社会福祉関連

コロナ禍における地域ケアを考える

埼玉県社会福祉協議会が発行する月刊紙S・A・Iに以下の原稿を寄稿しましたので、ご報告いたします。

2020年度の業績一覧

研究業績一覧(ホームページ公開用)

  1. 著書

・2021年3月「専門職である前に、一人の人間であれ〜阿部志郎先生との出会いをとおして〜」p.67〜p.111阿部志郎監修・著『福祉に生きる君へ〜私は何を伝えてきたか』燦葉出版

2.書評 他 

・2020年5月「ボランティコーディネーターの皆さんへ〜皆さんへのエールと今の私たちにできること」『ボランティア情報2020年5月号』p.4〜6全国社会福祉協議会ボランティアセンター

・2020年7月東京都生活文化局「新しい日常における共助」におけるコメント。

https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/chiiki_tabunka/chiiki_katsudo/kyouyo/0000001479.html

・2020年9月『日本の都市特性評価 Japan Power Cities DATABOOK 2020』森記念財団  

・2020年9月東京都民生委員児童委員連合会『地域福祉の支え手としての民生委員・児童委員』DVD

・2020年10月全社協中央福祉学院社会福祉主事養成講座『特別講義:求められる社会福祉―コロナ禍における共生社会の再生をめざして』録画

・2020年10月「希望ある明日に向かって歩もう」やまばと534号 やまばと学園

・2021年1月全国民生委員児童委員連合会「民生委員・児童委員活動をすすめるために都道府県・指定都市民児協のリーダーに求められる役割」録画 

・2021年2月福祉系大学経営者協議会勉強会「第2部シンポジウム「withコロナ時代の福祉専門職の育成を考える」-Zoom開催-『記録』(HP掲載)

・2021年3月「東社協のこれまでの10年とこれからの取組への期待」『創立70年記念 東社協の歩み この10年 平成23年(2011年)〜令和2年(2020年)』3月8日、p.3

・2021年3月「全国民生委員指導者研修会(第30回全国民生委員大学)総評」

・2021年4月「コロナ禍における地域ケアを考える」『S・A・I2021年4月号』埼玉県社会福祉協議会

・三鷹ネットワーク大学・ルーテル学院大学共催 新型コロナウイルス時代の地域ケアを考えるトークセッション【Zoom講座】~三鷹市・調布市・小金井市の現場から~中間報告

3.講演(研修会講師等)

・長野県地域福祉コーディネーター養成講座、東京都民生委員児童委員初任者研修、全国社会福祉主事養成講座、長野市生活支援コーディネーター養成研修・島根県民生児童委員会長副会長研修・栃木県民生児童委員会長副会長研修等

4.学会活動および地域・社会における主な活動 (学会の役員、査読委員、その他役割など)

<学会等の活動>日本社会福祉学会監事、三鷹ネットワーク大学副理事長

<法人の役員>・東京神学大学評議員・医療法人財団慈生会野村病院監事・東京都つながり創生財団評議員・東京都社会福祉協議会理事・福祉系大学経営者協議会理事

<委員会等>

・三鷹市介護保険事業計画検討市民会議議長『三鷹市高齢者計画・第八期介護保険事業計画』

・小金井市介護保険運営協議会会長『第八期小金井市介護保険・高齢者保健福祉総合事業計画』

・武蔵野市健康福祉総合計画推進会議会長

・調布市高齢者福祉推進協議会顧問『調布市高齢者総合計画(第8期)』

・世田谷区共同募金配分委員会委員長、世田谷区社協評議員専任・解任委員会委員長

・練馬区介護保険運営協議会会長『練馬区保健福祉計画・介護保険事業計画(第8期)』

・東京都社会福祉協議会総合企画委員会委員長、法人理事

・東京都高齢者保健福祉計画策定委員会委員長『第八期東京都高齢者保健福祉計画』

・共助社会を進めるための検討委員会委員長『令和元年度共助社会づくりを進めるための検討会検討結果報告〜2020大会を契機としたボランティア文化の定着に向けた新たな仕組みについて〜』(令和2年3月)、共助社会づくりを進めるための検討会社会貢献表彰専門部会会長

・全国ボランティア市民活動振興センター運営委員長、評議員専任・解任委員会委員長

・ニッセイ財団高齢社会助成審査委員

・寄り添い型相談支援事業等選定・評価委員会委員会委員(厚生労働省)令和3年度選定・評価

・『日本の都市総合力評価(JPCI)有識者委員会(Expert Committee)』 委員<社会福祉担当>(森記念財団)

東京都で関わっている計画・事業関係情報

高齢者保健福祉計画(令和3年〜5年)が公表されました。

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kourei/shisaku/koureisyakeikaku/08keikaku0305/08keikaku-pdf.html

また、生活文化局より、以下の事業が進められています。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 日本ルーテル神学大学(旧名称)神学部キリスト教社会福祉学科を卒業して30数年が経ちました。桜の季節になると学内での花見宴会を毎年思い出します。寮生だった私は出身高校九州学院の先輩も多くいらっしゃったので、とても可愛がっていただき、相当やんちゃな自分に、市川先生をはじめ、先生方、職員の方たちにとてもよくして頂き、市川先生の授業のテスト当日に寝過ごして来ない自分を寮の部屋に起こしに来てくれたことを今でも思い出します(笑)。同期の友人や、ラグビー部の連中と30数年経った今でも連絡を取りあうと当時に戻ったような感覚になります。多くの仲間(といっても1学年35人くらいの時代ですが)との学生生活は人生の中でもっとも刺激的で人生観・福祉の考え方はラグビーに出会ったこと、教会に通ったことを含め間違いなく4年間で学んだことが今の自分の人格形成に大きく影響していることは疑う余地もありません。
 現在、熊本出身ですが、地元ではない静岡県内の知的障がい者支援施設で寮長を任されています。東日本大震災から10年、熊本地震では高校、大学通しての先輩が天に召されました。令和2年度はコロナ禍で、入所されている利用者の生命を守るための対策を徹底し、幸いにも、職員、利用者の方に感染者をだすことなく現在に至っております。各地で施設内でのクラスターの報道があるたびに他人ごとではないことを感じています。
 大きな災害を経験する度、コロナ禍で気持ちが張りつめた状況が続く中で支えとなるのは、全国各地で踏ん張っている先輩、同期の友人も苦しい環境の中にいてそれぞれの立場で頑張っていることです。福祉の仕事を志した覚悟を思い出させてくれる仲間と出会えたことを心から神に感謝し、ルーテル神大に行ってよかったと心から思います。ありがとうございます。
 コロナウィルスの影響は今後も続いていき、この瞬間にも苦しい状況の中にいる仲間がいます。乗り越えられない苦難を神様は与えないことを信じ「ワンチーム」で乗り越えていきましょう!

 ルーテル卒のブレイブブロッサム 杉原

明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年3月11日は、東日本大震災発災後10年の日。当時のことを、鮮明に思い出します。それ以降、私にとって石巻市は、特別な場所になりました。

 そして、10年を経た今、改めて思います。あの時歌われた復興支援ソング「花は咲く」を歌い継いでいこうと。まだ復興の半ばである被災地から、この歌を歌い、次の世代に今までの、そしてこれからの取り組みを知らせていこうと。

 また、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。

 すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。

 私は、その基盤を築き、若者たちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと再度思いました。

花は咲く 第2番

夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず ないたりして
今はただ 愛(いと)おしい あの人を 思い出す

誰かの想(おも)いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

石巻市日笠山公園の桜(2014年、病床にあった教え子に送り続けた桜の花の写真の一枚です)

備えあれば、憂いなし。どうぞご利用下さい。

2021年3月11日を思う

 私は、東日本大震災発災後10年を迎え、被災地で復旧・復興は進められたものの、未だ道半ばであると思っています。さらに福島原発の問題は、先がまったく見えない状態です。

 私は、2020年3月末をもって、長らく担わせて頂いた「石巻市社会福祉協議会地域福祉アドバイザー」、そして石巻市の同アドバイザーの役割を終えました。ふりかえって。そもそも2011年3月11日の東日本大震災の被害状況を見て、いてもたってもいられず、毎年、何回か石巻を訪問させて頂きました。そして、今日にいたるまで、たくさんのことを学びました。

第1に、いつも一緒にいた家族が津波によって流され、家もなくなり、思い出のかずかずも失なった。当たり前の生活が出来なくなり、そんな失意の中でどう生きていくかを考えながらも、周りの人たちに支えられて共に歩もうと努力しておられるたくさんの方々とお会いしてきました。私は家族や友人との絆といった、自分にとって「あるのが当たり前」と思っていたことが、 実はそこに価値があるのだということを学びました。

第2に、生活の拠点を失った方々の生活を支える様々な支援を見て、学んできました。また自分たちで、コミュニティを再建しようとする住民による地道な活動に出会いました。社協職員や住民、民生委員、ボランティア、関係者等と地域の再建を目指した経験は、かけがえのない友情を築くとともに、地域福祉活動の原点を学ぶことができたと思います。

第3に、いくつもの大切な絆を失なった方に希望を届けられるのか。一人ひとりの可能性と明日への希望をどのようにお伝えすることができるか、私自身が問われていると思いました。そして、被災まもなく、まだ津波の跡が残っている市街地を歩いていて、ある看板を見つけました。そこには、こう書かれていました。 「できることから、始めよう」

 私は、被災地で学んだことを活かし、コロナによって今まであった問題がより深刻化し、解決の糸口が見えない今、新たな共生の社会づくりに挑戦する時だと思っています。そして、10年を経て再び歩みを始めようとしている被災地の方々と共に歩みをそろえたいと思っています。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 しなやかな心遣いは、人と人の関係を和ませます。この閉塞感の時代の中で、先を思い悩んだり、先走って焦たり、すぐ結果を求めがちです。しかし、問題や困難な出来ごとに向き合う中で、ちょうど飴玉を口の中でゆっくり転がしながら味わっていくように、物事にじっくり対応する姿勢が大切であり、その中で、忍耐する心が養われ、心が鍛えられやがて熟練したしなやかな心に達し、希望を導き出すと学んできました。心の健康が大事な時代であります。福祉の変革の時代だからこそ、鍛えられたしなやかな心を身につけて、希望を生み出す働きに共に携わってまいりましょう。       横浜の高山

「東京都社会福祉協議会と社会福祉のこの10年」への寄稿文

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 私は現在、3歳の娘の子育てをしながら、特別養護老人ホームの生活相談員をしています。コロナウイルスの流行で面会制限が続く中、どうしたら大切な人達との繋がりを分断させないようにできるのか、それでも肉体に訪れてしまう最期の別れの時・・・援助者に何が出来るのか自問自答の日々です。仕事人としても、母親としても、心が折れそうな瞬間が何度もありました。

 今回、市川先生にお声を掛けて頂いたとゼミの仲間より伺い、恥ずかしながら先生の研究室ブログを初めて拝見しました。そこには、環境は異なっても、それぞれの場で励まし合い、発信し合うルーテル卒業生・先輩方のメッセージが溢れていました。感動しました。私は1人ではない、ルーテルという帰る場所がある、と大きな力を感じました。援助者だって揺らいで当然、清濁合わせ呑んで、それでも向き合ってやる!と気持ちが吹っ切れました笑笑

 今、皆様それぞれが、仕事・家庭・学業など様々な環境で困難の中、奮闘されていると思います。皆様の幸せを祈ります。この出会いに感謝します。市川先生、天国におられる石川久展先生ありがとうございます。いつかまた元気で皆に会えますように。N.Sato

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

2019年度入学式 存在保証

「私は、ここにいます。」

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員は、皆さんの学びを支援し、それぞれが成長していくプロセスを応援していきたいと思っています。

 さて、今日、大学の構内を歩きました。サクラが満開に咲き、皆さんを迎えていました。そして、たくさんの種類の花も咲いていました。群生で咲いている花もありましたが、一輪、もしくは数輪で咲いていた花もあります。いずれも、「私はここにいます」というメッセージをはなっていました。

 今日お話しする「私はここにいます」という意味を、私は3つ考えています。第1に困難に直面する人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言することであり、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることであり、第3に私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです

 私は、昨年の5月に、「国連の「世界孤児の日」制定運動の趣旨に賛同いたします」という文書を作成しました。その文書の背景には、「孤児の母」と言われた田内千鶴子(タウチチズコ)氏の働きがあります。韓国でもっとも長い歴史をもつ共生園は、1928(昭和3)年に、ユン・チホ伝道師が、韓国南西部の木浦(もっぽ)の小川橋の下で寒さに震えている7人の孤児の子どもたちを発見し、家に連れてきて一緒に生活をしたことから始まりました。その妻である田内女史は、共生園を守り、3,000人の孤児を育てました。この応援メッセージは、「孤児の母」と呼ばれた田内女史の息子であり、在日高齢者等へのホーム等を運営する尹基(Tauchi Motoi)理事長の活動を応援をするものです。

 世界のいたるところで、戦争や内紛、テロが起こり、たくさんの命が失われています。また、伝染病や環境の不衛生に起因する疾病、地震や大規模火災等の自然災害による被害で命を失ったたくさんの人々がおられます。経済危機による飢餓や極度の貧困に直面している人々は、莫大な数にのぼります。これは、特定の地域にとどまらず、国や、近隣諸国を包み、世界規模で多くの市民も巻き込んで進んでいます。

 これらの結果、もっとも弱い状況にある子どもが、大きな被害を受けています。父、母や近親者等の今まで育ててくれていた家族を失い、貧困に陥り、また住む家を失い、生活の危機、心の危機、生命の危機に直面するなどの子どもの数は1億5千万人を超えるとする報告もあります。日本においても虐待によって命を失う児童は、毎年、数十人を数えます

 だからこそ、私は、誰もが神様から祝福されて生まれたのであって、「おめでとう」と言い続けたい。そして、私たち自身が、祝福されて命を与えられたという事実を忘れてはいけない。「私はここにいます」とは、第1に、「0か100では無く、その間には1から99の方法」があるのであって、自分が選んだやり方で、子供たちを支援すること、平和を求めることは、私たち自身が存在を認められ、未来に向かって生きていくという宣言でもあるのです。

「私はここにいます」の第2の意味は、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めることですだと言うこと。いつも迷いや不安が私たちの歩みを遮ります。今必要なことは何か、何ができるのか、たくさんの疑問でアップアップです。そのような生き方をしている私たちに、アドバイスをしてくれた有名人がいます。イチローです。引退試合が終了した後に開かれた記者会見での発言の一部を紹介します。

「人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分の中にある。それで自分なりにはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。

すなわち大切なことは、自分としていかに生きていくかということ。ありのままの自分を誠実に受け止め、自分にはどのような力があり、可能性があり、同時に課題があるかを見失わないこと。自分を誠実に受け止めることは、同時に相手の生き方を認めることであり、そこに自分の成長があります。

最後に「私はここにいます」の意味は、私たちの生き方を、神が救って下さるという確信があることです。

イザヤ35章4節に立ち返ります。聖書には「心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵をうち、悪に報いる神が来られる。神が来て、あなたたちを救われる」と書かれています。この聖句は、私の恩師から頂いたものです。阿部志郎先生は、ご自分の戦争体験を通して、何とおろかか。権威に服し、考え、迷いもなく、行動を考えず、全く疑わず、恐れず、戦争を起こしたことに後悔している。若者が、考え、迷い、自分で選択して将来を決めて欲しいと思われ、この聖句を私に託されました。 

 神は、この聖句を通して、様々な困難に追い込まれている人々に、受けた災いをもたらした者に対する行動を宣言されました。神様からのメッセージと思います。「私はここにいます」の第3の意味は、「神が来て、あなたたちを救われる」と言われるように、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです

 繰り返しになりますが、「私は、ここにいます」の意味は、第1に困難に直面した人と共に歩むこと、平和を求めることは、私たち自身の存在を宣言すること、第2に、自分らしく生きることは、相手の生き方を認めること、第3に、私たちが生きてゆく道を神様が守って下さる確信を持ち続けることです。

 改めて、申し上げます、入学おめでとうございます。そして、皆さんが卒業する4年後、私は、定年を迎えます。一緒に卒業しましょう。