思い出記

自然と近づいた2013年の夏

何年も夏の蓼科高原を訪問してきた。私の1年でもっとも落ち着く時である。しかし、2013年の夏は、今までにない経験をした。

ある高原で、ジュースをかけた手に蝶がとまり、甘い液体を吸う。またある山道で、鳥が近づき、なかなか逃げずにそばにいた。

こんな偶然は、経験がない。あまりに自然に近づくことは、自然を荒らすことになり、してはいけないこと。でも、蝶や鳥が近づいてきてくれる光栄は、まんざらでもない。

それがあくまで、私の誤解としても。

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今までの昆虫

*2005年御泉水(2蝶)2005御泉水(蝶)

 

 

 

 

 

2012霧ヶ峰八島ヶ原湿原2007八島湿原2007年①

 

 

 

 

 

 

 

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旧林家住宅(岡谷市)2014.3

2014年3月の半ば、駒ヶ根で行われる新しい任期を迎える約800人の民生委員・児童委員を対象にした研修のために、駒ヶ根に行くことになっておりました。午後のプログラムですから、当日の朝でも行くことはできましたが、約3時間半の行程になり、疲れから、自分で満足のゆく講演にはならないことを経験していましたので、前日の最終で岡谷に入りました。

飯田線の時間がありましたので、駅の看板を見ていると、名所として駅の近くに旧林家住宅があることを知りました。

簡単行くことができるはずが、道に不案内な私は迷ってしまい、戸惑っていますと、遠くから高校生が自転車でこちらの方に向かっていました。近きに来たので、「すいません」と言うと、自転車を降り、丁寧に私の話を聞いてくれました。また、目的地を告げると、そこまで案内をしようとしてくれました。それはいかにも申し訳ないので、お断りをして、感謝を申し上げ、笑顔で分かれて教えられた道を歩いて行きました。少し歩いて曲がり道で確認のために、歩いてこられた一人の60歳代の女性に聞きますと、「この細い道をまっすぐ歩いて、突き当たりを左に」と教えて下さいました。私は、しばらく道を歩きますと、後ろから先ほどの女性が手を振りながら駆け寄られてきました。そして、言われました。「ごめんなさい。突き当たりを左ではなく、右です。どうぞ間違わずに行かれますように」

私がたまたま道に迷ったことによって出会った岡谷の2人の方。その時知った人情。この当たり前の言葉を、多くの街はこの数十年をかけて失いました。この岡谷の地で、これらの言葉に出会い、私の心は、温かい思いで包まれました。

また住宅は、素晴らしかった。写真をご覧下さい。ホームページの説明を掲載し、写真でご紹介します。

「明治9年に天竜製糸所として創業した一山カ林製糸所の初代林国蔵の旧住宅。明治30年代に建てられ、40年秋にほぼ完成した。林国蔵は開明社の年番社長をつとめ、生糸の品質管理システムを構築し、日本の製糸業発展の基を築いた。住宅は主屋と離れの座敷、茶室、洋館に分かれ、主屋の南側には繭倉庫の形式をとどめる土蔵が並ぶ。西洋装飾の芸術、「幻の金唐紙」と呼ばれる壁紙が張り巡らされている和室や欄間彫刻の希少価値は高い。」

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なお、当日は、たくさんの素晴らしいお雛様が飾られていました。

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岡谷駅に戻り、飯田線に乗って、駒ヶ根に行こうとホームに行きますと、そのホームは0番線。仕事が続いて疲れ気味の私も、民生委員の方に教えて頂いた初心に返り、気持ちを改め、駒ヶ根に向かい、講演を無事終えることができましたが、講演の原点には、岡谷でお会いしたお二人の親切さがありました。どなたか存知ませんが、心より御礼を申し上げます。

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2013年の紫陽花

長谷寺の紫陽花

 

 

 

 

 

 

 

 

青い三つ葉のクローバー

水色の花束丘に咲くたくさんの紫陽花

 

 

 

 

 

天の恵みを受け止める紫陽花

富士山と紫陽花

富士山と紫陽花

青い紫陽花2(富士山)九州ルーテル学院内の紫陽花

宮崎県門川町(宮崎県の友人たちが、送ってくれました。ありがとう。)
ルーテル学院大学の紫陽花

2013年石ノ森章太郎

いしのまきマンガマップ石ノ森まんがマップ

再開した石ノ森章太郎漫画館

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石巻市の発展を切に祈る。友人として。仲間として。

天岩戸神社(絶壁にたたずむ秘境)

2013年2月、私は、福知山市民生委員・児童委員基礎研修の講演をお引き受けし、前日、市内のホテルに宿泊しました。自宅から福知山まで5時間以上かかるので、はじめは正直言って、時間的に無理と考えていました。しかし、私の講演をお聞きになった同市民生委員・児童委員会長の2年間にわたるご依頼もあり、福知山城や鬼瓦の生産等で有名な福知山市に行くことを決めました。

開演は午後で、講演時間までどのように過ごすか、朝食をとりながら、思いを巡らしていましたが、ホテルのスタッフの方が渡してくれた『特別編集・福知山』のパンフを見て、どうしても行きたいと思ったのが、福知山北部にある神と鬼のふるさと「大江山」スポットでした。なかでも、「川のせせらぎと、そよぐ木々静寂さの中で神聖な雰囲気を醸し出す」と書かれていた天岩戸神社は、駅から歩いて20分と書かれていました。調べますと、福知山駅から大江山口内宮駅までの所用時間は約30分なので、十分余裕をもって福知山駅まで帰ってくる予定で、電車に乗りました。

 

 

 

 

 

 

 

9時7分福知山駅発39分着の北近畿タンゴ鉄道の一両編成の列車に乗り、車中で念のために帰りの電車を探しました。福知山駅への時間を11時に設定しても、また12時に設定しても、大江山口内宮駅の出発時間は9時43分。再度調べて見ると、その後の電車は11時38分発で、福知山駅に12時7分着でした。私の講演開始は1時25分なので、十分余裕はありましたが、主催者から言われた昼食の時間には間に合わないことに気がつきました。単線なので、駅ですれ違う43分までの5分間、最後まですぐに引き返すか迷いましったが、バスかタクシーで戻ることも可能だろうという甘い期待をもち、また私以外にも下りられ方が一人おられたことにも勇気づけられ、天岩戸神社に向かうことにしました。

しかし、途中、誰一人出会うことはありませんでした。早朝積もった雪が木々から落ちてくる道を、歩き続けました。雪が突然強くなり、行くか戻るか迷いながら、でも歩き続けました。途中に自然遊歩道という看板があり、小道は見えたのでしたが、今の天候ではとても危険な道です。こんな厳しい自然になるなんて、クリスチャンが神社に行こうとしているので、「バチ」があたったのかと思いながら、徐々に不安が広がっていきました。着ていたコートは濡れ、手は寒さにかじかんできました。後で聞いたことですが、この時期に天岩戸神社に来る人は非常にまれとのこと。

最後に雪が積もった階段があり、手すりにつかまりながらたどり着いた神社は雨戸が締められ、私以外、誰一人いませんでした。自然の中に一人取り残された自分がいました。

しかし、神社の軒先は、雪や雪解けの水を避けるのには好都合。幸い風は強くなく、体温を奪われることは少なかった。そして周りの自然は、雪が降り、味わいのある風景。川の流れの音は、心に溶け混む。神社の展望台から見る川の水は澄みとおり、寒さは気持ちを引き締める。この厳しい自然の中で、私は、バンフの「川のせせらぎと、そよぐ木々静寂さの中で神聖な雰囲気を醸し出す」という説明を実感しました。自分の心が、不安に押しつぶされることなく、また自然を受けとめるだけ素直であったから、自然の美しさを受けとめたと思います。

 

帰りは、元伊勢内宮皇大神社まで道を登り、そこから階段を下りてきましたが、コケに覆われ、雪を受けとめている木々に、美しさを感じました。正月には、たくさんの人がお参りに来られるとのこと。このような文化、宗教は、地域づくりになくてはならないものと私は考えています。地域への愛着と、互いの交流を生み出すのです。地域住民の共通な心の柱となってきた歴史があると思います。

出発時間の約50分近く前に、当初の予定のコースを歩き終え、駅近くの観光センターに着きました。そこには、一人の職員の方がおられ、お願いしてストーブにあたり、コートやズボン、靴を乾かすことができました。タクシーのことをお聞きすると、1台あるとのこと。またバスは電車と連動しており、途中駅までしか行かないことを知りました。私の期待は、身勝手な期待であったのです。

職員の方は、センターのコンピュータで、午前から行われていた研修会場の電話番号を調べて下さり、電話をかけて市の関係者と連絡がとれ、事情をお伝えすることができました。そして、ご厚意で福知山駅まで迎えに来て下さることになりました。

私が歩いた福知山市大江地区は、西から来る寒気が大江山にあたり、そのため雪が多いとのこと。11時台の大江山口内宮駅に電車を待っておられた高齢の方は、10時台の電車がなくなり、病院の診療に行くことが難しくなったと言われていました。年をとると、自然はとても厳しいと言われた言葉を忘れられません。

他方、観光センターの方の親切さが、とても温かかった。さらに講演には、大江地区の20人近くの民生委員・児童委員の方が来ておられました。私が歩き始めた所には、何軒もの家がありましたが、たぶん、高齢化が進んでいるのではないでしょうか。土曜日の10時頃で、子どもは学校や幼稚園に行っているのかもしれませんが、子どもの声は聞こえませんでした。研修に参加なさっている民生委員・児童委員の方々が、一人暮らしの高齢者の方々等の生活を見守り、支えて下さっていると実感しました

今回の講演のテーマは、「つなぐ心 地域の絆づくり〜期待される民生委員・児童委員とは〜」です。地域の民生委員・児童委員の働きに心から感謝したい。

しかし、今の日本の政治は、大都市の経済論理を日本中に適用しようとしていないでしょうか。高齢化によって弱くなっていく地域を、軽視していないでしょうか。グランドデザインを示さず、また地域の力を支援し、強化し、再生するチャンスを示せないならば、政治の無策と言われても反論はできない。今、政治のリーダーシップが強く求められていると思います。と同時に、地域が再生のための実践を通して、地域の可能性を示していくことが必要だと考えております。今回お会いした福知山市の民生委員・児童委員の方々の福祉のまちづくりの取り組みから、学ぶことは多いと感じています。

新幹線の車内では、もうすぐ品川駅に着くとアナウンスがありました。福知山から京都までの特急では、講演の疲れで、私はいつものように眠っていました。また京都から新幹線に乗って品川まで、ほとんどコンピュータにむかって、天岩戸神宮の思い出を書いていましたので、あっという間に4時間近くが過ぎたことになります。それだけ、大江地区には魅力があったし、私は生きていく力を与えられた。だから、その経験を文章にどうしても残しておきたかったのです。

福知山市の明日に期待しています。

 

宮崎県須木地区訪問記(2)


私が宿泊した家です。古い民家を移築したものですが、泊まってみると、これは、結構刺激的。まわりには、電灯もない。そんな中で、泊まることは、自然に抱かれること。しかし、自然は、決して優しくない。しかし、それぞれの生き方を大切にしてくれると包容力があると思いました。後は、自分がどのように生きるか、それを覚悟するかではないでしょうか。自然の中で生きていくことを求める人にとって、自然は心地よいし、都会は、明らかに住みにくい。

飛行機の中から見た富士山です。夕焼けに輝いていますが、遠かったので、見えにくかったです。

宮崎県須木地区訪問記(1)

宮崎県小林市の須木地区に行ってきました。須木の栗で有名な地区です。自然に恵まれていますが、人口減の地域です。でも、皆が絆を大切に、自然の営みを大切に、生活しておられます。中山間地ですので、なかなか陽の出は見えません。しかし、陽の光は、静寂の中、確かに自然を、人々の生活を照らしていきます。
前日の写真では、落ち着いた湖でした。しかし、朝、湖を見てみると、山のふもとに光が照らされ、自らのぼる霧が、至る所で見えていました。そして、紅葉を照らす陽の光が、自然の美しさを輝かせていました。日々の生活ではわからないですが、毎日陽はのぼり、そして生活に暖かさをもたらす。このことを忘れたくないとあらためて思いました。

光る朝日

私は、石巻の方々と、しばらく一緒に歩ませて頂こうと思っています。石巻では、
復旧が遅れています。しかし、明日へ希望をもって歩んでいこういう思いを実感して
います。徐々に、コミュニティの再生が始まると確信しています。困難な時だから、
一緒に頑張ろうと思いました。
天気予報では曇りとなっていた朝、津波に襲われた港の跡を歩きました。地盤が沈下
し、まだ、瓦礫や被災した建物が残っています。しかし、朝日が海を照らしてきまし
た。そして、丘の上から、陽が昇ってきました。
地盤が沈下しているので、水がだんだん押し寄せてきましたので、ホテルに戻ろうと
すると後ろを振りむくと、町から虹が空に向かって伸びていました。私たちには気が
つかなくても、希望と励ましがたくさんあると思います。

輝く夕日

松江からの帰りの飛行機は、悪天候のためにとても揺れました。しかし、飛行機から
外を見ていると、雲のじゅうたんの上を飛んでいる後ろで、真っ赤な夕日が出ていま
した。地上からは見えなくても、太陽は輝いている。夜には隠れ、朝には再び私たち
を照らす。太陽は希望の象徴でもあります。この自然の営みに私たちは抱かれていま
す。厳しい世の中だけど希望を持って歩こうと語っているようでした。

天空から見る雲海

12月の中旬、早朝の飛行機で熊本に向かっていました。当日の天候は悪く、離陸の際に揺れましたが、不安定な大気を過ぎると、安定した飛行になりました。

 私は、何度も飛行機に乗っていますが、窓からの景色は決して単調ではありません。ただ何気なく外を見ていた私に、見えた雲の姿。それは、山々の間をおおう雲の姿、すなわち雲海でした。雲が、穏やかな海のように、静かに、やさしく地に広がる。高い山も、雲海の上では、丘のようです。私は、しばらく、手前の海と同じように広がる平坦な空間を見つめていました。

 自然の営みを私たちは支配することはできません。自然現象を分析することはできますが、何故今、雲海が出るのか、私が雲海を見ることができたのか、そのことを問うことは意味がないし、不可能だと思っています。意味があるならば、それは、私たちが自然に抱かれていることを知ること。自然の恵みに活かされ、自然の猛威に戸惑う。またある時は自然の美しさに感動し、ある時は自然の厳しさに圧倒される。その繰り返しが、人間の歴史であったことを確認することです。自然に抱かれ、自然に感謝し、自然の恵みを分かち合い、生きていくことの大切さを再確認することではないでしょうか。

 雲海の下で、私は生きています。雲海は、しばらくして消えていくでしょう。その後、太陽の光が降り注ぐでしょう。だれもが同じように、自然の営みの中に生きています。自然の前に、私たちは平等なのです。ならば、この日本で、自然の災害にあった方々と共に、自然の恵みを分かち合い、助け合い、生きていくことも平等でありたい。

 雲海を見て、私はその思いを強くしました。

                            2012年1月3日