出会い

今日も明日も負け犬

起立性調節障害のJK監督率いる学生映画チ-ムが送る奇跡の実話をご紹介します。是非、ご覧下さい。

2023年5月26日(金曜日)午後7時30分、なかのZEROで『今日も明日も負け犬。』の映画上演会が行われた。起立性調節障害について知識がない私は、大学の地域福祉論Ⅰに聴講に来られている市民の方から、たくさんの若者が苦しんでいる実態をお聞きし、学ぼうと思い、上映会を実施したKiku-Ne(きくね)に申し込んだ。

~16歳が書く一冊の本から始まった奇跡~

 起立性調節障害のJK 監督
率いる学生映画チームが送る奇跡の実話

監督西山夏実の夢
「自分の人生を映画化する」から全てが始まった。 

「本書いてよ」 西山(当時16歳)はクラスメイトの小田(当時16歳)に言った。
緊急事態宣言下の3か月間、脚本の小田実里が映画の原作となる西山の人生を描いた本を執筆
本は即日完売。予想を上回る反響から映画化を決めた。
SNS で呼びかけ、監督、脚 本、キャスト、スタイリスト、AD、メイキングなど全てが学生の期間限定チームが結束された。
映画の作り方すら誰も知らないそんな「大人立ち入り禁止の撮影現場」が生まれた。
「コロナ渦」「学生」「初心者」「初対面」「闘病」様々な壁を乗り越え、1年かけて紡いだのが本映画である

この映画を見て、私は、たくさんの主人公がいると思った。第1の主人公は、当然、起立性調整障害に突然かかった西山夏実さん。彼女は、この映画の監督である。中学2年生の時にこの病気にかかり、なかなか起きれない、動けない、今までできていたことができなくなり、さらに病気への周囲の無理解によって、心も傷つき、だんだんと追い詰められていく。映画の中である教員が発した言葉に、私は、西山さんの存在をも否定することが容易にできてしまう恐ろしさを覚えた。西山さんの行動の一部しか見ておらず、24時間彼女が抱えている困難さを知らないと、私も同じことをして、同じような言葉を発していたかもしれない。また、孤独からか?笑顔をまったく見せず、保健室に一緒にいた女子学生ひかるさんに笑顔を届けたいという気持が、西山さんの生活再建のきっかけになっていたことに、私は強い共感を覚えた。苦しみを知ったからこそ、相手の苦しみを理解できるのではないだろうか。「障がいをもつ当事者が当然のこととして現状とその理解、そして必要な支援を主張できる社会」を目指したい。

第2の主人公は、学生スタッフである。映画の後に、監督西山さんとスタッフの撮影の現場をまとめた記録を見て、この映画制作の意味を理解した。当時16歳だった西山さんの「自分の闘病生活を実写映画化したい」という呼び掛けに応えて、女子高生28人が集結した。ただ、みんなが初心者であり、キャスト、スタイリスト、メイキング、楽曲制作など、一つひとつの作業が手探りの中、1年間の製作期間を経て、この映画を完成させた。過去の自分を役者として再現した友人の演技を見て、西山さんは思わず撮影を続けることができなくなった時もある。時には体調を崩し、時には将来の不安に心が一杯になり、撮影を辞めてしまう西山さんと一緒に泣き、喜び、悲しみ、笑う学生スタッフ。コロナ禍、闘病、学生であるという限界もあった。しかし、大切な最初の目標、すなわち起立性調節障害の現状を一人でも多くの方に理解してもらい、同じ病気にかかっている人に一緒に歩む人ができることを願って、必死に支え合っていた28人の行動に勇気を与えられた。50数年前の大学生の時、私は、知的障害児施設にボランティアに行った。その私に、同期の友人たちは「偽善者だ」と言った。自分の思いに従った行動なのに何故非難されなければならないのだと寂しく思った。そして、私は「善」をしている訳ではないので、偽善ではないと言い、友人を集めて施設にボランティアに行った。以降、彼らは「偽善者」とは言わなくなった。そして今でも友人との関係は続いている。「一緒に歩む日常が、当たり前になる社会」を目指したい。

第3の主人公は、Kiku-Ne(きくね)である。ホームページによると、Kiku-Neは、起立性調節障害(OD)当事者の保護者としての経験をもとに、「見えない病と共に生きる社会」を目指して、見た目ではわからない病気や特徴の認知と理解への啓発活動、当事者・家族(家庭)・学校・社会(地域や職場など)、それぞれの橋渡しとサポートを行っている。主な内容は、対面またはオンラインによる保護者向け、教職員向けの勉強会や講演会、学校保健委員会での講話、個別相談などを行っているとのこと。Kiku-Neの名前の由来は、「きく」が聞く・聴く・効く・訊く・利く、「ね」は、根・音・輪廻の廻の意味を掛け合わせており、当事者やご家族の声を聴く、体調や症状に効くなどの様々な「Kiku」と理解が根を広げる、みんなの声が音となり、たくさんの「Ne」となると言う意味を掛け合わせている。「Kiku」と「Ne」が合わさって、より多くの子どもたちやご家族が生きやすく育ちやすい社会になってほしいと思っている団体である。

中野経済新聞の記事を紹介する。「我が家の娘は2人とも起立性調節障がい。長女が診断されたとき、『一番大切なのは、一人でも多くの理解者を得ること』と主治医に言われたのをきっかけに8年前からこの病気のことを伝える日々が始まった。映画は、ある日突然この病気に襲われた女子中学生の実話で、病気をより多くの人に知ってもらうための素晴らしい作品」と映画を誘致した同任意団体の代表・野澤菊枝さん。「ある日突然、原因不明の不調で、起きたくても起き上がれない、寝たくても眠れない、頭痛や腹痛などの症状が毎日続く。そんな不調を抱えながら必死に過ごす中で『サボり』『なまけ』『甘え』『わがまま』などという言葉をかけられたらどう感じるかを想像してほしい。映画は、あなたはひとりじゃない、そして夢や希望が生きる力になるということを教えてくれるはず。中野区教育委員会のお墨付きをもらった。ぜひたくさんの人に見てもらいたい。わたしたちの活動に賛同し、支援していただける方にも出会えたら」と話す。

これらの取り組みに対する第4の主人公は、映画を見た人たち。私も含めて、このメッセージをどのように受け止め、理解し、行動していくのか、問われている。

恩師と親しい先輩と

2022年の桜・花

 卒業生や友人から寄せられた写真、また私が映した写真から、掲載しています。本年度の桜・花の写真です。

井の頭西園に咲く桜(2022.3.20)
井の頭公園の桜
井の頭公園の桜
井の頭公園の桜
四万十の桜
大阪の春
次大夫掘公園
次大夫掘公園
新宿御苑の桜2017
新宿御苑の桜2017
新宿御苑2017
井の頭公園西園
井の頭公園西園垂れ桜
児童養護施設に咲く桜の下で行われる予定の子どもたちの集い
三鷹市の桜
多摩センター周辺
ある学校の校庭
仙川のほとりの菜の花
所沢市東川の桜
横浜線中山駅近く「発酵・醸造カフェ(菌カフェ753)」の庭
桃源郷で映した甲斐駒ヶ岳と桜
大分県佐伯市
静岡県駿東郡長泉町
埼玉県藤岡市ふじの花咲く公園
埼玉県藤岡市ふじの花咲く公園
埼玉県藤岡市ふじの花咲く公園
埼玉県藤岡市ふじの花咲く公園

いつの間にか 新しい風が吹く

 不意に、思わず引き込まれてしまう会話に出会う時があります。

 その時は、ルーテル学院大学大学院・三鷹ネットワーク大学共催の「新型コロナウイルス時代の地域ケアを考えるトークセッション」の企画調整、卒業生等による「希望ある明日に向かって歩むぞメッセージ」の依頼等で疲れ、ソファーに横になって、NHKの<ディア・ペイシェント〜絆のカルテ〜(6)「新しい風」>を見ている時に突然来ました。

 その第6回は、中規模な病院の女医である真野千晶(貫地谷しほり)が、乳児を抱え、無関心な夫に絶望し、一人で子育てをして追い詰められている20歳代前半と思われる患者さんに、どのように接したらよいか、悩みながら、共にあろうとする内容でした。

 真野医師が実家に戻り。母親に「お母さん 患者さんでね 生後5ヶ月の赤ちゃんを抱えて 大変な人がいるの。家庭にも問題があって 私 なんて言ったらいいのか 分からなくて・・・」と聞いた時に、母親が何気なく返した言葉です。

「人生はつらいことがたくさんあるわ

でもね つらいことって そう長く続かないのよ

長く生きていると だんだん そういくことが分かってくる

だから 悩んだ時は 焦らず ただ立ち止まる

立ち止まっていると 本当の自分の気持ちが見えてくる

そしたら いつの間にか 新しい風が吹くのよ」

 真野医師は、その患者さんに伝えました。「少し休んで 心が落ち着いたら 自分の心に問いかけてみて下さい。自分がどうしたいのか」

大切な思い出の一コマ

同期の卒業生とご家族(大学内ブラウンホールにて)
学園祭に戻ってきた卒業生とご家族
長野県の親友
卒業生と和田先生との暑気払い
地域福祉パワーアップカレッジねりま 10期の活動
私が着任した1983年度の入学式
いつもの卒業式の一コマ(1987年)
石巻市日和山より(2020年1月5日)
ルーテル諸学校(九州学院・九州ルーテル学院・聖望学園・浦和ルーテル学院・ルーテル学院大学)教師研修会(神戸ルーテル神学校にて)
ルーテル諸学校代表者会の方々と熊本バンドの碑の前で
地域福祉パワーアップカレッジ練馬の学園祭
学園祭に家族を連れて戻ってきた卒業生(学長室にて)
謝恩会
真冬の阿寒湖
奥磐梯高原ホテルからの磐梯山
桧原湖からの磐梯山
弥六沼からの磐梯山
熊本県天草「ホテル アレグリアガーデンズ天草」からみる夕日
岡山県備中国分寺五重塔(総社市)
長野県駒ヶ根市光前寺三重塔
高松市栗林公園
宮城県地域福祉活動者研修会(3月11日、震災が起こった時刻に黙祷を献げる)
平成14年宮城県ボランティアコーディネーター研修会(外は吹雪)
石巻市社協の仲間たち(第2次石巻市地域福祉活動計画策定時)2011年以降、2020年4月まで地域福祉アドバイザーとして一緒に勉強させて頂きましたこと、心より感謝いたします。
被災後再開された石巻市「地域福祉フォーラム」
石巻市社協勉強会
石巻市ボランティアセンター連絡会でのワークショップ
石巻市第2回社会福祉大会記念講演(2020.11.1)
立川市平和公園
宮崎県高千穂渓谷

2011/ 3/ 7 22:19
木曽郡大桑村伊奈川ダム
大桑村にある阿寺(あてら)渓谷のエメラルドグリーンの清流
木曽郡大桑村サロン
民生委員100周年記念会
日曜礼拝のメッセージ後の阿部志郎先生(田浦教会)
芦ノ湖
鳥取砂丘 砂の美術館

シェーンブルン宮殿(研修旅行でオーストリアに)
宮崎県小林市須木地区宿泊施設(スキムランド)
スキムランドの池に現れた朝日(午前9時頃?)
須木村地区懇談会
過疎サミット須木
宮城県西米良村小川地区
西米良村での地域福祉関係者懇談会
西米良の公共施設のあった写真
西米良名物猪うどん
今は廃止された高千穂鉄道(延岡⇔高千穂)
仙台の七夕まつり
国立療養所 邑久光明園(岡山にある国立ハンセン病療養所)
光明園回春寮
2013/ 6/22 14:34
連れてこられ患者が入る場所(上の小さな桶は消毒液で満たされ、持ち物を入れるとの事)
石巻市雄勝地区
長崎
広島原爆ドーム
2002年度第3回徳島県ボランティアパートナー研修
同研修ワークショップ
徳島県脇町(現美馬市)のうだつ通り
うだつ(家事の延焼を食い止めるための工夫)
山田洋次監督の映画の撮影が行われた劇場(脇町)
徳島県の南東部、海陽町にある轟の滝。深い谷にあり、古くから神聖な場所とされてきました。
宮崎県青島瓦岩
島根県松江宍道湖の夕日
津和野うみに
キリシタン迫害の歴史
尾道 林芙美子の碑
尾道の丘
尾道
海に沈む夕日(西伊豆堂ヶ崎)

井の頭公園池の姿

2020年新年礼拝「山の頂きから見えるもの」


「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(口語訳聖書:ヘブル人への手紙12:2)

<はじまり>ルーテル学院大学のチャプレンに、年頭礼拝のメッセージの依頼を受けたその時から、私は何を述べることができるのか迷いました。そこで、私の生きていく原点の一つである場に立ち、今までを振り返り、そこで率直に考えたことをお伝えしようと思いました。その場が、石巻市にある日和山でした。

<日和山>日和山は標高61.3メートルの山ですが、石巻市内を一望できる場所としても知られており、眼下には、漁港、仮面ライダー等で有名な石ノ森章太郎の萬画館、旧北上川の河口から広がる太平洋が見えました。しかし、近年、石巻市の大きな変化を見る場所になっています。

<東日本大震災>2011年3月11日に発生した東日本大震災により、石巻市は大きな被害を受けました。2019年12月4日現在、死者は3,277人 関連死は275人 行方不明は420人に達しています。日和山に置かれていた案内板には、こう書かれています。「門脇、南浜地区は急速に市街化が進み、石巻市立病院、石巻文化センター、そして約3,000件を超える人家が建ち並ぶ街として発展しました。しかし、東日本大震災の大津波はこれらの家々をすべて押し流し、同時に発生した津波火災が街を焼き尽くしました。この地域は、災害危険区域として居住できない地域となりました。」

発災時には、雪が降っている中、多くの市民が日和山に登って津波から避難しましたが、住民は、その場で津波の驚異を目の当たりにすることになりました。

<日和山に登る>1月5日の朝6時、20年近く親しくして頂いている石巻市社協の友人とホテルのフロントで待ち合わせをし、私は日和山を目指しました。まだ暗い朝、2メートルを超える津波に襲われた地域をしばらく歩き、そして日和山の頂きに行くために急な坂を登りました。頂きの公園に着くと、空は段々明るくなってきました。私は、友人に案内され、工事途中の新しい橋、南浜地区復興祈念公園、いくつも建っている復興住宅等、新たな石巻の姿を見ました。十分防寒対策をしていきましたので、たかをくくっていましたが、気温はマイナス2度で、少し風もある。案の定、手袋をしていた手を寒さが突き刺しました。そのぶん、日の出は待ち遠しく、だんだん空が赤くなり、日をさえぎる雲を焼くように、光の断片が見えだし、丁度7時に、日が登りました。とてもきれいな日の出でした。

<日和山から見えるもの>被害にあった地域の多くの時計は、津波が襲ってきた時間を指したまま止まりました。しかし、被災者の人生の時計の針が、今、そして明日に向けて動いていくために、働きかけているたくさんの方々の姿を、私は見続けてきました。

私が日和山の頂きに立って日の出を見ながら、思うことは2つ。

1つは、東日本大震災の被害が、人ごと、他人事とは思えなかったこと。震災が起こるまで一緒に生活していた配偶者、子ども、親、友人を突然なくし、さらに生活してきた地域が面影もなく消え去ってしまう事実に直面して、私はいてもたってもいられなかった。発災当時たくさんのボランティアが来ましたが、その方々には、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持があったと思います。それは、誰もがもっている気持。発災後何年も石巻で働かせて頂き、この気持を大切にしてこられたことに、私は心より感謝しています。

2つ目は、地域生活支援について一緒に考え、挑戦してきた友人、関係者の方々がおられたこと。被災地における自分の無力さを「いやっというほど」知ることにより、思いを同じくする方々と一緒に歩むことの大切さを学びました。石巻での経験と一緒に挑戦してきた友人は、私の財産です。

 聖書に立ち戻ります。口語訳のヘブル人への手紙12:2では、「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」と書かれています。説教黙想アレテイア『ヘブライ人への手紙』で、加藤常昭牧師は、「共に走りつつ」というテーマを出され、繰り返し、本聖書の説教者は、相手に「すべきである」というような第2称で話していない。一緒に走ろうと言っている。そこに、「励ましの言葉」としての意味があると言われました。
さらに、聖書には「イエスを仰ぎ見つつ」とも書かれています。イエスは、「恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座する」方です。しかも、イエスは、私たちが歩き始める前に、すでにこの道を歩まれ、今は私たちを見守って下さる。そして私たちが見上げると、イエスがおられる。だから私たちは勇気を与えられ、さらに明日に向かって共に走っていくことができるのです。

 皆さんも、自分にとっての山の頂に立ち、自分を見つめ、さらに周りを見渡して下さい。ルーテル学院を支えて下さった諸先生、諸先輩がおられる。ルーテルのミッションを学んだ卒業生が、困難に直面している方々に希望の光を届けている。それぞれの家庭や地域で安心して生きていく場を築いている。互いに支え合っている家族、友人がいる。教職員、在学生、教会の方々、ルーテル学院と関係のある方々が共に歩んで下さっている。

だからこそ、私は2020年を、思わず駆け寄っていく気持、誰かのために役に立ちたいという気持を勇気にかえて、明日に向かって歩む1年にしたいと考えております。

感謝。
(新共同訳聖書では、「信仰の創設者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びの捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのなったのです」と書かれています)

 石巻市日和山に登る(2020年1月5日)

石巻市

最後の2枚は、一緒に山を登ってくれた友人が撮っていてくれた写真です。

日和山から見える今の石巻市

那覇空港で出会った夕陽

社会福祉大会を終え、参加して下さった方々との出会いに感謝し、空港で飛行機を待ちました。その時、綺麗な夕陽を見ていたら、飛び立つ飛行機を見て、思わずシャッターを押しました。思い出の写真です。

地域福祉パワーアップカレッジ練馬の力

カレッジの力は、卒業生の働きあります。一人の地域住民として、福祉の理解者として生活なさっておられる方々も、カレッジの宝です。また具体的な活動を通して地域を支えておられる方々、いろいろな行政や社協、NPOの理事会や委員会に出席なさっておられる方々も、宝です。

ここでは、卒業生の一部を活動を紹介します。

思い出記2003年度(味めぐり)-3

門川町での意外な出会い(食材)

「すだち」は徳島、「かぼす」は大分、そして門川町には、平兵衛酢がある。あまり宣伝をしていないようだが、平兵衛さんが畑で栽培し、その味のあまりの良さに、住民が枝をもらい、わけ木をして広がったそうだ。味はさわやか、すっきりとした酸っぱさで、それを絞ってジュースにしてもほんとうにおいしい。ただ、時間がたっても中味はかわらないが、皮が少し変色していくので、それだけが課題であるとのこと。きっと澄み切った空気と熱い日射しのもとで育っているので、都市に運ばれて数週間すると、その環境で多少変化するかもしれない。でも、味と稀少価値から、私は積極的に推薦したい。

特急で日向駅に到着した時間が昼の時間であったため、門川町の海岸ぞいにある店で食事をした。刺身定食、荒煮定食がそれぞれ1,000円前後であった。写真の通り、新鮮な食材が並ぶ。荒煮も、いくつもの煮魚が味わえる。また御飯もおいしく、めったにしない「おかわり」をしてしまった。

なお、門川、日向の正月料理であるおせちを、いつ食べるかという話になった。私の習慣では、元旦に食べる。しかし、門川では、おせちは12月31日に食べるもの。それも潮が満ちる夕御飯時に食べるとのこと。確か、デンマークでは、クリスマスを家庭で祝うのは24日で、クリスマスツリーに本物のろうそくが飾られ、皆で手を繋いで、歌を歌いながらツリーの周りをまわる。その土地柄を学んだひとときでもある。

日本料理の調べ

新神戸に近い日本料理の店で、夕食をいただいた。神戸の夜景が見える場所にあり、高層階の店はほぼ満席。
 2段重ねの箱の下段には、「秋の香り」がたくさん詰まっていた。まだ緑色の紅葉(もみじ)の葉に包まれた赤いほおずきの殻の中はトマト。また紅鮭に季節野菜がならぶ。それらの赤い色が、紅葉の緑と逆転していておもしろい。
 また紙の鍋料理は始めての出会い。目の前に味噌汁の入った紙の鍋が置かれ、火の気のない磁気のコンロの上に置かれると、だんだん湯気が立ってくる。次々に肉や野菜やうどんが入れられ、鍋が完成した。火の気のないところに、紙の鍋の中で創られる鍋料理に、私はあっけにとられた。まさに神がかりである。

「鮭の白子焼き」と「豚角煮大根」

早朝に三鷹から東京駅、新幹線のぞみで名古屋駅を経て、近鉄特急で三重県の津に着いた。講演の終了後に、再び名古屋に行き、名古屋始発の特急に乗り、長野駅に着いたのは、午後9時。
 遅い晩御飯となったが、気に入っている「もみじ茶屋」に行き、いくつかの料理を頼んだ。角煮は、たっぷり煮つけた大根の上に、柔らかくなった豚肉が、さらにその上にはネギと辛しが置かれている。これで600円。また白子焼きを食べるのは始めてであったが、はち切れんばかりに「実」がつまっており、「味」を堪能した。380円。
 疲れをいやして、あすから頑張ろう!

豚の角煮
鮭の白子焼き

おおさわ屋「黒糖まんじゅう」

長野市信濃町にある一番古いお菓子屋さんが、おおさわ屋。商店街から国道沿いに移転し、野尻湖にちなんだ「ナウマン子象」や「黒姫山」を売り出していた。いずれも、とても誠実な店主の人柄が良く分かる、こだわりの味だそうである。
 最近、葛を配合させて歯ごたえを出し、そして黒糖を用いて健康に配慮した「黒糖まんじゅう」を売り出し、長野駅でも売られるようになったそうである。
 長野市社会福祉協議会の地域福祉推進委員会の座長をつとめることになり、打ち合わせの時に、職員で信濃町に住んでおられる中堅のTさんが持ってきて下さった。そのおいしさと個性に驚き、思わず由来を聞いて、店主の創作努力が結実したまんじゅうだと分かり、再度感動した。努力して満足のいくものが完成された時、それが活かされる社会がここにある。
 売り切れに御注意。

季節限定のまんじゅう

またまた長野市社協のTさんのお薦めは、「紫一味」というお菓子。中にぶどうが一つ入っており、口の中でぶどうの味と、甘さを抑えたかわのバランスがとても良い。一瞬の驚きと、後に残る余韻に浸ることができる。190円でやや高いが、その分、笑顔が返ってくるだろう。