被災地支援から学ぶ

今から30年前、1995年1月17日午前5時46分52秒、兵庫県淡路島北部、あるいは神戸市垂水区沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3クラスの自信が発生しました。震源に近い神戸市の市街地の被害は大きく、たくさんの家屋が潰れ、高速道路がなぎ倒され、燃え広がる火災が起こり、6,434人もの方が命を落とされました。私は東京にいて、テレビで報道される深刻な被害を見て、思わず驚きの声を上げていたことが、今さらのように思い出されます。

その後、私は、神戸市長田区の老人ホームに泊まり、デイサービスの利用者の追跡調査に加わりました。焼け落ちた市場を見、また火事が起こった発災当時の混乱を聞くにあたって、大切な人、家、思い出のものを失った方々の痛みと出会い、復興までの道のりが本当に長いのではないかと率直に思いました。しかし、全国から、たくさんのボランティアが集まり、支援に入り、あらたなNPOが広がり、絆を作り上げました。ガバナンス、すなわち統治(government)から協働へという言葉が登場したのもこの時期です。

1995年時より、阪神淡路大震災の被災地の新たな歩みが始まりました。本年は、30年目。阪神淡路大震災1.17のつどい実行委員会は、以下の呼びかけをしました。「1995年1月17日 午前5時46分。阪神淡路大震災が発生し、私たちの大切なものを数多く奪っていきました。あの震災から、まもなく30年を迎えようとしています。震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため、2025年1月17日(金)に「阪神淡路大震災1.17のつどい」を、神戸市中央区の東遊園地で行います。」テーマは『よりそう』でした。

そこで遺族代表の武田眞理さんは、以下のように述べました。「犠牲になった父からのメッセージ  あの朝、子どもたちのお弁当を作っていた私は、突然の激しい揺れであっという間に足が冷蔵庫に挟まり動けなくなりました。関東大震災の生き残りだった祖父がいつも口にしていた「揺れたら火を消せ」の声が聞こえました。手を伸ばしガスを切った途端、体はがれきに埋もれました。暗闇の中をもがいて外に出たときに見たのは、跡形もないわが家と、割れた屋根の下でぼうぜんと娘を抱く主人の姿でした。父母と息子の姿はありませんが、名前を呼ぶと母と息子からは返事が。靴もないまま道路へ出て助けを呼んで、主人と駆けつけてくださった人々の手によって息子は生還し、母は土まみれながら助かりました。 昼になり、変わり果てた姿で父が出てきました。前夜、いとこに電話をかけ、100歳まで生きると言っていた父の生涯は、67歳で終わりました。私は涙に枯れる間もなく、母は自責の念にかられ、恐怖に震える6歳と10歳の子どもたちをどう育て生きていくかで頭がいっぱいでした。 子どもの発熱で葬儀にも出席できず、棺に手紙をいれたくてもメモもない私でしたが、父は一人犠牲になって家族を守り、それは私に強く生きろというメッセージに思えました。  でも、悲しいことばかりではありません。いつもと同じ朝を迎えられる喜びを知り、行政や多くの方から支えていただきました。それらが前を向く原動力でした。大切な家族を心の準備もなく失いましたが、心の中で故人はいつまでも生き続けています。 この30年、さまざまな自然災害がおこり、昨年能登を襲った地震は記憶に新しいです。同じような悲しみをもった人たちに心の平安が訪れることを願うとともに、命の大切さを伝えていきたいと思っています。」

なお、以下のNHKの記事の神戸中央区追悼式の画面をご覧ください。私は、感動で心が揺さぶられました。皆さんもどうぞご覧ください。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250116/k10014694881000.html

私は2020年3月末日をもって、石巻市社協、石巻市の地域福祉アドバイザーとしての役割は終えましたが、東日本大震災の被災地支援は、私の教員人生に多くの教訓を与え、学びの時でした。市川一宏研究室に、大切にしていることを掲載しています。時間がありましたら、お読み下さい。これからも、ずっと、石巻の復興をわすれません。

さて、私は、皆さんに、3つのお願いをしたいと思います。

一つは、震災が起きた時に備えて、まだ家族や友人と相談をしていないなら、防災のチェックリストは色々ありますが、首相官邸のホームページが見易いです。

https://www.kantei.go.jp/jp/headline/bousai/index.html

広く防災を学ぶには首相官邸のホームページがわかりやすいですが、それぞれのお住まいの地域ごとに災害リスクは異なります。ぜひ、お住まいの自治体のホームページなどをご覧いただくか、ハザードマップなどで、ご自身のお住まいや職場、学校がどのようなリスクがあり、どこへ避難すればよいか考えてもらうのも良いかと思います。

https://disaportal.gsi.go.jp/

以上、全社協の駒井公さん情報です。

また、後述する加藤明子さんからの情報です。

・「阪神淡路大震災記念 人と防災未来センター」ホームページより

https://www.dri.ne.jp/useful/checklist/

英語 中国語 韓国語もあります

・世帯状況に合ったアレンジを加えたリストを作成してくれるサイト

 東京備蓄ナビ

https://www.bichiku.metro.tokyo.lg.jp/tool/

・障害当事者のワークショップでも活用

国立リハビリテーションセンターが作成したキット

https://www.rehab.go.jp/ri/kaihatsu/suzurikawa/res_saigai01.html

・シンプルでわかりやすい首相官邸版 対象別の追加物品がポイント

https://www.kantei.go.jp/jp/content/000111250.pdf

・持ち出し品だけでなく、自宅での備えを幅広く記載した「井の頭一丁目町会

チェックリスト」。https://www.dropbox.com/scl/fi/79crmek83ilpwae8rrwvt/.jpg?rlkey=hwnvthdiibntp1gpdy3xg9cww&dl=0

第二に、能登半島地震被災地の支援に関する情報をお伝えします。能登支援については、つい先日内閣府が被災地支援に入るボランティア団体向けの補助金を創設してます。

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/bousai-vol/kotsuhojyojigyo.html

奥能登ではまだボランティアも募集していますので、ご関心のある方はぜひ。

個人で参加される場合は、下記ホームページから応募する形になります。

https://prefvc-ishikawa.jimdofree.com/

被災地である能登半島の現状を追いながら、可能な、必要としている支援を考えていきたいと思っています。

以上、駒井さんからの情報提供でした。

また、吉村誠司さんは、今も、facebook等で発信して下さっています。

第三に、地域で防災ネットワークを広げようとしている加藤明子さん(三鷹市福祉Laboどんぐり山三鷹市介護人材育成センター、東京社会福祉士会災害福祉委員会)を紹介します。「防災士になった経緯」「災害対応に関して考えていること」を中心に書いて頂きました。

<「防災士になった経緯>

・防災士とは、「日本防災士機構」が認証した研修期間で研修を受講し、一定の基準

(事前レポートとテスト)を満たし合格したら取得できる民間資格です。

 資格を持つことで得られる職務がある訳ではなく、あくまで民間ボランティアです。

・研修は「災害発生のしくみ」「災害二関する情報」「公的機関や企業の災害対策」

 「自助」「共助」そして「防災士制度」の科目があり、丸2日間受講します。

 私がこの資格を目指したのは、直接的には地域包括支援センター時代に、地域防災に熱心に取り組む町会さんや住協の方々に関わらせていただいたことが契機です。皆防災について多くの知識を持っており、東京都の講座などでさらに学び続けておられる姿勢に、感銘を受けました。そして、住民の方々が「日頃のつながりが、災害などもしもの時に生きる」という認識で防災のことを捉えていたことに、地域福祉の神髄をみました。「防災」と「みまもり、支え合い」を一連の流れで考え、日頃の共助が

災害時の助け合いにもつながる、という視点です。

 学ばないと、彼らと同じ目線で地域防災を考えられないと思い、この頃から防災の

本を読むなどしていました。また、子どもを連れて地区の防災イベントに参加させて

いただいていました。そして、要配慮の人たちが取り残されない地域づくりについて、町会や住協の企画に参加するとともに、名簿を元に杏林のゼミの学生とマッピングをしたり、地域支援連絡会で地域内の取り組みを高齢者に限らず共有して住民と行政と専門職で課題抽出する機会をつくるなどしてきました。

専門職向けには、東日本で被災したケアマネの方の話を聞く企画を行い、意識調査をしました。そして、あまりに三鷹の災害対応の仕組みを知らないことに衝撃を受けました。これではBCPなどと言っても絵に描いた餅だなと思い、その後は医師会付の勉強会「地域ケア会議」(医師、薬剤師、訪問看護師、ケアマネがメンバー)の企画に加わらせてもらっています。

<防災に関する思い>

「正しく知って備えて誰もが生きのびる確率を上げられるように」そして「いつもも、もしもも繋がりで支えあう地域福祉」というところでしょうか。災害に限らず、疾病や障がい、認知症など支え合う意識を持っている人が増えるよう、防災活動を一つのきっかけにできたらいいと考えています。

 防災は、まちづくりです。それを被災地支援を通して、それぞれの地域で学んでいくことが大切だと思っています。それは、今行われている孤独孤立予防、認知症対応、生活困窮者対応と、共通しています。いや、すべての住民が当事者である点で、より普遍性があるのではないでしょうか。これからも<震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため>できることをしていきたいと私は思っています。

皆さん、お元気で。

                               2025年1月29日

                               市川一宏