。それが、山陽新幹線が開通した頃、一気に窯元が増え、窯友会所属の窯元約20件、作家は会員以外も含め、400人に達しているそうである。
 私は、備前焼きの美しさは、大地の豊かさと、窯の中で火がつくり出すその偶然性、個性にある気がする。何でもオートメーション化し、そして規格化し、個性を失うか、もしくはあまりにも個性的な商品が寸分も違わず大量生産される。しかし、備前焼きは、鉄が散って黒々としたものや、レンガ色の模様が黒い地面に浮き出ているものが、高価であるともお聞きした。それも、KKD、すなわち経験と勘、そして度胸の世界でもある。高価なものは、天井知らずだから、私でも買えるもの、そして私が気にいっているものをお伝えする。

 私にとって、それぞれに思い出があるもの。一つは、備前焼き始めて吉祥寺で買ったもの。日本社会福祉学会全国大会のシンポジストの責任を果たし、翌日ほっとして倉敷を歩き、出会ったもの。竹の筒に入れて焼いたと聞いたもの。友人からもらったもの等々。今も、忙しくてあまり使う機会はないが、時間が出来ることを楽しみにしている。何故なら、備前焼きは使い込む程に味わいが変化すると聞いているから。

津軽金山焼

 それぞれの地域には、それぞれの窯があり、作者の個性と、土と火を生み出す自然がある。津軽金山焼は、私にはあまり馴染みのない名前であったことは事実。私が陶器を好きなことを知った青森のある方が、講演の感謝のメーセージを添えて、大皿を送ってくださった。陶器の入れ物の蓋をあけて、思わず息をのむ。たたくと響きわたる「音」と、厳しい自然の中の「風」、そして生命をはぐくむ「土」を感じた。
 津軽金山焼は、釉薬を使わず、金山の大溜め池の底に堆積していた粘土と、風雪に耐えてきた大量の赤松を使い、1300度の高温でじっくりと焼く、「焼き締め」の手法が用いられているそうだ。
 とても良い出会いであった。