2025年における民生委員児童委員改選に思う(市川一宏)

2025年は、民生委員児童委員の改選が行われ、12月より新しい体制が発足することが予定されています。しかし、多くの都道府県民生委員児童委員協議会から、選出の難しさと欠員の可能性が指摘されています。

私は、この事態を、民生委員児童委員活動の問題だけでなく、地域福祉システムの弱体化をもたらし、各社会福祉制度の根幹が崩れていくのではないかと危惧しています。

それだけ地域における生活問題は深刻だと実感しています。いてもたってもいられない。そこで、私が出会った民生委員児童委員の方々への思いを述べさせて頂きます。

1.今、直面している地域の生活問題

私は、今も、複数の区市の介護保険事業計画、高齢右車保健福祉計画の作成、都府県レベルの地域福祉の推進、全国レベルの地域福祉の仕組みや相談体制の検討に関わらせて頂いています。しかし、孤独•孤立、貧困、虐待等の広がりと深刻さに直面し、それらに対応する既存の福祉制度の限界が露呈してきつつあると思っています。

孤立•孤独の問題は、高齢化と人口の減少が顕著になっている、全国各地の自治体だけの問題ではありません。都市部においても、2025年問題として取り上げられていた一人暮らし、高齢者のみ世帯の増加、要介護者•認知症高齢者の増加とあいまって、地域の関係性の希薄化は顕著になっています。

私は、講演等で全国各地の地域を訪問する機会が与えられ、各地域で活動しておられる民生委員児童委員の方々にお会いして活動をお聞きして、日々のご苦労に敬意を表してまいりました。また都市部においても、コロナ禍にあって、生活の不安をもつ方々に寄り添っておられる民生委員児童委員の方々の姿を見て、勇気づけられてきました。

繰り返しになりますが、私は、そもそも民生委員児童委員に欠員が出ること、またなり手が少なくなっていることは、民生委員児童委員の問題というよりは、地域の問題だと指摘したいと思います。地域福祉の関係者が、民生委員児童委員に何を望み、どのように協働した取り組みができるか、地域福祉に関わる同じテーブルで話し合って頂きたいのです。

2.福祉関連施策の動向

近年、新しい福祉関連施策が展開されています。主要なものだけお示ししますと、以下の通りです。

①    介護保険•高齢者保健福祉

介護保険制度の根幹である「地域包括ケアシステム」とは、高齢者が住み慣れた地域で安心して暮らし続けるために、「医療・介護・予防・住まい・生活支援が一体的・継続的に提供される体制」のことをいいます。近年、「地域包括ケアシステムの深化・推進に向けた取り組み」が強調され、地域包括ケアシステムは地域共生社会の実現に向けた中核的な基盤となっています。また地域住民や多様な主体による日常生活支援の促進が目指され、民生委員児童委員への期待はとても大きいです。

②    重層的支援体制整備事業

同事業は、市町村全体の支援機関・地域の関係者が断らず受け止め、つながり続ける支援体制を構築することをコンセプトに、「属性を問わない相談支援」「参加支援」「地域づくりに向けた支援」の3つの支援を一体的に実施することを必須にしています。ただし、重層的支援体制整備事業の枠組みができても、その実績が十分に見えてきていません。また、同事業が、地域の福祉活動やサービスの実績を踏まえて企画されていないならば、絵に書いた餅に過ぎません。さらに、重層的支援という理念だけで整備事業を企画するならば、今までの地域福祉の実績や、住民関係、福祉土壌等の地域の強みを削ぎ落としていることになります。特に現状では、「地域づくりにむけた支援」の主体について、不明確な計画も少なくないのであって、私は、各自治体で実態に合わせた計画策定を強く望みたいと思っています。

また、令和6年の生活困窮者自立支援法等改正、令和5年の共生社会の実現を推進するための認知症基本法、孤独•孤立対策推進法の制定、介護保険法の改正がなされました。いずれの法律においても、民生委員児童委員活動との関わりは深いと言えます。民生委員法第14条において、一 住民の生活状態を必要に応じ適切に把握しておくこと。二 援助を必要とする者がその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるように生活に関する相談に応じ、助言その他の援助を行うこと。三 援助を必要とする者が福祉サービスを適切に利用するために必要な情報の提供その他の援助を行うこと。四 社会福祉を目的とする事業を経営する者又は社会福祉に関する活動を行う者と密接に連携し、その事業又は活動を支援すること。五 社会福祉法に定める福祉に関する事務所(以下「福祉事務所」という。)その他の関係行政機関の業務に協力すること。という民生委員の職務規定からしても、新制度の実効性を担保するには、民生委員児童委員活動は不可分のものです。

3.一斉改選に向けた取り組みの強化

本年の一斉改選の結果は今後の様々な福祉施策の実現に大きな影響を与えることを、私たちは十分理解すべきと考えます。

ちなみに、厚生労働省は、『民生委員・児童委員の選任要件に関する検討会』を設置し、検討を重ね、議事録が公開されています。特に、第2回委員会では、各構成員より報告が出され、なりて確保を含めた議論が始められました。

また全国民生委員児童委員連合会は、2024(令和6)年9月に、会長名で、都道府県・指定都市民生委員児童委員協議会会長当てに、『次期改選(令和7年 12 月)に向けた民生委員・児童委員のなりて確保の 取り組み推進について(ご依頼)』を送っています。

https://www.dropbox.com/scl/fi/augu8nas86f06y96320h3/7.pdf?rlkey=heh7igc4jspcnkf7nfj1ksg6l&dl=0

ついで、令和6年度)の関東ブロック民生委員児童委員連合協議会(7月18~19日開催 於:静岡県)の分科会「次期一斉改選を控えて~新たななり手確保への取り組み~」における各民生委員児童委員協議会の事例から」、以下の報告がなされています。

<協力関係の強化>

①    切羽詰まる前に、今から協力体制を築いておく。

協力関係は、民児協と行政・社協、区長・地区役員、福祉員・種々のボランティア・当事者団体等、防災関係・教育関係・商工会関係等、幅広い関係である。

②    民生委員推薦委員会との役割分担を検討する

③    町内会長協議会等の懇談会、自主防災組織等の会合、認知症徘徊模擬訓練や自主防災活動を通して、民生委員児童委員の活動の理解を進める。

<民生委員児童委員活動の意義と内容を普及させる>

④    単位民児協の定例会において、基本的内容を確認する。

⑤    民生委員児童委員の日等、委員活動を知ってもらう取り組みを行う

⑥    市町村の広報等に日常的な活動を掲載してもらう=評価されるべき点は積極的に広報する。

<日頃の民生委員児童委員活動の強化>

⑦    民生委員児童委員活動を支援する仕組みを強化する

⑧    IT等を使った活動の効率化

⑨    単位民児協の定例会等の運営をスムーズに

さらに、令和6年度ブロック民生委員・児童委員関係事業会議協議結果(概要)が出されています。まだ、未定稿とのことですが、せっかくの資料ですし、より多くの関係者が参考にして、民生委員児童委員の改選の支援を強化して頂きたいとの思いで、あくまで市川の判断でお示ししました。責任は市川にあります。

https://www.dropbox.com/scl/fi/reix29h8bjm5f55dq7er1/6.docx?rlkey=q538evsxtm35npl5loo1ig96y&dl=0

このように、すでに成熟した議論がなされています。どうぞご参考になさって、取り組んで頂きたいと思います。

4.私の思い。民生委員児童委員活動の原点に立ち戻ること。

 ここから述べることは、私が責任を担っている委員会を通して明らかにしていることあくまで私が全国各地の民生委員児童委員の方々にお会いして学んだことです。

私は、今こそ、民生委員児童委員活動の原点に立ち戻ることが必要と考えます。原点とは、①自らの働きを問い直すこと、②地域•地域ケアのあるべき姿を描くこと、③協働した働きを始めること、の3点にまとめることができると思います。

まず第1に、自らの働きを問い直すためには、実際の活動実績をしっかりと検証すること。2024年は、岡山県、全国民生委員大学、鳥取県、宮崎県、沖縄県(録画)、白河市、宮城県、大分県、岡山市、群馬県、山梨県、長崎県、千葉県、岡山市北区、鳥取県に行かせて頂きました。千葉県では、地域別に3回に分け、講演とワークショップを行い、鳥取県では1日目は米子空港に着いて米子市で講演、2日目は倉吉市で講演、3日目は鳥取市で講演をしてその日のうちに鳥取空港から羽田空港に帰ってきました。以前の京都府では北部、中部、南部の3ヶ所で講演、ワークショップを行い、それぞれの地域性は異なっており、民生委員児童委員の活動理念は共通しつつも、実際の活動の違いがあったことを思い出します。講演で民生委員信条に書かれた「隣人愛」のことを紹介しました時に、一番前に座っていた方が、過疎が深刻で、「隣人がいません」と発言されたことを忘れられません。

またワークショップを通して、それぞれの地域性と活動の工夫を学びました。新人の民生委員児童委員も活動しやすいように地域版の手引きを作成しているところ、民生委員児童委員の方々の質問に対し県民児協として丁寧に解答し公表しているところ。また歴史の貴重な情報を得ることもありました。(済生顧問制度の記事を紹介します。)

https://www.dropbox.com/scl/fi/sxr39upqrp6vsrnog6ddr/.pdf?rlkey=t7crkc5of3le67cv0fbau2pdd&dl=0

https://www.dropbox.com/scl/fi/cqiuysbshwcn5ji4xpjhk/.pdf?rlkey=l6iu88o7u7aajrmdagkro873q&dl=0

さらに研修の中で単位民児協に関する情報交換会を行う時には、それぞれのテーブルで様々な工夫が語られていました。

ちなみに、民生委員児童委員活動の主要な役割は、第1に住民のニーズを受け止めること、そして第2に必要な機関にその情報をつなぐことです。そのためには、住民の家への訪問、情報把握が必要です。それを可能にする敬老金の持参も、一つの有効な手段と考えられます。ぜひ、市区町村、単位民児協内で話し合って頂ければと思います。

ふりかえって、私の講演では、参加者の反応を見ながら、お伝えする事例を考えますので、心身の疲れは半端ではありません。しかし、出席なさった方々をお見送りをする際に、様々なお気持ちをお聞きし、来て良かったといつも思いますと共に、活動なさる方々の思いに自分が励まされ、今があると思っています。

今後、民生委員児童委員の活動をそれぞれの市町村レベル、単位民児協レベルで丁寧に検証して、活動している内容、なくてはならない活動を明らかにして頂きたい。地理的条件によって、できる活動、期待される活動は異なります。その際には、まず良いところを評価することから始めて頂きたい。良いことは良いこととして明らかにし、その上で、スリム化できる職務の確認、民生委員児童委員活動への支援方法、民児協の役割等も考えて頂きたい。

なお、すべての計画策定に言えることですが、生活課題の把握や実際の支援方法が曖昧な計画は、メルヘンの計画で使いものになりません。地域福祉計画等で民生委員児童委員活動を位置付けるとともに、介護保険事業計画、子育て支援計画、障害福祉計画等の各計画においても、民生委員児童委員活動について検討することも必要と思います。

第2は、目指す地域、地域ケアを描くことです。今、互いの違いを認め合い、地域にいる住民同士の新たな繋がりを尊重した共生社会の実現が、多くの地域で目指されています。また地域ケアも、単に身体的ケアだけでなく、当事者の地域における生活を支えることに重点が置かれています。しかも、地域の生活課題は解決困難です。だからこそ、住民、町内会、民生委員児童委員、社会福祉法人、NPO、行政等がそれを解決していくために、取り組んでいく過程で生まれる絆を、地域再建の基盤として捉えようとする視点が大切になっています。しかも、理念だけに留まるのではなく、プロセスが明確され、具体的な計画にならないと実効性は担保できません。その検討を通して、民生委員児童委員活動の意味の見える化を図って頂きたい。

第3は、協働することです。孤立を防ぐために取り組んでいる民生委員児童委員が孤立してはなりません。

だからと言って、協働、連携は、決して簡単なものではありません。第一に、制度ごとにある協議体をスクラップアンドビルドして、効率的な協働システムをつくること、第二に連携の阻害要因を取り除くこと。すなわち㋐自分の領域を守ろうとする意識、㋑他の担い手の役割に対する無理解㋒総合的な計画の不明確さ㋓連携の効果についての知識のなさが課題となります。第三に日常的なコミュニケーションを大切にすること。㋐問題意識・課題及び目標の共有化㋑情報の共有化㋒臨時対応の確認㋓連携による効果の確認と再評価システムの確立、第三にそれぞれの役割の合意はできているかが問われます。そのために民生児童委員自身も、簡潔に自分の役割を説明できることが、大切です。

なお、専門職が、自分の都合のよいようにインフォーマルケアとの関わりを求めるのは、専門職のエゴだと考えています。また、自分が民生委員児童委員だったらできないことを委員に求めることも同様です。専門職には、民生委員児童委員に支援に関わる際の説明責任、バックアップ責任があります。

また、民生委員児童委員の事務局である行政、もしくは社協の役割も合わせて強化していくことが必要です。ある県の研修では、委員が討議をしている間、一緒にきている事務局員に情報交換する場を提供しました。事務局職員がどのように支援していったら良いか、悩んでおられたと思いました。行政、社協の組織として、担当業務をバックアップする仕組みが大切です。

5.むすびにかえて

今から30年前、1995年1月17日午前5時46分52秒、兵庫県淡路島北部、あるいは神戸市垂水区沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3クラスの自信が発生しました。震源に近い神戸市の市街地の被害は大きく、たくさんの家屋が潰れ、高速道路がなぎ倒され、燃え広がる火災が起こり、6,434人もの方が命を落とされました。私は東京にいて、テレビで報道される深刻な被害を見て、思わず驚きの声を上げていたことが、今さらのように思い出されます。

その後、私は、神戸市長田区の老人ホームに泊まり、デイサービスの利用者の追跡調査に加わりました。焼け落ちた市場を見、また火事が起こった発災当時の混乱を聞くにあたって、大切な人、家、思い出のものを失った方々の痛みと出会い、復興までの道のりが本当に長いのではないかと率直に思いました。しかし、全国から、たくさんのボランティアが集まり、支援に入り、あらたなNPOが広がり、絆を作り上げました。ガバナンス、すなわち統治(government)から協働へという言葉が登場したのもこの時期です。

1995年1月17日より、阪神淡路大震災の被災地の新たな歩みが始まりました。本年は、30年目。阪神淡路大震災1.17のつどい実行委員会は、以下の呼びかけをしました。

「1995年1月17日 午前5時46分。阪神淡路大震災が発生し、私たちの大切なものを数多く奪っていきました。あの震災から、まもなく30年を迎えようとしています。震災でお亡くなりになられた方を追悼するとともに、震災で培われた「きずな・支えあう心」「やさしさ・思いやり」の大切さを次世代へ語り継いでいくため、2025年1月17日(金)に「阪神淡路大震災1.17のつどい」を、神戸市中央区の東遊園地で行います。」テーマは『よりそう』でした。

そこで遺族代表の武田眞理さんは、以下のように述べました。「犠牲になった父からのメッセージ  あの朝、子どもたちのお弁当を作っていた私は、突然の激しい揺れであっという間に足が冷蔵庫に挟まり動けなくなりました。関東大震災の生き残りだった祖父がいつも口にしていた「揺れたら火を消せ」の声が聞こえました。手を伸ばしガスを切った途端、体はがれきに埋もれました。暗闇の中をもがいて外に出たときに見たのは、跡形もないわが家と、割れた屋根の下でぼうぜんと娘を抱く主人の姿でした。父母と息子の姿はありませんが、名前を呼ぶと母と息子からは返事が。靴もないまま道路へ出て助けを呼んで、主人と駆けつけてくださった人々の手によって息子は生還し、母は土まみれながら助かりました。  昼になり、変わり果てた姿で父が出てきました。前夜、いとこに電話をかけ、100歳まで生きると言っていた父の生涯は、67歳で終わりました。私は涙に枯れる間もなく、母は自責の念にかられ、恐怖に震える6歳と10歳の子どもたちをどう育て生きていくかで頭がいっぱいでした。  子どもの発熱で葬儀にも出席できず、棺に手紙をいれたくてもメモもない私でしたが、父は一人犠牲になって家族を守り、それは私に強く生きろというメッセージに思えました。  でも、悲しいことばかりではありません。いつもと同じ朝を迎えられる喜びを知り、行政や多くの方から支えていただきました。それらが前を向く原動力でした。大切な家族を心の準備もなく失いましたが、心の中で故人はいつまでも生き続けています。  この30年、さまざまな自然災害がおこり、昨年能登を襲った地震は記憶に新しいです。同じような悲しみをもった人たちに心の平安が訪れることを願うとともに、命の大切さを伝えていきたいと思っています。」

なお、以下のNHKの記事の神戸中央区追悼式の画面をご覧ください。私は、感動で心が揺さぶられました。皆さんもどうぞご覧ください。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250116/k10014694881000.html

私たちは阪神淡路大震災被災地だけでなく、東日本大震災の被災地、熊本地震の被災地、能登半島被災地のことを忘れず、様々な支援のあり方を模索していきたい。

改選の結果は、地域福祉の現状を左右することになります。ぜひ、3つの原点に立ち戻り、それぞれ出されている提案の中から、各市町村で、各都道府県で積極的に取り組んでいって頂きたいと思います。

「一本の木を植えなかれば、砂漠の緑化は始まらない」