社会福祉関連

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

岩◎さん、
こんにちは。日本時間午前11時半です。お休みの時間になりますね。遅く、すいません。

 さて、日本は、非常事態宣言が解除されました。でも、PCR検査の数が予定に達したとは聞いていないし、病院等での防護服等が足りない状況は変わっていないので、危機を脱したとは全然言えない状況です。これからも、感染者の増加とその抑え込みを繰り返しながら、生活していくことを覚悟しています。
 しかし、連鎖倒産、リストラ等によって失業者が増加し、貧困は広がることでしょう。何としても、生活が維持できる経済的支援、住まいの確保等々を行わなければなりません。また、サービスと地域の見守り等で支えていた高齢の方々や障害を持たれている方々及びその家族の方々への支援が滞ることは避けなければならない。ではどうしたら良いか、手探りで試行錯誤の連続ですが、私は考え続けています。

 まず、機会を頂き、全国会ボランティア・市民活動振興センターの『ボランティア情報』にボランティアコーディネーターとボランティアセンター職員への応援メッセージを書く機会を与えられました。その経緯と原稿は、「市川一宏研究室」に掲載しています。そこで、訪問活動の相手である一人暮らし高齢者の状態を心配しているボランティアが、居ても立ってもいられず、電話相談や運動機能の維持のための文書の配布、さまざまな方法での安否確認をしようとしている現状を知ることができました。その結果を今回の原稿に書いています。諦めないで、新たな絆を模索しているボランティアの方々の思いと働きに、私は励まされています。このような一つひとつの挑戦が、今必要とされています。

 また、先日、医師会、介護保険事業者連絡協議会、社会福祉法人、社協、行政(担当3部長、介護保険担当者)、市川が緊急に集まり、情報交換をいたしました。そこでは、①6月、7月に、民間事業者が経営危機を迎える危険性がある。4月、5月の介護保険事業の利用者が減っている場合、今後の給付はその分少なくなり、人件費を含めて財源が厳しくなる小規模の事業者も出てくる危険性がある。その結果、提供できるサービス推定量にも影響を与えること。②介護保険施設での感染者の発生した場合、感染した利用者への対応、感染していない利用者の保護、ケアにあたる職員の確保、感染防護服等の設備の準備をどのように図っていくのか。また感染の影響による事業の縮小、経営に及ぼす影響をどのように軽減するか、緊急の課題となっている。③家庭で感染者が出た場合、濃厚接触者への対応が問題になっている。たとえば、介護者が感染した場合の濃厚接触者である要介護者への対応、母子世帯の母親が感染した場合の子どもへの対応が急務であること。④虚弱高齢者等のフレイル対応が十分にできなくなった結果、要介護状態になる方が増えていくことが予想される。支援方法の開拓を含めて、支援を再建する必要があること、が話されました。問題点が明らかになったのですから、まずは私たちができることから始めていくことになると思います。

 私は、今、それぞれの場で、できることを模索し、行動していくことが大切だと思っています。このとてつもないコロナの影響に対して、新たな絆を、まずは、自分自身が生活する地域で取り戻していくことを大切にしたい。
 そして、私にあるもっとも大切な絆、それは卒業生とのネットワークです。私は、これからも大切にしていきたいと思っています。確かに、それぞれの働きの場や、今の生活拠点は異なります。しかし、それぞれが立ち戻ることのできる場、自分らしくいられる場、若き時を共有した者たちが集まる場を大切にしたいと思います。

 お金を失うと生活の危機です。まず社会的な対応は不可欠です。誇りを失うと心の危機です。相談支援や日頃の関わりの中で、人としての誇りが守られるようにさまざまな福祉援助、活動が必要です。最後に希望を失うと存在の危機と言われます。私は、岩間さんの、どのような困難に直面しても自分の仕事をし続けている姿に感銘を覚えました。また、コロナの影響を冷静に見る目に驚かされました。ニューヨークで起こっていること、対応から学ぶことはたくさんあり、私の役割を見直すきっかけになっています。そして、これからさまざまな困難に直面することが分かっている今、卒業生のネットワークは、それぞれに希望を生み出し、困難に取り組んでいく勇気を与えてくれることを願って、「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」を続けていこうと考えています。
 

今の思いを書きました。それぞれの場で、頑張っていきましょう。岩◎さん、お元気で。
             2020年5月28日          市川一宏

「VCの皆さんへ ~皆さんへのエールと今の私たちができること~」『ボランティア情報』

 全国ボランティア・市民活動振興センターが発行する『ボランティア情報』に投稿した本原稿は、私にとって思い出に残る、貴重なものとなりました。その理由は、以下の3つあります。

 第1に、事務局より、今までの私の経験を通した、地域をめぐる状況とボランティア・市民活動、社協の最前線としてのボランティアセンターの役割、コーディネーターの役割(社協内での他職種との連携)、協働の考え方について私にインタビューし、原稿にしたいとの連絡が入りました。私は、今までに書いた原稿や関わった委員会報告を見直し、お答えしましたので、私の原点に立ち戻ることができました。

 第2に、お引き受けした時は予想していませんでしたが、新型コロナウイルスの感染が急激に広がり、たくさんのボランティア活動やNPO活動が休止に追いこまれました。ボランティアセンターも、予定していた事業を中止、延期したりして、感染防止に努めることになりました。そこで、どのような現状にあるのか、私が今までの御世話になった全国の都府県社協、市町社協の方々に問い合わせをし、現状を教えて頂きました。ボランティア活動の相手である方々の生活は依然として深刻であり、いやさらに困難な問題が顕在化してきており、そのことを心配するボランティアの方々のお気持ちが伝わってきました。その「居ても立っても居られない」お気持ちをもって、今できるいろいろな活動が生まれていました。その実績を本原稿でまとめさせて頂きました。

 第3に、これからコロナの影響はますます広がり、私は、底知れない不安をもっています。コロナウイルスの広がりは、今までの関係を打ち砕き、不安、恐怖、不信、怒りを生み出し、負の連鎖が広がってきています。このような深刻な社会状況の中で、私たちがどのような未来を築いていくか、私たち自身が問われていると思っています。だからこそ、私は、大切なもの、大切なことを守る決意が必要だと思います。私は、その中に「人への思いやり」を加えたい。それは、ボランティア活動の原点にあるものです。

 それらの意味で、本原稿は、社会を築くボランティア、NPOの活動への期待をもって、送り出した私の思いです。どうぞお読み下さい。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 岩◎さん、卒業生の皆さま! 頑張りましょう! 

 新型コロナウイルスが世界中を席巻している中、皆さまお元気でしょうか(-_-;)。

 国境や、民族や、宗教や、思想信条や‥、そういった全ての垣根を簡単に乗り越えてウイルスはアッと言う間に私たちの身近にやって来ました。〇〇人である前に、地球人として、力を合わせてこれと向き合わねばならないと思います。一人でも多くの人が、無事にこれをやり過ごすことが出来るよう、力を合わせたいと思うのです。

 でも、現実のこの国や、世界の国々で起こっていることを垣間見ると、実に腹の立つことばかりです。宇宙に浮かぶ、希少性のある地球を託された私たちには、これを守り維持するには荷が重いのかも知れません(=_=)。

 さて、福祉職は、言うまでもなく、支援を必要としている個々の人たちと向き合うことから、簡単には逃げることが出来ません。事業所を閉めることも出来ません。私は相変わらず、社会福祉法人おおぞら会の理事長職をやらせてもらっていますが、職員の皆さんは細心の注意を払いながら仕事を続けて下さっています。本当に頭が下がります。脱帽です。

 多くの卒業生の皆さんも、福祉職でなくとも、きっとそれぞれの場で、精一杯の努力を重ねて下さっていると思います。職種によっては本当に命がけの日々を過ごされているのだと思います。どうか自己防衛に徹して生き抜いて下さいね! いつかまた、いっぱいしゃべりたいです!ヘ(^o^)/。

 大学は初体験の遠隔授業になり、わずか2科目を担当する非常勤講師ではありますが、授業の資料づくりに四苦八苦しています。また、毎日5000歩前後歩いています。玄関から居間の間を汗をかきながら、動物園の熊さんのようにグルグルと、家の中だけで2~3000歩歩くのはきついです(-_-;)。住んでいる団地の周りも歩いて、汗びっしょりになります。

 3月から3冊の本を読みました。①飯嶋和一『狗賓童子の島』(小学館)②石 弘之『感染症の世界史』(角川文庫)③小松左京『復活の日』(角川文庫)の3冊です。繰り返します(^_^;)、皆さんといっぱいしゃべりたい! 顔を合わせて話したい! 

               名誉教授 西原雄次郎74歳! (2020/05/24)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

東京にある特別養護老人ホームの施設長をしています。

卒業生、先生の皆さんの投稿を読ませていただき、とても励まされています。特に岩◎さんの働き、想像を超える過酷な状況だと思います。どうか守られるようにと祈ります。

2月末頃よりご家族の面会やボランティアの受け入れを制限し、職員は毎日検温・体調チェック・記録をしつつ、緊張感をもって勤務にあたっています。

少しでも体調が心配な場合には出勤を控えるようにお願いしていますが、元々ギリギリの人員でシフトを回していますから、迷惑をかけたくないと、多少無理をしてでも出勤をする職員も出かねず悩ましいところです。

無症状でも感染している可能性があり、外から通勤している以上、持ち込んでしまうことを完全には防げず毎日ヒヤヒヤしています。

一人でも感染者が出た場合、感染が拡がり重症者が多くなるリスクを抱えています。

そんな中、懸命に踏ん張る介護職はじめ現場の職員に頭が下がります。あらためて、この事業が社会にあって無くてはならないサービスであり、使命感によって働く職員一人ひとりによって成り立っていることを痛感しています。

幸いにも今のところ守られており、マスクの寄贈や励ましの言葉をくださるご家族、関係者の方々により支えられています。

まもなく東京でも緊急事態宣言が解除され、徐々に制限が緩和されていくかと思いますが、特養ではなお一層の緊張感を持って対応を続けていく必要があり、第二波、三波にも備え、長い戦いになることを覚悟していかなければなりません。。

聖書にキングス・ガーデンの理念でもある「夕暮れ時に光がある」という言葉があります。今がまさに世界中が「夕暮れ時」ともいえる厳しい状況ですが、この先に必ず光となる「希望」が与えられると信じていきたいと思います。
一緒に頑張りましょう。何としてもお年寄りと職員の命を守りたい。

特別養護老人ホーム練馬キングス・ガーデン               施設長 中島真樹(1995年卒業)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

私はルーテル卒業後、東京都内の人口1,000人未満の島に来て、高齢者のケアに関わらせて頂いています。同時に、広報や世代間交流も担当をしています。 

区内で生活していた私が、たくさんの在学生や卒業生に見送られて島に来たもっとも大きな理由は、地域に寄り添ったケアを学べるところです。一時、休止していた高齢者ケアは、再開をして、そこで、コロナ対策を行なっています。消毒作業や距離を離してのレク実施など、平時と異なるサービス提供に慣れず、戸惑いがありましたが、今は慣れ、高齢者の孤立予防、フレイル予防、各世代に合わせた住民向けサービスの拡充を目指して、日々働いています。

今のところ、感染者は限られておりますが、もし感染が広がると、生みに囲まれており、診療所の1名のお医者さんでは、対応が難しいことが予想されますし、感染発覚する頃には、他の誰かが重症化しているかもしれないと思うと不安です。でも、介護を要する高齢の方々の生活を支え、寝たきりを予防し、生活を守る仕事をしているのだという自覚あり、なんとか踏ん張っています。 岩◎さんのお働きを見て、助け合いながら自律性を持って働いていきたいと思っています。

 コロナウィルスは残酷なものではありますが、ルーテルを卒業したのちも、教授と卒業生がつながっている実感とありがたみを再確認できました。多種多様な現場で働かれているルーテル卒業生のみなさま、緊急事態宣言を解除されたのちも長い戦いになることかと思いますが、気を抜かずにそれぞれの場所でできることを努めあげましょう。

          2016年卒 S

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 ルーテルの卒業生が様々なところで活躍し、それぞれの最前線でプロとしての自覚と誇りをもって働いていることに深く感銘をうけました。今、私たちの社会福祉業界はどこも神経をすり減らしながら、いかに当たり前の日常を継続させるかに取り組んでいることと思います。そんな中にも笑顔や希望を忘れず働いている介護職や医療職の方々を見るたびに、人が人に対応する仕事の本質的な在り方について考えさせられます。ニュースで入ってくる内容はどれもマスメディアが伝えたいものばかりで、事実と受け手との間に温度差があるのは否めません。まさに岩@さんが直面している状況が事実であって、本当に伝わらないといけない情報なのでしょう。限界を超えた環境の中で、懸命に取り組む医療職や福祉職に心からエールを送ります!

 私たちは一人で祈っているときでも、一つの共同体に結ばれている確信があります。ともに祈りを合わせていきましょう!

               いしくら@るうてるホーム

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 岩◎さん、その後体調崩されていませんか。
 私はふだん、精神科クリニック、児童養護施設、こども家庭支援センター、学校などで働いています。地域をまたいで動き回っているのですが、私の住んでいる札幌で感染者が増えています。私が動くと不安を配る立場になってしまいました。

 現在は、岩◎さんとは真逆、家にこもって全面的にテレワークとなっています。オンラインでできることを試行錯誤している毎日です。
    3月の初め、今思えばコロナ騒動の初期でしたが、    北海道の子どもたちにインタビューしてみたんです。    一部を紹介します。

    【暴れん坊コロナの大研究‼️】
① どうしてコロナウィルスはこんなに暴れん坊になってしまってると思う?    ② “暴れん坊コロナ”がおとなしくなるには、どうしたらいい?

    小3いっくん(札幌)    暴れん坊コロナをおとなしくさせるには「おちつき」が大事。そのためには、みんなでリラックスの方法を学んだらいいと思う。
    年長さんのまあちゃん(札幌)    暴れん坊コロナウィルスをおとなしくするには「笑い」が大事。「うがい、手洗い、ヤクルト🎵」を歌うといい。
    小1いっちゃん(札幌)    コロナウィルスは人間を助けに来たんだよ。でも大人がカベカベ壁を作りすぎた。コロナウィルスの気持ちはギザギザハート。それが悔しくて人間をやっつけてると思う。
    小1いっちゃん(札幌)    研究してみたら コロナウイルスも悲しんでたことがわかりました。    まあるい気持ちを持つと コロナウイルスもまあるくなると思います。
    10才りっちゃん    暴れん坊コロナをおとなしくするには、    毎日歌をうたって楽しい気持ちになればいい
    5才ふっちゃん    おならダンス(自分が作詞作曲)を歌いながら踊るといい 
    ・・・・・・・・・・「暴れん坊コロナの大研究」第2弾も開催予定です。    
 この子どもたちのユーモアに力をもらって、    子育て支援に携わっているソーシャルワーカーや多職種で、コロナをきっかけに広域チームを作りました。    定期的にオンラインでつながって、それぞれの機関でどんなことに出逢っているのか、    どんな工夫をしているか紹介し合い、アイディアを出し合っています。    

 こういうときこそ、安心とつながりが大切だなと実感しています。
                               伊藤恵里子

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

  最近、メディアにもマウントサイナイ病院が出てくることもあって現状の厳しさに愕然としています。ただ、その中にあっても患者のために働く岩◎さんを含め医療関係者の方々には感謝の念しかありません。そのような一所懸命働いてくださる方々いる一方で矛盾した動きを見せる一部の政治家、行政の動きには落胆の2文字しかないのが私の感想です。

 現在、乳児院の施設長をやっているのですが、東京の乳児院でも新型コロナが発生し、小規模クラスターとなっている現状もあります。そのような中で働くスタッフのことを想像すると日々の仕事とコロナの対応、保護者への対応など凄まじい仕事量となるのは歴然でしょう。

乳児院の仕事の一つに「子どもたちの生命を守る」という当たり前の仕事があります。しかし、これが当たり前なのかというとそうでもなく、私たちスタッフは日々、細い綱の上を歩いている状態なのです。乳児院といっても健常児ばかりでなく医療的ケアに近いような技術が必要な子どもたちもかなり入所してきます。インフルエンザ、ロタ等の感染症が入っただけでも、その対応に神経すり減らす毎日となります。こういった状況が続けば職員は疲弊し摩耗してきます。確かに、専門職としての看護師はこういった対応は乗り越えられるのですが、同様に対応しないといけない保育士や児童指導員など医療を専門としない職員の負担は凄まじいものです。なにせ自分の知識外、技術外のことが目の前で繰り広げられる訳ですから「子どもたちの生命を守る」という一番ベースの問題に不安を持って対応しなければなりません。

 乳児院は意外に知られていないことですが、児童相談所で預かっている「一時保護」といわれる児童に関して、2歳以下の児童の場合、乳児院に「委託」という形で入所してきます。現在、コロナ濃厚接触の未感染児童が児童相談所に入所可能となるというニュースがありますが、結局のところ2歳以下の未感染児童は乳児院に入所することとなったのです。濃厚接触者は発症時期が分からないので、もし入所すれば隔離です。しかも発症する可能性があるので対応するスタッフは完全独立体制で別棟の対応をすることとなります。当然、スタッフも感染の可能性があるのですが、本園ではコロナ対応チームを組織するにあたって、自選という形で職員を5人募りました。表現が良くないですが施設長としては戦地に赴く兵隊を招集した感がありました。しかし、スタッフは快く応じてくれました、中には親と相談するという職員もいたのですが、次の日には選抜チームの一員となりました。

 「子どもたちの生命を守る」という使命と同時に施設長には「スタッフの命を守る」という使命があります。イタリアでは100人以上のドクターが亡くっています。「子どもたちの生命を守る」ということがどれだけ大変なことか、このコロナ禍の中で改めて考えさせられました。最後にルーテルに懸かる皆さんの健康が守られますように心からお祈りします。

  Tide                    

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

市川先生、

 多くの方からの先生のブログへの投稿を一つひとつ何度も何度も読み返しています。そして、ルーテルの「一人ひとりを大切にする教育」が本当に生きていることに感激しています。卒業生や先生たちがブログ上でお互いに語り合い、励まし合い、学び合うことができるなんて、素晴らしいことですね。こんな素晴らしいコミュニティを作ってくださってありがとうございました。

 こちら、NYではピークを過ぎ、少しづつ落ち着いてきました。新規の感染者も入院患者数も減りました。しかし、数字は収まってきていても、コロナとの戦いに終わりはないと思います。NY州内での死者は減りましたがそれでも毎日200人の方が亡くなっています。そして、この毎日200人の死者の数はここ1週間横ばいです。ガンや心疾患、脳血管疾患などで毎年多くの人が亡くなっていますが、もしかしたら、コロナもその中の一つの疾患になるかも知れません。

 今、私たち医療従事者が注目しているのは、コロナから回復して退院した方の生活の質の問題です。若くて元気な方は家に帰ることができますが、お年寄りの方は家に帰れるほどの健康状態ではなく、長期療養型の施設に入所しています。今、その数が多くなり、急激に特養老人ホームなどがコロナ病棟を作り始め、病院からの高齢者のコロナ患者さんを受け入れています。そのような病棟で働く私の友人が言うには、コロナから回復した患者さんを受け入れていると言っても、多くの方は終末期のケアの方々だそうです。4月の死亡者の統計に特養の入所者の数はあまり含まれていませんが、特養で働く友人は、半分近くの入所者が急な発熱などでバタバタと倒れて亡くなっていったと、当時のことを話してくれました。

 私の働くCOVID ICUでも、何人かの重症患者さんが退院することができました。しかし、退院と言っても人工呼吸器が外れずに気管切開をして、胃ろうを付けて、長期療養型の施設に行く方がほとんどです。このコロナの病理はまだまだ分からないことが沢山あるのですが、多くの方が腎不全や血栓の合併症を発症しています。特に、血栓の問題では重い脳梗塞、または脳出血が起こるケースが多く、最終的には植物状態での長期療養型施設への退院となっています。今まで、誰もこんなに沢山の方が長期療養型施設へ退院するなどと考えていなかったので、長期療養型施設も不足しています。そして、命が助かり、自分で呼吸ができて自宅に帰ることができる患者さんも今、「ICU後遺症」と呼ばれる後遺症に直面しています。 ICUでは、患者さんは重度に沈静化され人工呼吸器につながれ身動きがとれない状態で痛みはないのですが、これが「ICUせん妄」という一時的脳障害を引き起こす可能性があります。 これが後の段階で記憶や思考に影響を及ぼす、と言われています。ICUに長期入院していた患者さんの3分の1の方が退院後、今までしていたと同じ社会生活に戻れないという統計があります。コロナの患者さんの増加が食い止められた今、生き残った患者さんの社会生活をどう支えて行くか、生活の質をどうやって保っていくかが大きな問題となってきました。コミュニティでのサポートが不可欠になってくると思います。

 また、一般の方々も長期にわたる自宅待機や仕事に戻れず収入が絶たれる厳しい状況の中で苦しんでいます。ドメスティックバイオレンスやアルコール依存症、薬物依存症のケースも増えています。市民の4分の3の人が、毎日の生活が心配で良く眠れない、半分近くの市民が抑うつ気味だ、と言っています。

 前にもお話しましたが、コロナの患者さんの多くの方が低所得地域の方々やマイノリティーの方です。NY市の政策で低所得地域を中心に感染者のテストやサポートを行うことを打ち出しました。しかし、誰が地域でそれを担っていくかが問題です。日本とは違って地域での福祉が弱く、受け皿がありません。そこで、今、教会が地域を支える拠点となり始めています。素晴らしいことですね。今週からいくつかの低所得地域の教会が病院と共同して住民への感染・抗体テストを行うことになりました。今、誰もがNYなどの大都市でのコミュニティの弱さを実感しています。お互いを思いやる小さい規模でのコミュニティがこれからの社会を支えていくことになることでしょう。そうなることを願っています。

 患者さんの数が減ったからと言って、このコロナ問題は解決するものではないく、新たな問題が浮かび上がってくるのですね。生活の質や貧困の問題など、これからも戦っていかなくてはいけない事が沢山あります。お互いを思いやって生きていく世の中になりますように。

岩◎恵子

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

1.近況と今の思い  私は、労災職業病センターというNPO法人の職員として働いています。主に労災補償の申請手続きの相談、支援、認定までのサポート、またグレーゾーンなど認定基準に厳しい方達の救済や事業主の責任などに対する支援と運動なども含まれています。私はその幅広い職業病の中のアスベスト(石綿)の患者さんたちに対するサポートを主に対応しており、呼吸器疾患の患者さんたちを相手に、家族、遺族などに対してもサポートしていたので、「肺炎」というのは常に身近にある病気でした。私たちが大丈夫であっても患者さんたちが免疫力ないとちょっとした菌で肺炎を起こしてしまうのです。これが命取り、風邪が命取りになってしまうこともしばしばでしたから、(労災の患者さんたちは死亡原因や経過によっては遺族補償に繋げられないこともある)今まで以上に気を付けて対応しているという感じです。今回の騒ぎで共通しているなと感じているのは、新型コロナも病名確定までに時間がかかるということ。これが中皮腫の確定診断と似ています。そして治療法が確立していないことなど・・・・急に亡くなってしまうケースもあります。そのような中、本人やご家族、そして亡くなった後のご遺族のケアは今も変わっていません。このような事態になりましたが、私の仕事は変わらず(協力医療機関に週二日勤務しているのもあり)、抗癌剤治療して私のところに面談される患者さんが今でもいらっしゃいます。患者さんやご家族、ご遺族にとっても変わらずに面談で対応できることが救いになっているかなと感じています。

2.岩◎さんに対して思うこと 彼女が、NYのマウントサイナイ医科大学(シナイ山医科大学といった方がいいのでしょうけれど)の最前線にて働いていることにびっくりしました。私がルーテルを卒業後フィリピンに留学していたのですが、彼女が会いに来てくれました。そこで、彼女が海外で看護師になりたいという希望があることを話してくれました。20年以上前のことになります。NYで看護師をしていたことは最近になって後輩を通じて知り、夢を叶えたんだなと思っていましたが、まさかマウントサイナイ医科大学にいたとは!不思議なつながりを感じました。ここの病院はアメリカでもアスベスト被害のパイオニア的存在の病院で、私が今の仕事場ともつながりが深い病院だったからです。30年以上も前に、自分の仕事場がアスベスト被害の取り組みを始めた頃、日本では労災としてもまだまだ認定しづらい時代がありました。職場の理事長、所長(共に医師)がアメリカの学会に行き、マウントサイナイ医科大学のセリコフ教授(故人ですがとても有名な医師です)に会えた・・・ということから自分の職場でのアスベスト被災者の救済へというのが始まっていました。唯一、そこで日本人の病理医として働いていたS先生に初めてお会いしたのも日本の地方の裁判所での証人尋問の傍聴からでした。アスベストでの労災認定がむづかしい事案は、ご本人とご家族に説得をし、亡くなられたときに解剖をしてもらい、その標本をアメリカにいるS先生宛に航空便で送り・・・・病理報告書を送っていただき・・・・という時代でした。そうでなければ労災認定が取れなかったのです。
2002年、あのアメリカ同時多発テロの翌年になりますが、機会があり、マウントサイナイ医科大学を訪問する機会にあずかりました。同時多発テロ以降、救済をした労働者やボランティアの人たちの呼吸器疾患が問題とされ(アスベストばく露もあります)当時のNY市から予算を勝ち取り、現地の労災職業病センター(安全衛生センター)と協働して無料の健診施設及び名簿登録をする特別な診療所ができていました。特にアスベストを多量に吸い込んでいるボランティアの人たちは3〜40年後に発症する可能性があるので、その人たちの健康管理が将来に渡ってフォローできるようにしないと大変なことになるからです。しかし、ここで私は他の面を見ました。この当時から移住労働者が多く、フィリピンからの看護師もかなり多い時代でした。日本人はその時には病理のS先生だけで、その時の話で後継者を作っていないという話があり、そこで「人種の壁」を感じました。マウントサイナイ医科大学はイーストハーレムも目の前で、通りが違うと雰囲気がガラッと変わっていたのも見ました。公園には多数のフィリピン人がアメリカ人の子供たちをケアしていてというのも見ました。その時に滞在していたのもアメリカ聖公会へ異動したフィリピン人司祭のお宅で、看護師である奥様や間借りしていたフィリピン人家政婦さんに仕事の実態を聞き取りしたことが懐かしく思えます。この頃からかなり中南米系の労働者も多く働きに来ていて、労災・職業病も外国人労働者の健康を守るにはと議論をしていました。あれから、数十年、今やマウントサイナイには日本人医師なども増えてきていて働いていることも知り、時代は変わったなと感じましたが、底辺の人たちに対する救済がまだまだなのだなと思いました。それは日本でも同じです。こちらでも協力医療機関の一つが外国人医療を担っていますが、あの頃と、現在では外国人労働者も定住化が進み、新たな課題が出てきているように思います。私の仕事としては、この様々な困難に向かっている人たちに手を差し伸べてこえていけるような仕事なので、とにかく目の前にあることに対応する、むづかしければ世間にも訴えていく、日頃の積み重ねや、協力してくださる人たちと共にぶつかっていく・・・これしかありませんが、そこには希望があります。とにかく信じ続けることが大事ですね。
彼女の話を聞いた時に、なんて世の中狭いんだろうと思いましたが、そこはやっぱりルーテルなのかな、とも思いました。彼女ならきっとやり遂げられるでしょう!とも思っています。

 落ち着いたら、私がNYに行くか、彼女が帰国するかのチャンスで会いたいですね。いろんな人のつながりで今の私たちが生かされているので・・・語り合いたいなと思っています。

最後に、市川先生、このような機会を作ってくださり感謝します。

                池田理恵 1989年卒