大学関連
毎年、自治大学校で、2コマから3コマの授業をさせて頂いています。幹部候補生である受講生は、きわめて士気が高く、勉強に対する意欲も旺盛で、礼儀正しい。私は、彼らに、それぞれの市町村の土台骨になって頂き、困難にある住民に対して、関係者、関係機関と協働して支援して頂きたい。そして、社会福祉協議会等と協力して、民生委員児童委員、住民、ボランティア、NPOや社会福祉法人、地域の農協、漁協等の活動を支援し、さらに連携して、福祉のまちづくりを進めて頂きたい。期待しています。第2部も担当しておりますが、教える方も楽しいです。
第3部過程
1.目的 現に都道府県及び市町村の幹部職員である者に対し、幹部職員としての政策形成能力及び行政経営能力を増進し、かつ、公務員としての使命感及び管理者意識を高揚するこ とを目的として、高度な研修を行います。
2.研修課目
ア 講義課目
地方公共団体における公共政策及び行政経営に関する高度な知識の修得、現下の地 方自治の課題及びその背景となる政治、経済等の分野にわたる広範な見識の修得及び 効率的な行政運営手法等に関する知識を修得するための課目により編成します。
イ演習
現実の事例を題材とした集団討議等の方法を通じ、新しい政策課題に対応して問題を発見、解決する能力を育成し、併せて、危機管理能力など管理者として必要な資質 を涵養するための課目により編成します。
3.対象
①都道府県及び市町村(特別区を含む。以下同じ。)の職員
②都道府県又は市町村を構成団体とする一部事務組合等の職員
4.研修期間
第107期 平成28年7月12日(火)~8月5日(金)
5.定員 140名
6.推薦できる研修生の数
原則として1名又は2名。
7. 選考の基準 推薦する研修生の選考に際しては、次の基準によるものとします。
(1) 勤務成績が優秀であり、かつ、健康である者。 「健康」であることの基準は、自治大学校での研修生活(学校生活及び寮生活)を支障なく行うことができる者であることとします。
(2) 積極的な学習意欲を有する者。
(3) 現に都道府県、市町村一部事務組合等における課長又はこれらに相当する職以上の職にある職員。
シラバス
投稿日 16年07月05日[火] 12:27 PM | カテゴリー: 大学関連
盲ろう者(「目(視覚)と耳(聴覚)の両方に障害を併せもつ人」)の理解を広げるために、当事者の方から語って頂きました・
1.盲ろう者に対する理解が不十分であること
そもそも「盲ろう」という障害があまり知られていませんし、障害者手帳にもそのような項目がありません。(私も手帳には視覚障害、聴覚障害の二つが記載されています)
そのため盲ろうとはどういう障害なのか、盲ろう者にどのように配慮したらいいかと言うようなことを知らない方がほとんどです。おそらく盲ろうと言う名前すら聞いたことがない方が多いです。
盲ろう者に対する理解が不十分なために、盲ろう者について誤解されたり、できることにもかかわらず「できない」と思われたりすることがあります。実際にいくつか例としてまとめましたので、ぜひ参考にしていただけると幸いです。
①盲ろう者だからできない=普通にできること、工夫すればできることでも「できない」と言うことにして、物事をさせてもらえなかったり、受け入れてもらえなかったり(受け入れ拒否)することがあります。学校に進学するにも、盲ろう者も教育を受ける権利があり、盲ろう児への個別指導や通訳介助者の配置などの工夫をすれば、盲ろう児も普通に学習できるにもかかわらず、受け入れてもらえなかったり、教育委員会に学校への出入りを認められなかったりすることがあります。教育以外でも、盲ろう者にも権利はあるのに…などと思う場面はあります。
私はまだ経験したことがありませんが、飛行機の単独での搭乗拒否などの話も聞きます。(ホームページにもスタッフがお手伝いするので、単独の利用は可能と記載されていますし、利用者(本人)もスムーズに相手とコミュニケーションを取れるよう工夫をしているはずです。私も経験済みですが、まったく問題ありませんでした。)
②過剰な配慮=差別とは少し違うかも知れませんが、盲ろう者=サポートが大変というイメージがあるのか、手引きがあれば自力歩行が可能にもかかわらず、車椅子を準備されたり、過剰なサポート(体を支えるなど)をされたりすることがあります。なかなか解決できない問題だと思いますが、障害者と言ってもいろいろな方がいますので、相手に応じて必要な支援をすること(過剰な支援をしないこと)が大切だと思います。
2.盲ろう者が利用される(悪用を含む)
盲ろう者について多くの人に知ってもらうことはとてもよいことですし、マスコミなどで取り上げていただけるのもいい機会だと思っています。
しかし、まれに「盲ろう者は特別な人なんだ」と言うように扱われたり、悪用されたりすることがあります。実際盲ろう者を動物のように扱い、イベントのキャラクター的な存在として活動させられたことがあります。また、障害者を受け入れているというお店で、皿洗いなどの一般的な仕事を経験させてもらおうと申し出たにもかかわらず、店長さんが私をアピールしたうえで、お客さんとのコミュニケーションの体験しかさせてもらえず、アルバイト料どころか、講師の謝金も支払われなかったという苦い経験をしました。
講師として講演をしたりすることは問題ありませんが、盲ろう者の扱いには十分注意して頂きたいと思っています。
上記の他にもいろいろ経験していますが、私としての希望をまとめると、以下のようなものになるでしょうか。
1.盲ろう者を正しく理解してもらうこと
2.盲ろう者でも自力でできること、工夫すればできることはあるので、それを知ってほしいこと
3.盲ろう者にも健常者と同党の権利があることを理解してほしいこと(教育など)
4.当事者として、してほしいこと(介助の方法など)の説明はするので、相手(障害者)に応じた配慮をしてほしいこと
5.盲ろう者も一人の人間であるので、過剰なアピールなどはしないでほしいこと(取材・講師などの依頼をするのはかまわないが、盲ろう者の扱いには十分注意してほしい)
以上のように私なりの意見をまとめましたが、最近は盲ろう者に対する理解も少しずつ進んでいることに感謝しております。また、盲ろう者が一つの障害として確立されていないにもかかわらず、盲ろう者向け通訳介助者派遣制度などがあり、そのおかげで健常者と同等の生活を送ることができるので、大変助かっております。(通訳介助者派遣制度では、日常生活において、様々な介助を受けることができます)
これからは盲ろう者に対する差別的な部分をなくし、盲ろう者がより生活しやすい環境になればよいなと思っています。先ほど述べた教育についても、盲ろう者のための学校をつくることは大切ですが、盲ろう者向けの学校を含め、盲ろう者が入学できる学校がもっと増えれば、盲ろう者(保護者を含む)にとっての選択肢も増え、学校へも通いやすくなると期待しています。
投稿日 16年06月01日[水] 2:24 PM | カテゴリー: 大学関連
2016年5月13日午後より熊本に入り、15日午後の飛行機で東京に戻ってきた。熊本には、ルーテル学院大学と関係のある九州ルーテル学院大学・中高校・幼稚園、九州学院中高校・幼稚園総合施設慈愛園、広安愛児園・情緒障害児短期治療施設こどもL.E.C.センター等の社会福祉法人、そして健軍教会、大江教会、熊本教会、室園教会等の教会がある。
地震の発生時から、学生とご家族のため奔走した教職員の方々、揺れる中で、乳児の体温低下を防ぐため、車の中でケアをしていた職員、施設に届いた食料等の物資の一部を、不足している避難所等にも届けていた子どもたち、避難してきた住民に安心した場所を提供してきた学校、教会の働き等々、自らも被災しながら、生徒、子ども、利用者を守り続けた方々に、心より敬意を表したい。
福祉新聞2016年5月23日
地震による被害はまだ続いている。本学の卒業生で、震災の影響もあり、無理をして亡くなられた小原君のご遺族にお会いし、祈りを捧げてきた。彼の写真の横には、亡くなる直前まで小原君が看病していたお父さんの写真も飾られていた。心がかきむしられる。生活の様々なところで、震災の影響が出ている。
また、益城に行って、その被害のすさまじさに、私は、言葉を失った。まだたくさんの方々が避難を余儀なくされている。心の傷を負った方々の問題は、顕在化することが予想される。だから、熊本の現状を忘れないこと。コミュニティを再建しようとする動きが徐々に生まれており、この地道な歩みと足を揃えることが、今、求められている。明日を目指して、被災地で生まれた歩みを大切に支援したい。





熊本訪問から1週間後のことである。北海道の旭川市の2日間の仕事を終え、旭川空港までのバスに乗ろうと旭川駅に向う先に、たくさんの若い声が聞こえた。少年野球の諸君が、熊本のために寄付を募っていた。「九州に元気を」「九州の力になろう」と訴える彼らを見て、私は涙が出そうになった。熊本から遠くの北海道で、熊本を思う声が響いている。「ありがとう」


旭川北陵球団の選手たち
投稿日 16年05月24日[火] 11:04 PM | カテゴリー: 大学関連,社会福祉関連
2016年1月13日午後7時より、国立オリンピック記念青少年総合センターにおいて、特別講演『「おめでとう」で始まり「ありがとう」で終わる人生を-福祉とキリスト教』のご依頼を頂きました。私の母教会は、日本基督教団阿佐ヶ谷教会であり、父母も教会の墓地に教会員として名前が刻まれています。阿佐ヶ谷教会は、東京神学大学とは密接な関係にある教会です。
また、私は、ルーテル学院大学に1983年に勤め、学生諸君や教職員の方々と一緒に学び、遊び、励まし合い、そして関係者の方々よりご指導を頂きながら、本年で33年目を迎えます。この間、本当に実り豊かなたくさんの時を与えられました。
今回、日本基督教団の教職セミナーで講演をさせて頂くことは、光栄でしたが、とても緊張し、準備を重ねました。しかし、私自身の原点を学ぶ機会が与えられたこと、またルーテル学院大学で働く意味を再確認できたことに感謝しています。
東神大学報2016年3月11日号より
投稿日 16年04月11日[月] 10:56 AM | カテゴリー: 大学関連,教会関連
3月27日(日曜日)8時30分より、また4月3日(日曜日)18時30分より、 NHKラジオ第2「宗教の時間」において、私の「<おめでとう>で始まり<ありがとう>で 終わる人生を~福祉と信仰の現場から」がアンコール放送になります。
投稿日 16年03月26日[土] 1:14 PM | カテゴリー: 大学関連,教会関連,社会福祉関連
卒業生が二人、子どもを連れて会いに来てくれました。予定があり、大学では会えず、吉祥寺の東急デパートで食事をすることになりました。
おいしいとろろそばを食べて、写真を撮ることになりましたが、当然乳幼児に被写体になることを求めるのは無理。苦労の末の写真でしたが、卒業生の母親としての姿が、堂々としている。そして、子どもが彼女らの成長を支えている。
双方向の成長を支える配偶者や家族、仲間がいる。それが地域の原点。
頑張れ!!お母さん。すくすくと育て!!子どもたち。会いに来てくれてありがとう。私も幸せ者です。
一人ひとりの卒業生へ。自分らしく歩んでいってほしい。そして何かあったら、相談に来てほしいし、今回のように気楽に遊びに来てほしい。


投稿日 16年01月30日[土] 6:36 PM | カテゴリー: 大学関連
大阪るうてるホーム50周年
投稿日 9:48 AM | カテゴリー: 大学関連,社会福祉関連
5年前に卒業した教え子が、2ヶ月前に生まれた長男を連れて戻ってきてくれました。「おめでとう」で始まる彼の人生に神様の祝福がありますように。そして、この子に受け継ぐべき社会を創っておくことが、今を生きる私たちの使命と確認しました。
孝彦君、誕生、おめでとう。これからもよろしく。

投稿日 15年08月27日[木] 10:28 PM | カテゴリー: 大学関連,思い出記
2015年4月メッセージ
CHANGE
皆さんは、“One child, one teacher, one pen and one book can change the world.”というメッセージを聞いたことがあると思います。これは、マララ・ユスフザイさんが、2013年国連での演説の中で語ったものです。
彼女は、1997年7月12日、パキスタンに生まれました。彼女の10歳前後の時でした。イスラム教の原理主義、パキスタン・ターリバーン運動が起き、彼女が住む地域を統治し、今までの様々な価値を壊そうとしました。特に女性が教育を受けることを否定し、女子校を破壊するとともに、女子教育を進めようとする人々を弾圧しました。彼女が11歳の時に、BBC(英国放送協会)の依頼を受け、ペンネームで、現地の惨状と、平和と女子教育の必要性を訴える内容のメッセージを送り続けました。そして、12歳の時、パキスタン軍によってターリバーンが追放された後、パキスタン政府は彼女の本名を公表し、彼女の行為をたたえました。発言を続ける彼女は、それ以来、ターリバーン等から狙われることとなりました。
2012年10月9日、マララさんが15歳の時、中学校のスクールバスに乗っていたところを、複数の男から銃撃を受け、首と頭に2発の銃弾を受けて負傷し、長い治療を受けました。奇跡的に回復した後も、女子教育の必要性を訴え続けてきました。そして、2014年、その働きが評価され、ノーベル平和賞を受賞したのでした。
最初に申し上げた言葉に戻ります。
“One child, one teacher, one pen and one book can change the world.”そしてさらにマララさんは言います。“ Education is the only solution. Education First.
”「1人の子ども、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変えることができます。教育こそが唯一の解決策です。教育こそまず第一に考えること。」という言葉とマララさんの生き方に私は感銘を覚えます。
私は、マララさんの生き方から、「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする。」(マタイ9:17)という聖句を思い出しました。「新しいぶどう酒」とは何か、「新しい皮袋とは何か」これは、私たち自身の生き方の問題と思いました。この聖句の意図するところは、今に満足して将来を見ないことではなく、チャレンジだと思います。
神学者のウイリアム・バークレーは、歴史を通じて、古いものに固執してきた教会や私たちをさして、「新しい試みを受け入れなければならない時が来る。これを回避することは、時代に逆らい、神を拝むのではなく、過去を拝むことになる」と警告を発します。私は、バークレーの聖書講読が好きで、よく使いますが、このような厳しい指摘は、あまり記憶にありません。
さて、聖書の譬えのように、昔は、ぶどう酒をびんではなく、皮袋に入れて蓄えていた。新しいぶどう酒はまだ発酵が終わっていないので、次第に膨張し、皮袋に圧力をかけます。しかし、古い皮袋は弾力性がないので、膨張に耐えることができない。これを私たちに当てはまるならば、私たちの心と頭は、新しい考えを受け入れるだけの弾力性がなければならないのです。(ウイリアム・バークレー著・松村あき子『マタイ福音書上』ヨルダン社、p.364~366)
私は、マララさんの生き方と聖句の譬えから、以下の3つのことを学びます。
第1は、変えることそのものが目的ではないこと。何を目指し、変えるべきことかを確認し、どのように変えるかが大切であること。そのことを、たくさんの方々から、マララさんは学んでいます。2013年の彼女の国連での演説を紹介します。
”There are hundreds of Human rights activists and social workers who are not only speaking for human rights, but who are struggling to achieve their goals of education, peace and equality. Thousands of people have been killed by the terrorists and millions have been injured. I am just one of them.”
「何百人もの人権活動家、そしてソーシャルワーカーがいます。彼らは人権について訴えるだけではなく、教育、平和、そして平等という最終目標を実現しようと奮闘しています。
何千人もの人々がテロリストに殺され、何百万人もの人たちが傷つけられています。私もまさにその1人です。」
だからこそ、学生諸君には、人生の目標を見つけてほしい。夢と希望を描き、目指す未来に向かって歩んで頂きたいと思います。
第2は、変えていく行為は、0か100ではない。何もしないか、ノーベル賞平和賞を受賞する行為をするかという二者選択ではなく、その間には、1から99の行為がある。それぞれに意味があることです。ここにいて、礼拝を守っている私たち一人ひとりが、傍観者ではない、一人ひとりが当事者なのです。その一人ひとりの生き方に意味があり、社会を変えていくと思っています。一本の木を植えなければ、砂漠の緑化はできない。学生諸君には、一本の木を植え続けてほしいと思っています。
第3は、日々の生活を通して、自分が変わっていく、変えられていくということ。聖書のぶどう酒のように、思いが発酵し、成熟した豊かな味になって、膨らんでいく。その思いを実現できるような革袋をつくること。学び、迷い、そして新たな発見をする。また自分の失敗に悔い、自分の誤りに気づいて立ち止まることもあります。そのことによって、自分がすべきことを知る。失敗にどのように対応したかによって、それからの生き方が変わります。
見逃していたことを理解すること自体も、大切。人の思いやりを受けて歩んできたことを知るからこそ、悩んでいる人への思いやりを届けることができます。学院に植えられている草の美しさに気がついた時、その草木を育てて下さった方々がおられることに気がつくのです。そして、今週のテーマである、「ここに神の愛がある」という生活を実感してほしい。気がついていなかったけれど、私たちが生きてきた歩みにたくさんの愛があった。だからこそ、大学での学生時代を通して、成長して頂きたい。
さあ、明日に向かって恐れずに、チャレンジし、そして自分も変わり、変えられて、社会を変えていく。チェンジという言葉の意味を忘れずに、学生生活を大切にしてほしいと思っています。
投稿日 15年04月21日[火] 2:08 PM | カテゴリー: 大学関連
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