「人生 100 歳時代を賢く生きる-生活、心、信仰-」
2025年3月1日に、日本キリスト教団阿佐ヶ谷教会において、講演会が開催されました。当日のパンフとレジメを掲載いたします。どうぞごご覧ください。
レジメです。
この講演は、録画して頂きました。よろしければ、ご覧ください。
https://www.youtube.com/@NishiTokyoKyoku
なお、今回、高齢者の孤立を防ぐことを重点にお話ししましたが、それに取り組む原点は、ある子の死への悔いとお詫びです。私が神奈川県社会福祉審議会の会長をしていた時に、小学校2年生の子が白骨死体で見つかりました。その子どものことを調べますと、3歳の時に裸足で外に出ており、見つけた人が迷子だと思い、家に返してしまったそうです。学齢期になり、学校に行くはずでしたが、行くことはありませんでした。学校はその状態に対して、追跡調査をしていませんでした。その子は、最後に親が家に戻った時、残された力を振り絞り、親を呼んだそうです。しかし、親は家を出て行き、子どもは餓死し、白骨死体で見つかりました。
子どもが産まれますと、私たちはおめでとうと言う。誰もが、祝福する。たとえ障がいをもっていても、その子の命の大切さと将来の成長を祈り、おめでとうと言う。私の甥っ子は、私たちの宝です。当然、亡くなった子も、神様から祝福されて産まれた。おめでとうと言われたはず。いや、言われるべき存在。しかし、その子の最後の叫びは、私たちに届かなかった。一人のさまざまな可能性を奪われ、最後の言葉さえも、聞いてもらえなかった。
私は、その事実を知り、心が掻きむしられ、本当にその子に申し訳なく思いました。その子の声を聞いてあげられなかったことを、私は生涯忘れることができません。高齢者の孤立死も同じこと。私の思いの原点は、心に深く刻まれた子どもへのお詫びです。