大学関連

卒業生の皆さんへ

卒業生の皆さん、お元気ですか。

コロナウイルスの影響は計り知れないですね。今も、私たちは、言い表せない不安のただ中に置かれています。そして、これからさまざまな問題が顕在化してくるでしょう。

だからこそ、私は、大切なもの、大切なことを守る決意が必要だと思います。私は、その中に「人への思いやり」を加えたい。

今日は、雪です。気候の変化は老体にはこたえますね。あと3日で学長の役割を終え、またあと3年で定年です。しかし、この1ヶ月、今まで気がつかず、当たり前のように思っていたことに感動しています。

大学に咲いていた桜と、数日前に近くで咲いていた桜の写真を送ります。また来年、大学の桜を一緒に見ましょう。

お元気で。

ちなみに、自分だけでは抱えられないことがあれば、私個人に連絡を下さい。何が可能か、一緒に考えましょう。

                          2020年3月29日

                          市川一宏

大学に咲く桜の花。最初はトリニティホールの2階から見た桜の花。次は正門から見える桜の花です。

市川の履歴(2020年3月)

市川一宏(いちかわかずひろ)                2020年4月1日現在

1.教育歴

 1983年4月より 日本ルーテル神学大学専任講師

 1992年4より ルーテル学院大学助教授を経て 教授

 2002年4月より2014年3月まで ルーテル学院大学学長

 2014年4月より2018年3月まで、大学院研究科長・学事顧問・教授

 2018年4月より2020年3月まで、ルーテル学院大学学長

2.現在 

ルーテル学院大学人間総合学部人間福祉心理学科・大学院人間福祉学研究科社会福祉学専攻 教授

3.学歴

 早稲田大学法学部、日本社会事業学校研究科、東洋大学大学院社会学研究科社会福祉専攻博士前期課程・後期課程、ロンドン大学ロンドン・スクール オブ エコノミックス(LSE)特別研究員2002~2004年

4.専門分野:社会福祉政策・地域福祉・高齢者福祉

5.研究テーマ:全国・都道府県・市区町村の行政、社協、民間団体における計画の策定、実施、評価および調査研究、人材養成・研修等に多数関わる。

全国各地の実践から、様々な「地域の福祉力」を学び、各地域に合った地域福祉実践を研究テーマとしてきた。特に近年、地域の福祉力を高め、孤立を防ぎ、「おめでとう」で始まり、「ありがとう」で終わる一人ひとりの人生が守られる、希望あるまちづくり、共生型社会づくりに挑戦している。

6.学会の活動

・日本キリスト教社会福祉学会会長(2017年6月まで)

・日本地域福祉学会理事(渉外担当)、査読委員<2020年6月まで>

・日本福祉学会監事<2020年5月より>、査読委員

7.法人関係等役員

・東京神学大学評議員

・三鷹ネットワーク大学推進機構副理事長

・福祉系大学経営者協議会理事

・医療法人財団慈生会野村病院監事

・ニッセイ財団高齢社会助成審査委員

・厚生労働省寄り添い型相談支援事業等選定・評価委員会委員

・学校法人九州ルーテル学院理事(2019年4月まで)

・学校法人浦和ルーテル学院評議員(2019年3月まで)

・日本ソーシャルワーク教育学校連盟相談役(2019年5月まで)

・認定社会福祉士認証・認定機構研修認証委員会理事(2018年5月まで)

8.最近の主な学外活動 

・国際基督教大学非常勤講師「社会福祉概論」

・石巻市ボランティアセンターアドバイザー・地域福祉活動計画策定委員会アドバイザー『第3次地域福祉活動計画』・石巻市地域福祉アドバイザー

・小金井市介護保険運営協議会会長

・調布市高齢者福祉推進協議会顧問

・三鷹市介護保険事業計画検討市民会議委員

・武蔵野市健康福祉総合計画推進会議会長・地域福祉計画策定委員会委員長

・練馬区介護保険運営協議会会長、練馬区地域福祉パワーアップカレッジ学長(2019年7月まで)

・世田谷区共同募金配分委員会委員長、評議員専任・解任委員会委員長

・東京都高齢者保健福祉計画策定委員会委員・東京都共助社会を進めるための検討委員会委員長・社会貢献表彰専門部会会長

・東京都社会福祉協議会総合企画委員会委員長、法人理事

・神奈川県地域福祉支援計画評価・推進等委員会会長(2019年6月まで)

・全国社会福祉協議会全国ボランティア市民活動振興センター運営委員長、評議員選任解任委員会委員

・『日本の都市総合力評価(JPCI)有識者委員会(Expert Committee)』 委員<社会福祉担当>(森記念財団)

9.著書・論文等

(単著)

・2014年6月『「おめでとう」で始まり 「ありがとう」で終わる人生 福祉とキリスト教』教文館

・2009年5月『知の福祉力』人間と歴史社 等

(2019年度における論文等)

・2019 年1月この人に聞く「ソーシャルワーカーは、専門職である前に一人の人間であれ」聞き手松本すみ子先生、『ふくしと教育』(日本福祉教育・ボランティア学学会機関誌)2019 通巻26 号、p.38〜p.41

・2019年5月「岡本榮一理論へのキリスト教社会福祉からのアプローチ」(単著) p.90〜108『ボランティア・市民活動実践論』ミネルヴァ書房

・2019年5月「序章 三鷹市における地域ケアの現状と未来への展望」(単著)p.9〜22、「第1章 三鷹市における地域包括ケアシステム構築の現状と課題」(単著)p.28〜37、「地域ケアの過去、現在、将来」(特別対談 清成忠男前理事長)p.243〜251、「地域ケアネットワーク創設への想いを語る」(インタビュー 清原慶子前三鷹市長)p.235〜242、『人生100 年時代の地域ケアシステム―三鷹市の地域ケア実践の検証を通して』(編集代表・共著)NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構

・2019年10月(有識者委員)『日本の都市特性評価2019』森記念財団都市戦略研究所

・2019年11月(書評)森清著『ひとりでも最後まで自宅で』『本の広場』p.12・13教文館 

・2019年11月「慈愛園から学ぶ」『100周年記念誌』社会福祉法人慈愛園

・2019年11月「健生会の歩みは地域に希望の光を届けてきた歴史である」『創立35周年記念誌』NPO法人健生会

・2020年1月「明日の地域を描く」(自著)『地域福祉パワーアップカレッジねりまの「歩み」』p.5〜7(発行人)パワカレの歩み編集委員会

・2020年1月「キリスト教社会福祉実践の原点を考える」(発題要旨)『キリスト教社会福祉学研究』52号、p.80〜82日本キリスト教社会福祉学会

・2020年2月「桐ヶ丘地域のまちづくり再生」実践の持つ意味」(コメント)『第33回ニッセイ財団シンポジウムの記録集「高齢社会を共に生きる」』p.63・64日本生命財団

・2020年3月「自治体とコミュニティの関係性を踏まえた人材確保のあり方」(全国市長会の講演録)『コミュニティの人材確保と育成~協働を通じた持続可能な地域社会~報告書』日本都市センター

・2020年3月「解説 民児協運営のポイントと会長としての心構え」(自著)p.6・7『VIEW No.214』全国社会福祉協議会民生部 

10.講演・研修等

5月20日「これからの民生委員・児童委員活動を考える」大阪府民児協、大阪府民生委員児童委員大会

5月27日「介護支援専門員らしく、利用者や地域を支えるために」大分市居宅介護支援事業者連絡協議会、研修会

6月10日「これからの民生委員・児童委員活動を考える」新潟市民児協、新潟市中堅民生委員児童委員研修会

6月12日「自治体とコミュニティの関係性を踏まえた人材確保のあり方」地域社会を運営するための人材確保と人づくりのあり方に関する研究会、全国市長会

6月17日「地域福祉の方向性と地域福祉コーディネーターの役割」(講義と演習)長野県社協、長野県地域福祉コーディネーター養成講座

6月28日第60回日本キリスト教社会福祉学会大会シンポジウム「神と隣人に仕えるー地域共生社会形成におけるキリスト教社会福祉の役割」(発題)

6月20日・9月12日「地域援助技術」(コミュニティソーシャルワーク):「これからの地域福祉と主任介護支援専門員の視点」(講義と演習)「地域福祉を進める専門職の目指す方向」(講義と演習)長野県社協、長野県主任介護支援専門員研修会

7月4日・16日「社会福祉概論」裁判所総合研修所、家裁調査官研修

8月20日・3月1日・16日「特別講義:問い直される社会福祉の使命―新しい共生社会の創造」中央福祉学院、社会福祉主事資格認定通信課程

9月9日「地域福祉をめぐる課題と展望」神奈川県、地域福祉担当職員研修(初任者編)

9日29日・10月3日・11月12日・1月23日「地域福祉をめぐる課題と展望」自治大学校、(管理職)課程講義

10月9日「県民一人ひとりが作る地域共生社会について」沖縄県社協、沖縄県社会福祉大会

12月17日「地域福祉コーディネーターの役割」新潟県社協、地域福祉コーディネーター養成研修

1月28日「単位民児協会長・副会長の心構えと役割について」香川県民児協、単位民児協会長・副会長研修

1月29日「地域福祉を推進する者として」名古屋市民児協、研修会

2月4日「これからの民生委員・児童委員活動を考える」土浦市、全体研修会

2月7日「民生委員・児童委員協議会の運営と副会長の役割について」埼玉県社協、民児協副会長研修

2月13日・14日「民児協のリーダーに求められる役割」(講義と演習)全民児連、全国民生委員大学

2月17日・18日「地域共生社会と民生委員・児童委員の役割について」「相談技術」長野県社協、県内研修会

2019年度後期卒業式

2020年3月13日午後2時より、本学院礼拝堂において、卒業生と専任教員、担当職員、パイプオルガン演奏者と独唱者が出席し、卒業式が執り行われました。保護者の方々や学院関係者の方々にはご遠慮頂き、本当に申し訳なく思っております。写真は、大学のホームページに掲載されています。以下、私のメッセージを掲載いたします。

輝く命

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言3:5・6)

皆さんと共に今日の卒業式を執り行うことができますことに心から感謝し、その思いを込めて、お祝いのメッセージを送りたいと思います。

1.聖句の意味

この聖句は、2002年4月、今から18年前の4月の入学式で、学長として初めてメッセージを述べた時の思い出の聖句です。当時、戸惑いと緊張で心は激しく揺れていた時に、この聖句によって勇気を与えられたことを思い出します。

さて、箴言は、いわゆるバビロン捕囚後、すなわち紀元前約600年、新バビロニアによってユダ王国のエルサレムが征服され、ユダ国民がバビロンに連行され、50年間、囚われの身となりました。もっとも過酷で悲観すべき状況にある中で書かれたものです。

また、箴言は「知恵の書」と言われ、「実際の生活の中で、さまざまな問題や困難に遭遇する。これらの課題を巧みに解決・処理し、時と場合に応じて適切に行動する能力」(『新共同訳 旧約聖書注解Ⅱ』日本基督教団出版局)について書かれています。なお、この知恵は自分だけで得られるものではありません。さまざまな人と出会い、さまざまな行動や思いを知り、学び、また自らの経験によって得られることを確認したいと思います。

ふりかえって、私たちも、身近に地震、台風等による水害、風害、そしてコロナウイルスの流行等に直面し、不安に覆われた状態にあります。このような時代にあって、私たちは、それらの困難にいかに取り組むか、どのように生きていくのか問われており、今日は、1人の医師の生き方から学びたいと思います。

2.アフガニスタンにおける中村哲医師の働き

その人とは、アフガニスタンの地で、住民のために働いた医師中村哲さんです。アフガニスタンは、日本から西南に約6,000キロメートル離れた所にあり、南と東はパキスタンに、西はイランに接し、面積は日本の1.7倍、中央には、ヒンズークッション山脈がある山の国です。人口は2000万人から2400万人で、気候は乾燥地帯ですが、かつては、全人口の80%を占める農民が自給自足の生活をしていました。しかし、約50年前から内乱が続き、また約20年前に大干ばつがあり、1200万人が危機に直面し、飢餓線上400万人、100万人が餓死線上にあって、イランやパキスタンへの数100万人が難民となりました。

中村医師は、1984年にパキスタン北西部に赴任し、1991年よりアフガニスタンの東部の都市ジャララバードを拠点として、診療所を開設し、医療活動を行いました。99.9%の住民は10円、20円のお金もなく医療を受けられない状況でした。

中村医師は、医療活動を続けながら、子どもたちが日本では治る腸の病気にかかり、「コロリ」と亡くなってしまう現実を知りました。その理由は栄養失調と貧困です。子どもたちは、乾きを潤すために汚い水を飲まざるを得ず、その結果、体を壊す。また水がない故に作物ができず、十分な食べ物がなく、栄養失調状態にありました。そして、長く続く内乱の混乱も合わさって、急激に砂漠地が増加している現実を見て、中村医師は、2000年8月井戸を堀ることを決意しました。さらに、食べ物となり、生活を維持する農作物づくりのための用水路を建設することに挑戦し、聴診器を土を掘り、岩を砕く道具に持ちかえたのです。

 2002年以来、1600箇所に井戸をつくり、また用水路建設に取り組み、2017年現在、用水路は27キロに及び、灌漑面積は、3500ヘクタールに及びました。東京ドームは4.7ヘクタールなので、800個分になる計算になります。用水路が延びるたびに緑が生まれ、村ができる。そして15万人が住むコミュニティが作られたのです。しかも、一緒に用水路を作り、知識と経験をもつ住民がそこに住み、用水路を守り、コミュニティを継続していくという、当事者による自立を目指したのでした。それらの事業を、日本で設立されたペシャワール会(注1) が、それらの活動を支援したのでした。

注1.シャワール会は、1983年、パキスタン北西辺境州で貧困層のハンセン病治療をし、79年の旧ソ連侵攻で生じたアフガニスタン難民も治療する中村哲医師の支援組織として結成された。会員数約1万3千人。寄付金により同州やアフガニスタンで複数の病院や診療所を運営している。受診者は延べ100万人を超える。中村医師は2003年、アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞(平和・国際理解部門)を受賞した。

(以上、『天、共に在り〜アフガニスタン三十年の戦い』NHK出版、2013年10月第一版、「京都環境文化学術フォーラム」記念講演より)

3.中村哲医師の生き方から学ぶ

 私は、中村哲医師の生き方に敬意を表しつつも、同じような生き方ができない。しかし、だからこそ、中村医師の生き方から学びたいのです。福岡市の西南学院中学に進学し、キリスト教と出会った後の生き方から、生き方の本質を引き継ぎたいのです。

<出会いを大切にしてきた生き方>

中学時代からの友人、福地庸吉さん(73)が中村医師に現地に赴任した理由を尋ねると、かつて蝶を調査する登山隊の一員として行った時に診察できなかった村人たちの「恨めしそうな顔が頭から離れんかったとよ」と答えたと言われたとのこと。また、中村医師は言います。「様々な人や出来事との出会い、そしてそれに自分がどう答えるかで、行く末が定められていきます。私たち個人の小さな出来事も、時と場所を越え縦横無尽、有機的に結ばれていきます。そして、そこに、人の意思を超えた神聖なものを感じざるを得ません。この広大な縁の世界で、誰であっても無意味なものはない。私たちに分からないだけです。この事実が知ってほしいことの一つです。現地30年の歴史を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人の真心は、信頼に足るということです。」その言葉から、出会いを大切にしてこられた中村医師の生き方を学びます。

<「一隅(ぐう)を照らす」>

中村医師は、たびたび「一隅(ぐう)を照らす」と言われます。一隅とは、ひとすみと書きます。今いる場所で希望の灯(ひ)を灯すこと。それは、0か100ではない。その間には、1から99の生き方がある。さらに、アフガニスタンの国全体から見ると、限定的な活動だが、自分がいる場所で生きていくことが一隅を照らすことであり、そこに意味がある。また援助にはブームがあり、ブームが終わると多くの援助が引き上げられるが、中村医師は、現地に残り続けた。だから、経験の通して、現在のアフガニスタンでの戦争が、決して平和を生み出さないこと、憎しみは生まれるが、信頼は生まれないことを説得力をもって言い続けることができたのです。

2019年12月4日、中村医師は、銃撃され、亡くなられました。私は、中村医師が生涯を通し証明したその思いを、忘れないようにしていきます。

4.卒業生に贈る言葉

君たちはそれぞれに生きてきた。そしてここにいる。また、君たちとともに、ご親族、友人、教職員は、一緒に歩んできた。今までのことで、無駄なことは何もない。そのことに気がついてほしい。そして、今までの経験を無駄にするかしないかは、これからの君たちの考え方、生き方による。そのことを忘れないでほしい。

そして今、君たちは、旅立とうとしている。不安もある。恐れて歩みを止めることもあるかもしれない。しかし、私は、漠然と不安を抱くのではなく、今を大切にして、生きていってほしいと伝えたい。いろいろ困難に直面した時に、決して一人ではなかったことを思い出してほしい。

これからの君たちの歩みのその一歩一歩が、「輝く命」そのものである。そして、君たちの思いと共に、共に歩んでくれた方々の思いが、君たちを通して輝いているのです。そのことを忘れないで頂きたい。

だから、今日は、君たちに、「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」という聖句を贈ります。

卒業、おめでとう。これからもよろしく。

資料1.歩み

1984 パキスタン北西部に赴任

1991 アフガニスタンに診療所を開設ペシャワルの病院に訪れる患者の半数は、戦乱を逃れてきた隣国アフガニスタンの難民だった。アフガニスタン山間部の無医地区の苦境を知り、国境の峠を越えて診療所を開設。その後も活動地域を広げ、最も多い時期は両国の11カ所で診療所を運営した。

2000 干ばつを受け井戸を掘る アフガニスタンで大干ばつが発生。農地の砂漠化が進み、住民たちが次々と村を捨てた。飢えと渇きの犠牲者の多くは子どもたち。「もはや病の治療どころではない」。かんがい事業を決意し、井戸掘りを始める。2016年までに井戸は1,600カ所となった。

2003 用水路建設に着手 井戸掘りを進める中で直面したのが、地下水の枯渇。水不足で小麦が作れない住民たちは現金収入を得るため、乾燥に強く、ヘロインやアヘンの原料となるケシの栽培を広げていた。「農村の回復なくしてアフガニスタンの再生なし」。地下水に頼るかんがいの限界を知り、用水路の建設を始めた。

資料2.
『天、共に在り〜アフガニスタン三十年の戦い』NHK出版、2013年10月第一版、「砂漠の啓示」より

砂漠は美しく静かだ。日中の気温は50度に迫り、強烈な陽光があらゆる生命の営みを封じる。人為を寄せつけぬ厳しさに、人はただ伏して恵みを乞う。ガンベリ砂漠の凛(りん)とした表情は変わらない。 だが緑の防砂林を境に情景は一変する。幅300メートルほどの樹林帯が延々5キロ、砂漠と人里をくっきりと分けている。高さ十数メートルに成長した紅柳の薄暗い森を抜けると、1本の水路が流れている。両岸のヤナギ並木が目を和ませ、小鳥のさえずりが聞こえる。水路沿いに数万本の果樹の園、スイカ、野菜、米や小麦を豊富に産する田園地帯があり、今も開拓は営々と進む。6年前に建設された用水路は確実に威力を広げている。 当時は粗末な小屋で、熱風と砂嵐の中、食事に混じる砂粒を噛(か)みながら指揮を執った。数百人の作業員たちは倒れても決して仕事の手を休めなかった。三度の食事を家族に与え、故郷で暮らすこと。それが彼らの願いであった。 その司令塔は今、広々とした記念公園の中に記念塔として立つ。塔の上から眺めると、砂漠に向かって押し寄せる一面の樹林の緑が圧倒的だ。恵みは人の思いを超えて、備えられてあることを訴える。奇跡ではない。一つの神聖な啓示だ、と皆は確信を深める。 砂漠の一角で得たこの光景は、誰の心にも鮮やかに刻まれている。わが職員、作業員は隣接地域で次々と取水堰(ぜき)の建設に取り組み、アフガン東部に穀倉地帯の復活をと意気軒高である。多くの場所で取水堰を造り、「緑の大地計画」は15年目にして完成を目前にした。2020年までにPMS(平和医療団)は1万6500ヘクタールの沃野(よくや)をよみがえらせ、65万農民の生きる空間を確保しようとしている。 PMSでは来る5年を準備期間とし、全国展開を目指している。アフガンでは全耕地770万ヘクタールのうち灌漑(かんがい)地域は200万ヘクタール前後。減少の一途という。 気候変動による干ばつは、ようやく為政者に危機感を与え始めている。全部を救えないにしても、PMSが確立した取水技術は多くの地域で恩恵をもたらすと期待され、全国展開の機運が高まっている。現在、「大同団結」をあらゆる勢力に呼び掛け、調査と準備が進められている。 殺りくで糧を得ることなど誰も好まない。故郷で耕して生きるのが一番だ。戦乱の中で生きざるを得ない人々は、PMSの灌漑事業に平和への望みをかける。その祈りは切実である。 この事情は日本に伝わりにくい。戦の背後にある現実が知られず、貧しい人々の犠牲に実感が持てないこともあろう。 折から報ぜられる安保法制議論は、悲しいものだ。進んで破壊の戦列に加わり、人命を奪ってまで得る富は、もうよい。理屈で固めた「平和」は血のにおいがする。富と平和はしばしば両立しない。日本国民はいずれを選ぶか。」

2020年新年礼拝「山の頂きから見えるもの」


「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(口語訳聖書:ヘブル人への手紙12:2)

<はじまり>ルーテル学院大学のチャプレンに、年頭礼拝のメッセージの依頼を受けたその時から、私は何を述べることができるのか迷いました。そこで、私の生きていく原点の一つである場に立ち、今までを振り返り、そこで率直に考えたことをお伝えしようと思いました。その場が、石巻市にある日和山でした。

<日和山>日和山は標高61.3メートルの山ですが、石巻市内を一望できる場所としても知られており、眼下には、漁港、仮面ライダー等で有名な石ノ森章太郎の萬画館、旧北上川の河口から広がる太平洋が見えました。しかし、近年、石巻市の大きな変化を見る場所になっています。

<東日本大震災>2011年3月11日に発生した東日本大震災により、石巻市は大きな被害を受けました。2019年12月4日現在、死者は3,277人 関連死は275人 行方不明は420人に達しています。日和山に置かれていた案内板には、こう書かれています。「門脇、南浜地区は急速に市街化が進み、石巻市立病院、石巻文化センター、そして約3,000件を超える人家が建ち並ぶ街として発展しました。しかし、東日本大震災の大津波はこれらの家々をすべて押し流し、同時に発生した津波火災が街を焼き尽くしました。この地域は、災害危険区域として居住できない地域となりました。」

発災時には、雪が降っている中、多くの市民が日和山に登って津波から避難しましたが、住民は、その場で津波の驚異を目の当たりにすることになりました。

<日和山に登る>1月5日の朝6時、20年近く親しくして頂いている石巻市社協の友人とホテルのフロントで待ち合わせをし、私は日和山を目指しました。まだ暗い朝、2メートルを超える津波に襲われた地域をしばらく歩き、そして日和山の頂きに行くために急な坂を登りました。頂きの公園に着くと、空は段々明るくなってきました。私は、友人に案内され、工事途中の新しい橋、南浜地区復興祈念公園、いくつも建っている復興住宅等、新たな石巻の姿を見ました。十分防寒対策をしていきましたので、たかをくくっていましたが、気温はマイナス2度で、少し風もある。案の定、手袋をしていた手を寒さが突き刺しました。そのぶん、日の出は待ち遠しく、だんだん空が赤くなり、日をさえぎる雲を焼くように、光の断片が見えだし、丁度7時に、日が登りました。とてもきれいな日の出でした。

<日和山から見えるもの>被害にあった地域の多くの時計は、津波が襲ってきた時間を指したまま止まりました。しかし、被災者の人生の時計の針が、今、そして明日に向けて動いていくために、働きかけているたくさんの方々の姿を、私は見続けてきました。

私が日和山の頂きに立って日の出を見ながら、思うことは2つ。

1つは、東日本大震災の被害が、人ごと、他人事とは思えなかったこと。震災が起こるまで一緒に生活していた配偶者、子ども、親、友人を突然なくし、さらに生活してきた地域が面影もなく消え去ってしまう事実に直面して、私はいてもたってもいられなかった。発災当時たくさんのボランティアが来ましたが、その方々には、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持があったと思います。それは、誰もがもっている気持。発災後何年も石巻で働かせて頂き、この気持を大切にしてこられたことに、私は心より感謝しています。

2つ目は、地域生活支援について一緒に考え、挑戦してきた友人、関係者の方々がおられたこと。被災地における自分の無力さを「いやっというほど」知ることにより、思いを同じくする方々と一緒に歩むことの大切さを学びました。石巻での経験と一緒に挑戦してきた友人は、私の財産です。

 聖書に立ち戻ります。口語訳のヘブル人への手紙12:2では、「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」と書かれています。説教黙想アレテイア『ヘブライ人への手紙』で、加藤常昭牧師は、「共に走りつつ」というテーマを出され、繰り返し、本聖書の説教者は、相手に「すべきである」というような第2称で話していない。一緒に走ろうと言っている。そこに、「励ましの言葉」としての意味があると言われました。
さらに、聖書には「イエスを仰ぎ見つつ」とも書かれています。イエスは、「恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座する」方です。しかも、イエスは、私たちが歩き始める前に、すでにこの道を歩まれ、今は私たちを見守って下さる。そして私たちが見上げると、イエスがおられる。だから私たちは勇気を与えられ、さらに明日に向かって共に走っていくことができるのです。

 皆さんも、自分にとっての山の頂に立ち、自分を見つめ、さらに周りを見渡して下さい。ルーテル学院を支えて下さった諸先生、諸先輩がおられる。ルーテルのミッションを学んだ卒業生が、困難に直面している方々に希望の光を届けている。それぞれの家庭や地域で安心して生きていく場を築いている。互いに支え合っている家族、友人がいる。教職員、在学生、教会の方々、ルーテル学院と関係のある方々が共に歩んで下さっている。

だからこそ、私は2020年を、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持を勇気にかえて、明日に向かって歩む1年にしたいと考えております。

感謝。
(新共同訳聖書では、「信仰の創設者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びの捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのなったのです」と書かれています)

 石巻市日和山に登る(2020年1月5日)

石巻市

最後の2枚は、一緒に山を登ってくれた友人が撮っていてくれた写真です。

日和山から見える今の石巻市

110周年資料(学院の歩み)

http://kichikawa06-08.sakura.ne.jp/blog/wp-content/uploads/2019/12/a399deb3e509b5bdbc954be27fa4419f.pdf

学院創立110周年・三鷹移転50年記念式典、ホームカミングの感謝

11月30日に開催されました学院創立110周年・三鷹移転50年記念式ホームカミングには、たくさんの方々にご出席頂き、盛会裏に終えることができました。午前の部でも、たくさんの来賓、後援会、教会、関係施設、市民の方々が来られ、礼拝堂の席が埋まり、また第二会場には、約150人の方々が出席下さいました。本当に感謝しております。

同時に、たくさんのうれしいメールを頂いています。「市川先生✨今日はありがとうございました。帰ってこられる場所があるのは本当に嬉しいです。変わらずあたたかく迎えてくださる先生方、同期のみんなや色々な懐かしいお顔に沢山元気をいただきました😊またお会いできる機会を楽しみにしています🎶」等のメールをたくさん頂きました。
 
 また、来賓の方々からも感謝の言葉を頂きました。
 「創立110周年&三鷹移転50年の式典にお招きいただきまして本当にありがとうございました。そして、おめでとうございます! お席も確保していただきまして、お気遣いに感謝いたします。向谷地先生の「共に生きる社会を目指す」という講演会内容は、発想の転換に驚きました。(常にポジティブなところは、凄いです。) 息子が医療関係の仕事をしており、以前「精神病棟に入ると、医師がいくら退院許可を出しても家族が認めない。」と嘆いておりました。「一緒に発見することで、つながりを持てる」との言葉は、響きました。そして、私は松澤理事長先生のお話に、ハッとさせられました。「どんな人間でも、社会と関わり、社会に貢献する能力を持っている。ただ、常にひとつだけ忘れないでおきなさい。見返りを求めて行動する人間ほど愚かな人間はいない、ということをね。」と幼い頃より母にいつも言われ続けました。点字に出会い、沢山の方々に出会ったことに感謝しつつ、「1日生きることは1歩前進することでありたい」という言葉のように、残りの私の人生、更に努力をせねばと反省しました。本当に素敵な式典でした。ありがとうございました。」(点字ボランティア三鷹きつつき会)
 
 学院は、110年にわたり、教会、児童福祉、高齢者福祉、障害者福祉、医療、教育、心理等の多様な分野で、働く人材を育ててきました。卒業生が本学のブランドであり、困難に直面する方々に希望の光を届けてきました。今後も教職員一同、人材を育て、社会に送り出す使命をこれからも遂行していきます。

なお、2020年度より、私は、通算14年間の学長の任を降り、石居基夫新学長体制が始まります。今後とも、皆様方のご支援、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。

https://www.dropbox.com/s/9345lcs6ft7p27m/110%E5%91%A8%E5%B9%B4%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E6%98%A0%E5%83%8F%EF%BC%88mp4%E5%A4%89%E6%8F%9B%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%B8%88%EF%BC%89.mp4?dl=0

入場門(礼拝堂を背景に)
100周年記念礼拝
記念講演(向谷地先生)

記念式典(挨拶)


110周年記念大会・ホームカミングデイのお誘い

卒業生の皆さん、

ご無沙汰しています。

さて、11月30日(土)には、ルーテル学院の創立110周年記念礼拝と、精神障害の方々の自立に取り組んでいる北海道「浦河べてるの家」の向谷地生良先生の講演会、そして午後には、恒例のホームカミングパーティが予定されています。退任された教職員の方々も来られます。

創立記念式典を含め一人でも多くの卒業生の方々に来て頂きたいし、お会いし、学生時代の思い出を分かち合いたいと思っています。なかには、この機会に同期会を行う方々もおられます。私たち教職員にとっても、卒業生同士の絆があることは、とてもうれしいことです。

皆さんには、是非ともご出席頂きたいですし、同期を含め、学友の方々にも呼びかけて頂き、110周年の記念の日をたくさんの方々と一緒に祝いたいと願っています。詳細は大学のHPもご覧ください。

なお、出欠人数の把握をしたいので、以下のURLから参加可否の登録して頂けませんか。

https://www.luther.ac.jp/inquiry/homecoming.html

どうぞ、よろしくお願いします。

                    2019年年11月                  ルーテル学院大学学長 市川一宏



ルーテル学院一日神学校

9月23日に一日神学校が行なわれました。
↓こちらはシンポジウム「ディアコニアのこころと実践~本学の使命とは~」での発表資料です。

一日神学校シンポジウム発表資料

2019年前期卒業式(9月23日)

テーマ:メッセージを届ける人

聖句 (マタイ26:6〜13)ナルドの香油

「さて、イエスがベタニヤでらい病人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。『なぜ、こんな無駄使いをするのか。高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに』。イエスはこれを知って言われた。『なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいるが、わたしはいつもあなたがたと一緒にいるわけではない。この人は私のからだに香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう』。」

賛美歌 賛美歌21 567

1.ナルドの香油 そそいで 主に仕えた マリアを思いおこし 私の愛 ささげます 主イエスよ。

2.弱い人に 力を 暗い世界に 光を わけあうために この私を ささげます、 主イエスよ。

3.嘆く人に 望みを 涙の地に 平和を 告げるために この私を ささげます、主イエスよ。

4.この世のわざ 果たして 主のみもとに 帰る日、平和のうちに 主よ 私を受け入れてください。 

2019年度前期卒業式のメッセージの原本です。これをメッセージ用に縮め、卒業生、保護者、そして集まった在学生、教職員の方々にお話させて頂きました。

 今日、晴れて卒業する皆さんに、精一杯贈る言葉を宣べさせていただきます。

「せめて、これだけは言わせてほしい。君が生きている意味はあるんだよ。ほんのわずかでも 君が少しでも 私を望んでくれるのなら 笑って ありがとうと 言ってくれるのなら、何度 何千度 何万度 君の為だけに 言葉を紡がせてください」

これは、松井亮太作曲と歌、そして優希(ゆうき)作詞による「存在証明」という曲の一節です。
 優希君は、優しいという優と、希望の希を合わせた仮の名前です。2014年3月、当時17歳であった時、祖父母を殺害してキャッシュカードなどを奪い、強盗殺人罪で懲役15年を言い渡され、服役しています。彼の獄中からの言葉に松井氏が曲をつけました。

ほんの少し、『誰もボクを見ていない』(山寺香著、ポプラ社、2017年)というノンフィクションから、優希君の生活を追ってみたいと思います。

10歳の時、両親は離婚しました。離婚後、母親とともに生活していましたが、母親の浪費癖により、生活は苦しく、家を追い出され、住まいを転々とし、ホストクラブに勤めていた男と一緒に生活することになっても、度々困窮を極めます。母親は、自分の両親や親戚だけでなく、たくさんの人から借金を重ねていきます。彼は母親に命ぜられるまま、借金の手伝いをさせられました。借りていたラブホテルに泊まることができなくなり、その庭にテントを張り生活して時もありました。そして、時には何日も一人させられ、母親の不在は強烈な恐怖を優希君に植え付け、彼は、その恐怖心で、母の言うがままに、行動をしました。

優希君はゲームセンターで金を使い果たした母親に連れられ、JR北千住駅前を歩いていて、大型ビジョンから内閣府の自殺対策キャンペーンソングの「あかり」(ワカバの20代の女性ファンが自殺したことをきっかけに生まれた。ワカバのポスターやCDで埋め尽くされた女性の部屋を訪ねた亀田大は「もっと何かできたのでは」と悔やみ、「命を絶とうとする人を一人でも多く救いたい」と願い、この曲を制作されました)を聞いたことを覚えていました。ボーカルは存在保障の作曲家松井氏です。

 松井氏は、ある人(横浜市の作編曲家、岩室晶子さんの知人)を介して獄中にいる元少年と手紙で交流を始め、曲作りを提案。今年1月、数編の詞を受け取りました。そして、二人のやりとりの手紙は10通を超え、「存在証明」という曲が完成したのです。

この事実から、私は2つのことを学びます。一つは、優希君の存在、生きてきた姿です。そこから底知れない悲しみと孤立感を覚えます。そして、もう一つは、私たちの思いが、支援が届かなかったという後悔。優希君を孤立と不安のどん底に置き続けてきた無念さ。学校や児童相談所、フリースクールも働きかけましたが、母親はそれをいやがり、その場から逃げていきました。私たちのメッセージが届いていなかったのでした。今、その無念さに留まるのではなく、彼の再生を応援しようとする人々が集まってきています。

私は、お伝えしたいことを明らかにしてテーマを決め、それから聖句を決めます。優希君から学んだことをお伝えしようと覚悟を決めた時にすぐに浮かんだ聖句が、ナルドの香油の箇所です。

聖書に物語が記述されている当時は、お客様が家に到着したとき、あるいは食事の席に着いたとき、その人に数滴の香油をかける習慣があったそうです。しかし、この人がした場は、有名な弟子たちが食卓を囲む場で、臆することなく近づき、ナルドの香油を注いだのでした。ナルドの香油は、ヒマラヤ原産のナルドという植物の根からとるものであり、非常に高価なものです。当時の価値で、普通の人の1年間の収入と同じ価値をもつものでした。弟子たちは、咎めましたが、イエスはこの人を擁護しました。この人がここまで愛したイエスは、3日後に私たちのために十字架につけられました。この時を逃すと、イエスにお会いすることができないと知っていたから、惜しげもなく香油をイエスにかけたのでした。

有名な神学者バークレーは、この行為を、「惜しみなく注ぐ愛」と言いました。この人は、持っている物の中でもっとも高価な物をイエスに注いでのです。イエスに救われ、助け出され、イエスを信ずる一人のものとして(ウイリアム・バークレー著・松村あき子訳『マタイ福音書下』ヨルダン社)、その感謝のメッセージがイエスに届いたのでした。

聖句には、「この人」とナルドの香油を注いだ人物を呼んでいます。食卓を囲む名だたる聖徒とは立場を異にする人物です。また、その行為が、イエスへの感謝と愛に基づいていることは当然ですが、私は、困難にあっても、いや困難にあったからこそ、香油を注ぎ、イエスがそれを受け止めて下さり、私たちの歩みが始められる。賛美歌に書かれているように、神に祈り、自らのすべきことが見えてくる。

私たちは、日々、様々な問いが投げかけられます。優希君の言葉に立ち戻ります。様々な鎧を脱いで自分を探している優希君が、私たちに伝えたいと言っている「君が生きている意味がある」と言うメッセージが私たちに届けられました。それに私たちは答える責任がある。

また同時に、私たちが、一人で葛藤しているが、外からは決して見えない人たちに、「君が生きている意味がある」と届けることができるか問われているのでないでしょうか。答えはなかなか見つからないかもしれません。そのために、繰り返しになりますが、その時々にあって、私を愛して下さるナルドの香油を、イエスに注ぎ続けていくことが、「君が生きている意味がある」というメッセージへの答えになり、それが私たちの人生であり、このメッセージを届ける契機になるのではないかと思っています。

卒業するそれぞれに申しあげます。人生の節々にあって、どのように決断したら良いかという問いかけがなされるでしょう。その時々にあって、ナルドの香油を注いだ人のように、大切にしていること、信じていることに立ち返り、自分にとって誠実な歩みをして頂きたい。そして、ルーテル学院大学で学んだこと、出会った友人、君たちの卒業を喜んでいるご家族、教職員のことを思い出して、そこからいつも再スタートをして下さい。

ご卒業、おめでとう。これからもよろしくお願いします。

8月ルーテル学院校内の花