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希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年4月20日のキリスト教月間での私のメッセージを大学が録画し、再度聞くことができるようにして下さいました。テーマは、「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」です。

 よろしければ、どうぞ。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ 

1987年卒 伊藤光宣さん

希望ある明日に向かった歩むぞメッセージ〜いのちの回復――原点に立ち返る――

                   社会福祉法人ベタニアホーム理事長・2009年3月卒業 綱春子

1.私が社会福祉の仕事に携わるようになった経緯

 私が11歳の時父が他界し母子家庭となりました。当時高校生(3年生と一年生)の姉と小学6年生の私、3人の娘を母一人で育てました。母は専業主婦で社会的な仕事の経験はなく、父が残した少しばかりの田畑を耕しサツマイモ、じゃがいも、カボチャ、野菜等、家族の飢えを凌ぐ食べ物を作って、工夫しておいしく調理して養ってくれました。姉二人が社会人となり私が高校入学の時には、お金は底をついていたようです。私は特待生として無償で高校生時代を楽しみました。卒業を前にしてある銀行の就職試験を受けたのですが、最終面接で200万円の預金が条件であることを知らされました。それは不可能なことで、急遽お金がかからない学校を探しました。女性でも生活力を身に付けた方が良いと考えたのです。学校案内を見ると熊本大学付属看護学校と県立保母養成所が当時無償でした。保育所がどのようなものか全く知らないで、幼児教育は面白そうだ!と安易な考えで選び、保育者としての勉強を始めたのがきっかけでした。

2.社会福祉法人慈愛園の子ども達との出会い

 保育者養成校2年生の施設実習で慈愛園の夏のキャンプに参加しました。テント、鍋、飯盒、ナイフ、鉈、懐中電灯、着替え一式等最小限必要とするものだけの物品で、自然の中でいかに工夫をして2泊3日を過ごすか、班ごとに知恵と工夫とメンバーの協力のみです。子ども達は困難な中にも指導員と共に、楽しそうに活動し輝いていました。この生き生きとした子ども達の姿に感動して、私は「児童養護施設」に進路を決めました。早速9月から私は慈愛園子供ホームの第2ホームに住み込みました。ホーム式でお母さんと呼ばれる保育者1名と1歳から18歳までの男女の子ども達10人の家族的構成でした。お母さん(多鶴子先生)の居室6条畳一間に私が住み込むという、今では想像がつかない事でしょう。多鶴子先生は極普通に受け入れて下さり、寝物語に聖書のお話をして下さいました。今まで全く知らない聖書の世界です。生活は朝6時起床。分担して掃除や朝食準備、朝食、後片づけ、身支度を整えて各学校等へ「行ってきます」「ただいま」。夕方友達と遊び、夕食準備、お祈りして夕食、後片づけ、学習、夕べの祈り、入浴、就寝、クリスチャンホームの生活です。私も7か月間、毎朝子ども達と同様に慈愛園から養成校に通いました。1961年4月、私は正規職員として採用されました。敷地内に8軒のお家があり、お母さんが週休のホームへ巡回する役割と、ガールスカウト担当が私の業務内容でした。職員は一体となって神と人に仕える働きでした。私は慈愛園でキリスト教主義ディアコニヤ精神をしっかり学びました。2年間子供ホームの経験を経て同法人の保育園に異動しました。そしてイエス様を知り、洗礼の恵みに与かりました。クリスチャンワーカーとして目覚めです。保育園の仕事を約40年間、乳幼児保育と子育て中の親支援の働きへと繋がります。

3.学生時代のセツルメント活動

 市内にある大学の学生グループ, 熊本大学医学部、教育学部、県立女子大、そして保母養成所の学生達で構成するセツルメント活動に参加しました。近隣に兵舎跡の暗いジメジメした住宅に、第2次世界大戦後の引揚者の家族が居住していました。学習指導や子ども会、健康相談等、学生として学んでいる各専門性の勉強を生かして、住民と関わりを持ちました。農繁期には山間地域で青空保育を開園し、夜は地元住民の方々との懇談で、地域が抱えている問題等話を聞きました。セツルメント活動で経験したことは、私が社会福祉に携わるためのエネルギーの基となり、社会全体の営みを考える動機となりました。

4.ルーテル学院大学のキリスト人間観と教育

 2005年4月、65歳を迎える直前にルーテル学院へ社会人入学しました。多くのことに関心を持ち夢中で仕事をしてきたのですが、対人援助の仕事はすべて人間関係の在り方にある。キリスト教の人間理解を深め人の心の成り立ちをもっと知りたいという欲求からでした。臨床心理学を専攻しました。ルーテル学院大学は専攻科目の他に聖書の勉強、キリスト教の人間観、社会福祉、臨床心理、一般教養の学科等を選択出来ます。人間を総合的に学ぶことが出来て、しかも少数人数制で先生との距離が近く丁寧に授業が進められるのがルーテル学院大学の特徴です。一方的でなくグループワークで交わりが深められます。往復5時間の道のりも苦とは思わず、むしろ恵みの日々でした。

 ルーテル学院大学の教えは、キリスト教信仰を土台に「キリストの心を心として、神にと人に仕える」働き人を育て、隣人愛をもって福祉の実践の場へと遣わされています。卒業生は4,000に以上になると聞いています。

5. 卒業生としての社会的援助の原点

 様々な職業がありますが、仕事をすることはどんな意味があるのでしょうか。

 元々の意味はドイツ語でBeruf(ベルーフ、英語でCalling)と講義で聞きました。どの職業も神さまから与えられた仕事で、「神と人に仕え共に助け合い喜び合う」ことに意味があるとのことです。私たちは真にルーテル学院大学の教えそのものを身に付けて社会的援助の仕事をしています。   

 生きることに困難な時代です。不況、不安,不信の世の中で心身の疲弊やストレスがたまり、傷つけ合うことの多い日常生活です。私たちの命の回復はどのように得ることが出来るのでしょうか。力いっぱい走り続ければ息が切れて酸欠になってしまいます。ですからそのような時には立ち止まって呼吸を整えることが大切ですね。どのように整えたら良いでしょうか。思い出してください。学び舎のチャペルを。お昼の礼拝で聞いた先生方や学友のメッセージを。礼拝の聖書のみ言葉や説教、讃美歌を。そして近くにある教会へ足を運んでみてください。そこには命の息を感じ、生きる命の力を回復することができるでしょう。日々新しい気持ちで子ども達や利用者に穏やかに丁寧に向き合い安心を届けましょう。喜んで頂くことが自分自身の喜びとなります。主が共に。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 感染症の終息がみえないまま新しい年度が始まり早2ヶ月が経過し、2021年が始まって6ヶ月目を迎えようとしている。この半年、私は社会人として多くのことを教わった二人の大先輩を亡くした。一人の方は、亡くなった当日も次年度の方針について話し合い、最寄りの駅まで送った。そして、そのホームで倒れられた。「気を付けて帰ってくださいね」と声を掛けた後姿が最期となってしまった。この出来事をどこに収めたらよいのか、この先のことを思うとただただ途方に暮れた。

 もう一人は、新卒で入職した施設の先輩である。子ども達の変化に直ぐに気づき、その変化を受け留めつつ、その人にしかできないコミュニケーションで、それらを和らげる人であった。その人の周りには常に笑いがあった。笑いの中で築きあげられた子どもとの関係性は、厳しいことを伝える場面でも効果を発揮していた。日々の積み重ね、子どもと向き合うことがどれだけ大切なことかを教わった。

 そして、この二人の最期のお姿より二つのことを教わった。一つは、日々の中で忘れてしまいがちであるが、「人は必ず死ぬということ」。そして、もう一つは、闘病生活の中でも、その方がそうであったように「自分の人生を主体的に生きる」ということである。

 社会にでて数十年が経過し、最期のお別れをするのが「〇〇のお母様」「▲▲のお父様」でなく、今回のように、自分が影響を受けた方、深い交流のあった方と変化していることに気づかされた出来事であった。

 気づかされたといえば、もう一つ。同じ時代に、共に学び舎で過ごした後輩と一緒に仕事をする心強さである。私の法人では、数年前に新しい事業を開始した。新しいことがスムーズにゆくはずはなく、荒波を「なんとかなるよ」と突き進む心の持ち主、そして利用者との毎日を楽しみ、それを活力にできる人材を探していた。そんな時、一人の後輩の顔が思い浮かんだ。大学を卒業してから数年に一度しか会う機会はなかったが、会うたびに現在の自分のこと(子育て、PTAの活動等)を笑いを交えながら話してくれた。内容は意外と大変そうなのだが、彼女が話をするとなぜか笑える。これは才能だと思いながら時間も忘れ話を聞いた。そして最後はいつも同じであった「もう帰っちゃうの。話はこれからなのに・・・・」。今、その彼女と机を並べ仕事をしている。「もう帰っちゃうの」と言われることはなくなったが、彼女の意見を聞き、どうしたいのか、何故それをしたいのかを聞く毎日である。その様子は、職場の仲間からすると、大きな声で話をしているので論争しているように思われるかもしれないが、意外とこの時間が私にとって心地良いのも事実である。

 市川研究室のブログを訪問すると懐かしい先輩、同期、後輩の名前がそこにはあり、勇気と元気をいただている。特に岩〇さんのメッセージは、大きな励みとなっている。同じ学び舎で過ごし、この時代をそれぞれの立場、役割、立ち位置で限りある人生をその人らしく過ごされている。お一人おひとりの健康と安全が守られることを願いつつ、今日もこのブログを訪問している自分がいる。そして、どこかに自分と同じような思いで、ブログを訪問している人がいるかもしれないとも思う。そのような皆様に、「私とK藤さんは今日も机を並べ、大笑いしながら過ごしています」、マスクを外し「ガッハッハッ」と笑える日を待ちわびながら。

1991年卒業 I.S

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる

コロナ過の中、心乱れる日が続いていますね。偶然ですが市川先生の研究室の企画を知り投稿させていただきます。私の2回目の大学生活の様子をお話しすることで、改めてルーテル学院大学の素晴らしさを知っていただこうと思います。

子育てというものはクリエイテブだと確信していますが、知的&身体の障害を持つ長女を育てているうちに息苦しさを感じていました。明日も今日の繰り返し?とです。そんな時目に留まったのがルーテル学院大学の公開講座の案内でした。思わず飛びついて週に1~2回ささやかな私だけの時間を持ち始めました。

平均年齢の半分を過ぎ、ふと、立ち止まった時、今までの繰り返しで自分の一生が終わるのかと、今までの繰り返しなら、もう体験したことだから、難なくこなしていけるだろうけれど、私の一生はこれだけでしかないのかとも思いました。

何かするなら今かなぁ?あの子のせいで、これが出来なかった、あれをしたかったのにできなかったというのは言い訳で、長女に対して失礼だと思いました。私にとっても、たった一度の人生です。あの子のせいでといういい訳はしたくないと思いました。色々試みて、結果として今と同じなら、それはそれでいいだろうと。

一方、障害児の母は元気はつらつとしていて、PTAも地域の活動も一所懸命やらねばならないと確信していた私は、20年以上にも及ぶそんな頑張りに疲れていました。強い意志と、丈夫な体を持ち、誰からも後ろ指指されないようにと誓い、決して生活に疲れた顔はしたくないと頑張りましたが、疲れたのです。でも、それは口が裂けても言うまいと、心にしまっていました。

主人の転勤先の神戸で結婚生活が始まりましたが、長女が三歳半で次女が産まれ転勤で東京に戻りました。そして運命とも言える出会いがありました。障害児はどこも断られ途方にくれていたとき、保健婦さんが「保健所の隣に教会幼稚園あるわよ!」下心ミエミエ、キリスト教系なら心優しき人に違いないと、門を叩いたのです!

牧師先生は長女を年少クラスに預かって下さり、私の話をじっと聞かれて「明日またきてください。」あくる日、藁をもすがる思いで出かけると「昨日職員といろいろ相談しました。本当に私どもでお役に立つなら。」といわれ、夏の暑い日でしたが流れる汗が引くくらい感激し、牧師先生に後光がさしたように見えました。キリスト教では後光は射さないのですよね。

こうしてキリスト教と向き合うきっかけが生まれましたが、振り返ってみれば実に多くのキリスト者に助けられていた事を後で知ったのです。

長女はお世話になった教会の幼稚園を卒園後も日曜礼拝に出席していたのですが、20歳になった時洗礼を勧められたのです。送迎だけをしていた私は知的障害の彼女がどのようにキリスト教を受け止めているのか興味が湧きました。

公開講座は通い続けていましたので、だんだん受講したい教科がなくなってきました。気分転換の公開講座通いでしたが、キリスト教学科以外の授業には目が向きません。文化とキリスト教入門の授業のあと、U先生に来年はどんな楽しい講座が開設されるのかとお訪ねしたら「学生になるのは如何ですか?」という答え。願書締め切りまで一週間もなく大慌てでしたが、学力より意欲で3年に編入させていただきました。興味津々のキリスト教を頭の中が嵐のようになりながらも必死で理解に努めました。

学芸員も目指していたので、お隣の中近東文化センターで行われる授業は気分が全く変わり、資格取得への意欲が湧きました。学芸員実習では、貴重な所蔵品に触れる機会が持て緊張もしましたが感激しました。大学の授業は殆ど10人以下のクラスで、先生がたも学生の顔を見ただけで名前がお解かりの和やかできめ細かい内容で本当に贅沢な授業だと思いました。

長い間その周りを廻っていたキリスト教について、自分なりの整理をしたいので次から次へと興味が湧きますし留まるところをしりませんでした。納得行くまで質問をし、疑問を解決していきました。私は履修していた全ての授業で質問し、疑問をぶつけていましたがキリスト教学科の先生は一つ一つ丁寧に、対応してくださりました。

思う存分自分の時間を使いたいという欲求は益々高まりました。2年間の大学生生活は本当に楽しく充実していて日々感謝でした。そして、一番感じたことはこのキャンパスに集う人たちの、優しさです。人それぞれでは有りますが、多分それはキリスト教というアイデンティティがあるからです。キャンパスで見かける先生がたの姿が、お人柄がほっとする物を感じさせ、あこがれを持たせてくれるのだと思います。疲れ果てていた私には、先生方や友人たちの優しさは救いでした。ああ、ここはのんびりできる、こんな素敵な場所があったんだと。まさに、オアシスでした。そして、初めて口に出す事ができました。「私は疲れた」と。

毎日聖書を開かない日はないという学生生活が終わった後、暫くはボーっとしていましたが、もう周りを廻るのは止めようと思いました。今までの自分を振り返り、全て神の摂理の中で動かされていたのだと納得したからです。

将来に悩みがないといえばウソになりますが2度目の大学生生活が送れるなんて予想だにできなかったことが実現しました。願って行動すれば門は開かれるようです。

次の聖句は私の入学式の翌日、鈴木学科長のチャペルメッセージで読まれました。まるで私のこと見たいと、妙に納得した言葉です。「そこで、わたしはいっておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

ルーテル学院大学で2年間の学生生活で私が得たものはとても素晴らしい物だったのです。後援会の皆さまのルーテル学院大学・神学校に寄せる熱き思いが私に伝わったことをご報告させていただき、話を終わります。

                      2021年5月20日  IKE (現在、後援会推進委員)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

①近況:健康第一、アンチエイジングを思い立ち、3年くらいサボっていた宅トレを再開しました。筋肉痛が翌日ではなく翌々日にやってくるくらいダメな筋肉でした。まずは3ヶ月続けようと思います。

②コロナ禍における今の思い:東京の緊急事態宣言を受け、大学の授業がズームに切り替わりました。せっかく対面で授業ができる喜びをかみめていたのに残念です。インドの惨状のニュースに接し、昨年度より感染拡大を懸念しています。学生の実習にも影響するので重く受け止めざるを得ない昨今です。

③ルーテル学院への思い等:今年度就任した同僚が心理の修士課程をルーテルで学んだ方で、思い出話で盛り上がりました。学科は別でも、アットホームな大学だから卒業生が共有できることが多いと感じています。また、最近、実習指導や実践現場における連携場面で、ソーシャルワーク実践は価値や倫理が重要だと考えることがありました。思い返すと、多くの専門職が「ああ、あの家族は共依存だから」「ああ、あのお母さんはちょっと認知が入っているから」など、見方によってはスティグマの要素が強い言葉で安易にアセスメントしてしているのが気になっていました。SWは利用者がそれぞれ生きている生活の文脈をどう読み解くか、もっともっと豊かな言葉で表現する必要があるのではないかと思うのです。

 ルーテル学院大学の先生方は、ソーシャルワークの価値や倫理についてブレることなく教えてくだいました。制度や政策がいかに変遷しようとも、教えてくださったことは、変わりなく、私のソーシャルワーク実践の礎になっています。    西田ちゆき

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 ルーテルを卒業し、25年以上になります。児童養護施設に勤務し、現在は自立援助ホームでの働きを許され、神さまの御心にかなう実践をと、祈りと感謝をもって、用いられているところです。間違い、見失い、迷うことの多い日々でありますが、そんな時よく、ルーテルで教えていただいた先生方の、お言葉が頭に浮かびます。(と言うと、さぞ真面目で優秀な学生だったかのようですが・・・笑 実際はそれには程遠く、市川先生の老人福祉論では試験の日に朝まで勉強していて寝過ごした私に、先生が代わりにレポート提出という救いの手を差し伸べて下さいました。大変不真面目な学生でしたが、ルーテルでの4年間は、友人や教職員の皆さまのおかげで大変濃密で実り多い4年間であったと自負しております。)

 わたくしの入学式で学長が「一人ひとりと向き合うルーテルでの教育を受ける学生は、福祉の現場で、また社会に出た際に、一人ひとりを大切に寄り添う働き人になれる」と話された記憶があります。

このたび、市川先生にお声をかけていただき、初めてこの「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」を拝見させていただきました。先輩方や同級生など、ルーテルの卒業生がそれぞれの場所で、日々奮闘されている様子を知り、とても感動いたしました。そして入学式で学長が言われたことは本当だったと強く感じました。と同時に、「私はそうなれているのか?」と日頃の実践を振り返させられ、原点に還る思いがいたしました。自立援助ホームで出会う15歳から20歳までの子どもたち一人ひとりの生きにくさや、つまずきに寄り添えているだろうか?「早く」「上手に」「多く」「効率的に」「正しく」ということばかりに重きを置き自立することを強いらせてはいないだろうか。私がルーテルでしていただいたように、「その人らしく」「その人のペースで」「ゆっくり」「下手でも丁寧に」「間違ってもやり直せばいい」という姿勢で寄り添いたい、ルーテルで教わった目に見えないその人が持つ力を信じるということを改めて思わされました。

 これまで世界中でどれほど、この感染症が一日でも早く過ぎ去っていくようにと、篤い祈りが捧げられてきたかわかりません。私たち自身の不安を取り除くためだけではなく、病に罹った方々の苦しみ、医療現場で戦っておられる方々の労苦、親しい方の命を失った方々の悲しみに思いをはせ、祈ってきました。しかし、この感染症が過ぎ去る日はまだ訪れず、現在日本では感染力の高い変異株のために、新型コロナ「第4波」が今までの波をはるかに上回るスピードで急拡大しています。ある日一人の子どもがこの状況を「あまりにも人間が勝手なことばかりするから、神さまが怒って人間に罰を与えているんだ」と言いました。そう感じるその気持ちを受け止めつつも、私はこう答えました。「神さまは罰をお与えになる方ではなく、私たち人間を深く愛していて下さり、その愛は私たちには計り知ることはできないのだ」と。社会で良しとされている「効率優先主義」でなく、目には見えない力を信じることを知っている私たちルーテル生は、肉に頼ることに制約があるこの状況下で、神さまの霊の力、(目には見えないが確かにあるもの)が現れるということを信じ、明るい未来に希望を持ち、歩んでいきたいと思いました。皆さまそれぞれの上に、神様のお守りと祝福が豊かにありますように。97年卒 MK 

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

メッセージを拝見致しました。またまた涙がでてしまったのですが、確かにそうですね。私たちは今、コロナに試されているのだと思いました。これをマイナスに考えるか、またはプラスになるものとして捉えて、今後の社会の本当のあり方を考えていくかは、私たち次第です。中央政府、地方政府への不信が広がる中、これからは上からの力ではなく、私たちが下からの力で少しずつより良い社会をつくっていくべきなのですね。草の根運動、時間はかかりますがこれこそが社会を変えていく方法です。一人ひとりの参加、大切です。今はリモートで誰もが会える時代なのでここでのネットワークを使って卒業生グループを作るのも良いかも知れません。私も日本の看護師さんたちとネットワークをつくって看護の環境改善の話などをするのですが、みんながみんな各々の場所で同じような問題がある中、横のつながりがないために問題をシュアして話し合い、解決策を見出す場がないと気づきました。横のつながりも大切ですね。この場を使って卒業生やソーシャルワーカーたちのフォーラムをつくってみませんか?

2021年度キリスト教月間メッセージ テーマ「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」(2021.4.20)

聖句「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」フィリピ第3章12節 

今日は、この1年の経験を通して私が学んでいる2つのことをお話をします。それは、第一に、聖句に書かれている「何とかして捕らえようと努めていること」と、第二に、「自分がキリスト・イエスに捕らえられていること」です。

2020年4月2日午前8時、ニューヨークにいる卒業生の岩間さんよりラインが届きました。そこには、ニューヨークにおける医療現場の厳しさが書かれていました。

「私は今、マンハッタンのMount Sinai Hospital と言う大きなhealthcare system の中の一つのHospital のCOVID ICUで働いています。死者が増え、霊安室も一杯でご遺体を置く場所もありません。ICU(集中治療室 (Intensive Care Unit))ベッドもICUナースも足りないし、人工呼吸器も足りません。自分の身を守るためのマスクやガウン、フェイスシールドなども不足して、自分の身も守れません。まさに、戦場下です。数週間前までは普通に生活をしていたのに、人間の生活ってこんなにまで急に変わってしまうのですね。こんな時ですが、いつも私が神様に願っていたこと「神様のために私を用いて下さい」と言うことが、もしかしたらこれなのかも知れません。・・・・・。」 

私は、そのラインを受けて、心配で激しく心が揺さぶられました。そして、ニューヨークにいる岩間さんを支えるために何ができるか、悩みました。そこで、私と繋がっている卒業生に対して、メールやラインで以下の文章を送りました。 「1992年度卒業の岩間さんから、ラインが届きました。励ましのメッセージを送ろうと思います」

そのラインを受けて、たくさんの卒業生から私に岩間さんへの励ましのメールやラインが届きました。2日後、それをまとめて岩間さんに送りました。

「市川先生、ルーテルの皆さんからのメッセージを一つひとつ大切に読ませて頂きました。涙が止まりません。皆さん、本当にありがとうございました。そして、多くの方の祈りに支えられて私の毎日があるのだと思いました。皆さんの祈りを大切にこれからも頑張っていきます。どうぞ、これからも私たちのために祈ってください。(略)私も皆さんの祈りに支えられて頑張っていきます。本当にありがとうございました」

岩間さんは、今も元気で、病院での仕事を続けながら、大学でも教え、昨年の12月には、社会福祉原論Ⅱの授業を1コマ、ニューヨークからzoomで行って下さいました。

また、岩間さんとの連絡を契機に、卒業生や大学関係者による「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」が始まり、岩間さんとのメッセージを含めて、80近いメッセージが市川一宏研究室に掲載されています。児童養護施設、老人福祉や障害者児福祉の現場で働いている卒業生が、利用者の方々の支援を通して、明日への希望を書いています。児童養護施設で子どもの生活を支えながら、コロナから守り、そして子どもたちのために祈るメッセージ。癌センターに入院している高校生が感染予防のためになかなか家族と会えず、また家族も子どものことを思い続けているその現実にあって、日々共に歩んでいる思いを綴ったメッセージ。それらのメッセージを読み、私は、勇気づけられています。

正直に申し上げると、今、何をすべきか、私自身、日々迷いの連続です。確信できることを捕らえようと日々努めています。しかし、コロナ禍における困難な時に大切なことが見えてくる。困難を感じていない時に気がついていなかったが、大切であったことが分かってくる。確かに、コロナウイルスの広がりは、今までの関係を打ち砕き、不安、恐怖、不信、怒りを生み出し、負の連鎖が広がってきています。しかし、だからこそ、絆、「人への思いやり」の大切さが分かる。私は「絆」「人への思いやり」を守り、強めたいと思っています。それが、「何とかして捕らえようと努めている」現実です。

また、私は、コロナを通して、私がキリスト・イエスに捕らえられていることを学んでいます。嵐の中にあって、増水した川に流されそうになる時、流れないように私の手を離さない方がおられる。立ち戻る場を、自分が疲れを癒やし、回復して新たに歩む場を私たちに与えてくださっている。私は、「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」ことを実感しています。

私たちは、今を、そしてこれからをどのように生きていくか、コロナに試されているのではないでしょうか。私は、これからも、卒業生や関係者の方々と、「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」を書き続けていきたいと思っています。

神に感謝。

岩間さんより  新型コロナの患者さんが急激に増え、医療崩壊の起こった一年前のことをいつも思い出します。当時、有効な治療法もなく、ワクチンの開発などなかった中で、毎日黙々と仕事にむかっていた頃、本当に終わりが来るのだろうか、と思い続けていました。明けない夜はないと言いますが、明けない夜もあるのではないなかと心を疑うこともありました。そのような中で、希望ある明日に向かって歩むぞメッセージは、夜が明けなくても、明けない夜の中で灯火を絶やさないようにすることを考えさせてくれたと思います。多分、暗い夜の中でみんなが灯火を絶やさなかったので、今の落ちついた生活がやってきたのでしょう。メッセージを送ったり受け取ったりすることがこんなにパワフルだとは知りませんでした。とてもありがたく、貴重な経験でした。そして、メッセージを送ってくださったルーテルの仲間たちにたくさんの感謝をこめて。

阿部志郎監修・著『福祉に生きる君へ』

3月には卒業して社会に巣立っていく学生を見送り、4月には新入生が入学し、また新たな歩みが始まったという感動を繰り返して、今年で38年目になります。

この間をふりかえって、私は、さまざまな思いがわき上がります。大学を献身的にご支援下さった前理事長の故石原寛先生、現理事長の松沢員子先生をはじめとする、たくさんの方々への感謝、社会福祉、教育、医療、宣教、地域の現場で困難に直面する人と共にいる卒業生への敬意、全国各地、全世界でルーテルのミッションを掲げて働いている方々との信頼が、今までの私の行動の原動力になっていたと実感しています。

定年まであと2年となり、これからの自分の歩みを考えている時に、阿部先生よりお誘いがあり、阿部志郎監修・著『福祉に生きる君へ〜私は何を伝えてきたか』(燦葉出版社) に「専門職である前に一人の人間であれ〜阿部志郎先生との出会いをとおして」という原稿を書かせて頂きました。阿部先生には、自分が歩んでいく道に迷い、横須賀基督教社会館を訪問した大学生の時に始まり、今日に至るまでご指導頂いております。今回の原稿は、自分の原点を考える大切な機会になりました。

そして、今、新型コロナ感染症が拡大し、不安、恐怖、不信、怒りが生まれ、貧困、孤立等の負の連鎖が広がってきています。だからこそ、私は、大切なもの、大切なことを守る決意が必要だと思います。その中に「人への思いやり」を加えたい。そして、コロナウイルスの脅威にさらされている今、すべきことを考え、できることを実践していきたいと思っています。

今後とも、ご指導頂けますよう、お願いいたします。

                           2021年4月 市川一宏