共助社会づくり
5年前、熊本地震にあたって教会で私的避難所を運営することになりました。この時、最大40人以上もおられた避難者さんたちの全員が短期間で生活自立を果たし、避難所は45日間で完全解消をなしとげることが出来ました。多くの公的避難所が、避難者さんを別の避難所に移動させ、統合によって避難所を閉鎖していったのに対して、この教会避難所では、避難者さんの全員が、自分の元の住まいを整備するか新しい住まいを確保することによって避難所を「卒業」していかれたのです。避難者さんたちの中には、妊婦さんや高齢者、母子家庭、障がいを持つ方々や外国籍の方など、社会的に困難さを抱えておられる方が多かったことを思えば、びっくりするような短期間での完全解消でした。その秘密は、教会避難所みんなが囲んだ食卓にありました。この避難所では、地域の被災者さんも教会員の被災者や支援者さんも、またボランティアの人たちも、毎食ともに教会のテーブルを囲んで、食卓をともにし続けたのです。食卓をともにすることによって、お互いに不安や心配事をわかちあい、慰めや励ましを受け、相談を受けたり相談に乗ってあげたりしながら、みんなそこで力を得て生活を再建していかれたのでした。その様子を間近に経験させていただきながら、これこそイエスさまの食卓につらなるわかちあいの食卓であるとの思いを強くしました。
聖書の中に、イエスさまと敵対するユダヤ教の指導者たちが、「あなたの弟子たちは手を洗わずに食事をしている」といってイエスさまを非難する場面が出てきます。当時のユダヤ教は、律法を守らない外国人をケガレた存在だと見なしていました。そのため、宗教的な清めの手続きとして手を洗うことを行わなければケガレが食卓に持ち込まれてしまう、と考えたのです。このように、立場の異なる人たちを自分たちの食卓から排除するために律法を用いていくユダヤ教の習慣を、イエスさまは大胆に批判なさいました。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何も」ない(マルコ7:15)。むしろ多様な人たちと食事をともにすることによってこそ、わたしたちは理解しあい、支えあう共同体を育んでいくことができるのだ。イエスさまはそのことを、ご自身のまわりに集われる多様な人たちとのわかちあいの食卓によって、身をもって示され続けたのでした。今日のキリスト教会もまた、このイエスさまの食卓の伝統につらなっていることを思います。
ところが昨年来、わたしたちは新型感染症に苦しめられ、食卓を通して励ましあったり、力づけあうことを著しく制限されるようになりました。ともに食卓を囲む場面での会話は、最も避けるべきことだとされてしまいました。礼拝においても、被災地を初めとするさまざまな支援の活動においても、共に食べることを活動の基礎においてきた教会にとっては、本当にもどかしい日々。これまでイエスさまの食卓をわかちあうことによって力をいただいてきたわたしたちは、どのようにこれを越えていけるのか、新しいチャレンジの前に立たされています。思考停止に陥ってフリーズしてしまうのではなく、ウイルスなど怖くないと蛮勇に走るのでもなく、なによりイエスさまが、こうした壁の前に立ってそれを乗り越えて前にすすまれたことを思い起こしたいと思います。
3月上旬。北国では、地面を覆っていた分厚い雪がとけ、少しずつ庭の黒土が顔を見せはじめました。そこでは雪がとけはじめたばかりというのに、すでに小さな緑の草花が芽吹いています。草花も雪の下で時を待っていたのです。あの東北大震災から10年。街も人も、復興は一気にではなく少しずつしかすすみません。新型感染症の影響下、出来ることは限られるかもしれません。それでもわたしたちは、少しずつ前にすすむことが出来る。出来ないからあゆみを止めるのではなく、出来ることから、そして出来る時を待ちつつ力を蓄えながら、多様な者がその場を通して力づけあう共同体を育んでいく。それぞれの場でともにつながりあいながら、そんなイエスさまのわかちあいの食卓を再び興していきたいと願います。
小泉基 (コイズミモトイ 日本福音ルーテル函館教会牧師)
ちなみに、4月中旬、『わかちあいの食卓 熊本地震・教会避難所45日』が、かんよう出版から発行予定だそうです。
投稿日 21年03月08日[月] 3:18 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
東日本大震災から10年目をむかえます。私たちの周りでは、この10年で次から次と災害が起こりました。その度に支援活動がおこなわれ、ボランティアが活動し「寄り添い」を実践してきました。今日も熊本球磨村では支援活動が継続されています。コロナ禍の状況のため、いまも泥出し作業が行われています。臨床宗教師のお坊さん仲間が重機の免許を取り、動かし土木作業をしながらそこに生きる人々の命に寄り添っておられます。コロナ禍で働く皆さんと同じように。
3月8日~12日、宮城県石巻・南三陸に行ってきます。10年目の今年、再び現場の苦しみに伊藤文雄牧師と共に身を置いてきます。9日は南三陸の海辺から防災センターへ宗教宗派を超えて追悼行脚をします。それぞれの宗教が自分たちの祈りを唱えながら歩きます。あの時、何もできず泣きながら歩いたことを思い出します。本当につらかった。死臭漂う中に立たされ、祈るしかなかった。宗教宗派など関係なく、ただひたすら雪の降る中、夢中で祈りながら歩きました。宗教者として痛み苦しみのど真ん中に身を置かされた出来事でした。「現場から逃げずに踏みとどまれ。苦しむ人々と共にいろ」。それしかできなかった。しかし「神仏はまさにそこにおられる」出来事でした。その痛み苦しみの現場とのつながりが10年経ったいまもあります。
先週、宮城石巻十三浜から生わかめ、メカブが送られてきました。生ワカメは今の季節のみです。早く食べないと悪くなる。それでも取れたてを送ってくださいました。もう8年目です。「復興したら一番にとれたワカメ送るっちゃね」との約束通り。今年もまた届きました。このワカメをいま私の周りにいる皆さんに食べていただけることが幸いです。このつながりの原点を、ワカメを食べるたびに思い返します。それが「寄り添い」です。
あのとき現場の苦しみから逃げず、そこに必死に踏みとどまった。いやそれしかできなかった。祈りつつ現場の苦しみに身を置いて。十字架の主がそこにおられるから。現場の命に寄り添っておられる方にエールを送ります。あなたの横には必ず神様がいてくださる。祈ってます。
日本福音ルーテル広島教会 牧師 立野泰博
投稿日 9:52 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ,教会関連,災害支援
卒業生の鵜澤です。先生方、多くの方々、ご無沙汰しております。今でも私にも声をかけて下さる市川先生の暖かさは、昔から変わらず、感謝です。このような場を設けて下さっていることは、今まで知りませんでした。
NYの岩間さん、せいちゃんこと吉村さん、風の便りで少し耳にしておりました、この場で読ませて頂き、昔の仲間の活躍を詳しく知りました、本当に頭が下がる思いです。いつか会いたいです。お二人に限らず、先生方や卒業生の懐かしいお名前を多数、拝見し、それぞれの場で献身的に働かれご活躍されていることをお読みし、励まされています。ちょっとほっとして何となくうれしい自分がいます。陰ながら応援させて頂きお祈りしています。
私は、高齢者分野を経て、現在は、長らく地域や児童対象の分野で働いています。先生方から教わったキリスト教福祉の実践を自分はどこまでできているのかは疑問ですし、それを探してここまで来ているのかもしれません。病気もしましたし年齢もありますので、この先はどうなりますか。何か私なりにできることを少しずつでも考えていければと思います。
昨2020年7月末に、父が天に召されました。教会から礼拝をもって送り出していただけたのは感謝でした。そこに至るまで、父は高齢者施設と病院の往復でした。一昨年2019年晩秋以降、インフルエンザ、そしてコロナという状況下。ほとんど会うこともできず、職員や看護師の方々を頼りお願いしお任せするしかありませんでした。
私たちはキリスト教の施設を希望していましたけれども、その願いはかないませんでした。ごく普通の地域に根差した施設です。キリスト教でなくても、父を最後まで、父を父であるように、人としてきちんと対応してかかわってくださいました。職員さんに大変感謝しています。
この父に対する対応を通して、キリスト教であるか否か、正直言いまして、私にはその違いや差を感じられませんでした。
かつて先生方からキリスト教社会福祉を学んだ自分として、施設や現場としては何が違うのか、キリスト教でない普通の方々との差は何なのか、施設としてはどうなのか、自分の仕事を含めて、様々なことを考える機会となりました。
このコロナ禍の中で、多様な事を考え対応していかなければならない中で、キリスト者の自分は何をしているのか、未来はどうなのか、どうするのか、どうしていくのか、キリスト教社会福祉とは何なのか、今、あらためて考えさせられています。
2020年3月5日 鵜澤 陽
投稿日 21年03月06日[土] 9:48 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ
私は現在、3歳の娘の子育てをしながら、特別養護老人ホームの生活相談員をしています。コロナウイルスの流行で面会制限が続く中、どうしたら大切な人達との繋がりを分断させないようにできるのか、それでも肉体に訪れてしまう最期の別れの時・・・援助者に何が出来るのか自問自答の日々です。仕事人としても、母親としても、心が折れそうな瞬間が何度もありました。
今回、市川先生にお声を掛けて頂いたとゼミの仲間より伺い、恥ずかしながら先生の研究室ブログを初めて拝見しました。そこには、環境は異なっても、それぞれの場で励まし合い、発信し合うルーテル卒業生・先輩方のメッセージが溢れていました。感動しました。私は1人ではない、ルーテルという帰る場所がある、と大きな力を感じました。援助者だって揺らいで当然、清濁合わせ呑んで、それでも向き合ってやる!と気持ちが吹っ切れました笑笑
今、皆様それぞれが、仕事・家庭・学業など様々な環境で困難の中、奮闘されていると思います。皆様の幸せを祈ります。この出会いに感謝します。市川先生、天国におられる石川久展先生ありがとうございます。いつかまた元気で皆に会えますように。N.Sato
投稿日 21年02月21日[日] 8:41 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,社会福祉関連
2019年度入学式 存在保証
「私は、ここにいます。」
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員は、皆さんの学びを支援し、それぞれが成長していくプロセスを応援していきたいと思っています。
さて、今日、大学の構内を歩きました。サクラが満開に咲き、皆さんを迎えていました。そして、たくさんの種類の花も咲いていました。群生で咲いている花もありましたが、一輪、もしくは数輪で咲いていた花もあります。いずれも、「私はここにいます」というメッセージをはなっていました。
今日お話しする「私はここにいます」という意味を、私は3つ考えています。第1に困難に直面する人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言することであり、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることであり、第3に私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです
私は、昨年の5月に、「国連の「世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします」という文書を作成しました。その文書の背景には、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の働きがあります。韓国でもっとも長い歴史をもつ共生園は、1928(昭和3)年に、ユン・チホ伝道師が、韓国南西部の木浦(もっぽ)の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。その妻である田内女史は、共生園を守り、3,000人の孤児を育てました。この応援メッセージは、「孤児の母」と呼ばれた田内女史の息子であり、在日高齢者等へのホーム等を運営する尹基(Tauchi Motoi)理事長の活動を応援をするものです。
世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包み、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。
これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育ててくれていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなどの子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。日本においても虐待によって命を失う児童は、毎年、数十人を数えます
だからこそ、私は、誰もが神様から祝福されて生まれたのであって、「おめでとう」と言い続けたい。そして、私たち自身が、祝福されて命を与えられたという事実を忘れてはいけない。「私はここにいます」とは、第1に、「0か100では無く、その間には1から99の方法」があるのであって、自分が選んだやり方で、子供たちを支援すること、平和を求めることは、私たち自身が存在を認められ、未来に向かって生きていくという宣言でもあるのです。
「私はここにいます」の第2の意味は、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることですだと言うこと。いつも迷いや不安が私たちの歩みを遮ります。今必要なことは何か、何ができるのか、たくさんの疑問でアップアップです。そのような生き方をしている私たちに、アドバイスをしてくれた有名人がいます。イチローです。引退試合が終了した後に開かれた記者会見での発言の一部を紹介します。
「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。
すなわち大切なことは、自分としていかに生きていくかということ。ありのままの自分を誠実に受け止め、自分にはどのような力があり、可能性があり、同時に課題があるかを見失わないこと。自分を誠実に受け止めることは、同時に相手の生き方を認めることであり、そこに自分の成長があります。
最後に「私はここにいます」の意味は、私たちの生き方を、神が救って下さるという確信があることです。
イザヤ35章4節に立ち返ります。聖書には「心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵をうち、悪に報いる神が来られる。神が来て、あなたたちを救われる」と書かれています。この聖句は、私の恩師から頂いたものです。阿部志郎先生は、ご自分の戦争体験を通して、何とおろかか。権威に服し、考え、迷いもなく、行動を考えず、全く疑わず、恐れず、戦争を起こしたことに後悔している。若者が、考え、迷い、自分で選択して将来を決めて欲しいと思われ、この聖句を私に託されました。
神は、この聖句を通して、様々な困難に追い込まれている人々に、受けた災いをもたらした者に対する行動を宣言されました。神様からのメッセージと思います。「私はここにいます」の第3の意味は、「神が来て、あなたたちを救われる」と言われるように、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです
繰り返しになりますが、「私は、ここにいます」の意味は、第1に困難に直面した人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言すること、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めること、第3に、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです。
改めて、申し上げます、入学おめでとうございます。そして、皆さんが卒業する4年後、私は、定年を迎えます。一緒に卒業しましょう。
投稿日 21年01月29日[金] 9:40 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,社会福祉関連
我らの仲間、吉村誠司さんよりメールが来ました。「ご無沙汰しています。昨年はいろいろありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。
妻まき(旧姓 松浦)が働いているALSの方について、取材されました、毎日新聞転送します~~~」
皆さんにお知らせします。皆さん、懐かしい卒業生のまきさんの働きを覚えて下さい。
#自助といわれても:町から届いた冷酷な順序 ALS患者でさえ家族介護を求める行政の“誤解” – 毎日新聞[1]
投稿日 12:34 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,希望ある明日に向かってメッセージ,社会福祉関連
東京都緊急事態措置の実施に関して、昨日、在住外国人の方々にも感染拡大防止のさらなる協力をお願いするためのメッセージを16言語で作成し、財団ホームページに掲載しています。
https://www.tokyo-tsunagari.or.jp/news/?itemid=12&dispmid=415
投稿日 21年01月16日[土] 6:49 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり
コロナ禍にこそ見えてきた「ルーテルの絆」の大切さ
2020年のクリスマスシーズンを、皆様がお元気に迎えていらっしゃることを心からお祈りいたします。
前学長の市川一宏先生は、在学生、卒業生、現在の教職員、かねての教職員、後援会や教会の皆様、地域の皆様、行政の皆様、関係団体の皆様など、ルーテル学院大学に連なる「ご縁」のネットワークを、「ルーテルの絆」として、つなぎ直し、つむぎ直し、強めてくださっています。1999年まで12年間つとめていた教員であり、現在は学事顧問・客員教授をつとめている私も、市川先生が作ってくださった『明日に向かって歩むぞメッセージ』の場をお借りして、「ルーテルの絆」の意義を再確認するとともに、ご縁のある皆様に、メッセージをお届けしたいと思います。
コロナ禍にあって、弱い立場の人々が弱さを増すことになったり、普通に暮らしていたいと思う人々の普通の暮らしを大きく変えざるを得ない状況をもたらしています。「新しい生活様式」というのは、単に「3密」を防いだり、マスクをして感染防止を図ることにとどまりません。感染症対策のために、人と人との対面や、接触を避けることが求められることや、多様な分野の過度なデジタル化等により、心身の健康を害したり、孤立化する人を増やさないようにしなければなりません。
そんな今、少子長寿化が進展する社会にあって、幅広い福祉・医療・保健の分野で活躍する皆様、臨床心理の分野で活躍する皆様をはじめとして、心身の健康と安定を支える諸活動に携わる卒業生が多いルーテルゆかりの皆様の、「連帯」「連携」「協働」「支え合い」などの絆の深まりが期待されます。弱音を吐け合える関係、悩みを素直に打ち明け合える関係、気づきを多様な働きかけ方に結びつけることができる関係、それぞれの弱みと強みを生かしながら課題解決の歩みに寄り添える関係・・・・・、いろいろな関係を紡ぎながら、ご一緒にコロナ禍を乗り越えていきましょう。何よりも、お一人おひとりのご健康を心からお祈りしています。また、元気に笑顔でお目にかかりましょう!
ルーテル学院大学学事顧問・客員教授 清原慶子
投稿日 20年12月24日[木] 10:54 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ
クリスマス おめでとうございます。
東京でもそうですが、世界中いたるところで、日に日に大きく膨らんでいく感染者の数の報道と次第にそれに慣らされてきた日常との間で、多くのいのちが失われていく危険にさらされています。
学生たちは不安の中でも学びを重ねていますが、経済的な困窮や家族関係の課題を抱え込んでいたりして学びに力が入らない学生たちもいるようです。通常の大学生としての生活を始められない一年生、就職活動に乗れなかったり資格試験の準備ができなかったりと進路に苦悩する最終学年。
それでも、ルーテルで学び過ごした時間を宝としてもらえたらと思っています。
卒業生の皆さんがお仕事も、そしてそれぞれの生活の中でもルーテルで得られた何かを宝としてくださっているように。
私も皆さんの声に励まされています。本当にありがとうございます。
神様の恵みと守りのうちに、お過ごしください。
2020年クリスマス ルーテル学院大学 学長 石居基夫
投稿日 4:30 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,大学関連,希望ある明日に向かってメッセージ
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