「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結
2018年10月17日(水曜日)、「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結式が行われましたので、報告させていただきます。
http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_photo/076/076240.html
三鷹市HP
http://www.luther.ac.jp/news/20181025-01.html
ルーテル学院大学HP
Ichikawa's Office
社会福祉関連
2018年10月17日(水曜日)、「ルーテル学院大学と包括的な連携協力に関する協定」の締結式が行われましたので、報告させていただきます。
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三鷹市HP
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2018年9月、日帰りで、鳥取市民生委員児童委員研修会の講演のご依頼を頂きました。委員の方々の熱心な活動姿勢、実績、誠実な対応に感銘を覚えました。感謝。
なお、飛行機の出発まで少し時間がありましたので、砂丘と砂の美術館に連れて行っていただきました。そして、改めて感動いたしました。写真をお見せします。
砂の美術館
東北信
長野県の民生委員児童委員の方々は、本当に地道な活動をなさっておられます。縁があって、何回も研修会を任せて下さり、感謝しています。中南信の研修が終わり、会場である長野県伊那文化会館を出て、長野市に向かおうとした時、1階のギャラリーで、若手作家の公募個展が開催されていました。なかなか印象に残る作品でしたので、ご紹介します。
森記念財団都市戦略研究所より、日本都市特性評価報告書が発行されました同報告者は、国内の主 要 7 2 都市と東京2 3 区を対象としています 主要72都市は政令指定都市および県庁所在地に加え、各都道府県で人口規模が第1~3 位の都市(人口 20万人以上かつ昼夜間人口比率が3大都市圏では 1.0 以上、3大都市圏以外では 0.9以上)です。
評価委員として参加させて頂きましたので、ご報告いたします。
概要は、以下に掲載されてます。
「私たちにとって大切なもの」
コリント人への手紙第2
4:16だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 4:17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べもにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。4:18わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです。
Oさん、T君、T君、卒業おめでとうございます。今から3名への贈る言葉を述べさせて頂きます。
1.パウロとは、
この手紙の主人公、パウロとはどのような人でしょうか。
パウロは、キリスト者に対して、厳しい迫害を行っていた人でした。しかし、キリストに出会い、キリスト教に改宗し、伝道者となります。それは今までの名誉と地位、生活を捨て去ることだけでなく、迫害していたキリスト者からは信じてもらえず、そして迫害される立場になることを意味します。パウロは20数年、各地をまわり、追われ、最後には捕まり、処刑されます。コリント人への第二の手紙は、パウロがコリント人への第一の手紙を書いたすぐ後,彼の教えに反する暴動がエペソで起こり(使徒19:23-41参照),パウロはマケドニヤへと逃れ、その地で書かれたものだとされています。
そのような状態にあって、パウロは言い続けます。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」と語るのです。
私たちは、壮絶な人生を送ったパウロではありません。しかし、今を生きる者として、「見えないもの」を考えたいと思います。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。
2.「このゆびと〜まれ」
記念誌に掲載されていた文を紹介します。「私も赤ちゃんのころ、利用者のおばあさんによくだっこしてもらったり、あやしてもらっていたそうです。でも、実はそのおばあさんは重症の認知症だったそうですが、自分では「このゆび」に働きに来ていると思っていたそうで、そのころの写真を見ても、本当にかわいがってもらったんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。」この文は、富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子が書いたものです。
この夏、私は、富山市にある「このゆびと〜まれ」を訪問しました。必要なときに誰でも利用できる「民営デイケアハウス」として、1993年にスタートし、1998年には県独自の補助金が交付され、「富山型デイサービス」を全国に先駆けて実践してきました。子どもも、お年よりも、障害者も、いろんな人がお互いに支え合いながら、地域の中で自分らしい暮らしを続けられるように、小規模であたたかい、「ふつうの日常生活」を大切にしています。そして、1.赤ちゃんからお年よりまで障害があっても無くても利用できる。2.断らない。3.障害者・ひきこもり・うつ病の人達などの働く場を提供する。4.活動は住宅街でし、町内の人達をまきこむ等の目標を掲げています。
私は、実際に「このゆびと〜まれ」活動を見て、2つのことを学びます。
3.私が学んだこと
①困難に直面して明日を見失った方の叫びに応えようとした
創設時の苦労は、並大抵のものでなはかったことを承知しています。日本赤十字病院に勤めていた3名の看護師がやめ、事業を始めた時には、「ばか・あほ・まぬけ」と言われたとのこと。しかし、彼女らの覚悟は強かったのです。「帰りたい」「畳の上でしにたい」と言いながら、様々な理由で病院や、転院先の老人病院で生活をし、自分の気持ちを押し殺す人、「早う迎えに来て下はれ」と天井に向かって手を合わせる人、病気の理由が十分わからないまま、退院を余儀なくされ、生きていく自信を失った若者等々の叫びを聞き続けてきました。
だからこそ、その人らしい人生を送ってほしいと、事業を始めたのでした。先ほどの文章を書いた5年生の岩本さんも、あまりにも病弱で、保育所に行けなかったため、一歳の時から「このゆびとーまれ」で育ててもらったそうです。
②一人ひとりのいのちが輝く居場所を提供した
そもそもいのちとは何でしょうか。聖路加病院の院長で昨年105歳で亡くなられた日野原重明先生は、いのちとは「自分が使える時間のこと」だと言われました。たとえば体の中のポンプ・心臓は、絶えず鼓動しています。これは、体で感じ、医学的には見える。しかし、「自分が使える時間」とは、日々生きていく時間。一人ひとりも他者のために、自分を活かす時間でもあります。 5年生の岩本さんは言います。「「このゆび」に来ていると、障害のある人もジロジロ見られたり、かわいそうになんて言われることもなくて、みんな自分でできることを精一杯やって「役に立っている」自分に自信をもって、いきいきと過ごしています。私は、障害があるから「かわいそうな人」なのではなく、「障害があってもがんばっている人」といっしょに過ごして、協力し合っていくことがお互いのために大事だと思います。
それぞれが、自分のいのちの時間を精一杯使って生きているのです。確かに、その人の姿は見えます。しかし、その人への理解、その人の人生への共感、互いに培かってきた信頼は、目では決して見えない。そこで生活する一人ひとりの当たり前の感謝も目では見えない。私は、「見えないもの」は、日々の生活の中にある、大切なものであり、それを通して、神様の愛が現れていると考えています。そして、「見えないもの」とは、私自身が、「見えていない」ものではないでしょうか。
パウロの言葉に再度立ち返ります。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的で過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在するからです」。そして、「見えていないもの」を見極める力を絶えず養い、学んだこと、思い出を胸に、新たな旅立ちの時として頂きたいと思います。
Oさん、T君、T君、改めて、卒業おめでとう。
*富山市立藤ノ木小学校5年岩本万由子の原稿は、「このゆ〜びとまれ」の箇所に紹介されています。
社会福祉関連施設・機関等の対人援助の現場において、人材の確保や職員の定着が大きな課題となっています。多様で複合的なニーズを抱える人々に対して適切な支援を行うためには、施設・機関で働く支援者が自身の仕事にやりがいを感じながら、専門職としてのスキルアップに努めていくことが必要です。そうした職場環境を整える上で、管理職やリーダー的な立場にある職員の役割は大変重要であるといえます。ルーテル学院大学では、そうした社会福祉関連施設・機関でリーダー的な役割を果たしている職員の方を対象に、本学が持てる知見を活かしたオムニバス形式のスキルアップ講座を昨年度に続き実施致します。講義と演習を交えた少人数の参加型の講座となっており、1講座からの受講も可能ですので、ぜひご参加ください。
社会福祉の現場におけるリーダーのスキルアップ講座 | ルーテル学院大学
投稿日 18年09月22日[土] 4:23 PM | カテゴリー: 社会福祉関連
私にとって、大切な18歳の時の出会い。今から50年近く前に遡りまsu.
私が、友人の代わりに、東京都大島にある知的障害施設大島藤倉学園での夏のボランティア活動に参加しました。当時は、地域で、知的障害をもつ方とお会いすることは本当に少なく、私は、多くの不安を抱きながら、夜、浜松町にある竹芝桟橋から船で大島に向かいました。早朝に大島に着き、歩いて学園に行き、1週間のボランティア生活が始まりました。朝7時から、穴堀をし、また炎天下、友人たちと働き、汗を流しました。また、たくさんの学園の子どもたちと出会いました。別れ際、互いに涙がとまらなかったことが、とても懐かしく思い出されます。そして、知的障害児者の父と言われる糸賀一雄先生の生き方と思想に出会いました。
私は、ボランティアとは、人のためにすることであると思っていました。だから、「この子らに世の光を」届けようと思ったわけです。
ところが、糸賀先生は、「この子らを世の光に」と言われました。子どものそれぞれの個性と発達の可能性を信じ、そして「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」という、大切な生き方を示されました。この子らが安心して歩んでいける社会こそ、私たちがめざすべき社会であることを願って。
私は、この言葉から、3つのことに気がつかされました。
この考え方を、私は信念としています。
2018年9月、私は、都立練馬高校の学園祭に行き、ボランティア部が企画する部屋を訪問しました。8月に開かれたスクールボランティアサミットでお会いした関係で、応援に行きました。学生諸君は、部屋に来られた方々にボッチャ(ヨーロッパで生まれた重度脳性麻痺者もしくは同程度の四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツで、パラリンピックの正式種目です。ジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに、赤・青のそれぞれ6球ずつのボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりして、いかに近づけるかを競います。障害によりボールを投げることができなくても、勾配具(ランプ)を使い、自分の意思を介助者に伝えることができれば参加できます。 競技は男女の区別なくのクラスに別れて行われ、個人戦と団体戦(2対2のペア戦と3対3のチーム戦)があります。障害の程度によりクラスが分かれており、同じクラスの選手どうしが対戦します。クラスはBC1、BC2、BC3、BC4、オープンの5つで、オープン以外の4クラスがパラリンピック等の国際大会対象クラスです。<日本ボッチャ協会>)を体験してもらい、その醍醐味と楽しさを通して、障害者の方々と共み歩むことも意味を理解して頂こうとしていました。その思いに、私は感銘を覚えています。
今と、私の高校生時代とは、社会の状況や障害者理解がずいぶん違うと思っています。しかし、今は、障害者が自分らしく生きていくことができる社会となっていると自信をもって言えない自分がいます。
また、2016年7月26日の未明に神奈川県内の障害者支援施設「津久井やまゆり園」において大量殺傷事件が起き、入所されている方々のなかで、特に障害の重い方々を狙い撃ちにしたということ、犯行後、警察での取り調べに対して「障害者なんていなくなればいい」と語ったとのこと。
同年11月に、私は、神奈川県議会の特別部会で、以下のことを申し上げました。「今回のやまゆりで起こった残虐な行為は、以下の特徴があると思います。
①障害者の生命を軽視し、侮辱し、その存在を否定した行動であり、共生の社会という目指すべき社会への取り組みと真逆である
②地域に生活する一人ひとりの障害者理解が問われた。
③家族も多くの苦しみを背負った。何故、氏名を明らかにしなかったかを理解する必要があるのではないか。
④地域における障害者施設の使命を再確認する必要がある。今までの地域住民と入所者が築いた絆を寸断させてはならない
⑤精神障害者をもつ人が起こした事件であり、精神障害をもつ人自身が、差別を恐れ、戸惑っていると聞く
⑥マスコミの報道を含めて、情報について、再度確認する必要がある。
⑦多くの献身的に働いておられる福祉の専門職への誤解も生まれていると聞く。私の大学の卒業生も働いており、悲しみの中に大きな痛みを抱いている。もっと、その働き人が評価されるべきではないか。また、確かに、犯人は、以前職員であることは事実であるが、一人ひとりの人格には、様々な側面がある。職員であることを強調することは問題。全体的に取り上げることが必要。
今、私たちが築いてきた、共に生きる社会を取り戻さなくては。だからこそ、高校生のような日々の地道な活動が、いつも、そしてこれからも必要とされると改めて確認できました。それが、完璧なものでなくても良いのです。ボランティアとしての思いが示されてれれば、それで十分です。それが、ボランティアの原点です。日々の生活を通して、理解を広げていくこと。その挑戦をし続けていくこと。
私は、若き友人諸君の活動に敬意を表し、これからも応援していきたいと思っています。
11月6日、午後6時半より対話広場が、神奈川県庁本庁舎3階大会議室を会場に行われます。テーマは、<「ともに生きる社会かながわ」の実現に向けて>です。私は、ゲストとして呼ばれ、今まで学んできた共生の社会づくりの理念と実践をお話しする予定です。もうお一人のゲストは、日本理化学工業株式会社の代表取締社長大山隆久さんです。同社は、従業員の70%が知的障害をもつ方で、人にやさしい企業として表彰されています。始めてお会いしますが、私も学ばせて頂きたいと、楽しみにしています。
SDGs(Sustainable Development Goals)という言葉を聞いたことがありますか。これは、持続可能な開発目標と言われ、ミレニアム開発目標の後継として,2015年9月の国連サミットで「持続可能な開発のための2030アジェンダ」として採択された、2016年から2030年までの国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なもので、日本も取り組んでいます。
また、SDGsは、企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)として、多くの企業が取り組んでいる指標でもあります。
私が委員長を務めさせて頂いています全国ボランティア・市民活動振興センターの運営委員会においても、SDGsについては、議題として取りあげられておりますので、ご紹介させて頂きます。
2018年8月8日、文京高校において、スクールボランティアサミットが開催されました。
練馬高校の正木先生にご紹介頂き、講演の機会を頂きましたが、私にとって、学びの機会を与えられたと思っています。
概要を書かせて頂きます。
高校生、校長・教員を含む学校関係者、東京都教育庁、各区市社会福祉協議会、民生委員児童委員、町会、企業、住民等の多様な方々が参加して行われました。
午前中には、東京都立村山特別支援学校、東京都北区立赤羽台西小学校、茨城県日立市立河原子中学校、神奈川県立秦野総合高等学校の実践報告がなされ、実際の取り組みから、ボランティア教育の可能性を学ぶことができました。
午後は、「子どもが“気づき”から“変容”する奉仕・ボランティア体験学習へ」という基調講演を行わせて頂きました。講演の概要は、以下の通りです。
1.私たちが直面する課題:社会の根底を流れる「底知れぬ寂しさ・悲しさ(人と人の絆が切れそうな社会を無縁社会と言う)」
①新たな絆を築く講堂
②共に歩む=ボランティア活動
③世代を超えた関わ
2.共生型社会の創造(共生型社会の意味は?)
「このゆびとーまれ」で育った私 富山市立藤ノ木小学校5年 岩本万由子
「私も赤ちゃんのころ、利用者のおばあさんによくだっこしてもらったり、あやしてもらっていたそうです。でも、実はそのおばあさんは重症の認知症だったそうですが、自分では「このゆび」に働きに来てると思っていたそうで、そのころの写真を見ても、本当にかわいがってもらったんだなあと、ありがたい気持ちでいっぱいになります。
「このゆび」に来ていると、障害のある人もジロジロ見られたり、かわいそうになんて言われることもなくて、みんな自分でできることを精一杯やって「役に立っている」自分に自信をもって、いきいきと過ごしています。
私は、障害があるから「かわいそうな人」なのではなく、「障害があってもがんばっている人」といっしょに過ごして、協力し合っていくことがお互いのために大事だと思います。<略>
障害のある人にはどのくらい具合が悪いか考えて接するかが大切だろうと考えて、なかなか積極的にかかわれない人が多いと聞きます。でも「このゆび」のように自然にお互いの良いところを認め合って過ごすことから始めればいいのだと思います。<略>」
平成17年度心の輪を広げる体験作文 内閣府優秀賞受賞、富山県最優秀賞受賞
この作文から、共に生きることの実際、自然な学び、障害者理解を読み取ることができます。*このゆびと=まれについては、本ブログに紹介がありますので、ご覧下さい。
3.「共に生きること」の大切さを学ぶ
①明日をつくる十歳のきみへ(日野原先生からメッセージ)
②被災地から学んでいること
<最後に>大切なことは、大切なあなたを、ずっと忘れないこと。
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されます。その大会の成功にはより多くのボランティアの参画が欠かせません。しかし、オリンピック・パラリンピックを単なるお祭りに終わらせていいのでしょうか。
私は以下のように思います。
A.地域で、社会で活動しているボランティアが、オリンピック・パラリンピックに参画する。
B.活動は直接大会の運営に貢献するだけでなく、東京にその後もボランティアをはじめとする共助の精神をレガシーとして受け継ぐ原動力にできないでしょうか。
2.ワークショップ
主題オリンピック・パラリンピック教育発展のための障がい者や高齢者に向けたボランティア体験プログラムを考える
・「ボッチャで交流」練馬高等学校ボランティア部がレクチャー
・ワークショップ 話し合い・各グループ発表・市川による講評
以下、練馬高校ボランティア部の発表レジメの一部を掲載させて頂きます。
練馬高校によるオリンピック・パラリンピックに向けた取り組みの報告とワークショップが行われました。練馬高校ボランティア部の学生が、高校がある地域の光が丘連合会のイベントに参加したことがきっかけで、ボッチャを知ることができ、生徒が主体的に取り組んでいこうという気持ちをもち、共に生きる社会を目指した歩みに踏み出したのでした。開催校の文京高校の学生も加わり、高校生主導でボッチャを実践し、参加者とともに話し合った姿に、私は将来の共生社会づくりの可能性を見ることができました。若き友人である高校生諸君に、心より感謝します。
そして、彼らがもつ冷静な目と熱い思いを感じました。高校生としての今の気持ちを大切にしてほしいと思っています。「どのようにボランティア活動を進めていくか」も大切ですが、「どうしてボランティア活動をするのか」という原点を若い時に築いて頂きたい。将来、自分が迷った時に、立ち戻ることができます。
ぼちぼち、頑張れ!