出会い
以下は、髙林さんからのメールです。
「うちの学校も一年が過ぎて子どもも増え、多くの方の理解頂くようになっては来ました。現教育制度の問題点を3つ挙げて話しております。一つは、過度に競争的な教育制度であることです。いわゆる義務教育の9年間が、高等学校受験に偏重しており、子ども個々の能力の発達の支援が困難であることです。二つ目は、月齢や年齢によって子どもの発達段階を厳しく評価することです。子どもの言語能力を含めた発達は、おおきなバラツキがあります。社会自立に問題のない子どもが、特別支援学級を利用することで、社会自立が困難になる事例を多く感じます。三つ目は、休息、余暇、遊びの時間の絶対的欠如です。これらの軽視が、教育問題の最大の課題であると思っています。
ひかりの学校の理念は、
- 子どもが望む活動を通した学習
- 基礎学力の意欲・知識・技術の定着
- 自己実現と社会自立につながる体験学習 です。
上記の理念の中で何より重要と思っているのは、意欲です。小学4年生くらいまでの基礎学力の定着と意欲があれば、何の職業でもなれると子どもに話しています。
学習の評価は、成果よりも取り組む意欲を見ています。文字や計算の学習でも、造形遊びのような木工作でも、音楽でも調理でもいい物ができたかではなく、子どもが没頭できる時間と場と機会を設けられたかを重視しています。
すべての学習は参加型をとっており、参加を子どもが選べます。同時に、いつでも好きな時に休息をとれるようにしています。
受け入れ体制は、就学年齢児童以上で上限は設けていません。現在は小学1年生から中学1年生までの子ども10名が利用してくれています。元気に学校へ通っていた子ども、不登校の子ども、特別支援学級を利用していた子どもなど様々です。
ひかりの学校 ブログ「すべてのこどもに新しい教育をhttp://hikarinogakko.blog.fc2.com〒399-8301 長野県安曇野市穂高有明7015-1 ☎︎0263-55-3353 代表:髙林 賢☎︎090-9391-8954 soil@mac.comひかりの学校三つ折りチラシ前面
長い間、長野県・長野市の地域福祉に貢献している親しい友人にメールを送り、ひかりの学校についてお話をしたら、「「ひかりの学校」の取り組みすごいですね。長野県の「子供白書」にも書かれていました。機会をつくっていきたいと思います。」との返事。徐々に、努力が評価されていると聞き、うれしく思いました。最初は、たいへんです。私も、応援したいし、今度は直接お伺いしたいと思っています。高林真理さんが、児童養護施設に働きながら、大学院に通った理由を今でも忘れません。「心の壺には、たくさんの愛情が入っています。しかし、その壺に入っている優しさや思いやり、愛する心は、子どもたちに与えながら、減っていきます。だから、その心の壺を満たすために、大学院に来ました」という真理さんの姿勢に、感動しました。真理さんが選んだご主人が、親御さんと一緒に精一杯築いてきた「ひかりの学校」を、私は推薦いたします。
以上は、2016年6月に市川一宏研究室に掲載した私の原稿です。今回は、その時の約束を果たすことができました。これも、定年退職をしたご褒美かもしれません。
2023年5月17日水曜日にNHKスタジアで、フクチッチの11時から17時までの収録を終えた翌日、私は午前8時24分立川発の特急あずさ5号に乗り、松本に着いてからさらに大糸線に乗り換え、中萱駅に着いた。そして真理さんに駅まで迎えに来てもらい、念願のひかりの学校に到着できたのである。
髙林さん夫婦は、民家を購入し、活動を始めていた。当初から、順風満帆ではなかった。近隣の方が、ひかりの学校の存在を十分に受け入れて下さるには、通常は長い年月がかかるはず。また、近くに親しい友人がいる場所の家を購入したわけでなく、試行錯誤で活動を始める中で、孤独感も感じたと思う。そのような時に、フィリピンの牧師が伝道する教会に出会い、救いの導きを与えられ、この5年間の学校の実績を積み重ねることができたと、お二人は振り返る。本当に熱心なクリスチャンである。
12時頃にひかりの学校に到着した。環境にの良い住宅地に、学校があった。そして家に広い庭があり、子どもたちの遊び場でもあったし、のびのびと互いが交流する学びの場でもあった。家の玄関に看板があり、そこから家に上がると、子どもたちはピザを作っていた。子どもたちはそれぞれ、想像力を膨らまし、独創的なピザを作り上げていた。入ってきた私に、自分のピザを誇らしげに見せ、私にピザを作らないかとの誘ってくれた。でも、正直、子どもたちの元気さに戸惑い、どう解答して良いか混乱していた。今から思うと、ピザを作っていればよかった。一緒に味を競い合えたのに。
庭には、釜があり、子どもたちは順番にピザの生地を持ってきた。それを手際よく焼く髙林さん。何枚も焼き終わったところで、庭に置いたテーブルを囲み、昼食が始まった。甘いピザが多かったが、結構おいしかった。
以下の写真は、私とひかりの学校の子どもたち、大学の卒業生真理さんと、高林さんのご夫婦、ボランティアのお母さんの集合写真である。ちなみに、この中の1人は初めてのひかりの学校に登校した児童で、数年前に父親が脳梗塞で倒れ、今も体が不自由なこと、お母さんが一人で生活を支えていること、いろいろなことがあって、公立小学校に休むことも度々あったことを話してくれた。そして、多くが自宅にいたので、今日は、久しぶりの外出と聞いた。私がひかりの学校にいる間、彼と話す機会があり、一緒に近くの神社にも探検に行った。
彼と一緒に過ごしていると、疲れからか、たまに彼の呼吸が乱れることがあった。その時には、互いに目を見て頷きながら、自分らしくいようと確認した。彼は、いろいろな思いを持って確かに、十分に生きている。それを私は彼の言葉から実感した。彼が信頼する人、自分らしくいられる場を見つけることができるなら、新たな自分らしい歩みが始まると思う。
僕が帰る時は、最後まで見送って、いつまでも手をふっていてくれた彼。ぼくは、この出会いをこれからも大切にしたいと思っている。
と同時に、それぞれの子どもに、安心して成長する場を提供しているひかりの学校は、子ども、親、地域から、必要とされる場所となっていると実感した。自分の目で見て、体験した時間はわずか4時間程度であったが、私にはひかりの学校を必要としている子ども、親たちがおり、私たちも、必要としていると感じた。以前、子育てSOSという講演とシンポジウムを開催した。副題は、「明日のある子どもたち、明日のある親たち、明日のある私たち」である。児童養護施設の職員として、学校の教員として、そしてひかりの学校の運営責任者として頑張っている髙林賢さん、一緒に歩み、ひかりの学校の土台骨になっている卒業生の真理さんの働きに、神様のみ恵みが豊かに注がれますようにお祈りしたい。また、これからも訪問させて頂きたいし、応援していきたい。
今、小・中学校の不登校、過去最多24万人超 : コロナ禍で生活の乱れ、交友関係築けずという記事が出されました。(nippon.com) コロナ禍の2年半、目に見えないウイルスは経済、社会、政治を大きく揺さぶった。ましてや、小学生や中学生にとって生活が一変し、友だちや先生とのコミュニケーションがとれないことが、どれほどのインパクトだっただろうか。小中学生の不登校、過去最多の24万人。文部科学省が公表した「問題行動・不登校調査」で、全国の小中学校で2021年度に学校を30日以上欠席した不登校の児童生徒は前年度から4万8813人(24.9%)増の24万4940人となり、過去最多を記録した。不登校の増加は9年連続で、10年前と比較すると小学生は3.6倍、中学生は1.7倍増。不登校の内訳は、小学校が8万1498人(前年度比28.6%増)、中学校が16万3442人(同23.1%増)で、いずれも増加率は過去最高。特に中学生で急増しており、20人に1人が不登校だった。不登校の内訳は、小学校が8万1498人(前年度比28.6%増)、中学校が16万3442人(同23.1%増)で、いずれも増加率は過去最高。特に中学生で急増しており、20人に1人が不登校だった。(nippon.com)
どうしてこれだけ不登校の子どもたちが増えるのだろうか。コロナ禍にあって、教育、福祉関連システムの制度疲労が起こっているのかもしれない。ならば、私は、それぞれ一人ひとりに合った福祉、教育システムを、当事者の子どもも加わってつくり上げていきたい。それが希望ある明日を目指す行動であると信じるから。
投稿日 23年06月02日[金] 11:03 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,出会い,社会福祉関連
起立性調節障害のJK監督率いる学生映画チ-ムが送る奇跡の実話をご紹介します。是非、ご覧下さい。
2023年5月26日(金曜日)午後7時30分、なかのZEROで『今日も明日も負け犬。』の映画上演会が行われた。起立性調節障害について知識がない私は、大学の地域福祉論Ⅰに聴講に来られている市民の方から、たくさんの若者が苦しんでいる実態をお聞きし、学ぼうと思い、上映会を実施したKiku-Ne(きくね)に申し込んだ。
~16歳が書く一冊の本から始まった奇跡~
起立性調節障害のJK 監督
率いる学生映画チームが送る奇跡の実話
監督西山夏実の夢
「自分の人生を映画化する」から全てが始まった。
「本書いてよ」 西山(当時16歳)はクラスメイトの小田(当時16歳)に言った。
緊急事態宣言下の3か月間、脚本の小田実里が映画の原作となる西山の人生を描いた本を執筆
本は即日完売。予想を上回る反響から映画化を決めた。
SNS で呼びかけ、監督、脚 本、キャスト、スタイリスト、AD、メイキングなど全てが学生の期間限定チームが結束された。
映画の作り方すら誰も知らないそんな「大人立ち入り禁止の撮影現場」が生まれた。
「コロナ渦」「学生」「初心者」「初対面」「闘病」様々な壁を乗り越え、1年かけて紡いだのが本映画である
この映画を見て、私は、たくさんの主人公がいると思った。第1の主人公は、当然、起立性調整障害に突然かかった西山夏実さん。彼女は、この映画の監督である。中学2年生の時にこの病気にかかり、なかなか起きれない、動けない、今までできていたことができなくなり、さらに病気への周囲の無理解によって、心も傷つき、だんだんと追い詰められていく。映画の中である教員が発した言葉に、私は、西山さんの存在をも否定することが容易にできてしまう恐ろしさを覚えた。西山さんの行動の一部しか見ておらず、24時間彼女が抱えている困難さを知らないと、私も同じことをして、同じような言葉を発していたかもしれない。また、孤独からか?笑顔をまったく見せず、保健室に一緒にいた女子学生ひかるさんに笑顔を届けたいという気持が、西山さんの生活再建のきっかけになっていたことに、私は強い共感を覚えた。苦しみを知ったからこそ、相手の苦しみを理解できるのではないだろうか。「障がいをもつ当事者が当然のこととして現状とその理解、そして必要な支援を主張できる社会」を目指したい。
第2の主人公は、学生スタッフである。映画の後に、監督西山さんとスタッフの撮影の現場をまとめた記録を見て、この映画制作の意味を理解した。当時16歳だった西山さんの「自分の闘病生活を実写映画化したい」という呼び掛けに応えて、女子高生28人が集結した。ただ、みんなが初心者であり、キャスト、スタイリスト、メイキング、楽曲制作など、一つひとつの作業が手探りの中、1年間の製作期間を経て、この映画を完成させた。過去の自分を役者として再現した友人の演技を見て、西山さんは思わず撮影を続けることができなくなった時もある。時には体調を崩し、時には将来の不安に心が一杯になり、撮影を辞めてしまう西山さんと一緒に泣き、喜び、悲しみ、笑う学生スタッフ。コロナ禍、闘病、学生であるという限界もあった。しかし、大切な最初の目標、すなわち起立性調節障害の現状を一人でも多くの方に理解してもらい、同じ病気にかかっている人に一緒に歩む人ができることを願って、必死に支え合っていた28人の行動に勇気を与えられた。50数年前の大学生の時、私は、知的障害児施設にボランティアに行った。その私に、同期の友人たちは「偽善者だ」と言った。自分の思いに従った行動なのに何故非難されなければならないのだと寂しく思った。そして、私は「善」をしている訳ではないので、偽善ではないと言い、友人を集めて施設にボランティアに行った。以降、彼らは「偽善者」とは言わなくなった。そして今でも友人との関係は続いている。「一緒に歩む日常が、当たり前になる社会」を目指したい。
第3の主人公は、Kiku-Ne(きくね)である。ホームページによると、Kiku-Neは、起立性調節障害(OD)当事者の保護者としての経験をもとに、「見えない病と共に生きる社会」を目指して、見た目ではわからない病気や特徴の認知と理解への啓発活動、当事者・家族(家庭)・学校・社会(地域や職場など)、それぞれの橋渡しとサポートを行っている。主な内容は、対面またはオンラインによる保護者向け、教職員向けの勉強会や講演会、学校保健委員会での講話、個別相談などを行っているとのこと。Kiku-Neの名前の由来は、「きく」が聞く・聴く・効く・訊く・利く、「ね」は、根・音・輪廻の廻の意味を掛け合わせており、当事者やご家族の声を聴く、体調や症状に効くなどの様々な「Kiku」と理解が根を広げる、みんなの声が音となり、たくさんの「Ne」となると言う意味を掛け合わせている。「Kiku」と「Ne」が合わさって、より多くの子どもたちやご家族が生きやすく育ちやすい社会になってほしいと思っている団体である。
中野経済新聞の記事を紹介する。「我が家の娘は2人とも起立性調節障がい。長女が診断されたとき、『一番大切なのは、一人でも多くの理解者を得ること』と主治医に言われたのをきっかけに8年前からこの病気のことを伝える日々が始まった。映画は、ある日突然この病気に襲われた女子中学生の実話で、病気をより多くの人に知ってもらうための素晴らしい作品」と映画を誘致した同任意団体の代表・野澤菊枝さん。「ある日突然、原因不明の不調で、起きたくても起き上がれない、寝たくても眠れない、頭痛や腹痛などの症状が毎日続く。そんな不調を抱えながら必死に過ごす中で『サボり』『なまけ』『甘え』『わがまま』などという言葉をかけられたらどう感じるかを想像してほしい。映画は、あなたはひとりじゃない、そして夢や希望が生きる力になるということを教えてくれるはず。中野区教育委員会のお墨付きをもらった。ぜひたくさんの人に見てもらいたい。わたしたちの活動に賛同し、支援していただける方にも出会えたら」と話す。
これらの取り組みに対する第4の主人公は、映画を見た人たち。私も含めて、このメッセージをどのように受け止め、理解し、行動していくのか、問われている。
投稿日 23年05月20日[土] 9:23 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,共助社会づくり,出会い,社会福祉関連
投稿日 23年03月12日[日] 12:24 AM | カテゴリー: カテゴリ無し,出会い,思い出記
不意に、思わず引き込まれてしまう会話に出会う時があります。
その時は、ルーテル学院大学大学院・三鷹ネットワーク大学共催の「新型コロナウイルス時代の地域ケアを考えるトークセッション」の企画調整、卒業生等による「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」の依頼等で疲れ、ソファーに横になって、NHKの<ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜(6)「新しい風」>を見ている時に突然来ました。
その第6回は、中規模な病院の女医である真野千晶(貫地谷しほり)が、乳児を抱え、無関心な夫に絶望し、一人で子育てをして追い詰められている20歳代前半と思われる患者さんに、どのように接したらよいか、悩みながら、共にあろうとする内容でした。
真野医師が実家に戻り。母親に「お母さん 患者さんでね 生後5ヶ月の赤ちゃんを抱えて 大変な人がいるの。家庭にも問題があって 私 なんて言ったらいいのか 分からなくて・・・」と聞いた時に、母親が何気なく返した言葉です。
「人生はつらいことがたくさんあるわ
でもね つらいことって そう長く続かないのよ
長く生きていると だんだん そういくことが分かってくる
だから 悩んだ時は 焦らず ただ立ち止まる
立ち止まっていると 本当の自分の気持ちが見えてくる
そしたら いつの間にか 新しい風が吹くのよ」
真野医師は、その患者さんに伝えました。「少し休んで 心が落ち着いたら 自分の心に問いかけてみて下さい。自分がどうしたいのか」
投稿日 20年09月19日[土] 4:32 PM | カテゴリー: カテゴリ無し,出会い
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(口語訳聖書:ヘブル人への手紙12:2)
<はじまり>ルーテル学院大学のチャプレンに、年頭礼拝のメッセージの依頼を受けたその時から、私は何を述べることができるのか迷いました。そこで、私の生きていく原点の一つである場に立ち、今までを振り返り、そこで率直に考えたことをお伝えしようと思いました。その場が、石巻市にある日和山でした。
<日和山>日和山は標高61.3メートルの山ですが、石巻市内を一望できる場所としても知られており、眼下には、漁港、仮面ライダー等で有名な石ノ森章太郎の萬画館、旧北上川の河口から広がる太平洋が見えました。しかし、近年、石巻市の大きな変化を見る場所になっています。
<東日本大震災>2011年3月11日に発生した東日本大震災により、石巻市は大きな被害を受けました。2019年12月4日現在、死者は3,277人 関連死は275人 行方不明は420人に達しています。日和山に置かれていた案内板には、こう書かれています。「門脇、南浜地区は急速に市街化が進み、石巻市立病院、石巻文化センター、そして約3,000件を超える人家が建ち並ぶ街として発展しました。しかし、東日本大震災の大津波はこれらの家々をすべて押し流し、同時に発生した津波火災が街を焼き尽くしました。この地域は、災害危険区域として居住できない地域となりました。」
発災時には、雪が降っている中、多くの市民が日和山に登って津波から避難しましたが、住民は、その場で津波の驚異を目の当たりにすることになりました。
<日和山に登る>1月5日の朝6時、20年近く親しくして頂いている石巻市社協の友人とホテルのフロントで待ち合わせをし、私は日和山を目指しました。まだ暗い朝、2メートルを超える津波に襲われた地域をしばらく歩き、そして日和山の頂きに行くために急な坂を登りました。頂きの公園に着くと、空は段々明るくなってきました。私は、友人に案内され、工事途中の新しい橋、南浜地区復興祈念公園、いくつも建っている復興住宅等、新たな石巻の姿を見ました。十分防寒対策をしていきましたので、たかをくくっていましたが、気温はマイナス2度で、少し風もある。案の定、手袋をしていた手を寒さが突き刺しました。そのぶん、日の出は待ち遠しく、だんだん空が赤くなり、日をさえぎる雲を焼くように、光の断片が見えだし、丁度7時に、日が登りました。とてもきれいな日の出でした。
<日和山から見えるもの>被害にあった地域の多くの時計は、津波が襲ってきた時間を指したまま止まりました。しかし、被災者の人生の時計の針が、今、そして明日に向けて動いていくために、働きかけているたくさんの方々の姿を、私は見続けてきました。
私が日和山の頂きに立って日の出を見ながら、思うことは2つ。
1つは、東日本大震災の被害が、人ごと、他人事とは思えなかったこと。震災が起こるまで一緒に生活していた配偶者、子ども、親、友人を突然なくし、さらに生活してきた地域が面影もなく消え去ってしまう事実に直面して、私はいてもたってもいられなかった。発災当時たくさんのボランティアが来ましたが、その方々には、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持があったと思います。それは、誰もがもっている気持。発災後何年も石巻で働かせて頂き、この気持を大切にしてこられたことに、私は心より感謝しています。
2つ目は、地域生活支援について一緒に考え、挑戦してきた友人、関係者の方々がおられたこと。被災地における自分の無力さを「いやっというほど」知ることにより、思いを同じくする方々と一緒に歩むことの大切さを学びました。石巻での経験と一緒に挑戦してきた友人は、私の財産です。
聖書に立ち戻ります。口語訳のヘブル人への手紙12:2では、「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」と書かれています。説教黙想アレテイア『ヘブライ人への手紙』で、加藤常昭牧師は、「共に走りつつ」というテーマを出され、繰り返し、本聖書の説教者は、相手に「すべきである」というような第2称で話していない。一緒に走ろうと言っている。そこに、「励ましの言葉」としての意味があると言われました。
さらに、聖書には「イエスを仰ぎ見つつ」とも書かれています。イエスは、「恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座する」方です。しかも、イエスは、私たちが歩き始める前に、すでにこの道を歩まれ、今は私たちを見守って下さる。そして私たちが見上げると、イエスがおられる。だから私たちは勇気を与えられ、さらに明日に向かって共に走っていくことができるのです。
皆さんも、自分にとっての山の頂に立ち、自分を見つめ、さらに周りを見渡して下さい。ルーテル学院を支えて下さった諸先生、諸先輩がおられる。ルーテルのミッションを学んだ卒業生が、困難に直面している方々に希望の光を届けている。それぞれの家庭や地域で安心して生きていく場を築いている。互いに支え合っている家族、友人がいる。教職員、在学生、教会の方々、ルーテル学院と関係のある方々が共に歩んで下さっている。
だからこそ、私は2020年を、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持を勇気にかえて、明日に向かって歩む1年にしたいと考えております。
感謝。
(新共同訳聖書では、「信仰の創設者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びの捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのなったのです」と書かれています)
石巻市日和山に登る(2020年1月5日)
石巻市
最後の2枚は、一緒に山を登ってくれた友人が撮っていてくれた写真です。
日和山から見える今の石巻市
投稿日 20年01月10日[金] 2:55 PM | カテゴリー: 共助社会づくり,出会い,大学関連,思い出記
社会福祉大会を終え、参加して下さった方々との出会いに感謝し、空港で飛行機を待ちました。その時、綺麗な夕陽を見ていたら、飛び立つ飛行機を見て、思わずシャッターを押しました。思い出の写真です。
投稿日 19年10月10日[木] 7:51 PM | カテゴリー: 出会い
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