希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 感染症の終息がみえないまま新しい年度が始まり早2ヶ月が経過し、2021年が始まって6ヶ月目を迎えようとしている。この半年、私は社会人として多くのことを教わった二人の大先輩を亡くした。一人の方は、亡くなった当日も次年度の方針について話し合い、最寄りの駅まで送った。そして、そのホームで倒れられた。「気を付けて帰ってくださいね」と声を掛けた後姿が最期となってしまった。この出来事をどこに収めたらよいのか、この先のことを思うとただただ途方に暮れた。

 もう一人は、新卒で入職した施設の先輩である。子ども達の変化に直ぐに気づき、その変化を受け留めつつ、その人にしかできないコミュニケーションで、それらを和らげる人であった。その人の周りには常に笑いがあった。笑いの中で築きあげられた子どもとの関係性は、厳しいことを伝える場面でも効果を発揮していた。日々の積み重ね、子どもと向き合うことがどれだけ大切なことかを教わった。

 そして、この二人の最期のお姿より二つのことを教わった。一つは、日々の中で忘れてしまいがちであるが、「人は必ず死ぬということ」。そして、もう一つは、闘病生活の中でも、その方がそうであったように「自分の人生を主体的に生きる」ということである。

 社会にでて数十年が経過し、最期のお別れをするのが「〇〇のお母様」「▲▲のお父様」でなく、今回のように、自分が影響を受けた方、深い交流のあった方と変化していることに気づかされた出来事であった。

 気づかされたといえば、もう一つ。同じ時代に、共に学び舎で過ごした後輩と一緒に仕事をする心強さである。私の法人では、数年前に新しい事業を開始した。新しいことがスムーズにゆくはずはなく、荒波を「なんとかなるよ」と突き進む心の持ち主、そして利用者との毎日を楽しみ、それを活力にできる人材を探していた。そんな時、一人の後輩の顔が思い浮かんだ。大学を卒業してから数年に一度しか会う機会はなかったが、会うたびに現在の自分のこと(子育て、PTAの活動等)を笑いを交えながら話してくれた。内容は意外と大変そうなのだが、彼女が話をするとなぜか笑える。これは才能だと思いながら時間も忘れ話を聞いた。そして最後はいつも同じであった「もう帰っちゃうの。話はこれからなのに・・・・」。今、その彼女と机を並べ仕事をしている。「もう帰っちゃうの」と言われることはなくなったが、彼女の意見を聞き、どうしたいのか、何故それをしたいのかを聞く毎日である。その様子は、職場の仲間からすると、大きな声で話をしているので論争しているように思われるかもしれないが、意外とこの時間が私にとって心地良いのも事実である。

 市川研究室のブログを訪問すると懐かしい先輩、同期、後輩の名前がそこにはあり、勇気と元気をいただている。特に岩〇さんのメッセージは、大きな励みとなっている。同じ学び舎で過ごし、この時代をそれぞれの立場、役割、立ち位置で限りある人生をその人らしく過ごされている。お一人おひとりの健康と安全が守られることを願いつつ、今日もこのブログを訪問している自分がいる。そして、どこかに自分と同じような思いで、ブログを訪問している人がいるかもしれないとも思う。そのような皆様に、「私とK藤さんは今日も机を並べ、大笑いしながら過ごしています」、マスクを外し「ガッハッハッ」と笑える日を待ちわびながら。

1991年卒業 I.S