希望ある明日に向かってメッセージ

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年4月20日のキリスト教月間での私のメッセージを大学が録画し、再度聞くことができるようにして下さいました。テーマは、「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」です。

 よろしければ、どうぞ。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる

コロナ過の中、心乱れる日が続いていますね。偶然ですが市川先生の研究室の企画を知り投稿させていただきます。私の2回目の大学生活の様子をお話しすることで、改めてルーテル学院大学の素晴らしさを知っていただこうと思います。

子育てというものはクリエイテブだと確信していますが、知的&身体の障害を持つ長女を育てているうちに息苦しさを感じていました。明日も今日の繰り返し?とです。そんな時目に留まったのがルーテル学院大学の公開講座の案内でした。思わず飛びついて週に1~2回ささやかな私だけの時間を持ち始めました。

平均年齢の半分を過ぎ、ふと、立ち止まった時、今までの繰り返しで自分の一生が終わるのかと、今までの繰り返しなら、もう体験したことだから、難なくこなしていけるだろうけれど、私の一生はこれだけでしかないのかとも思いました。

何かするなら今かなぁ?あの子のせいで、これが出来なかった、あれをしたかったのにできなかったというのは言い訳で、長女に対して失礼だと思いました。私にとっても、たった一度の人生です。あの子のせいでといういい訳はしたくないと思いました。色々試みて、結果として今と同じなら、それはそれでいいだろうと。

一方、障害児の母は元気はつらつとしていて、PTAも地域の活動も一所懸命やらねばならないと確信していた私は、20年以上にも及ぶそんな頑張りに疲れていました。強い意志と、丈夫な体を持ち、誰からも後ろ指指されないようにと誓い、決して生活に疲れた顔はしたくないと頑張りましたが、疲れたのです。でも、それは口が裂けても言うまいと、心にしまっていました。

主人の転勤先の神戸で結婚生活が始まりましたが、長女が三歳半で次女が産まれ転勤で東京に戻りました。そして運命とも言える出会いがありました。障害児はどこも断られ途方にくれていたとき、保健婦さんが「保健所の隣に教会幼稚園あるわよ!」下心ミエミエ、キリスト教系なら心優しき人に違いないと、門を叩いたのです!

牧師先生は長女を年少クラスに預かって下さり、私の話をじっと聞かれて「明日またきてください。」あくる日、藁をもすがる思いで出かけると「昨日職員といろいろ相談しました。本当に私どもでお役に立つなら。」といわれ、夏の暑い日でしたが流れる汗が引くくらい感激し、牧師先生に後光がさしたように見えました。キリスト教では後光は射さないのですよね。

こうしてキリスト教と向き合うきっかけが生まれましたが、振り返ってみれば実に多くのキリスト者に助けられていた事を後で知ったのです。

長女はお世話になった教会の幼稚園を卒園後も日曜礼拝に出席していたのですが、20歳になった時洗礼を勧められたのです。送迎だけをしていた私は知的障害の彼女がどのようにキリスト教を受け止めているのか興味が湧きました。

公開講座は通い続けていましたので、だんだん受講したい教科がなくなってきました。気分転換の公開講座通いでしたが、キリスト教学科以外の授業には目が向きません。文化とキリスト教入門の授業のあと、U先生に来年はどんな楽しい講座が開設されるのかとお訪ねしたら「学生になるのは如何ですか?」という答え。願書締め切りまで一週間もなく大慌てでしたが、学力より意欲で3年に編入させていただきました。興味津々のキリスト教を頭の中が嵐のようになりながらも必死で理解に努めました。

学芸員も目指していたので、お隣の中近東文化センターで行われる授業は気分が全く変わり、資格取得への意欲が湧きました。学芸員実習では、貴重な所蔵品に触れる機会が持て緊張もしましたが感激しました。大学の授業は殆ど10人以下のクラスで、先生がたも学生の顔を見ただけで名前がお解かりの和やかできめ細かい内容で本当に贅沢な授業だと思いました。

長い間その周りを廻っていたキリスト教について、自分なりの整理をしたいので次から次へと興味が湧きますし留まるところをしりませんでした。納得行くまで質問をし、疑問を解決していきました。私は履修していた全ての授業で質問し、疑問をぶつけていましたがキリスト教学科の先生は一つ一つ丁寧に、対応してくださりました。

思う存分自分の時間を使いたいという欲求は益々高まりました。2年間の大学生生活は本当に楽しく充実していて日々感謝でした。そして、一番感じたことはこのキャンパスに集う人たちの、優しさです。人それぞれでは有りますが、多分それはキリスト教というアイデンティティがあるからです。キャンパスで見かける先生がたの姿が、お人柄がほっとする物を感じさせ、あこがれを持たせてくれるのだと思います。疲れ果てていた私には、先生方や友人たちの優しさは救いでした。ああ、ここはのんびりできる、こんな素敵な場所があったんだと。まさに、オアシスでした。そして、初めて口に出す事ができました。「私は疲れた」と。

毎日聖書を開かない日はないという学生生活が終わった後、暫くはボーっとしていましたが、もう周りを廻るのは止めようと思いました。今までの自分を振り返り、全て神の摂理の中で動かされていたのだと納得したからです。

将来に悩みがないといえばウソになりますが2度目の大学生生活が送れるなんて予想だにできなかったことが実現しました。願って行動すれば門は開かれるようです。

次の聖句は私の入学式の翌日、鈴木学科長のチャペルメッセージで読まれました。まるで私のこと見たいと、妙に納得した言葉です。「そこで、わたしはいっておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」

ルーテル学院大学で2年間の学生生活で私が得たものはとても素晴らしい物だったのです。後援会の皆さまのルーテル学院大学・神学校に寄せる熱き思いが私に伝わったことをご報告させていただき、話を終わります。

                      2021年5月20日  IKE (現在、後援会推進委員)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

①近況:健康第一、アンチエイジングを思い立ち、3年くらいサボっていた宅トレを再開しました。筋肉痛が翌日ではなく翌々日にやってくるくらいダメな筋肉でした。まずは3ヶ月続けようと思います。

②コロナ禍における今の思い:東京の緊急事態宣言を受け、大学の授業がズームに切り替わりました。せっかく対面で授業ができる喜びをかみめていたのに残念です。インドの惨状のニュースに接し、昨年度より感染拡大を懸念しています。学生の実習にも影響するので重く受け止めざるを得ない昨今です。

③ルーテル学院への思い等:今年度就任した同僚が心理の修士課程をルーテルで学んだ方で、思い出話で盛り上がりました。学科は別でも、アットホームな大学だから卒業生が共有できることが多いと感じています。また、最近、実習指導や実践現場における連携場面で、ソーシャルワーク実践は価値や倫理が重要だと考えることがありました。思い返すと、多くの専門職が「ああ、あの家族は共依存だから」「ああ、あのお母さんはちょっと認知が入っているから」など、見方によってはスティグマの要素が強い言葉で安易にアセスメントしてしているのが気になっていました。SWは利用者がそれぞれ生きている生活の文脈をどう読み解くか、もっともっと豊かな言葉で表現する必要があるのではないかと思うのです。

 ルーテル学院大学の先生方は、ソーシャルワークの価値や倫理についてブレることなく教えてくだいました。制度や政策がいかに変遷しようとも、教えてくださったことは、変わりなく、私のソーシャルワーク実践の礎になっています。    西田ちゆき

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 ルーテルを卒業し、25年以上になります。児童養護施設に勤務し、現在は自立援助ホームでの働きを許され、神さまの御心にかなう実践をと、祈りと感謝をもって、用いられているところです。間違い、見失い、迷うことの多い日々でありますが、そんな時よく、ルーテルで教えていただいた先生方の、お言葉が頭に浮かびます。(と言うと、さぞ真面目で優秀な学生だったかのようですが・・・笑 実際はそれには程遠く、市川先生の老人福祉論では試験の日に朝まで勉強していて寝過ごした私に、先生が代わりにレポート提出という救いの手を差し伸べて下さいました。大変不真面目な学生でしたが、ルーテルでの4年間は、友人や教職員の皆さまのおかげで大変濃密で実り多い4年間であったと自負しております。)

 わたくしの入学式で学長が「一人ひとりと向き合うルーテルでの教育を受ける学生は、福祉の現場で、また社会に出た際に、一人ひとりを大切に寄り添う働き人になれる」と話された記憶があります。

このたび、市川先生にお声をかけていただき、初めてこの「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」を拝見させていただきました。先輩方や同級生など、ルーテルの卒業生がそれぞれの場所で、日々奮闘されている様子を知り、とても感動いたしました。そして入学式で学長が言われたことは本当だったと強く感じました。と同時に、「私はそうなれているのか?」と日頃の実践を振り返させられ、原点に還る思いがいたしました。自立援助ホームで出会う15歳から20歳までの子どもたち一人ひとりの生きにくさや、つまずきに寄り添えているだろうか?「早く」「上手に」「多く」「効率的に」「正しく」ということばかりに重きを置き自立することを強いらせてはいないだろうか。私がルーテルでしていただいたように、「その人らしく」「その人のペースで」「ゆっくり」「下手でも丁寧に」「間違ってもやり直せばいい」という姿勢で寄り添いたい、ルーテルで教わった目に見えないその人が持つ力を信じるということを改めて思わされました。

 これまで世界中でどれほど、この感染症が一日でも早く過ぎ去っていくようにと、篤い祈りが捧げられてきたかわかりません。私たち自身の不安を取り除くためだけではなく、病に罹った方々の苦しみ、医療現場で戦っておられる方々の労苦、親しい方の命を失った方々の悲しみに思いをはせ、祈ってきました。しかし、この感染症が過ぎ去る日はまだ訪れず、現在日本では感染力の高い変異株のために、新型コロナ「第4波」が今までの波をはるかに上回るスピードで急拡大しています。ある日一人の子どもがこの状況を「あまりにも人間が勝手なことばかりするから、神さまが怒って人間に罰を与えているんだ」と言いました。そう感じるその気持ちを受け止めつつも、私はこう答えました。「神さまは罰をお与えになる方ではなく、私たち人間を深く愛していて下さり、その愛は私たちには計り知ることはできないのだ」と。社会で良しとされている「効率優先主義」でなく、目には見えない力を信じることを知っている私たちルーテル生は、肉に頼ることに制約があるこの状況下で、神さまの霊の力、(目には見えないが確かにあるもの)が現れるということを信じ、明るい未来に希望を持ち、歩んでいきたいと思いました。皆さまそれぞれの上に、神様のお守りと祝福が豊かにありますように。97年卒 MK 

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

メッセージを拝見致しました。またまた涙がでてしまったのですが、確かにそうですね。私たちは今、コロナに試されているのだと思いました。これをマイナスに考えるか、またはプラスになるものとして捉えて、今後の社会の本当のあり方を考えていくかは、私たち次第です。中央政府、地方政府への不信が広がる中、これからは上からの力ではなく、私たちが下からの力で少しずつより良い社会をつくっていくべきなのですね。草の根運動、時間はかかりますがこれこそが社会を変えていく方法です。一人ひとりの参加、大切です。今はリモートで誰もが会える時代なのでここでのネットワークを使って卒業生グループを作るのも良いかも知れません。私も日本の看護師さんたちとネットワークをつくって看護の環境改善の話などをするのですが、みんながみんな各々の場所で同じような問題がある中、横のつながりがないために問題をシュアして話し合い、解決策を見出す場がないと気づきました。横のつながりも大切ですね。この場を使って卒業生やソーシャルワーカーたちのフォーラムをつくってみませんか?

2021年度キリスト教月間メッセージ テーマ「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」(2021.4.20)

聖句「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」フィリピ第3章12節 

今日は、この1年の経験を通して私が学んでいる2つのことをお話をします。それは、第一に、聖句に書かれている「何とかして捕らえようと努めていること」と、第二に、「自分がキリスト・イエスに捕らえられていること」です。

2020年4月2日午前8時、ニューヨークにいる卒業生の岩間さんよりラインが届きました。そこには、ニューヨークにおける医療現場の厳しさが書かれていました。

「私は今、マンハッタンのMount Sinai Hospital と言う大きなhealthcare system の中の一つのHospital のCOVID ICUで働いています。死者が増え、霊安室も一杯でご遺体を置く場所もありません。ICU(集中治療室 (Intensive Care Unit))ベッドもICUナースも足りないし、人工呼吸器も足りません。自分の身を守るためのマスクやガウン、フェイスシールドなども不足して、自分の身も守れません。まさに、戦場下です。数週間前までは普通に生活をしていたのに、人間の生活ってこんなにまで急に変わってしまうのですね。こんな時ですが、いつも私が神様に願っていたこと「神様のために私を用いて下さい」と言うことが、もしかしたらこれなのかも知れません。・・・・・。」 

私は、そのラインを受けて、心配で激しく心が揺さぶられました。そして、ニューヨークにいる岩間さんを支えるために何ができるか、悩みました。そこで、私と繋がっている卒業生に対して、メールやラインで以下の文章を送りました。 「1992年度卒業の岩間さんから、ラインが届きました。励ましのメッセージを送ろうと思います」

そのラインを受けて、たくさんの卒業生から私に岩間さんへの励ましのメールやラインが届きました。2日後、それをまとめて岩間さんに送りました。

「市川先生、ルーテルの皆さんからのメッセージを一つひとつ大切に読ませて頂きました。涙が止まりません。皆さん、本当にありがとうございました。そして、多くの方の祈りに支えられて私の毎日があるのだと思いました。皆さんの祈りを大切にこれからも頑張っていきます。どうぞ、これからも私たちのために祈ってください。(略)私も皆さんの祈りに支えられて頑張っていきます。本当にありがとうございました」

岩間さんは、今も元気で、病院での仕事を続けながら、大学でも教え、昨年の12月には、社会福祉原論Ⅱの授業を1コマ、ニューヨークからzoomで行って下さいました。

また、岩間さんとの連絡を契機に、卒業生や大学関係者による「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」が始まり、岩間さんとのメッセージを含めて、80近いメッセージが市川一宏研究室に掲載されています。児童養護施設、老人福祉や障害者児福祉の現場で働いている卒業生が、利用者の方々の支援を通して、明日への希望を書いています。児童養護施設で子どもの生活を支えながら、コロナから守り、そして子どもたちのために祈るメッセージ。癌センターに入院している高校生が感染予防のためになかなか家族と会えず、また家族も子どものことを思い続けているその現実にあって、日々共に歩んでいる思いを綴ったメッセージ。それらのメッセージを読み、私は、勇気づけられています。

正直に申し上げると、今、何をすべきか、私自身、日々迷いの連続です。確信できることを捕らえようと日々努めています。しかし、コロナ禍における困難な時に大切なことが見えてくる。困難を感じていない時に気がついていなかったが、大切であったことが分かってくる。確かに、コロナウイルスの広がりは、今までの関係を打ち砕き、不安、恐怖、不信、怒りを生み出し、負の連鎖が広がってきています。しかし、だからこそ、絆、「人への思いやり」の大切さが分かる。私は「絆」「人への思いやり」を守り、強めたいと思っています。それが、「何とかして捕らえようと努めている」現実です。

また、私は、コロナを通して、私がキリスト・イエスに捕らえられていることを学んでいます。嵐の中にあって、増水した川に流されそうになる時、流れないように私の手を離さない方がおられる。立ち戻る場を、自分が疲れを癒やし、回復して新たに歩む場を私たちに与えてくださっている。私は、「自分がキリスト・イエスに捕らえられている」ことを実感しています。

私たちは、今を、そしてこれからをどのように生きていくか、コロナに試されているのではないでしょうか。私は、これからも、卒業生や関係者の方々と、「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」を書き続けていきたいと思っています。

神に感謝。

岩間さんより  新型コロナの患者さんが急激に増え、医療崩壊の起こった一年前のことをいつも思い出します。当時、有効な治療法もなく、ワクチンの開発などなかった中で、毎日黙々と仕事にむかっていた頃、本当に終わりが来るのだろうか、と思い続けていました。明けない夜はないと言いますが、明けない夜もあるのではないなかと心を疑うこともありました。そのような中で、希望ある明日に向かって歩むぞメッセージは、夜が明けなくても、明けない夜の中で灯火を絶やさないようにすることを考えさせてくれたと思います。多分、暗い夜の中でみんなが灯火を絶やさなかったので、今の落ちついた生活がやってきたのでしょう。メッセージを送ったり受け取ったりすることがこんなにパワフルだとは知りませんでした。とてもありがたく、貴重な経験でした。そして、メッセージを送ってくださったルーテルの仲間たちにたくさんの感謝をこめて。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 日本ルーテル神学大学(旧名称)神学部キリスト教社会福祉学科を卒業して30数年が経ちました。桜の季節になると学内での花見宴会を毎年思い出します。寮生だった私は出身高校九州学院の先輩も多くいらっしゃったので、とても可愛がっていただき、相当やんちゃな自分に、市川先生をはじめ、先生方、職員の方たちにとてもよくして頂き、市川先生の授業のテスト当日に寝過ごして来ない自分を寮の部屋に起こしに来てくれたことを今でも思い出します(笑)。同期の友人や、ラグビー部の連中と30数年経った今でも連絡を取りあうと当時に戻ったような感覚になります。多くの仲間(といっても1学年35人くらいの時代ですが)との学生生活は人生の中でもっとも刺激的で人生観・福祉の考え方はラグビーに出会ったこと、教会に通ったことを含め間違いなく4年間で学んだことが今の自分の人格形成に大きく影響していることは疑う余地もありません。
 現在、熊本出身ですが、地元ではない静岡県内の知的障がい者支援施設で寮長を任されています。東日本大震災から10年、熊本地震では高校、大学通しての先輩が天に召されました。令和2年度はコロナ禍で、入所されている利用者の生命を守るための対策を徹底し、幸いにも、職員、利用者の方に感染者をだすことなく現在に至っております。各地で施設内でのクラスターの報道があるたびに他人ごとではないことを感じています。
 大きな災害を経験する度、コロナ禍で気持ちが張りつめた状況が続く中で支えとなるのは、全国各地で踏ん張っている先輩、同期の友人も苦しい環境の中にいてそれぞれの立場で頑張っていることです。福祉の仕事を志した覚悟を思い出させてくれる仲間と出会えたことを心から神に感謝し、ルーテル神大に行ってよかったと心から思います。ありがとうございます。
 コロナウィルスの影響は今後も続いていき、この瞬間にも苦しい状況の中にいる仲間がいます。乗り越えられない苦難を神様は与えないことを信じ「ワンチーム」で乗り越えていきましょう!

 ルーテル卒のブレイブブロッサム 杉原

明日に向かって歩むぞメッセージ

 2021年3月11日は、東日本大震災発災後10年の日。当時のことを、鮮明に思い出します。それ以降、私にとって石巻市は、特別な場所になりました。

 そして、10年を経た今、改めて思います。あの時歌われた復興支援ソング「花は咲く」を歌い継いでいこうと。まだ復興の半ばである被災地から、この歌を歌い、次の世代に今までの、そしてこれからの取り組みを知らせていこうと。

 また、日本全国で、今回の死亡者、行方不明者の数を超える人たちが、自殺、孤立死している現状に、少しでも挑戦したいと思っています。

 すなわち、被災地支援を通して、今、日本社会が求めている「希望」と「絆」を再生していくこと。今は、それぞれの場で、互いに支えあい、生きていくことが大切な時期になっています。

 私は、その基盤を築き、若者たちが、希望を持って生きていくことができる社会づくりに努力したいと再度思いました。

花は咲く 第2番

夜空の 向こうの 朝の気配に
わたしは なつかしい あの日々を 思い出す

傷ついて 傷つけて
報われず ないたりして
今はただ 愛(いと)おしい あの人を 思い出す

誰かの想(おも)いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く わたしは何を残しただろう

石巻市日笠山公園の桜(2014年、病床にあった教え子に送り続けた桜の花の写真の一枚です)

備えあれば、憂いなし。どうぞご利用下さい。

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」の支援活動時に、大変お世話になりました市川一宏先生のご依頼を受け、現在、医療・福祉現場で新型コロナウイルスの対応に苦労されている方々に、震災10年を覚えて、ショートメッセージをお送りします。

 今年3月11日、東日本大震災から10年を迎えました。その10年を前にして先月には、大きな余震がその被災地を襲いました。幸いにも「となりびと」で支援した方々には物理的な被害はありませんでしたが、その精神的な痛手は私たちの想像を超えるものでした。

 宮城県では、この震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、震災の記憶を風化させることなく後世に伝えるとともに、震災からの復興を誓う日として毎年3月11日を「みやぎ鎮魂の日」とし、亡くなられた方々を追悼するため、震災の発生時刻である午後2時46分に黙祷を捧げられれるよう呼びかけられます。特に今年は特設サイト『東日本大震災10年オンライン行事 あの日を学びに10年目に伝えあう』が開設されています。

 先日、その10年を前にして、「となりびと」で支援をしていたわかめ養殖をされていた方から、三陸の春の便りである「めかぶ」が今年も届きました。この方は震災時に義理のお姉さんと甥を津波で亡くされ、わかめ養殖のための漁具もすべて流されてしまいました。そんな時に「となりびと」の支援が始まりました。その後、わかめ養殖は再開されましたが、その働き手であった旦那さんが、震災後の心労などにより突然、旅立たれたのです。しかし、その後、毎年送られてくる「めかぶ」などの宅急便には、その旦那さんの名前とその方の名前が並んで印刷されています。それは、彼女にとって、今も旦那さんがいつも一緒にいてもこの震災後の10年も共に歩んできた証なのです。

 被災地の方々は、この10年、彼女と同じような思いで過ごしてきたことだと思います。そして、私たちもこの10年、被災地のことを覚えてきました。その証が、「ルーテルとなりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com/のブログのアクセス数です。その数は、2021年3月10日現在で375,011ページビューとなっています。

 教会の暦では、今、私たちひとり一人の罪を贖われるために十字架へ向かわれるイエスさまを覚える四旬節に入っていますが、その第2主日(2月28日)の日課(創世記)には次のように記されていました。

「わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」

 私は、その「虹」が、津波によって84名が一度に召された石巻市立大川小学校旧校舎にかかった姿に一度だけ「となりびと」の活動中に出会い、この聖句を思い浮かべました。そして、この神さまの契約が守られるよう祈ったのです。

 今、私たちは新型コロナウイルスによって、東日本大震災のように未曽有の大災害に見舞われています。特に、医療現場や福祉現場などで働かれているエッセンシャルワーカーと呼ばれる方々の苦労は図りしれないものがあると思います。

 しかし、イエスさまはマタイによる福音書の最後で、その苦労されている方、お一人お一人に次のように言ってくださいます。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

 私たちはこれからもこのみ言葉を信じ、被災された方々と新型コロナウイルスで苦しんでいる方々のことを覚え、一日も早い、新型コロナウイルスの感染終息を祈りたいと思います。

  みのり・岡崎教会牧師 野口勝彦(元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師)

希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ

 5年前、熊本地震にあたって教会で私的避難所を運営することになりました。この時、最大40人以上もおられた避難者さんたちの全員が短期間で生活自立を果たし、避難所は45日間で完全解消をなしとげることが出来ました。多くの公的避難所が、避難者さんを別の避難所に移動させ、統合によって避難所を閉鎖していったのに対して、この教会避難所では、避難者さんの全員が、自分の元の住まいを整備するか新しい住まいを確保することによって避難所を「卒業」していかれたのです。避難者さんたちの中には、妊婦さんや高齢者、母子家庭、障がいを持つ方々や外国籍の方など、社会的に困難さを抱えておられる方が多かったことを思えば、びっくりするような短期間での完全解消でした。その秘密は、教会避難所みんなが囲んだ食卓にありました。この避難所では、地域の被災者さんも教会員の被災者や支援者さんも、またボランティアの人たちも、毎食ともに教会のテーブルを囲んで、食卓をともにし続けたのです。食卓をともにすることによって、お互いに不安や心配事をわかちあい、慰めや励ましを受け、相談を受けたり相談に乗ってあげたりしながら、みんなそこで力を得て生活を再建していかれたのでした。その様子を間近に経験させていただきながら、これこそイエスさまの食卓につらなるわかちあいの食卓であるとの思いを強くしました。

 聖書の中に、イエスさまと敵対するユダヤ教の指導者たちが、「あなたの弟子たちは手を洗わずに食事をしている」といってイエスさまを非難する場面が出てきます。当時のユダヤ教は、律法を守らない外国人をケガレた存在だと見なしていました。そのため、宗教的な清めの手続きとして手を洗うことを行わなければケガレが食卓に持ち込まれてしまう、と考えたのです。このように、立場の異なる人たちを自分たちの食卓から排除するために律法を用いていくユダヤ教の習慣を、イエスさまは大胆に批判なさいました。「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何も」ない(マルコ7:15)。むしろ多様な人たちと食事をともにすることによってこそ、わたしたちは理解しあい、支えあう共同体を育んでいくことができるのだ。イエスさまはそのことを、ご自身のまわりに集われる多様な人たちとのわかちあいの食卓によって、身をもって示され続けたのでした。今日のキリスト教会もまた、このイエスさまの食卓の伝統につらなっていることを思います。

 ところが昨年来、わたしたちは新型感染症に苦しめられ、食卓を通して励ましあったり、力づけあうことを著しく制限されるようになりました。ともに食卓を囲む場面での会話は、最も避けるべきことだとされてしまいました。礼拝においても、被災地を初めとするさまざまな支援の活動においても、共に食べることを活動の基礎においてきた教会にとっては、本当にもどかしい日々。これまでイエスさまの食卓をわかちあうことによって力をいただいてきたわたしたちは、どのようにこれを越えていけるのか、新しいチャレンジの前に立たされています。思考停止に陥ってフリーズしてしまうのではなく、ウイルスなど怖くないと蛮勇に走るのでもなく、なによりイエスさまが、こうした壁の前に立ってそれを乗り越えて前にすすまれたことを思い起こしたいと思います。

 3月上旬。北国では、地面を覆っていた分厚い雪がとけ、少しずつ庭の黒土が顔を見せはじめました。そこでは雪がとけはじめたばかりというのに、すでに小さな緑の草花が芽吹いています。草花も雪の下で時を待っていたのです。あの東北大震災から10年。街も人も、復興は一気にではなく少しずつしかすすみません。新型感染症の影響下、出来ることは限られるかもしれません。それでもわたしたちは、少しずつ前にすすむことが出来る。出来ないからあゆみを止めるのではなく、出来ることから、そして出来る時を待ちつつ力を蓄えながら、多様な者がその場を通して力づけあう共同体を育んでいく。それぞれの場でともにつながりあいながら、そんなイエスさまのわかちあいの食卓を再び興していきたいと願います。

          小泉基 (コイズミモトイ 日本福音ルーテル函館教会牧師)

 ちなみに、4月中旬、『わかちあいの食卓 熊本地震・教会避難所45日』が、かんよう出版から発行予定だそうです。